子宮摘出手術による入院生活のお話、最終回です!
病院食に苦戦したこと、お見舞いが心に染みたこと、また6人部屋の共同生活で他の方々との間接的(?)な交流で心を動かされたこと、などお話ししました。
【今回の内容】
病院食が喉を通らず、やつれて老け込んだ/悔しい/お見舞いと涙/爆速で話す夫/アジサイが切ない/母娘の思いに涙/夜中の「痛い痛い」/朝からパンパンパンッ!、からのシャッシャッシャッ/心にぽっかり穴/炭酸とマスタードとミルフィーユと
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サマリー
このエピソードでは、子宮摘出手術を受けた後の入院生活や病院食について話されています。食欲の回復に苦しむ中、看護師や家族の支えを受けながら、徐々に回復していく様子が描かれています。また、夫や子どもたちの訪問がどのような支えになったか、他の入院患者との交流を通じて感じた思いや痛みについても深く掘り下げられています。6人部屋での入院生活を通じて患者との絆や退院後の飲食体験の感動を共有し、健康のありがたみについて考察されています。
入院生活の苦悩
迫真のイドバタ番組、職業、主婦です。
主婦の目線で世間を見る、イドバタ会議的な番組です。
縁の下から社会を支えている、けど意外と知られていない主婦の世界を、都内で子育て中の私、PIUがご案内します。
今回のテーマは、引き続きいろいろあった入院のこと。
これまでもお話をしています通り、子宮摘出手術をしまして、入院して退院をしてきました。
ここまで手術のこととか、術後に大変だったことをお話してきました。
その他にも、術後大変だったことっていうのが他にもありましてね。
もうね、とにかく食欲が回復しなかったんですよね。
最初はね、点滴で栄養補給していただいてるんですけど、その点滴がなくなってからは特にね、
これ食べないと回復をしないんだろうなっていうね、ことは分かってはいたんですけど、でもなかなかね、すんなりとはいかなかったんですよね。
特に私、出血がちょっと多かったっていうこともありまして、鉄分補給ということでも、やっぱり食事は大事ですよね。
でも、気持ちと行動がね、なかなかうまく結びつけられなかったんですよね。
病院では、お粥から普通のご飯へだんだん固くなっていく。
最初は流動食で、だんだん普通の食事に戻していくっていうふうに、ちゃんとご用意していただいてたんですけど、
病院食が喉を通らず、やつれて吹け込んだ入院生活。
術後に最初に食事を出されたときは、やっと、やっとだなと思って、もう待ちに待った食事。
食べたいはずっていう思いがあって、やっと来たっていうね、うれしい気持ちだったんですよ。
でも、そのときに看護師さんとか、前回話をした看護学校の実習の方とかね、皆さん食事を出しながら、
無理せずね、本当に無理せずで大丈夫ですから、ということを何度もおっしゃっていたんですね。
で、なんか急にかき込んじゃいけないのかなって。
ちょっとそのときに自分の食べたいはずっていう気持ちが、一旦ちょっと落ち着いた状態になりまして、
ちょっとね、ゆっくり食べようかななんていう、そんな気になったんですよね。
で、まずは出汁汁。少しだけね、本当に細かく切った豆腐みたいなのが入ってたと思うんですけど、
その出汁汁をごくごくって飲んだんですよ。
そしたら、意外となんか胃が喜んでないんですね。
まあ、丸1日半もっとかな、入院した日の夜から食べてなくて、手術の日も何も食べていない。
で、その次の日のお昼から出たんだったかな。
そういう形で胃も動かしてなかったっていうのもあったと思うんですけど、
あれ?全然私も本当にバクバク食べれる飲めるみたいな印象だったのに、あれ?って思って、
そこでもう無理せずっていうね、あの言葉が頭をよぎるわけですね。
気を取り直して、ヨーグルトドリンク。これは飲めたんですよ。
ちゃんとおいしいなと思って飲めました。
けど、その隣にあった器にね、蓋をパカッと開けたら、そこに白い汁が入ってて、これだからおかゆとも言えない汁だったんですね。
最初はそうですよね。回復食はそうなりますよね。
でもこの辺りで、私食欲ないわ。本当にこれ無理しちゃいけないやつだっていうことを実感したんですよね。
もうね、そのおかゆに手がつけられなかったんですよ。
口に持っていって、口にするっていうことをしたくないと脳が言ってるんですよ。
それをすごい感じました。
はっきり言って、悔しいなと思ってね。
飲めるはず、食べられるはずだったのに、悔しいと思ってね。
もうそのヨーグルトドリンクさえも少し残しましたし、ゼリーがついてたのに、ゼリーもそれ普通においしそうなブドウのゼリーだったんですけど、
二口ぐらい食べて、ちょっともうダメだってなってね。
それで私の食事は終わったんですよ。
病院食との闘い
私の中に入ってた豆腐みたいなものも一口も食べられませんでした。
もうね、その時点でなんかちょっとムカムカして、ゼリーも口に入れると、
あれ、私これ飲み込みたくないかもしれないっていう風になるんですよね。
いやー、なかなか普段そういう経験っていうのがほぼほぼないので、いつぶり?本当にそんなこと全然なかったから、
自分の中で結構な衝撃でした。
これがね、思ったよりも長く続いたんですよ。
少しずつ食べられる量は増えるは増えるんですけど、
もうね、どんだけ頑張っても全体の量の3割くらいしか食べられないんですよ。
まあそのものによってね、例えば缶詰のフルーツなんてものはバクバク食べられるんですけど、
もうね、魚とかね、一口食べて、ダメこれタンパク質だから食べなきゃダメって思うんですけど、
頑張って飲み込むんですけど、2口、3口いくと、
ああ、これは無理しちゃいけないやつだなっていうね、体と脳が拒否反応を示すんですよね。
で、まあ、毎食のようにね、それ看護師さんにどれだけ食べられましたかって聞かれたりとか、
先生もいらっしゃって、お食事どうですかなんて聞いてくださるんですけど、
いやあんまり食べられないんですよねっていうことをね、お話しすると、
まあでも先生はね、ほんと無理せずの方がいいです。
もう食欲出たら食べましょう。食べたいものだけ食べたらいいですし、食べたくなったら食べましょうっていうね、
そういうことを言ってくださったから、まあまだね、それは良かったというか、しょうがないなっていう感じだったんですけど、
このままでは全然私良くならないんじゃないかなっていうね、ずっとそういう不安がありました。
本当にありがたいことに栄養士さんも相談に来てくださってね、
私もヨーグルトドリンクは飲めるっていうことと、牛乳がね、もともと苦手でして、そんな体調の中、ちょっと蓋をね、開ける気にもなれないっていうちょっとそういうこともあってね、
だから牛乳はちょっと手がつけられていないんですっていうお話をしたら、牛乳をヨーグルトドリンクに変えていただけまして、
それでね、多少食事の量というか全体量の中での食べられた量は増えたんですよね。
あとは流動食の期間を長めにしていただいたりもしてね、やっぱり普通の食事にすぐ戻しちゃうと胃にも負担がかかるのでっていうのもあって、ちょっと長めに流動食の期間を設けていただいたんですよね。
そんな中、徐々に食べられる量が増えてきまして、最後、退院のあたりは病院食、毎食完食できるようになりまして、それをね、看護師さんに報告するときに自分でもね、すごい嬉しかったんですよね。
家族のサポート
完食しましたっていうのを言えた喜びみたいなのがありました。
普段ご飯を残したくないっていう、そういう気持ちがあったんですけど、でも病院食ね、結構残してしまったんですよね。
最初の1日目なんかは、まだ健康で手術する前のときに病院食を出していただいて、メニューカードみたいなのがあって、それをひっくり返すとメモ、メッセージが書けるような形になってたんですよ。
だからそこにね、おいしかったです、ありがとうございましたなんて書く元気もあったんですけど、手術後はね、本当にそんな余裕ももちろんないですし、本当に残して本当ごめんなさいっていう感じでした。
それにしましてもね、病院食って味付けが優しいですよね。本当に優しいんですよ。だからわーいバターロールならおいしく食べられそうと思ってみたら、無塩ロールって書いてあって、ありがたいんですよ。
ありがたいんですけど、私のために負担のかからない食事ということでありがたいんですけど、バターロールに塩味がないとこんなに味気ないんだっていうね、そういうことでちょっと気が沈んだりしてたんですけど、改めて健康の大切さっていうのを実感する日々でもありました。
いざ食べられるようになったはなったで、食べると臓器が動くんですよね。だからちょっと食べると胃が痛くなっちゃってね、食べ続けられないんですよ。
だから一旦ベッドでちょっと休んで、ふーってまた落ち着いて胃の痛みがなくなってから食べるみたいなね、もう休み休み食べないといけないっていう、それもちょっと辛かったですかね。
それから前回もお話ししましたように、手術の時に出血が多かったっていうことがありまして、貧血気味だったんですよ、その入院生活でね。それもあって、病院生活っていうのが思ったより体も心も弱るなっていうのがあってね。
家族のお見舞いが心に染みた。
夫は仕事もありますし、手術の時は電話待機だったんですね。入院するときに送ってもらって、次の日の手術の時は特に手術前も後も病院には来てないんですね。何かあれば電話で連絡しますねっていう、そういうことだったんですね。
何もなかったんですけど、無事手術が終わりましたっていうことを、主人の先生が夫に電話をしてくださったみたいですね。
でもその後は、夫は入院生活、毎日少し仕事から家に帰る前に顔を出してくれてましたね。
来てくれたら洗濯物を渡して持って帰ってもらったりとか、あとリンゴジュースを差し入れてもらったりね。
そういうものなら飲めたから、先生にも聞いて飲んでもいいですよっていうことで飲んでましたね。
手術後1日目の面会時間に夫が来てくれたんですけど、最初に見舞いに来てくれたとき、私としては一番つらいときだったんですよ。
夫の訪問と気持ち
病室に夫が入ってきたときに、夫の姿を見たら泣けてきちゃって、それで私すごい弱ってるんだなっていうことをちょっと実感しましたよね。
ずっとこの1日半不安だったんだなって思って、ほっとしたんだなってね、自分でも思いました。
こちらが弱っているわけなんですけど、お見舞いに来る夫は当然なんですけど元気なんですよね。
やたら元気に爆速でいろんなことを話すんですよ。
確かに夫としたらどうですかね、丸2日くらいかな。
私とも話もしていないし、連絡取れなかったし、いろいろとやることも増えたと思いますし、しゃべりたいことが溜まっていたんだとは思うんですけどね。
あれが参ったんだよね、これが参ってさ、さっきこんな人を見かけてどうのこうのみたいなことをずっとしゃべっているなと思って、元気だなと思ってね。
こちらあいづちもつらいし、笑わせてくるんですよ。
笑わせるのはやめてくれるみたいな感じでね。
しかも病室、私まだロビーに行く元気もなかったから病室で話をするんですけど、6人部屋なわけですよね。
6人部屋で他のところの人は静かにしてたりするわけなんですよ。
だからちょっと声小さくて、ジェスチャーとかでね。
何度も何度も言いましてね。
でもちょっと最後はね、わかった、ありがとうね、本当にありがとう、ありがとう、うん、本当ありがとうっていうことでね。
はい、ちょっともう比較をね、してもらったっていうことがね、ありました。
家族の支え
いやー、夫もね、だから朝ごはん言うごとにね、朝ごはんって言うごとに、
でも私はもうちょっとそこはもう手を抜いてもいいんじゃないかと思っていたんですけど、
もちろん仕事は普通にありますし、本当に大変だったと思います。
そんな中、毎日お見舞い来てくれて感謝してました。
はい、してます。
日に日に回復する私とは対照的に日に日にやつれていく夫がいましてね。
だんだん、当初元気だったんですけど、だんだん口数も減っていってましたね。
目に見えてやつれていってて、あからさまにエネルギー、体から発するエネルギーがダウンしているっていう感じでした。
週末には子どもたちもお見舞いに来てくれたんですよね。
私のやつれぶりに若干驚いてる感じでしたね。
前も話しましたけど、私はお腹から管を出してて、首に血と回復する液体みたいなお腹から出てくる液体を首から下げてるんですけど、そんな様子とか。
あとどうしても前鏡になって歩く速度もすごく遅いですし、単純に顔がやつれていたんでしょうね。
本当にちょっと子どもたちも心配そうな顔をしておりました。
でもね、子どもたちが来るって思ったら、ちょっと元気出さなきゃいけないなっていうのも思ってね。
家族の訪問っていうのがこんなに支えになるとは。
本当に入院してみないと、その気持ちは味わえなかったなって思いました。
本当はね、次男が私のお見舞いに紫菜を買ってくれていたそうなんですけど、病室には成果を持ち込めないっていう増加しかダメですっていうことを言われましてね。
それ事前に聞いてそうだって分かって持ってこなかったんですけど、それを生で見る、どんな花なのか見るっていうのを、そもそも紫菜とも聞いてなかったんですけどね。
帰ってからのお楽しみなんて言ってたんですけど、入院が少し長引いたこともありまして、帰った時には、紫菜の生命力が落ちかけていたんですよね。
共同生活の経験
だいぶちょっとみずみずしさが失われていてね、なんだか切ない気持ちになったりもしました。
でも本当にね、特に夫には本当にお世話になりましたね。
本当毎日頑張ってくれたと思います。
病室なんですけど、6人部屋ひきこもごも。
前にとびかる屋さんからいただいたメッセージにもありましたけれども、私のいた病室もね、ひきこもごもという感じでした。
6人部屋はもちろん私の情報も全部筒抜けなかわりにですね、他の方のご事情も聞こえてきたりするんですよね。
皆さん、婦人科の病気をお持ちで入院されているんですけれども、抗がん剤治療をされているっていう方もいらっしゃれば、がんの手術をされるっていうね、若い娘さんもいたりして、いろんな方がいらっしゃいました。
妊婦さんはいなかったですね。
その娘さんはね、お母さんが毎日ね、本当にかなり長時間面会にいらしてましてね、話をされてるわけですよね。
私はね、娘として、母がそういう病気で不安なときに母がそばにいてくれる、そういう心強さっていうのもすごくリアルに想像できましたし、
母となった今はね、私には娘はいなくて息子しかいないですけど、娘を心配して、でも気丈に振る舞う母のね、お母さん本当に気丈に振る舞われてるなと思って、その気持ちもすっごく共感しちゃって。
カーテン越しに、カーテンの中でもお話をされてて、こちらカーテンの中で一人でいるんですけど、もうなんか勝手に泣けてきちゃって。
本当にね、いろんな方いらっしゃいました。夜中もね、痛い痛いって、夜中になるとすごく痛みが強くなってみたいな方もいらっしゃったし、
やっぱり交換体治療の方はね、常にしんどそうだなっていう、お声だけなんですけど、お声だけだけどやっぱり辛そうだなっていうのがすごく伝わってきたりとか、
もうその痛い痛いっていうことを言ってるのを聞くとね、大丈夫かな、ナースコールを押したかなって、すごくハラハラして、でも私が押してもどうかな、どうしたらいいんだろうな、ちゃんと押したかなと思っていると、看護師さんいらっしゃって、
どうしましたっていう感じでね、よかった来てくださったってなったりとか、いやもう6人部屋は直接の交流はなかったんですけど、もうほんと餌食ぐらいだったんですけど、
そういう形でね、共同生活っていう感じでした。そんな中でね、私の隣の方が私より後に入院されて、似たようなご病気で手術をされたにもかかわらず、やたら回復が早くてね、すごい元気だったんですよね。
もう食事が始まったら毎食完食してますし、あとやたら動いてるんですよ。元気だから動きたくなっちゃうんでしょうね。
別にね、すごい非常識にうるさいっていうことではないんですけど、元気がゆえに、とにかくこういろんなことをね、されるんですよ。
朝電気がつくと、6時に電気がつきますってなると、井上一番にもおそらく洗顔に行かれまして、戻ってきたらパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパンって言ってね、化粧水を叩いているんですよ。
その後ね、シャッシャッシャッシャッシャッシャッって、何の音かなと思ったら、おそらくね、櫛で髪の毛を溶かしていたんですよね。
食事が来たら携帯でシャッシャッシャッシャッって写真を撮ってね、はいお掃除の方来ましたって言ったらシャッって開けてピョンとどいたところを実際に一回見たんですけど、すごい機敏な動きでお願いしますみたいな感じでね。
とにかく元気なんですよ。もう私なんて洗顔の気力なんかもないですよ。せいぜい頑張って使ってもいいですよって言われてるおしぼりで顔を拭くくらいで。
化粧水なんて本当にそんな気力なくて、髪の毛はボッサボッサですよ。本当にたまに鏡を見る機会がありますとボッサボッサだなって。そもそも櫛なんて持って行ってもいいませんしね。
掃除の方が来たらベッドの上からすいませんお願いしますって言うだけでしたしね。もう辛い時はね、食事を写真で撮るなんて、まず写真、携帯を出すっていうね、そんな気にならないわけですよ。
携帯を取りに身体を動かさなきゃいけないわけですからね。そんな気力ないないっていう感じだったんですよ。だから本当に元気だなって思ってね。
食事もその方すごい咀嚼音が響いてくるんですよね。シャクシャク、シャクシャクシャクシャクって言って。全然こちとらもう本当に食欲が湧かない中、その方すごい時間をかけて、異性異ばかりが時間もすごいかけてよく噛んでね。
めっちゃ優等生だなと思ってね。ちょっと羨ましいなと思って、もうほんと旋風の気持ちで音を聞いていましたね。
一つだけね、その方、鍵のかかる引き出しっていうのがあって、そこに貴重品、トイレ行く時とかに貴重品入れてくださいなんて言って言われてるんですけど、その方のその鍵のかかる引き出し、その上にもう一つ引き出しがあるんですけど、
その棚が私のベッドの横にカーテンがあって、そのカーテンにくっついて、だから私のベッドにもくっついたところにありましてね。でもこれも本当にその方は優等生なんですけど、トイレとかに行く度にね、ちゃんと鍵を閉めてその鍵を持っていかれるわけなんですよ。
私も本当にお金もほとんど持っていってなかったし、だからそんな一々気力も忘れちゃうし元気もなかったから、全然私いつもできてなかったんですけど、その方はちゃんと鍵を閉めて引き出しをガンって閉めてね、出ていかれるわけなんですよ。
それ以外でもやたらに引き出しを開け閉めしててね、やっぱり元気だからいろいろやりたくなるんですよね。たぶんかき物をしたりとか、ガンって出してガンって閉めてっていうことをね、される度に私のベッドがガンって衝撃とともに揺れるんですよ。
入院生活の寂しさと出会い
だからね、それが傷に響くやら響かないやらって大丈夫なんですけど、すごいね、ガンガン鳴るなっていうのはね、ちょっと思ってたんですよ。ちょっとね、ちょっと気になってはいたんですよ。
でね、その方、私より結局1日早く退院をしていかれたんですけど、ちょっと私がベッドを離れていた時間に退院をしちゃっていたんですね。
あ、もういないと思ったら、急にめちゃくちゃ寂しい気持ちになってね、あ、いないと思って、私たぶんね、その方のことをすごく心の支えにしてたんですよね。
いやー、元気だなとか、ちょっとすごい気になるとか思いつつも、そこにある生命力というかね、そういうものに励まされてもいたんだなと思って、本当に寂しくなっちゃってね。
それは隣の方がいない方が、例えば夜にトイレに行きまして、ちょっとこちらも目が覚めるなんてことはないわけなんですけど、全然ね、それもあってよかったんです。全然それがなくなって、ものすごいぽっかり心に穴が開いたようなね、ちょっと本当自分でも不思議なんですけど、すごいそういう気分になったのも思い出します。
そんなこんなで私も退院できまして、その後でね、夫とおしゃれカフェに行ったんですね。いやー、それがね、本当に入院の後のおしゃれカフェっていうのが思いのほか感動したんですよ。
元気な皆さんはね、全然こう、ああまあおしゃれなカフェだねって、そんなこと思いもしないかもしれない。でもその時の私は、おしゃれなお皿に、おしゃれなお皿っていうところでまず感動してね、レモネード。
うわ、炭酸飲むの久しぶりって思ってね、サラダにね、マスタードドレッシングがかかってたんですよ。マスタードってこんなにおいしかったっけっていうね、人生で初めてあんなにマスタードに感動しましたよね。
クロワッサンも、うわクロワッサンパリパリっていう、こんなにクロワッサンに感動する日が来るとはっていうね、感じでしたし、もう何よりもね、ケーキですよ。
もう今まで食べたどのミルフィーユよりも、何もかもに感動しちゃって、すごいおいしいじゃんこれ、何?って思いました。もう何でも食べられるっていうことが、どれだけ幸せかっていうことを思い知りましたしね。
この入院生活、貴重なね、いい体験になったなっていうことも思います。最後まで聞いてくださってどうもありがとうございました。
そのカフェに行った頃ですよ、退院直後の頃はね、特に首がげっそりしていたようですね。もう私の見た目にね、げっそりしてるなって言って、ずっと言ってましたけど、でもね、今は日々日常が戻ってきていますね。
私としてはね、この手術、前回もちょっと言いましたけど、やってよかったなって思っています。そんな簡単なことではないんですけど、でもね、本当に健康に感謝するっていう機会にもなりましたしね、そういった意味でもね、本当に貴重な機会となりました。
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