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2023-03-26 44:51

YAPC::Kyoto 2023 特別エピソード 「YAPC昔話」 (ゲスト:miyagawaさん)

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00:00
スピーカー 2
こんにちは長山です。
こんにちはクリスです。
おっさんFMは毎週金曜日、クリスと長山が気になった出来事やおすすめしたい本や映画をゆるゆるとお届けするポッドキャストです。
今回もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
長山さん、今回は通常の収録と違いまして、私緊張しております。先に言っておきます。
今回はYappshi Kyoto 2023の会場に来ていただいている皆様にお届けする特別コンテンツとしまして収録をしてましてですね。
おそらくこれを聞きに来てくださっている方は最初は名札に書かれているQRコードからアクセスしてきてくれている方が最初に聞いてくださっているんじゃなかなと思っております。
ということでですね、今回はYappshiに来ていただいている皆さんに向けてのコンテンツということで、スペシャルゲストをなんと長山さんブッキングしていただきまして。
いや、来ていただきましたよ、ついに。
こんなことがあるんですね。早速紹介したいと思いますけども。今回のゲストはRebuild FMのホストの宮川さんです。
どうも、こんにちは。
よろしくお願いします。
さっき紹介した通り、宮川さんというともうRebuild FMの人みたいな認識を持っている人が多分ほとんど。
多分そうなのかもしれないですね、世の中的にはね。
だってこの間10周年って言ってましたよね。
スピーカー 1
そうです。
スピーカー 2
なので、10年もさすがにやってれば、ポッドキャスターという肩書きの方が大きいのかなと思うんですが、
スピーカー 1
実はというか、僕からしてみるともう宮川さんはもう血水のパールモンガーパールハッカーという。
そうですかね。
スピーカー 2
最初の接点がそこだったので、基本的にはそういうふうなイメージっていうのが圧倒的に強いということで、
このYapSeeっていうのが、今はYapSee京都とかいろんな地域の名前がついているんですけども、
昔、前進、前進って言ったらいいのかな、前進ですかね、YapSee東京という形で開催されていたのが、実は宮川さんをわりと中心に開催されたイベントだったということで、
今回はその辺の、Rebuildの話ではなく、Rebuildの宮川さんではなくて、パールハッカーとしての宮川さんみたいな形でお話が聞けたらなというふうに思っていると。
スピーカー 1
はい、ぜひ。
ただ最初にお断りしておきますけど、これも15年以上前の話なので、多分覚えてないことが多いと思います。
だから話してて、それ違えよって思う方もいるかもしれないですけど、一応ご容赦くださいということで。
そうですね。
スピーカー 2
ちょっと歴史改変が発生している可能性がある。
03:01
スピーカー 1
歴史改変が発生しますか?
スピーカー 2
違います。お便りなりTwitterにちょっと推薦ですから。
スピーカー 1
ツッコミ募集ですね。
スピーカー 2
確かに。
で、多分YapSee Asia東京という形でやったのが2006年が一番最初でしたっけ?
スピーカー 1
そうみたいですね。
ですよね。
さっき調べましたけど。
スピーカー 2
その前は多分僕がパールのコミュニティと接したのが、渋谷PMっていう渋谷パールモンガーズっていうコミュニティのイベントに通うようになったっていうのがまずあったんですね。
スピーカー 1
そうですね。
これが確か宮川さんが発起人というかファウンダーというかだったはず。
だと思いますね。
これもさっき一応ウェブで調べてみたんですけど、一応その発起イベントというか、最初のイベントが2003年の1月31日ってなってたんで、20年前ですかね。
スピーカー 2
本当だ。
スピーカー 1
やばいですね、20年前っていうのが。
スピーカー 2
マジか。
私が社会人になったらちょっとそのぐらいだったですね、20年前は。
スピーカー 1
いや、やばいです。
これはどういう経緯だったかっていうと、まずそのパールモンガーっていうものがありまして、それは何かというと、パールユーザーグループみたいなものですね。
なぜパールモンガーというかというと、パールを書いてる人はご存知かもしれないですけども、パールのモジュールを書くときのファイル名が.pmというふうになってまして、パールモジュールでpmなんですけど、それを文字ってというか、パールモンガーズっていう、パールをすごい大好きな人たちの集まりっていう。
スピーカー 2
なるほど、そこから来てるんですね、パールモンガーズっていうのは。
スピーカー 1
そうですね。なんかWikipediaに行くとなんかいろいろ書いてあって、なんか他のそのmはいろんな略語に使っている正規表現みたいなのが書いてあるんですけど、一般的にはパールモンガーと言われていますね。
で、なんか東京、日本ではその東京PMっていうのがあったんですよね。今は多分もうない。活動してないのでないと言っていいと思うんですけど。当時ありまして、僕もそれに何回か参加したんですよ。
ただ東京PMは基本焼肉を食べるだけの一つなんですよね。秋葉原にタンキオっていう焼肉屋があって、そこで焼肉を食べるっていう楽しいイベントではあるんですけど、なんか飲んでるだけだなみたいな。
で、人数も毎回同じ人が来てるみたいな感じで、もうちょっとなんかこう、なんですかね、開かれたというか発展性のあるコミュニティみたいなものはできないものかというのを考えてまして、
06:15
スピーカー 2
その東京PMに一緒に来てた小山ひろゆきさんという方がいまして、彼とちょっとやってみましょうかみたいな話になった気がしています。それで渋谷PMのテックトークみたいな感じで発表イベントですね、っていうのを企画したっていうのが多分最初だったと思います。
渋谷っていうのが良かったですね。
スピーカー 1
確かに。だからその時、2003年なんであれですけど、ネットバブルみたいなのがあって、日本のですね、ドットコムバブルとか。
で、日本だとビットバレーっていうソフトバンクとかサイバーエージェントとか、僕が当時勤務してたオンザエッジとか、その辺の会社が渋谷にあったんで、そのノリで渋谷ってつけた気がしますね。
スピーカー 2
ビットバレーって久しぶりに聞きましたね。
スピーカー 1
そうそう。
スピーカー 2
結構テックカンパニーが渋谷に集まっていた時期だったので、それで渋谷PMになったという。
なるほど。
スピーカー 1
それで、なんかそのテックトークみたいなやつはどれくらいペースでやってたか覚えてないですけど、2、3ヶ月に一遍とかでやってたんですかね。
うん。
その延長線上で。
スピーカー 2
人数規模は最初は何人ぐらいか増えていったんですか?
スピーカー 1
ちょっと記録がないんでわかんないですけど、50人ぐらいかな。
スピーカー 2
なんかまあまあいた記憶がありますね。こんなにそのパールのコミュニティでパッとイベントして人集まるんだなって思った記憶があるので。
もちろん今でこそ多分何百人って普通にあれですけど、当時って考えると、なんかこんなに人集まるんだみたいな驚きがあって、それが多分40、50人とか。
スピーカー 1
ちなみにその当時は人集めようと思ったらどうやって集めてたんですか?
Twitterとかなかったですね。
スピーカー 2
素人質問です。
スピーカー 1
メイリングリストがあって、そこに登録してもらってましたね。
一応そのイベントやりますという時はメイリングリストに告知流して。
結構後期というか、ある程度行ったらすぐ埋まっちゃうんですよね。そのイベントが。
09:06
スピーカー 1
広い場所借りないといけなくて。
スピーカー 2
最初はオリンピック青年会館。
ヨヨギにある。
スピーカー 1
ちょっと大きな会議室みたいなイメージでしたよね。
スピーカー 2
市民だと借りれるみたいなところがあって、そこだったんですけど、だんだん間に合わなくなってきて、場所を転々と。
スピーカー 1
いろんな企業のセミナールームを借りてとか。
スピーカー 2
出欠とか参加表明とかも手作業的な、今みたいにツールが充実してない感じではあったという感じですか?
スピーカー 1
そうですね。いわゆるコンパスみたいなやつとかはなかったんで、確か自分でフォーム作って登録してもらってみたいな。
別に無料だったんで、チケットがどうのこうととか、そういうのはなかったですけどね。
そうですね。
スピーカー 2
当時、なおやさんとかもテクトークで話されてたりとか。
スピーカー 1
そうですよね、確かに。
スピーカー 2
しましたね。
それでお会いした、僕なおやさんにお会いしたのもそれが一番最初の時で、当時なおやさんも僕もタバコを吸ってたんですけど、
タバコ部屋で接近するという技を使ってなおやさんに話しかけて。
20年前の話とあまり思えないですけど、だいぶ相当昔の話でしょうか。
タバコを吸ってる人全然少なかったですけどね、すでに。
その時点で。
むしろ2人で吸ってて、最近誰も吸わないですよねみたいな話をするみたいな。そういう感じでした。
そういう感じ。
だから僕の中では、渋谷PMとYapCは、僕の前職が果てのに入ったんですけども、果てのに入る大きなきっかけを作ってくれたというコミュニティーイベントなので、
非常に恩義を感じているというパールコミュニティーにはなんですね。
なので今回のYapC京都の方でもデザイン周りとか、手伝わせてもらったりとか、前回のオンラインのイベントとかもそうですし。
当時僕も2006年は違ったんですけども、2007年かな、ロゴのデザインをさせてもらったりとかしましたね。
ちょっと戻すんですけども、その後に渋谷PMそれで結構ワイワイという感じでやってたという記憶があるんですけども、
スピーカー 1
そこからYapCやるぞっていうふうにぶち上がったっていうのがきっかけがあったんですか。
そこもあんまり覚えてないじゃないんですけど、僕が2006年っていうのは転職したのかな、多分。
元々オンザイチって会社にいたんですけど、シックスアパートっていうアメリカの会社の日本支社に転職し、
それもあって海外のカンファレンス、YapCのアメリカ版もそうですし、あとOSコンとか台湾の方でやってたYapC Taipeiっていうのにも参加したんですよね。
12:10
スピーカー 1
その流れで渋谷PMのあれもあるし、日本でこれやったらいいんじゃないかなみたいなことは思ったっていうような気がします。
あんまりやっぱりその辺のことは記憶が曖昧ではあるんですけど、そんな感じの流れだった気がしますね。
日本でもパール系のイベント、国際的なやつっていうと、オライリーさんがThe Pearl Conference Japanっていうのを2000…どれくらいの時にやってたのかな。
京都でやったことあるんですね、1回ね。
そうなんだ。
僕その時スピーカーで出てるんですよ。
でもその後はなくて、それと並行してLLイベント、LLウィークエンドみたいな。
あ、ありました。そうだそうだ。
スピーカー 2
そういうのがあったんですよね。
スピーカー 1
Light Link LanguageのLLですね。
Light Link Languageイベント。そう、なんかPARLとかRubyとかPythonとか、そういうスクリプティング言語的なやつの集まり。
スピーカー 2
そうですね。その言語問わず、スクリプティング言語で、それこそRubyの松本さんとかも参加するようなイベントが開催されて、それも結構盛り上がってましたね。
当時だからウェブアプリケーションを書く人も、業務で使う人もスクリプティング言語を結構活用してる人が多くて、それで結構人数参加されてたイメージがありますね。
それは多分だけど、RubyとかPHPとかPARLとか単体でイベントやるとそんなに埋まるかどうかはわかんないけど、まとめてやると大丈夫なんじゃないかっていう、そういうあれもあった気がしてますね。
スピーカー 1
っていうので、渋谷PMで何百人も来るように確かなってたと思うんで、自分たちでやっても大丈夫だろうっていうのは思ってましたね。
スピーカー 2
今でもホームページに残ってるんですね。2006年のYap-Shia-Jia東京のMovable typeで、Powered by Movable typeになってますね。
スピーカー 1
そう、この間まで自分のサーバーで保守してたんですけど、この間までって結構前か、何年か前。そのサーバーをもうなくしてしまうことになったんで、全部多分GitHubページに移してますね。
多分一部リンクが切れてるところがあるかもしれない。スタティックなページのみが残ってるんで。
スピーカー 2
そうか、全部HTMLに書き出してそれをGitHubページに置いてるって感じなんですね。
15:06
スピーカー 2
そうですよ。歴史が残ってるのがいいですね。
これは貴重ですね。
スピーカー 1
当時はでもチケットとかをどうやって販売したかってのは全く覚えてないくて、多分ピアとかローソンチケットとかを使った覚えがありますね。
スピーカー 2
そんなチケットだった気がする。多分ね、ピアプシーのチケットを買ったのは初めてのローソンチケットかなんかの大金だったのを覚えてるから。
逆にローソンチケットで売れるもんなんですか?売れるんだ。なるほど。
スピーカー 1
僕は全く関わってないんで、尾山さんか誰かがやってくれたと思うんですけど。多分手数料とかすごい取られる気はしますけど。
スピーカー 2
そう、結構取られたっぽいですね。
すごいですね。いろんなサービスなかった頃の話を聞くと、すごい便利な時代になったなと思いますね。
スピーカー 1
2008年にピアプシーのカンファレンス自体のサイトを世界のピアプシーで使っているACTというシステムがあって、それに変えたんですよね。
それを使うとPayPalで決済ができるんで。
スピーカー 2
確かに2008年のページはPowered by ACTになってますね。下に書いてました。
スピーカー 1
PayPalのサポートはなくて、ACTの作者がパリに住んでるんですけど、そこに行ってPayPalのサポートを自分で入れるっていう、そういうことをやりましたね。
ペイパルってあんまりヨーロッパで使われてないから、PayPalのサポートはあるけどテスト試してないから分かんないみたいな話だったけど。
僕が自分で行ってそれをインテグレートするっていう。
スピーカー 2
行って行っての、物理的に行ったってことですか?
スピーカー 1
物理的に行きました。1週間ぐらい。
へぇ~。
スピーカー 2
へぇ~、すげぇなそれ。
意外と僕が今何を見てるかっていうと、はてなってピアプシーのスポンサーになったのでいつなんだろうなと思って見てました。
意外とやってないんだな。
それで言うと、2007年はスポンサーではないんですけども、前の代表だった近藤さんとか、今もいらっしゃる大西さんとかは、スタッフというか、収録スタッフしてました。
収録?収録スタッフしてたんですか?
当時はてな、近藤さんが結構記録好きというか、もともとカメラとかされてたね。
カメラね、されてたそうね。
で、ポッドキャストとかも会社でやってたんですよね。会議を録音して公開するみたいな。
18:02
スピーカー 2
で、その流れで結構記録好きっていうのがあって、僕どういう経営だかはちょっとわかんないんですけども、会場の録画とか録音みたいなのを近藤さんやってて。
なるほどなるほど。
なんかPA宅をいじっている近藤さんの写真がありますね。
スピーカー 1
基本的に全部手弁当っていうか、ほとんどプロのスタッフとかを雇ってないですね。少なくとも2008年までは。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
最初の3年、2006、7、8は、いわゆる有志の運営だったんで、会計も小山さんの個人売り上げみたいな感じになってて。
スピーカー 2
うーん。
なんか、任意団体みたいなの立ち上げないと大変ですねみたいな話をちょっとしてたの覚えてますね。
スピーカー 1
そうそう。それを真木さんがそういう風に言って、2009年からはジャパンパワールアソシエーションっていうのができて、運営とかも全部引き継ぐことになったんですよね。
スピーカー 2
なるほど。
JPAですね。
じゃあ、2006、7、8のこの3回が任意団体の前のみんなでやってたっていう感じの。
スピーカー 1
そうですね。2009年、JPAにも引き続き参加してる人もいたから。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
まあ、継続でっていうこともあると思いますけど、もう2006、7、8は完全にチケット販売からビデオの撮影、写真、全部手弁と、ウェブサイトのデザインとかね。
なるほど。
スピーカー 2
なるほど。先言った通り、ロゴデザインとかもできますって言って、やらせてくださいって言って、ボランティアでやってるみたいな感じでしたね。Tシャツもなんか、Tシャツ屋さん探してきて、ニコ出た作って入れてみたいなのをやるみたいな。
え、中山さん何年のやつをやったって言ってましたか。
僕2007年ですね。
このヤプシの映画、富士山になって。
そうそうそうそう。
アジアの映画、ポケタワカ。
あ、へぇ。
スピーカー 1
2006年は神野子屋さんがやった。
スピーカー 2
そう、神野子屋さんですね。
スピーカー 1
おぉ。
スピーカー 2
懐かしい、懐かしさが出てくる。
スピーカー 1
でも2008年のロゴは、2007年と同じだな。
スピーカー 2
あ、ほんとだ。
スピーカー 1
使い回されている。
スピーカー 2
で、ゲストも結構海外から、いきなり多分2006年の時でラリボルフが来日してたんでしたっけ。
スピーカー 1
多分2006年はすごい、第1回にしてめちゃくちゃゲストが。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
ラリーワールとかダミアンコーンへとか来てた気がしますね。
スピーカー 2
それも皆さんが個別に出演交渉というか。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
をしてというか、なるほど。
スピーカー 1
個別にしてたと思います。
スピーカー 2
大鳥田も。
うん。
大鳥田さん。
スピーカー 1
大鳥田も多分最初の頃何年もずっと出てくれてたと思いますね。
21:04
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
いや、当時これ見るとすごいな。
そうすると。
インドイシュセッションはいくつかある。すごい。
スピーカー 1
同時通訳とかもなかったんで、どうしてたか覚えてないですけど。
スピーカー 2
みんな頑張って聞いてたんですかね、英語で。
うん。
スピーカー 1
スライドは事前に日本語訳して、英語と日本語閉域にしてたりとかしましたけど、
音声はみんな気合で英語を聞くっていう感じだったと思います。
スピーカー 2
そうでしたね。
今セッション見ると本当に英語のセッションが半分くらいありますね。
確かに。そうかも。
めちゃめちゃすごい。すごいな。
僕全然分かんなかった。
スピーカー 1
今はね、まきさんが引き継いでJPAになってから、
YapC AsiaがさらにBuilders Conっていう風に発展していて、
規模も大きくなると同時に同時通訳とかも入ってますからね。
スピーカー 2
そうです。同時通訳の機材を入口で貸していただいて、耳に当てて、
ちゃんと技術用語とかもきちんと分かった状態でちゃんと話してくれて、
同時通訳の人めっちゃすごいなみたいな。
Ruby on RailsはちゃんとRuby on Railsって言ってくれるみたいな。
スピーカー 1
Ruby会議とかでも多分同じところを使ってると思うんですけど、
スピーカー 2
同時通訳の会社。
これなおやさんがHatena Bookmarkの裏側をしゃべってますね。
Inside Hatena Bookmarks Backendって書いてる。
Moto Pearl 2にマイグレーションしたっていうのが書いてありますね。
歴史を感じますね。
その参加者全部で何人ぐらいっておっしゃってました?
2006年のYapC。
スピーカー 1
何人ぐらい参加したんですか?2006年。
スピーカー 2
多分300、400、500ぐらいだと思いますね。
これは懇親会的なものはあったんですか?
スピーカー 1
ありました。これ、蒲田のPIOってところでやったんですけど、
PIO?蒲田?
なんか、すげえ変な形の建物で、三角形なんですよ確か建物が。
スピーカー 2
特徴的な建築なんですよね。
スピーカー 1
そっから歩いてすぐのところに、ニーハオっていう餃子屋さんの店があって、
そこを貸し切りで借りてやった気がしますね。
スピーカー 2
本当に街の中華屋さんみたいな?
あれ、牧さん?
24:00
スピーカー 1
いや、多分赤屠さんじゃないかな。
スタッフの中にその辺に詳しい人がいて。
スピーカー 2
一応Googleマップで検索すると、ニーハオ3軒ぐらいありますね。
スピーカー 1
ニーハオ3店舗くらいあるんですよね。
スピーカー 2
あ、そうなんだ。
スピーカー 1
確か別館とかだったと思うけど。
別館の方ですか。
おととし、全然関係ないんですけど、日本に帰国したときに、
2週間隔離しなきゃいけない時期があったんですよね。
その時、蒲田にホテルっていうか、エアビアンビーみたいなやつ借りてて、
スピーカー 2
その時に出歩いたら、PIOとかニーハオとかあって懐かしいと思いました。
聖地巡礼を?
スピーカー 1
聖地ですね。
スピーカー 2
まさかニーハオの方もやってるんだ。
やってらっしゃいますよ。おいしそうだし。
スピーカー 1
日本の居酒屋とかで更新会やると、ベジタリアン用のメニューを用意するのが結構しんどい。
今はもっとマシかもしれないですけど、20年前ですからね。
スピーカー 2
確かに。当時はベジタリアンメニューと?
スピーカー 1
うん、いましたね。海外からの参加者と。
多くはないですけど、用意しないといけないんで。
スピーカー 2
ラリオールか、何かアレルギー?
スピーカー 1
うん、あった気がしますね。
結構ダイエットに制限がある人は少なからずいるんで。
スピーカー 2
そうですよね。でも当時確かにそれを、こういうのもきちんと積極つかないといかんななって思った記憶ありますね。
ニーハオの更新会ってのは運営側の皆さんの更新会みたいな?
スピーカー 1
いや、全員ですね。
スピーカー 2
全員ですか?
うん、希望者で。
今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
スピーカー 1
そう、そう、そう。
スピーカー 2
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
スピーカー 1
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
スピーカー 2
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
スピーカー 1
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
スピーカー 2
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
27:00
スピーカー 2
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
スピーカー 1
そう、そう、そう。
スピーカー 2
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
スピーカー 1
そう、そう、そう。
スピーカー 2
宮川さん、その「やっぷしたびたび」とか開催されてますけど、
なんか印象に残ってる回とかあったりするんですか?
スピーカー 1
んー、そうですね。
印象に残ってる。
まあ、なんか、東京工業大学、東高大の大垣山キャンパスで何回か開催されたと思うんですけど、
あそこはすごい場所良くて、駅前にバーンってもあるし、
そのホールから外がすぐ行けるんで、なんか芝生のところで、
スピーカー 2
そうそう、そうですね。
スピーカー 1
なんか、餃子食べるっていうイベントが毎回行われてたりとか、
スピーカー 2
そこも餃子なんですね。
餃子がついてくる。
スピーカー 1
あれは環境は良かったですよね。
スピーカー 2
ハブが併設されてたんでしたっけ?
スピーカー 1
あれは、えっと、慶応じゃない?
スピーカー 2
あ、あれは慶応か。慶応の方だ。
スピーカー 1
慶応の広島。
スピーカー 2
東高大はそうですね。
スピーカー 1
そうそう。
スピーカー 2
餃子の方。
スピーカー 1
やっぱり大学でやると、大学って基本的にはオープンなんで、
なんか自由度があるというか、外の人も入ってこれますしね、普通にね。
なんか外で食べたりとか、なんか良かったなっていう気はしますね。
商業的な施設もまあ、なんていうの。
施設の便利さではそっちの方が良いですけど、
まあ小きれいな感じであんまり自由度はないなみたいな気はしますよね。
ご飯食べる場所とか。
スピーカー 2
いやーすごい。なんかワイワイした。最近リアルイベントが結構少なかったんで、
過去の写真見ると本当にみんな密集してワイワイやってる。楽しそうですよね。
スピーカー 1
そういう感じに見えますね。
ただこのYap See Asiaっていう名前をつけた割には、東京以外では一回も開催されてないんですよね。
僕の知る限り。
このブランドではね。
僕のやったアイテムもそうですし、JPAになってからも東京でしかやってないはずなんですよ。
スピーカー 2
確かに。
ビルダーズコンに移行して、ビルダーズコンも最後?
スピーカー 1
あ、違うか。
ビルダーズコンも東京じゃない?
ビルダーズコンはむしろ東京か。
スピーカー 2
ビッグサイトとかすごいでかいところでやってる覚えがありますけど。
30:02
スピーカー 2
Yap See Asiaっていう形はこれで最後ですみたいなことをアナウンスして、
2015年開催後ってことで。
スピーカー 1
いろんな場所でやろうっていうことをおっしゃって。
正確に言うと多分JPA、僕も外から見てるんで違うかもしれませんけど、
JPAになったのが2009年で、そこから2015年まではYap See Asiaっていう名前でやってたんですよね。
そうですね。
真木さんはパールにこだわらないようにしたいというのでビルダーズコンっていうのを始めたんですよ。
その一方でJPAはJPAでYap See Japanっていう名前に変えて、
北海道とか大阪とか福岡とか沖縄とかもありましたね。確か。
スピーカー 2
そうですね、沖縄もありましたね。
スピーカー 1
そういうふうになったというふうに。
分岐したわけじゃないですけど、そういうふうになったっていう。
スピーカー 2
そういうふうに認識してます。
Japanって名前になってから結構地方の開催が増えて、今のスタイルになってきた。
スピーカー 1
元々はYap See Europaっていうのがありまして、
それはいろんな国で持ち回りで運営されてたんですよ。
そういうイメージで僕もアジアっていう名前をつけましたけど、
日本だったり、東京だったり、日本の別の場所だったり、台湾とか、
そういう感じにできないかなって思ってはいたんですけど、
結局東京でしかやらなかったのは、多分その規模で集客するのは
東京しか無理だろうと思われていたっていうのがありますかね。
スピーカー 2
そうか、なるほど。なかなか地方でそのキャパを受け止めるっていう、
スピーカー 1
組織とかノウハウとかもなかなかなかったって思われるんですかね。
今はでもRubyKageとかも毎年違う場所でやってますし、
勢いがあれば別の場所から来るっていう人も多いと思いますからね。
スピーカー 2
Yappshiってイベントを立ち上げようと思うと、誰かに許可がいるんですか。
スピーカー 1
そこはなかなか面白いポイントですけど、Yappshiっていうのは、
僕は許可を取った覚えはないですね。勝手にやった気がします。
スピーカー 2
勝手にやって、でも一応ホームページはまとめられているというと、
スピーカー 1
そういうもんだっていう。どうなのかな、許可を取ったのかな、
ちょっと覚えがないですけど、一応で当時は、
Yet Another Societyという、ノンプロフィットの被営利団体がありまして、
そこがアメリカのYappshiとかの運営をしてたんですよね。
33:04
スピーカー 2
許可を取った覚えはないんですけどね。
TEDってその辺厳しいみたいな話を昔チラッと聞いたことがあったような気がして。
TEDxって地方イベントみたいなやつやってますけど、
僕もちょっとチラッと勘だことあるんですけど、めちゃめちゃレギュレーション、
スピーカー 1
分厚いレギュレーションがあって、それに全部合わせろっていうのはあるんですよね。
スピーカー 2
でもYappshiはそういう感じでもないっていう、エンジニアコミュニティが盛り上がればっていう。
唯一ロゴのモチーフにラクダを使うときに、
オラエリーに問い合わせをしたみたいなのはメイリングリストでちょっと見たんですけども。
スピーカー 1
トレードマークがあるんですよね。
ラクダは別にパールプログラミングの団体が持ってるわけではなくて、
ラリーボールではなくて、オラエリーがプログラミングパールの方を出すときの表紙がラクダなんで、
ラクダっていうのはオラエリーの持ち物なんですよね。
スピーカー 2
なるほどなるほど。
スピーカー 1
なので一応許可をもらえばいいという感じだった気がする。
スピーカー 2
でも最近はラクダを使う必要もなく、パール本家のロゴは玉ねぎかな、
オニオンになってますね。
スピーカー 1
コミュニティだと恐竜のロゴを使ってることが多いので、
あんまり問題は発生しない気がしますけどね。
それで言うと、NAPCっていうのは、話が長くなってますけど、
Yet Another Parle Conferenceっていうのを訳で、
スピーカー 2
そうそう、その話をしなきゃいけない。
スピーカー 1
何でYet Anotherかっていうと、もともとThe Parle Conferenceっていうのがあったんですよね。
なるほど。
それはオラエリーがやってたんですよ。
オラエリーがOSCONというオープンソースのイベントの一部で、
The Parle Conferenceっていうのをやってまして、
それはもうなくなったんですよ。
OSCONは今はほとんどやってない状態で、
ついでに言うとYapc North Americaっていうのもなくなり、
それが今The Parle Conferenceっていう風に名前が変わったんですよね。
つまり、もともとのThe Parle Conferenceはなくなったから、
我々はもうYet Anotherじゃないよねっていうことで。
スピーカー 2
なるほど。
The Parle Conferenceがあった。
スピーカー 1
オラエリーから名称を引き継いでやってるんです、今は。
今はTPCっていう名前で検索すると、アメリカのYapcのようなものが出てきます。
スピーカー 2
これはテストに出ますね。歴史のテストに。
出ますね。このTPCはどっちのTPCになったかっていう。
スピーカー 1
日本ぐらいですよ、Yapcっていうのが残ってるというのは。
スピーカー 2
The Parle Conferenceに対してYet AnotherなConferenceですよっていうのが、
最初のYapcことだったんですね。
36:02
スピーカー 2
そういうちょっとオルタナティブ感っていうのが、
カルチャーにもあったんですかね。
スピーカー 1
そうかもしれないですね。
オラエリーのConferenceってすごい高いんですよ、参加費が。
10万とか15万とかするんで。
スピーカー 2
そんなするんですか。経営者会議みたいな感じなんですね。
スピーカー 1
基本的には会社の経費で参加する人がほとんどだから。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
っていうので、それに対してチケットも安価だし、会場もホテルとかじゃなくて、
大学のキャンパスとか、草の根っぽい動きっていうのは当時Yapcのアメリカに関してもありましたよね。
だから最初のYapc Asiaの初期もそんなイメージがあるかもしれないですね。
スピーカー 2
あとね、僕話しておきたいのが、ダンサンの家で発火損したんですよね。
そんなイベントがあったんですか。
これは十数人ぐらいしか参加してないんですけども、
そもそもダンサンの懐の深さがやばくて、海外から来てゲストをご自宅に泊めてもらって。
スピーカー 1
そうそうだから、ゲストの人は一応ホテルとかも手配してましたけど、
何人かはダンサンがうち泊まっていいよみたいな感じで行ってくれたんで、泊まらせてもらって、
かつ、今はどうなのかわかんないですけど、イベントの後ですね、
カンファレンスがあった次の日とかに発火損とか行って、みんなで集まってひたすらコードを書くっていう、そういう集まりがありまして、
それがダンサンの家で、たぶん2006年、7年、8年ぐらいはやってたんじゃないかな。
スピーカー 2
やってましたね。それが僕めちゃめちゃ印象に残ってて、ダンサン家すげえ広いってのもすげえビビったんですけども、
スピーカー 1
そこにパール発火損海外の、そういうことさっき言った大鳥たんとかも来てて、みんなでコードをバチバチ書いてやってるみたいな。
スピーカー 2
あれは結構異様な雰囲気でしたよね。
スピーカー 1
最近発火損って言うと、企業イベントとかでやることが多くて、日本もそうだと思うし、アメリカでもそうなんですけど、
商業的というか、それなりに否定するものではないですけど、チームを作ってコードを書いて、ファウンダーにプレゼンしましょうみたいな、そういう感じの発火損が結構多いと思うんですよね。
僕らがやった時の発火損は、コミュニティドリブンというか、好きなものをみんなでひたすら書くみたいな感じがありましたね。
39:02
スピーカー 2
その場で書いて、見せ合って、いいねとかこうしたらみたいな話をずっとしてるみたいな感じで。
別に商品とか発表とかなく。プレゼンとかあるわけでもないんだけど、ただみんなで黙々とコードを書いてて、ただ熱量がすごいという感じで。
僕は当時、コード書くというよりも、そこで僕はデザインとかロードデザインとかもそこでしたりとか、一緒にさせてもらったんですけど、まあ面白かったですね。
面白そう。全然その場の雰囲気がいってないから、想像でしかないですけど。
スピーカー 1
まあ今もそうですけど、オープンソースの活動をしてる人がほとんどだったんで、そこが面白いところですよね。
参加してる人のうち、スピーカーのうちのほとんどが、自分で書いたコードとかの紹介をすることが多くて、みんなオープンソースで公開してるんで。
そのハッカソンでみんなそれをより良いものにしていったりとか、そういう感じが多いですかね。
スピーカー 2
そうですね。さらに新しいプロジェクトが立ち上がったりとか。
ちなみにさっきのThe Perl ConferenceのYet AnotherでYapshyだった話でしたけど、当時はPerlのコミュニティとかそのコミュニティが、いわゆるエンジニアリングの言語の中のコミュニティでも大きかったってことなんですか?
スピーカー 1
日本でいったらかなり大きかったと思いますね。海外だとどうなのかな。他のPythonのコミュニティとかあって。
スピーカー 2
はいはい。そう、Pythonとかも。なるほど。
スピーカー 1
あとはRubyPanfとかね。最近だと多分、Perlのコミュニティは人数的にはそこまでは行ってないと思いますね。
スピーカー 2
確かに。もっと若い人にも書いてほしい。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
僕はたまにまだPerlを書いてるので。
スピーカー 1
僕も書いてますよ。たまに。たまにっていうか結構書いてますよ。今の仕事は割とPerlを使ってることが多いんで。
そうなんですね。
スピーカー 2
クリスもWebアプリケーション書くときPerlですもんね。
僕ね、Perlと、あんまり新しいやつを、インフラ周りのAWSは新しいの使ってますけど、言語はPerlを書いていて、この間、近藤さんと2人して別々に同じようなものを作ってたっていうことが笑い話であって、
シミプロダクトとかみたいなやつで。僕はPerl使ってたんですけど、近藤さんはPHPの最新フレームワーク使ってて、近藤さんそっち使ってないですか?みたいな感じで。
僕もちょっといろいろとアップデートしなきゃなと思いましたけど。
スピーカー 1
Perlはね、とつきにくさ若干あると思うんですよね。初めてプログラミングする人にとっては。僕個人的な意見だと、すごい手に馴染むところがあるんで、書くと一番早いのはPerlかなっていう感じですかね。
42:12
スピーカー 2
道具として使いやすいみたいなところなんですかね。
スピーカー 1
あとこれは良し悪しなんですけど、あんまり言語に大きな変化がないので、着実によくなっていったりとか、早くなったりとかっていう改善点はありますけど、
他の2体の言語と比較すると、毎年毎年新しい変更があったりとか、大きなフィーチャーが追加されたりってことがないんですよね。
それはネガティブなイメージがあるかもしれないですけど、仕事で使う人間からすると変わらないってことは非常に安心なことで、10年20年前に書いたアコードも普通に動くと思うんで、そこは良いところでもありますかね。
スピーカー 2
なるほど。ちょっと頑張ってPerl書いていきます。
長山さん、話したらあっという間に時間が。
そうですね。まだ掘れば色々出てくると思いますし、これYAPSHの本当に最初期の話で、JPA自体とか後期とかっていう話とかもあると思うんですけども、ひとまず今日はね。
また次があるような言い方ですけども、ひとまず今日はこの辺にしましょうか。
スピーカー 1
この頃の話。私はもう全然こういう業界インターネットサービスを提供してるような、Perlコミュニティとかもそうですけど、SIAでJava書いてるような頃の話だったんで、へーみたいな。そんなことがあって楽しく伺いました。
スピーカー 2
ということで宮田さん、今回は特別出演ありがとうございました。
ありがとうございます。こちらこそ。
ありがとうございました。
ということで、こちらのエピソードを皆様楽しんでいただけましたでしょうか。
はい。おそらくね、YAPSH京都にいる期間中にちょっと寂しに聞いてみようかなという方もいると思いますし、帰ってから聞かれてる方もいると思いますけども、引き続きこういったYAPSH始め、インターネットのコミュニティ、エンジニアリングコミュニティにですね、参加して盛り上げていっていただけると、我々嬉しいですよね、長山さん。
うん、はい嬉しいです。
どの立場で言ってんだったの?
急にどうしたんですか。
いや、まとめた方が良いかと思ったですね。
ということで、すみません最後くだくたですけども、今回のおっさんFMの特別編はここまでとさせていただきます。
じゃ皆さん、さよなら。
さよなら。
ご視聴ありがとうございました
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