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こんにちは長山です。
こんにちはクリスです。
おっさんFMは毎週金曜日、クリスと長山が気になった出来事やおすすめしたい本や映画をゆるゆるとお届けするポッドキャストです。
今回もよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
長山さん、今回は通常の収録と違いまして、私緊張しております。先に言っておきます。
今回はYappshi Kyoto 2023の会場に来ていただいている皆様にお届けする特別コンテンツとしまして収録をしてましてですね。
おそらくこれを聞きに来てくださっている方は最初は名札に書かれているQRコードからアクセスしてきてくれている方が最初に聞いてくださっているんじゃなかなと思っております。
ということでですね、今回はYappshiに来ていただいている皆さんに向けてのコンテンツということで、スペシャルゲストをなんと長山さんブッキングしていただきまして。
いや、来ていただきましたよ、ついに。
こんなことがあるんですね。早速紹介したいと思いますけども。今回のゲストはRebuild FMのホストの宮川さんです。
どうも、こんにちは。
よろしくお願いします。
さっき紹介した通り、宮川さんというともうRebuild FMの人みたいな認識を持っている人が多分ほとんど。
多分そうなのかもしれないですね、世の中的にはね。
だってこの間10周年って言ってましたよね。
そうです。
なので、10年もさすがにやってれば、ポッドキャスターという肩書きの方が大きいのかなと思うんですが、
実はというか、僕からしてみるともう宮川さんはもう血水のパールモンガーパールハッカーという。
そうですかね。
最初の接点がそこだったので、基本的にはそういうふうなイメージっていうのが圧倒的に強いということで、
このYapSeeっていうのが、今はYapSee京都とかいろんな地域の名前がついているんですけども、
昔、前進、前進って言ったらいいのかな、前進ですかね、YapSee東京という形で開催されていたのが、実は宮川さんをわりと中心に開催されたイベントだったということで、
今回はその辺の、Rebuildの話ではなく、Rebuildの宮川さんではなくて、パールハッカーとしての宮川さんみたいな形でお話が聞けたらなというふうに思っていると。
はい、ぜひ。
ただ最初にお断りしておきますけど、これも15年以上前の話なので、多分覚えてないことが多いと思います。
だから話してて、それ違えよって思う方もいるかもしれないですけど、一応ご容赦くださいということで。
そうですね。
ちょっと歴史改変が発生している可能性がある。
03:01
歴史改変が発生しますか?
違います。お便りなりTwitterにちょっと推薦ですから。
ツッコミ募集ですね。
確かに。
で、多分YapSee Asia東京という形でやったのが2006年が一番最初でしたっけ?
そうみたいですね。
ですよね。
さっき調べましたけど。
その前は多分僕がパールのコミュニティと接したのが、渋谷PMっていう渋谷パールモンガーズっていうコミュニティのイベントに通うようになったっていうのがまずあったんですね。
そうですね。
これが確か宮川さんが発起人というかファウンダーというかだったはず。
だと思いますね。
これもさっき一応ウェブで調べてみたんですけど、一応その発起イベントというか、最初のイベントが2003年の1月31日ってなってたんで、20年前ですかね。
本当だ。
やばいですね、20年前っていうのが。
マジか。
私が社会人になったらちょっとそのぐらいだったですね、20年前は。
いや、やばいです。
これはどういう経緯だったかっていうと、まずそのパールモンガーっていうものがありまして、それは何かというと、パールユーザーグループみたいなものですね。
なぜパールモンガーというかというと、パールを書いてる人はご存知かもしれないですけども、パールのモジュールを書くときのファイル名が.pmというふうになってまして、パールモジュールでpmなんですけど、それを文字ってというか、パールモンガーズっていう、パールをすごい大好きな人たちの集まりっていう。
なるほど、そこから来てるんですね、パールモンガーズっていうのは。
そうですね。なんかWikipediaに行くとなんかいろいろ書いてあって、なんか他のそのmはいろんな略語に使っている正規表現みたいなのが書いてあるんですけど、一般的にはパールモンガーと言われていますね。
で、なんか東京、日本ではその東京PMっていうのがあったんですよね。今は多分もうない。活動してないのでないと言っていいと思うんですけど。当時ありまして、僕もそれに何回か参加したんですよ。
ただ東京PMは基本焼肉を食べるだけの一つなんですよね。秋葉原にタンキオっていう焼肉屋があって、そこで焼肉を食べるっていう楽しいイベントではあるんですけど、なんか飲んでるだけだなみたいな。
で、人数も毎回同じ人が来てるみたいな感じで、もうちょっとなんかこう、なんですかね、開かれたというか発展性のあるコミュニティみたいなものはできないものかというのを考えてまして、
06:15
その東京PMに一緒に来てた小山ひろゆきさんという方がいまして、彼とちょっとやってみましょうかみたいな話になった気がしています。それで渋谷PMのテックトークみたいな感じで発表イベントですね、っていうのを企画したっていうのが多分最初だったと思います。
渋谷っていうのが良かったですね。
確かに。だからその時、2003年なんであれですけど、ネットバブルみたいなのがあって、日本のですね、ドットコムバブルとか。
で、日本だとビットバレーっていうソフトバンクとかサイバーエージェントとか、僕が当時勤務してたオンザエッジとか、その辺の会社が渋谷にあったんで、そのノリで渋谷ってつけた気がしますね。
ビットバレーって久しぶりに聞きましたね。
そうそう。
結構テックカンパニーが渋谷に集まっていた時期だったので、それで渋谷PMになったという。
なるほど。
それで、なんかそのテックトークみたいなやつはどれくらいペースでやってたか覚えてないですけど、2、3ヶ月に一遍とかでやってたんですかね。
うん。
その延長線上で。
人数規模は最初は何人ぐらいか増えていったんですか?
ちょっと記録がないんでわかんないですけど、50人ぐらいかな。
なんかまあまあいた記憶がありますね。こんなにそのパールのコミュニティでパッとイベントして人集まるんだなって思った記憶があるので。
もちろん今でこそ多分何百人って普通にあれですけど、当時って考えると、なんかこんなに人集まるんだみたいな驚きがあって、それが多分40、50人とか。
ちなみにその当時は人集めようと思ったらどうやって集めてたんですか?
Twitterとかなかったですね。
素人質問です。
メイリングリストがあって、そこに登録してもらってましたね。
一応そのイベントやりますという時はメイリングリストに告知流して。
結構後期というか、ある程度行ったらすぐ埋まっちゃうんですよね。そのイベントが。
09:06
広い場所借りないといけなくて。
最初はオリンピック青年会館。
ヨヨギにある。
ちょっと大きな会議室みたいなイメージでしたよね。
市民だと借りれるみたいなところがあって、そこだったんですけど、だんだん間に合わなくなってきて、場所を転々と。
いろんな企業のセミナールームを借りてとか。
出欠とか参加表明とかも手作業的な、今みたいにツールが充実してない感じではあったという感じですか?
そうですね。いわゆるコンパスみたいなやつとかはなかったんで、確か自分でフォーム作って登録してもらってみたいな。
別に無料だったんで、チケットがどうのこうととか、そういうのはなかったですけどね。
そうですね。
当時、なおやさんとかもテクトークで話されてたりとか。
そうですよね、確かに。
しましたね。
それでお会いした、僕なおやさんにお会いしたのもそれが一番最初の時で、当時なおやさんも僕もタバコを吸ってたんですけど、
タバコ部屋で接近するという技を使ってなおやさんに話しかけて。
20年前の話とあまり思えないですけど、だいぶ相当昔の話でしょうか。
タバコを吸ってる人全然少なかったですけどね、すでに。
その時点で。
むしろ2人で吸ってて、最近誰も吸わないですよねみたいな話をするみたいな。そういう感じでした。
そういう感じ。
だから僕の中では、渋谷PMとYapCは、僕の前職が果てのに入ったんですけども、果てのに入る大きなきっかけを作ってくれたというコミュニティーイベントなので、
非常に恩義を感じているというパールコミュニティーにはなんですね。
なので今回のYapC京都の方でもデザイン周りとか、手伝わせてもらったりとか、前回のオンラインのイベントとかもそうですし。
当時僕も2006年は違ったんですけども、2007年かな、ロゴのデザインをさせてもらったりとかしましたね。
ちょっと戻すんですけども、その後に渋谷PMそれで結構ワイワイという感じでやってたという記憶があるんですけども、
そこからYapCやるぞっていうふうにぶち上がったっていうのがきっかけがあったんですか。
そこもあんまり覚えてないじゃないんですけど、僕が2006年っていうのは転職したのかな、多分。
元々オンザイチって会社にいたんですけど、シックスアパートっていうアメリカの会社の日本支社に転職し、
それもあって海外のカンファレンス、YapCのアメリカ版もそうですし、あとOSコンとか台湾の方でやってたYapC Taipeiっていうのにも参加したんですよね。
12:10
その流れで渋谷PMのあれもあるし、日本でこれやったらいいんじゃないかなみたいなことは思ったっていうような気がします。
あんまりやっぱりその辺のことは記憶が曖昧ではあるんですけど、そんな感じの流れだった気がしますね。
日本でもパール系のイベント、国際的なやつっていうと、オライリーさんがThe Pearl Conference Japanっていうのを2000…どれくらいの時にやってたのかな。
京都でやったことあるんですね、1回ね。
そうなんだ。
僕その時スピーカーで出てるんですよ。
でもその後はなくて、それと並行してLLイベント、LLウィークエンドみたいな。
あ、ありました。そうだそうだ。
そういうのがあったんですよね。
Light Link LanguageのLLですね。
Light Link Languageイベント。そう、なんかPARLとかRubyとかPythonとか、そういうスクリプティング言語的なやつの集まり。
そうですね。その言語問わず、スクリプティング言語で、それこそRubyの松本さんとかも参加するようなイベントが開催されて、それも結構盛り上がってましたね。
当時だからウェブアプリケーションを書く人も、業務で使う人もスクリプティング言語を結構活用してる人が多くて、それで結構人数参加されてたイメージがありますね。
それは多分だけど、RubyとかPHPとかPARLとか単体でイベントやるとそんなに埋まるかどうかはわかんないけど、まとめてやると大丈夫なんじゃないかっていう、そういうあれもあった気がしてますね。
っていうので、渋谷PMで何百人も来るように確かなってたと思うんで、自分たちでやっても大丈夫だろうっていうのは思ってましたね。
今でもホームページに残ってるんですね。2006年のYap-Shia-Jia東京のMovable typeで、Powered by Movable typeになってますね。
そう、この間まで自分のサーバーで保守してたんですけど、この間までって結構前か、何年か前。そのサーバーをもうなくしてしまうことになったんで、全部多分GitHubページに移してますね。
多分一部リンクが切れてるところがあるかもしれない。スタティックなページのみが残ってるんで。
そうか、全部HTMLに書き出してそれをGitHubページに置いてるって感じなんですね。
15:06
そうですよ。歴史が残ってるのがいいですね。
これは貴重ですね。
当時はでもチケットとかをどうやって販売したかってのは全く覚えてないくて、多分ピアとかローソンチケットとかを使った覚えがありますね。
そんなチケットだった気がする。多分ね、ピアプシーのチケットを買ったのは初めてのローソンチケットかなんかの大金だったのを覚えてるから。
逆にローソンチケットで売れるもんなんですか?売れるんだ。なるほど。
僕は全く関わってないんで、尾山さんか誰かがやってくれたと思うんですけど。多分手数料とかすごい取られる気はしますけど。
そう、結構取られたっぽいですね。
すごいですね。いろんなサービスなかった頃の話を聞くと、すごい便利な時代になったなと思いますね。
2008年にピアプシーのカンファレンス自体のサイトを世界のピアプシーで使っているACTというシステムがあって、それに変えたんですよね。
それを使うとPayPalで決済ができるんで。
確かに2008年のページはPowered by ACTになってますね。下に書いてました。
PayPalのサポートはなくて、ACTの作者がパリに住んでるんですけど、そこに行ってPayPalのサポートを自分で入れるっていう、そういうことをやりましたね。
ペイパルってあんまりヨーロッパで使われてないから、PayPalのサポートはあるけどテスト試してないから分かんないみたいな話だったけど。
僕が自分で行ってそれをインテグレートするっていう。
行って行っての、物理的に行ったってことですか?
物理的に行きました。1週間ぐらい。
へぇ~。
へぇ~、すげぇなそれ。
意外と僕が今何を見てるかっていうと、はてなってピアプシーのスポンサーになったのでいつなんだろうなと思って見てました。
意外とやってないんだな。
それで言うと、2007年はスポンサーではないんですけども、前の代表だった近藤さんとか、今もいらっしゃる大西さんとかは、スタッフというか、収録スタッフしてました。
収録?収録スタッフしてたんですか?
当時はてな、近藤さんが結構記録好きというか、もともとカメラとかされてたね。
カメラね、されてたそうね。
で、ポッドキャストとかも会社でやってたんですよね。会議を録音して公開するみたいな。
18:02
で、その流れで結構記録好きっていうのがあって、僕どういう経営だかはちょっとわかんないんですけども、会場の録画とか録音みたいなのを近藤さんやってて。
なるほどなるほど。
なんかPA宅をいじっている近藤さんの写真がありますね。
基本的に全部手弁当っていうか、ほとんどプロのスタッフとかを雇ってないですね。少なくとも2008年までは。
そうですね。
最初の3年、2006、7、8は、いわゆる有志の運営だったんで、会計も小山さんの個人売り上げみたいな感じになってて。
うーん。
なんか、任意団体みたいなの立ち上げないと大変ですねみたいな話をちょっとしてたの覚えてますね。
そうそう。それを真木さんがそういう風に言って、2009年からはジャパンパワールアソシエーションっていうのができて、運営とかも全部引き継ぐことになったんですよね。
なるほど。
JPAですね。
じゃあ、2006、7、8のこの3回が任意団体の前のみんなでやってたっていう感じの。
そうですね。2009年、JPAにも引き続き参加してる人もいたから。
なるほど。
まあ、継続でっていうこともあると思いますけど、もう2006、7、8は完全にチケット販売からビデオの撮影、写真、全部手弁と、ウェブサイトのデザインとかね。
なるほど。
なるほど。先言った通り、ロゴデザインとかもできますって言って、やらせてくださいって言って、ボランティアでやってるみたいな感じでしたね。Tシャツもなんか、Tシャツ屋さん探してきて、ニコ出た作って入れてみたいなのをやるみたいな。
え、中山さん何年のやつをやったって言ってましたか。
僕2007年ですね。
このヤプシの映画、富士山になって。
そうそうそうそう。
アジアの映画、ポケタワカ。
あ、へぇ。
2006年は神野子屋さんがやった。
そう、神野子屋さんですね。
おぉ。
懐かしい、懐かしさが出てくる。
でも2008年のロゴは、2007年と同じだな。
あ、ほんとだ。
使い回されている。
で、ゲストも結構海外から、いきなり多分2006年の時でラリボルフが来日してたんでしたっけ。
多分2006年はすごい、第1回にしてめちゃくちゃゲストが。
そうですよね。
ラリーワールとかダミアンコーンへとか来てた気がしますね。
それも皆さんが個別に出演交渉というか。
そうですね。
をしてというか、なるほど。
個別にしてたと思います。
大鳥田も。
うん。
大鳥田さん。
大鳥田も多分最初の頃何年もずっと出てくれてたと思いますね。
21:04
うん。
いや、当時これ見るとすごいな。
そうすると。
インドイシュセッションはいくつかある。すごい。
同時通訳とかもなかったんで、どうしてたか覚えてないですけど。
みんな頑張って聞いてたんですかね、英語で。
うん。
スライドは事前に日本語訳して、英語と日本語閉域にしてたりとかしましたけど、
音声はみんな気合で英語を聞くっていう感じだったと思います。
そうでしたね。
今セッション見ると本当に英語のセッションが半分くらいありますね。
確かに。そうかも。
めちゃめちゃすごい。すごいな。
僕全然分かんなかった。
今はね、まきさんが引き継いでJPAになってから、
YapC AsiaがさらにBuilders Conっていう風に発展していて、
規模も大きくなると同時に同時通訳とかも入ってますからね。
そうです。同時通訳の機材を入口で貸していただいて、耳に当てて、
ちゃんと技術用語とかもきちんと分かった状態でちゃんと話してくれて、
同時通訳の人めっちゃすごいなみたいな。
Ruby on RailsはちゃんとRuby on Railsって言ってくれるみたいな。
Ruby会議とかでも多分同じところを使ってると思うんですけど、
同時通訳の会社。
これなおやさんがHatena Bookmarkの裏側をしゃべってますね。
Inside Hatena Bookmarks Backendって書いてる。
Moto Pearl 2にマイグレーションしたっていうのが書いてありますね。
歴史を感じますね。
その参加者全部で何人ぐらいっておっしゃってました?
2006年のYapC。
何人ぐらい参加したんですか?2006年。
多分300、400、500ぐらいだと思いますね。
これは懇親会的なものはあったんですか?
ありました。これ、蒲田のPIOってところでやったんですけど、
PIO?蒲田?
なんか、すげえ変な形の建物で、三角形なんですよ確か建物が。
特徴的な建築なんですよね。
そっから歩いてすぐのところに、ニーハオっていう餃子屋さんの店があって、
そこを貸し切りで借りてやった気がしますね。
本当に街の中華屋さんみたいな?
あれ、牧さん?
24:00
いや、多分赤屠さんじゃないかな。
スタッフの中にその辺に詳しい人がいて。
一応Googleマップで検索すると、ニーハオ3軒ぐらいありますね。
ニーハオ3店舗くらいあるんですよね。
あ、そうなんだ。
確か別館とかだったと思うけど。
別館の方ですか。
おととし、全然関係ないんですけど、日本に帰国したときに、
2週間隔離しなきゃいけない時期があったんですよね。
その時、蒲田にホテルっていうか、エアビアンビーみたいなやつ借りてて、
その時に出歩いたら、PIOとかニーハオとかあって懐かしいと思いました。
聖地巡礼を?
聖地ですね。
まさかニーハオの方もやってるんだ。
やってらっしゃいますよ。おいしそうだし。
日本の居酒屋とかで更新会やると、ベジタリアン用のメニューを用意するのが結構しんどい。
今はもっとマシかもしれないですけど、20年前ですからね。
確かに。当時はベジタリアンメニューと?
うん、いましたね。海外からの参加者と。
多くはないですけど、用意しないといけないんで。
ラリオールか、何かアレルギー?
うん、あった気がしますね。
結構ダイエットに制限がある人は少なからずいるんで。
そうですよね。でも当時確かにそれを、こういうのもきちんと積極つかないといかんななって思った記憶ありますね。
ニーハオの更新会ってのは運営側の皆さんの更新会みたいな?
いや、全員ですね。
全員ですか?
うん、希望者で。
今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは、今のところは
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
27:00
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
そう、そう、そう。
宮川さん、その「やっぷしたびたび」とか開催されてますけど、
なんか印象に残ってる回とかあったりするんですか?
んー、そうですね。
印象に残ってる。
まあ、なんか、東京工業大学、東高大の大垣山キャンパスで何回か開催されたと思うんですけど、
あそこはすごい場所良くて、駅前にバーンってもあるし、
そのホールから外がすぐ行けるんで、なんか芝生のところで、
そうそう、そうですね。
なんか、餃子食べるっていうイベントが毎回行われてたりとか、
そこも餃子なんですね。
餃子がついてくる。
あれは環境は良かったですよね。
ハブが併設されてたんでしたっけ?
あれは、えっと、慶応じゃない?
あ、あれは慶応か。慶応の方だ。
慶応の広島。
東高大はそうですね。
そうそう。
餃子の方。
やっぱり大学でやると、大学って基本的にはオープンなんで、
なんか自由度があるというか、外の人も入ってこれますしね、普通にね。
なんか外で食べたりとか、なんか良かったなっていう気はしますね。
商業的な施設もまあ、なんていうの。
施設の便利さではそっちの方が良いですけど、
まあ小きれいな感じであんまり自由度はないなみたいな気はしますよね。
ご飯食べる場所とか。
いやーすごい。なんかワイワイした。最近リアルイベントが結構少なかったんで、
過去の写真見ると本当にみんな密集してワイワイやってる。楽しそうですよね。
そういう感じに見えますね。
ただこのYap See Asiaっていう名前をつけた割には、東京以外では一回も開催されてないんですよね。
僕の知る限り。
このブランドではね。
僕のやったアイテムもそうですし、JPAになってからも東京でしかやってないはずなんですよ。
確かに。
ビルダーズコンに移行して、ビルダーズコンも最後?
あ、違うか。
ビルダーズコンも東京じゃない?
ビルダーズコンはむしろ東京か。
ビッグサイトとかすごいでかいところでやってる覚えがありますけど。
30:02
Yap See Asiaっていう形はこれで最後ですみたいなことをアナウンスして、
2015年開催後ってことで。
いろんな場所でやろうっていうことをおっしゃって。
正確に言うと多分JPA、僕も外から見てるんで違うかもしれませんけど、
JPAになったのが2009年で、そこから2015年まではYap See Asiaっていう名前でやってたんですよね。
そうですね。
真木さんはパールにこだわらないようにしたいというのでビルダーズコンっていうのを始めたんですよ。
その一方でJPAはJPAでYap See Japanっていう名前に変えて、
北海道とか大阪とか福岡とか沖縄とかもありましたね。確か。
そうですね、沖縄もありましたね。
そういうふうになったというふうに。
分岐したわけじゃないですけど、そういうふうになったっていう。
そういうふうに認識してます。
Japanって名前になってから結構地方の開催が増えて、今のスタイルになってきた。
元々はYap See Europaっていうのがありまして、
それはいろんな国で持ち回りで運営されてたんですよ。
そういうイメージで僕もアジアっていう名前をつけましたけど、
日本だったり、東京だったり、日本の別の場所だったり、台湾とか、
そういう感じにできないかなって思ってはいたんですけど、
結局東京でしかやらなかったのは、多分その規模で集客するのは
東京しか無理だろうと思われていたっていうのがありますかね。
そうか、なるほど。なかなか地方でそのキャパを受け止めるっていう、
組織とかノウハウとかもなかなかなかったって思われるんですかね。
今はでもRubyKageとかも毎年違う場所でやってますし、
勢いがあれば別の場所から来るっていう人も多いと思いますからね。
Yappshiってイベントを立ち上げようと思うと、誰かに許可がいるんですか。
そこはなかなか面白いポイントですけど、Yappshiっていうのは、
僕は許可を取った覚えはないですね。勝手にやった気がします。
勝手にやって、でも一応ホームページはまとめられているというと、
そういうもんだっていう。どうなのかな、許可を取ったのかな、
ちょっと覚えがないですけど、一応で当時は、
Yet Another Societyという、ノンプロフィットの被営利団体がありまして、
そこがアメリカのYappshiとかの運営をしてたんですよね。
33:04
許可を取った覚えはないんですけどね。
TEDってその辺厳しいみたいな話を昔チラッと聞いたことがあったような気がして。
TEDxって地方イベントみたいなやつやってますけど、
僕もちょっとチラッと勘だことあるんですけど、めちゃめちゃレギュレーション、
分厚いレギュレーションがあって、それに全部合わせろっていうのはあるんですよね。
でもYappshiはそういう感じでもないっていう、エンジニアコミュニティが盛り上がればっていう。
唯一ロゴのモチーフにラクダを使うときに、
オラエリーに問い合わせをしたみたいなのはメイリングリストでちょっと見たんですけども。
トレードマークがあるんですよね。
ラクダは別にパールプログラミングの団体が持ってるわけではなくて、
ラリーボールではなくて、オラエリーがプログラミングパールの方を出すときの表紙がラクダなんで、
ラクダっていうのはオラエリーの持ち物なんですよね。
なるほどなるほど。
なので一応許可をもらえばいいという感じだった気がする。
でも最近はラクダを使う必要もなく、パール本家のロゴは玉ねぎかな、
オニオンになってますね。
コミュニティだと恐竜のロゴを使ってることが多いので、
あんまり問題は発生しない気がしますけどね。
それで言うと、NAPCっていうのは、話が長くなってますけど、
Yet Another Parle Conferenceっていうのを訳で、
そうそう、その話をしなきゃいけない。
何でYet Anotherかっていうと、もともとThe Parle Conferenceっていうのがあったんですよね。
なるほど。
それはオラエリーがやってたんですよ。
オラエリーがOSCONというオープンソースのイベントの一部で、
The Parle Conferenceっていうのをやってまして、
それはもうなくなったんですよ。
OSCONは今はほとんどやってない状態で、
ついでに言うとYapc North Americaっていうのもなくなり、
それが今The Parle Conferenceっていう風に名前が変わったんですよね。
つまり、もともとのThe Parle Conferenceはなくなったから、
我々はもうYet Anotherじゃないよねっていうことで。
なるほど。
The Parle Conferenceがあった。
オラエリーから名称を引き継いでやってるんです、今は。
今はTPCっていう名前で検索すると、アメリカのYapcのようなものが出てきます。
これはテストに出ますね。歴史のテストに。
出ますね。このTPCはどっちのTPCになったかっていう。
日本ぐらいですよ、Yapcっていうのが残ってるというのは。
The Parle Conferenceに対してYet AnotherなConferenceですよっていうのが、
最初のYapcことだったんですね。
36:02
そういうちょっとオルタナティブ感っていうのが、
カルチャーにもあったんですかね。
そうかもしれないですね。
オラエリーのConferenceってすごい高いんですよ、参加費が。
10万とか15万とかするんで。
そんなするんですか。経営者会議みたいな感じなんですね。
基本的には会社の経費で参加する人がほとんどだから。
なるほど。
っていうので、それに対してチケットも安価だし、会場もホテルとかじゃなくて、
大学のキャンパスとか、草の根っぽい動きっていうのは当時Yapcのアメリカに関してもありましたよね。
だから最初のYapc Asiaの初期もそんなイメージがあるかもしれないですね。
あとね、僕話しておきたいのが、ダンサンの家で発火損したんですよね。
そんなイベントがあったんですか。
これは十数人ぐらいしか参加してないんですけども、
そもそもダンサンの懐の深さがやばくて、海外から来てゲストをご自宅に泊めてもらって。
そうそうだから、ゲストの人は一応ホテルとかも手配してましたけど、
何人かはダンサンがうち泊まっていいよみたいな感じで行ってくれたんで、泊まらせてもらって、
かつ、今はどうなのかわかんないですけど、イベントの後ですね、
カンファレンスがあった次の日とかに発火損とか行って、みんなで集まってひたすらコードを書くっていう、そういう集まりがありまして、
それがダンサンの家で、たぶん2006年、7年、8年ぐらいはやってたんじゃないかな。
やってましたね。それが僕めちゃめちゃ印象に残ってて、ダンサン家すげえ広いってのもすげえビビったんですけども、
そこにパール発火損海外の、そういうことさっき言った大鳥たんとかも来てて、みんなでコードをバチバチ書いてやってるみたいな。
あれは結構異様な雰囲気でしたよね。
最近発火損って言うと、企業イベントとかでやることが多くて、日本もそうだと思うし、アメリカでもそうなんですけど、
商業的というか、それなりに否定するものではないですけど、チームを作ってコードを書いて、ファウンダーにプレゼンしましょうみたいな、そういう感じの発火損が結構多いと思うんですよね。
僕らがやった時の発火損は、コミュニティドリブンというか、好きなものをみんなでひたすら書くみたいな感じがありましたね。
39:02
その場で書いて、見せ合って、いいねとかこうしたらみたいな話をずっとしてるみたいな感じで。
別に商品とか発表とかなく。プレゼンとかあるわけでもないんだけど、ただみんなで黙々とコードを書いてて、ただ熱量がすごいという感じで。
僕は当時、コード書くというよりも、そこで僕はデザインとかロードデザインとかもそこでしたりとか、一緒にさせてもらったんですけど、まあ面白かったですね。
面白そう。全然その場の雰囲気がいってないから、想像でしかないですけど。
まあ今もそうですけど、オープンソースの活動をしてる人がほとんどだったんで、そこが面白いところですよね。
参加してる人のうち、スピーカーのうちのほとんどが、自分で書いたコードとかの紹介をすることが多くて、みんなオープンソースで公開してるんで。
そのハッカソンでみんなそれをより良いものにしていったりとか、そういう感じが多いですかね。
そうですね。さらに新しいプロジェクトが立ち上がったりとか。
ちなみにさっきのThe Perl ConferenceのYet AnotherでYapshyだった話でしたけど、当時はPerlのコミュニティとかそのコミュニティが、いわゆるエンジニアリングの言語の中のコミュニティでも大きかったってことなんですか?
日本でいったらかなり大きかったと思いますね。海外だとどうなのかな。他のPythonのコミュニティとかあって。
はいはい。そう、Pythonとかも。なるほど。
あとはRubyPanfとかね。最近だと多分、Perlのコミュニティは人数的にはそこまでは行ってないと思いますね。
確かに。もっと若い人にも書いてほしい。
そうですね。
僕はたまにまだPerlを書いてるので。
僕も書いてますよ。たまに。たまにっていうか結構書いてますよ。今の仕事は割とPerlを使ってることが多いんで。
そうなんですね。
クリスもWebアプリケーション書くときPerlですもんね。
僕ね、Perlと、あんまり新しいやつを、インフラ周りのAWSは新しいの使ってますけど、言語はPerlを書いていて、この間、近藤さんと2人して別々に同じようなものを作ってたっていうことが笑い話であって、
シミプロダクトとかみたいなやつで。僕はPerl使ってたんですけど、近藤さんはPHPの最新フレームワーク使ってて、近藤さんそっち使ってないですか?みたいな感じで。
僕もちょっといろいろとアップデートしなきゃなと思いましたけど。
Perlはね、とつきにくさ若干あると思うんですよね。初めてプログラミングする人にとっては。僕個人的な意見だと、すごい手に馴染むところがあるんで、書くと一番早いのはPerlかなっていう感じですかね。
42:12
道具として使いやすいみたいなところなんですかね。
あとこれは良し悪しなんですけど、あんまり言語に大きな変化がないので、着実によくなっていったりとか、早くなったりとかっていう改善点はありますけど、
他の2体の言語と比較すると、毎年毎年新しい変更があったりとか、大きなフィーチャーが追加されたりってことがないんですよね。
それはネガティブなイメージがあるかもしれないですけど、仕事で使う人間からすると変わらないってことは非常に安心なことで、10年20年前に書いたアコードも普通に動くと思うんで、そこは良いところでもありますかね。
なるほど。ちょっと頑張ってPerl書いていきます。
長山さん、話したらあっという間に時間が。
そうですね。まだ掘れば色々出てくると思いますし、これYAPSHの本当に最初期の話で、JPA自体とか後期とかっていう話とかもあると思うんですけども、ひとまず今日はね。
また次があるような言い方ですけども、ひとまず今日はこの辺にしましょうか。
この頃の話。私はもう全然こういう業界インターネットサービスを提供してるような、Perlコミュニティとかもそうですけど、SIAでJava書いてるような頃の話だったんで、へーみたいな。そんなことがあって楽しく伺いました。
ということで宮田さん、今回は特別出演ありがとうございました。
ありがとうございます。こちらこそ。
ありがとうございました。
ということで、こちらのエピソードを皆様楽しんでいただけましたでしょうか。
はい。おそらくね、YAPSH京都にいる期間中にちょっと寂しに聞いてみようかなという方もいると思いますし、帰ってから聞かれてる方もいると思いますけども、引き続きこういったYAPSH始め、インターネットのコミュニティ、エンジニアリングコミュニティにですね、参加して盛り上げていっていただけると、我々嬉しいですよね、長山さん。
うん、はい嬉しいです。
どの立場で言ってんだったの?
急にどうしたんですか。
いや、まとめた方が良いかと思ったですね。
ということで、すみません最後くだくたですけども、今回のおっさんFMの特別編はここまでとさせていただきます。
じゃ皆さん、さよなら。
さよなら。
ご視聴ありがとうございました