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EP16: WordPressのレキシ〜家に入れない夜に公開された、世界を変えるソフトウェア〜
2026-03-30 20:31

EP16: WordPressのレキシ〜家に入れない夜に公開された、世界を変えるソフトウェア〜

今週のテーマは「WordPressのレキシ」です。


あなたが今見ているWebサイト、4割以上がWordPressで動いているって知っていましたか。でもその始まりは、開発者に見捨てられたコードと、19歳の大学生が書いたブログ記事1本、そしてそこについたたった1つのコメントでした。GPLライセンスが死んだコードを蘇らせ、競合の有料化という追い風が決定的な勝者を生む。やがて90兆円の経済圏を築いたWordPressは今、「誰がオープンソースを所有するのか」という問いに直面しています。普段WordPressに触れているエンジニアも、OSSのライセンスや設計判断の重みを感じられるエピソードです。


https://github.com/WordPress/WordPress

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サマリー

WordPressは、19歳の大学生マット・マレン・ウェイク氏が書いたブログ記事と、それに対する1つのコメントから始まった。GPLライセンスのおかげで開発者が去ったコードが蘇り、競合の有料化という追い風を受けて急速に成長。フックフィルターシステムやテーマシステムといった設計判断がエコシステムを築き、今ではインターネットの4割以上を支える巨大なプラットフォームとなった。しかし、その成功は「誰がオープンソースを所有するのか」という新たな問いを投げかけている。

WordPressの誕生:ブログ記事とコメントから始まった物語
こんにちは、OSSのレキシラジオです。このポッドキャストでは、エンジニアであり、最近ポケモンチャンピオンズが気になっているhentekoが、毎週一つのOSSプロジェクトを取り上げて、そのプロジェクトにまつわる歴史を紹介する番組になります。
もう少しでポケモンチャンピオンズが発売というか、配信されるんですけど、すごく楽しみです。
バトル専用のポケモンって、これまでポケモンスタジアムとかあったかなと思うんですけど、まだやったことがなくてですね。
今後はオンライン単位戦なども全てこのチャンピオンズに集約されそうなので、かなり楽しみです。
さて、今週のテーマはワードプレスです。見ていきましょう。
ワードプレスって聞いたことありますかね。エンジニアの方はもちろん知ってるかもしれないんですけど、実はインターネット上のウェブサイトの4割以上がワードプレスで動いています。
CMS、コンテンツマネジメントシステム、ウェブサイトのコンテンツを管理するためのシステムですね。
の中では圧倒的シェアで任意以下を10倍以上引き離しています。
ホワイトハウスのサイトもディズニーもNASAもワードプレスを使っています。もはやインターネットのインフラと言ってもいいレベルです。
でもこのワードプレス最初はたった2人で始まったものです。しかもですね、そのきっかけはブログ記事1本とそこについた1つのコメントでした。
今日はそんなワードプレスの歴史を見ていきたいなと思います。
始まりはフランス寮コルシカ島からです。
2001年コルシカ島に住んでいたプログラマーのミシェル・バルドリキさんが不安定なダイヤルアップ回線でブログを書いていました。
当時使っていたブロガーにはコメント機能がないし安定しない。ないなら自分で作ろうってことで独学でPHPとMySQLを学んでB2カフェログというブログツールを作りました。
近所にコンビニがないなら自分で畑を耕し始めたみたいな話ですね。
このB2は当時としてはかなり先進的で、今後のムーバブルタイプは記事を公開するたびにサイト全体を作り直す必要があったんですけど、
B2は記事を書いてボタンを押せばすぐにページに反映されました。
約2000のブログにインストールされて活発なコミュニティが生まれていきました。
ところがですね、2002年バルドリキさんが個人的な事情で開発を離れてしまいます。
メンテナンスもセキュリティアップデートもなくなって、B2は完全に放置状態になりました。
でもここで一つすごく大事なことがあって、バルドリキさんは最初にB2を作ったとき、GPLライセンスを適用していました。
GPLというのはざっくり言うと、このソフトウェアは誰でも自由に使えるし、改編して再配布していいですよというようなライセンスです。
つまり畑を耕していた人が去ったとしても、枯れた種は土の中で生きていたわけです。
誰かが水をやればまた芽を出せる状態でした。
2003年1月24日、テキサス州ヒューストンの大学生、マット・マレン・ウェイクさんが自分のブログに一本の記事を書きました。
タイトルはThe Blogging Software Dilemma。ブログソフトウェアのジレンマです。
このときマレン・ウェイクさんは19歳でした。記事にはこう書いてありました。
当時の主要なブログツールの良いところを全部兼ね備えたものが欲しいと。
Webアプリタイプの柔軟性、テキストパターンのパース能力、B2のハック容易性、ブロガーの手軽さ、全部を兼ね備えたものがあったら最高なのにと。
そしてB2はGPLだからフォークできる。もし自分が1年後にいなくなったとしても、行動は世界に対して自由であり続けると宣言しました。
ちなみにこの記事の後から追記してこれがワードプレスになったって書き足されています。これすごいですよね。
翌日の1月25日にはイギリスのストックポートに住んでいたベテラン開発者のマイク・リトルさんがこのブログ記事で一つのコメントを残しました。
もしB2のフォークを本気で考えているなら貢献することに興味があると。
街の掲示板にこんなものを作りたいと書いた張り紙にたった一人が手伝うよと返事をしたようなものです。
しかもリトルさんはマレンウェイクさんより22歳年上の41歳でした。
大西洋を挟んで19歳の学生と41歳のベテランが出会った瞬間でした。
そして2003年5月27日、ワードプレス0.7がリリースされます。
ワードプレスという名前はマレンウェイクさんの友人のクリスティン・セレイク・トレムレさんが提案しました。
印刷機に関連する名前がいいというマレンウェイクさんの希望を受けて、
ワードとプレスを掛け合わせたワードプレスになりました。
後にワードプレスの公式ミッションとなる出版の民主化と完璧に交互するようないい名前かなと思います。
ここが面白いところで、リリースしたその夜マレンウェイクさんは両親の家のポーチにいました。
鍵を忘れて染み出されてしまったんですね。
そこからブログにこう書きます。
今夜は最高だった。ワードプレスを公開できてとても気持ちよかった。
ウェブの未来を変えるソフトウェアを公開した夜に自分の家にすら入れない19歳。
この対比に何かいいですよね。
偉大な始まりというのは、実はすごく平凡な風景の中で起きているものなんだなと思います。
ここで大事なのは、開発者が去ったとしてもGPLライセンスがあれば行動は行き続けるというようなことです。
ワードプレスが存在するのは、バルドリギさんがB2にGPLを選んだからです。
そしてブログ記事1本と1つのコメント。これが全ての始まりでした。
成長期:MovableTypeの有料化とフックフィルターシステムの導入
さてここからワードプレスの成長期に入っていきます。
2004年1月3日、ワードプレス1.0がリリースされました。
コードネームはMiles、Jazzの巨匠Miles Divas、Jazzの巨匠Miles Divisにちなんだ名前です。
これ以後ワードプレスの全てのメジャーリリースがJazzMusicさんの名前を関する伝統が始まります。
OSSプロジェクトの固有文化的な遊び心があるの結構いいかなと個人的には思います。
ワードプレス1.0にはSEOフレンドリーなパーマリンクやコメントモデレーション機能が入っていて、
真のブログシステムとしてワードプレスを確立していきました。
そして2004年5月にワードプレスにとって最大の追い風が吹きます。
当時ブログ界で最も人気だったのはMovableTypeっていうツールだったんですけど、
その開発元のSix Apartが突然ライセンスを有料化しました。
それまで無料で使えていたのに、追加インストールごとに料金がかかるようになってしまいました。
大手スーパーが突然簡易性に切り替えたとき、隣に誰でも無料で使える商店街があったようなものです。
しかもその商店街はみんなが定義すればするほど良くなっていく仕組みでした。
GPLで完全に自由なワードプレスにユーザーがなだれのように流入して、
この意向はほとんど不可逆的だったと言われています。
バルドリギーさんがB2にGPLを選んで、マリンウィッグさんがその自由を信じてフォークをした。
ここでGPLの価値が大規模に証明されたわけです。
さて同じ2004年5月に実施されたワードプレス1.2 Mingusで、
とても重要な技術的判断がなされます。
ライアンポーヴォーレンさんの提案によってフックフィルタシステムの導入がされました。
これはワードプレスの歴史の中で最も重要な設計判断と言っていいかもしれません。
どういうものかというと、コアのコードに手を振れずに機能を自由に追加できる仕組みを提供しました。
家を建てるときに壁のあちこちにコンセントとフックを埋め込んでおくようなものです。
後から住む人が好きな家具を好きな場所に取り付けられる。
この一つの設計判断が後に6万以上のプラグインが生まれるエコシステムの土台を築きました。
ワードプレス5.7の時点でコアには2000以上のフックがあります。すごい数ですよね。
2005年2月のワードプレス1.5ストレーンホームではテーマシステムが導入されて、
コードを変えずにデザインを変更できるようになりました。
固定ページ機能でブログ以外のコンテンツも管理できるようになります。
同じ年、マレーン・ウェックさんはオートマティックを設立して、
wordpress.comをホスティングサービスとして公開します。
ここで大事なのが、ワードプレスからオートマティックが生まれたのであって、
その逆ではないというようなことです。
wordpress.orgはオープンソースプロジェクト、
wordpress.comはオートマティックが運営する商業的なホスティングサービス。
この区別は後で大きな意味を持ってきます。
2006年にはサンフランシスコで初のワードキャンプが開催されて、
500人以上が参加します。コミュニティの形成が加速していきました。
そして2010年6月、wordpress 3.0、セロニアスのリリースで大きな転換が起こります。
カスタム投稿タイプやマルチサイト機能が導入されました。
これは何かというと、ブログ、記事以外にも商品ページやポートフォリオなど、
どんな種類のコンテンツでも自由に作れるようになりました。
しかも一つのワードプレスで複数のサイトを管理できます。
日記帳しか作れなかった印刷所が、カタログもチラシもポスターも何でも作れるようになったみたいなものです。
ワードプレスはブログを書くためのツールから、あらゆるウェブサイトを作るためのプラットフォームに生まれ変わりました。
ちなみにこの頃はGPLの適用範囲を巡る事件もありまして、
人気テーマは低支出の開発者、クリスピアソンさんが、プロプライエータリーライセンスでワードプレステーマを廃止していました。
ワレンウェックさんはソフトウェアフリーダムローセンターに法的見解を求めて、
ワードプレステーマのPHP部分はGPLの対象であるが、CSS、JavaScriptは対象外というような見解が示されました。
GPLの適用範囲が明確になった重要な例かなと思います。
ここで覚えておいてほしいのは、ワードプレスの勝因は何でもできるようにしたアーキテクチャにあるというようなことです。
ピックフィルターという設計思想が、世界中の開発者に自分の手で拡張できるという自由を与えました。
そして競合ムーバブルタイプの有料化という追い風が、GPLで自由なワードプレスを決定的な勝者にしました。
ライセンスの選択がプロジェクトの命運を分けた瞬間です。
プラットフォームへの進化:カスタム投稿タイプとGutenbergプロジェクト
さてここからワードプレスというものはどんどん複雑になっていきます。
この時期ワードプレスは数字の面でも爆発的に成長していきます。
2013年のワードプレス3.7ベイシーでは自動マイナーアップデートが導入されました。
セキュリティパッチが自動で適用される仕組みで、何億ものサイトを支えるプラットフォームとしての責任を果たすための重要な技術的判断でした。
2014年には非英語のワードプレスダウンロードが初めて英語を上回ります。
翻訳コミュニティポリグロッツチームは15,000人以上のボランティアで構成されていて201のロケールに対応します。
グローバルなプロジェクトですよね。
2015年にはオートマティックがウーコマースを推定3000万ドルで買収して、
eコマースプラットフォームとしても成長を始めます。
現在450万から600万の店舗がウーコマースで運営されています。
そして2015年から2016年にかけてテストAPIがCoreに統合されました。
これによってワードプレスをヘッドレスCMSとして使えるようになります。
つまりワードプレスで記事を管理しながら表示はNext.jsやリアクトで自由に作れるというような形です。
僕らが普段使っているフロントエンド技術と組み合わせられるようになったわけですね。
TechCrunchなどの大手メディアがこのアプローチを採用しています。
そして2017年、マリンウィッグさんが推進するワードプレス史上最大の技術的変革、
Gutenbergプロジェクトが始動しました。
これは従来のTinyMCEベースのテキストエディターをリアクトベースのブロックエディターに全面的に置き換えるという構想です。
原稿用紙からPowerPointに変わったようなもので、自由度は上がったんですけど原稿用紙に慣れた人は戸惑いというような形でした。
技術基盤にリアクトを採用するという決定も議論を呼びました。
コミュニティではView.jsを支持する声も強かったし、
当時のリアクトのBSDプラスパテンツライセンスがGPLとの相性を懸念させたんですね。
ただですね、2017年9月、FacebookがリアクトのライセンスをMITに変更したことで、この懸念は解消されました。
そして、度重なる延期の末、2018年12月にワードプレス5.0ベボがリリースされるんですけど、
このリリースがわずか3日前の告知でした。
コミュニティは騒然でした。
準備ができていないだったりとか、互換性が心配だというような声が殺到します。
結果としてグーテンベルグを文法化するクラシックエディタプラグインが300万以上のアクティブインストールを記録しました。
長年使い慣れた文法具屋が突然改装して棚の配置が全部変わったら、それは元に戻してくれと思いますよね。
一方でですね、これまでページビルダープラグインに頼っていた機能がCoreで実現されたことで、
モダンなJavaScript開発手法が導入されたことっていうのは根底的に評価もされていて、評価が2つに分かれた出来事でした。
ここが面白いところで、このグーテンベルグの強制導入に反発して、2018年にスコット・ボーラーさんがワードプレス4.9.8をフォークしてクラシックプレスを作りました。
ワードプレスはもはやコミュニティ主導のプロジェクトではないというような形です。
かつてB2がフォークされてワードプレスが生まれたように、今度はワードプレス自身がフォークされます。
フォークから生まれたものがフォークされて、なんだか不思議な形かなと思いますよね。
でもですね、クラシックプレスはその後開発者不足に直面して、2022年にはワードプレス6.xからの再フォークを余儀なくされました。
GPLがあるからフォークできる、でもフォークすれば成功するとは限らないんですね。
コミュニティとエクシステムの力がなければ、コードだけでは前に進めないというような状態です。
コミュニティとエクシステムの力がなければ、コードだけでは前に進めないんですね。
ガバナンスの課題:WPエンジンとの紛争とオープンソースの所有権
一方でグーテンベルグの計画は着実に進んでいきます。
2022年1月、ワードプレス5.9ジョゼフィーヌでフルサイトエディティングが導入されて、サイト全体をブロックエディターで編集できるようになりました。
グーテンベルグの4段階計画。フェーズ1のブロックエディターは完了。フェーズ2のフルサイトエディティングも完了。
フェーズ3のリアルタイム共同編集は現在進行中で、フェーズ4の他言語サポートは計画中のようです。
ちょっとここで、2025年時点のワードプレスの規模を見てみましょう。
インターネット上の全ウェブサイトの43%以上がワードプレスで稼働しています。
CMS市場シェアは約61%で、時点のショピファイが4.8%。
Wixが約3.7%ですから圧倒的です。
プラグインの数は6万1千以上。
日本全国のコンビニが約5万6千店らしいんですけど、コンビニより多い数の機能の棚が世界中の開発者によって公開されているわけです。
ホワイトハウス、BBCアメリカ、ディズニー、NASAなど、130以上の主要ブランドが採用しています。
2020年時点の推計でワードプレス経済研は約5967億ドル、日本円で約90兆円規模に達しています。
技術の進化には痛みが伴います。
ウーテンビルグの導入はワードプレスの歴史上最も大きな賭けでした。
300万人がクラシックエディタープラグインをインストールして、クラシックプレスというフォークまで生まれました。
でも同時にですね、この変革がなければワードプレスはモダンなウェブ開発の潮流に取り残されていたかもしれません。
誰のためのオープンソースかというような問いが技術的決断の裏側で常に問われ続けています。
そして2024年9月、ワードキャンプUS2024年で、アレン・ウィッグさんがWPエンジンをワードプレスにとってのガンと公に批判しました。
WPエンジンというのがワードプレス専用のホスティング企業なんですけど、収益が4億ドル、評価額が10億ドルというような大きな会社です。
そしてアレン・ウィッグさんはWPエンジンのwordpress.orgへのアクセスを遮断しました。
商店街の管理人が気に入らない出展者を突然追い出したようなものですね。出展者は商店街は皆のものでしょうと裁判を起こしました。
WPエンジンは名誉毀損、反共創的行為、強化罪などでオートマティックとアレン・ウィッグさんをテストします。
12月には裁判所がWPエンジンのwordpress.orgへのアクセス回復を命じています。
出版の民主化を掲げたプロジェクトで特定の企業のアクセスが遮断されてしまうような事件ですね。この矛盾はかなり大きかったです。
この紛争はオートマティックから159人の従業員が自主退職プログラムで離脱するなどワードプレス経済圏全体に影響を与えました。
そして2024年12月には長年のコアコミッターやコミュニティリーダー20名が署名したオープンレター
Dear WordPress Community We Stand With You が公開されました。
このオープンレターではBDFLモデルの限界が指摘されました。
BDFLっていうのは慈悲深い衆心独裁者のことで既定のリーダーが最終決定権を持つ運営モデルのことです。
LinuxのLinus Torvaldsさんもそうです。
小規模なうちは効率的なんですけど90兆円規模の経済圏を支えるとなると流石に無理が出てきます。
レターの中にはですねさらにワードプレスファウンデーションの境界化やインフラの個人所有そして恐怖の文化の存在が指摘されていました。
特筆すべきはですね署名者が匿名性を保護するための措置を講じていたことです。
マンションの管理組合で管理人が強権を振るっている中住民たちが匿名の手紙を回し始めたような状況です。
プロジェクト内で声を上げることにリスクがあったというような形ですね。
未来への展望:分散化と出版の民主化
技術面でもワードプレスは着実に進化を続けています。
2025年4月のワードプレス6.8セシルでビークリップとパスワードパスハッシュへの移行が実現しました。
これあのトラックっていうワードプレスのバグ追跡システムがあるんですけどそちらの方で2012年に提案されてから実に13年後の実現なんですよね。
技術的不採用偏差するのがいかに難しいかなっていうのを物語るエピソードです。
そしてガバナンス機器への答えとなるかもしれない動きが出てきます。
2025年6月Linuxファウンデーションの支援の下フェアプロジェクトが発表されました。
フェアっていうのはFederated and Independent Repositoriesの略でワードプレス.orgサービスの分散化を目指すプロジェクトです。
これまで一つの大きな倉庫に全商品を預けていた商店街が各店舗が自分の在庫を管理できるシステムを作り始めたみたいなものです。
倉庫の管理人とも埋めたとしても商品は無事です。
プラグインやテーマの配布管理権を開発者自身が保持できる仕組みを作ろうとしています。
2003年にGPLのおかげでフォークできたように2025年にはフェアのおかげで配布権を自分で守れるようになる
ワードプレスの歴史において最も重要なインフラの分散化の試みだと思います。
ワードプレスの公式ミッションはDemocracy Publishing出版の民主化です。
GQ歳の大学生のブログ記事から始まった理想は20年以上を経てWebの43%を支えるプラットフォームを生み出しました。
その成功を支えた要素、GPLライセンスの力、コミュニティの力、若さと経験の融合、正しいタイミング、拡張性のアーキテクチャ
そして今6つ目の要素が問われています。それはガバナンスの進化です。
ワードプレスの物語はオープンソースの光と影の両方を映し出しているかなと思います。
GPLがB2の詩からワードプレスを生み出し、コミュニティが世界中に広げる90兆円の経済権を築きました。
でも成功するほど誰がプロジェクトを管理するのか、オープンソースの自由としてのリーダーの意思決定はどう両立するのかという問いが重くなっていきます。
Webプロジェクトはその答えの一つになるかもしれません。
ということで今回はワードプレスの歴史を見ていきました。
大きさや高度がGPLのおかげで生き返り、19歳の大学生と41歳のベテランが体制を挟んで出会い、
フックフィルターという設計判断が6万円以上のプラグインXシステムを生み出し、
そして今、誰がオープンソースを所有するのかという問いに直面しています。
一つのOSSの中にソフトウェア開発のあらゆるテーマが詰まっている、本当にすごいプロジェクトだなぁと個人的には思います。
さて今回のお話は以上となります。
もし少しでも今回のお話がためになったなぁと思ったらお聞きのプラットフォームでの高評価とフォローの方をお願いします。
またXなどでハッシュタグOSSの歴史ラジオをつけて感想を呟いてもらえると僕のモチベーションでありますのでぜひよろしくお願いします。
次回はですね、新しい試みとしてリダッシュのコミュニターである吉岡さんをゲストにお迎えしていろいろ聞いてみたいなと思います。
それではまた次回お会いしましょう。バイバイ。
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