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2026-02-02 14:34

Mustodonのレキシ〜Twitterへのアンチテーゼと「ユーザー主権」の10年史 —— 創業者の決断とMastodonの未来〜

今回のテーマは、分散型SNSの代表格「Mastodonのレキシ」です。

2016年、巨大化しすぎたTwitter(現X)などの中央集権的なプラットフォームへのアンチテーゼとして生まれたこのプロジェクト。実はその進化の過程には、日本のエンジニアやコミュニティが深く関わっていました。個人開発から始まり、国際的な非営利プロジェクトへと変貌を遂げたMastodonの10年間の歴史について深掘りします。


サマリー

Mastodonの歴史と進化を振り返り、特に日本での急速な普及とその影響について話しています。また、技術的な課題とそれに対するプロトコルの移行についても焦点を当て、最終的にはMastodonの将来展望を探ります。マストドンはTwitterからのユーザー流入によってコミュニティ内に文化的衝突を引き起こし、ユーザー数は以前の数倍に増加しています。そして、マストドンは民主的なインターネットの成功例として位置づけられ、創業者の手を離れた後も国際的なオープンソースプロジェクトとして持続可能に運営されています。

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こんにちは、OSSのレキシラジオです。このポッドキャストでは、エンジニアであり、最近マイナー免許証に切り替えたいhentekoが、毎週一つのOSSプロジェクトを取り上げて、そのプロジェクトにまつわる歴史を紹介する番組になります。
そろそろマイナンバーカードと運転免許証を一体化したマイナー免許証に切り替えたいなぁと思っているんですけど、なかなか平日に警察署に行く時間が取ることができなくて難しいなぁと頭を抱えております。皆さんはもう切り替えましたかね?
Mastodonの誕生と背景
さて、そんな個人的な悩みは置いておいて、今週のテーマに行きましょう。今回はMastodonの歴史についてです。それでは見ていきましょう。
まず最初はMastodonが生まれた背景とその誕生についてです。時は2016年頃です。当時代表的なSNSといえばTwitterやFacebookでしたが、これらは差別解消当初の自由な広場という雰囲気から、徐々に中央集権的なプラットフォームというものに変化していきました。
上場企業となった彼らにとって収益の最大化というものは市場命題としてあるので当たり前かなというような形です。特にTwitterでは時系列順だったタイムラインがアルゴリズムによる推奨表示に切り替わったり、APIへのアクセス制限が強化されたりと、サートパーティーの開発者やユーザーの自立性というものが著しく損なわれる状況になっていました。
そこでシリコンバレー的なプラットフォーム資本主義に対するアンチテージとして設計されたのがマストトンです。公共のコミュニケーションインフラが単一の営利企業に独占されるのは危険だというような考えの下、商業的なインセンティブ化が切り離されたユーザー主権に基づくネットワークを目指して開発されました。
開発者は当時ドイツのイエナ大学でコンピューターサイエンスを専攻していたオイゲン・ロチコさんです。彼はですね、もともと分散型マイクロブログや過去のフォーラムソフトウェアの開発経験があって、分散化と連邦化、フェデレーションですね、という概念に強い興味を持っていました。
そして2016年初頭、大学卒業から就職までの期間を利用してマストドンの開発がスタートします。ハッカーニュースでですね、このプロジェクトを公表した際、彼は嵐や逆転のないより良いツイッターというような説明をしていました。その根底には、中央集権的な権力からの解放という強い意志がありました。
技術的な側面を見てみると、マストドンはRuby on Railsで開発がされています。そして注目すべきはですね、ライセンスにAGPLバージョン3を採用されている点です。これは通常のGPLと違って、SaaSのようにネットワーク経由で利用する場合でも、ソースコードの公開義務が発生するというような強力なライセンスになっています。
将来的に企業がマストドンのコードを使って商用サービスを立ち上げて、さらにコミュニティに還元せずに利益を独占するというようなことを防ぐため、このような形になっています。
これは実際に役立った事例が実はあるんですよね。ドナルド・トランプ大統領が立ち上げたSNS、Truth Socialはですね、実はマストドンのコードを利用していました。ですが、最初はソースコードを非公開にしていました。
そこでですね、このAGBLバージョン3ライセンスがですね、法的根拠となって強制的にコードを公開させるということに成就しています。ライセンス選びってかなり重要だなというような事例ですね。
またですね、初期の技術選定で特筆すべきなのがオーステータス・プロトコルの採用です。これは当時存在していた分散型SNSのデファクトスタンダードになっているAtomフィードやWebサブなどを組み合わせたものでした。
これによってですね、マストドンはリリース直後から既に存在していた他のサーバー群と即座に接続できるというような形になっていました。
新規SNSが陥りがちなカソってで誰もいないというような問題を回避しつつ、既存の分散Web愛好家を取り込めたというものはこの技術選定のおかげというものがありました。
そして2016年の10月にマストドンの最初のリリースが行われました。
日本におけるMastodonの普及
そういった形でリリースされたマストドンですが、それからも進化を続けていきます。そして日本において爆発的な普及期というものが訪れます。
2017年の4月にですね、日本でとんでもないブームが巻き起こりました。
きっかけは当時のツイッターにおける規制強化です。プラットフォームの健全化のために、特に日本のアニメや漫画文化における肌の露出が多いキャラクターなどの描写が欧米基準のガイドラインに提出し、アカウント凍結されるというような事例が相次ぎました。
表現の自由とアカウントの安全性を求める日本のクリエイターやオタク層にとって、誰でもサーバーを建てられ独自のルールで運営できるマストドンというのは、まさに理想的な避難所に見えたというようなわけです。
この需要に応える形で日本国内に2つの巨大なサーバー、いわゆるインスタンスが誕生しました。
1つ目はマストドン.jpです。これは当時大学院生だったヌルカルさんによって個人運営されているサーバーです。
個人のアパートに設置されたサーバーに数万人が同時接続するというとんでもない事態になりました。
一滴は世界最大のユーザー数を記録したものの、この規模を個人で捌くというような状況は、分散型SNSの可能性と同時に、個人運営の危うさというものを象徴するような出来事でもありました。
2つ目がPAWです。こちらは日本最大のイラストコミュニケーションサービスであるPIXIVが設立した企業運営サーバーになります。
創作活動に特化していて、Twitterでは規制されがちなイラストも共用するような方針を打ち出したことで、クリエイターの安住の地となりました。
実は、この日本のユーザー対応流入というものは、開発に大きく貢献することになります。
数万人規模が集中したマストドン.jpやPAWの運用データは、バックエンドのサイドキックやポストグレーSQLに対して過酷なテストになりました。
日本の開発者からは日本語検索対応やパフォーマンス改善のプルリクエストが多数送られて、
結果的にマストドンはシステムとしてより堅牢になったというような形です。
技術的な課題と解決策
しかし一方で、この急激な拡大は深刻な問題も引き起こしてしまいました。
まず起きたのがドメインブロックの問題です。
特にPAWなどで投稿されるイラストは、欧米のサーバー管理者からすると法的なリスクがあるとして、
サーバー単位、ドメイン単位で遮断されるというような事態が発生しました。
これは検閲のないネットワークという理想が異なる文化や法律を持つコミュニティ間でどう調整されるべきかという
非常に重い課題をつけられた最初の事例となりました。
また技術的な限界も露呈しました。
当時のオーステータスプロトコルには公開範囲設定の使用が曖昧でした。
PAW側でフォロワー限定として投稿したとしても、それを受信した他のサーバー側で属性を正しく判断できずに
公開タイムラインに表示されてしまうというようなリスクがありました。
そしてこれらの課題を根本から解決するために行われたのがプロトコルの移行です。
2017年後半、開発チームはW3Cで策定が進められていたアクティビティパブへの移行を決断します。
2017年9月のリリースのマストドンVer1.6でアクティビティパブを完全実装し、
翌年の1月のW3C勧告よりも前の出来事となっていますので、
マストドンの実装というものがこのW3Cの標準化プロセスそのものを牽引するというような形になりました。
これによってフォロワー限定投稿やDMの制御を厳密に行えるようになったことで、
その後、2019年の10月のVer3.0で古いOOステータスのサポートというものは完全に削除されることになりました。
ちなみにですね、現在のPAWはPixivの手を離れて数回の譲渡を経た上で、
ザ・ソーシャルコープリミテッドという企業によって運営されています。
実はこの会社はマストドン.JPも運営しているような会社でありまして、
かつて日本で1位と2位を争ったサーバーが今は同じ事業者によって運営されているというものは、
なかなか感慨深いかなというようなことですね。
そしてまたですね、同時期にミスキーというような別の分散型SNSも開発されていました。
こちらは日本初のOSSで有力な移行先の一つでしたが、
ミスキーについてはまた別の回でミスキーの歴史としてじっくり紹介していけたらなと思っております。
さて時は流れて2022年、マストドンに再び激震が走ります。
2022年10月、イーロンマスクによるツイッター買収です。
マストドンの急激な成長
この影響でマストドンのユーザー規模は爆発的に増加しました。
2022年の10月から12月にかけて月間アクティブユーザー数が30万人からピーク時には250万人まで急増しました。
1時間あたり数千人が押し寄せてサーバーの処理能力が限界に達したところで新規登録を一時停止するみたいな事態にもなりました。
この急激な流入はコミュニティ内で文化的な衝突というものも生み出しました。
マストドンの既存コミュニティでは政治やネガティブな話題に関してはコンテンツワーニングというような設定をするのがエチケットでした。
しかしツイッターから来た新規ユーザーは公共的に重要な情報は隠すべきではないというような主張をし、
この慣習に従わなかったり、ツイッターのことを直接書かずにバードサイトというような因語で呼んでいたりする文化に対して戸惑いがありました。
結果的にはマストドンは排他的で閉鎖的な場所というような形で移ってしまうということもありました。
2023年に入るとブームは落ち着きましたが、それでもユーザー数は以前の数倍に拡大しました。
主要な報道機関が公式アカウントを持つなど、純公共的なインフラとしての地位をこの時点で確立するということになりました。
そして規模が大きくなれば運営体制も変わってきます。
もともとマストドンはロチコさんの個人事業でペイテルエオンなどの寄付で成り立っていました。
2021年には公共性を担保するためにドイツで公益有限責任会社を設立しましたが、
2024年にはドイツの政務当局から公益ステータスを剥奪されてしまいます。
これはソフトウェア開発が必ずしも税制優遇の対象にならないというドイツの制度上の理由でした。
そこで最大の寄付元である米国の資金調達を月にするために、2024年の4月には米国で非営利法人を設立します。
このタイミングでスタックオーバーフローの創業者やモジュラファンデーションなどから寄付を受け取りました。
さらに、2025年の11月には開発者のロチコさんは法人のCEOを担任し、アドバイザーへ取り付くことを発表しました。
理由としては、10年間のプレッシャーによるバーンアウトと、そしてファウンダーのエゴがコミュニティを破壊するリスクを避けるためというような理由です。
マストドンを個人の手から切り離し、永続させるための決断となっていました。
結果的に、組織はベルギーに新設される国際非営利協会が全体の統括や商標資産の管理を行い、
ドイツの会社が開発を、米国の非営利法人が資金調達を担うというような3つの組織に分割されて現在でも運営がされています。
これによってマストドンは、主体的なエンジニアのプロジェクトから精度化された国際的なオープンソースプロジェクトへと完全に移行がされました。
マストドンの未来と哲学
最後に現在と未来についてです。
マストドンは当初、ツイッターにある引用リツイート機能をサポートしていませんでしたが、
これはこの理由としては、相手を晒し上げる行為を助長するというような懸念から、あえて実装しないというような宣言をしていました。
しかしですね、マストドンバージョン4.5でついに引用投稿機能が導入されました。
ただしですね、そこにはマストドンらしい手続があります。
晒し上げの懸念を払拭するために、この機能をオプトインオプトアウトで細かく制御できるようにしました。
誰でも引用OKだったり、フォロワーのみOKだったり、引用不可だったりといったような具合ですね。
これはですね、ブルースカイやスレッドなどといった競合の対等で情報の拡散性が求められる現実と、
あくまでユーザーの同意を最優先するマストドの哲学を反映させた苦渋の、しかし賢明な説中案といえます。
そして10年の時を経て、マストドンは単なるツイッターの代替ツールではなく、
ユーザーが主権を持つ民主的なインターネットの実証成功例として定着しました。
AGPL Ver.3による商業的作詞への対抗、引用投稿における同意モデル、そして創業者自身の権限以上、
これらすべて効率性や成長よりも人間性や自立性を優先するという、
マストドンの一貫した哲学を体現していると言えるんじゃないかなと思っています。
さていかがだったでしょうか。大学院生だったロチ子さんの個人プロジェクトとして始まり、
ツイッターの激動の影響を受けて爆発的に成長したマストドン。
現在では創始者の手から離れて国際的なオープンソースプロジェクトとして、
より持続可能な形で運営が続けられています。
エンジニアとしても一人のユーザーとしても、
この自立したインターネットの行方を今後も見回っていきたいなと考えています。
さて、今回のお話は以上となります。
もし少しでも今回のお話がためになったなと思ったら、お聞きのプラットフォームでの高評価のほうをお願いします。
また、XなどでハッシュタグOSSの歴史ラジオをつけて感想をつぶやいてもらえると、
私のモチベーションになりますので、ぜひよろしくお願いします。
次回はWebサーバーを自分で保守したことがある人は絶対にお世話になっている
Apache HTTPサーバーの歴史について見ていけたらなと思っております。
それではまた次回お会いしましょう。バイバイ。
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