逆に東京生まれ東京育ちの人たちが、方言なくてちょっと寂しいなんていう人もたまにいたりするじゃないですか。
あれ何なんすかね、お盆とか正月に帰省する実家がなくて寂しいみたいなさ、田舎に実家がある人がちょっと羨ましいみたいなこと言う人たまにいますよね。
田舎出身の自分からしたら、それ数日田舎の雰囲気味わいたいだけではみたいなね。
それ、シンプルに旅行でいいんじゃないのとかって思ったりもするんですけど。
もうほんと田舎の人ならわかると思うんですけど、地元がね。
帰省で正月とか帰ったらもういろいろ大変じゃないですか。
もう親戚何人いると思ってんのも、いろいろ大変なんだからね、ほんとにね。
僕も愛知県の終わりエリアの出身なんで、もともといわゆる名古屋弁だったんですね。
大学で上京したのをきっかけにね、今ではもうほとんど名古屋弁話さないっていうか、
何だったらもう話せないくらいになっちゃってるんですよ。
親と電話で話してても、多分ほぼ出ないですよね。
親はね、当然まだ名古屋弁コテコテなんですけど。
1週間ぐらい長めに帰省すると、後半のほうでイントネーションとかが戻ってくるぐらいの感覚ですかね。
でもね、また仕事で東京戻るとすぐ標準語戻るっていうね。
大学で上京して、まだ若いじゃないですか、当時。
だから方言とかいじられるとちょっと嫌ですよね。
これ上京組あるあるだと思うんですけど、
あのまあ、なまってるぞとかね。
あの、なまるっていう言い方がね、もうなんか嫌ですよね。
お前、なまってるぞって言われるの、なんかすごい嫌だったなあ。
あら、素敵なイントネーションでございますわね。
くらいな感じで言って、それもまあちょっと嫌味っぽいか。
ちょっと難しいんですけどね、なまりとか方言とかいじられるの嫌でしたね。
あの、めっちゃ覚えてるのが、なんか長い階段か何かを登ってて、
途中で僕が、ああ、もうめっちゃ偉いわって言ったら、
ん?何が偉いの?って聞き返されて、え?ってなったんですね。
で、向こうもん?ってなって、
あ、疲れるとか大変なこと偉いって言うじゃんって思ったんですけど、
そうか、これ方言なんだってその時気づくっていうね。
なんでこうだんだんと直したんですけど、
直したっていうよりか、
自然と周りの人とかが使う言葉にアジャストされてったみたいな感じですかね。
そうやってね、標準語になって、まあはや40年、
方言をだんだんと忘れたエセ都会人となってしまうのであった。
まだね、愛知の地元にいた子供の頃に衝撃的な体験をしたことがあって、
僕がまだ小学1年生ぐらいかな、
ほんと小さい時期に母親のとあるところに連れて行かれたんですね。
今からしばらく会ってないとあるおじいちゃんのとこに挨拶行くから、
あんたもついておいでって言われて、
かなり遠い親戚らしいんですけど、
もう全然会えてないから元気にしてるだけでも見に行きたいなって言ってて、
で、車で30分ぐらいかけてそのおじいちゃんに会いに行ったんですよ。
まあ僕は子供なんでね、最初軽く挨拶した後は、
ずっと母親の後ろにいて、その2人の会話を聞いてたんですよ、後ろでね。
そしたらね、びっくりなんですけど、
そのおじいちゃんが話してる言葉が一ミリもわかんないんですよ。
もうね、何言ってるか全然わかんないの、僕。
おじいちゃんは比較的はっきりとは喋ってるんですけど、
だからボケて話してるとかじゃはないんですよね。
もう完全に言葉自体が何喋ってるかわかんないんですよ。
遠く離れた地方に行ったわけじゃなくて、
同じ愛知の2つ隣くらいの町なんですよ、住んでるとこは。
でもほんとこの人は宇宙人なのかなくらいの衝撃を受けて、
でも目の前の母親は普通に会話してるんですよ。
で、その後帰りの車で聞いたんですよ、母親にね。
あのおじいちゃんの言葉全然わかんなかった。
もう何て言ってたの?って聞いたんですよね。
そしたら母親が、私も半分ぐらいわかんなかったって。
お母ちゃんもわかんなかったんかいって。
普通に話してたじゃんって思ったんですけど、
あのね、もうほとんど雰囲気で話してたって言って。
でもまあ元気そうなのがわかってよかったなって言って。
まあね、もともとはそれを確認しに行ったわけだから、
まあいいかって思ったんですけど。
当時のね、母親も結構コテコテの名古屋弁だったんですけど、
そんな母親ですら半分もわかんないくらいの鉛だったんだって。
で、それが名古屋弁じゃなくて、千田弁らしいんですよ。
千田半島の千田。
本当に昔からある、まあ一地域の方言らしいの。
名古屋弁ともまたちょっと違う感じなのかな。
現在ではね、調べたら広い意味での名古屋弁に含まれるみたいな扱いらしいんですけど、
その母親がね、あそこまで生まれてるゴリッゴリの千田弁を話してる人は、
もうほとんどいないんじゃないかって、当時ですら言ってたんですね。
もうそれくらい、もう昔ですらすでに亡くなりかけてる、
まあちょっと言葉あれかもしれないけど、もう滅びかけてる方言だったんですよ。
そんな特定地域の小さい方言なんて、
今まで日本各地にめちゃくちゃあったんだろうね。
今や話せる人がいない方言だって、すでに日本の歴史上、もうそれこそいっぱいあったんだろうね。
ちょっとね、調べてみたら千田弁はまだあるっぽいんですよね。
でも多分現在はもうそのおじいちゃんみたいにゴリゴリに話せる人なんてほぼいなくて、
多少話せてたとしても、名古屋弁とほとんど混ざり合っちゃうっていうか、
さらにそれすらも、今の子供の間ではかなり標準語に置き換えられちゃってて、
まあね、そうやって千田の昔の記憶は失われていくんだなあってね。
あの時のおじいちゃんの言いたかったことも、こうやって失われていくんだなあって、
なんかね、
とっても寂しい気持ちになったんですよね。
たまにYouTubeとかで、津軽弁とか沖縄弁とかの動画を見ることあるんですけど、
もうねこれ、ほんと正直ね、他県の人間からするとほとんど何言ってるかわかんないんですよね、もう。
おばあちゃんとかね、めっちゃかわいい感じで話してるんだけど、ただ何を言ってるかわからないっていうね。
あれね、なんか見てるとすごい不思議な感覚に陥るんだよね。
今はさあ、飛行機で世界中どこにでもすぐ行けちゃう時代になってると思うんですけど、
こんなに近い日本国内でも、
もう何千年もかけて築き上げられてきた文化は、地方によって全然違うってことだよね。
もうそれぐらい独自なものが、それぞれのエリアに日本ですらあると思うんですよね。
もうこれね、考えてみれば当たり前のことなんですけど、
あのね、僕もちょっとインターネットに日々どっぷり使っちゃって、世界中のいろんな情報を
浴びてる身からすると、
日本の地方の方がむしろ異世界感があるっていうか、
パラレルワールドに来たような錯覚だったりしませんか?
例えば、日本語にはあるけど英語にはない言葉とかあるじゃないですか。
わかりやすいもので言うともったいないとかね、
英語にいなくて翻訳困るとかね、よく聞きますよね。
それ多分方言でもありますよね。
この前聞いたのが、
東北の方で、イズイっていう方言。
皆さん聞いたことありますかね?
目にゴミが入ってイズイとかっていう使い方をするらしいんですけど、
ムズムズするとか居心地が悪いみたいな意味らしいんですね。
正確に言うと微妙にそれとも違うらしいんですけど、
それにぴったり合う言葉が標準語にはなくて、
なんかこの感情とか状況を表したい時に不便なんだよねっていうことを、
まあ僕が最近教えるとあるVTuberの人が言ってたんですよ。
元の方言をそれを標準語に置き換えた時に、
完全に100%同じ意味ではないっていうね。
さっきのあのもったいないの例とかで言うと、
英語圏にその言葉がないのって、もったいないっていう価値観とか感情が、
そもそも存在しないからじゃないですか。
英語にはない日本独自の価値観とか文化ってことですよね、これ。
でも、もしもったいないっていう言葉が地球上から消えたら、
もったいないっていう価値観を伝える手段がなくなって、
いずれその価値観や生き方自体もなくなっていくと思いませんか?
方言がなくなるのって、文化や価値観や生き方がなくなっていくってことと同義なんですよね。
今、日本語とか英語とかの国の言葉の例で話をしたんですけど、
これが日本国内の方言レベルに話になると、もっとたくさんあるはずなんですよね。
あのー、北海道とか青森あたりで使われている、
ゴンボホルって言葉ご存知ですか?
意地を張るとか、ダダをこねるとかっていう意味で、
ゴボウホルっていうのがね、もともとの語源らしいんですね。
そこにね、ダダをこねるっていう意味で使われてたりはするらしいんですけど、
単純にそのダダをこねるっていう状況だけではなくて、
そこには少し可愛らしいなぁとか、
愛着みたいなニュアンスもあるらしいんですよ。
そこにはたぶんゴボウホルっていう風土に根差したもともとちょっとコミカルなイメージとか、
そういうものとか、いろんな前後の文脈も込められてると思うんですよね。
標準語で、もう本当にダダばっかこねてっていうのと、
方言で、ホントゴンボホリだなぁっていうのを、
あのごめんなさい、ちょっとイントネーションが適当で今言ってるんですけど、
標準語と方言のその2つを比べたときに、イメージたぶんちょっと違うと思うんですよね。
でも、その言葉がなくなって、
ダダばっかりこねてっていう標準語に統一されちゃったら、
今まであったその土着の意味とかが表現されづらくなってくるじゃないですか。
これね、なんかちょっと他の例で僕思ったのが、
レコードとCDだと、音の記憶量が全然違うみたいな話あるじゃないですか。
耳にははっきり聞こえてないけど、音の記録できてる情報量が全然違うみたいなね。
だから、一旦その言葉がもし地球上からなくなっちゃったら、
仮にその後、文献とかで言葉自体が再発見できたとしても、
だから最初はもう意味不明な状況なんですね。これもう何が原因なんだって。
で、そんなやばい生物兵器をスカルフェイスがばらまいてるんですけど、
まずみんな思いますよね。君なんでそんなことしてんの?ってね。
昔ね、スカルフェイス少年はハンガリーあたりで家族と平和に暮らしてたんですよ。子供の頃に。
でもね、ある時に村が突然他の国に侵略されたんですね。
突然故郷を焼かれて、家族も目の前で焼かれて、
自分は顔面を焼かれたんですよ。
で、その後その村は支配されて、使う言葉も敵国のものに強制で変更されて、
自分がもともと使ってた母国語さえ奪われちゃうんですね。
で、支配者がその後変わるたんびに話す言葉を変えられて、
そのたびに自分のアイデンティティを強制的に上書きされるような苦痛を
何度も何度も思春期に送ってきたんですよ、スカルフェイスは。
そんな経験をしてるから、
自らの言語を押し付けて他人を支配するものっていうものに対して、
もうめちゃくちゃ強い
憎しみと報復心を抱いてるんですよ。
それはね結構凄まじい話なんですけど、
ちょっと想像すると、自らの言語を押し付けて他人を支配するものって、
別の形で今のSNSに居そうですよね。
怖いですね。
まあ、そんな話はまた今度にしましょうか。
で、結局世界の覇権言語である英語を話すように、いずれ強制されることになるんですよ。
英語が世界を支配するとき、
多様だった民族のあり方も均一されてやがて消滅する。
それにめちゃめちゃ復讐したいっていうスカルフェイスは、だからこそ
英語を話す者だけを殺す虫っていう恐ろしい生物兵器を生み出して、
英語をこの世から滅ぼして、それによって以前の
多様な民族が存在する世界に戻すことを渇望してたんですね。
まあ彼なりのやり方ではありますけど、
彼の言葉を借りるなら世界を解放しようとしてたんですよ。
っていうね、メタルギアソリッド5の
この母語、母国語こそがアイデンティティであり、思考そのものなんだっていうのが背景にあるんですね。
このゲームのね、初っ端の言葉がすごいんですよ。ちょっとこれ聞いて。
人は国に住むのではない、国語に住むのだ。国語こそが我々の祖国だ。
これはルーマニアの思想家エミール・シオランの言葉らしいんですけど、