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#041 うたであえたら〜O沢ゐずみの陰謀論〜
2026-09-06 56:58

#041 うたであえたら〜O沢ゐずみの陰謀論〜

~)映画ちいかわの話

~)『うたであえたら』第三部の解釈/制作者の逃げ道/『ファミリーヒストリー』の危うさ/意味のある生(死)という刷り込み/勝手に意味を付与するな/表現活動とプロパガンダ/O沢ゐずみは真実に気づいた

 

『うたであえたら』第三部のセットリスト

https://www.nhk.jp/g/ts/4QYYY55VW3/blog/bl/p2mvkO6MQz/bp/pdMwR9b9qK/

  • 今宵の月のように 宮本浩次 × 二宮和也
  • 男の子女の子 郷ひろみ
  • はいからさんが通る 南野陽子
  • 絶対アイドル辞めないで =LOVE
  • メメント・モリ 大森元貴
  • アオノオト M!LK × 武南高校ダンス部
  • いのちの理由 さだまさし
  • FOREVER LUNA SEA
  • 想望/邂逅 福山雅治
  • 愛の花 あいみょん
  • Remember me くるり

※ 音声中、昭和天皇を明治天皇の子と言っていますが正しくは孫です。

感想

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00:02
こんにちは。 こんばんは。
O沢イズミの雑談放送第41回、O沢イズミとは、
原作担当のO沢イズミです。
作画担当のO沢イズミです。
2人で同人漫画を描いているO沢イズミです。
今回は、
あのー、別にハマってるとかじゃないんですけど、
ハマってるとかじゃないんですけど?
なんか、チーカワのことを最近よく考えています。
それ、ハマっているわけじゃないの?
ハマってるわけじゃないです。
チーカワ見ましたね。映画のね。
うん。
原作は、なんか人から借りて1巻だけ見た?
うん。
そして、アニメは全然見てなくて、
突然映画に行ったって言いましたね。
なんか、ハチワレとかそういうやつがいるらしいみたいなぐらいの、
ふわっとした知識で映画を見て、
見た直後は、よくわかんなかったねっていう感じだったんだけど、
その後ちょいちょいチーカワのことを話したりとか、
考えたり?
考えたり。
そして、今はアニメのチーカワを毎日見ています。
なんか、原作アニメもそんなに見てないし、
私は最初の印象としては、
原作とか知っててチーカワが可愛くて好きっていう人が見たら、
楽しいのかなみたいな冷めた感想な気がしましたね。
やっぱり全体のトーンとして、
可愛いっていうことがまずあるんだし、
その漫画もシュールな美味しいものを食べてニコみたいな感じじゃん。
それの面白さがよくわからないまま見ると、
このシーンは何なんだろうみたいな。
これ面白いシーンなのかわからないみたいな感じになってた。
ただそのトーンの上に結構映画は普遍的なテーマが乗っかっていて、
正義とか友情とか考えることが多い映画だった。
まあ普遍的だからこそだよね。
だからなんかいろんな宣伝のための盛り上げ方として深いみたいなことを言われてるけど、
すごい新しいとか独自性があるとかっていうわけじゃなくて、
基礎になってるストーリーとしてはよくあるっていうか普遍的というか、
一番中心にあるストーリーとしてはゾンビものとか吸血鬼ものとかのやり取りだよね。
永遠の命をめぐる葛藤みたいな。
その永遠の命を得ることや与えることは、
自分や相手にとって幸福なのか暴力なのかみたいな。
ようあってちょっと経ってから、
そうだそうだこれポーの一族のやつだみたいになったかなって。
永遠の命っていう概念が出てくるってことはさ、
この世界にはあまねく者が死ぬっていうことでしょ。
千奈川たちも含めてさ。
だからその大きなテーマとしてはさ、
03:02
永遠がない。
そうだね。
永遠に続くものはない。
千奈川たちの友情とか、
彼らの命とかも含めて。
そしてエンディングの机さするもさ、
その友情がちょっとずれ始めて、
そしてその将来にわたって千奈川と八割が一緒にいられるかどうかわからないっていうさ、
そういう余韻のある終わり方だったからさ、
そういう儚い余韻の切なさみたいなものが大きいテーマなのかなと思いました。
あの二人が、
あの二人ね。
千奈川と八割じゃない。
永遠を手に入れたように見える、
良くも悪くも永遠を手に入れたように見えるけども、
二人の関係もね、
愛というものすら永遠ではないので、
それが君の話を聞いて、
靴ずれとかも何かと何かが、靴と足が擦れて痛いみたいな歌で、
そういう関係が永遠に良い状態ではないっていうことを示唆させる曲っていうかね。
それがその二人だけじゃなくて、千奈川と八割もそうだし、
見てる我々もそうだよねっていう。
最近千奈川の映画の話とかツイッターとかでもよく流れてくるし、
思ってたのは青蓮っていう存在をどう解釈するかによっても話は変わってくるかなっていう気がしてて、
それは特に千奈川が最後に、
あの二人に何も言わずに島を去るっていうことと関わってくると思うけど、
最初の私の見方としては、
やっぱり一応何か言葉を操ってて会話ができそうで、
だからなんとなくまだ相互理解が得られていない他者、
モンスターペアレンスみたいな言い方をする時のモンスターみたいな感じで見てたから、
まあそういう他者であるモンスター的な存在と、
自分たち、島の島民たちみたいなものと対立した時に、
人間の社会だったらそこに法律っていうものがあったり、裁判っていうものがあったりして、
その互いの利害とか損害とか、
やってしまった犯罪みたいなことに対して調停する役割の人がいて、
社会が成り立ってるんだけど、千奈川の社会では法もないし、
その調停する人がいないし、千奈川は調停者ではないし、八割もそうじゃないし、
みんなそれをやらないからこうなってるみたいな気もしてたけど、
06:03
でもなんか最近他者っていうよりはそういう会話がもうできない神みたいなものとして見ると、
どうなんのかなみたいな気もしてて、
でも実際セイレーンと千奈川たちの関係を考えると圧倒的に力の差があって、
なんかどうにもできない存在みたいに思うと、神社とかお墓とか階段とかでもあるけど、
そういうものを破壊したり、何か神を怒らせるようなことをしたときに、
そのたたりみたいな形で人間が報いを受けるっていう信仰というか思想みたいなものがあるじゃん。
そのセイレーンが歌で作物を育ててるみたいなところも、神はそういうものだよね。
だから祈りを捧げたり、お供えをしたりして、自然の恵みを享受しつつ、
でもそれが暴れ出したり、たたってきたりしないように沈めをやるっていうかさ、
そういうふうにして人間社会がずっとあったっていう信仰みたいなことを考えると、
セイレーンを神として考えたときには、神が一度怒って荒ぶってしまったときに、
それを沈めるっていうのは人間にとってはほぼ不可能で、災害とかもそうだけど、
抑えられないよね。だからそういうときにシャーマンみたいな人がいて、
神と人の間を取りもってまあまあってやってくれる人が人間社会にはいるけど、
やっぱり地下世界にはそれもいないので、あの二人はたたられたら終わりですよねってなって終わるみたいな、
そういうのもあるかなみたいに思えてきたっていう話。すいませんね、分かりづらくて。
私的にはやっぱりセイレーンは他者、神というよりも他者という気がする。
それはまあその島民とセイレーンのままならない関係と、
そして千居川たちと島民たちの微妙にずれた関係と、
そして八割と千居川の友情の関係とっていうのが変相されていて、
でセイレーンと島民たちの関係もかつては互経関係だったけど、だんだんと対立するようになってしまったし、
靴ずれがね。そうそうそうそう。千居川たちと島民たちも一時的にその表面的な交流はするけど、
やがて離れていくっていう関係だし。
千居川たちが島にもともといる人たちじゃなくて、外からやってきていずれ去っていく人だっていうことだよね。
そこの間にはどうしても踏み込めない領域っていうのがあって。
だってどうしたって当事者じゃないじゃん千居川たちはっていう。
っていう関係性から千居川と八割たちの関係っていうのを照らし出したときに、
09:06
やっぱりその儚くて、いつか離れてしまう。
いつか靴ずれが起きて離れていってしまう可能性がある脆い友情なんだっていうことが照らし出されるっていう。
でなんかさ千居川の映画の声優のインタビューがあってさ、
それで精霊園の声優やってる鈴木コノミのインタビューの中でさ、
精霊園最初敵だと思ってたけど、だんだん感情移入できる存在になってきたっていう話をしてて、
それで今回はいろんな経緯があって攻撃しなくちゃいけなくなっただけで、
同じ種族だったら友達になれるのではと思いましたということを言ってて、
これって裏返しで言うとさ、結局その違う者同士がこの世界にいる限りは争いは生まれるし、
それは避けようがないっていうことを逆説的に言ってるコメントかなと思って。
だからまあその他者同士が共存しなきゃいけないゆえに不可避で起きる屈ずれ、そういう話。
そう、やっぱりそれを調整するためには法律みたいなものがさ、必要だよね。
とかあるいはその話し合いっていうことだよね。互いに理解してどう収めますかっていう相互でのやり取りっていうのが絶対必要だよね。
まあ千奈川の世界では鎧さんとかがそういう統治する役割を果たしてるんですかね。
ね、まだアニメの途中なんでよくわかんないけど。
ポシェット売ったりしてるところしかまだ見てないけど。
そうだね、労働を支配したりとかね。
まあそんな感じで、映画を入り口に千奈川のことがだんだん気になってきています。
ハマってるわけじゃないけど。
そして我々はお盆休みがあったので、そこで実家に帰省したりとかして。
帰ってきてこれを撮っています。
そしてその盆休みはラップバトルに巻き込まれ、ずっとラップのことを考えて、インのことを考えまくり。
そして大沢泉は絵を描く用のタブレットを実家に忘れ、今絵を描けない状態になっています。
なんということだ。
念能力者で言ったら絶の状態ですね。
ちょっとわかんないですけど。
ラップバトルはあれですね、小学生の子供が親族にいて。
ハマっててね。
ラップバトルにハマってるんだよね。
勝手にトーナメントに巻き込まれて。
全国的に流行ってるのかどうか知らないけど、小学生、サンプル1ですけど。
そんなお盆休みでした。
お盆、祖実家回って、そして8月15日に家に帰ってきて。
12:05
そしてバスケを見て。
韓国戦。
そしてその間もずっとやってたっぽいんだけど、NHKで歌番組をずっとやってて、バスケ終わった後にチラッと見た。
歌で会えたらっていう歌番組、結構長い時間NHKでやってて。
3部構成だったらしいけど、我々が見たのは第3部だけ。
バスケ見てたしね。
司会が二宮君とミセス・グリーンアップルの歌ってる人と、
大森、北川圭子。
3人がやってたやつだね。
そのお話をしたい。
そんなに身構えずに見始めて。
なんかやってるなぐらいだよね。
見てる最中に、おや?って思ったところがあって。
それでNHKプラスでもう一回見返したりして。
やっぱりおや?ってなって。
第3部のセットリストを見たときに、あるメッセージがこのセットリストから発せられてるんじゃないかっていうことが仮説としてあります。
そのセットリストの中身の話をしたいんですけど。
見てない人も多いからね、きっと。
いろんなアーティストが入れ替わり立ち替わりやってきて歌うんだけど、
セットリストの中身大別して、お盆っていうこともあって、
死んでいく者の視点の曲と残される者の視点の曲っていうのに大きく分かれてて、
それを挟む形で最初と最後の曲があって、
最初と最後の曲に作り手のメッセージが現れてるんじゃないかと思います。
3部が始まったときに結構お盆だし、
お盆は亡くなった人が一時的に戻ってくるみたいなことを日本では言われてるわけで、
亡くなった家族とか大切な人のことを考えながら聴いてくださいみたいなことを司会の人も言うし、
基本的にまとまりのある文章を書くときには最初と最後に言いたいことを書いておくみたいなセオリーがあると考えると、
それはあるよね。
死んでいく者の視点の曲としていくつかあるんだけど、
司会の大森もときのソロの曲でメメントモリっていう曲があって、
絵本とのコラボみたいな感じの曲らしいんだけど、
死ぬっていうことにピンとこないけど、
生きてるうちに楽しい思い出を作って、そうすれば死ぬことも怖くないよみたいな。
結構私聞きながらゾッとしたけどね。
歌詞を読み上げると、生まれた意味に喜べるから最後は怖くない。
15:04
なんてことないのですかな。
そんな感じだったかもね。
そんな感じだったと思う。
あとは福山雅春が2曲歌っていて、
福山雅春の1曲目が壮望っていう曲。
思う、望むで壮望。
こういう熟語あるんですか、そもそも。
作ったんじゃない。
これは戦中にタイムスリップした福原春香が、
特攻で死んでいく若者と恋愛するみたいな映画の主題歌。
これがどういう曲かっていうと、
特攻で死んでいく若者の視点に立った曲。
この時代の荒波の中で避けることができないまま、
私は特攻に行きますみたいな曲。
結構露骨に、はっきりと帰らぬ旅に行かなきゃみたいな歌詞があったりする。
これも特攻で死んでいく者の視点の曲。
あとは、これもこの括りに入るのかなと思うけど、
貞政氏の命の理由。
これ、私が生まれてきた訳はこういうものですみたいなフレーズが繰り返される曲なんだけど、
私が生まれてきた訳はありますみたいな曲。
この世にやってきて人と出会って、そしていろいろあるけれどみたいな。
最後のフレーズで、私が生まれてきた訳は愛するあなたを守るためみたいなフレーズで締めくくられるんだよね。
こういう死んでいく者たちの曲っていうのがある一方で、
残される者視点の曲があって、福山正春の2曲目。
これが開口っていう曲で、これさっきの映画の続編の主題か。
なるほどね。
これは、死んでいった人が自分の思い出の中にいますよみたいな。
あなたがいます、私の中にっていうところで。
あとは、最近メンバーが亡くなったルナシーのForeverっていう曲があったりとか、
死んでいったあなたを永遠に愛しますみたいな曲。
で、あと愛明の愛の花。
これもちょっと分かりづらいけど、空が晴れたら愛を伝えてみたいな。
遠くにいる人に対して語りかけるような曲なのかな。
うん。
で、結構分かりづらいんだけど、そういう視点で見るとミルクの青の音っていう曲。
それ、めめんこもりと命の理由の間に挟むんだってちょっと思うけど。
これ基本的に今の青春を謳歌しようみたいな、そういう曲なんだけど、
私がキーフレーズだなと思ったのは、青空ハイタッチっていうフレーズですね。
で、これさっきの愛明の曲にも空が晴れたらっていうのがあるんだけど、
18:06
空に亡くなった人がいて、空に亡くなった人に語りかけるような曲として使われてるんじゃないかなっていう見立て。
空っていうフレーズとかがよく出てきてるっていうことだよね。
で、イコールラブの絶対アイドルやめないで。
これも関係してくる。
これも関係するんですね。
この歌詞をずっと見ていくと、絶対空で輝いてっていうフレーズが入ってる。
で、これも空で輝いててくれ、死んだ人みたいな。
というこのセットリストの多くが、死んでいくものと残されるものの曲で構成されてるっていうことが分かると思います。
で、これをまとめる最初と最後の曲がどういう曲かっていうと、最後の曲がくるりのRemember Meっていう曲。
くるりテレビに出るの珍しいな。
珍しいよね。
結論は最後に持ってくるものですから重要な曲ですよね。
Remember Meなので、亡くなった人たち、死んでいった人たちのことを忘れないでっていう。
番組におけるこの曲のメッセージはそういうことなのかなっていう。
で、だんだん分かってきたかもしれないけど、特にこの福山和治春の曲とかが露骨に表してると思うけど、
終戦記念日っていうことも踏まえて考えると、Remember Meって言ってる死んでいった人たちっていうのは、
戦争で。
戦死した人たち、いわゆる英霊って言われてる。
そのワードがすごい注意したほうがいいですよって思いますけどね。
で、1曲目の説明。
1曲目の説明。
1曲目が、今宵の月のように、エレファント霞の良い曲。
うん、ソロで出てた。
宮本博史と二宮君が。
二宮君歌ってた。
一緒に歌ってて。
これ、いつの日か輝くだろう、今宵の月のようにっていう。
で、さっき死んでいった者たちのいる場所として、空っていうキーワードがいろんな曲に散りばめられてるって言ったんだけど、
今宵の月っていうのが、
空にあるものだよね。
空にある、その死んでいった者たち。
で、今死んでいった者たちが、戦死した人たちっていう対応付けで語りを進めてるけど、
だとすると、いわゆる英霊のように、いつの日か我々も輝くだろうっていう、そういうメッセージに聞こえるな。
お前らも戦いに行って、いつの日か輝くだろう。
戦前に回帰したいっていう思いがあって、
それ、日本の復権みたいなことをメッセージとして走ってるように見えると。
21:00
なるほど。
で、こういう視点でセットリストを眺めてみると、
最初の方にアイドル特集みたいな感じで並んでいるゴーヒロミの男の子、女の子。
そして南の陽子のハイカラさんが通る。
これも何か価値観のすり込みに使われてるんじゃないかっていう気がしてくる。
ゴーヒロミの男の子、女の子は、君たち女の子、僕たち男の子っていう。
これって男の子と女の子の間にはっきりとした区別を設けて、それぞれに対してそれぞれの役割があるっていう、そういうメッセージに。
これも本当にゴーヒロミのデビューの曲だから、
本当に当時の社会的な理解みたいなことを考えると、
性別っていうのは男と女しかいないよねっていう社会だっただろうし、
そこに付与されている男の子と女の子のそれぞれのイメージっていうのも、
今見るとすごいステレオタイプで、女の子は笑顔で、
そして悲しいと泣いちゃって、男の子はそれに対して優しくてみたいな、
今はちょっと厳しいんじゃないですかってなるのをここに持ってきてるっていうことだよね。
ハイカラさんが撮るは、曲の内容はさておき、対象の。
衣装ね。
確かに、それで出てきたわ。
袴姿で出てきて。
これも戦前会議の記号として役に立っているのかなっていう。
袴も明治に生まれた。
ことほどさように、このセットリスト全体が戦前会議の武派的な思想に彩られているんじゃないかっていうのが、
私の仮説ですね。
恐ろしい。
もちろん言い逃れはできると思う。
考えすぎじゃないっていうのは正当な反論としてあると思いますが。
なんかそれがさ、お盆なんでっていうことでさ、
自分に近しい人たちが亡くなったこととさ、
戦争で死んでいた人たちを重ねるようにして、
そのセットリストが組んであるっていうのがあって。
お盆だからっていうことで、これはそういう意味じゃなくて、
お盆なので亡くなっていったご先祖様を思うための、そういうセットリストなんですよって言ったら言えちゃう。
ご先祖とか友人とか家族とか大切な人みたいな言い方を番組的にはしてたと思うけど。
だけどそれで言ったらお盆は4日間あるわけだけど、
24:00
その中で8月15日終戦記念日を選んでるっていうことを考えると。
8月15日のNHK総合でさ、戦争に関する話をやらずにさ、
歌番組をやるっていうのはさ、そこに絶対に思想があるよねって思う。
なんかその日にやる番組の中で絶対に、
ドキュメンタリーもそうだけど、絶対に意図っていうものがあって、
どういう人に出てもらって、どういう順番で歌ってもらって視聴者に聞かせるのかっていうのは、
すごい会議っていうか、戦略を持ってなされてるものがいるから。
途中途中にさ、リクエストをくださった方のメッセージみたいなのを挟んでくるのがさ、
すごいこう、そんなメッセージなんてないですよ。
リクエストに従ってこの曲が選ばれてるんですよみたいにしてる感じが汚いって。
実際リクエストした人はいるだろうけど。
このセットリストを決めた人はいるはずだからね。
リクエストを受け付けたことはそうだろうと思うけど。
その1部もあって、2部もあって、3部もあって、
どういうまとまりをそれぞれの1部、2部、3部で作るのかっていうこともそうだし、
どういう順番でお出しするのかっていうことは絶対、それをリクエストで帳消しにならんけど。
あと価値観の刷り込みって意味では、最後の曲のRemember Meは
ファミリーヒストリーっていう番組のテーマソングなんだよね。
NHKのね。
ファミリーヒストリーってのはどういう番組かっていうと、
誰か芸能人の一人に焦点を当てて、
その人の祖先を遡っていって、
それでなんでこの主役になってる芸能人の誰かが今ここにいるのかっていうことを
明かしていくっていう番組。
かけ図を追うみたいな番組だよね。
お父さん、お母さん、その上のお父さん、お母さん。
たどれるところまでたどるみたいな。
それぞれどういう仕事をしてたり、どういう人間だったのかっていうのを調べたり、インタビューしたりして、
本人との似たところがあるとか共通点があるとか、そういうことを。
これも生きる意味みたいなものを血統の中に位置づけるっていう。
そうなんですよね。
っていうふうに考えると結構危うさがある番組。
この番組も好きな人は好きなんでしょうと思うけど、
私はやっぱりドキュメンタリーでもこういう番組でも、
取り上げる人と取り上げない人がいて、
そのいい部分を取り上げて、
良くない部分はさらっと流したり取り上げなかったりして、
だから、
本当に物語を作ってその中に、
ヒストリーだからね。
取り上げられたその本人が本当に生きてて良かったと思えるようなストーリーを作るっていうのがこの番組だよね。
その歴史の中に自分を位置づけるみたいなことなんだろうけど、
27:02
でもその歴史がすごい勝手すぎる気がして、
私は結構およいって思うんだよね。この番組も。
なんか努力しましたよとか頑張りましたよみたいな、
そういうところは取り上げるけど、
例えばそういう人たちが頑張ったり何かした裏で苦しんだ人がいたり、
それが加害であったりした時とか、
その社会に対してどういう影響を与えたかみたいなことを考えるときに、
やっぱり良い面しか取り上げなかったりするっていうのが恣意的すぎるなと思って、
そこは自覚的に見たほうがいいとは思う。いつも。
でも自分がなんで生きてるかわかるっていうことはさ、
すごい感動するし、
命の理由とかで歌われてることもさ、
本当に自分がこのために生まれてきたんだっていうことがわかるっていうのは、
本当に感動的なことだよね。
だからそこに引きつけられるっていうのはすごいわかるっていうか。
それを利用した番組ですよ。
うーん、てか我々がさ、前に作った本もさ、
さくらぎ花道がさ、自分がバスケをやるために生まれてきたっていうことに気が付くっていうさ、
その尊さをさ、にフォーカスした漫画だったでしょ。
でもなんかそれがさ、個人的な物語であるときは良いのよ。
そういうバスケをするとか、芸人として活躍するとか、何かしらの職業でも趣味でもいいけど、
そういう個人的な何かがあって、そういうことだったらいいんだけど、
だけどやっぱりこうやって戦争みたいなものとかと位置づけられたときに、
なんかそれがその個人的なものじゃなくて、国家としてのストーリーっていうか、
全体主義的な話、大きい話の中に個人が埋没する形になると、
だからみんなその生きる利益を探してるからさ、それは容易に利用されるっていう。
それがだから国のためですよとか。
利用されて、例えばその天皇のために死んでいった個人が充実感を持って死んでいったかもしれないじゃん。
天皇のために私は意味のあることを行って、意味のある死に方を死んでいくんだっていう。
一部ではね。
で、その充実感は否定できないでしょ。
そういう教育をしたわけだからね。
その充実感は、その人にとってはもう充実感でしかないけど、
でもそれっていいのかなみたいな。
それは利用されてますよ、完全にって。
でもそれ偽物とは言えないじゃん。
30:00
そうね、その人の感じはね。
本当に生まれてきてよかったって思いながら天皇のために死んでいった人が多分いたでしょ。
めちゃくちゃ少ないとは思うけどね。
でもそういうのがあったから捕まるよりは自決しようみたいな考えになって、
たくさんの人が沖縄で亡くなったりしてるからね。
だけど、それは本当に国家とかいうもののために仕向けられたっていうか、作られたっていうか。
作られた部分もあるし、やっぱり個人が求めてるっていう部分もあるんじゃないかな。
だって、そういうのがなかったらさ、誰か他の人にさ、死んでくださいって言われてさ、
はい、死にますなんてさ、言うわけないからさ、
それを言わせるほどのパワーがそこにあるっていう。
だからさっきも言った通り、生きる理由をみんな探してるっていうこと。
だけどそれさえあればみたいなさ、そんな。
もちろん正義に反すると思うけど。
だからそこに回帰させようとしてるのではないですか、この第3部は。
だから、ぼやぼやしてると危ねえよってすごく思うっていうか。
だからさだまさしの曲とか、めめんともりを聴いた時に私は防御反応っていうか、うえってなるっていうことが起きてるんだけど。
めめんともりは天皇のための特効だから最後怖くないっすみたいな曲に見えるっていうね。
でその後にさだまさしが命の理由で、愛するあなたを守るために私は生まれてきて、そして死んでいくのですっていう。
だから全体でそのふんわりか直接的にか、人によって感覚は違うかもしれないけど伝わってくるメッセージとして、
一つ生きることに意味があるっていうのがその命の理由だよね。
で生きることに意味があるっていうことはさ、ひっくり返した時にさ、死ぬことにも意味があるっていうか、意味のある死っていうものがあるっていうことと表裏一体なんだよね。
だからこれは意味のある死だし、意味のあるせいなのだっていう曲とさ、だから死ぬことが怖くないみたいなことをセットで持ってくるのってめちゃくちゃ怖いし、
あとその残されたものの視点みたいな時にさ、死者あるいは愛する亡くなった人、そういう存在とは私の中にあなたがいますもそうだけど、
思い出の中にあるいは私の中にいるし、しかも私が死ねばあの世で死者や愛する人に会えるし、
あるいは私がその人のことを思うことでいつも死者はそばにいるのだって考え方があるじゃん。
33:05
それと重なってきてさ、死ぬことは怖くないとかさ、死んだ人ともすぐ会えるとか、それもますますさ、死ぬことは怖くないとかさっていうことに関わっちゃうし、
犠牲を良しとするってことだよね。
そうそう、意味のある死って、つまり国のために犠牲になるとか、何か大切なことを守るための死には意味があるし、それがかっこよくて尊いものなんだっていうふうに考えるっていうのは、
マジで右派の思想だし。
補足です。
訂正です。
こことか、この後でも右派っていうかなり適当な括りをしてしまったので、正しくは戦前回帰的な、全体主義的な、もしくは端的に言えばネトウヨ的なものをこの回では右派とかなり適当に括りにしておりますので訂正します。
結構右派イコール戦争を食わ立てる悪みたいな感じで語っちゃってる感じがしたけど。
そうではないですね。
まあでも、なんかふんわりと戦前に回帰したいみたいな、そういう派閥っているはいるでしょ。
でもそれと保守派はまた一線を隠しますということは。
そうだね、ちょっと改造度を荒くしゃべってしまいましたという。
自覚があったので訂正を入れましたっていう。
改格好付きの右派で、ネトウヨ的右派ということでお願いしたいですね。
やっぱり亡くなった人を英霊って呼ぶのも、犠牲になった尊いものだからだっていうこと?
あるいは高市首相とかが沖縄のだったか広島のだったかで、尊い犠牲人とかっていうワードを使うけど、それがもはやすごく右派的だし、
安国神社に参拝する人、あるいは安国神社の思想だと思うんだよね、まっすぐ。
戦争で亡くなった人たちを英雄にする、ヒーローにする、尊いものだったってするっていうのが。
だけど実際の戦争のことを知ったら、例えば特攻の映画とかっていうのはフィクションじゃないですか。
フィクションとか、安国神社に参拝するタイプの人たちがやってる戦争の振り返りっていうのはすごくフィクション的だと思うんですよね。
作り上げたものだし、綺麗なところしか見てないっていうか、学校の授業でもいいし、それ以外でもいいし、戦争のことを勉強したり知ったりすると、
それをやればやるほど、そうやって花々しくかっこよく尊く死んだ人なんて1割もいなくて、ほとんどの人は本当に無駄死にっていうか意味なく飢えてただ死んだ。
36:13
あるいは命令で死んだことになってるから死んでくださいみたいなことで死んだみたいな、そういうものが本当に大半だったのに、
それをなかったことにしてみんな大切なもののために亡くなったんですよみたいなものでコーティングするっていうのは本当にやってはいけないと私は思うんですけど、怖いですね。
最近思うのがさ、人が死ぬのが怖いのは実存が消滅するからでしょ。
今こうして存在して認識している私のこの世界そのものが消えてなくなるっていうことがさ、消滅することが怖くてさ。
それで、だからこそさ、だからこそっていうか、死が怖いからさ、何か子供を作ったりとか、あとは名声を得ようとしたりとか、そういうことをすると思うんだけど、
確かにその死んだ後もさ、その名声とかさ、その子孫とかさ、そういうものは残るんだけどさ、それで残るものっていうのはさ、単なる構造っていうかさ、人間のネットワークの中にこの人がいたっていうさ、意味わかる?
人間関係のネットワークの構造があって、ここにその人がいたっていう構造は保存されるけど、でもそれって多分混乱してて、死んで消えてなくなるのが本当に怖いのが実存なんだから、構造を残しても意味がないっていうか。
だからなんかファミリーヒストリーみたいなことで、繋がってるからいいんですよみたいなことじゃないっていうことでしょ?繋がってるっていうその構造が残ってるけど、でも実存は消えてるじゃん。
だから構造が残るっていうことは慰めにはなると思うけど、でも本当に死の虚無を解決することはできないっていう。本当はっていうか、死は本当に理不尽で無秩序で。
その理不尽で無秩序に死ぬじゃないですか、人は。なんかその生きてる意味とか、その死んだことの意味っていうのは、自分でそれを物語るっていうか、自分で納得する、自分で作ったものならいいんですけど。
あるいはその亡くなった誰かと生きてる自分がいて、その二者の関係の中で今生きている自分がその先に進むためにその人の死に意味をつけるとか、その人の生きてきたことに自分が物語を付与するっていうことは自分のためにやってることでもあって、その人が生きていくために自分の中で生理をつけるっていうやり方であれば本当に必要だしと思うんですけど。
39:09
なんか辛いことがあったりとか、例えばなんかいじめられたりとか、なんか不遇な目にあった過去があったりとかに折り合いをつけるためにこういう理由があって、今こういう自分になるためにああいう出来事があったんだみたいな。
そういう生理の仕方とか、何かを信じることで自分の精神を保てたり、その先に進めるっていうことはある。
そのために過去の出来事を意味付けるってことだよね。
そうそう。それは人間にとって本当に必要なことだと思うんだけど、でもそれとは別にその人が実際どう考えてたのかっていうことを無視して他者がフィクションのストーリーをつける。
特攻の人でもいいし、戦地で本当に無秩序に、本当に無意味に辛い中で亡くなった人とか、本当はその先にあったはずの物語を途中で断ち切られるようにして亡くなってしまった人にはどうでしたかっていうことを聞けないじゃん。
だからその本当にあった実論があったかもしれないのに、それを無視して国のためにとか私のためにとか未来の日本のためにみたいに大きな物語を、その人が受け取りたい気持ちいい物語のためにそれを付与されるっていうのは、それは良くないっていうか。
それとさっきの生きていくための物語とは違うじゃん。それとこれはっていう。だし、とか何か意味があるとかないとかっていうふうになると、こんな人生意味ないみたいになるのと近くてさ、そんな意味がなくたって生きてるんだから生きてていいに決まってるんだろうっていうのが私の気持ちとしてはあって。
あると思って生きられるならそれは本当にね、花道がバスケに出会ったように何かに出会ったり、これが楽しいみたいなことがあって、とか何か生き甲斐があるとか、それは本当にすごい良いことだけど、でもそんなものがなくたって生きてていいに決まってるんですよって。
だから、だから意味なく死ぬこともある、あります。何か言い方が難しいです。
しかし、特攻を行くためにさ、死に向かって特攻をするために、そんな自分を何とか奮い立たせるために、天皇のためにとか、国のためにとか、愛する人を守るためにとか、そういう物語をさ、持たされてるたり、持たざるを得なくさせられてるっていう、
それは本当に、なんていうか、卑劣なことだよね。思わなくてもいいことを思わされる。
42:06
そう、その特攻じゃなくても、じゃあ北に行ってください、南に行ってください、戦地に行ってくださいっていう紙が来てさ、その当時のその日本の人たちが、まあいろんなプロパガンダとかというものの影響で、っていうことはあるだろうけど、なんか中にはさ、やっぱり、いやこの戦争は負けるよって最初から思ってた人がいたじゃん。
私、俺が行ったところでって正直思う人もいたと思うんだよね。だけど実際行かなきゃいけないってなったらさ、これ今からマジで無意味だけど行くんかみたいな気持ちで行けるかっていうと、それでも意味があると思わないと軍に加われなかったっていう状況が悲惨なのであってっていう。
そう思わされたとか、そう思うしかなかったとか、それこそ特攻に行く人はそんなことではさ、精神がさ、もったないからさ、それが分かってて行く前に抗精神薬っていうか、麻薬的なものを飲まされてっていうか、飲んでちょっと肺になったり、その子悪な質状態になって行くっていうことがあった。
ってことを考えるとね。
でね、その上で彼らは国のために死んでいった英雄なんだみたいなことを国に利用される形で言われるんだとすると、それは本当に腹立たしいっていうか。
自分もさ、何のためにとかどういうことのためにみたいなことはさ、本当どうでもいいことのために生きてたりするので、おいしいもん食いてとかさ、絵を描きたいとか、漫画描きたいとか、スポーツでも何でもいいけど、なんかそういう目の前のこととか、多くの人にとっては意味がないようなことを楽しみとしたり意味としてその生きてる状態があって、その実論っていうものがあるのに、
その私が突然事故で死んだり、何かで死んだりした時に勝手に別の人からあいつは未来の何かのために死んだとか、子供がいる人だったら、なんか子供のために死んだんだとか、なんかそういうことを勝手に言われたらふざけるなって思うと思うから。
だからこういうふうに、その戦争で死んだ人たちのことを英雄とか素晴らしいとか尊い犠牲みたいなことにするのは本当にそういう人たち一人一人の実論を傷つけてると思うし、見ないことにするっていうか、よくないって思います。
そうだ、一個さ、こんなにめちゃくちゃ右じゃない?みたいなことを思いながら第三部を聞きつつ、福山雅春の開講の歌詞の中に、基本的にはあなたと私っていうその認証で歌詞が進むんだけど、一箇所だけ君っていう認証が出てきて、
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私はこの君はあなたじゃなくて国なんだと思って、そこは聞いて、ここだけが生き残った小さなサハって思いました。
君が要の君?
そう、君、言う君。
だから天皇ってこと?君が要の君は天皇だよな。
国とかそういう国家みたいなこと、この歌詞の前は愛は恐ろしい、愛だけでは生きていけないみたいなことを歌ってるんだけど、愛国心みたいなものとか、国を好きになりすぎること、国と同一化すること、それを言う時の君を好きになっちゃダメなんですっていう歌詞として
あなたじゃなくて君にしてるところに一応意味あるかなって思いました。
福山雅春自体は別に戦争賛美とかそういうつもりないし、むしろ反戦の気持ちでこの曲歌ってそうな雰囲気あるんだけど、でもなんか
でも利用される時には
もちろん福山雅春長崎の出身だしさ、戦争賛美する立場ではないと思うけど、だけどやっぱりそれが特攻映画みたいなものに使われた時にどうかっていうのはまた別の問題で
なんかこの間私、タンカの本を読んでて、うわーって思ったことがあって、なんかそれはね、戦争の歌を集めた本だったんだけど、なんかその中で明治天皇が日露戦争が戒戦した時に読んだ歌が載ってて
それがよもの海みなはらからと思うように、など波風の立ち騒ぐらむっていう歌なんですけど、これって普通に解釈すれば、よもの海っていうのが周りの地方の海だよね。
日本の周りの国あるいは世界の別の地域に来てる人、みなはらから兄弟、人類みな兄弟みたいな、なんかそういうことを言うようになった世の中で、なぜ波風が立ち騒ぐんだろうっていう、なんでみんな仲良くできるはずなのに戦争になってしまうのっていう歌として読めるのに
この後日露戦争が始まるし、しかもその太平洋戦争が始まる時に明治天皇の子供である昭和天皇がまたこの歌を午前会議の時に読んでたみたいで、そのままこれを読めばさ、戦争を賛美してるわけじゃないのに、だけどこの歌をその軍部がどういうふうに利用するかっていう時には、やっぱり大統和戦争って言ったように
みんな兄弟なんだから、波風なんか立てないで俺たちの言うことを聞けみたいに使われたっていう解釈ができるっていうか、だから平和のために戦争をよく思わないためにとか反省をもとにその歌を歌ったとしても、だけどこういうセットリストの中で歌わされた時にはどういう意味を持つんですかっていうことは一つあるかなみたいな気がするっていうかね
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だからこの歌を歌ってる各アーティストや個人がどう思ってるかっていうことと、このセットリストを組んだプロデューサーなりディレクターなり誰なのか分からないけど、あるいはNHKなのか分からないけど、そこは切り離せるのか離せないのかね。
だから利用されてるっていうふうにも見えるし、だけどそういうことにその表現する立場の人は結構自覚的にならないと怖くないみたいな、もちろんその短歌とか戦時中のいろんな人たちはその表現っていうものをするときに制限があったし、なんかそれこそプロパガンダとして使われたり使ったりしてきたから。
だけどプロパガンダってどういうものとかさ、そういうのもなかったらさ、何も考えないでああいい番組だったなって終わらせるには結構恐怖だなって思うね。
っていうかなんかちょっとここでさ、見えてるさ、すごく靖国神社っぽいっていうかウファ的なものをこんなふうに番組にできるほど今の状況はってちょっと思いますけどね。
うーん、まあそこは逃げ道があるから。
うーん、これはお盆で別にそういうことじゃないですよって言うね。
それは、
あなたの勝手な感想でしょみたいなこと?
無理、うん、全然考えすぎで、
陰謀論ですよ。
ずっぱねられるレベルの解釈だから。
大騒いずみの陰謀論。
だけどこれは真実です。
信じてください。
私たちにはこの番組の意図のすべてがわかりました。
恐ろしいよ。
なんかNHKがさ、戦争で作る特集番組とかさ、報道系の番組とかさ、いい内容っていうかさ、頑張ってるなって、なんていうか、
例えばこういう右派的な流れに対しての抵抗だったりとか、
政府の方向性に対してちょっと待ってよっていうタイプの番組とかドラマとかをやる一方で、こういうゴリゴリの右派みたいな、
ゴリゴリかどうかは。
ちょっと右派的なものとか、あれ?みたいな番組を時々やるのがね、
どっちかになると恐ろしいんで、両方あるのが正常なのかなと思う。
健全は健全なんじゃない?
片方だけになるっていうのは本当に、それはそれで全体主義で恐ろしいので、健全だとは思うけど、やっぱり両方あってくれと。
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片方だけには並んでくれと思いつつ。
映像の正規とかああいうものもある意味ではプロパガンダだからね。
どっちにしろ何かしらの考えがあって作られていることは間違いないからね。
それが殺し合いはやめようぜなのか、殺し合いも必要だなのか、どういうものなのかはね、みんな我々が考えなくちゃいけないと思います。
今私が読んでいるプロパガンダの本でも、プロパガンダ自体を否定したいわけじゃなくて、
大衆社会、情報社会の中でプロパガンダは自分何か主張を広めるときに不可避の手段を使わざるを得ないというか、利用すべき手段だから、
大事なのはプロパガンダをみんなが使えることだっていうこと。
一方だけじゃなくて。
みんながその手法を理解して、プロパガンダを発信する側も受け取る側も平等であるっていうことが、民主的な社会においては大事なんだっていう話をしてるんだよね。
そういう意味では、NHKの中にいろんなプロパガンダが共存して存在してるっていうことは、健全は健全なことなのかなっていう気がする。
ニュースでもこういうメッセージがあるのかないのか、ヤフヤに見える歌番組でも、報道番組でも、ドラマでも、朝ドラでも、何でもいいけど、
そこにはやっぱりそういうプロパガンダ的な手法とか、作り手の意図みたいなものが存在してるっていうことは留意点として。
Xとかもそうだよな。
プロパガンダの説明はしなくていいの?
プロパガンダの説明として、この場ですべきことがあるとしたら、プロパガンダに騙される馬鹿な個人がいるとかそういう話じゃなくて、
みんなそれぞれ自立した個人だという自覚を持ってるけど、その中でいろんな情報に触れる中で説得される。
自分で選び取ってある思想を選んだりある行動を起こしたりするっていう。
だから、よるべない愚かな個人がたくさんいて、そいつらが馬鹿だとかそういう話ではなくて、
それぞれがそれぞれに物を考えていて、それぞれ考えてる個人を説得するための様々な手法っていうのが世の中に存在する。
それがプロパガンダっていう話。
この番組もゆっくりと価値観を変えるための一つのプロパガンダとして機能してるんじゃないかっていうのが今回の話だったと思います。
それはこの番組を見てすぐに政治的な行動に移行するとかそういう種類のプロパガンダではなくて、ゆっくりと価値観を変えていく。
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そういう考えもあるかなみたいな見せ方をしつつ、それがこう頻度でお出しされた場合には、人は考えが変わるかもしれないものだよね。
良くない影響で、良くないっていうか、作り手の意図通りの方向に誘導されてしまう可能性がある。
プロパガンダとして作用するかもしれないっていう。
夏のお盆の時期は、いろいろ怖い話をしたり、肝試しとか階段とかそういうものが盛り上がる期間じゃん。
この8月15日の歌であえたら第3部の恐怖の方がめっちゃすごくない?結構恐怖だよ私にはと思った。
でも大丈夫。我々は真実に気づいたから。
陰謀論みたいに言う最後。
我々の喋ってる音声配信もほぼそういう陰謀論みたいなもんなんでね。
真実だよ。
陰謀論も語ってる人にとっては真実だからね。
分かってもらえたかどうか自信がないね。
言うべきことがあるとしたら大森もときの野心はやばいっていう。
ヒットチャートも制覇して。
ドラマに映画に役者に。
俳優もやり。
司会にも手を出して。
バラエティ番組もやり。
冠番組があり。
人出なしだと思ってるけど。
人出なしっていうか野心はすげーなと思ってるよマジで。
どこまで行く気なんだろうなって。
ハンター×ハンターの暗黒大陸編に14人の王子が出てくるんだけど。
その中のチェリードニヒっていう王子がいて。
それが大森もときだと思ってます。
私は読んでないから分かんないんだけど。
そういう野心家な人がいるの。
読んでる人は分かると思います。
偏見ですけど。
大森もときに関しては我々はずっと偏見を持ってきてるよ。
裏でやばいことやってるっていう。
怖いんだよねちょっと。
偏見ですけど。
何にも知らないけど。
会ったこともないし。
見たこともないけど。
では今日はお盆の怖い話。
お盆の怖い話をしました。
ここまでありがとうございました。
おやすみなさーい。
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