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大阪Bookラジオ
根本敬さんっているじゃないですか。漫画家のこう特殊なガロとかに連載してた、もうごちゃごちゃっとしたような絵を描く、根本敬さんの描いた、因果鉄道の旅っていうのが、最近読みまして、根本敬さんが学生の頃に同級生になった、西田君っていう、なんかとんでもない奴がいるなぁみたいな。
で、根本さんはその人にまず興味を持ったんです。それで、根本さんは面白い人が昔から好きだったんだけど、その西田っていう人は、いろんな人への興味が、その人との出会いが自分にとってビッグバンだったと。
で、その西田さんという人のしでかした出来事だったり、普段の行いだったり、いったいなんでこいつはこんなことをするんだみたいな話が中心になって、本で。で、その西田君っていう人がどんなことをするかっていうのは、ちょっとあんまり話すのもはばかれるようなひどいことをしてるんですよ。
で、本当かどうかはちょっとわからないけれど、例えば人間だったら思いやりだとか、そういうのが基本になって、あるじゃないですか、その人に迷惑をかけないとか、優しくするとか、そういうことがちょっともうおかしくなってるようなタイプの人で、西田君は。
それを根本さんは批判とかっていうよりもむしろ、もっとひどいことをやれみたいな、興味の持ち方が非なんではなくて、むしろこれはこれで人間のありのままの姿だよなみたいな。
世間一般の社会的な正常と異常のところがまず、その作者の根本さんはちょっとずれてるっていうか、ずれてるというか、もっと本当を見たいみたいな好奇心があるような感じはして。
で、その西田さんの、西田君の話の後にも何人も根本さんが今まで出会った面白い人、根本さんが興味を持った人の話が出てくるんです。
エビスヨシカズさんとか、佐川なんだっけあの人。事件を起こしちゃった人とか。すべての人に対して、本当なんか非なんとかではないから、むしろそれを書いてる面白がってる根本さんが一番なんかちょっとおかしいだろうみたいな最後まで読むと思えてくるという本で。
で、その後にちょっと気になったのが、そこの本の中に出てきた佐川なんだっけな。あの事件を起こした人いるじゃないですか。
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なんかあれですか。人の肉食べてる。
そうそうそうそう。佐川なんだっけあの人。
フランス人の女性。
そうそうそうそう。
だから根本さんがね、引っ越して、団地かなんか引っ越した時に、近所にこの佐川さんが住んでたらしいんですよ。
あの佐川さんと近所じゃないかみたいな。そこから友達になってなんか交流をしだすんです。
それで意外と佐川さんは西田君とかエビスさんよりは意外とまともだったみたいなことを書いてて、そこから私は佐川さんに興味を持って、
からじゅうろうが佐川君への手紙っていう本が一冊あって、それは本当に事件を起こした時にからじゅうろうが佐川君に興味を持って手紙を出したりするんです。やり取りを。
で実際にフランスまで行って、やり取りをして、それを映画化したいみたいな。でもそれも一種の根本さんと一緒で、からじゅうろう内に佐川さんに対して興味を持って、その事件を批判するではなく、何て言うんですか、面白がってるっていう興味の持ち方が。
しかもより根本さんよりもからじゅうろうは下心があるという。佐川さんを使って小説作品を書くとか、映画を書くとか、で文体も小説として発表するぐらいだから、上手い具合に佐川さんを素材に使ってるみたいな。
あなたはこうですよねとか、私はフランスに行って、こうでこうで、佐川さんに対して、からじゅうろうさんはお芝居の中で何かそういう逸脱した話とか書くけれど、実際の生活では真っ当な人じゃないですか、人を殺したりとかしないじゃないですか。
でもそういう本当に行動として人を殺したような、人を食べたような人に対して、自分はお芝居の中ではそういうことはしたりとかそういう場面は書くけれど、実際はまともなことをしていると。
で、佐川君に対して憧れというか、何か突破した人はここで会ってほしいみたいな、変な期待もしてるっていう。じゃあその根本さんの本を読んでからからじゅうろうさんの本を読んだら、やっぱ対比するじゃないですか、同じ好奇心が元になって。むしろからじゅうろうその本で芥川賞とか取ったんですけど、むしろ何か本当に純粋に白心に満ちているのはその根本さんの本に感じたんですよ。
でも根本さんの陰河鉄道の旅っていうのは、ただの変なとんでも本の一種みたいな扱いなんですよ。片谷からじゅうろうは芥川賞の純文学みたいな扱い。でも書かれてるからじゅうろうの姿勢とか、何かその眼差しみたいなのは、むしろ何かより下心満載みたいなものを私は印象を受けて、面白いなって思ったっていう。
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2つの対比で。
対比で。ちょうど2作連続で佐川さんつながりで読んだから思ったっていうことなんですね。
なんか批評になってましたね。
これまとめはちょっとまだうまくできないんですけど、何でも好奇心が元になると思うんですけど、それが不純なのか何なのかわかんないけど、本当の見せ方とか一つで文学作品になればとんでも本にもなるんだなと思って。
で、その外側の部分で判断してはいけないなと思って。
根本さんとかって扱いとしてはとんでもない人じゃないですか。で、原じゅうろうさんって言ったら文化人みたいな印象じゃないですか。
でもその違いっていうのはそこまでないんじゃないだろうかみたいな。
ないかどうかとかじゃなくてちょっと違う感じかもしれないですけどね。
そうですね。何やろう。根本さんが佐川さんを見るときにおそらくそれは例えの話に近いとはいえ、根本さんはいろんな行為をいいかどうかではなくて、例えばそれが表現だっていうふうに言葉にしてみて見てるような感じがしますよねと思うんですよ。
だからその本人の表現に興味があるんだと思うんです。
なので人を食べてしまうっていう行為が、他人から見たらおかしい行為ですけど、人を食べるっていう行為をしたいっていうのは表現したいことと同じで、そうせざるをえないとかなんかそういう表したいことの結果食べちゃうっていうふうに見えるんだろうなと思うんですよね。
だから根本さんは他のいろんな人にも表したいものに興味があるんだと思うんですよ。
出来事ではなくて。表したいことに興味があるから、すごい純粋に観察に近いかもしれないし煽るかもしれないけども、もっとその表現が見たいっていうような感じで問いかけをするんだと思うんですね。
そういうふうなものを漫画にするっていう感じに近しい気がします。聞いてると。
ただカラジオロはさっきのそのままですね。自分の素材のために対象物を見る。だから表現をしたいと思って見てないってことですよね。
行為をしちゃう人っていう感じで。だからこの人が表現したかったものは何かというよりは、自分の思う残忍な行為をしているがそこから美しいように見えるっていう自分の視点のままでその人を見てるって感じがします。
そういうふうに感じるので、描き方が違うんだろうなというふうには思いましたけど、どっちが整って見れるかって言ったら、自分が見たいままに見た姿のままで美しさをこの人はやってるはずなんだからって言ったら、カラジオロの方が整ったものになりますよね。
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人が受け取りやすい円溜めだったり、人が受け取りやすい表現物にはなるのはカラジオロの視点の方かなという感じはするなと思いました。
まとめてくださりました。
ダメな人は面白いですけど、その行為を見るとダメですけど、なんかそこに付随しているものは面白いなって美しいなって思うときもやっぱりあるとは思うんですよ。そんな感じです。
ご視聴ありがとうございました。次回をお楽しみに。