音声配信を始める理由と自己紹介
第1回、なぜ今さら音声配信を始めるか。 映画、ヴィンテージ、陶芸を全部やっている理由。
こんにちは、洋服を作っている雨宮崇です。 今日からスタイフを始めてみようと思います。
実は音声配信って前からちょっと気になっていたんですが、 自分がラジオみたいなことをやって、一体何を20分間も喋るんだっていうのがあって、なかなか始められませんでした。
でも改めて考えてみると、 僕は普段古い映画を見たり、ヴィンテージを集めたり、陶器を作ったり、現代美術を調べたり、茶道を習っていたりします。
こうやって並べてみるとかなりバラバラなんですよね。 この人結局何やってるんだって思われても仕方がないところもあって、
自分自身でも以前はそれぞれ別の趣味とか活動として考えていたところがありました。
でも最近これって実は全部つながってるんじゃないかって思うようになりました。 今日は第1回なので自己紹介も兼ねて、
なんで映画を見ている人間が古着を集めて、服を作って、さらに陶芸までやっちゃってるのか、そんな話をしてみようと思います。
映画からヴィンテージ、そして服作りへ
僕は服を作っていることもあって、これまでかなりの本数の映画を見てきました。 映画を見ていて面白いのってストーリーだけじゃないんですよね。
登場人物が着ている服だったり、部屋に置いてある家具だったり、空間建築、
街を走っている車、そして音楽、当時の人たちの喋り方や価値観もそうですが、
映画にはその時代の文化がものすごい密度で閉じ込められてますよね。 例えば1970年代の映画、タクシードライバーを見ているとロバート・デニールが着ているジャケットって何だろうって気になっちゃいました。
調べてみるとM65というミリタリーウェアだったりします。
そうすると今度はその服そのものが欲しくなってきます。 それで実物を見るために公園地のビンテージショップに行って手に入れました。
実際に洋服を触ってみると映画の中ではわからなかったサイズ感であったり、生地の質感だったり、
ステッチ、縫い方だったり、パターンだったり、 経年変化だったり、よく見えてきます。
そうやって僕の場合、映画を見ることがいつの間にか映画の外側、 リアルの世界まで広がっていきました。
だからといって僕にとってビンテージって単純に古着が好きというわけでもないんです。
もちろん服としてかっこいいものも好きですが、 それ以上にこれはある時代を実際に通過してきたものなんだというところに一番惹かれます。
50年前のジャケットなら本当に50年間この世界に存在してきたわけです。
誰かが買って、それを着て、どこかにしまって、それが巡り巡って自分のところに来る。
そう考えるとすごい面白いんですよね。
古い玩具なんかも同じです。
僕は昔のアメリカのものや日本製の玩具なんかも好きなんですけど、
見つけると大抵傷があったり、塗装が剥げてたり、箱がボロボロだったりします。
普通の現行の商品だったらマイナスですよね。売り物にならないですよね。
でもヴィンテージになるとその傷そのものが時間の証明に感じて、
新品では絶対作れないもの。
そういった魅力をそこに感じます。
ただここで一つ問題があって、
集めるだけだったらコレクターで終わりますよね。
もちろんそれも素晴らしいと思います。
でも僕の場合はだんだんこれを自分でも作ってみたいという衝動に駆られるようになりました。
服だったら買ってきたヴィンテージを実際に分析観察して、
このパターンは何だろうとか、なぜここにポケットが付いているんだろうとか、
なぜこの生地なんだろうとか、どんどん考えが巡っていきます。
そしてその服の構造を理解した上で自分の服に置き換えてみて、
実際に作っていたりします。
僕はこの工程がすごく好きです。
そして今は陶芸もやっています。
陶芸と現代美術、そして「記憶と継承」
ここでまたなんで服から陶芸なんだよって話なんですけど、
これも僕の中では実際に離れてはいないことなんです。
例えば昔の段ボールの箱とか、古い新聞とか、ファストフードのパッケージとか、
街角に貼られているチラシ、普通だったら捨てられてしまうようなものがありますよね。
僕はそういったものがすごく気になってしまって、
もしこれが陶器になっていたらどうなるんだろうとか考えてしまいます。
紙だったら数十年後にいなくなってしまうかもしれないし、段ボールなんてすぐ捨てられてしまいますよね。
でもそれを焼き物にしたら100年後も残っているかもしれないですよね。
可能性がそこで生まれますよね。
そう考えると陶芸って面白い、そう考えています。
昔の文化をそのまま保存するんじゃなくて、別の物質に変換して残す。
最近自分が陶芸をやり始めた、やりたいことの一つはそこかなと思っています。
そしてその過程で現代美術を調べてみると、
僕がやり始めたことに近いことをすでにやっていた作家さんがいました。
三島紀美代さんという方です。
三島さんは新聞や段ボールなどの大量消費されて捨てられていくものを
陶に置き換えることで、情報社会や消費社会を批評した作家とされています。
これを知ったときに、自分がやろうとしていることと手法としてはかなり近いなと思いました。
でもよく考えてみるとちょっと違うなとも思いました。
僕の場合は古い玩具やパッケージとか広告、服建築とか、
消えていく20世紀の記憶を拾って選んで調べて陶に置き換えてみたい。
手法は近くても三島さんが消費と廃棄、
消費と廃棄として作品を見るとするなら、僕は記憶と継承を見ている気がします。
最近はそんな違いを考えながら陶器を作っています。
茶道と「稽古照今」、そして「写し」の文化
最後にもう一つだけ、最近自分がやっていることを考える上ですごくハマった言葉があります。
実は僕は陶芸を始める前から茶道を習っています。
その茶道の先生とお話をする中で、稽古生根という言葉を教えてもらいました。
これは古事記の序文に出てくる言葉なんですが、稽古って普段何気なく使いますよね。
武道の稽古とか茶道の稽古、日常で稽古といえば伝わると思うんですけど、
稽古という言葉にはもともと古きを考えるという意味があるそうなんです。
そして照根というのは照明の照に今の今、つまり古きを考えて今を照らすということなんですよね。
僕はこの言葉を知ったときに、もしかしたら自分がやっていることってこれなのかもしれないと思ったんですよね。
僕は古いものが好きで、一見するとずっと過去の方に向いているとも見えるんですけど、
そのノスタルジーというか昔に戻りたいわけじゃなくて、
昔のものを見て当時の人は何を考えていたんだろうとか、
古い服を見てなぜこの形になったんだろうとか、捨てられそうな紙の箱を見て、
これを今、陶器として作ったらどう見えるんだろうとか考えているんですよね。
要は僕は過去を見ながらずっと今のことも考えていたということに気づきました。
茶道を習っていて、もう一つ面白いと思ったことが、写しという文化です。
昔の名品の茶碗を参考にして、同じような茶碗を作家さんが作ります。
現代の感覚だと、それってコピーとかパクリじゃないの?
ちょっとマイナス的なイメージを持ってしまうかもしれません。
僕自身物を作っているので、例えばヴィンテージをどこまで参考にしていいんだろうとか、
オリジナルって何なんだろうとか、よく考えることがあります。
でも茶道には良いものを写して、それをみんなで楽しみながら文化を受け継いでいくという考えがあると
先生に教えてもらったんですけど、これはかなり衝撃的でしたね。
すごいマイナスなイメージを持っていたので、写しというかコピーに関して。
もちろん、ただ真似すればいいという話ではないと思うんですけど、
昔のものをよく見て、なぜそうなっているのかを考えて、
実際に自分でもやってみたり作ってみたりする、稽古してみたりする。
そうすると、見るだけではわからなかったことがどんどんわかってきますよね。
そして最後に、じゃあそれを自分が生きている時代にどう置き換えるって考えた時に、
映画を見ることも、ヴィンテージを集めることも、そこから服を作ることも、
陶芸をすることも、もしかして自分にとっての稽古なのかもしれないなって思いました。
ラジオで探求したいことと今後の展望
過去から何かを選んで、今に何を作れるのか。
そう考えると、このラジオでやりたいことも少し見えてきた気がします。
昔の映画について話したり、古い服、ヴィンテージについて話したり、
昔の玩具や広告について話したり、現代美術にも、もちろん茶道にもついて話したいと思います。
ジャンルは毎回違うと思います。
でも根っこにある部分は多分同じで、やっぱり過去から何かを選んで、
今に何を作るかっていうところに集約されていくと思います。
僕自身まだ答えは出てないんですけど、このラジオを通しながら考えていきたいなと思っています。
稽古昇根。古きを考えて今を照らす。
この言葉をこの番組の一つの軸にしてみようかなと思っています。
というわけで第1回目は、なぜ今さら音声配信を始めるかでしたが、ずいぶん遠くまで来てしまいました。
一見関係なさそうなものが調べていくと突然繋がる経験ってあると思うんですけど、
僕自身その瞬間がすごく好きです。
その面白さも一緒に楽しんでもらえたら嬉しいです。
それでは今日はこの辺で。
先ほどお話ししたタクシードライバーの予告の動画と、
三島君代さんのインタビュー動画のURLを説明欄に置いておくので、よかったら見てください。
ここまで聞いてくださってありがとうございました。
それではまた次回。