イベント終了後の切り替えと「情の薄さ」への疑問
なんか一つのことを終わった時、この行事であったり、なんかそのイベントの本番が終わりましたって時に、いつもそのまとめっていうか、どういうふうにその次に移るとか
どうやって消化する? いつも。 あまり引きずることができない。
結構切り替える? 切り替える、切り捨てるとかいう、切り捨てるというか、エイディアってスイッチ切り替えるとかいう意識でもなしに、これはなんか
特に私、言われな、そうだな。 万博が終わった時にも思ったんだけど
まあその そうだな
やっぱり情が薄いのかなって思う時があるかな。 そこまで終わったことに対して
感傷に浸ったりするよりも、次、明日って感じかな。
これがね、ちょっとあえて引き合いに出すんだけど、じゃあ離婚の時はなんであんまり引きずったんだよってぐらい
5年、5年は引きずったな。 ああすればよかった、こうすればよかった。
もうほとんど自責、自分を責める。 私がいけなかったんじゃないかをよく、今思えばだけど、今思えば本当にその時に
私に何か言えるなら、ほんまやめときって言うぐらい、 なぜか自責から抜け出ていなくて
その時は、今はもう考えられないよね。 私もう本当に先月ぐらいに、あれあたしそういえば一回結婚したなって本気で思った
ぐらい、もう過去のことになってる自分にびっくりしたけど、本当その5年間は
あとそう、離婚に限らず失恋に弱いんだよね。 異常に引きずる。
でもその、その癖、 この間の川瀬さんの終わり
何々ロスはあんまりない、私は。 いい思い出の方が
引きずらない。ちょっと辛い思い出とか 後悔が残るような方が
うん 残ってしまうのかなぁ
万博はどっちかというとね、そんないい感じで終わったから 引きずることもなんかその
ないのかなぁ、まとめようって いや
どっちかというと 私にとっての大成功ではない
もっと和社として活躍したかったし そういう意味ではね
後悔、振り返ると後悔が多い プロセスというか、期間
でもその割には、昨日もその、一昨日か 道子にインタビューしてもらって
あ、昨日だね、インタビューしてもらってて 答えたんだけど、その割には
そんなポンコツな和社だった割には 山ほどの良いものをもらったから
もうそれを振り返るんではなくて 次へ、私今度は和社としてポンコツだった私が
次へ、次へ もっと自分がもっと良い思いをするために
そしたら 自分が良い思いをすると周りが良い思いをするって思っているから
っていうのを先へ先へ そのまとめ作業みたいなのってさ
強制的にやらされる場合もあるじゃない なんか振り返りの報告書みたいなさ
そういうのを作る時って好き?それとも こんなの嫌だみたいな
本音は出せないのね、そういう時ってね でもね、嫌いじゃ、それだから
嫌いではないかも できる後、だから昨日のインタビューもそうだけど
それがあるから 私思ってたよりも
すごい良い思いしてたわって思えるっていうことのほうが良い 振り返って
時間が経ったから良い思いになってるっていうのも あるかもしれないけれど
その時の直後の悔しさっていうのが薄れてさ 良い思い出っていうのがあるかもしれないけど
こう質問を受けてたりとか、それこそ問いに答え まとめるための問いに答えていった時に
自分はこんなことを思ってたんだって 対話みたいに気づくことがあったりするんじゃない
そういうのじゃ、出ないとなかなか振り返るってきついから
時間が経つと良い思い出は残るけど 嫌な思い出は意外と忘れるっていうのがあるよね
物によると思っちゃうからね、それは
なんかさ、時間その時はそうでも何年も経つと 全体的に忘れていくけど
覚えてるのは自分にとっての都合の良い 良い思い出はっていうのもあるのかな
そうしないとどんどん辛い思い出がさ もし積もっていったらさ
年取ったら生きていけなくなっちゃうじゃない
いや本当にそれはもう多分 生きていくことに特化してある生き物
生き物は生きていくことに特化してるから 忘れるようにはなってる
でも思い出した時々ファーって出てくる
ファーってしたような思い出はあるじゃん
なんかロスってさ、万博ロスとかって
私の職場の周りでも本当に声に出して 万博ロスって言ってる人もいたんだよね
万博に限らずロス、ドラドラマでもいいし いいんだけど
なんで自分はロスができないんだろうって ちょっと思った
ロスになれないんだろうって
なんか自分は白状なんじゃないか みたいな気持ちが
「ロス」にならない理由と過去の経験
そうか
ロスなる?なる人?
意外とならないかも
あー本当?
それは何でだと思う?
白状っていうか
なんか昔のことを振り返っても
よくさ、小学校卒業したらさ
中学校1年生のぐらいの時って
なんか小学校に遊びに行ったりする人とか いたでしょ
いた
中学校卒業した高校生になっても
なんかやたらとたまに中学校に遊びに行ったり 先生になったり
私そういうの一切しなかったんだよね
私もしない
一緒だね
でなんで自分はしなかったんだろうと思ったらね
思った?
あの
情はないわけじゃないんだけど
なんかを切り替えてるんだよね
もう違う世界に
中学生になったら小学校の思い出はあるけれど
もうその今いる場所で頑張ろうみたいな 気持ちになって
なんか固くなりに行かなかったんだなと思って
固くなりなんだ
一度も行かなかった
その固くなりって言うってことは
行きたいなって気持ちはちょっと芽生えた時もあるけど
えいって気持ちを固くして行かなかった
なんかもう
いや行きたいなと思った
その時は思ってなかったと思う
思ってなかった
なんかそうやってなんか
でも確かに羨ましさはあると思うな
自分の中でね
今でも何かが終わると
変にそこに情を持っていかずに
いうところはある
今でも
「情」の捉え方とドライさ
私は羨ましさはそこにないのね
そのロスになれないことへの
その聞いてて
私と違うのか同じなのか
信じたいなって思ったのは
石井がさ
切り替えてるって言ったじゃん
じゃあすごく若干心に
ちょっとだけ
ちょっとなびく気持ちはあるけど
いやそんな言ったらちょっと
ねめしいことはしない
先に行くっていう
ちょっと1割ぐらいはちょっと
ロスしたくなる気持ちもあるなっていうのを
意地でやってるような感じ
それとも本当に終わったら自然にも
パツってシーン変わってて
テレビの番組がさ
9月から次のドラマに変わったら
次のドラマを見るみたいな感じで
本当にパツって切り替わってる感じ
それともちょっと自分に敷いてる
自分に敷いてるかもしれない
なんかそれも物によるかもな
そういう
河瀬感はどうだった?
河瀬感は結構ドライかも私は
そう
なんか本質っていうか
その対話なんだから
終わっても対話を続ければいいじゃないって
言ってるのに乗ってこないことに対して
みんなが
じゃあこの人たちは対話ではなくて
それぞれいろんな目標があったんだろうけど
動機も違うから
対話っていうものを本気で考えてた人たちって
どれくらいなんだろうみたいな
考えたりとかしちゃって
なんかちょっとね
気持ちが離れてる感じはあるかな
じゃあ気持ちが離れたのは
気持ちが離れたのは
私で言うと気持ちが離れたのは
バンバク終わった時なの
もう離れたというか
はい終わり
もう次に私がやりたいことへ
っていうことだったんだけど
それでその対話何かが続いてるとかだったら
もっぺん一丁噛みたいなみたいな
そういう浅い気持ちはずっとあるけど
バンパク河瀬感でやってたあのことについての
気持ちは切り替わりなんだけど
意思は気持ちが離れたのは
この対話のプログラムを石井が企画してくれて
みんなが乗ってこないなって気づいたときに離れた
ちょっとそれまでは変わって
命の証に
情報のありどころは
他の人たちとちょっと違ったのかもしれない
なんかその物語とかに対してよりも
自分は固くない
その対話に対して見たことの気持ちがあったから
なんか
それはまたちょっとどうなんだ
その気持ちの情が何かの切り替えで
なんか自分はちょっと他の人よりドライなっていう気持ちは
すごい私今でも確かにあるんだよね
人はみんなそうやって
家族や親戚との関係性と「情」
昔の人たちと仲良く
たまに会って闘争会みたいなのをやったとしても
なんか自分はそこに行ってないとか
なんでだろうっていうのがあるんだな
私はでもなんかその
自分が情報があるかないかは
なんかその
今聞いてて思ったんだけども
なんか自分が言ってるようなことを
何て言うの
意思の言葉として聞いて
思ったんだけど
代謝者として聞いてみて思ったんだけど
情があるかないかを本当に
その相手が決めることだもんね
そう言ったら
だから
情があるかないかっていうのは多分
置いといてというか
多分情がないなんてことはなくて
多分
なかったら多分なんだろうな
もっとなんか
えげつないことになると思う
何て言うかな
上とかドライかみたいな話で言うと
ドライより私の方が何かもしれないけど
それよりも多分だけど
私が思ったのはね
自分に対しても思ったのは
どこ行ってって
またうまくやっていけるからじゃない
ある程度
あなたもだって人懐っこくない方じゃないじゃん
変な思い
記憶を生み出した
私さ兄とさ
兄?
10年もっとだな
会ってないわけ
お兄ちゃん?
ずっとタイミングが合わなくてね
でも会いたいとかいう気持ちが一切ないの
それってでもなんか
自分としても
まずいなとかってちょっと思ってても
何でそんなに
家族なのに情がないんだろう
みたいな思ってたところがあるな
何でだろうな
それは良くないな
良くない
私はごめん
それが良くないのかどうかは分からない
兄弟とかいる?
いるよ
近所だからね
たまたまだけど
姉がめっちゃ
フットワーク軽くて
車飛ばして来る方だから
会ったりとかするけど
正直
楽しさの頻度で言うと
楽しさの種類が違うじゃん
姉と喋る方と
それこそ大喜利の趣味の人と喋る楽しさ
それは
刺激的で面白いのは
友達と遊ぶ方だからな
みたいな感じで
これ多分
私が東京に住んでたら
本当に姉に会ってないと思うから
会わなきゃいけないかと言われれば
会わなきゃいけないかな
家族って感じがするけど
私はそういう考えかな
家族だからって
気が合うとは限らんし
それは
そうだけど
私の中では古い
関連だな
ちゃんとコミュニケーションを取って
連絡を取り合って
であるべきみたいな
それを自分はしてないから
お兄さんと
どんな話が
あったら
するの
もし会うの
ねえ
普通になんか
事務的な話とかするのかもしれないけど
でもなんかね
これといって
何を話すってことはないけど
親戚もそうなんだよね
私は
親戚と全然会ってないんだよね
親戚なんて会って
私はそう思うんだけど
会ってまず事務的な
話から入る相手なんて
それは会いたくないだろ
でもさ
一族みたいなさ
昔ながらの
そういう繋がりを大切にしなくてはいけない
みたいなのが私の中で
まだあるんだね
そういう観念がな
それができてない
自分に対して
こいつは
そういうのをおろそかにしてるな
みたいなのもあるな
後ろめたさみたいなのが
あるんだね
後ろめたい
じゃあ
どういう時に
「情がある」と感じる瞬間と自己認識
石は
自分は情あるのかもな
って思う
言うのは恥ずかしいかも
情はあるんだよね
いろんな場面で
どんな時
日常でもさ
私の周りに
猫がたくさん住んでるからさ
ちゃんといろんな
柄を把握して
こいつはこの辺に住んでてみたいな
でちょっとお菓子みたいなの
あげたいとかさ
情はあるけど
そういう
なんか
なんだろうな
変な自分にとって
なんか妙な情だな
みたいなところに対して
情の集まりだなみたいなことに対して
すごい冷めてるみたいな
妙な情の集まり
ああさっき言ったみたいな
中学とか
小学校の
クラスとかそういうものに対して
すごいドライかもしれないな
だって
感傷に浸ってるやつに
かまってる時間ないもん
いやでも
そういうのって何なんだろうね
何が正解ってないよね
それね
正解はない
何に時間を使いたいんだろうね
そんなことにしてる前に
そんな
終わったことのさ
ノスタルジックに浸る会に
行くぐらいなら
何に