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2024-08-15 20:56

#532 【原爆・シベリア抑留】私の祖父母の戦争体験を少しだけご紹介

サマリー

このエピソードでは、終戦記念日に祖父母の戦争体験が語られています。特に、広島での原爆体験やシベリアでの捕虜生活の厳しさが強調され、平和の大切さが伝えられています。また、戦争の無意味さや平和を維持するための個人の小さな行動の重要性についても考察されています。

祖母の原爆体験
おはようございます。OKファームのOKです。このラジオでは、脱サラして農業歴12年を超えた私が、新規就農者やフリーランスの方向けに、マーケティング情報や気持ちがちょっと楽になる話をお届けしております。
はい、今日は8月15日ということで、終戦記念日ですね。僕は12時ジャストは車を運転していたので、その時には木刀ができなかったんですけども、その後ね、車を止めて時間ができた時に少しだけ木刀を
させてもらいました。普段はビジネス情報みたいなものとか、メンタルヘルスケアみたいなことについて、自分はこの
音声配信で情報発信をしているんですけども、1年に1回ぐらいというか、8月15日ぐらいは、戦争とか平和をテーマにした話をしてみるのは、まあ
ありかなと思ったので、今日はね、僕のじいちゃんばあちゃんの戦争体験記みたいなもので、僕の心に特に残っているものみたいなものを紹介しつつ、
まあやっぱり日常生活って本当にありがたいよねっていうこととか、世界平和なんてそう簡単に達成できる目標ではないけど、やっぱりこう、戦争が起こらないようにというべきなのかなぁ
平和な日々が送れるように、少しずつの努力ってやっぱり大事だよねみたいなことを少しだけ紹介させてもらえたらと思います。
私にもじいちゃんばあちゃんが2人ずつおりまして、まあ当然ちゃ当然なんですけども、そのうちもろに戦争に関わっているというのは、4人のうちの3人という感じですね。
ばあちゃんは疎開していたので、戦争に直接は関わっていないという状況で、父方の祖父母ですね、まあ広島市出身になるんですけども、広島市にいた祖母の方が原爆で被爆しています。
直接爆風とかは受けてないし、放射能とかの悪い影響みたいなものもほとんどなかったみたいなので、原爆手帳というものはもらっているんですけども、
その後、日常生活も通常通り行うことができたし、結婚もできたし、子供も無事に生まれたということなので、原爆を被爆した人としては症状が軽いというか、不幸中の幸いのような体調だったんじゃないかなというふうにね、父方の祖母に関しては思います。
まあ今はそのおばあちゃんは認知症になってしまって、記憶が2,3分ぐらいしか持たないという状況になっているので、あんまり会話が成り立たないというかね、組み立ててお話とかをしてくれることはもう難しいんですけども、昔からね、あんまりその原爆を落とされたことに対してめちゃくちゃ意気通ってたりとか、アメリカが憎いみたいなことを言うタイプの人間ではありませんでした。
まあ、たっかんしてると言えばいいんですかね、たっかんしすぎてるような気もするんですけども、認知症になる前にこのね、戦争についてどう思うかとかね、原爆についてどう思うかみたいなことを話したことがあるんですけども、その時はなんかもうね、お互い喧嘩してるんだからもう爆弾なんか落としたり落とされたりっていうのはもう仕方ないよみたいな感じで、まあお互い様みたいな感じのスタンスで僕に戦争とかについてこう話をしてくれていたのが、
僕の中では印象に残っています。まあ先ほど言った通り、ばあちゃんの場合は原爆で体調がすごい悪くなったとかね、差別を受けなかったとかいう不幸中の幸いみたいな人生を多分歩んできているので、まあここらへんに関してもうちょっとハードな人生を歩んできていたら、また違った感想になったりするんじゃないかなとかいうのも思ったりしますね。
祖父のシベリア抑留
まあでも僕もね嫌だというかこれは嫌だなぁと思うのが、あの8月の以下に広島で平和記念式典みたいなことが行われるんですけども、総理大臣が来てこうね挨拶をしたりとか被爆者の方が集まってとかね小学生が作文を読んだりとかするんですけども、その平和公園っていうその原爆ドームの近くにある公園に集まって広場に集まっているところでめちゃめちゃ騒がしい声でスピーカーとかを使って
なんとかかんとか反対とかね憲法の求情がなんとかみたいな感じで、こう騒音を出す集団がいたりするんですよ。これ広島県民ならああまたあの人たちかっていうなんか雰囲気がね伝わるかなと思うんですけども、こうねあの平和公園の中はすごい厳粛なムードになって平和を祈るということをやって黙祷しましょうっていう風に言ってるのに、その少し離れた場所ではもうなんかねあの戦争反対みたいなことを言いながら
それを祈りの時間にやっているみたいなねグループもいたりするのでそれはちょっとさすがに違うんじゃないかなといろんなことを、なんかまあその方もいろんなポリシーがあったりとかね思いがあってやってると思うんですけども
みんなで祈りを捧げましょうっていう時にねなんとかが嫌いだとかなんとかが反対だとかなんとかやめろみたいなこと言うのはね
えーなんかちょっと違うよねっていう感じで広島県民としては毎年毎年もやもやしするような時間がちょっとね実はあったりします
そして原爆にあったとはいえ不幸中の幸いだったという風に思うのがまあうちのばあちゃんだったと思うんですけども父方のばあちゃんだったんですけども反対側ですね母方のじいちゃんの方は本当に大変な思いを戦後にもしているというようなタイプの人だと思います
まああの僕の sns を昔から見ている方だったらご存知だと思うんですけども ok 爺さんということで僕が今やっているごぼう栽培とかね野菜栽培の師匠でもありますし
えっと今僕がいる畑を開墾して雑木林みたいだったところを開墾してね畑にしてこの東広島の奥でえっと
野菜作りを始めたというのがねうちの母方のじいさんになります うちのじいさんは昭和3年生まれになるんですけども中学校を卒業するときに
8満州の方にですねまあ今は中国の領土になるのかな 満州の方が日本の領土だったのでそこの開墾する
開拓団みたいなものの募集がそれぞれの中学校に来ていたそうでよかったら卒業した後 満州に行かないかということを担任の先生から誘われて満州に行くことを決意した
ということで15歳かな16歳ぐらいで親元を離れてね 船に乗って海を渡って満州のとこ満州に行ってそこで開拓団として生活をしていたそうです
まあ開拓団としての生活ももちろん大変だったと思うんですけどもちょっとそこは まあまあ話が長くなるので割愛させてもらって終戦になったらですね
すごく簡単に言うとロシアの捕虜になったんですよ 今までは満州という土地が日本領だったということなんですけども日本が降伏しました
よっていうことになったらそこに今ロシアの人が攻め込んできたわけです まあここらへんの話はじいちゃんに直接聞いた話でもありますし
そのロシアの捕虜になっていた人たちが手記を出している作文みたいなものをまとめて 文集みたいなものを作っているというものがありましてそれがまあ僕の手元というかこの今
僕が話をしているじいちゃんの本棚にあるのでそれを全部読むことによって 多少なんかそのロシア憎しみたいな感情でね
フィルターはかかっているかもしれませんけど客観的な事実としてやっぱりそこでロシアの 捕虜になってしまって大変な思いをしたっていう人はうちのじいちゃん以外にも
たくさんの人がいたということなのでその点に関してはまあ間違いのないことかなという ふうに思うのでまぁこのようにお話しさせてもらっています
戦争の教訓
連れて行かれた先がシベリアというところなんですけどもめちゃくちゃ寒いので有名な ところですよね
マイナス30度とか40度にもなる世界ということでこれはじいちゃんから聞いた話なんです けどもじいちゃんはその雪深いシベリアの中で
木を切る作業をしていたそうですでそのじいちゃんから話を聞いて衝撃的だったのが マイナス40度になったらさすがに寒すぎるので今日は作業中止だというね命令指令が下る
そうなんですけどもマイナス20度30度ぐらいだったらまあねあの防寒具みたいなものは 最低限付けさせられた上でなんですけども
ねあの毎日毎日休みもなく作業をさせられていたということでね本当に何か 文字通り捕虜ですけどもロシアの発展のために
人権を無視したというんですかねむちゃくちゃな働き方をさせられていたというね話を じいちゃんから何度か聞いたことがあります
まあ保留保留とかいう僕も簡単に言ってますけど僕自身は当然保留になったことはない ですし
国によってね保留の扱い方はちゃんと保留だけど丁寧に扱えよっていう国もあればもう保留 なんだから奴隷と同じぐらいこう雑に扱ってしまえっていうような国も実際あったりする
みたいで保留といってもいろんなパターンがねあったりとか使い方が違ったりということ はあるのは当然あると思うんですけどもじいちゃんの場合はというべきなのか当時の
ロシアはそういうところはかなり雑に扱うようなね タイプの国だったようですやっぱり話をじいちゃんから聞く中で
ショックだったというかなんか大変だったろうなぁと思うのがやっぱりこう ねあの仲間がどんどん死んでいくそうなんですよ寒い中でねあの本当にひどい環境の
中で気を切らされたりとかまあ炭鉱に入ってこう 作業をさせられたりとかいろんなことをさせられるわけなんですけども
食べるものがなくてしんどいというものに加えて寒いということで仲間がね ある夜寝ていて次の日朝起きたらその人が冷たくなっていた死んでいたというような
ことがあるあったそうでまぁよくあることだそうででもその後遺体をね埋葬して あげたいんだけども-20度30度の世界だともう穴を掘ることもできないわけですよ
そうなるともう一旦ねあの寒い時期にの済みというんですかね 地面に後遺体をこうね
置いておくでまた別の方がなくなったらそこに重ねておくということをしておいて 翌年の春になったらねその後遺体のちょっと重なった部分が出てきてそこからマイン
ねあの地面が 穴を掘れるようになってからこの埋葬していたみたいな感じで後遺体の音
重なったら小さな山のようなものができていたというようなお話を ちょっと聞いたことがありまして何かねえっと昨日まで一緒に作業していたのに一緒に
ご飯を食べていたのにという仲間がある日突然なくなってしかもね 丁寧に弔うこともできないというような状況を聞いてねなんかその
なんかこんなことじいちゃんに聞いて嫌なこと思い出しちゃった思い出させちゃったなー っていうことを思ったりとか
なんか多分こういうことは多分だけど僕は一生体験することがないようなしんどい思い だなぁっていうのね
平和なのでありがたいなということを考えるとともにこういう思いを自分もしたくないし 子供ものにもさせたくないなぁというようなことをね
思ったりその時はしましたねそして終戦から1年経ったぐらいでロシアにいる捕虜を 日本に返すようにというなんかねえ国と国同士の取り決めみたいなものがあったようで
少しずつこうねえ捕虜が解放されるというタイミングがやってきます まあこれを解放といっても早い人もいれば遅い人もいたようでじいちゃんは割かし早めに
解放されて日本へ帰れるというような 船の手配とかいろいろあったみたいなんですけども
じいちゃんよりもやっぱりかなりそこですぐ解放されずに長いことまだロシアにとどまら ざるを得なかった人もいたりとかいうことがあったりしたそうです
まあ放料になった時点でじいちゃんが多分17歳とかそれぐらいだと思うんですけども 開放されたのがだから18歳19歳とかそれぐらいの時ですかね
まあ僕で言ったらもう普通に高校に行って部活を一生懸命やってましたとかね大学に 行って勉強してましたアルバイトをしてましたっていうのは時期に
うちのじいちゃんはこんな大変なことをしてたんだなあっていうことを考えると まあじいちゃんすごいなっていうリスペクトがあるとともにさっきも言ったんですけどもねこう
いったことがねあの日本だから日本人にはこんなことがあってはいけないというわけでは なくてどんな国の人もねどんな立場の人もそういう
人権を無視して無理やり働かせるとかやりたくないことをずっとさせるというような ことがあってはいけないなあということをね考えたりさせられますね本当に
まあじいちゃんの場合はこう独身だったのでまあ20代手前 20歳手前ぐらいなので関係のなかった話なんですけどもご結婚されている方がこう旦那さんが戦争に
行かれて捕虜になっていつまで帰っていつまで待っても帰ってこないっていうことなので 奥さんの方は日本でまた別の方と再婚した旦那さんは死んだと思って再婚したところで
戦争とその影響
こうね旦那さんが帰ってきて しかも相手とも子供がいたりとかいうことになったらね本当になんて言うんですかね誰もその誰かを
傷つけようと思って 結婚したりとかね生きて帰ってきたわけじゃないのに
悲劇になってしまったりとかいうことも実際によくあった話のようなのでいろんな意味でね 戦争なんかやっても本当にいいことないよねとか誰も幸せにならないよねっていうことを本当に
心から思ったり僕はしています まあその他にもじいちゃんから聞いたエピソードとかシベリア翼流
さっき言った捕虜になっていた人のことをシベリア翼流者というふうに言ったりするそう なんですけどもそういった方のね
文集みたいなものがあったりするので ちょっとこれは音声に乗せて言うにはもうなんというかあの
しんどすぎるなっていうような内容もあったりするのでまぁ今日はそこはまああの 割愛させてもらうんですけども簡単に本当に簡単にまとめるとですね本当に
やっぱりこういうじいちゃんの話とかを聞いていて 日常生活ってありがたいなぁとかねあ平和で平和な国に生まれて平和に過ごしている
っていうのことは本当にありがたいことなんだなぁと思ったりとか ね今やっぱりいろんな国でこうね
爆弾が落とされていますとかね争いが起こっていますっていうのを見てそういった映像 とかねニュースとかを見るとやっぱりこれってこの平和な日常って当たり前じゃないんだよ
なーっていうことをね 痛感させられるわけですそれとここは僕の僕個人の平和とか戦争に対しての考え方
なんですけども 平和なのが当たり前じゃなくて戦争状態誰かが誰かと争っているという状態が
こう人間のもともとの姿というか ここは説明が難しいなぁなんか非常に説明が難しいんですけども
僕の音声配信を聞いてくださる方なら伝わるかなということでちょっと 申し上げるんですけども先に平和があってね平和が乱れた時に
戦争が始まるのではなくてもともとこう人間同士なんでこう争いがあって当たり前 なんじゃないかなというふうに僕は思ってるんですよどなたかの本で読んで
あーなるほどなーっていうふうに思ったんですけども でもそのまま争い続けててもいいことないよねっていうことでお互いが譲り合ったり
努力することによってこの平和というものが築かれているというような感じが解釈として はなんか僕はしっくりくるかなというか
それならなんか理解ができるな子供たちにも説明がしやすいなというふうに思ってるんです よね
当たり前に平和というものがあるんじゃなくてみんなが頑張って頑張って頑張って頑張った結果 平和な世の中ができてるんだよっていうのが
正しい解釈のような気が僕はしています まあということは戦争が起こらないようにというか平和を築くためにこうね
平和の大切さ
世界中の人が一人一人何か行動をしていかないといけないというようなね イメージが僕もあるんですけどもこれはやっぱりあのなんというかなもう規模をめちゃくちゃ
小さくして考える方がいいんじゃないかなというふうに僕は思っています 世界平和のために何とかをしようっていうのはすごい声かけとはしてはしやすいと思うん
ですけども 実に抽象的で何をやっていいのかわからないそしてやったことに対してこの平和になっている
のかどうかがこうね実感しにくいというものがあると思うんですけども 僕はもっと規模を小さくして自分の友達に優しくしようとか自分の家族に優しくしよう
とか自分の身の回りの人自分とすでに関係のある人とか自分の身近なことに対して 思いやりを持つとか優しくするとかねそういったものが
最終的には 平和に結びつくんじゃないかなというふうにこれは割と真面目に思っていますもう全然
それお前平和と関係ないだろうというかいうふうに思う方もいらっしゃると思いますしそれも そうだなとは思うんですけども
友達と喧嘩をしてしまうのとか夫婦喧嘩とかを我慢できないのに 世界平和は訪れんでしょうというふうに僕は思うわけですよ
まあなのでここらへんはねあのいろんな人によって平和に対する感覚とか戦争に対する 感覚みたいなものが違うと思いますのであくまで僕はこうですよっていうこと
なんですけども 世界を平和にするために何をすればいいかわからないという方はとりあえずね
いつもよりも人に優しくしてみるとか いつもよりもね大らかな気分でいるということを意識してみてはいかがでしょうかという
ね若干抽象的なんですけど私は本当にそう思っていますというところねちょっとお話し させてもらいました
はいということで今日は僕のじいちゃんとかばーちゃんの音戦争体験機みたいなものとか 戦争とは平和とはみたいなことについて割とちょっと真面目にいつもより少し長めぐらいで
お話をさせてもらいました まあ年に一度ぐらいはねこういうことを自分も棚卸しというのかな自分の頭
38歳の時点ではこういうふうに戦争平和のことを考えていますよということを言語化 してみてもいいんじゃないかなと思いましたし
ねあの戦争とか平和とか今は考える気になれんわっていう方でね僕のリスナー さんの中でそういう方もいらっしゃると思うんですが
まあ今日終戦記念日8月15日ですし年に1回ぐらいはこんな感じで何か 戦争とか平和に考えるきっかけがあってもいいんじゃないかなというふうに思ったので悩みに
悩んでなんですけどもお話をさせてもらいました まあ繰り返しになりますけど本当日常生活がいつも通り遅れるっていうのはありがたいということで
ね 今日何もなかったなぁとかね何にもできなかったなぁとかいうふうな音に考えて
しまうこともあるかもしれませんけどまあいろいろあったけどまぁ今日も無事1日 終えられたからよしにしようとかね
まあ自宅でね安心してというかまぁいつも通り眠れるだけで良かったってことにしようか というぐらいでまぁ自分をね
楽にしてあげたりとかねいろんなものの幸せみたいなものとか平和みたいなものの ハードルを下げてみてもらってはいかがかなというふうに思います
明日からはまた通常通りの放送まあビジネスのお話とかねお金の話とか メンタルケアのお話みたいなことをしていきたいかなと思いますのでまた明日からの放送も
よろしくお願い致しますはいそれでは最後になりますが皆様腰痛にならないように肩を 上げ下げしたり腰を回したりしながら体をリラックスさせてあげつつ今日やるべきことに向かっ
て頑張っていってみてください ここまでのお相手は ok ファームの ok でしたまた遊びに禁歳ほいじゃあまたの
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