前回57回目を聞かれた方からの質問です。
○質問
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私には、生まれる前のこと(始まりのない始まりから、生死輪廻を繰り返してきた過去世のこと)は、全く分かりませんが、
信心獲得すると、教行信証の信巻に書いてある「二種深信」のような、「一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなく、かの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。」ということが、ハッキリと自覚できるのでしょうか?
もし、自覚できるとしたら、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなし」と、自身(私)が曠劫より生死輪廻を繰り返してきたことが分かるような文章の内容が書かれていますが、実際は、信心獲得すると、自分自身が生死を繰り返してきた過去世のことまで分かるのでしょうか?
また、「自身」と書いてあるように、曠劫から迷いの世界を輪廻してきた「私」(汝)というものが、本当にあるのでしょうか?
ちなみに、この「私」の意味は、私や他者が認識している私ではなくて、「永遠のいのち」(自己統一的主体)みたいなイメージです。
最後に、阿弥陀仏の本願は、「阿弥陀さまから見た私」を「只今救うぞ」と、前回のネットラジオでお話をされていましたが、「阿弥陀さまから見た私」を、この私が自覚することが、--本当にできるのでしょうか?
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○質問
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それは、「後生の一大事と信心獲得について」です。
信心獲得すると、一体、私の何がお浄土に生まれて仏に成るのか?について知りたいです。
私は、仏教の唯識で言われる「私の阿頼耶識」が、流転輪廻を繰り返していて、常に変わり続けながら、六道輪廻を抜け出せずに、迷い苦しんでいるのではないか?と考えています。
浄土真宗では、一体、私の何が、極楽浄土に生まれて成仏すると教えられているのか?について知りたいです。
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話の中で出たご文
○教行信証信文類
一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。 二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。
○教行信証証文類
しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即のときに大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。
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安心問答ー浄土真宗の信心について
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マシュマロ
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