00:05
はい、NULL ROOM 第24回です。
今回は、まあ音が響いていると思うんですけど、
宮崎市の家、今日引渡しの日なんですけども、もちろん部屋に荷物が全部なくて、
電気も止めちゃったんで、何もできないこの家からお伝えしております。
こちらには昨日から来てるんですけど、 昨日ね、ギリギリインターネットの改善、
工事が終わって、元に戻ったっていう感じになるんですけどね、
もしかしたら間に合わないかもしれないということで、ちょっと汗汗してたんですけど、
まあまあまあ、 全部終わったようで、
安心しているところです。
まあ、 引っ越したりとかするとあるあるですけど、
部屋に物がないとめちゃめちゃ声響くんですよね。
めちゃめちゃ今、声が響いてます。
いやー、 こっちに布団もないんでね、昨日から来てるんですけど、
こっちに布団も元々ないんですけど、 電気も止めちゃったんで、
エアコンも使えないし、 水道も止めてるんで、水道も使えないし、
ガスも止めたんで、ガスもないし、 あるのは部屋だけって感じでね。
昨日は寝袋を持ってきて、 快適に寝れたんですけどね。
一昨日がきつかったかな? 一昨日、あの、えっとね、
昨日来て、インターネットの 工事があるので、
ただ、昨日、朝に移動しようと思ったら、 昨日の、というか一昨日の夜から、
昨日の朝にかけてゴリゴリに寒かったんですよ。 だったので、急遽予定を早めに切り上げて、
一昨日の夜、こっちにすでに移動しておく、 みたいな感じにしたんですね。
何時だったかな? 12時前にはこっちには着いたんですけど、
夜の11時ぐらいで、もうマイナス3度とかだったんですよ。 宮崎で。
信じらんねーなーと思いながら、
車も免許取って3年、 3年経ったんですけど、
地面凍るなんてことないんで、こっち。 凍ったところ運転したことないし、って思いながら、
朝方に移動するのはまずいなーと思って、 夜のうちに移動しました。
03:02
翌朝、何時ぐらいかな? 翌朝8時ぐらいに、
駐車場にちょろっと行ったら、 駐車場の水溜りがカチンコチンになってましたね。
びっくりした感じですけどね。
昨日と今日、特にやることがないんですよ。 昨日はインターネットの工事なんですけど、
10分ぐらいで終わっちゃうんですよ。
その後、特にやることないんで、
どうしたもんかなーみたいな感じで。
その後、郵便の転送の届けやってきて、
そのまま帰ってもやることないなーって言って、 宮崎市内を車で適当に運転してね。
時間を潰して、この部屋に帰ってきたわけなんですけど、 今日もね1時までやることないんですよ。
朝5時ぐらいから起きてるんですけど、やることがないからね。 2度寝、3度寝、4度寝と繰り返して、今の時間でいい加減起きようって言って起きたとこなんですけど。
やることないなーみたいな。 水道も止めちゃったんでね。
歯磨けないんですよね。 口の中気持ち悪いなーみたいな状態ですけどね。
まあ年のせいですね。 今日29だっけ?28日か。もうちょっとあるのか?あと3日ありますけど。
皆さんはどんな1年でしたかね? 僕はねー
まあ良い1年ではなかったね。 良い1年ではあったっていうとこも、まあみんなそうだと思うけど、良い1年だったっていう面もあるだろうし、
悪い1年だったっていう面もね、ありますよね。 全てが捉え方次第ですよね。
あのコテンラジオの樋口清取さんも言ってましたよね。 あとラジオの中で有意識論っていうのがあって、この世界っていうのは個人の認識によるものだ
っていうのがね、ありましたよね。 何だっけ?三蔵法師が
砂漠とか歩いてる時、めちゃめちゃ寒かったりするけど、あの念仏唱えてクリアするっていう。
めちゃめちゃ寒いとか、めちゃめちゃ暑いとか、めちゃめちゃ辛いとかあるけど、それは結局自分の認識だからっていう。
認識の問題だから、みたいな。
結局のところ、見る角度によって良い、悪いっていうのは決まりますよね。
僕の場合は若干去年から 続いているというか、
06:00
ここ2年間にあたってね、 良かったり悪かったりが激しかったなぁという印象です。
実際には
宮崎県に帰ってきて、もうそれこそ2年が経過するのかなっていうところなんですけど、
その中に仕事も何回変わっているの?
仕事が変わったんで来たんだ、宮崎県に帰ってきたわけなんですけど、その仕事を辞めました。
その次の仕事も辞めました。 そしてアルバイトですけど、直近までやっていたアルバイトも辞めました。
そして今はニートですね。 この1,2年で4回職業が変わりました。
大変ですね。
まあいろいろ大変でしたね。 大変だったのかって言われたら、もっと大変な人は山ほどいるだろうし、
あくまで僕視点からで言うと大変だったなっていう感じです。
最初に転職した先、NPO法人さんなんですけれども、
給料が払えないよねって話になっちゃったね。
1ヶ月遅れるとかではないんですよ、給料がね。 1ヶ月遅れないけど1週間とか遅れちゃうみたいなね。
金全然回ってないやんけみたいなね。
話し合いもしたんですよ、ボスもね。 どういう理由があって今遅れてるのかっていうのと、
キャッシュフローはどうなってるのって話をして、 改善する気はないというか改善はできないと。
それだったら僕ももうちょっと無理ですよっていう話で辞めさせてもらったんですけどね。
そこはいいんですよ。 話し合いをして、
これがこうだから無理だよねと。
そっかーと。
ブチギレてましたけどね、ボスは。
でもね、僕もだっていろいろ支払いがあったりするわけでね、 それこそ奨学金の返済とかあったりするわけで、
奨学金なんでね、あんなの遅れたら一撃で、 信用会社に連絡行ってみたいなことになるし、
遅れるわけにはいかないしね。
その時のNPO法人さんの前の職業、自転車屋さんですね、の時よりも全然給料下がってますからね。
自転車店に勤めてた時でさえ、 家賃がいらないからなんとかできていたんだけど、
ね。
09:00
大変、そこからさらに給料下がって、
家はね、その会社が持ってたところに住んでたから、月1万円だけ引かれてたわけなんですけど、
とはいえ、もともと低い給料で1万円抜かれ、支払ったら結構厳しいんですよ。もうカツカツというか。
さらにその中で給料1週間遅れますなんて言われたらね、もうヤバいって、みたいな。
そんな感じでお話し合いをして、 熊本の地震の時にだいぶ、
組織からお金を持ち出したと。 それまではクリコ資金みたいな感じで資金をプールしてたみたいなんですけど、
それももう、その熊本の地震の件でほとんど使い切って、
それでキャッシュフローがだいぶ悪くなったみたいですけど、 それの余波がまだ続いてて、資金的にね。
それもあって、 改善をすぐすぐにはできませんよと。
個人的には、非常に社会的貢献だと思うんで、何とも言えないんですけど、とはいえ、
職員というか、団体の職員の給料は、まず一番最初に満たすべき。
優先順位が一番高くないと、おかしくないっていう。
その熊本の地震も、ただお金出したってわけではなくて、
実際に行政とかが手が届かない部分をカバーするようにといって、実際に職員が動いてるわけですからね。
ただ気まよくお金ポンと出したわけじゃなくて、職員も動員して、日常業務もある中でやっていって、
資金がなくなったんで給料くれますなんてね、ちょっとダメだよみたいなこともあって、
話し合いをして辞めたんですけどね、いいんですよ、そこは。
歳のせいなんでね、もう僕の言いたいことは言ったろうみたいな感じなんですけど、
そこでね、僕一番辛かったのが、NPO団体のボスとはそういうふうに話し合いをして、
じゃあ辞めますねと、分かった分かったと言って、僕もだっていろいろぶっ壊したりしてますからね、事故ったりとかして。
でもそれも何も言わずにというか、ボスは別にそれを咎めるわけでもなく、
まあまあそういうことだからしょうがないよねみたいな感じで、もちろん僕に辞めてほしくはなかったとは思いますよ。
だけども、事情がそういうことになったらもうしょうがないって言って、もう辞めるんだったら辞めたらいいよみたいな感じで辞めたんですよ。
12:05
それはいいんだけど、そのNPO法人さんっていうのはなんていうのかな、
普段はカヌーのツーリングとか、あと何なんだろう、地域のちっちゃいイベントみたいなやつとか、
やったりとかしてる人なんですよ。
延岡市というか、延岡市と後岡瀬って割と川が綺麗だったりとかしてて、
岡瀬川って結構いい川があるんですけど、そこを流域で結構いろんな活動してらっしゃる団体さんというかところで。
ただね、スタッフの人数の都合上職員だけでは回せない部分が出てきてしまうので、
他の団体さんの人を呼んでやったりするわけですよ。
僕が辛かったのは、辞めますねと。
じゃあ何月何日までやりますけど、もうここで辞めますねって言って、
その後のキャンプのイベントの時に、なぜか他の団体のそこから来てる人が知ってたんですよ。
僕は辞めるらしいというか、辞めるっていうのを聞いていて、
かなりなじられたというか、俺はお前のことがすごく嫌いだみたいな言われて、
こんなに早く辞めるなんて、俺はそんなの全然社会には通用しないよみたいな言われて。
君は普通の会社には全然適性、適さないよと。
もうなんか自営業でもやってやればいいんじゃないの?みたいなことを言われて、
すごく傷ついたというか、僕その人のことをすごい小さい頃に知っていて、
僕は中学校入った時くらいからカヌーをやってるんですけど、
その時にインストラクターとして来てる人で、めちゃめちゃかっこいいんですよ。
実際に有名な人で、延岡市アウトドアといえばこの人みたいな感じなんですけど、
そういうね、僕すごい尊敬してたんですよ。今も尊敬はしてますけど、
自転車もすごいスポンサードされて乗っている方ですし、
信頼能力ももちろん高いですし、実際にスキルもめちゃめちゃ高いですし、
中学生の時の印象ですけど、すごい人格もある人でっていう印象があった人に、
そうやって言われて、めちゃめちゃへこんだというか、すごい嫌な気分というか、
そもそもなんで僕が辞めることを知っているのかというのもあるし、
全然言ってないんですよ。そのキャンプに参加してくれた子どもたちにも、
15:05
来年も来るんでしょうみたいな感じで、来れたら来るよみたいな感じで喋ったりとかして、
別に辞めるなんてことは一回も言ってないのに知ってて、
ああ、知ってるしね、ほんと言うたら外部の人間にその話出てるし、
しかもその人からめちゃめちゃすごい言われて、もちろん反論はできないですよ。
実際に辞めてるのは僕ですし、その人から見て僕のことが社会人として全く達していない、
満たしていない人として良くないことをしているって、
その人が感じたんだったらそれが全てですし、別に僕も後悔するあるもないですから、
何も反論はしなかったですけど、ただひたすら悲しかったですね。
尊敬してる人にそれだって言われるっていうのは凄いへこみましたね。
なんとも言えない。すごい嫌な気持ち。
しかもイベントの途中で言われたんで、その後1日2日かな、1日かなぐらい一緒に行動しないといけないんですよ。
すごい気まずいというか、えーみたいな。
すごい辛かったなっていう記憶がありますね。
それがすごく辛かったですね。
今もすごく辛いなって思いますし、今後信岡市で自営業するにしても、
どうやってもその人と領域がバッティングする可能性があるんで、
僕はもうその人にだいぶ嫌われちゃったんで、
バッティングする領域で商売するのもすごく嫌だなっていう気持ちになってますね。
いいこともあったんですよ。NPOに入る。
そのために前の自転車屋さんを辞める。
その時にめちゃめちゃ大人数で僕を送り出してくれたりとか、
それがきっかけでより仲が良くなった人もいるし、離れちゃうんだけどね。
いいこともあったし、表裏引退ですよね、結局のところ。
その後、1ヶ月2ヶ月くらい、確かにニートの期間があったんですよ。
18:05
まあ家にいづらいですよね。
うちの家庭はそんなにゆったりとかするような家庭ではないんで、
別にプレッシャーがあるわけでもないんですけど、
僕にはその賞金の支払いっていうのがあるんで、
なんとか手持ちのお金がなくなる前に働かなきゃっていうのがあって、
その時にあるスポーツアウトドア店、
スポーツの計測やったりとか、イベントの運営やったりとか、
あとは実店舗で時計の販売している会社さんに応募して、
面接に来てもらってね。
僕が行くんじゃなくて、なぜかあちらから来ていただいて、
それでその会社に入ることになったんですけどね。
そこも一払い、二払いあり。
結局僕のことを取ってくれる人っていうか、
僕のことを過大評価しすぎなんですよね。
これ最近僕の友達に結構言うんですけど、
僕は有能に見せることができるのであって、有能ではないっていう。
結構周りの、それこそ特に小学校、中学校、
高校は多分違うと思うけど、
小中の同級生とか近くにいた人からすると、
僕ってだいぶ優秀なんですよ。
勉強できる子みたいなイメージがあったりとかするんですけど、
結局それはまやかしなんですよ。
どうなんだろう。
高校レベルですよ。
高校レベルですけど、一つの学校のうちうちっていうレベルですけど、
化学以外、生物かなどっちかというと、
生物以外の科目においては全滅ですよ。
生物が一番できるけど、生物科学だけしかできない。
生物科学だったらトップ10%は入るんじゃないの?
5%は入るのも無理そうだけど。
そんなレベル。
実質1科目ぐらいしかできないので、
トータル成績でいうとケツから数えた方が早いんですよ。
そんなスペックなんですけど、
周りからすると僕はできる側の人間だと思われることが多くて、
実際に実社会というか、
この社会人生活の中でも同じように取られている不自由があり、
21:04
僕が時計屋さんを辞めた理由はそこにつきます。
圧倒的に社長の見積もりが高すぎる。
僕を見積もる能力見積もりが明らかに高すぎて、
要求される仕事をこなすのに、
朝6時にはその時住んでた家から出て、
家を変えるのは日付が変わる直前ですね。
その時はバイトの大学生の子の家に居候してたんですけど、
その大学生の子がおじいちゃんだったかな。
おじいちゃんおばあちゃん家。
もう誰も住んでないんですよ。
一軒家に一人で住んでて、
そこがちょっと遠いんだけど、
そこがあるからっていうことで、
僕はそこに住ませてもらって通勤した。
ちょっと遠いんですよ。
なので朝6時くらいに出発して、
とはいえ1時間もかかんないですね。
自転車で40分くらいの位置関係なんですけど、
とはいえ6時に家に出て会社に着いて、
そこから効率は良くないけど、
ちんたら仕事をして、
日常業務が始まって、
その中で社長からこれやったりやってって言われた仕事を
念頭に置きつつ、
とはいえ全然進まないんですよ。
もうすごい大変だった。
全然夜12時過ぎるんですよ。
通常だと11時くらいには切り上げて帰ろうぜ、
みたいな感じで帰るんですけど、
とはいえ途中から止まった方が早くないってなって、
会社にシャワーがあったんで、
シャワー浴びてそのままいいじゃんみたいな感じで、
時々止まってたんですけど、
途中で社長に気づかれて、
止まることは許していないって言われて、
これは通勤の行って帰って1時間半くらい無駄にするって思いながら、
毎回帰ってってやってたんですよね。
また会社とかショップの横にうどん屋さんがあって、
残業できる環境が揃っちゃってるんですよ。
一食十が。
家以外全部揃ってるんで、洗濯機はないんでね。
とはいえ300メーター圏内にコインランドリーがあるんで、
究極言うと一食十全て揃っているという環境だったんで、
非常に快適な残業ライフというか、
能力の無さを時間で解決していたわけですね。
いいんですよ。
社長が結構能力を高く買ってくれて、
給料も僕の中では歴代最高打点だったんで、
24:00
とはいえ1月20万超えてないですけどね。
つまり全食全全食。
自転車屋さんはしょうがないとして、
自転車屋さんの時もそうですけど、
めちゃめちゃ給料低いんですよ。
まあいいんですけどね。
すごい給料もちゃんと払ってもらって、
やっていただいたんですけど、
事件が起きましてね。
それまでもこの仕事全然できてないじゃんとか言って、
失責をされたりとかあったんですけど、
それはなんとかなんとかこなしてたんですけど、
事件が起きまして、
たった一人の、
というかその会社自体に、
社員と言われるような社員っていうのがね、
僕とあと一人しかいないんですよ。
あとは社長と社長の奥さんみたいな、
あとはパートさんがいるっていう感じなんで、
実質僕とその人が社員でみたいな感じなんですよね。
で、もう片方の社員さん、
僕よりか先に入社して先輩なわけなんですけど、
飛びました。
ある日突然来なくなりました。
その人がやってた業務っていうのは、
僕とは全く別なので、
つまりその仕事誰がするんやって話になるんですよ。
で、その社長と話し合いをするときに、
社長がどう言ってもその仕事の一部は、
僕がしないといけないわけで、
今の仕事もカツカツなんですよって話をして、
話し合った結果、辞めるぜっていう話になって。
いやー、とても大変だったっすね、この時は。
何が大変ってね、
僕ね、その時に事故を起こしたんですよ、車で。
がっつり。
人がいる、被害に遭われた方がいるタイプの事故を起こしたんですよ、車で。
もう完璧よそ見っすよ。
よそ見して車線はみ出してそれで当たっちゃうっていうような事故で、
肋骨が折れたみたいな感じになって、
相手さんがね、僕はなぜか元気よ。
で、会社の車潰しちゃってね。
とかやって。
まあ、それはいいんですよ。
社長もいつか笑い話になったらええんやって、
働いて返してくれたらええでって言ってね。
で、まあそれもあって、結構経った後に、
まあその社員がぶっ飛んだんで、
じゃあ僕も辞めないと俺マジで死んじゃうよって言って、
今でさえそんだけ時間使わないとやっていけないのに、
これ以上は無理って言って相談して、
っていうか相談したらね、もうその日のうちに辞めろって言われてね、
27:02
出て行けって言われましたけどね。
出て行けって言われてもみたいな。
だから僕が相談して、まあ1ヶ月後に辞めますっていう話をしたんですよ。
そしたら、いやもう今日でいいから帰れみたいな言われて、
いやいや、さすがにそれはダメでしょって言ってね。
ショップの上とかあるじゃんみたいな話をなぜか僕からして、
わかったって言って、じゃあいついつなみたいな感じになって辞めるんですけどね。
その間も大変でしたよ。
いや大変だった。
辞める時にね、いわゆる結構有名な時計のメーカーさんなんで、
僕は発売スケジュールとかある程度知ってたりするわけなんで、
情報を外に出しちゃいけませんよっていう、
なんて言ったっけ、なんとか保持契約、秘密保持契約みたいなのを退職する時にするんですけど、
その時にね、その中に同業他社に就職しませんみたいな内容があるんですけど、
その契約の期間がめちゃめちゃ笑うんですけど、
なんと無限、期限切ってないっていう話がありまして、
なかなかロックでしょ。
僕らが知らされている発売スケジュールって1年か2年なんですよ。
1年か2年の知識しかないのになぜか無限に契約があるっていう。
めっちゃ笑いますよね。
僕がこれ期限ないじゃないですかって言って、
結果期限を10年って言われたのかな。
ちなみに僕守る気ないです。
秘密保持したとはいえ、
明らかに僕が持っている知識は1年2年だし、
もう既に今でさえ陳腐化してますからね。
僕が知ってたモデルは既に発売されてますし、
何の問題もないでしょうっていうレベルなんですけど、
何の問題もないんですけどね。
でも10年でしたからね。
決まった期間10年って。
まあいいんですよ。
別に不都合があれば訴えていただいたらいいんです。
30:00
さすがに10年長いでしょうみたいな。
まあいいんですけどね。
いろんな人腹がありまして仕事を辞めたわけです。
その時に事故の件で車が一打お釈迦になったっていうのがありまして、
それについての損害賠償については話し合ったんですよ。
その時にその件については損害賠償する気は今はない。
するとしてもちょっと経ってからするかもねみたいな。
その場合によってはするかもしれないよみたいな話をされて、
ああわかりました。事故についてはね。
僕の責任ですからね。いいんですよ。全然。
で、その車自体は社長のものでないし会社の車でもないんですけどね。
事故って判明したんですけど、その車は社長のお父さんの車で、
要はまたがし状態だったんですよ。
まあいいんですけどね。
まあそんな困難もあって辞めたんですけどね。
何が面白いってね。
ちなみにその車の請求なんですけど、1ヶ月も経たずに請求されました。
びっくりしました。
いやいや次の仕事もまだやってませんがみたいな。
いやいやもうすぐ払ってって言われて。
すぐ払ってですか。いや全然無理ですって。
もうなんか分割とかにしてもらえませんかみたいな相談をして。
まあそうみたいな感じで言われて。
めちゃめちゃやめたらめっちゃあれやんみたいな感じで詰められて。
めちゃめちゃ詰められましたよ。
録音もありますけどね。めちゃめちゃ詰められて。
えーこんな言うのこの人みたいな。
じゃあどうでもいいから返済計画ちゃんと立てて提出してって言われて。
分かりましたその仕事が決まったら見通し立つと思うんで。
ちょっと時間くださいって言って。
1週間後にまた電話が来て。
1週間経ったんだけどって。
いやいや仕事も決まってないのに返済計画立てれませんって言ったら。
なにそんな感じなのみたいな言われて。
いやもう裁判でもなんでもこっちはやるよみたいな言われて。
やっていただいてもいいんですけど。
でその時請求されたら40万でした。
うーんみたいなね。
どうするよこれみたいなね。
でさすがにもう無理だと思って実家家に相談して。
33:04
パパ気味からね今は亡きパパ上からお金出してもらって払ったわけなんですよ。
もう大変でしたよ。
もうめちゃめちゃ詰められましたからね。
ちなみにその時1週間経ったらもうそれは無礼だよみたいなこと言われて。
はいすいませんすいませんって。
もうちょっとすぐ何とかするんでちょっとだけ時間くださいって言って。
でお金都合つけて連絡したんですよ。
そしたら領収書準備して準備できたら連絡するよって言われて。
まさかの1週間以上経ちました。
お前1週間経ったら無礼って言ったんちゃうんけみたいな。
もうすごいねもやもやしました。
言ってないけどね。
今はもうその40万も払ってもう何請求されるものもないし完璧に縁は切れたんですけどね。
大変だったね。
もう30分過ぎましたけどまあまあ忘年会みたいな感じということでもうちょっと喋りますけど。
でその後だから1ヶ月経ったぐらいかなそれこそ。
あの今というかもう辞めちゃったけどもう今ね働かせてもらってた自転車店にチェーン店ですねチェーン店大手のチェーン店にアルバイトとして入って入ることができてね最高でしたね。
結局ね自転車店が一番いいです僕は。
いや一番いいというよりかまあなんていうのかな。
ちゃんとやることが決まっている仕事が一番いいです。
その時もねちょっと面白い話ありましたよ。
面接の当日にね履歴書に証明写真買ってないことに気づいてやべえと思って証明写真撮ろうと思って撮ろうと思った時にもう1個気づくんですよ。
証明写真にふさわしい服装がないっていうせめて襟ついてるやつかって言ってユニクロで適当に服選んで買って証明写真撮ってそのままの服で面接行きましたよ。
面接に着て行く服ないなってなって。
ゴリゴリのデスメタルのTシャツか自転車系のTシャツか。
証明写真は自転車系のTシャツで行けばいいんですけど。
まあね一応証明写真とかあるしちょっと一応ちゃんとしとこう。
36:03
ちゃんとしとこうではないけど一応無地のTシャツにしようって言ってねTシャツで行きましたけど。
なかなか面白かったね。
で行ったら行ったらねすぐ合格いただきまして。
いつから来れるみたいな話をしてねその場ですぐパッと帰りましたけど。
まあね面白かったね。
もうすぐ働くことができて本当助かりましたよ。
その時の店長さんもいい人だったし。
その時の服店長さんもいい人だったし。
というか全員いい人だった。その店舗の人全員いい人。
やべえ人はねその時点ではいなかった。
すごい忙しいお店だったんだけど。
すごいっていうよりかは宮崎県内では忙しいお店だったんですけど。
まああとはいえ全然できたしね。
よかったなと。
その後事情があって僕が店舗を移ったんですよ。
僕の事情というよりかは周りの人の事情があって。
ごめんやけどちょっとあっちの店舗を移ってくれんけみたいな話になって。
全然いいっすよみたいな感じで。
それが僕が直近まで勤めていた店舗ですね。
その店舗もねすげえいい人ばっかり。
僕が行って1ヶ月くらいで店長さんが変わって。
その時の店長さんもねめちゃめちゃメカもできるし。
接客もできるしみたいな人で何でもやる人だったんで。
めちゃめちゃ仕事が楽なんですよ。
全部やっちゃうからその人が。
だから全然楽だったんですけど。
その後に来た店長さんもめっちゃいい人で。
その後来た店長さんはねどっちかというとなんていうのかな。
個人店やればいいのにタイプの人で。
すごく趣味性の高い自転車。
趣味系の自転車が好きな人で。
いい人だったっすね。
その後ね副店長も変わったりとかした。
副店長もねもともといた副店長めっちゃいい人で。
めっちゃいい人で。
もうシュッと身長高くてシュッとした人ですよ。
ロードバイク乗ってるって感じの人なんですけど。
とてもいい人で。
その後来た副店長もね真逆。
すごいちょっとお腹出てる系の人で。
歳だいぶ一緒なんですよ。
同じでめっちゃ話も合うしいい人なんですけどね。
結局全員一緒なんですよ。
その時のアルバイトの人も全員一緒だしね。
めっちゃいい人。
本当はね11月10月に辞める予定だったんですけど。
要はその働いてる間に父親が亡くなったんで。
父親が亡くなった上にうちの母親も糖尿中だし。
うちのおばあちゃんは若干認知症が入ってきてるんで。
ちょっともう母親一人でそれは無理やろうってことで。
39:02
僕じゃあ仕事辞めて戻るよって戻ったわけなんですけどね。
まあいろいろあったね。
まあそれもあって10月ぐらいに辞める予定だったんだけど。
なんで今もいるかというと。
今もいるかというか最近までそこにいたかというと。
ボーナスアルバイトにも出る会社なんですよ。
なのでボーナス出るということだったんで。
じゃあ席だけ残してみたいなね。
全く働かないのはまずいんで月に何日か働いてみたいなことをやってましたけどね。
まあそういう感じでしたね。
この2年本当に大変だった。
ただ糖尿自体は長かったというか分かってたんですよ。
父親も母親も。
まあ母親はまだ糖尿中ですけど。
かなり分の悪い戦いをしているということも分かってたしね。
5年生存率はかなり絶望的ですみたいなことを自分で言ってたしね。
ちょっとビビったぐらいですよ。
こんな早く行くみたいな感じで。
来年とかまだいるような感覚だったんだけど。
まあ思いのほか悪くて。
だからちゃんと意識があるというか。
ちゃんとキャッチボールができる状態で喋ったのはね。
最後の入院する前の時かな。
その時に病院に行ったらめちゃめちゃ数値が悪くなっちゃってて。
これやべえぞってなって連絡が来たんで。
仕事は全部有給使って休んでバーって戻ったんですよ。
で戻ってその時に電話で喋った時に。
その時は症状も一旦落ち着いたんで。
普通に喋れたんですけど。
早まるなよって喋って。
何言うとんねんっていう感じで喋って。
早まるなよっていうか有給全部使ったはいやって思いながら。
喋ってね。
口数の少ない人でしたけどね。
父親はね。
その後一旦帰ってきて。
僕も有給使ってるからね。その間にお父さんが帰ってきて。
その時にたまたま僕自転車の試験受けるのに
42:02
前にいたお店からプレゼントで工具もらったんですけど
調整がいるんでその調整がなかなかうまくいかねえっていうことで
それこそ父親と二人で
これどうやって調整したらいいかなって徹底相談してね。
一緒に作業した思い出がありますね。
それが最後に一緒に何かしたっていう思いですね。
ただね、僕がその時まだ広島の自転車店に勤めていたら
間違いなく間に合わなかったし最後のその時に。
もちろん今はコロナの関係があるんで病室には入れないんですよ。
検査してから入れるんでそんなことやってたら間に合わないみたいな感じで。
うちの母親はね、すでに検査した後だったんで入れるんですけど
僕と姉はね、入れなかったんですよね。
だったんで最後の会話、実際に最後の会話は
その亡くなる直前というか亡くなる前の夜の電話で喋ったぐらい。
ただその時にはもうね、あんまりキャッチボールみたいな感じはできなかった。
うんうん、わかったわかったって言って終わったんですけどね。
だから本当、いろんなタイミングがありますよね。
もちろん僕宮崎に帰るって言ったのは別に母親の病状があるかとか
父親の病状があっていうのがあったわけではないんですよ。
その時僕まだ全然もうちょっと長く生きられるだろうと思ってたので
だったんですけど、何らかの何かがあるんでしょうね。
そう、何かがあるんですよ。タイミングがあるんですよね。
本当、タイミングですよね。
まあいろいろこう行ったり来たりしましたけど、
まあでも総括すると良かったんじゃないかな。
良くない出来事はあったとはいえ。
とはいえ良かったんじゃないの。上出来じゃないですかっていう感じのこの1年というか。
実際には去年から続いていることなんで、この2年なんですけど。
まあ来年は何しましょうかね。
あんまり能力高いわけじゃないからさ、頑張るのも嫌なんだよね。
出来るだけゆらゆらとふんわり生きていきたいなと思う今日この頃でした。
45:05
45分過ぎたところです。
今回長かったんで最後まで聴いてくれる人がどれだけいるかというところなんですけれども。
聴いていただいて本当にありがとうございますというところです。
今年は多分もう録音するタイミングがないと思うので、
まあこれで今年は最後になるかなと思います。
皆さんどうでした今年1年は。
良い1年でしたか。
多分捉え方を変えれば良い1年なんでしょうね。
僕はそんな感じの1年でした。
それではここまで聴いてくださってありがとうございます。
ぬるるむでした。良いお年を。