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  2. #160 サリーの仕上げ方 その2
#160 サリーの仕上げ方 その2
2024-02-06 42:49

#160 サリーの仕上げ方 その2

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感想

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00:05
NULL ROOM第160回です。今回は前回の続きですね。
さっきね、撮ってタイトル決まったんで、サリーの仕上げ方その2ですね。 大学行ってからなんで、もうこれでもう僕の仕上がり
完成するんじゃないかなと思うんですけど、 大学行ってからの話ですね、していこうかと思います。
大学選びは、前回で言った通り、高校の部公文の先生が、していこう推薦に乗ってくるぜって言って、実際本当に取ってきてくれて、
成績もギリギリ着地していけることになったんですよね。ここからちょっとね、ひともんちゃかったんで、そのエピソードも話そうかなと思います。
大学していこう推薦で受かったのはいいんですけど、大学から課題が出されたんですよ。小論文だったかな。
僕はそういうのめんどくさいんで、小論文書かなかったんですよ。
それがその部公文にバレまして、最初で最後ですね、バチクソ怒られました。
ちなみに結局出しませんでした。
そんな感じですね。
確かそのまま入学した気がするな、大学。
ある意味ないよね、本当。
なんで小論文書かされるねと思った記憶がありますね。
そんな感じのことがありました。
大学入ったんですよ。
大学入ったら、そもそも指定講推薦を取ってきたツテがあって、それが大学の教授、準教授と高校の顧問の先生がつながっていたかな。
それで入れたんですけど、そこの人とよくお話をさせてもらうことになったんですけど、もちろんその大学にはカヌーブがあって、
僕はそのままカヌーブに入るんですけど、
ダルダルですね、時々レース行くけど、みたいな感じだったんで、
すげえダルダルにやってましたね、あの時は。
びっくりするぐらいダルダルでした。
筋トレとかもやってましたけど、
結局大学でもそんなにマックス上がらず、105キロ、ベンチプレスか、105キロで終了って感じでしたね。
もう全然伸びてないわけ。大学4年間もあんのにね。
大学1年の頃はどうだったかな。
そうそう、大学1年、入った瞬間にね、
03:00
どんぐらいかな、3日?4日?
オリエンテイリングみたいなやつで、近くの青少年自然の家みたいなところで合宿みたいな感じになるんですよ。
そこに集められて、僕は宮崎の片田田舎から、間違えた、片田田舎から、
広島にある福山市っていう、広島第2の都市。そこそこでかい都市ですわ。
そこに行ったんで、そわそわそわそわしながら、そこのオリエンテイリングに参加したんですよ。
それもね、面白かったな。オリエンテイリングに何がいるかとかも全然わからなくて、
てか、いつあるのかも知らなくて、そもそも。
で、気がついたのが前日だったんですよ。入学式終わってすぐぐらいか、だったんですよ。
把握しとけって話なんですけどね。全然把握してなくてですね、
友達もまだいませんからね、入学しただけだから。
で、それでやってて、前日に判明して、ただその時ね、でかいカバンとかもなかったから、
そのカバンいるじゃんってなって。
でもその発覚したのがね、夕方6時、7時、8時とかで、
うわ、やべえやべえってなって、とりあえずスマホで、
あれその時ガラ系か?いや、うわ、ガラ系かも。
かなんかで検索して、まあ遅くまでやってるというか、
普通に近くの個人経営のスポーツショップみたいなとこにとりあえず行って、
その時車もないから、その時は入学式に母親が出席するって言って、
母親も僕の家に一緒に来てたんですけど、
引っ越し業者がやらかして、荷物が来てなかったんですよ。
今でも覚えてるわ。だから寝具とかもなくて、
当時まだ僕は今の仕上がりではないんで、
体は仕上がってたけど、今より仕上がってたけど、
ただその床で寝るとかはあんまりあんまりだったんですけど、
当時まじで何も到着してなかったんで、
うわ、やべえってなってて、
母親と二人で寝具ないのに床で寝るっていう。
そんな感じでね。
しかもね、広島県って飛行場がなくはないんだけど、
めちゃめちゃ変なとこにあるんですよ。
なので飛行機で行くこともせず、
普通にバスで行ったんです。
高速バスですね。夜行バスで移動した記憶がありますよ。
母親と一緒に。
あれでも新幹線か、大学入学は。
どっちかな?新幹線だった気もするな。
ただ家から福岡までは高速バスだった気がするね。
06:03
高知方の、まだその時道も新しくなかったんで、
ぐねぐね道で、絶対酔うぜみたいなぐらいの道で
行った記憶があるっすね。
そんな感じでね、母親と一緒にタクシー乗って
スポーツショップ行って、スポーツバッグみたいなの買って、
とりあえずそれに今ある衣類を全部突っ込んで
行った記憶がありますよ。
一応体育系の大学なんで、
学校指定のジャージーみたいなのもあった気がしたよ。
あれ違うか、いや、学校指定のジャージーだった気がする。
だったっけ?記憶がごっちゃになってんな、どうだろう。
普通のジャージーだったかもしれない。
そんな感じで行ったんですけど、
もちろん誰も知らないんですよ。
誰も知らない。
その大学ってエフランって言われるような大学だったんで、
めちゃめちゃどこにも行けなかったやつが来たりしてるんで、
スポーツ系の、スポーツ推薦で
良いとこの大学行けんかった。
そこそこ実力あるけど、とはいえ、
良いとこの大学は全部埋まってましたみたいな感じの
可哀想な奴らがいて、
もちろんガチガチに仕上がってる奴もいたんだけど、
ちょっと半端な奴とかもいて、
ヤンキー崩れみたいな奴らもいたんですよね。
そんなところに放り込まれては、
ヤンキーおるでみたいな感じで、
スッスンってしてたんですよね。
その時に、とりあえず誰か話しかけるかって言って、
適当に喋りかけた奴らが、
数少ない僕の今の友人でもある奴ら、
3人かな、3人ですね。
1人はほぼほぼ連絡も取ってねえから、
友達かというとどうだろう、
あいつは思ってない可能性もあるんだけど、
一応3人ですね。
ここで僕は自転車に出会うんですよ、
そのオリエンテイリングで。
その3人って言ってた奴のうち1人が、
そいつが自転車をバキバキにやってるんですよね。
もともとあれどこだっけ、
スポーツショップに勤めてて、
チェーンのでっかい会社の。
勤めてて、そこでバイトしてて、みたいな感じで。
で、なぜか高校、大学に来てたんですけど、
そいつと喋って話があって、
どの自転車乗ってんの、みたいな感じで。
で、スペシャライズのターマックSL3だったかな、SL2かな。
A自転車よ、ほんとに、に乗ってて。
高校時代に親に買ってくれって頼んで、
で、バイトして3年間働いて返すっていうやつで。
そいつに出会ったのが僕の中では相当デカかったですね。
09:00
他2人もまあまあ影響与えてると思うけど、
そいつの影響が一番デカいかもしれないです。
そいつと自転車の話をしたりとか、
残り2人と適当な世間話をして、
そいつらと仲良くなったんですよ。
その以降4年間、
僕は大学に5年いましたけど、
4年間ずっと仲良くしていました。
1人以外全員元気かな、今も。
1人はもう分かんない。
たぶん自転車入ったって言ってたけど、
今何やってるかは聞いてないですね。
そんな感じでした。
そこで僕は自転車をやってるやつに出会って、
そいつに自転車のメカとかを見させてもらったりして、
自転車のメカもかっこいいじゃん、みたいな。
へーって言って、見てたんですよね。
それが本当4月5月の話ですよ。
僕はカヌー部もやってたんで、
カヌーの練習行ったりとかしつつ、
やってたんですけど、
練習とかも全員自由なんですよ。
カヌー部で集まって、
せーので練習しようぜ、みたいになくて、
やりたい時に勝手にそれぞれやれ、
みたいな感じだったんで、
勝手にそれぞれやってたんですよ。
先輩は2人いたんですけど、
1人はクソで、
そんなこと言っちゃいけん。
まあ世話にはなったけど、
人格に問題あるみたいな人で、
ちょっとやべえやつでした。
確か大学生で、
大学3年の時かな、
先輩が3年の時に付き合ってた彼女が、
中3じゃなかったっけ?
いやもうそれはやべえだろ、みたいな。
そんな感じでちょっとやべえやつだったんですけど、
その先輩に何か言われたりして、
筋トレ一緒にしたりとか、
してましたね。
それで、
5、6、7月、8月、
みたいになっていくんですけど、
8月ぐらいになった時に、
今も仲いいうちの1人ね、
別に名前出していいか、
別にどうでもいいやろ、
森光って言うんですけど、
森光が、
そういえば大学のすぐ近くに、
自転車ができるらしいぜ、
みたいな話を持ってきたんですよ。
で、
ちょっと行ってみようぜって話になって、
行ったのが僕が勤めていた、
自転車中吉福山店っていう、
チェーン店でもないんですよ、
個人店ですよ。
中吉福山っていうところに、
行ったんですよ。
そう、
農機具の倉庫を、
ちょっとだけ改装して、
自転車が並んでて、
倉庫のところにちっちゃい、
ログハウスがね、
立ってたんですけど、
そこで、
事務的なことだったり、
商談じゃないけどさ、
カタログ見たりするところがあって、
そこに行ったんですよ。
12:01
そこに行ったら、
なんか知らんけど、
自転車でぴょんぴょん飛んでる奴らが、
いたんですよ。
当時はあんまりいなかったんだけどね、
人も。
で、この自転車って何なんすかって言ったら、
今は僕がゼロベースに置いてる、
トライアルっていう、
自転車があって、
それトライアルっていうジャンルの自転車だぞ、
みたいな感じで、
楽しそうだなって言って、
そこからも入り浸りよ、
本当に。
そこの店長さんの自転車に、
借りて、練習して、
うわ、めっちゃ楽しいっすわ、
みたいな感じで、
いろいろ教えてもらいながらね、
そこに入り浸ってたんです。
で、
その年の、
10月ぐらいかな、
10月ぐらいに、
自転車買ったんじゃなかったかな、
トライアルバイクね、
オレンジ色のやつね、
まあ安いやつですよ、
9万円だったんで、
めちゃめちゃ安い、
エントリーグレードの自転車買って、
楽しく自転車乗ってましたよ、
そう。
もう1日中、
自転車ですよ、
本当に、大学は行ってたけど、
1年生の間は、
まあまあ、
遊んでましたね、そこで。
夜11時、12時くらいまで自転車乗って、
で、
店長とだべって帰るみたいな、
店長はずっと発注だ、
自転車の作業をやったりとかして、
ずっといたんですけどね。
そんな感じで、
その自転車屋に出会ったわけですね。
で、別に森光ってね、
自転車やってた子ね、
森光は別に、
中吉に入り浸ったわけじゃなくて、
普通に彼は真面目なんで、
普通に大学行って、
お家帰って、
勉強して、みたいな感じで、
真面目にやってたんですけど、
僕はその間ずっと、
自転車に入り浸るみたいな感じだったんですけど、
そうこうしてるうちに、
年も明けて大学2年生になって、
で、
自転車欲しいなって言って、
どの自転車買おうかな、
みたいになっていくんですよ。
で、いろんな人の自転車を見たりとか、
お店を手伝ったりとか、
していく感じになっていくんですけど、
基本的にはトライアルで、
2年生の頃遊んでた感じですね。
なかなかおもろかったですよ。
トライアル、自転車、
イベントにも出たりとか、
してたんで、
よいしょ。
なかなか楽しく遊ばせてもらいましたよ。
で、ちょうど2年生ぐらいになった時に、
アパートに放置されてた、
クソ安アルミ
ロードバイクかな?
15:01
あれロードじゃねーよ。
クロスじゃねーか?
あれ?ロードか。
そう。
が、放置されてて、
これ乗るかってなって、
全部パーツばらして、
組み立て直して、
動く状態にして、
それを乗ってましたね。
2年生ぐらいの時は。
2年生の終わりぐらいかな、
に、
その自転車は、
イニシエのリターンオフっていうね、
当時有名だった、
クソ安自転車なんですよ。
有名だったっていうのはね、
いじりたい放題いじるみたいな自転車。
そう、通販で買って、
わきわきにいじって乗るみたいな、
おもちゃにされてた自転車があったんですけど、
2年生の頃はそれに乗ってました。
で、その間に、
自分の自転車欲しいよね、
ちゃんと新品のやつ欲しいなってなって、
大学3年生の頃に、
僕は、
今乗ってるサーリーを作ったんですよ。
サーリーのロングホールトラッカーっていう自転車ですね。
を作ることになるんですよ。
で、僕の人間性的なところでいくと、
同じカヌーブ1年生で、
1個年上の、
名前がしか出てこん。
あれ?
オサムっていう名前なんですけど、
オサムってやつが、
1個年上なんだけど、
1年間社会人して、
やっぱ大学行かんとダメやってて、
当時の母校の先生に、
俺の頭でも入れる大学を紹介してくれって言って、
確か一般入試で入ったんじゃないかな、普通に。
ちゃんとテスト受けて。
それが同級生だったんです。
同級というか同じ部活に入ったんですよ。
そいつが関西人なんですよね。
兵庫だったかな。
そいつがね、
一年間言ってもね、
社会人ばりっとやってきてるんで、
めちゃめちゃ月給あったらしいぞ。
タイルか何か作ってる会社。
床の。
で、めちゃめちゃ月給とかもあった。
だけど、
その仕事を辞めて、
勉強せんといけんって言って、
大学に来てたんですけど、
確か。
そいつの影響が一つでかいかな、
今の感じの。
そいつはもうマジでただの洋客みたいな感じの
やつだったんですけど、
そいつの繋がりで、
いわゆる大学にいる洋客たちと繋がって、
そいつらと一緒になったりとかして、
その俺で僕の性格がだいぶ
カスタマイズされていった感はありますね。
それがなかったら、
その大学で喋ってないやつが死ぬほどいますからね。
18:02
それがなかったら、
最初に言ったその3人の
友達しか、
多分僕は喋ってないし、
知り合いにもなってないと思うんですけど、
まあその、
オサムーのおかげでだいぶ、
あれ名前出てこねぇ。
僕普段オサムーとは呼ばないんですよね。
苗字で呼んでたんだけどな。
だめだ、今思い出そうとして、
そうそうそう、オサムーだったよな、
名前と思ったら、
あっという間に全部飛んじゃったわ。
そいつの、
考え方も若干影響を受けたし、
喋りじゃないけど、
人間関係もそいつによって、
だいぶ僕が、まず知り合わねぇし、
絶対近寄られねぇやつらと、
近寄ることになったって感じですよね。
それがほんと1年2年のやつですね。
3年になると、
僕はもういよいよ大学にもほぼ行かず、
というのが、大学って
全期講義分かれてて、
全期15コマ、
15回講義に出るみたいな、
14回講義出て、
15回目が、
いわゆるテスト、
なんですけど、
そのうちね、何分の1かな、
3分の1かな、
3分の1か4分の1、
は休んでも、
その最後のテストの受験資格があるんですよ。
なので、
僕はその初っ端の1コマ目、
最初の授業の1回目を受けて、
はい、僕この授業取りますって言って、
その後、
まるまる1ヶ月休むって。
大学は、
授業って、
基本的にその何かの単位を取るって言って、
その授業って、
1週間に1回なんですよね。
何用の何コマ目が、
この授業ですって言ったら、
もうそれしかないの。
だから、
1ヶ月って4週間あるでしょ。
で、さっき言ったように、
4回休んでいいんで、
そうなると、
1ヶ月休みなんですよね。
1ヶ月は休んでも、一応テストは受けれるんですよ。
で、僕はその権利を
フルに活用して、
1回だけ授業に顔出して、
あとは、いきなり1ヶ月いなくなるっていう。
で、その間は、
常に遊ぶみたいな。
パソコンでゲームやったり、
自転車に入り浸ったりとかして、
6でも大学生やってましたよ。
で、今と同じで、
当時から職に興味がなかったんで、
職費をゴリゴリに削って、
奨学金をもらってたんですけど、
ゴリゴリに
職費を削りながら、
自転車を買うっていうことになりました。
3年生の頃ね。
それが、
サーリーのロングホロトラッカー。
今乗ってる自転車を組み立てた
時でしたね。
20分なった。
このまま話し切ろう。ちょっと長めでごめんね。
で、
そのサーリーを
組むにあたって、
21:00
パーツが死ぬほどいるわけですよ。
死ぬほどいる。
結局トータル50万近いからね。
自転車は。今はね、
パーツがだいぶ貫通されたんで、
トータルの値段はだいぶ安くなってるけど、
当時は変速も何もかも
増し増しで乗っけたんで、
めちゃめちゃ高いんですけど。
それで、
毎月ね、
本当、何万浮かせてたか。
毎月何万も浮かせて、
4、5万浮かせて、
職費削りまくって、
家賃払って、
まあなんやかんや払ってして、
なんとか、
まあ食べるもんより
自転車のパーツみたいな感じで、
ゴリゴリに金を使ってましたね。
毎月毎月金持っていって、
じゃあ今月はこれ注文で、
どんどんどんどん
頼んでいって、
展示会シーズンに、
サーリーロングホールトラックを買ったのかな。
確かね。
夏時期にオーダーして、
それが、
ちょっと空いて届くみたいな感じで。
そうですね。
もうこの辺で、
ほぼほぼ僕の仕上がりは完成ですね。
ほとんど。
その自転車を組んでいくにあたって、
その自転車は旅用の自転車だったんですよ。
旅をするため
という目的のために
作られた自転車で、
じゃあどっかに
行きたいなってなったんですよ。
自転車を組んでる間にね。
どうするかなってなって、
とりあえず
世界一周したいよねって話になって、
かといってさすがに在学中に
行くのはまずいというか、
無理だろうって話になって、
じゃあとりあえずアメリカ行くかみたいな。
アメリカ行こうってとりあえず決めたのが、
3年生の終わりぐらい。
10月とか11月ぐらいですよね。
じゃあアメリカ行くかってなったんで、
とりあえず不動産屋さんに連絡して、
部屋解約していいですか?
って言って
部屋解約して、
大学に
休学したいんですけどみたいな
話を持って行って。
その時ゼミの担当の先生にも
言ってあったんですけど、
本当に行くのかって話になって、
で、学科長、
学部長に
しこたま
詰められました。
アメリカ、
自転車だけで行くの?
みたいな。
横断すんの?
マジで大丈夫?みたいな。
事故とか事件に巻き込まれたら大変じゃない?
みたいな話になって、
英語できんの?
英語できないぞ、全然。
それはちょっとまずいよ。
みたいな。
ダメだよ、それは。
最初は確かね、
卒業してそのまま
就活せずに行こうって言ってたら、
ゼミの先生が
それだったら休学して今行きなよ。
じゃ今から行くかって言ったら
そうなったんですよね。
で、学科長、
学部長から詰められ、
最終的にはゼミの先生が
かばってくれたりとか、
24:03
学部長とか、
あと学科長もそうなんだけど、
最終的には味方をしてくれたんで、
まあまあいいでしょうと、
休学して行きなさいみたいな話になって、
OKって言って、
で、大学3年の12月末には
家を亡くなりましたね。
とはいえ、
あれですよ、
大学は普通に春まであるんで、
授業を受けなきゃ
なんですけど、
それでも家がないから、
家がないから、
その辺の川から出勤してましたよ、
大学に。
卒論とかね、
基本そうだね、
最初は卒論は
その後だから別に違うか、
あの時どうだったかな、
普通に授業行ってましたけどね。
そう、
その時はホームセンターで
バイトしてたんで、
そのバイト先の店長が、
住所なくなるけど働いてもいいよ、
そのままって言ってくれたから、
しばらくそこで働くんですよね。
それで12月末に家亡くなり、
大学も休学になり、
しばらくはホームセンターで
アルバイトしながら、
日中は大学行って、
夕方からホームセンター入って、
1年みたいな生活が始まって、
そのまま1年くらい
野宿ですよ、僕は生活が。
真冬の12月に野宿なんですよ。
まあまあ寒かったですよ。
バキバキに寒かった。
そうやって福山市内で
そういう生活してたら、
自転車屋さんに来てるお客さんの
一人が、
それだったら大阪に割のいいバイトあるから
行きなよって言ってくれて、
それに紹介されて大阪で、
あれKDDIだったかな?
違う、ドコモだわ。
ドコモかな?
ドコモかKDDIだ。
KDDIの下請けの下請けの下請け
みたいな仕事をやりました。
そこでね、
会社っていうものを知りましたね。
ちゃんと社会人じゃないけどさ。
僕はね、
頭数合わせで入れられた人なんですけど、
まあそれでもね、
ちゃんとパシッとするところはパシッとしないといけないし、
下請け、
孫請けだからといって雑な仕事はできないんだぞ
みたいなね。
まあそういう一般常識みたいなのを叩き込まれましたね。
叩き込まれたわけじゃないけど、
全然その会社側としてはね、
全然割に合わないんですよ。
岡山の会社だったんですけど、
大阪まで3人?
3人出張していって、
仕事を何とか回して、
その間ずっと大阪の
ウィークリーマンションみたいなところで、
27:00
そこが事務所兼3人で、
プラス僕の家みたいになってて、
普通にリビングで
3人が
それぞれ隅々で、
4つ角にいて、
1つの角はね、
机が置いてあって、
ノーパソで事務作業するところで、
そこで事務作業して、
みたいな感じだったんです。
そこで、
1日何万?
1万ちょっとぐらいじゃないの?
飯とか全部出て、
家賃なしで1日1万で、
そこで40連勤ぐらいさせてもらって、
金を貯めて、
それでアメリカ行きのチケットを買ったんですよね。
アメリカ行きのチケットはね、
ホームセンのバイトで、
往復10万のチケットを買いました。
アメリカ。
その後、そもそもの、
資金を貯めるために
大阪へ行ったんですよね。
そう。
で、そのまま、
そこで仕事が終わって、
じゃあ行ってきますって言って、
普通に東京まで行って、
箱で護衛もやったしね、
自転車でね、楽しかったよ。
寒かったよ。
翌日土砂降りだったぜ。
そんなこんなしながら、
アメリカ行って、
アメリカ行ったんだけど、
マジで何売ってるか分かんないし、
そもそも自分が行こうと思ってた道は、
そもそも自転車で走れませんって話になって、
おっと、
これは代わりのチケットに間に合わねえってなって、
で、一旦、一旦帰ろう。
一回帰ろうってなって、
それで、
20日間ぐらいいて、
帰ったんじゃないかな。
20日ないかぐらいかな。
そうなんすよね。
帰ってきたら、
所持金もほぼゼロだったんで、
あの、
東京にほぼ裸一貫ゼロ円で
着いちゃうっていうね。
金ないのに。
金ない状態で、東京に放り出されて、
で、
大阪まで行けば、
とりあえず親戚がいるんで、
なんとかなるだろうってことで、
ほぼほぼゼロ円の状態で、
うわーっと一気に、
大阪まで行きましたね。
そう。
その帰りの途中でね、
あのー、
静岡の方の、
海っぺりの街というか、
ところで、
おじさまに声かけられて、
飯食わせてもらったりとかね、
しつつ、
はい。
してたんですけどね。
そんな感じでね、
アメリカ行きというか、
1年の野宿生活を終え、
帰ってきて、
それでなんだ、
そうそう、
僕足の皮膚ボロボロなんですよ、裏。
足の裏の皮膚ボロボロ。
30:01
なんすよ。
それその時に、
その時の後遺症です。
今もずっと治ってないですね。
そう。
その帰りってね、台風がね、
ぶつかって、
大阪から実家までの道のり、
全部台風でびちゃびちゃになりながら帰ったんですけど、
その時にね、
ふやけるの向こう側まで行って、
あ、ふやけるの向こう側って痛いんですよ、
もう。
足が。足の裏というか、
ふやけてる皮膚が。
なんかずっと電気走ってるじゃないけど、
電気走ってる声でも痛いんですけど、
ビリビリからもう痛いみたいな感じになるんですけど、
それでも家に帰るまで
止まれないんで、
その後遺症で、
足の皮膚がボロボロです。
今も。
最近ね、わりと、
元に戻ってきた感はあるけどね、
そこ、
10年経ってるからね、
そこから考えるとね、
たぶん治らない何かになってますね。
ん?これ車来てない。
なんだなんだ、止まってんのか?
そんな感じですね。
で、その後、
大学復帰して、
卒論書きながら自転車屋で、
バイトして、
そう。
で、卒論書き上げて、
卒論発表会で時間オーバーしまくって、
めちゃくちゃ怒られて、
ちなみに卒論のテーマは、
ツルドフランスに見る
自転車の合理化、
について、
っていう。
僕が入ってたゼミが、
スポーツ史っていう、
スポーツの歴史について、
研究するじゃないけど、
そういうゼミだったんで、
それ関連で、
そういう風になったわけですね。
そんなやつでね、
時間オーバーしまくって、
めちゃめちゃ、
下級生が怒られてました。
時間管理するタイムキーパーがいたんですけど、
タイムキーパーがバチクソ怒られてました。
僕はその後、ゼミの先生に、
お前時間見てなかったのかよ、
って言われました。
見てませんでした。
最初から収まるわけないじゃん、
って思ってたから、
タイムキーパーに止められるって言ってたら、
バチクソオーバーしてましたね。
その後、
僕は自転車屋で、
就活するのめんどくせーってなって、
一応形だけ就活はしましたけど、
就活する時も金がなくて、
自転車に大阪まで面接行って、
一次試験受かっちゃって、
一週間後の二次試験に向けて、
どうするかってなって、
帰ったら戻ってこれないってなって、
大阪で野宿かますかって言ったら、
親戚に助けてもらったんだけど、
そんなことがありつつね、
大学から卒業しました。
33:01
そのまま自転車店に入るんですけど、
僕は一応その時は、
今に近いっす。
喋りも対応も。
こんな感じ。
なんですけど、
もうちょっと、
一人一人してたんですよ。
要はお客さんが、
今度乗りに行こうぜって言っても、
いやいいっすみたいな。絶対やるっすみたいな。
めちゃめちゃ仲良いお客さんでも、
いや僕はいいっすわ。
それはいいっす。行かないっすみたいな。
ツーリングとかもほぼほぼ参加してないみたいな。
お店でやるイベントの時ぐらいか、
みたいな感じだったんですよ。
なんだったんだけど、
それまでお店のツーリングから、
お店のツーリングで、
人が多くなってきちゃって、
ペースが合わなくなってきたんですよ。
最初から中吉に来てる人たちは、
どんどん早くなっていったんで、
速度が上がってきたんだけど、
その直近で買った人たちっていうのは、
ペースが遅いんですよね。
だから一緒にツーリングって、
無理じゃねっていう感じの速度差が、
開いちゃったんですね。
それがあって、
じゃあ何班かに分かれるかってなって、
3班ぐらいに分かれて、
走るようになったんですけど、
その時に僕一番遅い人たちの
飲食で走ってたんですよ。
飲食で走って、
簡単なレクチャーとかしながらとか、
飲食で連れ回してたら、
人と走るのも悪くねえなってなってきて、
これ多分ね、昔のポッドキャストで
喋ってるんですよ。
この時一緒に走った人っていうのが、
めっちゃいい人で、
その人に、
僕は人と走る楽しさを、
再認識させられました。
再認識というか、
初認識というか。
させられましたね。
楽しいじゃんってなったのが、
その時でしたね。
それで、人と何かそうやって
遊ぶのも楽しいなってなったので、
今こうなってます。
その時だったら、
僕サバゲーやってないんですよね。
多分。
なんで知らん奴と一緒に遊ばないといけんのって、
多分思ったと思うし、
それはあるかな。
知らん奴とっていうよりかは、
今出来上がっているコミュニティに
わざわざ入る必要はあると思うんですよね。
僕あんまり遭遇したことはないけど、
近いことにはなっている時もあるけど、
何て言うのかな。
知っている人同士で固まっている状態って、
僕あんまり好きじゃないんですよ。
僕がワニ入ろうって
思わないというか。
今僕は役職みたいな感じでついてるから、
ゼロベースの人間だったりとか、
なんか銃いじってるやべえ奴みたいな、
認識が
ふんわり周りに共有されてるから、
36:00
別に僕は普通に喋り、
入れてますけど。
そうだね。
自転車屋さんに行ってなかったら、
絶対行かなかったと思う。
役職がついたら絶対行かねえと思う。
実際当時そうだったしね。
自転車屋にいた頃も。
マジでそんな感じですよ。
いやもう、オフの日はオフなんでって言って。
オフの日は感情スイッチごとオフなんで。
今もそうですよね。
今も完璧に
僕が一人でいるところを見たら、
ビビるぐらい目死んでますからね。
そんな感じですよね。
だからその時のツーリングとか、
その後も一緒に
自転車で走ったりとかして、
多少人間の心が
取り戻せたんじゃないかなと
個人的には思ってます。
そんな感じですね。
いやそうなんすよね。
基本的に僕は人のことが
あんまり好きではないんですよ。
自分が好きかと言うとまた
違う話になるから
あれだけど。
そうなんすよね。
ただ自転車屋さんがあったから
今、
もう少し他人に興味を持とう
っていう感じになって
今に仕上がってるって感じですよね。
だから基本的に僕、すげー遠いところまで
行ってる時って一人なんですよね。
そう、広島から出雲。
福山から出雲だから
実は近いんですよ。片道150キロぐらいしかないんで
行って帰って300キロでしょ。
それに行ったりとかで、
もちろんアメリカ行く時も
全部一人で走ってるし、
あと実家に帰る時とか、
あと下関まで走った時とかも
全部一人ですね。
長距離で人と走るって言ったらね、
本当、自転車屋のイベントの
あれだな、
200キロ走るとかの時
だけかな。
そうなんです。
今はね、もう全然変わっちゃったね。
今やもう毎年
広島に行って
自転車30分のレースのために
行くし、
で、それ以外にも
去年からそうだけど、去年とかも
自転車のお客さん
その時のお客さんと
松山で走ろうぜって言って
広島から松山と
宮崎から松山って
ほとんど距離感的には一緒
半分中間地点なんで
そこでちょっと待ち合わせして
自転車乗ろうぜって言って乗ったりとか
してますけどね。
今年はどうかな、今年は
お店忙しいから厳しい気がするけど
まあでもそれでも小川さんがいいよ
って言ってくれたらね、ちょっと
一回春
後ぐらいに一回走り行きたいな
と思ってますね。
あと年末、10月
11月ぐらいには
いつもの行ってる広島のイベント行って
みたいな感じでしょうね。
はい。
39:01
そうですね。
僕を仕上げてきたのに
かなり関わってる人はね
まず最初はね、僕に家具を
やらせてくれた
うちの母親ね。
そこで出会ったNPO法人の人たちね。
があって
次がその
高校の部活の部公文の先生
この部公文の先生が
僕のまず基本の考え方と
その後ある
野宿という過酷な生活を
耐える肉体を
授けてくれたって感じですね。
大学行ったら
森光っていうやつが
自転車っていう趣味を
見つけてくれて
自転車店もお店も見つけてくれて
同時進行で
おさむっていう同級生の
カヌーブと一緒だったやつが
僕が普段
絶対に関わりたくない
タイプの人たちと
関わらせてもらって
これもこれでありかなってなって
その後自転車店に入って
自転車は趣味にできるけど
自分一人でやりたいんですけどっていう
ひねくれた考え方を
直してもらって
今に至るって感じですよね。
本当に。
そうなんですよね。
自分がどうなるか
わかんないですよね。
自分の夢とか
なかったですかね。
小中高ずっと夢ないですからね。
将来何になりたいですか。
小学校の卒業文集では
自分の母音音産に
気がついていないんで
科学者になりたいとか
なんて書いたんだろうね。
覚えてねーやん。
文集家にあるから読めばわかると思うけど
書かないといけないから書いた夢ぐらいのもの
しかなかったんですけどね。
大学で自転車に乗ってどっか行きたいっていう夢は
一旦叶えてるんで
今僕別に夢もなんもないんですよね。
ただ僕は趣味ごとに
愛されてるみたいなんで
なんか知らんけど
趣味ごとで飯を食わせてもらってますね。
なので流れ的に
僕は趣味ごとで生きていくっていうのが
決まって
いい感じになってるのが
もちろん代償は払ってますよ。
借れねーなーってなってるからさ。
野宿をやってる頃をベースとしてみると
それに比べて
今は別にめちゃめちゃ
家あるしドアついてるし
電気通ってるしめちゃめちゃいい暮らしできてるなー
っていう感覚ですけど
どうなんだろうね。
これ耐えれない人もいるんだろうなとは思いますけどね。
だから僕にとって代償ではないけど
普通だったら嫌だろうなと思う。
代償を払って
42:01
今こうやって趣味ごとで
飯食わさせてもらって
とても僕は嬉しい気持ちですね。
そんな感じでサリーは
仕上がったということです。
いや長かったね。
もうだってさ余裕で家ついてるけど
家通り過ぎてちょっと走って
いや走るのもガソリンもったいないなって
今止まってますからね車。
そんな感じでその1その2と
今日話してきました。
僕という人間が
どう仕上がってきたかが
分かっていただいたんじゃないかなと
思います。
そんな感じで
これからもサリーをよろしく
お願いいたします。
それではさよなら。
42:49

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