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020 僕の思考と姉の思考
2021-09-20 36:43

020 僕の思考と姉の思考

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僕は他人に興味無かった。 しかし、ある人の存在で僕の思考は転換された。そしてもしかしたらその逆もあるかもしれない。

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こんにちは、NULL ROOMです。
第20回、やっていこうかなと思います。
さて、前回、私の父が亡くなったという話で、19回話をさせていただきました。
前回の時点で、いろいろな話は終わったんですけど、その後、またいろいろあったので、それについて話していこうかなと思います。
ちょっと、そこから離れるんですけど、僕についてが一つ、そして、私、姉が一人いるんですけど、兄弟がね。
その姉について一つ、それに絡んで、母について、みたいな感じになっていくんですけど、まず僕についてです。
何回かそういう話はしたと思うんですけど、僕、友達いないんですよ。ゼロって意味じゃないですよ。
おそらく、一般的に友達の数でいうと、かなり乖離しているはずです。少ない方ですね。
それは関連するというか、もともとあんまり興味がなかったというか、思考が内向きというか、ネクラなわけで、ずっと一人でいたので、
それもあって、そんなに友達はいないんですけど、大学に行って拍車がかかったことがあって、それが自分で全部をこなせたら、それが一番最善であろうという考え方があって、
それもいろいろあったわけなんですけど、孤立しているというか、孤立するようにするようにというか、割と冷たい感じの人間だったわけですよ。
もちろん親しい友人とかとは喋ったりはするんですけど、かなり思考は極端に傾いていました。
そんな状態で僕は自転車に出会って、自転車に乗って行く上で、自転車で遊びたいなということで、一年間休学してアメリカに行くぜみたいなことになったわけですよ。
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一年間まるまるアメリカに行くってわけではなくて、まずお金作るところから一年かけてやるということで、その時の思考回路もかなり極端で、じゃあ家いらないから家は引き払おう、家賃もったないですから。
バイト先がそれでもいいということだったので、家じゃあいらないと言って家を引き払って、その時に持っていたものもほとんどほぼほぼ全部処分して、かなり身軽な感じにしていったんですけど、さすがにそんなところまでやられていないですよね。
だから僕は約一年間家がない状態でテント生活というかね、してたわけなんですけど。
お金も貯まりまして、ビザも取って、航空チケットも取って、保険も何万払ったかな、6万とか、6万か8万円くらい使って保険に入って旅行中の事故とかそういうものですよ。
そういうのも全部準備をし終えて、その中でも大学の研究室の教授というかは別に行ってこいみたいな感じだったんだけども、一応大学としてはそれを賛同はできないよみたいな。
身一つでアメリカ行って自転車で遊んでくるぜみたいなのは大学としては止めるよねみたいな話でいろいろお話をしたりとかしていって、より僕の中での極端な思考が傾いていってたんですね。
実際にはアメリカに行ったとはいえ、2週間くらいの滞在で帰ってきて、その後は親戚の家に転がり込んで、復学するには住所がいるんで、もちろん。
時間のある宮崎の住所じゃもちろんダメなんで、もう一度部屋を借りなければならないと。
もちろんアメリカに行くって言ったのは僕が言い出したことなので、それに関わる費用は自分で持たないといけないっていうのがあったので、いけないと思っていたので、それに走路を先で深夜のアルバイトをやってたんですね。
運送屋さんの夜の荷物を捌くっていう仕事をやってました。
生活リズムは全く違うので、走路先にも確かに迷惑をかけてはいたんですね。
走路先の朝ごはんが僕の夜ごはんみたいな。
昼夜逆転するので、夜9時くらいから翌朝6時くらいまでやるので、昼夜逆転するんですけどね。
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朝ごはんを一緒に食べて、僕にとっての夜ごはん。その後僕は寝て、昼ごはんは自分で好きなようにやって。
夜、走路先の人がみんな帰ってきてご飯を一緒に食べて出発すると。
結構生活リズム違ってね。でもそれでもいいよということだったのでいたんですけど。
その時に実家との関係が悪くて、もういいからお前帰ってこいみたいな話になったんですよ。
その時、なぜ僕がい走路をしてここで働いているかといえば、僕の責任においてやったことによって来年の副学にお金が必要だと。
それを自分の責任においてまた稼ごうとしているのになぜ帰らなければならないのかと。
ということですごい反発というか、電話で喧嘩みたいな感じで母親として、もう知らねえってなってそこで。
じゃあもう俺は自分の責任を果たさないぞと、お金は全部出してくれって言って。
ということで知らねえっていう状態で、その時実は僕風邪をひいていて体調がめちゃめちゃ悪かったんですけど。
大阪から実家のある宮崎まで、その日のうちに仕事を辞めて、その日のうちかな翌日だったかな、自転車パッキングして乗って帰る自転車、くそ体調悪いけど土砂降りの中、僕は帰ったわけですよ。
そんなこともあって、人を信じるのはもうめんどくせえなと。
その話とは、ちょっと人を信じるという部分とはちょっとずれてはくると思うんですけど、とはいえ人に振り回されるのはもうごめんだと思って、僕は基本的に一人っていうのを選択するようになっていったわけですね、よりね。
それまでももちろん小学校、中学校と高校も含めてですけど、基本的には一人であることが多くね。
高校では多少ね、まともになったとはいえ今は人と話すことは苦ではなくなってきたにせよ。
人に対する興味はほぼほぼ失っていて、夏休み終わった後、これ大学もそうだったんですけど、夏休みで同じクラスの子の名前忘れるんですよ。
なんだったっけってなるんですよ。
それぐらい人に興味が持てない人間が、大学でそういうこともあったりとかしつつで、より人に興味を持たなくなっていって。
で、そのまま実はその時に通ってた自転車店でそのまま就職するんですよ、僕は。
で、その中でも僕は平然とお客さんたちと一緒に走るのを拒否というか、いや僕一人で走る専門なんでって言ってよく言ってました。
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なので基本的に自転車も一人で楽しむみたいな。
もちろんお店にいる間はお金が発生するわけですから、もちろんお客様のために僕は仕事をするわけですよ。
どうにかしてこれをクリアしようと。
この問題をなんとかクリアしよう、でその手段はどうだろう。
お金がかかるプランもあるけども、こうすればいけるんじゃないかとかいろんなソリューションを考えて。
っていうのはもちろんお金が発生するからというそこの一点でのみ僕はやってたんですね。
で、その中でちょっと話が前後しちゃってあれなんですけど。
アメリカ行く前にひと問着ありまして、僕アメリカに行くとき広島で働いてて。
で、どうだったかな。
そうだね、広島で働いてある程度お金できたけどまあ足んねえよなって話をしているときに。
一旦実家に戻ってるんですよ宮崎。
で、そのときにちょっとした事件が起きまして、
そのときうちの姉大学生だったんですよ。
姉は一個しか歳が離れてないんでね。
もちろん大学生だったんですけど、姉は何か事情があったか知らないけど、
休学か何かして実家に帰ってきたんですよ。
で、実家僕が帰ると姉がいて、アメリカ行くのみたいな話になったりしてたんですけど、
そのときにうちのおばあちゃんが、僕久々に帰ったんでめちゃめちゃよくぞ帰ってきたぜみたいな感じで
ウェルカムしてくれたんですけど、その中で服を買ってあげようと。
うちのおばあちゃん自分用のもそうなんだけど、服を買ったりするのがすごい好きで、
何かと僕に服を買わそうと。どうだと?服を買いに行かないかい?みたいな感じでね。
歳なんでね、すごいシャキシャキ動くわけではないんだけども、
そんな感じで服を買ってくれようとしたわけですよ。
で、そのとき僕はもうかなり、もちろんそのときすでに僕の思考回路はかなり極端で、
ちょっと冷たい人間だったんで、いやいらないよと。
買ってもらったとてそれは全く使い物にならないぞと。
もうそのときすでに装備はほぼ揃っていたので、これ以上荷物を増やすのは嫌だし、
かといって買ってもらったとしてそれは使わないものだから全くもって無駄だと、
いう風にその場でもうおばあちゃんに言ったりするんですよ僕は。
いやそれもう無駄なんでいらないよと。全くいらないって言って。
で、実はそれを姉が聞いてたんですよ。
で、まあそうやって言っておばあちゃんシュンとして、まあいっかみたいな感じでおばあちゃんどっか行って。
で、やってたらうちの姉貴が激怒したんですよ。
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人のその行為を踏みにじるとかどういうことかと。
って感じで激怒して、でうちの姉若干ヒステリック入ってて、
包丁を持ち出してきてバチバチに切れられたわけですよ。
で、小さい頃からまじで姉はめっちゃ怖い存在だったんですけど、
もうその時さすがに大学生なんで体格差もあるんで、はあ知るかって言って反発はしたんですよ。
で、その時はね、確かね、おばあちゃんにも何もアクションせず、
それでそれが正しいみたいな感じで、そのまま突っ跳ねた状態ですね。
服いらねーよと。いらねーしもう装備決まってっからここから増やすのもめんどくさいし、
衣類って重たいからあんま増やしたくないんだみたいな感じのことを言って、
姉ともその時で知るかよみたいな話をして終わったと思う。
それでアメリカ行って帰ってきて、その間でまたごたごたあって、
僕はより洗練された冷たい人間に仕上がっていってるわけなんですけど、
そういったことがあったんですよ。
なので僕はどっちかというとそういうかなり極端な、必要かそうでないか、
みたいなその両極端な思考回路を持っていたりとかして、
反対に姉はこう人を思いやるというか、っていう心があるなというところがあってね。
まあ確かにそういう、兄弟で両極端なんだなと性格もね。
っていうのを感じてたわけなんですよ。
どうだろう、時間列で話すか。
僕はその後、実は考えを改めるんですよ。
今改まってるわけですよ僕は。
何がきっかけだったかというと、実は僕大学卒業して1年とかぐらいなのかな、
そのまんまですよ。僕はあまり外走りたくないみたいな。
僕一人だもんみたいな、一人で走りたいんだけどみたいな感じの人間だったんですけど、
ある人に出会ってですね、出会ったというか普通にその人はお客さんなんですけど、
店のイベントとして行く、帯同して走るってこともやるんで、
その人は買って、1週間経ってないのか買って翌日だったかな。
買った直後にお店のイベントに来て、140キロかな、走り切ったんですよ。
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僕はその審刈を務めてたんで、もちろんその人は買ってすぐだからさ、
走力が全然足りてないので、ペース配分とかも考えたりしながら、
僕が審刈で走って、前走ったり後ろ走ったりとかしつつ、その人を見てたわけですよ。
その時ぐらいから僕は、人と走るのも悪くはないなと、
すごいなって買ってすぐできる人もいるんだって思ったりとか、
そもそも走力がない人のことを下に見ていたというよりかは、僕も走力がないので、
というよりかは、単純に人と走ること自体が面白くないというふうに思っていたんですね。
店側の人間なので、何かあったら何度してでも走り切らさないといけないという義務感を持ってやっていた不死もあったので、
とても苦痛だったんですよ、人のために走るというか。
でもお金出てるし、もちろんね、その間の食べ物とかもね。
それもあるから、気の進まないなと思いつつもやっていたわけなんですけども。
ただその人をリードして走っていく中で、面白いなと思って、
その後ぐらいからかな、結構みんなと走るようになっていったんですよ。
ただ僕自身そこで大きく思考が変わったわけではなくて、
相変わらず一人で走ったほうが確かに楽しいと。
ただ時々人と走るのもいいかなぐらいで走っていて。
結構お店でも雑談とかよくやっていて、
とはいえ僕はそういう思考回路であることを公表しているというか、
人と走るのはちょっと嫌みたいな感じで言ってたりとか、
イベントに行くにしても一緒に走らないこともあったんですよ。
ソロで参加したりしてたからね。
うち主体のイベントだとお客さんを世話をしたりとか、
面倒ごとは僕らがやりますみたいになるんですけど、
他の団体がやっているイベント会社がやっているイベントとかは
それはしなくてよくなるんで、そうするとじゃあどこで走ろうか、
じゃあ僕ソロでみたいな感じでよく走ってたわけなんですけど、
いや話がどんどんずれていくね。
で、ある時に僕はそういう人のこと考えるの嫌だねみたいな話をした時に、
またその時の人が僕に、いやいや君はそんなんじゃないよって、
ちゃんと人のこと考えてやってる方だよみたいなことを言ったんですよ。
全然君は面倒くさい仕事が入ると全然面倒くさいって言うし、
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知らないお客さんには言いませんけど、
いわゆる常連さんとかが面倒くさい仕事を持ってきた時に、
僕はまあ面倒くせえなこれみたいな、やりたくねえみたいなことを言いつつ仕事をするんですけど、
僕はそれを本当にやりたくないから本心で面倒くせえって言ってるんですけど、
でもまあその人が、いやいやとは言いつつ君はこの勤務時間外でもその人の自転車をいじってきつつ、
ギリギリまでベストを探すじゃないかみたいなことを言ってくれて、
で、そういうことを言われた時に、あ、そうなのかっていうね、すごい発見だったんですよ。
行動の中にはもちろん言葉っていうのもあるじゃないですか。
で、わりと言葉っていうのは思考回路を直結しているイメージがあるんですよね。
見たくないものを見た時にうわって思わず口に出たりとか、
とっさに出る言葉って結構本心を表したりすると思うんですけど、
ただそれでも出てこない思考っていうのが行動に出るよねっていうのをそこで気づいたんですよ。
その人がそうやって、そうでもないじゃんみたいなことを言った時に、
初めて僕は自身が人をこう、ことを考えているんだっていうことに気づかされたんですね。
すごく感謝しています。本当に。
それを言われてから、本当に人と関わることに対して、
自分の心の、僕の言葉にできない部分、無意識のうちの中に、
人をそうやってより良くしてあげようって思っているっていうことに気づいたことで、
それを意識できるようになったんですね。
で、その時に姉がブチギレた理由とかも理解できたんですよ。
そっか、すごい悪いことをしたんだなって数年経ってきて、
アメリカに行った数年後に僕は気づいたんですね。
それに気づかせてくれた人を、今でも感謝しているし、
その方を本当に尊敬していますね。
なんで、福山を離れる、広島に住んでたんですけどね、
広島を離れるっていう決断をするときに一番引っかかったのは、
その人に何て言おうかなっていうね、すごく仲良くしてもらって、
じゃあ今度ここに自転車で走りに行こうぜとかやってたんですけど、
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それで離れたくないねっていうことで、すごく悩んだというか、
答えは出てるんですけどね、実家に帰りますぜっていうのはね、
宮崎に戻ってくるっていうのはほぼ確定してたんだけど、
それでもそれをみんなに言う前に先にこの人には言っておきたいなと、
っていうことを思うくらいとても尊敬してるし、
今でも本当にありがとうっていう感謝だなって思う。
さて、そういう感じで僕は今まで腰上がってきたわけですよ。
暗黒の冷たい思考回路からその人の助けによって、
本当はそうじゃないよねっていうのに気づかされて、
それに気づいたおかげでちゃんとそれも僕の意識下、
無意識じゃなくて意識下に引っ張り上げることができたんですけど、
で、父親が亡くなりましたよと。
なんていうのかな、僕が宮崎に帰ってきてから、
実家によく出入りするようになったわけですよ。
その時くらいから少し違和感は感じたんですけど、
その僕の姉が、なんていうのかな、
僕になってたんですよ、思考回路が。
反転してたんですね。
なんていうのかな、冷たくなってたんですよ。
で、本当にこれはつい昨日一昨日の話なんですけど、
僕仕事が今日まで休みなんですよ、昨日今日。
連休3連休世間はあるけど、僕は2連休だったんで、
日月と休みだったので、日曜日に夜、金曜日だね。
土曜日か、土曜日の夜に仕事が終わって、
実家に帰ろうっていうとこで、
母親も病院なので帰って、
何かやることがあればそこにいればできるから、
実家に帰ろうということで準備してたわけですよ。
20分も喋ってるな、今回長くなってごめんね。
そういうことをやってる間に、
親戚から連絡が急に来たんですね。
今電話行けるみたいな。
僕は車乗ってたからすでに、
実家に向けて出発しようとしてたところだったんで、
ちょっと待ってって言って、車止めて電話取ったんですよ。
そうやって突然電話が来たから、
めんどくせえ事案なんだろうなと思いつつ、
24:01
何ですかと聞いたら、
うちの姉が母親にかなりひどいというか、
意思表明をしたと。
それについて母親がへこんだという話を聞いたんですよ。
僕も姉も今は宮崎市、
つまり実家がある場所とはちょっと遠いところに住んでるわけなんですけど、
僕は仕事を辞めて、
今年以内で実家に戻るんですけど、
姉も同じなんです。
姉は今学校に行ってるんで、
大学ではない学校に今行ってるわけなんですけど、
それが来年までなのかな。
それを終えて実家に帰ってくるという予定で動いてるわけなんですけど、
その時に、
姉が母親に実家に帰ってきたとして、
何もできませんよみたいなことを言ったんですよ。
面倒は見れませんと。
うち今実家には母親とおばあちゃんがいるんですね。
母方のおばあちゃんがいるわけなんですけれども、
おばあちゃんも最近認知症が軽く、
軽くというかちょっとずつハードになっていってる段階で、
別にほとんどのことはまだ自分でできるわけなんですけれども、
外に急に出ていったと思ったら帰ってこなくなっちゃったりとか、
時々会ったりとかするんですけど、
おばあちゃんもある程度の人の目が必要であり、
母親も手術をした影響で食べ物がかなり食べづらいんですね。
なのでかなり食事もすごい時間がかかってしまうし、
それに加えて肺の調子もよくなくて、
おそらくがんがある、それは確定っぽいんですけど、
それがどの程度のものかはまだわからない。
この後手術があるわけなんですけれども、
そんな状態なんですよ。
そんな状態の母親に、
たとえこの私が帰ってきたとしても、
母親のことやおばあちゃんのことについては、
私は全くノータッチだと。
何でかって言ったら、就職してしばらくは激動だと。
いろんな生活様式も変わるだろうし、
実家に帰ってくるわけですから、
そのあたりのことも含めて全く世話はできないぞと、
いうことを言ったわけなんですよ。
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というのが、実家に帰るぞという時に電話がかかってきて、
その話を聞いたんですよ。
僕はその時に本当に愕然として、
僕はわりといろんな必要なさそうな知識を見たりするのが好きで、
いろんなことを調べたりするんですけど、
なので、うちの母親がどういう状態なのかとか、
亡くなった父親がどんな状態だったのかを調べたりとか、
もともと持っている知識で判断をしていたんですけど、
明らかに母親の状態は良くないんですね。
食べる量が取れないのでカロリーが足りないんですよ。
肺が病気であるがゆえに、
普段の生活で消費するカロリーも一般の人より多いんですよ、実は。
肺がきついとなると、呼吸を過剰にしないといけない。
僕らに比べて多くしないといけないというか、
呼吸、くしゃみ、咳とかも含めてそうですけど、
かなりカロリーを使うんですよね、呼吸というのは。
なので、今は食べるカロリーも少なくなっている上に、
病状によって消費するカロリーというのもどんどん増えていくというか、
普通の人より多くなっている状態であると考えられるわけなんですよ。
そんな状態である母親に、そんなことを投げかけるの?
僕は医療関係者ではないんですけど、
姉は、特に今行っている学校は医療従事系の学校なわけですよ。
だから、ジャンルは違うんですよ。
基礎的なことは勉強しているはずなんですよ。
だから、僕よりより専門的に知っているはず。
それを事実として知っていながら、そんなことを言うんだというのがあって、
僕はその話を聞いたときに漠然としたんですね。
姉について僕はびっくりしたんですよね。
人の行為をかなり厳しく冷たくつっぱねた僕に対して、
包丁を取り出してぶち切りだったんですよ。
そこまでしていた姉が、そういうことを言うのかというのに、
すごくびっくりして、どうなっているのかなというのを正直に感じました。
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本当に人それぞれ考え方はあると思うんですけど、
自分のことを優先する必要はもちろんあるんですよ。
それぞれ人生がある中で誰が主体なのかといったら、
自分自身でしかないわけなんで、もちろん自分を優先する必要はあるんですけど、
ある意味、分の悪い戦う強いられている。
しかも身内ですよ。何だったら母親に。
自分優先なんでって言える人間ってどれくらいいるんでしょうね。
いるとしたらそれはかなり冷たい人間だと思うんですけど。
もちろんお金いっぱい稼いで、治療費は出してやるぜ。
だったら分かるんですけど、そうではないですからね。
なんでかと言ったら、30歳過ぎてまだ学生やってますからね。
もちろんアルバイトみたいな感じでお金は稼いでいるにせよ、
自分を客観的に見て、そんなことを言えるんだなっていうので、
すごいびっくりしました。
僕にとって思考の転換のきっかけをくれた人がいたように、
もしかしたら姉にもそういう思考になるきっかけを与えた人物がいるのかなって思って、
姉は結果的に良くない思考に至るきっかけがどこかだったんじゃないかなと思って、
なんとなく悲しいなっていう気持ちなんですね。
姉もね、体調が良いわけじゃないんですよ。
あんまり詳しく聞いたことはないんですけど、姉も体が悪いんで。
家族で健康なのは僕しかいないわけなんですけど。
そういう僕には分からない苦しさもあるんだろうけど、
なんだろう、すごくびっくりしました。
そういうことを目の当たりにして、すごく僕の思考を転換させてくれたその人に、
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改めて本当に僕に付き合ってもらってよかった、ありがとうっていうのを感じました。
その後地停車店を辞めて、その後NPO法人に入って給料が出ないとなって、
なんでやねんこれって言って仕事を辞めた。
収入ゼロになって、でも奨学金を払わないとみたいになって、
すごくへこんで数ヶ月を過ごして、その後拾ってくれた会社もあんまり良いことにはならず、
僕は人生についてかなりやべえなっていう緊迫感を味わいつつ、
その中で母親の病状というか母親が悪い、その後父親ももちろん悪い、
その後父親があっという間になくなってしまって、そんないろんなことがあって、
その中で僕がまた冷たい思考回路に戻らなかったっていうのも、
やっぱりその時の僕の思考回路を転換させてくれた人の存在が大きかったわけなんですね。
その時のお客さんたちとか、もちろんきっかけを作ってくれたその人も今も信仰があって、
メッセンジャーとかでやり取りはするんですけど、
本当その繋がりがあったおかげで、今僕はまだ人間らしい思考を維持できてるんですけどね。
ただ姉にはそういうのがなかったのかなって思って、むしろ逆に働く何かがあったのかなとかきっかけがね、
って思ったりします。
もともと姉はね、その人の繋がりというか、
同世代っていうよりかは、姉の周りにいた大人世代とかがすごく姉を買ってくれてるのかな。
姉もその期待に応えれる人材だったので、姉優秀なので、
僕以上にその人の繋がりとかを分かれる環境にあったはずなんですけど、
なんかなと思います。
僕は割とポンコツなんで、
今になって思えばポンコツでよかったなって思います。
この後僕また無職になっちゃうんで、いろいろ考えていかないといけないんですけど。
だから姉が何もしなくていいようにできたらいいなと思っているところです。
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皆さんもそうやって自分の人生に大きな転換を与えてくれた人はいると思うんですけどね。
今回の件で、僕はよりそれを意識する機会を得ることができました。
冷たい思考にならないように生きていきたいなと思います。
ここまで聞いてくださって、今回長かったですね。本当にありがとうございます。
また次回もよろしくお願いいたします。ヌルルーム第20回でした。
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