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2021-05-27 16:17

【GMV 385】依頼だから続けられる

依頼を優先しても辛くはならない
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おはようございます。グッドモーニングバイブス、テイク2です。
来月に書き上げ塾というのの第4期が始まります。
倉園圭三さんと一緒にやっております、その本一冊書き上げるための塾と。
オンラインでもご受講いただけるんですが、なんとですね、残籍がもうかなりなくなっちゃったんですよ。
拡大すれば良さそうにも思われるかもしれません。オンラインですから。
が、倉園圭三さんの赤入れというのが、結構半端なく入るので、というか入れるので、
つまり人数が増えると比例して負担が上がっていくと、
あらゆる人が同じ分量を本を書かれるわけじゃないから、単純に直線的に比例するものでもないですが、
でも負担が限界値がありますので、ここの枠があるわけですね。
この枠は容易に拡大できるようなものじゃないので、その辺のこともありますので、
あと1ヶ月あるんですけどね、始まるまでは。枠はあんまないので、
もし第4期ですね、検討いただいている方がいらっしゃったらチェックしてみてください。
もしこれを聞いている段階で枠がなくなっていたらですね、私なりに連絡していただければ、
もしかすれば何とかすることができるかもしれないです。わかんないです。
この赤入れがいいっていうのはもう僕は絶対いいと思うんですね。
これはプロだろうと何だろうと関係なくこの赤入れてもらうといいと思います。
このですね、プロの場合はどうだとか、素人だったらこうなっていう風に考えるっていうのは、
ある意味一種の、それこそ幻想があってですね、
厳密に絶対的なルールみたいなのはないんですよ。文章を書くなどというのは。ないと思うんですね。
だからこういう観点を取るとこういう風に読めるっていう指摘が精密なものならばあるほどいいんですよ。
私が思うに。だってそこに厳密な本当にこうじゃなきゃいけないという決定的なものがない以上ですね。
あとはですね、論理的な観点が多く持てるかどうかですよね。
これが蔵園さんは僕は表現としてあまり好きじゃない表現ですが、引き出しが多いんですね。非常に多い。
やっぱこれは長らく編集さんをやってきたということと雑誌でやってきたということも関係はあると思いますね。
本というのとはまたちょっとあれは違うじゃないですか。
期限も厳しいし定期間好物だし、その割に文章量だけはやたらとありますよね。あんなに短いのに。
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昔から新聞雑誌のその世界ってきついっていう話、普通にあったし十分想像もつきますが、図とかも頻繁に差し込まれてますしね。
図を見るために雑誌買うって人いっぱいいますよね。
ちょっと蔵園さんがやってたインターネットマガジンってのは図を見さえすればいいっていうグラビア誌とかとは違うと思うんですけど、
そういうところに入ってくる文章ってやっぱり編集のしがいがあるというのか、編集そのものですよね、雑誌というのは。
だからそういう観点から引き出しが多いんだと思うんですよ。
もう一つ大事なことが、これは私もこの書き上げ塾をやっていくうちに身についてきたような気がするんですけど、
やっぱり依頼に答えるという視点と文章を書くというものが渾然一体となっていく。
この文章をこう書くのは、この依頼にこう答えるためだっていうのがとってもはっきりしてくるというのを学習するために打ってつけかなと。
これも話が合ってるとは思われないでしょうけど、タスクシュートって本当これだなって今は本当思います。
1タスク1タスクというか1分1分がなぜこう使うのかというと、こういう依頼にこのように答えるためっていうのがめちゃくちゃ明らかにしていくほどいいんですよ。
で、ちょっとタスクシュートクラウドのJ松崎株式会社さんの方に呼ばれた時にも議論になっちゃったような気がするんですけどね。
後でチャットのコメント見ていると。
実はあれ、議論をするほどの意義はあんまないんですよね。
つまり自分の時間と他人の依頼の優先度をどっちにするとフリーライドされてひどい目に合うみたいな話ってただ出てくるんですけど、
あの時何を皆様がご心配されているのかよくわかるんですが、
実際にはですね、タスクシュートって本当やるとわかるんですけど、ほとんど他人の依頼に答えてるんですよ、すでに私たちって。
のにここで答えると搾取されるって本当にそうならば、もうとっくに搾取されまくりなんですよね。
だから私はやること変わんないと思うんですよ。
心構えがたとえ多少変わったとしても。
私は自分の肉体からの依頼っていう意味で生理的欲求を満たすってのをやるんですけど、
これどう考えようとですね、自分の生理的欲求を満たすために7割の時間を人間は使うものですよ。
呼吸などというものを入れたら24時間365日こればっかりとも言えなくはないです。
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つまり私たちはある観点を取ればですね、依頼に答え続けて生きているし、そして一生を得るに決まっていてですね、
これを搾取というなら人生とは搾取ですよ。どうやったってそうなりますね。
で、多くの場合生理的欲求を満たすだけじゃ生きていけないので、当然仕事をしますよね。
そしたらもう膨大な時間ですよね。
ほとんどの人が平日だったら9時間は仕事、残りは生理的な活動じゃないですか。
そこにさらに家族とかがいらっしゃればですね、その用事をやると。
他の時間なんて多く取れてもプラス5分、なければゼロみたいな。
これを搾取というのなら全部もう埋まってしまってますね。
だからずっといやいや全部搾取されたらならないんだと思って、最大警戒モードで常に人からの依頼は極力跳ねつけるという生き方をしても
完全に応えるという生き方をしても、多分リアルに使う時間の使い方はそれほど違わないです。
この言い方はむしろ夢がないのかもしれませんけど、私はだからやっぱり依頼に応えるというその答え方で
自分の答えを出していく方がリアルだし幸せになれるんじゃないかと思うんですよ。今では特に。
もともとそういうふうには見えてたんですね。なんて整理的勇気を除外するにしても依頼に応えてる時間長いですから
明らかにどういうふうに見積もってもですね、自分の時間は8割などという人っていないと思うんですよね。
だからそういう意味であんまり変わらないんですよ、具体的にやることは。
で、そこで書き上げ塾の話の流れの中にあるんだけど、今。
一文を書く時にどんな依頼にこれは答えて書いているのかというのがはっきりするとですね、
自分が特に一見そうは思われないかもですが、調子悪い時にほどこの観点で役に立つ気がします。
今ちょっと体調悪いんですよ。肩が異様に張ってて痛いんですね。
まあ、グッドバイブス的に言うとこれもイリュージョンかもなんですが、なかなかこの種のは難しくて、
自分が肉体でないと頑張っていてもですね、肉体が痛むとお前肉体だぞと思い知らされてる気がしなくはないんです。
でもこういう時ほどですね、このグッドモーニングバイブスのような、これ休んだっていいじゃないですか、別に。
誰にどういう意味でというのかな、依頼に答えているのかと。
この一言一言がどういう意味をある程度持っているのかを意識するとですね、容易にはこれを先送らなくなるんですよ。
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こういう話をするとなんかですね、倫理みたいに聞こえちゃうかもしれませんけど、
仮にそういう意味があったとしても、なんか搾取でないことは明瞭ですよね。
誰かにこれやらされてるわけじゃないし、誰もこれをやることで得しないんですよ、私がこれをやってもやらなくても。
先送りするにはうってつけのものじゃないですか。やってもやらなくてもいいんですから。
実際的な依頼は来てないし、給料もないんですから、調子悪い時ほど特にこのものは先送りすればいいじゃないですか。
だからこれが依頼だと思わない限りは多分僕は絶対先送ると思うんですよね。
で、やんないと思うんですよ、今日みたいな日は。
これがですね、この意識で続けるのが実はミニマムには一番やれるということですね。
ミニマムというのはその調子が出ない時ほどこのような文脈に自分がいた方がやれるということです。
好きなことを自分が好きなことを自分の時間を使って自分の時間を確保して自由にやる方がいいって思われるかもしれませんが、
だったら今日は僕はやんないと思うんですよね。
そして報酬があった方が続くと、これはそうなんですが、
その報酬が金銭であるならばですね、その金銭の意味が高くなければやっぱり今日みたいな日は無理ですよ。
これを20分やって5円とかね、実質そんなもんですよ、もしお金を手に入れようと思ったら。
やんないですよね、5円だったら。
だって肩に貼るやつ5円以上しますからね、1枚。
それから考えてもやらないってことですよね。
唯一残っている問題としてですね、なぜやるのかという話になると思うんですよ。
それは書き上げ塾のなぜ書くのかと全く同じだと思うんですよ。
誰に向けてどう書くのかって相手によって大きく変わるじゃないですか。
5歳児に書くのか80歳のおじいちゃんに書くのかでは全然文章を変えなければおかしいですよね。
具体的に依頼に答えるという時には必ずこういう視点が働くはずで、
だから今日肩が痛い場合は休むのか、それでも喋るのか、自分で決められるんですよ。
実は依頼だと不思議な感じがするんですけれどもね。
自由だと自分で決められるんですが、やるっていう根拠を見出しにくいんですよね、完全に自由だと。
誰も聞いてないみたいな話になってくると。
自分自身のためにやるということであればですね、やらなくてもいいわけですからね。
依頼があって初めてこういうことですよね。
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目の前で目を輝かせて話をしてくれるのを待っている3歳の自分の子がいるとするじゃないですか。
その子のために朗読するという話であればですね。
何ならばそのために我慢しても構わないかを自分で決められると思うんですね。
これがないのに朗読はしないと思うんですよ。
でもたとえそのためであったとしてもできない体調とかもあると思うんですよね。
そこ自分で決められますよね。
これを依頼という意識を全く持たないと自分で決められなくなるような気がします。
だから先送りをするとかそういう話に悩むっていうのは一見すごく自由そうなんですけれども、
なぜか全然自由じゃなくなっていく。
そういうのって実は辛いんだと僕は思うんですよね。
タスクシュートをやってて思うんですよ。
これを依頼という文脈で置いてもそうでなくても結局やってることは同じなんだけど、
依頼という文脈で整理してみるととってもやりやすくなっていって、
やるやらないがすごくはっきりするんですよね。
やるのかやらないのかが曖昧な状態の中で辛いから辞めるとか、
今日は調子がいいからやってもいいっていうのは一見すごく自律的で自由的なんですが、
全然そうはならない。
むしろどれもこれもがどうでもいいことのように思えてきて、
やるとなったらえらい無理をしなければいけないような感じがしてくると思うんです。
それが私の以前の状態だったんで、今はそこから解放された。
これは解放なんですよね。
だから依頼を受ける、それを優先するというのが何かの束縛のように思われるというのは、
きっと何かそこに大きな誤解があってですね、
中入れというものが入るというのもその文脈でいうとよく似ていると思うんです。
そしてこのグッドモーニングワイブスもその文脈でいうとよく似ていると思うんですよ。
わからないんですよ。
これが誰のどんな依頼に応えるっているというのがそんなに自明なわけでは僕の中でもないです。
でも誰かの何らかの依頼に応えているからいつもこういうふうに喋るんですよね。
自分の娘に同じようには喋らないし、やっぱり自分の親にも同じようには喋らない。
何か聞かれた時に答えるのでも相手によって変えるじゃないですか。
これはやっぱり何かしらのそういう文脈があるんで。
だから毎日一定の時間にやっていられるわけです。
時間を確保しているわけじゃないですよ。
このような時間は消し飛ぶ時間ですし、
習慣化という文脈でも全くないです。
毎日習慣になっているからこれが続けているなんていうのはとんでもない話で全然違いますよね。
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明日から即座に辞められますし、そのことに僕は何の違和感も持たないと思うんです。
少し楽になったなみたいな感じしか抱けないと思うんですね。
習慣で続けているようなもんじゃ全くないですよね。
これはやっぱり依頼なんですね。
そういう意味では習慣で続けるのは非常に肉体感覚的なものであって、
それはそれで無理ではないんですけれども、それだけだったら無理だとは思います。
今日は短めにこんな感じで。
そういうわけなのでかき上げ塾はおすすめですが、枠はもうあんまりありません。
来期も続くと思うので来期以降に来たいということでもいいんですけど、
多分枠自体は増えていかないのでですね。
そして毎期毎期予約が埋まるのが早くなっているという感触は間違いなく多分実際そうなっているので、
もしどうしてもという方がいらっしゃったら私に連絡いただけてもいいと思います。
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