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Vol. 277 鉄工丸事件のドキュメンタリーがコンクールで受賞
2026-03-22 14:30

Vol. 277 鉄工丸事件のドキュメンタリーがコンクールで受賞


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サマリー

新潟のラジオパーソナリティである一戸信哉が、しばらくぶりに自身のラジオチャンネルを更新。今回は、自身が担当したドキュメンタリー作品「鉄格丸事件」がコンクールで最優秀賞を受賞したことを報告する。この事件は、第二次世界大戦中に新潟港付近で発生したもので、多くの犠牲者を出したにも関わらず、あまり知られていない悲劇である。一戸氏は、学生と共に取材した当時の状況や、事件の背景、そして現代に伝えられることの重要性について語っている。

久しぶりのラジオ更新と近況報告
皆さんこんにちは。お久しぶりです。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はですね、2026年の3月22日。日曜日。三連休ですね。の日曜日になっています。
しばらくですね、このチャンネルいじってないなと思ってですね、三連休ということもあって、
ちょっとやってみようかなというので、今つけてみました。
どうもお久しぶりです。何をしていたかというと、そうですね、
ちょっとどういうふうに情報発信を続けていこうかなみたいな、いろいろ考えたり、
あと大学のいろんな関係、私は慶和学園大学というところに勤めておりますけど、
大学の情報発信のこととかラジオ番組とか、いろいろやってましたし、
あとですね、BSNのラジオでたまに喋ったりとか、ずっと何かやってたんですけど、
元気でやっておりました。元気でやっておりましたけど、
ここをどういうふうに活かしていくかね、このチャンネルいろいろ考えて、
他の方のチャンネルとかもちょっと聞いたりしながら考えてました。
大学の情報発信と私個人の発信と、
大学でやってるラジオ番組とかですね、いろいろあって、
結局自分がやってることに関連して喋ってるから、ダブるんですよ。
なので、自分の個人的なこととか新潟のネタでとか、
それも結構大学のことや学生との番組のこととかに関わってくるので、
なかなか私だけのチャンネルとして喋るネタっていうのも、
ないといえばないわけで、全部重なっちゃってるんですよね。
あえて言うならば、子どもと一緒に喋ってる、
子ども新潟のヘラジオって何回か流してみましたけど、
あれはちょっと子どもと喋ってるので、そこはまだ残るんだけど、
他はあんまり変わらないじゃないですか。
なので、どうしようかなといろいろ考えておりましたし、
スノーってね、スノーじゃない、スーノっていうか、
生成AIの作曲ツールとか、いろいろ試してみたりしてですね、
新潟をネタにした音楽作ってみたりとか、いろいろやってるのでネタなんですけど、
ちょっと重なってきてたというところで、
まだここの使い方はちょっと悩んでいたというところです。
基本的にはもうその辺は気にしないで、
鉄格丸事件のドキュメンタリー受賞
いろんなチャンネルでぐるぐる回しながら、
同じネタもありながら、これからもやっていこうかなと
今思っていたところです。
というわけで、今日ちょっと喋ってみようと思ったのは、
鉄格丸事件という話です。
これも昨年の夏に大学生、ゼミの学生と一緒に取材しまして、
新潟市内と、それから佐渡でも撮影をしたものです。
これは前に喋ってたかどうか、ちょっと確認しないで喋ってるんですけど、
この作品、去年の夏に撮影した作品が今年の1月に完成して、
それで県の市長格教材コンクールに応募したところ、
最優秀賞ということで、すでに大学のYouTubeからも公開されています。
鉄格丸事件というのを簡単に説明すると、
戦争のときの話なんですけど、
戦争のときに新潟の港のあたり、
新潟側の河口付近というのは、
全国的に知られるような大きな空襲は受けてないんですけど、
軍事施設そのものはいろいろな被害を受けていますし、
それから海の新潟港というのは川から出ていく港なので、
河口付近に大量の嫌いがばらまかれて、
その嫌いをばらまかれたことによって港としての機能が失われたり、
無理して航行して嫌いに接触したりみたいなことが起きたのかな、
ということなんですが。
鉄格丸事件というのは、
新潟側の河口付近の両岸、今の中央区と東区になると思うんですが、
中央区と東区の間を横断して工場が両岸に分かれてたんですけど、
そこを移動する際に航行していた船が嫌いに接触して、
爆発する。
そういう事件です。
このときに鉄格丸という船に乗っていた高校生が亡くなっている。
新潟公共高校に行くと鉄格丸事件の慰霊碑が建っていまして、
それを数年前に発見していたんですが、
去年ちょうど2年生が新潟市の西区の出身の人がいて、
じゃあこれちょっとやってみようかということで、
去年新潟公共高校でも撮影させていただいて、
その他河口付近でも解説してもらって、
解説してくれたのはフードというフリーペーパーの編集をされている方、
渋川さんという方にお話を伺い、
鉄格丸事件の概要と背景
あと佐藤も前回のところでマリア・カンノンの話をしていますが、
マリア・カンノンの話を取材に行ったときに、
同時に佐藤高校、相川文庫、もともとの相川高校に行きまして、
前身の相川中学校の生徒、この生徒も2人亡くなってるんですが、
相川の高校の入り口のところに建っている慰霊碑、
これのことも取材してきて、組み合わせて作品にしたというものです。
新潟で暮らしていらっしゃる方でも、
鉄格丸事件のことを知っている人は多分あまりいないと思います。
新潟で戦争の被害というふうに言うと、
長岡空襲が有名だったり、原爆が候補地だったってことも、
ちょっと詳しい方はご存知だと思いますし、
それ以外の新潟市内であった、小規模って言っていいのかわからないですけど、
宇品丸が攻撃させた話とか、いろいろあるんですけど、
あまり知られていないですし、鉄格丸の話も、
当時は当然そういう事件があっても、
あまり喋んなよというようなこともあって、
報道は当然されないのかな。
ほとんど世の中には知らされないまま、
そのまま戦後に突入していくので、
知られていない話だと思うんですが、
嫌い接触というのは、戦後も実は嫌いがいっぱい、
事件現場の視察と当時の交通事情
新潟側の河口付近には沈んでいて、
それを嫌い除去、今もホルムズ海峡の嫌いの話をしていますけど、
それと同じような状態がずっと新潟側の河口付近にあって、
それを嫌い除去するまですごい大変だったという話も聞きましたけど、
そういう状態にあったということも、
あまり知られていないのではないかなと思います。
今回私は初めて、嫌いの話はだいぶ前に知ってたんですけど、
今回初めて行ってみて、東区の山下港タワー、
あちら側から河口付近を見て、
その後新潟鉄工場、新潟鉄工場でしたっけ。
大きい船の造船場あるじゃないですか。造船かな。
そこを見たんですけど、確かに川で行ったり来たりしたら近いんですよ。
今橋は一番河口に近いのが流東橋ということになります。
柳の都と書いて流東橋というのがありますが、
当時それもないから一番近いのは万代橋だったんですけど、
万代橋まではかなり距離があるので、河口付近から両岸からですね、
水戸京公園の慰霊碑と市長の証言
両岸から万代橋まで戻ってぐるっと回らないと、
両岸を行ったり来たりすることはできなかったわけで、
当然船が一番便利な交通手段だったということになりますが、
よく見ると確か近いんですよね。
船で行ったり来たりしたら近いんだっていうことも、
非常によくわかりました。
あと今回思い出しましたけど、後半で、
一度その辺夏の間に取材した後で、いろいろ調べていくと、
鉄鋼丸事件の異例っていうのは、これも以前どこかで話を、
過去の回で話をしてると思いますが、
水戸橋公園っていうですね、
港トンネルとかのあの辺の近くですね、
いわゆる新潟市の下の方ですね。
下の方に公園があって、
そこに港トンネルの近くにある水戸橋公園という公園に、
この鉄鋼丸事件のことが書かれた異例碑というのが建っていると、
いうことがわかり、この鉄鋼丸事件のことが書かれた異例碑を、
平成何年かな、この時期に作ったときの、
そこにメッセージを書いてる市長さん、長谷川さんということですね。
長谷川さんという市長さんのお話を聞けるというので、
水戸橋公園で長谷川さんにお話も伺っています。
やっぱり90年代後半ですよね。
90年代後半の時の新潟市民の中での鉄鋼丸事件とか、
戦争の時の新潟についての記憶っていうのと、
また四半世紀過ぎた今というのも、だいぶ違うなというふうに思ったんですけど、
長谷川さん自身も幼少期に戦争の記憶があって、
8月15日に長岡に疎開したっていう話を聞いてびっくりしたんですけど、
やっぱり新潟市内は原爆が落ちるっていうので、
みんなに避難命令が出るんですけど、
そのときみんなリアカーに荷物乗せて亀田のほうに逃げた、
みたいなのは証言として見たことがあったんですが、
長谷川さんの場合は電車に乗って長岡に行ったと。
これもびっくりですよね。
8月15日の時点では長岡は空襲の後で、
もうすごいやけの腹になってるわけじゃないですか。
だけれども長岡の親戚を頼って、
長岡と言ってもおそらくは長岡の中心部じゃないかなと思いますけど、
作品の完成と今後の発信について
長岡まで逃げたということなので、そのとき鉄道は動いていて、
一般の人たちもそれで移動して、
そしてそうやってなんとか原爆から、原爆とは言わなかったですね。
新型爆弾から逃れようとしたと。
そのときどのようにみんなが認識してたのか、
ちょっとよくわからないんですけど、
というふうなことがあったと伺いました。
今回制作した学生さんはすごく頑張ってくれて、
すごくいい作品になっていると思います。
当然当時の証言そのものはもう撮れなくなっているんですけど、
去年ね、1580年の中でなんとかいい形になったのかなと思います。
YouTubeのほうで鉄鉱丸事件を調べていただくと、
今大学のYouTubeのほうでも作品にしてありますので、
鉄鉱丸事件、大学のYouTubeから公開されているものが出てくるかと思います。
こんな感じで、今日は大丈夫でね。
新型のヘラジオっぽい、今まで通りの内容になっているかと思いますが、
こんな感じで、あんまり大学のこととか、
なんとかのこととかということはあんまり区別しないで、
いろいろ折々ノートとかに書いたり、
いろんな形で発信はしていくんですけど、
その中から話題を時々お話ししてみようと思います。
今日は最後まで聞いていただき、どうもありがとうございました。
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