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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
ということで、今回は、島崎藤村の桜の実の熟する時の後半部分をやっていこうと思います。
前口上をガッツリカットして、そのまま後編を読み上げたいと思います。
6文まで読みましたね。次は7節目からです。
これが実質、ちょうど半分の折り返し地点だと思うんですよね。
捨て吉を巡る物語でしたけど、あんまりまだ動きがないからね。どうなんですかね、この後どうなっていくのか。
キリスト教の人とそれを置き合っている人たちの間で板挟みになってみるみたいな。
あと、女の子との色恋が出てこないと色合いが薄い感じがするけど、どうなっていくでしょうか。
後編です。どうかお付き合いください。
それでは参ります。
桜の実の熟する時。7
田辺の家の周りにある年の若い人たちは、ずんずん伸びていく盛りの時にあたっていた。
捨て吉が学校の寄宿舎の方から帰ってきてみるたびに、自分と同じように急に伸びてきた背を、急に大きくなった手や足を、そこにもここにも見つけることができるようになった。
大活の大棚から田辺の家へよく使いに来る連中で、捨て吉がなじみの顔ばかりでも、神殿、吉殿、虎殿、それから禅殿などを数えることができる。
みな、小僧小僧した様子をして大棚で働いていた、つい二、三年前までのことを覚えている捨て吉の目には、あの混ぜた口の利きをする色白な若者が、
あれが神殿か。あの洗い髪を丁寧に撫で付けた額を光らせばかり腰の低いところは大正にそっくりな若者が、あれが吉殿か。
と思われるほどで、
割合に年下の禅殿でさえ、もはや小僧とは言えないように格好帯と前垂れ掛けの大棚者らしいなりもになってみるようになってきた。みなその手、頭を持ち上げてきた。
みな無邪気な少年からようやく青年に移りつつある時だ。
なんとなくそよそよとした楽しい風が、ずっと先の方から吹いてくるような気のする時だ。隠れた成長は、そこにもここにも捨て吉の目についてきた。
お母さんに別れを告げて、関氏は田辺の家を出た。
学校の寄宿舎を挿して通い慣れた道を帰っていく彼の心は、やがて一生に死となっていった年の若い人たちの中を帰っていく心であった。
明治座の横手についてぬきを並べた芝居茶屋の前を見て通ると、俳優への贈り物かと見える紅白の花の飾り台などが置かれ、
03:00
二階には幕も引き回され、見物の創芸に忙しいような茶屋の若い者が華やかな提灯の下を出たり入ったりしていた。
田辺のおじさんばかりでなく、歌手の樽屋までも関係するという新狂言の興行がまた始まっていた。
日様通橋に差し掛かった。
若い娘たちの延びてきたにはさらに驚かれる。
あの髪をカツラ下地にして踊りの稽古仲間と手を引き合いながら歌手を歩いていた樽屋の娘が、
いつの間にかおばさんのお供もなしに一人で田辺の家へ訪ねてきて、結構母親の代理を務めていくほどの人になった。
末吉は人形町への曲り角まで歩いた。
そこまで行くと大活も遠くはなかった。
あの御陰居さんのいる庄下の奥座敷でうゆうゆしい手付けをしながらよく歌手などを包んで末吉にくれた大活の大将の娘が、もはや見違えるほど姉さんらしい人だ。
たまに末吉がおじさんの使いとして訪ねて行ってみると、もはやゆいかえた髪の形を恥じらうほどの人になった。
揃いも揃って皆急激に一緒となってきた。
春先のタケノコのようなこの勢いは自分の行きたいと思う方へ末吉の心を競い立たせた。
その日は末吉は吉町から荒芽橋へととって、お母さんに別れてきた時のことを胸に浮かべながら歩いて行った。
末吉兄弟のことを心配して女の一人旅を思い立ってきたというお母さんが、やがてまた一人で国の谷合いの方へ帰っていくことも思われた。
何一つ末吉はお母さんを喜ばせるようなことも言えなかった。
かつては快活な少年であった彼が、身着けることを得意とした一切の流行りの服装を脱ぎ捨て、元の友達仲間からも離れ、どうしてそんなに一人で心を苦しめるようになっていったかということは、おじさんも知らなければ兄弟すら知らなかった。
まして、長いこと会わずにいたお母さんが何にも知ろうはずがなかった。
別れ際にお母さんは物足らず思う顔をつきで、おじさんたちのいる奥座敷から勝手の板の間を回って、玄関にかけてある額の下まで末吉についてきたが、彼の方ではただ素っ気なく別れを告げてきた。
しかし母さんの言ったことには、外に別れ際に、
月に一度ぐらいは、お前も手紙をよこしてくれよ。
といった、あのお母さんの言葉は、末吉の耳に残った。
自分の堅くなお、なおざりを、極端から極端へ飛んでいってしまう自分の性質を恥じさせるような、何気ない柔らかな心持ちが残った。
もともと田辺のおじさんは、古い駅地の後輩と共に住み慣れた故郷の森林を離れ、地方から家族を引き連れてきて、都会に運命を開拓しようとした旧氏族の一人だ。
おじさんの周りにある人たちで、昔を守ろうとした者は大抵長楽してしまった。
さもなければ、遅ればせに実業に志したような人たちばかりだ。
試みにおじさんの親戚を見よ。今の世の中は、実業でなければ駄目だぞ。
これは、おじさんが朱雀なことで、石地に教えてみせる出世の道であった。
不思議にも、阿弁嫌いなおじさんの家の親戚には、キリスト教に経営した人たちがあって、しかもそれらの人たちは皆貧しかった。
十年一日のように単純な信仰も持っている政さんは、大活の長場で頭も上がらなかったし、電動車を持って任ずる玉城さんのような人は、夫婦しておじさんの家に触覚同様の日を送った。
06:09
おじさんの親戚には、また国の方で人に知られた観学者もあったが、その人の髭が真っ白になる頃に、親子して以前のおじさんの家の二階に、まびしげな日を送っていたこともある。
実際、おじさんの周囲にある人たちで、学問や宗教に心を寄せる者の惨めさを、証拠立てない者はないかのようであった。
悲しい青年の目覚め。
誰一人、目上の人たちで、主席氏の焦っている心を知ろうとする者もなかった。
何も知らないでいるようなお母さんに会ってみて、彼はいつの間にか、自分勝手な道をたどり始めたその恐れを一層深くした。
小舟町を通り抜けて、主席氏はごちゃごちゃと入り組んだ歌手のところへ出た。
荒目橋を渡り、江戸橋を渡った。
通い慣れた町の中でも、その辺は、外に彼が好きで歩いていく道だ。
鎧橋の方から、ほりほりを流れてくる潮。
ゆききする荷舟。
樫に光る土蔵の壁などは、いつ眺めて通っても飽きないものであった。
いつでも、彼が学校を急ごうとする場合には、おじさんの家からその辺まで歩いて、それから鉄道場所の通い日本橋の田元へ出るか、
さもなければ人形町から古天間町の方へ回って、そこで品川通いのガタ馬車を待つかした。
その日は、何にも乗らずに学校まで歩くことにして、日本橋の通りへかからずに、長い本在木町の平らな道をまっすぐに通って行った。
いつにない心持ちが、石地の胸に浮かんできた。
子供心にも、東京に留学することを楽しみに、遠く郷里から出てきた日のことが、
生まれて初めて大都会を見た日のことが、
中専道を通って乗った乗り合い馬車が、万世橋の田元に着いた日のことが、
他にも目の領事のために上京する少年があって、一緒に兄に連れられてその乗り合い馬車を降りた日のことが、
あの広小路で馬車の停まったところにあった並木から、与世屋、旗子屋などの近くにあった有様までが、実にありありと石地の胸に浮かんできた。
京王橋から銀座の通りへかけて、あの辺は石地が昔よく遊び回った場所だ。
十年の月日は、まだ銀座の通りにある円柱塔、円装塔を販売した古風なレンガ造りの二階建ての家屋を買えなかった。
あらかた柳の葉の落ちた並木の間を通して、下手な薪を見るように塗られた二人乗りの車の揺られていくのも目につく。
埃をけたててラッパの音をさせて、けたたましく通り過ぎる品川がよいのがた場所もある。
四丁目の角の大時計でも、縁日の夜店が出る片川の町でも石地が古い記憶につながっていないところはなかった。
石地は昔自分が育てられた町のあたりを歩いて通ってみる気になった。
ある工事について、ちょうど銀座の裏側にあたる横丁へ出た。そこに別工屋の看板が出ていたはずだ。
ここに時計屋が仕事をしていたはずだと見ていくと、往来に接して窓に鉄の鉱種のはまった黒い土造造りの家がある。
入口の鉱種土の模様はやや改められ、そこに知らない名前の標札が掛け替えられたのびで、そのほかはほとんど昔のままにある。
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その窓の鉄の鉱種は、昔石地が朝に晩に行ってよく捕まったところだ。
その窓から明かりの差し入る三畳ばかりの玄関の小部屋は、昔自分の机を置き本箱を並べたところだ。
あれは自分の少年の日を見る心地がして、もはや住む人の変わった以前の田辺の家の前を通った。
何年となく忘れていた杉氏月日のことが、すてき地の胸をゆききした。
黄ばんだ午後の日当たりを眺めながら、彼が歩いていく道は、昔自分が田辺のおばあさんに詰めてもらった弁当を持って学校の方へと通ったところだ。
昔自分が柔らかい鉛筆と画角紙等を携え、杉氏の居留地の方まで橋や建物を移すことを楽しみにして出かけたところだ。
体の弱かった田辺の姉さんにも珍しく気分のいい日が続いて、外へでも歩きに行こうという夕方には、それを喜んで連れ立ったおばあさんや静かに歩いていく姉さんの後について、野菜の栄知の立つ終わり町の角の方へと自分も一緒に出かけたところだ。
土橋の方角を指して帰っていく道すがらも、まだすてき地はあの昔の窓の下に、あの隅や陰気で汚したり、ナイフでえぐり削ったりした古い机の前に自分の身を置くような気もしていた。
壁がある。土蔵の上り段がある。玄関に続いて薄暗い土蔵の内の部屋がある。そこは客でもあるときに田辺のおじさんが煙草盆を下げて奥の下座敷の方から通ってくる部屋でもある。
夜になるとランプでその部屋を明るくして、書生は皆一つの明かりの下に集って勉強した。
おじさんは書生を愛したから、一頃は三人も四人もの距離の方の青年がそこに集まったこともあった。すてき地も玄関の方から自分の机を持ち寄って皆と一緒に多くの長い夜を送った。
その頃のおじさんはいかめしい立派な髭を生やした人で、何度も何度も受けてはうまくいかなかった大原因人の試験にもう一度応じてみると言って、すてき地の机の前へ法律の本などを持ってきたものだ。
そしてその書をすてき地に開けさせておいて、それはこうですとかああですとか自分で答えてみて行くすてき地を試験係に見立てたものだ。
奥の下座敷もすてき地の目に浮かんだ。そこには敷き詰めに敷いてあるような姉さんの寝床がある。
その座敷の縁先にたたきの池がある。長い雄美な尻尾を引きながら青いもの中に見え隠れする金魚の群れがある。
姉さんも気分のいいときにはその縁先に出て、飼われている魚の様なぞを眺めては病を慰めたものだ。
その頃のおじさんは実に骨の折れる苦しい時代にあった。
国からの送金もとかく不規則で、それを気の毒に思っていたすてき地には、どこまでがおじさんの観難で、どこまでが自分の観難であるのか、その差別もつけかねるくらいであった。
雨の降る日に満足な傘をさして学校へ通ったこともないくらいだ。
ある日、古い道具を売り払おうとして土蔵の2階でごとごと言わせているおじさんを見つけて、すてき地は自分が産の食べるものを二度に減らしたらそれでも何かの助けになろうかと考えたことさえあった。
12:04
おじさんがあの美しいひげを自分で剃り落としてしまったのもそれからだ。
古い写真の裏に長々と実家への言葉を書きつけ、毎日の細かい日記をやめ、前掛け誰の今のおじさんに変わったのもそれからだ。
国庁の御院居の家の整理を頼まれたのも、その縁庫から大活の主人に知られるようになっていったのもそれからだ。
こうした月日のことを思い起こしながら、すてき地は遠く学校の寄宿舎の方へ帰って行った。
芝の山内を抜けて赤羽橋へで、三田の通りの角からひじり坂を登らずに、あれから三高町へと通って、お寺や古い墓所の多い谷合の道を歩いた。
清少校の前まで行くと、そこにはもう同じ学校の正房をかぶって歩いている連中にあった。
すてき地が学校の裏門を入って寄宿舎の前まで帰ってきた頃は夕方に近かった。
ちょうど日曜のことで、時を定めて食堂の方へ通う人も少ない。
賄えも変わったから、白い頭巾をかぶった邸主が白い前だれをかけたおかみさんと一緒に出て、テーブルの指図をするようになった。
まばらに腰かけるもののある食堂の内で、すてき地はお母さんに別れてきた時のことを思いながら食った。
日曜の夕方らしい静かな運動場の片隅に着いて、すてき地は食堂から寄宿舎の方へ通う道を通った。
ぽつぽつ寄宿舎を指して丘の上を帰ってくる他の生徒もある。
国の方では霜がもう真っ白、といったお母さんの言葉もすてき地の胸にゆがんだ。
寄宿舎の階段を登って長い廊下を通りがけにすてき地は足立の部屋の扉を叩いてみたが、あの友達はまだ帰っていなかった。
自分の部屋へ戻ってからもすてき地は心が落ち着かなかった。
同室の生徒は他の部屋へでも行って話し込んでいるとみえ、飛ばされたランプばかりがしょんぼりと部屋の壁を照らしていた。
すてき地は窓の方へ行ってみた。
文学会や教霊会のある晩と違い、向こうのチャペルの窓もひっそりとしていて、
アメリカ人の教授の住宅の方にわずかに赤い窓かけに映る明かりが望まれた。
なんとなくすてき地の胸にはお母さんの旅が浮かんだ。
やがて自分の机の上に新薬全書を取り出し額をその本人を押し当てて、
主よ、この小さき下辺を導きたまえ、と祈ってみた。
その晩はいつもより早くすてき地の寝室の方へ行って、壁に寄せて作りかけてある箱のような寝台に登った。
社官が手酒のカンテラを差し付けて寝ているものの頭数を調べに来る頃になっても、まだすてき地は目を開いていて、
ポクポクポクポクと廊下を踏んで行く社官の靴の音を聞いていた。
平素、めったに思い出したこともないようなお下婆さん。
国の方の家の近くに住んで、よくお母さんのところで出入りした人のことなぞまで思い出した。
あのお下婆さんが国の方の話を持って、一度以前の田辺の家へ訪ねてきたときのことを思い出した。
おかげで国への土産話ができたと言って、自分を前に置いて年取った女らしく書きくどいたことを思い出した。
15:00
あれほど和訳な捨てさまでも東京へ出て修行すればこれだ。まあ俺の履物も直してくださったそうな。
と別れ際に言って、あのお下婆さんがほろりと涙を落としたことを思い出した。
亡くなったお父さんのことをも思い出した。
自分に会うことを楽しみにして、一度お父さんが上京した日のことを思い出した。
あの銀座の土蔵造りの家の奥二階にお父さんが田舎から来てきた白い毛布やビロードで作った大きな旅の袋を見つけたことを思い出した。
国にいるお父さんはまだ昔風に髪を束ね、それを紫の紐で結んで後ろの方へ垂れているような人であったが、
その度で名古屋へ来て初めて散髪になった話などを聞かされたことを思い出した。
あれをアート、これをコート、とそれを口癖のように言って、お父さんがよく自分自身の考えをまとめようとしていたことを思い出した。
お父さんを案内して小学校友達の家へ行ったときに、
途中でお父さんはみかんを買って、それを土産代わりとして普通に差し出すことと思ったら、
やがてお父さんはさっきのお友達のお母さんからお盆を借り、その上にみかんを乗せ、
つかつかと立っていってそれを仏壇に備えようとしたときが、実にハラハラしたことを思い出した。
お父さんの途流中には旧美衆工という人の前へも連れられていき、
それから浅草辺のある飲食店へも連れられていって、
お父さんとは好意なという地方での主人や上さんに引き合わされ、
こんなお子さんが終わんなさるの、といったそこの家の上さんからも大勢の女中からも家にじろじろ顔を見られたことを思い出した。
お父さんはまた自分の小学校も見たいというから、
あの樫の赤レンガの建物の方へ案内していくと、
途中で樫に石の転がったのを見つけ、子供の通う道にこういうものは危ないといって、
それを往来の片隅に寄せたり、お堀の中へ寄せたりするようなそういう人であったことを思い出した。
お父さんのすることをなすことは正しい精神から出ていたにはそういなかろうが、
なんとなく人と異なったところがあって、旗で見ているとハラハラするようなことばかりであったことを思い出した。
やはりお父さんは国の方にいてほしい。
早く東京を引き上げ、あの年中ホタビの燃える路辺の方へ帰っていって、
おばあさんやお母さんや兄夫婦や、それから正直な家僕などと一緒にいてほしい。
それがお父さんに対する偽りのない自分の心であったことを思い出した。
あとで国から出てきた姉の話に、よっぽろ自分の子供は嬉しがるかと思って上京したのに案外で失望した。
もう子供に会いに行くことは懲りた、と言ってお父さんが短足して姉に話したということを思い出した。
捨て基地ばかりは俺の子だ。あるには俺の学問を継がせたい。
とお父さんが生きている中によく姉に話したということを思い出した。
こうした記憶や幼い時に見た人の顔や何年もの間のことが一緒になって胸に浮かんできた。
その日ほど捨て基地は自分の幼い生涯を思い出したこともなかった。
秋の日の光は丘の上にある高働の建物の内に満ちた。
翌朝になって捨て基地が教室の方へ通って行ってみると、
20人ばかりの同級生の中にまたすげと足立の笑顔を見つけた。
18:03
田辺の家の周りにあったような若い人たちの伸びていく勢いは盛んに競い合うようにしてそこにも溢れてきていた。
フレッシュマンと呼ばれソフモールと呼ばれた頃のことに思い比べるとみんなもう別の人たちだ。
ただ毎日のように互いに顔を見合わせていては、たまに会ってみる年の若い人たちのようにそれほど激しく成長を感じないまでだ。
同級の学生の多くは捨て基地よりも年上であったが、
その中でも年の近い青年の間に余計に捨て基地は自分と一緒に揃って押し出していくような力を感じた。
互いに腕でも組み合わせて歩いてみるというような何でもない戯れまでが優に言われぬ爽やかな快感を起こさせた。
4年の学校生活もおいおいと終わりに近くなっていった。
同級の学生は思い思いに撒いたものを取り入れようとしていた。
また、せっせと負けるだけ撒こうとして互いに種を下ろすことを急いでいた。
気早な連中の間には、はや卒業論文の制作が和党に昇ってきた。
長いこと日課を法的して帰り見なかった捨て基地もようやく小さな反抗心を捨てるようになった。
彼は自分の好きな学科ばかりでなしにもっと身を入れて語学を習得したいと思い立つようになった。
スゲはドイツ語までも納めようとしていたが、捨て基地はむしろ英語の専修に心を傾けた。
キリスト教の倫理や教会歴史を進学部で講ずる学校の校長が、
捨て基地の方の組み合いもきて時代分けになったイギリスの首都三文島を訳してくれた。
この校長の正確な語学の知識は捨て基地の心を喜ばせた。
休みの時間ごとに出てみると、高堂を取り巻く草地の上には秋らしい日が当たってきている。
足を投げ出す生徒がある。昼間なく虫の声も聞こえてくる。
捨て基地はペンキ塗りの高堂の横手に持たれて遠く郷里の方へ帰っていったお母さんの旅を想像した。
次第に捨て基地は自分の位置を知り得るようにもなっていった。
彼がこの学校に入れられたのは、ゆくゆくはアメリカへ渡り針の製造を研究するためで、
そして大活の用紙としてあの針どん屋の店に座らせられるためで。
田辺のおじさんは直接に捨て基地に向かって何にもそんなことを匂わせもしなかったが、それがおじさんの真の意思であり、
大活の主人の希望でもあるということを捨て基地は大川端の兄から聞いて初めて知った。
捨て基地は捨て基地でやらせることにしたい。いかに対象の希望でもそればかりはお断りしたい。
これがその時の兄の挨拶だったということで。
今日まで一度も俺は田辺と喧嘩したことがない。その時ばかりは俺も争った。
大活の用紙にお前をお世話するというせずには絶対に反対した。
万事に淡白なことを日頃の主義とする兄は、
これも呼んどころないというふうにその話をして、なお田辺は最近に何百円とかの金の手に入ったのを擁立てた。
長年弟のお世話になった例としてそれとなくその金を送った。
もはや物質的にさほどの迷惑をかけてはいないことになったとの話もあった。
そうだ、捨て基地が学校の休みの日に帰って行って大川端でその話を聞いてくる前に田辺の家の方へ顔を出したら、
21:06
おじさんも留守、姉さんも留守の時でただおばあさんの激しい見膜で言ったことが何にも知らずに出かけて行った捨て基地を驚かした。
お金をよこせさえすればそれでいいものと思うと大きに違いますよ。
あのおばあさんが怒った言葉の意味を捨て基地は兄の下宿まで行って初めて知った。
高縄の学校の方で捨て基地が自分の上に怒った目上の人たちの争いを考えてみる頃は、
その年の秋も暮れていった。
空想は捨て基地の心を大活とした金ののれんの方へ連れて行ってみせ、
あの正面の柱に古風なもぐさの看板の掛かった大きな店の方へ連れて行ってみせた。
空想はまた彼の心のあの深い松果に育った可憐な娘の方へ連れて行ってみせた。
たとえ兄の言うようにおじさんにどんな黙呑みがあろうとも、そのためにおじさんを憎む気にはどうしてもなれなかった。
安倍公明に弟の独立をそれほどまでお問じてくれたという兄の処置に対しては感謝しながらも、
なおそれを惜しいと思うの念が心の底に残った。
捨て基地は自分の空想を恥じた。
そうした空想は全く自分の行こうと思う道ではなかったから。
そうにしても、はり生存人の運命をもってこの学校へ学びに来たとは夢にも彼の及び及ばなかったことであった。
学創とこの世の中との隔たりは、とても高縄と大川綿との隔たりどころではなかった。
残る二学期の姉妹には、いよいよ四年生一同で卒業の論文を作った。
捨て基地もそれを英文で書いた。
学校の先生方は一同をシャペルに集めて、これから社会の方へ出て行こうとする青年らのために全都の祝福を祈ってくれた。
主政者の朗読があり、賛美歌の合唱があり、別れの祈祷があった。
受け持ち受け持ちの学科の下に先生方が銘々署名して花のような大きな学校の範をしたのが卒業の章章であった。
やがて一同は行動を出て、その横手にある草地の一角に集まった。
皆で寄ってたかってそこに新しい記念銃を植えた。
木の下には一つの石を立てた。
最後に捨て基地は杉枝足立と一緒にその石に刻んだ文字の前へ行って立った。
明治二十四年 卒業生
8 学校を卒業する頃の杉枝はエマーソンなどの好きな何となく哲学者らしい落ち着きをあった青年になっていった。
それにクリスチャンとしての信仰もこの人のはごく自然であった。
私はまだ盛んな希少の青年で、キリスト教主義の学校の空気の中にありながら卒業するまで未信者で押し通したということにも一つの見識を見せていた。
いよいよお別れだね。
捨て基地は二人の友達と互いに言い合った。杉は築地へ足立は本郷へいずれも思い思いに別れていった。
24:04
十六歳の秋から二十歳の夏まで送った学送に離れていく時が捨て基地にも来た。
荷物や本はすでに田辺のおじさんの家の方へ送ってあった。
彼は風呂敷包みだけを抱えて丘の上に立つ人群の建物に別れを告げた。
一番高いところにある寄宿舎の塔、食堂の廊下の柱、よく行った図書館の窓、教会堂の様式と学校風の衣装等を塩梅して、
それを外部に直立した赤レンガの円筒に結びつけたかのような灰色な木造の高堂の側面。
あだかも植民地の村落のように三室に並んだアメリカ人の教授の住宅。
その鱗型の板壁の見える一人の教授の家の前から、滑らかな丘の地勢に沿って学校の表門の方へ湖泉を描いている一筋の小道などが最後に捨て基地の目に映った。
捨て基地は表門のところへ出た。いくかぶかの桜の若木がそこにあった。
その伸びた枝、生い茂った新しい葉は門の脇に棲む小遣いの家の屋根を覆うばかりになっていた。
捨て基地は初めて金ボタンのついた学校の制服を着て、その辺を歩き回った時の自分の心持ちを思い起こすことができた。
あの借位の高い美しい未亡人に知られて、一躍政治の舞台に上った貧しい実劣入りの生涯などが彼の空想を刺激したころは、この桜の若木もまだそれほど伸びていなかったことを思い起こすことができた。
四年の月日は親しみのある樹木を買えたばかりでなく、捨て基地自身を迎えた。
なんという濃い憂鬱が早くも彼の身にやってきたろう。そして過ぎ去った日の楽しみを儚く味気なく思わせたろう。
風が来て桜の枝をゆするような日で、見ると門の外の道路には可愛らしい実がそこここに落ちていた。
ああ、こんなところに落ちている。
と、捨て基地は一人で行ってみて、一つ二つ拾い上げた。
その昔、木折の山村の方で絵の木の実を拾ったり、貸し鳥の落した羽を集めたりした日のことが彼の胸に来た。
思わず彼は拾い上げた桜の実を嗅いでみて、おとぎ話の情緒を味わった。
それは若い日の幸福の印というふうに想像してみた。
捨て基地に言わせると、自分らの前にはおおよそ二つの道がある。
その一つはあらかじめ定められた手本があり、踏んで行けば良い先の人の足跡というものがある。
今一つにはそれがない。何でも独力で開拓しなければならない。
彼が自分勝手に歩き出そうとしているのはその後の方の道だ。
言い方や恐れを感じるのもそれ故だ。
心の戦いの結果は敵面に卒業の成績にも報いてきた。
学校に入って二年ばかりの間は級の主席を占め、多くの教授の愛を身に集め、
しかも同級の中での最も年少な者の一人であった彼も、卒業する時は極の不守備に終わった。
27:06
ビリから三番目ぐらいの成績で学校を出て行くことになった。
しかし彼はそんなことは頓着しなくなった。
他の学校に比べると割合にいい図書館があり、自分の行く道を思い知ることができ、
それからまたスゲやアダチのような友達を見つけることができたというだけでも
この学校に学んだ甲斐はあったと思った。
新しい世界は自分を待っている。
その遠くて近いような業望をまだ経験のない胸に持って、
ステキチは半分夢中で洗礼を受けた高輪の通りにある教会堂からも、
初めてシゲ子やタマ子に会った浅見先生の旧宅からも、
その他種々様々のしくじりと後悔と恥ずかしい思い等を残した
四年の間の記憶の土地からも離れていった。
御陣の家の方へ帰って来てみると、
ステキチは未だかつてその屋根の下で出会ったこともないような動きの渦の中に立った。
かねて横浜の方のある店を引き受けると
おじさんからの話のあったことがいよいよ事実となった。
おじさんは横浜を指して出かけようとしている。
姉さんもおじさんについて行こうとしている。
大活のお棚の方から手伝いに来たマセさんは
日本橋の高砂湖町付近の問屋を一回りして戻って来て、
また品物をそろえに出て行こうとしている。
あの、何を何して、それから何してくださいな。
支度祭中の姉さんが何尽くしで話しかけることを
おばあさんはまた半分も聞いていないで、
何を何するために土蔵の階段を登ったり降りたりしている。
この混雑の中で着物やら氷やら座敷中いっぱいにごちゃごちゃ置いてある中で
石地は持って帰った卒業証書をおじさんに見てもらったほどで。
塩でもひいて行った後のような静かさがこの混雑の後に残った。
防臭でのよく働く下所までがおじさんたちについて行った。
留守宅にはおばあさんと広瀬と女中代わりに助けに来た女と
石地とそれからポチという黒毛の大きな犬とが残った。
姉さんもえらい勢いですね。
何しろお前さん、十年も床を敷き詰めに敷いてあった人が
浜の方まで働きに行こうという元気だからね。
石地はおばあさんと二人で姉さんの噂をしてみた。
銀座時代からの長い長い病床から見起こした姉さんが
自分で自分をいたわるようにしてごく静かにこの家の内を歩いていたときの姿が
ついまだ昨日か一昨日かのように石地の目にあった。
あれがまた弱らなければいいが、それを思って心配してやる。
あたりのいうことなんぞあれが聞くもんかね。
そんなおばあさんのようなことを言ったって今はそんなぐずっかしてるときじゃありませんよって
そう言われてみるとそれもそうだよ。
こうおばあさんは石地に話し聞かせて笑って
一人じっとしていられないかのように立ったり座ったりした。
石地はおばあさんのそばを離れて玄関から茶の間の方へ行ってみた。
30:02
高縄の方で見てきたしょからしい草木の色はまたその庭先へも帰ってきていた。
ひにわかにしんとした家の中の空気は余計に石地の心をイライラさせた。
おじさんから姉さんから下女までも動いていっている中で
黙ってそれを見ているわけにはいかなかった。
考えをまとめるために彼は茶の間の縁先から庭へ降りた。
学校をすまして帰ってきてまた宝器を手にしながら
書生としての務めに服するのも愉快であった。
新しい楓の葉が風に揺れて日にちらちらするのを眺めながら
まず茶の間の横手あたりから草むしりを始めた。
お母さんの状況以後、とかく彼に気まずい思いをさせるようになったのは大活の養子の一件だ。
しかしおじさんを第二の親のように考え
長い間の恩人として考える彼の心に変わりはなかった。
自分は自分の力にできるだけのことをしよう。
その考えから柿根に近い乙女椿の根元へ行ってしゃがんだ。
青々とした草の芽は取っても取っても取り尽くせそうもなかった。
茶の間の深い日差しの下を通って青銅の幹の前へ立ったときは
おじさんたちの後を追って手伝いに行こうという決心がついた。
そうだ、浜へ行こう。
その考えをステキチはおばあさんに話した。
よくも知らないあの港町を見るという楽しみがステキチの心にあった。
一日二日経って彼は出かけていく支度を始めた。
横浜へ行ってもし暇があったらその夏は何を読もう。
一番先に彼の考えたことはこれだ。
彼は定員の英文学士を選ぶことにした。
それを風呂敷包みの中に潜ませた。
それからおばあさんの前へ行った。
おばあさん、これから行って参ります。
ああ、そうかい。それはご苦労様だね。
おばあさんは横浜の店の方にある自分の娘のもとへと行って着物などをステキチに託した。
おばあさん、伊勢崎町でしたね。
僕はまだ横浜の方をよく知らないんです。
何お前さん、店の名前でたくさんだよ。浜へ行って伊勢崎屋と聞いてごらんなさい。
誰だって知らないものはありゃしないよ。
おばあさんも大きく出た。
一度か二度、山手の距離打ちの方へ行くときに通り過ぎたことのある横浜の停車場に着いた。
ステキチが探した雑貨店はごちゃごちゃと人通りの多い、
松下の旗や提灯などの目につく繁華な街の中にあった。
そこに伊勢崎屋と金で書いた白い看板が出ていた。
入口は二つあった。
ステキチはまず大月のお棚のものにあった。
長い廊下のような店の中には何ほどの種類の雑貨が客の目を引くように置き並べてあるということもできなかった。
そこここには立って買っている客もあった。
その廊下の突き当たりにある丁場のところでステキチはまた見知った顔になった。
すながさんと言って、おじさんと同居の頭の剥げた人だ。
33:02
おう、ステキチか。
おじさんは奥の方から出てきて、あだかも彼を待ち受けていたかのように喜ばしそうに彼の顔を見た。
よね、ステキチが来たよ。
と、おじさんは奥の方にいる姉さんをも呼んだ。
こうした変わった場所に新規な生活の中に、おじさんや姉さんを見つけることはステキチにとっても珍しく嬉しかった。
姉さんもなかなかの元気で、東京の方で見るよりは顔の色艶も良かった。
ステキチ、貴様まだ昼前だろ。まあ飯でもやれ。今みんな済ましたところだ。
と、おじさんが言った。
ステさんもお腹が空いたろ。少し待ってくれ。今、支度させる。
と、姉さんも言った。
こう大勢の人じゃ、なかなか一度には片付かないよ。
その時、奥の方から昼飯を済ましたらしい店の連中がどかどこと押してやって来た。
みんなステキチに挨拶して町場のそばを通った。
新丼、吉丼、虎丼のようなみしった顔ぶれのほかに、姉さんの初めて会う顔も混じっている。
その時ステキチは大活の大人の方の若手がそろってここへ手伝いに来ていることを知った。
年若な前丼までが働きに来ていた。
それを見ても、あの大活の大将がおじさんの陰にいて、どれほどこの伊勢崎屋の経営に力を入れているかということも思われた。
岸本さん、お支度が出来ました。どうぞ召し上がって下さい。
と、告げに来る防衆での下女の顔までが何となく改まって見えた。
食後にステキチは二階建てになった奥の住まいを見て回った。裏口の方へも出てみた。
ステさん、来てごらん。
という、姉さんの後について行ってみると、長和の後ろでから自由に隣の方へ通うことが出来て、
そこにはまた芝居の楽屋のような暗さが締め切った土蔵造りの建物の中を占領していた。
どうだ、なかなか広かろう。
と、おじさんもそこへ来て行って、住居と店との間にあるガラス張りの天井の下をステキチと一緒に歩いてみた。
前の伊勢崎屋というものは、隣の方とこっちと二軒続いた店になっていたんだね。
これが大活へ抵抗に入った。
どうだ、田辺、一つやってみないか。
と、しきりに大将が乗り気になったもんだからとうとう俺も引き受けちゃった。
どうしてお前、新規に店を始めてこれだけの客が呼べるもんじゃない。
隣の方はまあ、ああしておいてその地に仕切って貸すんだね。
こんな風におじさんは大体の説明をステキチにして聞かせた。
このおじさんの足が長和のそばで止まった時は、おじさんは何か思い出したような砕けた調子で、
何しろ一線二線から取り上げるんだからね、と言って笑った。
ステキチは自分の身の置き所を見つけてかからねばならなかった。
彼は周囲を見回した。
そして実に勝手の違ったところへやってきたような気がした。
店の入口の方へ行ってみると、ちょうど砂賀さんのいる高い丁場と向かい合った位置に、
壁に寄せて細長い腰掛けが作りかけてある。
そこには大活の方から来た中での一番の年傘な背の高い若い番頭が、
36:02
他の連中を監督顔に腰掛けている。
ステキチはまだその番頭の名前も知らなかった。
審査者らしくその側へ行って腰掛けてみた。
ステさん、とある日呼ぶ声が起こった。
港の方へ着いた船でもあるかして、
男と女の旅らしい外国人が何か土産物でも尋ね顔に店の小僧たちに取り巻かれていた。
ステキチは夕飯をすましかけたところであったが、呼ばれてその外国人の側へ行った。
What sort of articles do you wish to have?
おぼつかない英語でこう尋ねてみた。
I am looking for...
とばかりで発音の難しいその外国人の言うことは半分もステキチには聞き取れなかった。
男の外国人はそばにいる禅堂に指差して、
薪のあるスズリブダを幾枚となく棚から下ろさせてみた。
一枚にステキチに向かって値段を聞いた。
Two yen...
とステキチは小札を見ていって、
at fixed price...
と付け足した。
Too much...
と女の外国人が常に囁くらしい。
Have you not a similar article at a lower price?
と今度は女の外国人の方がステキチに向かって尋ねたが、
結局この人たちは本当に買う気もないらしかった。
Oh, we are offering at the lowest possible price.
こんな風にステキチは言ってみた。
散々冷やかしてあげく、二人の外国人はそこを離れて行った。
ステさん、何欲しいと言うんです?
とスナガさんが町場から言った。
いえ、すずり豚を出してみせろなんて言って、
買うんだか買わないんだかわかりません。
ステさんはいいなあ、英語がわかるから。
と小僧の一人が言った。
こういう時はステさんでなくちゃ間に合わない。
と神道が持ち前の愛嬌のある歯を見せて笑った。
学校の方で習い、覚えたことが飛んだところで役に立った。
もっともステキチのは読むだけで、
こうした日常の会話になると間がついてしまうという不思議な英語であったが。
ステキチが伊勢崎や駅で何かの役に立つと自分でも感じたのは、
しかしこんな場合に過ぎなかった。
その店に並べた品物はみんな小札付きで、
勧め、売り、代を受け取り、
その受け取った金を町場の方へ運ぶというだけなら誰にでもできた。
それを一足でも立ち入って、
何か込み入った秋内のことになると、
神道や吉戸のような他年大活の大棚の方で腕を鍛えてきたパリパリの若手は言うまでもなく、
駆け出しの小僧にすら遠く彼は及ばなかった。
彼はそれを自分の上に感じたばかりでなく、
町場に座っている砂賀さんの上にも感じた。
あの旧私族上がりで、
おじさんの同境で、
年若な下女などに色目をくれるようなことは
気便でも飽きない一つしたことのない砂賀さんは、
東京の損屋から着く荷物と送り場との引き合わせにすら面食らってしまい、
その度に訳もなく小僧らを叱りつけたり、
尊大に構えたりして、
剥げた額と眼鏡との間から厚い汗を流していることも知ってきた。
時代にステキチは大活の連中をも、
それらの様々な性質の青年をも知るようになっていった。
若いバントウは名をシュウドンと言って、
店の入口の腰掛けに落ち合うところから色々とステキチに話しかけ、
背の高いことや歯並びの、
白く揃ったことをよく自慢にして、
39:00
ウキウキと楽しい気分を誘うような青年ではあったが、
それだけ他の年下の連中からは思われてもいないことを知るようになっていった。
シュウドンの、
毎朝髪をかぐばせる油は、
あればこの店から盗んだものだというようなことまで、
日ごろバントウと仲の悪い神ドン・ヨシドンの告げ口によって知るようになっていった。
しかしステキチはおじさんの手伝いに来た。
秋名を覚える気はなくても、
諸生として何かの役に立ちたいと思った。
その心からまた彼は店の入口の方へ行って、
シュウドンのそばに腰掛けた。
こうした雑貨店では客の種類も色々だ。
白の桃引きに白旅。
尻端りの忙しい浜風の風俗の客や、
偉人の旦那を連れたラシャメン風の女の客などが入ってくる度に、
ステキチは自分の腰掛けを離れて店の者の口ぶりを真似た。
「いらっしゃい。」
と力を込めて呼んでみるステキチは、
店先に並べてある売物の鏡の中に自分の姿を見た。
皆、稼働日前垂れかけて大人物らしく客を迎えている中で、
全くの諸生のなりが巻きつけたへこう日がそのガラスに映っていた。
実になっていなかった。
スナガさんが行き、シュウドンが行き、入れ替わりにマセさんが来た。
スナガさんもシュウドンもそれぞれエピソードを残していった。
スナガさんは石地手伝いに来ていた色白で丸々と太った女と、
シュウドンは防臭での下女と。
マセさんのような大活の丁場を預かる人が
あの東京のお棚の方を置いてきたということは少しステキチを驚かした。
このごちゃごちゃとした空気の中で、
伊勢崎屋へ来て着く奥の茶舞台の前で
十年一日のような信仰に来てきたマセさんが
それとなく捧げる食前の祈祷に
人知れず安息日を守っているということは
さらにステキチを驚かした。
マセさんはおじさんと交代に丁場に座って
スナガさんの役を務めることもあり
入口の腰掛けのところに陣取って
シュウドンの役を務めることもあったが
この人の来た頃から開業して
まだ日の浅い雑貨店もようやく店らしくなっていった。
それだけステキチは鉄内の使用がないような気がした。
金物類の並べてある方へ行ってみる。
そこにはヨシドンが頑張っている。
動物類の方へ行ってみる。
そこにはシンドンがいる。
塗物類の方へ行ってみる。
そこにはまたトララドンがいる。
みな自分自分の縄張りないだと言わんばかりに控えたり
時にはその棚の前を行ったり来たりして手を付けさせない。
ステキチは年若なゼンドンのいる方へ行って
せめてハシボコの類を売ることを手伝おうとしてみた。
どこへ行っても結局手の出しようがないように思った。
やがてムシムシとする恐ろしい夏の暑さがやってきた。
伊勢崎あの入口に近い壁を背にして
頭を後ろの冷たい壁土に押し当てながら
ステキチは死んだように腰掛けた。
しばらくも東京の方のスゲや足立のことを思い出す暇さえもなしに暮らした。
暑い午後の日盛りで繁盛する店の内にも脚足の耐える時がある。
ゆるしが出て林下の空いた土蔵の方へ
わずかな昼寝の時をむさぼりに行く者がある。
おじさんも太った体を休めるかしてい
丁場の方には見えない。
その時ステキチは学校にいる自分に暗証しかけた
短い文句を胸に浮かべた。
オウェイリアの歌の最初の一節だ。
それを誰にも知られないように口ずさんでみた。
42:03
あつい草の中で息をする虫のように
そっと低い声で繰り返してみたのはこの一節だけであった。
彼はまだあの歌の全部を覚えてはいなかった。
さあ、どいたどいた。
と呼ぶゼンドンを先ぶれにして
二、三人の若い手合いが大きな小物積みの荷を店の入り口から持ち込んだ。
大活の連中の中では一番腕力のあるヨシドンが中心となって
太い縄を持ち込んだ。
縄を掴みながら威勢よく持ち込んできた。
居眠りする小僧でもその辺に腰掛けていいよ思うなら
突き飛ばされそうな勢いだ。
かたばった大きな荷物はどうかすると雑貨を置き並べた店の棚とそれぞれに
丁場の後ろ出にあるガラス張りの天井の下へと運ばれて行った。
静岡から塗り物の鬼が来たなとおじさんは高い丁場の上に行って行った。
包丁包丁と奥の勝手口の方を指して呼ぶ者もあった。
姉さんや下女までそこへ顔を見せた。
素敵ちは丁場の脇へ行って立って皆の激しく働く様を眺めた。
尖った出歯を手にして最初の縄を切る吉殿の手つきよ。
皆で寄ってたがって幾筋かの縄を解く腰つきよ。開かれる小物積みよ。
こうした場合にも政さんは強いて自分が先に立って皆の指図をしようとしなかった。
大抵のことは若い者のするままに任せているらしかった。
そして荷物の送り場を調べる方などに回って行った。
日ごろ一風変わっているところから
哲学者のあだ名で呼ばれているこの大活の丁場に接近してみて
素敵ちは政さんという人に色々なものが不思議と混じり合っているような性質を感じてきた。
勤勉と武将と淡泊と堅い児童。
素敵ちはまた政さんが商法上のことについて
神殿や吉殿が持つような熱心をも興味をも持っていないことを発見した。
しかし政さんは何となく素敵地の好きな人だ。
東京の田辺の家の方に出入りする多くの人たちの中では
素敵地は一番この政さんを好いた。
一緒に店の入り口の方へ行って細長い腰掛けを半分ずつ分けることを楽しく思った。
夕飯が済むか済まないにもうすずみがての客がどこどこ入り込んでくる。
ひとしきり客の出下がる頃は回廊のように作られた石崎屋の店の内が熱い人の息で満たされる。
明るく輝かした灯火、ぞろぞろと踏んで通る下駄箱の音、
その雑踏の中を開けて何か品物が売れるたびに
素敵地は入り口と丁場の間を往来した。
ああ、政さんも売ってるな。
と、そう素敵地は言ってみた。
一日のうちの最も忙しい時は毎晩三時間ほどずつ続いた。
丁場の正面に掛かっている時計が九時を打つ頃になるとよほど店が空いてくる。
奥の方からは下女が茶を汲んだ湯呑みを盆に乗せて、
それを政さんや素敵地のところへも配りに来た。
政さんは簡単に自分の過去を語った。
この人は小学校の教員をしたこともある。
教会堂の番人をしたこともある。
道具屋を始めたこともある。
靴屋となり、針製造人となり、それから朝鮮の方までも渡った。
ある石楼の会社にも雇われた。
電池製造の技師ともなった。
古着商ともなり、コウモリ笠屋ともなった。
その他、自分で数えようとしても数え切ることのできないような
種々様々な夜当たりをしてきたことが、
45:00
引き継ぎ引き継ぎ政さんの家から出てきた。
そうそう、まだその他に西目屋となったこともある。
と、政さんは思い出したように言って、
そうした長い長い経験と、
現に伊勢崎屋の店先へ来て腰掛けていることと、
その間には何らの関わりもないかのような無雑さな口調でもって話し聞かせた。
この人の側にまだステキチュは若々しい目つきをしながら腰掛けていた。
彼が学校にいる自分に一度この人の住まいを訪ねてみたときのことが胸に浮かんだ。
この人の蔵書が古びた新薬全書と日本外紙と玉編とであったことなどをも思い出した。
そういえば僕は政さんに靴を作ってもらったこともありましたね。
ああ、そろそろ築地の方にいる自分に。
それは政さんが築地の方にある橋の田元に小さな靴屋を開業していた頃のことだ。
伊勢崎はまだ学校の制服を着始める頃であった。
あのかなり不器用な感じのするヘン上げを一足作ってもらった頃から、
伊勢崎は政さんという人を知り始めたのだ。
もっとも政さんがキリスト神徒の一人だということを知ったのはそれからずっと後のことであったが。
あたりはいつの間にかひっそりとしてきた。
一日の暑さに疲れて、そこここの棚の前にはしきりと船を漕いでいるものがある。
町場のそばのところには出入りの職人の神さんが子供をおぶって遅くやってきて、
できただけの箸箱でも金に変えていこうとするのがある。
信頓は空物類の棚を片付け、その辺に腰掛けて居眠りしている禅頓の花をつまんでおいて、
センスをぱちぱち言わせながら築地の方へ来た。
政さん、いかがです?と信頓が若い気の利いた大人物らしい調子で言った。
そろそろ店をしまうかな、と政さんも立って町場の方を眺めた。
トラドンがね、かっけえな君だって言われてますよ、と言って信頓は政さんを見た。
トラドンが?うん、そいつはいかんな、と政さんも言った。
入り口に立った三人の目は腫れた足を気にしながらうつむきがちに棚の前に腰掛けているようなトラドンの方へ注がれた。
何しろこう暑くっちゃ全くやりきれない、と言ってセンスで懐へ風を入れている信頓に誘われながら、
石地もちょっと店の外まで息抜きに出た。
明るい椅子先屋の入り口から射した光が、はや人通りも少ない往来の上に流れていた。
石地は町の真ん中まで出て胸いっぱいに大地の吐息を吸った。
向こうの暗い方から駆け出してきて、見ている前で戯れあって急にまた暗い方へ駆け出していく犬の群れもあった。
やがて三、四時間もしたらしらじらと明けかかってきそうな短い夏の夜の空がそこにあった。
おじさんも忙しかった。
秋内の用事で横浜と東京の間をよく往来した。
八月に入って、おじさんは東京の方の富屋周りを兼ね、活犬の君だというトラドンを大活の大人の方へ連れて行った。
その代わりに息子のヒロシを留守宅の方から連れてきた。
ヒロシと一緒におじさんは飼い犬のポチをも連れてきた。
ひと夏恋ヒロシが石先屋の小僧たちの中に混じって働いているステキチを見つけた時は、
兄さん、と言っていきなり彼にかじりついた。
48:02
心の糧にもしばらくステキチはありつかなかった。
体の忙しいおじさんに張某は譲られてから、彼はマセさんと交代で売り場を記入する役回りに当たったが、
あの品物をいくらで仕入れて、いくらに売ればいくら儲かるというようなことに殆ど興味を持てなかった。
張某はヤグラのように作られて、四本の柱の間にある小高い位置から店の入口の方まで見渡すことができた。
生存の不思議さよ。
あの学僧を離れてくる頃に、こうした張某の前が彼を待ち受けようとはどうして予期し得られたの?
ひろびろとしたこの世の中へ出て行こうとする彼の心は、生き追い込んだ目のようなものであったが、
一足踏み出すか踏み出さないに、まるで火に打たれた若葉のようにしおれた。
たとえわずかの暇でも、彼はそれを自分のものとして何か引き換えるような思いをさせるときを欲しかった。
偶然にもある機会が来た。
ちょうどおじさんは留守だった。
おじさんは、おばあさんも一人で寂しかろうと言って、四五日横浜で遊ばせたひろしをまた東京の方へ連れて戻った。
ポチだけを残した。
あのひろしが黒い犬を従いながら、伊勢崎屋の店の内をめずがしがる小僧たちの間を行ったり来たりする子供らしい姿はもう見られなかった。
ふとある考えがすてき氏の胸に来た。
彼は内緒で自分の風呂敷をほどいた。
そして、姉さんにも誰にも知れないように森があったら読むつもりで、東京から持ってきた定員の英文学誌を長馬の机の下に潜ませた。
へえ、十六銭の箸箱が一つ。
長馬の脇へ来て、銭を置いていく小僧がある。
よし来たとばかりにすてき氏はそれを帳面につけておいて、やがてこっそりと机の下の本を取り出してみた。
しばらく好きな本の顔も見ずに暮らしていたすてき氏の飢えた心は、まるで水を吸う乾いた亀のようにその書籍の中に染みていった。
何という美しい知識が、何という豊富な観察が、何という驚くべき性の批評がそこにあったろう。
すてき氏は、マーシュ・アーノルドの性の批評と題した本を読んだことを思い出して、その言葉を特に定員の文章にあたはめてみたかった。
その英訳の文学史は、前にも一度ざっと目を通して、その時の感心した心持ちは、すげにも話して聞かせたことがあった。
すてき氏は、日ごろ心を惹かれるイギリスの詩人らが、定員のような名高いフランス人によって批評され、解剖され、叙述されることに、ことのほか興味を覚えた。
人というものに、それから環境というものにおもけを置いた文学史を読むことも、彼にとっては初めてと言っていいくらいだ。
ある時代を、ある詩人によって代表させるような批評の方法にもひどく感心した。
たとえば、詩人バイロンにかなりな行数を継いだして、それによって19世紀の中のある時代を代表させてあるごとき。
いつの間にかすてき氏は、おじさんの店へ手伝いに来た心を忘れた。
一度読み出すと、なかなか途中では止められなかった。
英訳ではあるが、バイロンのショーの終わりのところで、すてき氏は怪神の文字に出会った。
彼は死を捨てた。死もまた彼を捨てた。彼はイタリーの方へ出かけて行った。そして死んだ。
と繰り返してみた。
51:00
消防場の用事で横浜へ来たというすてき氏の兄は、夕方近く伊勢崎屋へ顔を見せた。
兄は横浜へ来るたびに必ず寄った。
おじさんの留守と聞いて、その日は店の手伝いをしたり、棚の飾り付けを見てもらったりした。
すてき氏は、この兄にまで丁場の机の下を睨まれるほど、それほど我を忘れてもいなかった。
忙しい伊勢崎屋の夜がまたやってきた。
ほっと思い出したように引き返るようなため息をついておいて、すてき氏は丁場の右からも左からも集まってくる店の売り代を受け取った。
その金高と品物の名前等をいちいち帳面に書き留めた。
兄は丁場の周囲を回り回って遅くまで留まっていた。
そろそろみんなが店をしまいかける頃になってもまだ残っていた。
一日の売上の勧奨が始まる頃には、増瀬さんをはじめ、新遁、吉遁などの主な若手が命名そろばんを手にして丁場の左右に集まった。
珍しく兄もその仲間に入って手伝い顔に明かりの陰に立った。
読み役のすてき氏は自分で付けた帳面を広げて競うようなそろばんの球の音を聞きながらその日の文を読み始めた。
不慣れながらも七の数を七と発音し、四の数を四とはねるぐらいのことはとっくに心得ていた。
上げましたは、金三十三銭なり、七十五銭なり、八十銭なり、一円とんで五銭なり、二円なり、七銭なり、五銭なり、四十銭なり、六十銭なり、五十銭なり、五十銭なり、同じく五十銭なり、なお五十銭なり、金一円なり。
「なんだ、その読み方は。」と兄は急に弟の読むのを遮った。
すてき氏は滅多に見たことのない兄の怒りを見た。
「そんな読み方があるもんか。ふざけないで読め。」とまた兄が言った。
すてき氏は自分の方へ圧倒してくるようなある恐ろしい見えない力を感じた。
マセさんやシンドンたちの前で自分に加えられた侮辱にも等しい忠告を感じた。
「僕はふざけてやしません。」と言って弟は兄の顔を見た。
「もっとしっかり読め。」という兄の声は震えた。
しばらくの沈黙の後でまたすてき氏は読み続けた。
彼は命令の人に対してというよりもむしろ益のない自分の骨折りに向かって生きどおりと悲しみ等を寄せるような心で。
「閉めて。」とやがてマセさんが言い出した。
「私から読むか。95円21銭。」
「93円20銭。」とシンドンがそれを訂正するように言った。
私のもとヨシドンが寄せたソロ版を見せるようにして。
「ああ、その方が本当だ。どこで私は間違えたか。」
と言ってマセさんは頭をかいて。
「すてきさん、それじゃあお願い。」
「総計93円20銭。今日はまあ中位の出来だ。」
「いや、みなさんどうもご苦労様。」
こう兄が言い出すと、マセさんもシンドンもヨシドンも同じように言い合った。
夏の夜も更けた。
ソロ版すてきちは何とも言ってみようのない心持ちで寝床の方へ行った。
自分に不似合いの方向から離れて、何とかして伸びていくことを考えねばならないと思った。
9。
54:00
ゆっすぐらい天井の高い椅子先の隣の空いた土蔵のうちで、すてきちは昼寝から覚めた。
店の方に脚足の耐える暑い午後の時を見計らって、後退で寝に来ることを許される小僧たちと一緒に、
すてきちもそこへ自分の疲れた体を投げ出したことは覚えているが、どのくらい眠ったかは知らなかった。
朝起きるから夜寝るまでほとんど自分らの時というものを持たない店の人たちは、
その許された昼寝の時をわずかに自分らのものとして半分物置のようにしてあった土蔵のうちに日中の夢をむさぼっていた。
すてきちは目を覚まして半ば身を起こした。
辺りを見回した。
「よしどん、ご親祖さんがもう起きなさいって。」
裏口伝に寝ている人を揺り起こしに来る防臭での下女もあった。
こらえがたい暑さにむされてみな死んだようにゴロゴロしている。
魚のように口を開いて眠っているものがある。
そこは伊勢崎屋と同じような雑貨店が以前営まれたとみえ、
ほこりのたまった隅の方には長刃の新しいものも残っている。
雑貨の飾られた棚の跡らしいものもある。
締め切った裏口の戸のところには古い造作の建てかけたのもある。
芝居の楽屋でも見るように薄暗い床の上には煮作りに使う蒸し炉を敷いてその上でみな昼寝をした。
政さんまでも来てすてきちのそばで仰のけ様に倒れていた。
呼び起こされたよしどんは黙って土蔵を出て行った。
続いてすてきちも出て行こうとした。
もう九月らしい空気がその空き家の内までも通ってきていた。
すてきちは裏口の方からわずかに差し入りる暑い陽の光を眺めて、
ともかくもひと夏の間みなと一緒に手伝いして暮らしたことを思った。
行きがけにすてきちは政さんの方を振り返ってみた。
哲学者とあだ名のあるこの人はむしろの上に高い引きだ。
若い者よりかえってこの人の方がよく眠っているらしかった。
さあ、今度は誰の番だ。よしどんが寝る番だ。
よしどんはもうさっき寝ましたよ。
あばかり様、今度は私の番ですよ。
店の若い者はどどんの裏口の黒い壁のそばで昼寝の順番を言い争っている。
その間を通り抜けてすてきちは勝手の方へ顔を洗いに行こうとすると、
長い尖った舌を出しながら体全体で熱苦しい息をしているような
飼い犬の丸の通り過ぎるのにもあった。
こうした周りの空気の中で、すてきちは待ちわびた手紙の返事を受け取った。
先輩の吉本さんからよこしてくれた返事だ。
嬉しさのあまり彼は伊勢崎屋の長馬の机の上で何度となくその手紙を繰り返し読んでみた。
不似合いの方向から、駅のない骨折から、慣れない雑貨店の長馬から、
暗い空虚な土蔵のうちの昼寝からわずかに出て行かれる一筋の細道がその手紙の中にあった。
いくたびかすてきちはおじさんの前に吉本さんからの手紙を持ち出そうとした。
そうして躊躇した。
例のようにすてきちが長馬の台の上に座ってポツポツ売り上げをつけていると、
おじさんは内輪使いで奥の方から長馬のそばへ太った体を運んできた。
おじさんも機嫌のいいときだった。
第一、姉さんがすばらしい元気で、長馬ずらいの後の人とも思われないということはおじさんがよくこぼしこぼしした。
四年の病気は十年の不作を取り返し得る時代に向いてきたかのようであった。
57:04
おまけに店の評判はますますいい方だし、どうやら隣の土蔵にもいい買い手がついたというし、
静岡からの寝入りは景気よくついたばかりのときだ。
おじさんの笑い声は一層快活に聞こえた。
おじさん、僕はお願いがあります。
と、すてきちは長馬の台の上から恩人の顔を見ていって、そのとき吉本さんからの手紙の意味を切り出した。
横浜を去って自分の小さな生涯を始めてみたいと言い出した。
さしあたり、翻訳の手伝いでもしてみたいと言い出した。
それにはあの先輩の経営する雑誌社から月々9円ほどの報酬を出そうと言ってきているとも付け足しておじさんに話した。
俺はまたゆくゆくこの伊勢崎屋の店を貴様に任せるつもりでいたのに。
と、おじさんはさも失望したらしい表情を見せていった。
しかし諸生を愛する心の深いこのおじさんは、一概に若い者の願いを知りづけようとはしなかった。
何らの報酬を負えようでもなしに、ただおじさんの手伝いをするつもりで、その一夏の間働いたすてきちの心をもくんでくれた。
同時におじさんが手をかわいし名をかわいして、そういう日まで教えてみせたことも、到底若いすてきちの心を引き止めるに足りないことを悲しむようであった。
へえ、すてきちにも救援とれるか。
と、しまいにはおじさんも笑って彼の願いを許してくれた。
恩人夫婦をはじめ、ませさん、しんどん、よしどん、その他なじみを重ねた店の人たちに別れを告げて、
すてきちが横浜をさらうとする頃は、大活から手伝いに来た連中もそろそろ東京のそろが恋しくなったと言っていた。
すてきちはしばらく会わなかったすげ屋足立を見る楽しみをもって東京の方へ帰っていった。
すてきちの上京を促した吉本さんは7階雑誌の主筆で、
同時に高縄の浅見先生の佐紀の奥さんが寄贈を残した広島の方の学校をも経営していた。
吉本さんはかつて浅見先生の家族に身を寄せていたこともあるという。
すてきちにとってのこの二先輩は、それほど深い怨恨を持っていた。
すてきちが初めて吉本さんに紹介されたのも浅見先生の旧宅で、
その頃の彼はまだ金ボタンのついた新調の制服を着ていたほどの少年であった。
工事町に住む吉本さんの家を挿して、すてきちは田辺の留宿の方から歩いていった。
自分で自分の小さな生涯を開拓するために初めて仕事を当て代わりに訪ねていくすてきちの身にとっては、
果てしもなく広々とした世の中の方へ出ていこうとするその最初の日のようでもあった。
彼は潜松橋の下を流れる堀割について神田川の見えるところへ出、
あの古着の店を並んだ橋を小川町へと取り、今川工事を折れ曲がった町の中へ入っていった。
京橋、日本橋から芝の一区域にかけては目をつぶっても歩かれるほど町々を育んじていた彼にも、
もう神田へ入るとたまにしか歩いてみない東京があった。
9月下旬の日あたりは行く先の入り組んだ町々を奥深くして見せていた。
今川工事と九段坂の下との間を流れる淀み濁った水も彼の目についた。
その日は工事町の住居に吉本さんを訪ねてみる初めての時でもあった。
吉本さんは事務室用の大きなテーブルを歓声な日本馬に置いて椅子に腰掛けながらステキチに会ってくれた。
翻訳の仕事も出してくれた。
1:00:01
会話さんと主人が西君を呼ぶにも友達のように親しげなのがキリスト教風の家庭の中の様らしい。
西君は束ねた髪に赤いバラのつぼみを刺しているような人で茶盆を持ってテーブルのそばへ来た。
その時吉本さんの紹介でステキチはこのバーネット女子の作物の役者として世に知られた婦人をも初めて知った。
恋愛は人生の飛躍なり、恋愛ありてのち人生あり。
恋愛を抜き去りたらむには人生何のしきみかあらん。
しかより最も多く人生を感じ、最も多く人生の費用を極むるという詩人なる怪物の最も多く恋愛に在号を作るはそもそもいかなることありぞ。
これはステキチが毎月匿名で翻訳を寄せている吉本さんの雑誌の中に見つけた文章の最初の文句だ。
ステキチは最初の数行を読んでみたばかりで、もうその飛行者がどういう人であるかを想像し始めずにはおられなかった。
彼は薄い桃色の表紙のついたその雑誌の中をたどってみた。
思想と恋愛とはあだなるか。
いずくんぞ知らん恋愛は思想を高潔ならしむる地母なる語。
エマルソンいえることあり。最も冷淡なる哲学者といえども恋愛の猛勢に駆られて商用を拝戒せし、
焦燥なりし時の霊魂が追うたる追い目をすますあたわずと。
恋愛は各人の距離に一ぼっこんを記して他は見るべからざるも。
終生待つすることあたわざるものとなすの奇跡なり。
されども恋愛は一見して疲労暗黒なるが如くにその実生の疲労暗黒なるものにあらず。
恋愛を許せざるものは遥この間の子達の如く何となく物寂しき一に立つものなり。
しかして各人各個の人生の奥義の一端に配慮を得るは恋愛の時期を通過しての後なるべし。
それ恋愛は透明にして美の真を貫く。
恋愛あるざるうちは社会は一個の谷になるが如くに頓着あらず。
恋愛ある後は物の哀れ風物の有様何となく狩りを去って実につき輪郭より我が家に移るが如く覚ゆるなれ。
これほど大胆に物を言った若者がその日までにあろうか。
少なくとも自分らの世としてまだ言えないでいることをこれほど大胆に言った人があろうか。
ステキ社はまずこの文章にこもる強い力に心を惹かれた。
彼の兵器として電気にでも触れるような深いかすかな身振りが彼の身内を通り過ぎた。
傲願中尾を全うせざる者。
シーカの常ながら特に遠征シーカに奥義を見て思うところなり。
さもさも人間の生涯に思想なる者の発我し来たるより。
善美を値号て秀悪を忌むは自然のことありなり。
しかして世に熟説世の奥に貫かぬ心には人生の不調し不都合を見始める時に。
初理想の花々そごせるを感じ、
創世界の風物何となく人を惨憺たるしむ。
知識と経験とが相適しし、
妄想と実相とが相相当する少年の頃に。
浮世を絵画し献縁するの上起りやすきは首都の者なりというべし。
人生れながらにして義務を知る者ならず、
人生れながらに得義を知る者ならず。
義務も得義も相対的なものにして、
社会を投資したるのち己を明見したるのちに初めて知るべきものにして、
1:03:03
義務得義を弁是ざる純木なる少年の思想が初めて複雑怪しがたき社会の飛翁に接したる時に、
誰かよく遠征思想を対象せざるを得んや。
誠真をもって遠征思想に勝つことを得べし。
されども誠真なる者は真に難事にして、
ポーロの如き大聖すらああ我罪人なるかなと嘆じたることあるほどなれば、
遠征の真相を知りたる人にしてこれに勝つほどの精神荒ん人は凡族ならざるべし。
読んでいくうちにステキチはこの文章を書いた人の精神上の経験が病的とも言いたいほど神経質に言葉と言葉の間に織り込まれてあるのを感じてきた。
まだ初心なステキチには何ほどの心の戦いからこれほどの文章が生まれてきたかということもできなかった。
スゲ君はどうだろう。もうこの雑誌を読んでみたろうか。
とステキチは自分で自分に言ってみて、
あの友達がまだ読まずであったら是非とも進めたい。
そして一緒にこういう文章を読んだ後の喜びを分かちたいとさえ思った。
婚姻としては僅かに方々談ずるを得るの知事より
墳墓に近づくまで人間の常に口にするところなりとはエマルソンの資源なり。
読本を懐にして行動に昇るの障子が他の少女に対して互いに表をあこうすることも
金を頼りに掃除読む幼心に既に恋愛の何者なるかを想像することも
皆これ人生の順序にして正当に恋愛するは正当に要を自死去ると同一の大法なるべけれ。
恋愛により人は理想の集合を得
婚姻により爽快より実戒に禁せられ
死により実戒と物質戒等を脱離す。
そもそも恋愛の始めは自らの一生を愛するものにして
あえてなる女性は借り物なれば
よしやその愛情をますます発達するとも
ついには強愛より性愛に移るの時期あるべし。
この性愛なるものは遠征主家にとりて一の重になるが如くになりて
傲願の女王あるいは忠説するに至るは
あに惜しむべき余りならずや。
ヴァイロンが英国を去る時の栄華の中に
誰か丈夫又は聖才の過去仕事や空涙を誠として浮くる具を学ばん
と云いできるも
実に遠征家の心事を暴露せるものなるべし。
同じ作家の婦人に寄護すと題する一編を読まば
英国の如き両性の間から厳格なる国に於いてすら
格の如き方言を吐きし死下の驕傲を伺うに至るべきなり。
ああ不幸なるは女性かな。
遠征死下の前に優美交渉を代表すると同時に
終えぬ賊戒の通弁となりてその張破するところとなり
その礼宮するところとなり
終生涙を飲んで寝ての夢
覚めての夢に牢を思い牢を恨んで
遂にその終殺するところとなるぞをたてけれ。
恋人の破綻して愛別れたるは
双方に永久の桃矢を付与したるが如しとヴァイロンは自白せり。
読めは読むほど若いステキチは
青木が書いたものの中にこもる軽温な情熱に動かされた。
田辺のルスタックではステキチは
今までのような玄関版としても取り扱われないようになった。
ただいわずかでも食費を入れ始めたために
ルスを預かるおばあさんから玄関の次の茶の間を貸し与えられた。
この四畳半で彼はこの文章を読んだ。
1:06:02
雑誌の主筆たる吉本さんに頼んで
いつかこの文章を書いた青木という人に会いたいと思った。
その人を見たいと思った。
そしてその人の要望や年齢や経歴を書いたものによって
いろいろ様々に想像してみた。
10 伸びよう伸びようとしてもまだ伸びられない。
自分の中から恵んでくるもののために胸を押されるような心持ちで
ステキチはよく吉本さんの家の方へ翻訳の仕事を分けてもらいに通っていった。
そういう日まで彼が心に待ち受け
また待ち受けつつあるものと
現に一足踏み出してみたこの世の中とは
何ほどの隔たりのものとも計り知ることができなかった。
いつ来るとも知れないような遠い先の方にある春。
ただそれを凝望する心からせっせと怠らず
支度しつつあった彼のような青年にとっては
本当に自分の命の伸びていかれる日が待ち遠しかった。
その心からステキチは自分の関係し始めた雑誌の中に青木という人を見つけた。
その心からステキチは固い地べたを破って出てきた青木の若々しさを尊いものに思った。
青木のように早い春を実現し得たものは少なくもステキチの目には見当たらなかった。
会ってみた青木は思ったよりも所聖流儀な心やすい調子で
初対面のステキチを捕まえていきなりその時代のことを言い出すような人であった。
工事町の吉本さんの家で例の大節間の大きなテーブルの前で
ステキチは自分の前に腰掛けながら話す四つか五つばかりの年上の青木を見た。
男らしい眉の間に大人びた神経質のあふれているのを眺めたばかりでも
早くからいろいろなところを通り越してきたらしいその越歴の複雑さが思われる。
ステキチの心を引いたものはつとに青木の目だ。
その深い瞳の底には何が燃えているかと思わせるような光のある目だ。
何よりもまずステキチはその目に心を傾けた。
青木とステキチとの交際はその日から始まった。
いいものでありさえすれば、たとえいかなる人の持っているものでもそれを受け入れるに躊躇しなかったほど
それほど心の渇いていたステキチはこの新しい交わりが広げてみせてくれる世界の方へぐんぐん入っていった。
かつて彼が銀座の田辺の家の方から通っていった隙あばし脇の赤レンガの小学校の建物は
青木もやはり少年時代を送ったというその同じ校舎であることがわかってきた。
生の違う青木の弟という人と彼とはその学校での遊び友達だったことがわかってきた。
あの幼い日からの記憶のある八重門町の角の煙草屋が青木の母親の住む家であることもわかってきた。
バイロンのマンフレッドに敗退したという青木の著作の歴史はその煙草屋の二階で書いたものであることもわかってきた。
そればかりではない。ステキチは自分の二人の友達にまでこの新しい知人を見つけた喜びを分けずにはいられなかった。
とりあえずスゲに青木を引き合わせた。
青木とスゲとステキチとの三人はこうして互いに行き来するようになっていった。
月時にスゲを見るためにステキチは田辺のウルス宅を出た。
あの友達の家へ訪ねていくと決まりで女の子が玄関へ顔を出す。
そしてステキチを見覚えていて、「ひときちゃんのお友達。」と呼ぶ。
1:09:04
この女の子の呼び声がもうスゲの家らしかった。
君、お婆さんになってくれたまえ。
とスゲが言って、それからステキチを茶の間の横手にある部屋の方へ誘っていった。
ステキチが友達と向かい合って座っているところから眉の長い年取った婆さんを中心にしたような家庭のうちの様がよく見える。
スゲのお婆さんとかいとことかいうような人たちが変わるがある茶の間を出たり入ったりしている。
そういう大勢の女の親戚の中でスゲがみなから力と頼まれるただ一人の男であるということもよく想像せられた。
ステキチはスゲを誘って青木の家を訪ねるつもりであった。
そのときスゲは高輪の学校を卒業する頃に撮った写真を取り出してステキチと一緒にあの学倉をしのぼうとした。
四年も暮らした学倉は何といっても二人に懐かしかった。
その写真の中にはスゲ、足立、ステキチのほかにもう一人の学友がいずれも人獲物にへこうびを巻きつけ諸星然とした様子に撮れていた。
スゲは膝の上に手を置き腰掛けながら写っている足立の姿をステキチと一緒に見て、
僕の家に下宿している朝鮮の名手がこの中で一番足立君を褒めたっけ。この人は出世しそうだ。そう言ったっけ。
見たまえ。この写真には僕もずいぶん面白く撮れているじゃないか。まるで僕の様子は山賊だね。
と濃い眉を動かして笑った。
スゲが自ら表して山賊といったのはステキチ自身の写真姿の方に一層よく当てはまるように思われた。
ステキチは友達の言葉をそのまま自分の上に写して、
まるでこの紙は百日一日だ。とも言いたかった。
我ながら憂鬱な紙。じっと物を見つめているような吉谷地見た目。
長いこと沈黙に沈黙を重ねてきた自分の大脳が自然とその写真にまで昇ったかと思うと、ステキチは自分で自分の苦しんだ映像を見るさえ愛おわしかった。
スゲの家へ来てみるたびにステキチには自分とこの学友との間の家庭の空気の相違が目についた。
北街風な生活の代わりにここに女の手ばかり支えられる家族的な下宿がある。
阿弁嫌いな人たちの代わりにここにはこぞってキリスト教に寄会する一家族がある。
スゲの話の中にはある女学校の社官を務めるという一人のおばさんの噂もよく出てくる。
スゲの多くのいとこの中には東京や横浜のミッションスクールをすでに卒業した者もあり、まだ寄宿舎の方で学んでいる者もある。
スゲの周囲にはこれほど女が多かった。
またキリスト教に縁起が深かった。
ここでは聖書を隠しておくような必要がない。
ここでは人知れず捧げる祈祷でなくて、おばさんから子供まで一緒にする感謝である。
クリスチャンとしてのスゲの信仰が何となく自然なものと言われのあることだとステキチは思った。
ステキチはまた厳格な田辺のおばあさんたちの下で育てられた自分とかなり大きくなるまでいとこと一緒に平気で寝たという友達との相遇を思ってみた。
友達は誘ってステキチは一緒にその築地の家を出ようとした。
「トキちゃん、お出かけ?」
いとこの一人が玄関のところへ来て声をかけた。
1:12:01
「ああ、アオキ君のところまで。」とスゲは出かけに答えた。
大勢いる女の子は変わるがある玄関まで覗きに来た。
魚は当然じの境内にあるアオキの宮境を指してステキチはスゲと連れ立って出かけた。
「アオキ君なんかですら西洋人の手伝いでもしなければやっていかれないのかね。」と途中で友達に言ってみた。
スゲも並んで街を歩きながら。
「うん、なんだかアオキ君も色々なことをやっているようだね。
フレンド教会で出す雑誌の編集などまでやっているようだね。」
こういう友達と一緒にステキチは薄暗い世界を辿る気がした。
若い者を恵むような暖かい光はまだどこからも射してきていなかった。
本当に皆揃って進んでいかれるような日はいつのことかとさえ思われた。
二人揃って前の学校から遠くない高縄の方面へアオキを訪ねていくということを楽しみながら、
ステキチはあの年上の新しい友達の複雑な越歴などを想像して歩いていった。
アオキはもう世帯持ちだ。あの男は何もかも早い。結婚までも早い。
それにしてもアオキらの早い結婚はどんな風にして結ばれたのであろう。
深く想像するとステキチは自分の若い心にあの男の書いたものに発見する恋愛感。
おそらく稀に見るほどの劇場に富んだ恋愛感とその早い結婚等を結びつけて考えずにはいられなかった。
当然時の境内に入っていくつかある古い荘厳の一つを訪ねるとそこがアオキの仕切って借りている宮居だ。
なんとなくひっそりとした部屋の内でアオキが出てきて、
僕のところでも子供が生まれたというところへステキチらは行き合わせた。
「ミサオ!」とアオキが他の部屋の方へサイ君を見に行くらしい声がする。
「カヤさん、カヤさん!」とサイ君のことを親しげに呼ぶ吉本さんの家庭を見た目でこのアオキの宮居を見ると、
そうした気質に反抗するようなものがここにはあってそれがまた意地らしくステキチの目に映った。
ここではサイ君も呼び捨てだ。
アオキのサイ君は客のあることを聞いて赤子と共にこもっていた部屋の方で色々と凶悪らしい気配がした。
女の子が生まれた。僕も初めて親父となってみた。
ツルという名をつけたがどうだろう。
話し好きなアオキはスゲやステキチを前において書生流儀に色々なことを話し始めた。
そばにある刻みタバコの袋を引き寄せ、それを中豆のキセルに詰めて飲み飲み話した。
スゲもステキチもまだタバコを飲まなかった。
「スゲ君はいい。」とアオキが言い出した。
話したいと思うことの前には時も場合もないかのようにそれを言い出した。
こう三人一緒になってみるともう一人の学友、
アオキといくつも年の違いそうもないあの足立をここに加えたならば、とそうステキチは思った。
普段から清和の感じのするスゲがここで見ると一層その清和の感じのするばかりでなく、
二人で面と向かって話している時にはそれほど気にもつかないような人好きのするタチをステキチはそばにいるスゲに見つけ得るようにも思った。
スゲ君はいい。とまたアオキが自分で自分の激しやすく感じやすいタチを痛むかのように言った。
本当に僕謎は冷や汗の出るようなことばかりやってきた。
1:15:03
まったくスゲ君はいいよ。とステキチも言ってみた。
なんだか僕ばかり好人物になるようだね。とスゲが笑った。
何でしょう君、僕謎は十四の年に政治演説をやるような少年だったからね。とアオキは半分自分を預けるように言い出した。
このアオキの話を聞いているうちに、もう長いこと忘れていて滅多に思い出しもしなかったステキチ自身の少年の日の記憶が引き出されていった。
かつてはステキチの周囲にも盛んな政治熱に浮かされた幾多の青年の群れがあった。
彼は田辺のおじさん自身ですら熱心な会心党員の一人であったことを思い出した。
大名者の機関雑誌、その他政治上の思想を喚起し骨髓するような雑誌や小冊子が彼の手を届きやすい以前の田辺の家の方にあったことを思い出した。
いつの間にか彼もそれらの政治雑誌を愛読し、
どうかすると子供がそんなものを読むものではないと言って心配してくれる年上の人たちがある中で、それらの人たちに隠れてまでも読みふけて、あの当時の論争が少年としての自分の胸の血潮を波打つようにさせていたことを思い出した。
そればかりではない。高縄の学祖は身を置いた遠ざまで、あの貧しい実勢でいるよう羨むような心が、未来の政治的生涯を夢見るような心が自分の上に続いたことを思い出した。
青木君にも、そういう時代があったかなぁ。
と、ステキチュは自分に言ってみて、今では全く別の道を歩いているような青木の顔を眺めた。
ともかくも、産後のサイ君は部屋にこもっている時でもあり、また出直してゆっくり来ることにして、スゲとステキチュの二人は甘い長いこと邪魔すまいとした。
その秋、鎌倉へ行ったという青木の話だぞを聞いて、やがて二人は辞し、去ろうとした。
青木は鎌倉の方で得てきた思想から、すべての秋の悲しみを持って、何かそれを適当な形に持ってみたいと言っていた。
まあ、いいじゃないか。もっと話して言ってくれたまえ。
と言って、青木は寺の外まで二人についてきた。
きちがいになった女が毎晩この辺をうろうろする。
なんでも君、貧に迫って自分の子供を殺したんだそうだ。
僕はその話をあんまから聞いた。
実際住んでみると、いろいろなことが出てくるね。
住み行くない場所というものは全く少ないもんだね。
こんな話をしながら、青木は町の角までもついてきた。
青木に別れた後の捨て吉は、そのまますげとも別れて、すぐに家の方へ帰りたくなかった。
長い品川の通りを札の辻の方へ歩いて、二人して何か物食う場所を探した。
長いこと鎮屈な心境をたどり、大脳と反問との付き日を送ってきた捨て吉には、悪跡とした自分をあざけり笑いたいような心が起こってきた。
厳粛な宗教生活を送った人たちの生涯を舌うそばから、自分の中にきざしてくるきちがいじみたものを、
自ら欲しいものにしようとして、しかもそれができずに苦しんでいるようなものをどうすることもできないような心が起こってきた。
何かこう酒の匂いでも嗅いでみたら、という心さえ起こってきた。
この心は捨て吉を驚かした。
彼はまだ一度も酒というものを飲んでみたことがなかったから。
こうした産物の食欲を満たすような場所は探す偽造さもなかった。
ある蕎麦屋で事がたりた。
すげ君、お酒を一つあつらえてみようかと思うんだが、賛成しないか?
1:18:03
腰かけても座っても飲み食いすることのできる気楽な部屋の片隅に、捨て吉は友達と刺身会に座をしめて行った。
お調子をつけますか?と、姉さんがそこへ来て聞いた。
君、二人で一本なんてそんなに飲めるかい?と言ってすげや笑った。
そういう友達はもとより酒好きなぞを手にしたこともない人だ。
言い出した捨て吉はまた、どれほどあつらえていいかということもよくわからなかった。
一号の酒でも二人には多すぎると思われた。
捨て吉は手を揉んで、
じゃあ、まあ、五尺にしとこ。
この捨て吉の五尺にしとこがそこにいる姉さんばかりでなく、町場のほうにいる者までも笑わせた。
五尺あつらえた客は簡単に飲み食いされる者がそこへ運ばれてくるのを待った。
青木君も君、付き合ってみるとなかなか面白い人だろう?と捨て吉は青木の噂をして。
この前僕が訪ねて行ったときは女の人も来ていてね。
三人であのお寺の裏の方の広い墓地へ行って話した。
その女の人は結婚の話の相談にでも来ていたらしい。
断ろうか断るまいかという様子をしてね。
古い苔の生えた墓石に腰をかけて、じっと考え込んでいたあの女の人の様子がまだ目についているようだ。
一体、青木君には物に構わないようなところがあるね。
あそこが僕らは面白いと思うんだけれども。
うーん、とにかく変わっているね。
うーん、あそこが面白いじゃないか。
鬼人というふうに世の中から見られるのはかわいそうだ。
誰かそんな表をしたとみえて青木君がしきに気にしていたっけ。
僕も鬼人とは言われたくないって。
こんな話をしているところへあつられた物が運ばれてきた。
素敵氏は急に賢まって小さな直を友達の前に置いた。
ぷんと臭いのしてくるような厚缶を注いで進めた。
一口舐めてみたばかりの杉はもう顔をしかめてしまった。
生まれて初めて飲んでみるか。
と素敵氏も笑いながら苦い苦い酒を含んでみた。
喉を流れていった熱いやつは腹渡の底の方まで染み渡るような気がした。
杉は快活に笑って。
青木君で僕が感心したのは、
僕もあのお寺は初めてじゃないからね。
ほら、若い女性のような人があのお寺にいたろう。
あの人が僕に話したよ。
自分はもうこの世の中に用のないような人間だ。
青木君になればこそ自分のようなヤクザ物を捨てないで
こうして三度の飯を分けてくれるんだってね。
ああいう人を世話するところが青木君だね。
こうした噂が尽きなかった。
わずか一つか二つ乾かした直で二人とも赤くなってしまった。
なんだかほっぺたがほてってきたような気がする。
と言ってやがて友達と一緒に帰りかけた頃は
捨敵氏の心は余計に沈んでしまった。
青木はよく引っ越して歩いた。
高縄からアザーブへ。
アザーブから芝の公園へ。
その度に捨敵氏は何かしら味のある言葉を書き添えた葉書を
隣の家の方で受け取った。
捨敵氏が日ごろ愛読するイギリスの詩人の書いたものの中から
あるいは省略を試みたりあるいは表釈を試みたりして
それを吉本さんの雑誌に寄せるたびに
青木からは有愛の情のこもった手紙や葉書をくれた。
青木が芝の公園内へ引き移る頃には
短い月日の交際とも思われないほど
捨敵氏はこの年上の友達に親しみを増していった。
ある日捨敵氏は新しい住まいの方に青木を見ようとして出かけていった。
1:21:03
その時の彼は吉本さんが彼のために心配してくれた
新規な仕事について一小報告をももたらしていった。
早い春の陽気はまためぐってきていた。
暖かい雨はすでに一度か二度通り過ぎた後であった。
霜の溶けた後に現れた土を踏んでいって
捨敵氏は芝の公園内から飯蔵の方へ降りようとする細い坂道のところへ出た。
都会としては割合に高層な土地に
林の中とも言いたいほど木々の多いところに青木の神経を見つけた。
丘の傾斜に沿って一軒の隠れた平屋があって
まだ枯れ枯れとした樹木の枝はどうかすると軒先に届くほど伸びてきていた。
青木はようやく自分の気に入った家が見つかったという顔つきで捨敵地を迎えた。
狭くはあるが窓の明るい小部屋でも
古くはあるが荘厳のような静かさをあった屋根の下でも
みな捨敵地に見せたいという顔つきで。
今日は君もいいところへ来てくれた。
みさおのやつが子供を連れて里の方へ行ったもんだから
おばあさんとぼくとでお留守番さ。
と青木は捨敵地の前に座っていった。
親類のおばあさんという人はそこへ茶なぞを持ち運んできてくれた。
子供がいないとやっぱし寂しいね。
とまた青木がそこいらを見回しながら言った。
心のおけない青年同士の話がそれから始まった。
会うたびに青木は自分の持つ世界を捨敵地の前に広げてみせた。
ぼくはこれでほんとに弱い人間だ。
小さな虫ひとつ殺しても気になる。
とか、ぼくには友達というものはごく少ない。
しかしそうたくさんの友達を欲しいとも思わない。
とか、ぼくは単なる詩人でありたくない。
Thinkerと呼ばれたい。
とか、そういう言葉が雑談の間にまじって青木の口から引き継ぎ引き継ぎ出てきた。
陳詩そのものとでも言いたいような青木は、
まるで考えることを仕事にでもしている人物のように捨敵地の目にうつった。
時にぼくは吉本さんの学校のほうへ教えに行くことになった。
ほんのお手伝いのようなもんだがね。
と捨敵地が言い出した。
4月から教えに行く。できるかできないかは知らないが、
まあぼくもやってみる。
とも付け足した。
その時青木は、捨敵地に見せたいものがあると言って、
窓のある小部屋のほうからナイトの注釈をしたシェイクスピア全集を
いくさつかある大きな本を重そうに持ってきた。
欲しい欲しいと思ってようやく横浜のほうで探してきたとも言い、
8円か出して手に入れたというその古本を捨敵地の前に置いた。
それを置きながら、
えー君が教えに行くと面白い。
ずいぶん赤い先生ができたもんだね。
と青木は戯れるように言って笑った。
後半日、青木は捨敵地を引き止めて、
時には芸術や宗教を語り、
時には苦しい世代持ちの話をしたり、
世にときめく人たちの噂などもして、
捨敵地をして帰るときを忘れさせた。
ある禅僧の語録で古本屋から見つけてきたという古本までも青木は取り出してきて、
それを捨敵地に読んで聞かせた。
青木は声をあげて心ゆくばかり読んだ。
固く閉じ塞がったような心持ちを胸の底に持った捨敵地は、
時には青木について家の外へ出てみた。
どういう人が住んだとか、
裏の方には僅かばかりの畑を作った辞書もある。
荒れるに任せたその土には早、頭を持ち上げる草の芽も見られる。
1:24:03
ほら、君が来てくれた高穴のあの家ね。
あそこは西君に相談なしに引っ越しちゃった。
あのときはひどく怒られたっけ。
青木君、ヤギはどうしたね。
わざわざの家にはヤギが二匹いたね。
あのヤギじゃもう散々だめにやった。
ヤギは失敗さ。
話し話し二人は家の周りを歩いてみた。
でも一頃から見ると暖かになったね。
もうこの谷は盛んにゆぐいすが来る。
枯れ枯れとした樹木の間から見える
やぶの多い浅い谷底の方はまだ冬の足跡を留めていたが、
谷の向こうには薄青く煙った空気を通して
おかつづきの知性をなしたあざぶの一部がかつむように望まれた。
やぶの陰ではしけりにゆぐいすの鳴く声もした。
春は近づいてきていた。
耳の遠い腰の曲がった青木の親戚のおばあさんは
夕飯を用意してステキチを待ち受けていてくれた。
味噌汁か何かの簡単な地層でも
そこで味わうものは楽しかった。
4月から始める新規な仕事。
工事町の方にある吉本さんの学校のことなどを胸に描きながら
ステキチはこの青木の住居を出て
田辺の家の方へ戻っていった。
青木のもとへステキチがもたらしていった一心情の報告は
田辺のおばあさんをも喜ばせた。
一人で東京の留守高を引き受けるほどのおばあさんは
六畳の茶の間を勉強部屋としてステキチにあてがうほどのおばあさんは
もはやステキチを子供扱いにはしなかった。
これからステキチが教えに行こうとする工事町の学校は
高縄の浅見先生の佐紀の細君が石杖を残して死んだ
その片身の事業であるということなどを聞き取った後で
一言おばあさんはステキチの気になるようなことを言った。
女の子を教えるというのが値は少し気に入らない。
女の子。
それはステキチにとっても長いこと触れることを好まなかった問題だ。
無関心を続けてきた問題だ。
無関心はおるか一種の軽蔑を持って向かってきた問題だ。
深い感動として残っていた心の壁の絵がステキチの胸に呼び起こされた。
再び近づく前と固く心に誓っていた茂子。
坂道。日の当たった草。意外な巡り合い。
白い肩掛けに身を包み無言のまま通り過ぎていった車上の人。
一切をステキチはありありぞ自分の胸に呼び起こすことができた。
過ぎし日の儚さ味気なさをつくづく思い知るようになったのも実にあの茂子からであった。
忘れようとして忘れることのできない恥と苦しみと疑いと悲しみとは青年男女の交際から起こってきた。
何らの心のわだかまりもなしにどうしてステキチがもう一度女の子の世界の方へ近づいていくことができよう。
高島市の学校でのステキチの受け持ちは英語・英文学の処方などであった。
届いた田辺のおばあさんがステキチのために学校通いの羽織袴を用意してくれる頃は一度淡い春の雪も来た。
おじさんは横浜の店の方からステキチの兄は大川綿の下宿から、
茂子さんはまだ東京の方の務めに戻ることになったという大活のお棚から、
いずれも富山有や八田市のついでにたまに見回りに来るくらいのもので、
そのほかは新館とした留宿宅の庭も庭の樹木も、
一度あの白い綿のような雪で埋められたかと思うと一晩のうちにそれが溶けていって、
1:27:03
新しい命の芽が余計にその後へ現れてきた。
落ち着け妄想庭も花と若葉の世界に移ろうとしていた時だ。
時々屋根の上を通り過ぎる暖かい雨の音を聞きながらステキチは四月の来るのを待った。
十一。
四月が来た。
しばらく聞かなかった学校らしい鐘の音がまたステキチの耳に響いてきた。
初めて見る教員室の前から二階の教室の方へ通う階段の下あたりへかけて、
長い廊下の間は思い思いに娘らしい紙を束ね競って新しい教育を受けようとしているような生徒らの爽やかな席で満たされた。
その中には教師としてのステキチと同年配ぐらいの生徒があるばかりでなく、
どうかすると年上に見える生徒すらもあった。
彼は早右からも左からも集まってくるたくさんの若い人たちに取り巻かれた。
そこが工事町の学校だ。
相変わらずステキチは目視がちに知らない人たちの中へ入っていった。
中庭に面した教員室で彼は男女の教師仲間に紹介された。
少し癖はあるが、長めにした艶のいい髪を構わず掻き上げているような男の教師の前へも行って立った。
「オカミ君です。」と吉本さんがステキチに紹介した。
この人が青木と並んで、吉本さんの雑誌に盛に特色のある文章を書いているオカミだ。
初めて会ったオカミには両県に生まれた人でなければ見られないような陰陰で応用な神経質があった。
オカミは青木よりもさらに年長らしいが、でもまだ若々しくすぐにも親しめそうな人のようにステキチの目に映った。
ステキチは田辺の留宿宅から牛込の方に見つけた下宿に映った。
工事町の学校へ通うには恩寺の家からでは少し遠すぎたので。
それに田辺の姉さんは横浜の店の方から激しく働いた体を休めに帰ってきていたし、
おばあさんのそばには国元から呼び迎えられた田辺の親戚の娘も来てかかっていたし、
留宿宅といってもかなり賑やかで必ずしもステキチの玄関板を用しなかったから。
牛込の下宿は坂になった閑静な町の中途にあって、
吉本さんと親しい交じりのあるというある市会議員の妻君の手で経営せられていた。
この妻君は吉本さん崇拝と言っていいほどあの先輩に心服している婦人の一人であった。
したがってその下宿にも親切に基づいた一種の主義があって、
普通の下宿から見るといくらか窮屈ではあったが、
例えば知らない者同士互い同じ食卓に集るというごとき、
しかし慣れてみれば割合に楽しく暮らすことができた。
そこには庭自体に往来することのできるいくつかの離れた雑居もあった。
貧しくて若いステキチはあたかも古草を離れた小鳥のように恩人の家から離れてきて、
初めてそこに小さいながらも自分の巣を見つけた。
彼が自分を伸ばしていくということのためにはまず口過ぎから考えてかからねばならなかった。
そのためにはわずかな学問をもとでにして、
多くの他の青年がまだ親がかりで先進に勉強しているような年頃から、
田辺のおばあさんのいう女の子を教えに行くようなつらい思いを忍ばなければならなかった。
1:30:03
しかし沈んだ心の底に燃える学芸の相棒は、ステキチをしてこうした一切のことを忘れさせた。
彼は自分の力にできるだけのことをして、その傍ら一人で学ぼうと志した。
そのためには年長の生徒でも何でも恐れず臆せず教えようとした。
教える相手の生徒がいずれも若い女であるとはいえ、それが何だと彼は思った。
彼は何者にも煩わされることなしに踏み出した一筋の細道をたどり進もうと願っていた。
丑米の下宿から高寿町の学校までは歩いて通うにちょうどいいほどの距離にあった。
崩壊された三つ家の跡らしい古い石垣に沿って堀の土手の上に登ると、
芝草の間に長く続いた小道が見いだされる。
その小道はステキチの好きな道であった。
そこには楽しい松の樹蔭が多かった。
小高い位置にある城郭の名残から豪虎して向こうに見える樹木の多い市谷の地勢の眺望は一層その通路を楽しくした。
慌ただしい春の歩みは、はや花屋より若葉屋と急ぎつつある時だった。
ステキチは目の前に望み見る若葉の世界をやがて自分の心の景色として眺めながら歩いていくこともできるような気がした。
そこに青木がある。ここにスゲがある。足立がある。と数えることができた。
吉本さんに紹介された狼というような人まで彼の眼界に現れてきた。
一日は一日より狭い彼の心が押し広げられていくようにも感じられた。
その土手の上の小道でステキチは自分の通っていく高地餅の学校を胸に描いてみることもあった。
彼は吉本さんの雑誌を通してほぼあの学校を自分の胸に浮かべることができるように思った。
雑誌の中に出てくることもいろいろだ。
一方にプロテスタントの精神の骨髄があり、一方に暗い中世紀の武道というようなものの紹介がある。
一方に恐怖と事前の事業が解き進められ、孤児と白痴の教育や救済が叫ばれているかと思えば、
一方にはまた眼前の事象に相関しないような高等的な文字が並べられている。
ちょうどあの雑誌の中に現れていたものはそのまま学校の方にも温めてみることができた。
こうした意気込みの強い、雑白な学問の空気の中が、
ステキの胸に浮かんでくる工事町の学校だった。
全てが試みだ。
そしてそれがまた当時における最も進んだ女の学問する場所の一つであった。
およそ女性の改善と発達とに益があると思われるようなことなら、
たとえいかなる時代といかなる国の産物等問わず、
それを実際の教育に試みようとしていることが想像せられた。
工事町の方まで歩いて、ある静かな町の角へ出ると、
古い屋敷跡を改築したような建物がある。
その建築物の往来に接した部分は、
幾宗かに仕切られて雑貨をひさぐ店がそこにある。
角には酒屋もある。
店と店の間に挟まれてガラス棟のはまった雑誌社がある。
吉本さんの雑誌はそこで発行されている。
こうした町続きの外郭の建築物は、
内部に隠れたものを取り巻きながら、
あたかも全体の設計としての一部を形作っているように見える。
1:33:01
二つある門の一つをくぐって、内側の商工口のところへ行くと、
女の小遣いが来て、石地に上通りを勧めてくれる。
その屋根の下に石地は、
新山でしかも最も年少な教師としての自分を見つけたのであった。
時間の都合で、石地は一人教員室に居残るような檻もあった。
そういう檻には、彼はあちこちと室内を歩き回ってみた。
ガラス窓に近く行くと、
静かな中庭がすぐその窓の外にある。
中庭を隔てて、平屋造りの寄宿舎が廊下に見える。
その廊下に接して、住宅風な人棟の西洋感の窓も見える。
ガラス越しに映る濃いエビ茶色の窓掛けも、
なんとなく女の人の住む深い窓らしかった。
吉本さんの蔵書の一部も教員室の内を飾っていた。
石地はその書棚の前へも行って立ってみた。
あの先輩の好みで数々の著者の名を集めた書籍の中には、
古びた紙拍子の五感ばかりの用書も並べてあった。
ラスキンが出てきた。
と、石地は思いがけないものをその書棚に見つけたように言ってみた。
いろいろな経営に忙しいあの吉本さんにも、
こうしたモダンペイタースなどを紐解こうとした静かな時があったであろうかと想像してみた。
装飾としても好ましい、
古く手連れて帰ってガチのある色彩を集めた書棚の前を行ったり来たりして見るついでに、
石地は教員室の入口に近い壁のところへも行って立ってみた。
その壁の上には、ちょうど立って眺めるにいいほどの位置に、
学年の終わりごとに撮ったらしい職員生と一同の写真の画が並べて掛けてあった。
石地が受け持ちの憎みばかりの生徒は、
その学校の普通課を終えたものばかりで、
いずれも普通課卒業の記念の写真の中に見出すことができた。
彼はよく壁に掛かった額の前に立って、若草のような人たちの面影に眺め行った。
一学期も終わろうとする頃までには、石地はだいぶ自分の新しい周囲に慣れてきた。
ある日曜に彼は田辺の家の人たちを見に行かないで、
工事町の方で時を送ろうとしていた。
学校からさほど遠くない位置にある街道へ行って腰掛けた。
かつて虚ろのように石地の目に映った天井の下、
正面にアーチの形を描いた白壁、十字を刻んだ木製の石橋台、
厚い新旧約全書の金縁の光、
それらのものがもう一度彼の目にあった。
また彼は街道の空気に親しもうとして、
教会員としての席を高輪から工事町に移したが、
しかし吉本さんの家族や雑誌社の連中を除いては、
その教会での馴染みもごく薄かった。
彼は街道風な高い窓に近い席の一つを選んで、
後ろの方に黙然と腰掛けた。
いつとなく目の前に置き並べてある長い腰掛けの平行した線は、
過ぎ去った高輪教会時代の記憶を、
あの牧師としての浅見先生の前に立って、
神徒として守るべき課上を読み聞かせられた受禅の日の記憶を、
彼の胸に呼び起こした。
二つある扉の入り口から男女の神徒らが詰め掛けてきた。
塔の中に混じって三、四人の女学生が連れ立って入ってきた。
見ると捨て口が教えている生徒だ。
1:36:00
なだかい牧師の説教に遅れまいとして急いできたらしいその様子や、
向こうの腰掛けと腰掛けの間を人に営釈しつつ、
不人席の方へ通ろうとするような、
改まったようなその顔つきは、
石師のいるところからよく見えた。
数ある若い人の中でも、
語学の傾向を受けに来た最初の日から、
がっしりとした体格と力のある額付きの目についた、
磯子という生徒が歩いていった。
その後からあらかも姉に従う妹のようにして静かに歩いていったのが、
勝子という生徒だ。
勝子は二つある組の下級の生徒で、
磯子よりは年下らしいが、
でも石師と同じぐらいの年頃に見えた。
乙女の盛りを思わせるようなその束ねた髪と、
柔らかでしかも豊かな肌のあたりの後ろ姿とは、
言い表し難い女らしさを彼女に与えた。
一学期の間の成績から推してみると、
いかなる学科も人に劣るまいとするような、
気性の勝った生徒ではないらしかった。
どちらかといえば学問はできない方だ。
女としての末頼もちさと不器用とか、
彼女にはほとんど同時にあった。
この生徒らは、
街道にあるオルガンの近くに席を占めて、
思い思いに短い木刀を捧げていた。
やがて聖書翻訳の大授業に預かって、
力があると言われているその教会の牧師が、
説教台のところへ進んできた。
訳した人によって訳された聖書が読まれる頃は、
街道の内は聴衆でいっぱいになった。
勝子らはもう捨て吉のいるところから見えなかった。
あの元の高縄の学僧のチャペルで、
書き学校で、あるいはその他の説教の会で、
すでに親しみのある半分どもったような声が、
ポツリポツリと牧師の口から漏れてきた。
しばらく捨て吉は一切を忘れて学僧に腰掛けていた。
ハエのたとえ謎が牧師によって摂出された。
薄暗夕暮れ時の窓の光をめがけては飛び交う
小さな虫の創造。
無限に対する人生の奇襲。
説教は次第に高潮に達していった。
それを聞いていると、
捨て吉の心は捕まえどころのないような牧師の言葉の方へ行ったり、
自分の創造する世界の方へ行ったりした。
捨て吉に言わせると、
彼自身の若い信仰は、
使徒・宗教の幼稚な心持ちの交わったようなもので、
おたのてした信仰の境地からは遠いものだった。
彼のキリストはあまりに詩的な人格の原英で、
そこが彼自身にも物足りなかった。
ちょうどその日曜は聖三の日にあたっていた。
骨の折れた説教の後で、
葡萄酒を持った銀のコップ、
食パンの片を入れた草が
シントラの間にあちこちと持ち回られた。
葡萄酒はやがてキリストの血、
パンはやがてキリストの肉だ。
街道のうちでのこの小さな食事は楽しかった。
捨て吉は執事らしい人から銀のコップを受け取って、
一口飲んだやつを隣の人に渡すと、
隣の人はごくごくと音をさせて、
さもうまそうにそのコップから飲んだ。
こうした静かな天井の下で、
決まりのような雄金の声を聞くほど
夢を破られる心持ちを犯させるものはなかった。
集まりの終える頃には、
捨て吉は一人も先に街道の前の石段を降りた。
十字架を高く置いた屋根の見える街の外へ出て、
日に日に濃くなっていく青葉の息を呼吸した。
「岸本さん、お寄りになりませんか?」
1:39:02
と言って声をかけた人があった。
街道から出てきた吉本さんの雑誌社の連中の一人だ。
説教を聞き、生産を共にした男女の真とは
思い思いに街を帰って行く時だった。
捨て吉は誘った人は坂木と言って、
一、二度田辺の家の方へ手紙をよこしてくれたこともあった。
牛込の下宿を経営する司会議員夫婦と言い、この坂木と言い、
吉本さんB級の人たちが色々な方面に追うことは
捨て吉にも想像がついた。
坂木はまた、古文が親分に対するような濃厚な心を持って
あの先輩に信頼していた。
連れ立って話し晴らし、雑誌社まで歩いていくうちにも、
捨て吉は全く自分と老いたちを異にしているようなこの坂木から
吉本さんの周囲にある色々な人のことを聞き知ることができた。
オカミが天魔町の自宅の方から雑誌社の隣に来て寝泊りするほど熱心に
今では麹町の学校の仕事を助けていること。
そのオカミが別に小さな雑誌をも出していること。
オカミにいい弟があり妹があること。
オカミの弟の友達に市川という青年のあること。
それらの人たちの噂が坂木の口から出てきた。
吉本さんや市川さんのことを思うと、
本当にあなた方の伸びていらっしゃるのが目に見えるようです。
などと坂木は言っていた。
雑誌社も日曜でひっそりとしていた。
そこに身を寄せて貧しさを友としているような坂木は
社内のある一室へ石地を案内した。
オカミが別に出しているという小さな雑誌などをも取り出してみせた。
塔の中に石地は市川の書いたものを見つけて、
伸びよう伸びようとする新しい心の芽が
そんなところにも頭を持ち上げていることを知った。
雑誌社の二階から隣階かけては吉本さんに縁起のある
あるいは学校に関係のある種々な人が住むらしかった。
ごとごとはしごたんを降りてくる音をさせて、
二階から坂木の部屋へ日曜らしい話を持ち寄る一人の学生もあった。
オカミが学校で受け持つ武道家の噂に続いて
薙刀の稽古にまで熱心な性質を表すといういそこの噂が
坂木とその学生との間に出た。
塀一つ隔てた学校の中の方のことは
手に取るようにこの雑誌社まで伝ってきていた。
それにこの人たちは学校の食堂で賄ってもらって
サンドサンドの食事のために通っていたから
教師としての捨て口が知らないようなことも知っていた。
おいそさんという人は確かに
章に章たる器でしょうね。
人物表の好きな連中は
そこまで話を持っていかなければ承知しないらしかった。
捨て口は黙って自分の教える若い人たちの噂を聞いていた。
そのうちに勝子の名が出てきた。
安いおかつさん。
あの人もいい生徒だそうですね。
とその学生が坂木に言った。
それを聞いたときは思わず捨て口は赤くなった。
不思議な変化が捨て口の中に起こってきた。
その年の初中級校を捨て口は
小学校の方で暮らしたが
未だかつて経験したこともないほどの寂しい思いをした。
その一夏の間
わずかに彼の心を慰めたのは
鎌倉でしばしば狼を見たことだ。
鎌倉にある狼の隠れ家は
小さな別荘というよりもむしろ
勝者な荘庵の感じに近かった。
1:42:00
そこへ狼は妹の涼子を連れてきていた。
捨て口は言い表しがたい自分の心持ちを抑えようとして
盛んなカエルの声が聞こえてくるような
鎌倉のある農家の人まで
狼が編集する小さな雑誌の
周期付録のために
一つの文章をも書いた。
弱々しくはあるが
それだけまた賢そうな目つきをした
良い妹を持つ狼を羨みながら
捨て口は丑米の下宿の方へ帰っていった。
自分に妹の一人もあったら
この考えは捨て口を驚かした。
五人ある兄弟の中での
一番背の弟に生まれた彼は
ついぞ妹を欲しいというようなことを
胸に浮かべた試しもなかったから。
ちょうど捨て口が下宿の前あたりまで帰っていくと
静かな坂道の上の方から
急ぎ足に降りてくる
一人の若い婦人に会った。
麹町の学校の卒業生の一人だ。
吉本さんの住まいや
学校の方で二、三度
捨て口も見かけたことのある
稀な瞳の涼しさと成熟した姿を釣り合った
高い身の丈と会った婦人だ。
この婦人も捨て口と同じ下宿を指して
急いできた。
一目見たばかりで
捨て口はこの若い立派な婦人が
何を急いでいるかを知った。
婚約のある上人を訪れようとして
何の謎にやってきたような
この婦人を見たことは
何を見たにも勝って
沈んだ思いを捨て口に与えた。
絶え難い寂しさは
下宿の離れ座敷へも襲ってきた。
しかし捨て口はそうした心持ちから
紛れるような方法を見つけようともしなかった。
一人でその寂しさをこらえようとした。
四月以来、起きたり寝たりした
自分の小座敷をあちこちと歩いてみると
あの可憐なオフェリアの歌謎が
胸に浮かんでくる。
中から中からと
渦巻きあふれてくるような力は
情緒を寄せずにはいられなかった。
長いこと最初の一節しか覚えられなかった
あの歌の全部を
捨て口は一息に覚えてしまった。
いずれを君が恋人と
わきて知るべき術やある。
貝の冠と付く杖と
履ける靴とぞ
印なる。
彼は死にけり、われ姫よ。
彼はよみじへ立ちにけり。
頭の方の苔を見よ。
足の方には石立てり。
棺を覆う絹の色は
高嶺の花と
みまが犬。
涙宿せる花の輪は
濡れたるままに葬りぬ。
面影の役より。
捨て口が唇をついて出てくるものは
朝晩の心やりとして
よく口ずさんでみた
清い賛美歌でなくて
こうした可憐な娘の歌に変わってきた。
鎌倉の方で聞いてきた
盛んな蛙の声は
まだ耳の底にあった。
あのよっぴてつれを呼ぶような
耳についた声は
ある日石立は
麹町の学校から下宿へ戻ってきた。
彼は自分の部屋の畳へ
額を押し当てるようにして
一人で神の前に跪いた。
石立が幼い心の底にある神とは
多くの牧師や伝道者によって説かれる
父と子と精霊の賛美を
1:45:01
一体としたようなものではなかった。
神は知らざる所なく
あたわざる所なく
宇宙を創造し
節理を左右して
あまりあるほどの大きな力の発言であるとはいえ
そうした神の本質は
先入手となった
ごく幼稚な知識から言えるのみで
石立の心の底にあった信仰の対象は
必ずしもキリストの身に実際に体現せられ
キリストの人格に合致したようなものではなかった。
あり程に言えば
エフバの神とは
あの三十代で十字架にかかったというキリストよりも
もっと年寄りで
年の頃およそ五十ぐらいで
親しい先生のようでもあれば
怖いお父さんのようでもある
肉体を備えた神であった。
半分は人で
半分は人物に
想像せられるような風貌を付け加えていた。
アブラハムの素朴
モーゼの厳粛
このエフバの神が長いこと
石立の心の底に住んでいたと聞いたら
笑う人もあるだろうか。
実際、あの世のことにかけては
石立は少年時代からの先入手となった
単純なものの考え方に支配されていて
まるで子供のようにその日まで暮らしてきたのであった。
隠れたところを揉み入るという
この神の前に石立はひざまずいた。
おこそかなエフバの神の代わりに
震った目の前に現れてきた。
若々しい血潮をのさしてきているその頬
輝いたその瞳
白い少女らしいその手
主よ、ここにあなたの小さな下辺がおります。
祈ろうとしても妙に祈れなかった。
涙ぐましい夕方が来た。
石立は一人で自分の部屋を歩いて
カツ子の名を呼んでみた。
彼は自分の内部に目を覚ましたような
怪しい情熱が
どこへ自分を連れていくのかと思った。
言い表し難い恐怖を抑え
感じてきた。
浮いた心からとも自分ながら
思われなかった。
例の、うしごめみつけから
市谷の方へ土手の上の長い小道を通って
工事町の学校まで歩いて行ってみると
寄宿舎から高堂の方へ通う廊下のところで
ノートブックを手にした
二三の生徒の行き過ぎるのが目についた。
その一人はカツ子と同姓だった。
どこか予防にも似通ったところがあった。
カツ子に見られない
赤いリンゴのような頬がその人にあって
どうかするとその頬から受ける感じは
それに近いほどのものであったが
それだけ地方から出てきた記事のままの特色を
多分に持っていた。
その生徒とカツ子とは縁続きででもあるのか
それとも地方によくある
同姓の家族からでも来ているのか
とステキチュは想像した。
カツ子に縁故のあることは
どんなことでもステキチュの注意を
引かずにはいなかった。
黙って秘密を胸の底に隠そうとし
誰にもそれを見現せまいとし
たとえ幾晩となく眠られない夜が
続きに続いて
彼の小さな魂を揺するようにしても
堅くなりステキチュは一人で
耐えられるだけ耐えようとした。
その心で彼は自分の境上へも出ていった。
上の組の生徒の中でも
つとにイソコが彼の注意を引いた。
それはあの生徒が熱心で
下読みでも何でもよくしてきて
大勢の中でもよくできるというばかりでなく
日頃カツ子の親しい友達であるからであった。
1:48:00
下の組の生徒の中には
語学の稽古の後で
思い思いに作った文章を
ステキチュのところへ持ってくるものもあった。
さすがに若い人たちは
自分らの書いたものを恥じるようにして
ためらいがちにそれを取り出した。
先生、と呼びかける声がした。
ちょうどステキチュは境上を出て
二足三足下の方へ行きかけたところであった。
その時ステキチュは
近く来たカツ子から
彼女の用意した文章をも受け取って
黙って階段を降りた。
彼女は何にも知らなかった。
岸本くん、君に宛てて書くこの手紙を
打ち込みの宿で受け取ってくれたまえ。
恋のない悲しみをたたえた君のこの頃に
心を惹かれないものがあろうか。
君の周囲にあるものは
何にも知らないものばかりだと君は思うか。
少なくもそうした君の心持ちに対して
涙を注ぐものが
今この短い手紙を送る。
こういう意味の手紙をステキチュが受け取ったのは
新しい学金の始まってから
二月近い心の戦いを続けた後であった。
その手紙を
オカミが天魔町の自宅から書いて起こしてくれた。
ステキチュはそれを見てびっくりした。
誰にも打ち明けたことのない
自分の悩ましい心持ちが
神より他に誰も知るもののないと思った
自分の胸の底の底に住み始めた秘密が
オカミの手紙の中に明らかに書いてある。
恋捨てう
我が名はまだき立ちに行けり
人知れずこそ思い染めしか。
古い死んだ歌の言葉が
その時ステキチュの胸に生きてきた。
あの時を経て
無意味になるほど擦り減らされたような
言葉の陰にそれを歌った
昔の人の隠された多くの心持ちが
しみじみと忍ばれてきた。
あの歌は必ずしも
彼の場合に当てはまるとは思われなかったが
少なくも幼い心において一致していた。
彼はそこに自分の姿を見た。
その姿は早
一目につくほど
包み切れないものとなったか
とさえ思われた。
しかし銅像のこもったオカミの手紙は
一旦はステキチュをびっくりさせたが
それをよこしてくれたオカミの心情を考えさせた。
なぜオカミがその一夏の間
鎌倉の禅堂に通うほどの思いをし
なぜあるほど身を苦しめ
なぜあるほど涙の多い文章を書き
なぜまた自分のところへ
こうした慰めの言葉を送ってくれたか。
勝子に向かって開けたステキチュの目は
オカミのすることを読むようになった。
そればかりではない
ステキチュはその目を青木にも向けた。
何という矛盾だろう
世に盲目と言われている者が
あべこべにステキチュの目を開けてくれたとは
そして今まで見ることのできなかったような
隠れた物の奥を見せてくれるとは
暗いところにある愛の魂は
しきりに物を探し始めた。
彼は自分の身の回りにある年上の友達や先輩ばかりでなく
ずっと遠い昔に
貨書や随筆を残していった
貴の高い坊さんの生涯などを考え
誰でも一度は通り越さねばならないような
女性に対する情熱を
それらの人たちの若い時に結びつけて創造し
あの文学商人のような
男性的な性格の人の胸に
かけられたという婦人の画像を創造し
それからまた
患弱を一生の友とした
あの馬匠のような詩人の書き残した物にも
隠れた情熱の高貴のあることを創造し
どうかするとその創造を
ニオイ油でキリストの足を洗ったという
1:51:00
新約禅書の中の婦人にまで持っていった。
狼を見ようとして
関氏は牛込の下宿から出かけていった。
狼からよこしてくれた手紙の返事を書く代わりに
直に尋ねていこうと思ったので。
この訪問は関氏に特別な心持ちを持たせた。
狼の尋ねにくいのは
あの手紙の返事の書きにくいのと変わらなかった。
黒い土蔵造りの富屋の並んだ
日本橋天間町辺の街中に
狼のような人の生まれた家を探すことは
関氏に珍しく思われた。
大活のお棚により
国庁の御院居の本棚により
そのほか大活市巻の
軒を並べた店々により
あの辺の街の空気は
捨て基地に親しいものであった。
ある街の角まで行くと
そこに狼としたコンのノレンを見つけた。
奥深い店の入口から
土蔵の方へ火葬節の乳を運ぶ男などが目につく。
その横手に別に軌道がある。
捨て基地はその軌道の前に立って
ベルを押した。
麹町の学校や鎌倉の別荘に狼を見た船で
その時女中に案内された茶の間や
隙を凝らした狭い庭先を見ると
そこには天麻町辺りの
街中とも思われないほどの静かさがある。
その静かさの中に
にわかに親しみを加えたような
狼の笑顔を見つけた。
妹も鎌倉から帰ってきています。
よく君の大噂が出ます。
そういう調子からして絵どっこらしかった。
狼はもう何もかも飲み込んでいる
という顔つきで
時々高い声を出して快活に笑ったが
でも顔の色は青ざめて見えた。
奥の座敷の方から
鈴子が壮らしく聞こえてくる琴の音は
余計にその茶の間を静かにした。
奥さんの噂が出た。
あの先輩の周囲にある者が
必ずしも雑誌社の連中のような
崇拝家ばかりでないことが
狼の口ぶりで察せられた。
のみならず下手な吉本三備役の多いことが
心ある者に一種の反感をさえ引き起こさせた。
こういうことを狼は眼中に
置かないわけにはいかなかったらしい。
何と言っても吉本さんは
時代の長寿の一人で
それに狼は接近しすぎるほどの
あの先輩に接近していたから。
もともとあの先輩に狼を近づけたのも
人気をおもんずる江戸っ子の
熱い力であったろうが。
こうした複雑な、影ひなたのある
人と人との戦いの多い大人の世界の方へ
いつの間にかステキチも
出てきたような気がした。
麹町の学校の方の噂につれて
狼の話はステキチが待ち受けていったような
人の噂に触れていった。
おかつさんか、と狼が言った。
なかなか立ちのいい人ですよ。
ふっくりとできたような人ですが
あれでなかなかしっかりしたところがあります。
その時、年上の狼が
まともにステキチを見た目には
心の顔を合わせたような眩しさがあった。
ステキチは何とも答えようがなかった。
だめです。あんな気の弱い人は。
とか何とか言い紛らわそうとしたが
思わず若い時の血潮が
自分の頬に昇ってくるのを感じた。
それぎり狼はカツ子のことも言い出さなかった。
しかし雑談の間に混じって出てきた
その短い噂だけでステキチにはたくさんだった。
ステキチはまだ誰にも話さずにあることを
この狼に引き出された。
新しい学友同士の間にすら
感じられないような深い交渉が
1:54:00
一息にそこから始まってきたような気もした。
鎌倉以来、二人の間の和党に上るようになった
市川の噂がその日も出た。
ステキチはまだ市川を知らなかった。
狼が出している小さな雑誌の周期付録で
一緒に書いたものを並べたに過ぎなかった。
市川君という人にはぜひ一度会ってみたい。
何なら私の方からご紹介しましょう。
ついこの近くです。
元船長にいます。
こいつがまたなかなか情動を踏まないやつなんです。
市川の話は
話になると狼は我を忘れて膝を乗り出すようなところがあった。
それほど狼はあの人を悲劇にしていた。
でも元船長のあたりに面白い人ができたもんですね。
とステキチが言った。
市川君のラブの話というのが実に変わっている。
面白いことを言い出すからね。
僕のラバーはもう死んでこの世にはいない。
なんて。
そうかと思うといつの間にかそいつがまだ生きている。
私はよく弟にそう言うんです。
市川という男はあれで月日をして歩くやつだ。
どうもあの男は方々へ火をつけて歩いて困る。
こう話し聞かせる狼は
人の心に火をつけて歩くという若者の様子を
手真似にまでして見せて笑った。
ステキチがまだ市川を知らないように
狼はまだ青木を知らなかった。
ステキチは狼に青木を紹介することを訳した。
そのうち弟にも会ってやってください。
と狼が言った。
狼には清之助という弟があって
市川と同じようにこの下町から高等学校へ通っているとのことであった。
狼の家を出て
少年の時からの記憶の多い下町の空気の中を
丑米の方へ帰っていく頃には
いろいろステキチの胸に思い当たることがあった。
狼の話の端で
あの両子こそステキチには未知の友ではあるが
鎌倉以来よく噂の出る市川の位中の人であると分かってきた。
静かな茶の間で聞いてきたことの音は
まだステキチの耳についていた。
あの音が両子を語った。
両子はどこか大活の娘に共通したところのある
細腰で華奢な下町風の娘で
狼のような兄の心持ちもよく分かるほどの
敏感な性質を見せていた。
それに両子はひと頃
広島町の学校へも通ったことがあるとかで
磯子とは親しく勝子をもよく知っているということが
他でもないような懐かしみをステキチに持たせた。
ステキチは市川を知る前にまず両子の方を知った。
その意味から言っても
あの礼儀な娘が選んだ未知の青年に会いたかった。
下宿へ戻ってみると狼に会って話してきたことが
いっそ勝子に対するステキチの恋の意識を深くさせた。
勝子はもうステキチの家にも外にもいるようになった。
どうかすると彼女の大きく見開いたような
女らしい目が彼の身に近くくる。
時には姉さんらしい温けみのある表情で
時に甘える妹のような娘らしさで。
しかしステキチは教師だ。そして勝子は生徒だ。
それを思うと苦しかった。
狼の口ぶりで見ると
磯子の組の生徒の中には
教師としてのステキチを見つめているような
かなり冷たい鋭い目が光っている。
その目がまずステキチの秘密を見破ったとある。
そればかりではない。
学校の職員の中には
教員室である年若な生徒の手を握ったとかいうものがあって
それが年頃の生徒仲間にかなり評判として伝わっている。
1:57:03
ステキチは人を教えるという務めの辛さを味わった。
どうかして自分の熱い切ない心を勝子に伝えたいとは思っても
それを伝えようと思えば思うほど
余計に自分を抑えてしまった。
彼は勝子の老いたちにつき
彼女の親たちにつき兄弟につき
知りたいと思う数々のことを持っていた。
彼女が麹町の学校の近くから通ってくることを伝え聞いたのみで
まだ彼は勝子の住む家をすら突き止めることができなかった。
手がかりとても少なかった。
たまにそうした機会を捉え得るようなことがあっても
幼い心の彼はそれをつかまない前に
もう自分の顔をあからめた。
眠りがたい夜が続いた。
どうかすると二晩も三晩も全く眠らなかった。
例の小座敷に置いた机の上には
生徒から預かった作文が載せてあった。
塔の中には最近に勝子の書いた文章も入っていた。
読んでみると面白くもおかしくもない文章が
何にも知らない鳩のような胸からただ安らかに流れてきている。
石地はその作文が真っ赤になるほど朱で直してみて
一人で黙っている心をこらえた。
にわかに友達同士の交友が広がってきた。
青木からの葉書でおかみを紹介された喜びを述べて
道君を待ち受けるのは近頃愉快なことの一つだと
石地のところへ行ってよこした。
おかみが芝の公園に青木を訪ねる頃には
それと相前後して石地は元船長の市川を訪ねていった。
荒芽橋から江戸橋にかけて隅田川に通ずる堀割りの水が
あたかも二舟の停泊所の趣をなしている一区画。
そこは石地が高輪の学校時代の記憶から引き離して
考えられないほど古い馴染みの場所だ。
よく石地は田辺のおじさんの家から元の学僧の方へ歩いて帰ろうとして
そこまで来るときっと足を休めたもんだ。
いつ眺めて通っても飽きることを知らなかった
あのごちゃごちゃと入り組んだ一区画から
ほど遠からぬ街の中に市川の家があった。
一区画くんはこんなところに住んでるのか。
それを思ったばかりでも下町育ちの石地には特別な懐かしみがあった。
せんちゃんのお客様という声が店先でして
やがて石地を案内してくれる小僧がある。
役種を並べた店の横手から細い路地について奥の方へ入って行くと
おもやの奥座敷から買って口までが見える。
石地はその路地のところで
一川の姉さんらしい人の挨拶をするのにあった。
おもやから離れた路地の突き当たりの裏二階に
一川の勉強部屋があった。
狼を通し、書いたものを通し
すでに知り合いの間からのような一川は
ごく打ち解けた調子で石地を迎えてくれた。
この人は石地の周囲にある友達の誰よりも若かった。
街の響きも聞こえないほどおくまった二階の部屋で
広い額の何よりまず目につく一川の前に座ってみたときは
石地は初めて会う人のような気もしなかった。
「せんちゃん、お茶をあげてください。」
と声がして、はしご団のところへ
茶道具を運んでくる家の人がある。
一川はそれを受け取りに行って
やがて机のそばで石地に茶をすすめてくれた。
壁には黒いボタンのついた高等学校の制服もかけてあった。
2:00:01
すべてが石地にとって気がおけなかった。
若い者同士はいつのまにか
互いに話したいと思うような和とをに触れていった。
石地はすでに両子のことを知っていたし
一川も狼を通して勝子の話を聞いていた。
うなずきあった一日の友は
十年かかっても話せない人のあるようなことを
ただ笑い方ひとつで
互いの胸に通わせることができた。
「天魔町は兄さんによく似ていますね。」
と石地が言い出した。
ふと石地は天魔町という言葉を思いついて
自分ながら話すに話いいと思ってきた。
へっついがし、浜町。
それで田辺の家の方では
樽屋のおばさんや大川端の兄を呼んでいた。
それを石地は両子に応用した。
「ふん、天魔町はよかった。」
と一川も笑い出した。
さすがに両子のことになると
一川も頬を染めた。
「狼君は一体どうなんですか。」
石地は自分の胸に疑問として残っていることを
一川の前に持ち出した。
あれほどで一川に同情を寄せ
石地に手紙をくれた狼も
まだ自分から熱い涙の源を語らなかった。
「お磯さんという生徒がありましょう。」
「そうですか。あの人ですか。」
大方はそんなことだろうと思っていました。
この二階へ来てみて
初めて石地は狼の心情を確かめた。
一川の口から磯子の名を聞いたばかりで
かねて石地の想像が
みなその一点に集まってきた。
ところがです。
と一川は石地の方へ膝を寄せながら
「お磯さんという人は
君も知っている通り強い人でしょう。
吉本さんを通して狼君の心持ちを
あの人まで話してもらったところが
その返事がどうしてもお磯さんです。
先生としてはどこまでも尊敬する。
しかしその人の自分のラバーとして考えることは
どうしてもできないというんだそうです。
そうなってくると
時計に心持ちが激してきて
教場などへ出ても
実に厳然として生徒に臨むという風だそうです。」
こう話し聞かせる一川の広い額は
青じろく光ってきた。
一川はまたずっと以前の狼をも知っていて
あの軽い趣味に満足していた人が
今日のような涙の多い文章を
多く狼に代わってきたことを石地に話した。
そういう話をする調子の中にも
一川は若者と思われないほどの資料を示した。
子供と大人が
この人の青じろい額や
特色のある高い鼻には同時に住んでいた。
やがて一川は狼と一緒に編集したという
例の小さな雑誌の周期付録を
石地の前に取り出した。
二人とも好きな詩文の話が
それから尽きなかった。
正解を訳して
石地は一川の元を離れた。
彼の胸は青木や狼兄弟や
一川やそれから菅、赤氏のことなどで
満たされた。
同時に磯子、涼子、勝子
もしくは青木の細君のことなどが
一緒になって浮かんできた。
なんとなく若い者だけの世界が
そこへ出かけてきた。
一緒、元船町。
そこにもここにも
ついた明かりが素敵地に見えてきた。
十二。
2:03:02
月日は白帯の価格にして
行き交う年もまた旅人なり。
船の上に生涯を浮かべ
馬の口を捉えて老いを迎うる者は
日々旅にして旅を済みかとす。
故人も多く旅にしせるあり。
世もいずれの年寄りか
変運の風に誘われて
漂泊の重い山津。
海浜に誘い小園の秋
工場の破屋に蜘蛛のフルスを払いて
やや年も暮れ。
春立てる霞の空に白川の関小園と
徒労神の物に尽きて心を狂わせ
同族人の招きにあいて取る者を手につかず。
桃引きの破れを綴り
笠の尾を付け替えて三里に給するより
松島の月まず心にかかりて
住める方は人に譲り
三風が別所に移る。
草の友。
住み変わる与造。
雛の家。
尾もて白駆をいおりの柱に掛け置き
やよいも末の七日。
明けぼろの空おぼろおぼろとして
月はあり明けにて光をさまれる者から
富士の峰かすかに見えて
上の柳の花の小舟もまた
いつかはと心細し。
むつまじき限りはよいより集いて
船に乗り手を送る。
千里というところにて船を上がれば
全都三千輪の重い胸に塞がりて
幻の巷に履別の涙を注ぐ。
行く春夜。
鳥無き魚の眼は涙。
これを夜立ての始めとして
行く道なお進まず。
人々は途中に立ち並びて
後影の見うるまではと見送るなるべし。
ことし玄禄二十世にや
追う長戸の案義や
ただ仮初めに思いたして
御殿に白髪の恨みをかさぬといえども
耳に触れてまだ目に身にふさかい
もし生きて帰ればと定めなき頼みの末をかけ
その日ようやく宗家という宿にたどり着きにけり。
やせぼれの唐に書かれる者まず苦しむ。
ただ三菱と伊手立羽べるを
神子ひとえは世の不正義
浴衣甘具
墨筆の類
あるは去りがたきは
なむけなどしたるは
さすがに打ち捨てがたく
路地の災いとなるこそ悪いなけれ。
奥の細道
丑米の下宿で
須貴智はこの馬匠の文章を開けた。
昔の人の書き残したものを読んでみて
自分の若い心を励まそうとした。
声を出して読み続けた。
読めば読むほど
須貴智は心の勇気を注ぎ入れられるように感じた。
彼は波のように踊り騒ぐ
自分の胸を押さえて
勝子を見るにも耐えられなくなってきた。
彼が沈黙を守り続けたのも
愛することを粗末にしたくないと考えたからで。
のみならず
黙って行き黙って帰る教師としての勤めを
一層苦しく不安にしたものは
どうやら彼が学問の元手のつきそうになってきたことであった。
不慣れな彼はあまりに熱心に生徒を教えすぎて
一年たらずの間に
わずかな学問をみな出し切ってしまった。
それ以上教える元手がないかのように
自分ながら危ぶまれてきた。
ありついた職業も
それを投げ出すより他に仕方がないほど
教師としても行き詰った。
1991年も
2週間ばかりのうちにつきようとする頃であった。
高島市の学校でも
第二学期を追いかけていた。
彼はある悲しい決心をつかんだ。
個人も多く
食べにしせるありと
2:06:00
その奥の細道の中にある文句を繰り返した。
ちょうど岡見兄弟と市川とは
それまで出していた小さな雑誌を
大きくしようという計画を立てていた。
青春の知事用は
互いに性質の異なった声明を結びつけて
共同の仕事のもとに集まらせようとしていた。
青木もステキチも
年若ながらに
兄らの仕事に同情のある龍子をはじめ
磯子、勝子、それから
高島市の学校の卒業生で
オカミや龍子らの間によく噂の出る
最強の峰子などの人たちを背景に持つことが
いっそこの勢いを促した。
ちょうど来たる年の正月には
同人の新しい雑誌もできようというところであった。
その中で
にわかにステキチは旅を思い立った。
ステキチは田辺のおじさんをはじめ
おばあさん、姉さんらの恩人のことも忘れ
大川端の兄のことも忘れ
遠く郷里の方の彼のために
朝夕の無事を祈っている
お母さんのことも忘れてしまった。
彼は一切を破って
出て行く気になった。
高島市の学校の方の仕事は
彩子のある青木のために残して行こう。
青木も骨が折れそうだ。
そう思ってステキチは
芝の公園へ訪ねて行った。
このステキチの志を青木は
心よく受け入れたばかりでなく
自分にもし彩子がなかったら
一緒に旅に登ったであろう
共有は我が天性である
色々な友達の教え子として
彩子のことを考えるのも
せめてものステキチの心やりであった。
青木を訪ねたついでに
ステキチは築地のスゲの家へ
それとなく別れを告げに寄った。
相変わらずスゲは静かな
平らな心持ちで
ある西洋人の仕事を手伝いなどをしながら
一人でコツコツ勉強を続けていた。
検定試験に休大して
伊予の方のある私立学校の教師として
赴任していった足立の噂も出た。
スゲ君、しばらく僕は
旅をしてくるかもしれない
旧友にも青木らと一緒に
同時の雑誌の仲間入りをすることを勧めた。
何らの嬉しいも悲しいも
まだ知らず顔な旧友の話は
ひどくステキチには物足らなかった。
麹町の学校へも
ステキチは最終の授業の日を送りに行った。
彼は普段と少しも変わった様子のない
葛子を同じ組の他の生徒との間に見た。
12月の聖らしい日の光は
2階の教場の窓ガラスを通して
黒板の上まで差してきていた。
彼は新しい白墨の一つを取り
その黒板に心覚えの志の句を書き付け
それに寄せて生徒に別れを告げた。
若くて貧しいステキチは
何一つ自分の志望の印として
葛子に残していくようなものを持たなかった。
僅かにその年まで守り続けてきた
幼い童貞を除いては。
涙一滴流れなかった。
それほどステキチは張り詰めた心で
葛子から離れてきた。
牛込の下宿に帰ると
彼は麹町の教会の施設にあてて
大会の届けをしたためた。
恩届け
不思議感ずるところこれあり
今回教会員としての席を
知り続きたく
何とぞ御助命下されたく候と書いた。
切ない恋のためには
彼は教会をさえ捨てて出ていく気になった。
ぶらりとステキチは
2:09:00
恩人の家の方へ帰っていった。
麹町の学校を受実すると間もなく
牛込の下宿も畳んで
冬休みらしい顔つきで
わずかな荷物と書籍と田辺の門の内へ運んだ。
自分のしたこと考えることについては
何事も目上の人達に明かそうとはしなかった。
兄さん
と大きくなったヒロシが
ステキチを見つけて飛んできた。
いつ見ても人懐くいのはヒロシだった。
ステキチは何とも言ってみようのない心持ちで
すがりつくヒロシの体を固く抱きしめた。
もう一度ステキチは
おじさんの家の玄関に
よく取杉に出てはお辞儀をして
奥の方へ客の名前を通したり
その人の下駄を直したりした玄関に
片隅に本箱を並べておいて
そこを自分の小さな天地とした玄関に
ちょんぼりと帰ってきた自分を見つけた。
儚い少年の夢が破れていった日から
この世の中は彼にとって
全く暗く味気なくなってしまい
あの田辺のおじさんが
沈んだ彼の心を引き立たせようとして
面白そうな芝居に誘ってくれようと
あの姉さんが彼の好きそうな島柄を見立てて
どんな着物を作ってくれようと
何一つ楽しいと思ったこともなく
寂しい寂しい月日を
一人でコツコツ辿ってきたような彼も
今こそ若い日の幸福を
若い間自分の心に求めていたものを
見つけたように思ってきた。
その寂しい月日が長かっただけ
心を苦しめることが多かっただけ
それだけ胸に満ちる喜びも
大きなもののように思ってきた。
しかしステキチが
その喜びを感じ得る頃は
やがて何らの目当てもない旅に
登ろうとしている時であった。
青木も心配して
スゲーと連れ立って田辺の家に
ステキチを見に来た。
間もなく新しい正月が来た。
まちまちを飾る青い竹の葉が
風にしなびてガサガサ音のするような日の午後に
ステキチは勝手口の横手にある
井戸の脇輪もあって
表門のくぐり戸を開けて
棚べとした標札の横に
エビ、ダイダイ、ウラジロ
イズリ葉などで飾った
大きな輪飾りの見える門の前を
まず吐き気をめた。
楽しそうなオイバネの音は
右からも左からも聞こえて来ていた。
ステキチは門の内にある
工事堂の前の敷石の上を這いた。
それから庭の方へ通う木戸を開けて
手にした宝器を茶の間の横の
乙女椿のそばへも持って行き
月山風な楓の木の間へも持って行き
すっかり葉が落ちて
月山風な楓の木の間へも持って行った。
横浜の店の繁盛とともに
東京の方で露水するおばあさんや姉さんの元へは
楽しそうな正月が来ていた。
ステキチはそのおばあさんたちのいる
奥座敷の前から
飛び石に沿って古い小さな井戸のある方までも
這いて行った。
冷たい冷たい汗が彼の額を流れて来た。
本二冊、それにわずかな着替えの衣類を
古式包みにして
ステキチは夕方の明かりのつく頃に
黙って恩人の家を出た。
夕闇に紛れて
ステキチは潜松橋を渡った。
人形町の通りを天摩町まで歩いて行って
狼の店の横手にある木戸の間へ行って立った。
正之助、狼の弟は
庭下駄を履いて出て来て
自分で木戸を開けてくれた。
正之助は例の茶の間で
ステキチを待っていてくれた。
兄は鎌倉の方で君をお待ちすると言って
2:12:01
今日出かけて行きました。
妹も一緒に。
と正之助はステキチを迎え入れて行った。
茶の間の真ん中にある四角な炉の周りに
二人は連中が
そうだ、もはや連中と呼んでいいほど
親しくなった若い者同士が
互いに集まっては
詩文を語る中心の場所のようになっていた。
そこでは同人の雑誌も編集された。
その炉辺で
差し向かいに火を眺めて
互いに手をあぶりながら語り合うほど
ステキチは正之助の静かな性質を知るようになった。
正さん、お客様にあげてくださいな。
と正之御主に来て
呼ぶ正之助のお母さんの優しい声がした。
お母さんは正之の陰で
いろいろと女中の挿し図をしていくらしかった。
やがてポツポツ食べながら
話しのできるような血相が出た。
なんといっても
自分らの雑誌は可愛い。
正之助はステキチを前に置いて
実にゆっくりゆっくり食べながら話した。
寂しいみぞれの振り出す音がしてきた。
天魔町あたりの町の中とも思われないほど
静かな茶の間で
ステキチはしとしと庭の外へ来たる
みぞれの音を聞きながら
別離の晩らしい時を送った。
十二時打ち、一時打っても
何も聞きなかった。
その晩はステキチは天魔町に泊まった。
急激に転化していくような
彼の若い生涯は
たとえ十年の友にも
勝るほどの親しみがあっても
なんといってもまだ交わりの日の浅い
正之助と枕を並べて
この茶の間の天井の下に一緒に寝ることを
不思議にさえ感じさせた。
床についてからも
正之助はすぐステキチを眠らせなかった。
今夜はぜひ君に聞いておきたい。
そりゃまあ
言わなくたってわかってるようなもんだがね
ぜひそれを聞かせてもらいたい。
その人の名前を今夜は確かめておきたい。
もしまた後になって人が違った
なんてことになると困るからね。
こんなことを言って
正之助は夜の二時過ぎまでも
ステキチを唸らせた。
目に見ることのできない
大きな力にでも押し出されるようにして
ステキチは東京から離れていった。
天魔町に泊まった翌日は
新橋から汽車で車窓のガラスに映る
芝浜の裏手、
当然寺の上の方から一帯に続く高台。
思い出の多い高縄の地勢が
その芝居に眺めて通っていった。
ステキチは鎌倉にある
オカミの別荘まで動いた。
そこは八幡宮に近い町の裏手にあたって
平らな高地に取り巻かれたような位置にある。
あの正宗屋敷という方にあった農家から
ステキチはよく田んぼの道綱に
オカミを見に来た
一夏の間を思い出すことができた。
あの稲の葉の茂った田んぼの間から起こる
カエルの声を思い出すことができた。
あの青いひょうたんの成り下がった
陰者の住居のような門を叩くと
オカミがよく青ざめた顔つきをして
自分を迎えてくれたことを思い出すことができた。
すべてはステキチにとって
まだ昨日のことのような気がしていた。
ちょうどオカミも学校の休館のときで
その隠れ家にステキチの来るのを
待ち受けていてくれた。
東京から見ると
いくらか温かい部屋の空気の中で
ステキチはオカミやリョウコと一緒になることができた。
オリオさん、あのお預かりしたものを
岸本さんにあげたらいいでしょう。
とオカミに言われて
リョウコはそこへ下手下ろしの
2:15:01
綿入り羽織を持ってきた。
これは高等科生と一同から
君へのおせんべつだそうです。
岸本先生の熱心は
一同の感謝するところでございます。
と言って丁寧な言葉まで添えてありました。
これは東京の方で君にあげるよりか
旅にお出かけになるときにあげたいなんて
妹がわざわざ鎌倉までお預かりしてきました。
とオカミが言った。
思いがけない高島市の学校の生徒からの
贈り物を鎌倉で受け取ることは
旅に出かける矢先だけに
余計にステキチを喜ばせた。
オカミはステキチのために
差し当たりの露養の金を
用意しておいてくれたばかりでなく
最強には両子らが姉のように頼む美猫がいる。
旅のついでに尋ねて行け。
不自由なことがあったら頼め。
と言って最強宛の手紙までも
用意しておいてくれた。
チキの情けはステキチの身にしみた。
彼はそれを通説に感じ始めたこと
身はすでに漂白の境にあることを感じた。
オミニさんのところへは
私からもお手紙を出しておきましょう。
と両子が兄さんの方を見て
優しく言葉を添えた。
オミニさんか。
まあお会いになれば分かりますが
こいつがまたなかなかの拗ね者なんです。
このオカミの調子はステキチを微笑ませた。
いくらか物を大げさに言うのが
オカミの癖であったから。
オレオさん
お前さんの汚染別もついでに
ここへ出しちゃったらいいでしょう。
とオカミは兄さんらしく言って
やがてステキチの方を見て
岸本さんにあげたいと言って
妹は袋を一つ縫いました。
オカミのそばで見るにふさわしい両子は
嬉しかった。
彼女はステキチのために見立てた
茶色の霧地で縫ったという
旅行用の袋を取り出してきて
それをオカミの前に置いた。
時々オカミの爆発するような笑い声が起こると
彼女はそれを楽しそうに聞くばかりでなく
オカミとステキチの間に出る
同人の雑誌の話
連中の噂などにも熱心に耳を傾けた。
いそこに対するオカミのやるせない心持ちにも
兄弟中で一番同情を寄せているのは
彼女らしかった。
アーキ君の結婚の話がいいじゃないか
先生はアノサイ君を担ぎ出しちゃったというんだから
アーキ君のは自由結婚だそうですね
オカミとステキチとが語り合う側で
両子はかすかな深い笑みを見せていた。
二汽車ばかり遅れて
聖之助も東京からステキチの後を追ってきた。
高等学校の制服でやってきた聖之助を
加えたので
狭い別荘のうちは一層にぎやかになった。
ちょっと敷居します。
そこへらへ行ってわらじを見つけてきます
とステキチが言い出した。
今バーやニトリにやりますよ
と両子は当たってきて言った。
とにかく今夜はここへお泊まりなさい。
弟もそのつもりで来たんですからね。
わらじは明日の朝までに交わしておきましょう
とオカミもステキチをいたわるような調子で。
あんまり遅いなってお気の毒だ
とステキチが言った。
なあにそんなことありゃしない。
まあ今夜は大いに話すさ。
しばらくもうお別れだ。
夕飯には両子の手料理で心尽くしのちそうがあった。
ステキチはこれから先の旅の話をして
西京へ行ったら未だ会ったことのない美猫をも訪ねようとし
ことによったら伊予の方へも旅して
そこに教鞭をとっている足立をも訪ねよう。
とにかくこれから東海道を下って行ってみるつもりだと話した。
2:18:00
両子もそこへ来て
夜の穂影に映る二人の兄さんたちの顔と
旅に行くステキチの顔とを見比べていた。
そこへらがしんとしてきたころ
オカミはまず畳の上にひざまずいて
岸本君のために祈りましょう
と言い出した。
聖之助も両子もステキチもみなそこへひざまずいた。
劇場に飛んだオカミは熱い別れの祈りを神に捧げた。
主よ、すべておしろしめす主よ。
大なる幸福にせんだって
大なる患難と苦痛等を与え給う主よ。
我々が今贈ろうとしている
一人の若い友達の善とは
ただあなたがあってそれを知っているのみでございます。
こんな風に祈った。
聖之助もまた静粛な調子で
ステキチのために善との無事を祈ってくれた。
翌朝早くからステキチは旅の支度を始めた。
田辺の家を出る時に着てきた羽織を脱いで
工事町の学校の生徒が送ってくれたという綿入り羽織に着替えた。
すでには用意してきた華帆を当てた。
脱いだ羽織、わずかの着替え、本二冊、紙、筆などは
旅行から贈られた袋と共に一まとめにして
肩にかけても持って行かれるほどの風呂敷包みとした。
オカミ兄弟と一緒の朝茶も
着物の下に華帆を当てたままで飲んだ。
善との不安は年の若いステキチの胸に迫ってきた。
お前は気でも狂ったのかと人に言われても
彼はそれを拒むことのできないような気がしていた。
その心からオカミに尋ねてみた。
僕の足場、浮ついているように見えましょうか。
どうして?
そんなふうには少しも見えない。
いかなる場合でも君は静かだ。
ごく静かに君はこの世の中を歩いていくような人だ。
このオカミの言葉にステキチはいくらか心を休んじた。
礼を述べ、別れを告げ、
やがてステキチは東京から生えてきた下駄を脱ぎ捨てて
上原町のところでわらじばきになった。
いよいよお出かけでございますか。
上原もそこへ来て行った。
自分ながらなんとなく旅人らしい心持ちがステキチの胸に浮かんできた。
わらじで砂混じりの土を踏んでオカミの別荘を離れようとした。
そのときオカミはステキチについて一緒に木戸の外へ出た。
じゃあ、まあごきげんよう。
オカチさんの方へは妹から君のことを通じさせることにしておきました。
とオカミが言った。
この選別の言葉はステキチにとっていかなるものを贈られるようにも嬉しかった。
実に一歳を捨ててきて初めてステキチはそんな嬉しい言葉を聞くことができた。
それを聞けばもうたくさんだとさえ思った。
瀬戸助も両子もオカミと一緒に朝日の当たった道に沿ってステキチの後を追ってきた。
途中でステキチが振り返って見たときはまだ兄弟は枯れ枯れとした田んぼ脇に立って見送っていてくれた。
裏道自体にステキチは平らな街道へ出た。
そこはもう東海道だ。旅はこれからだ。
そう思って彼は小踊りして出かけた。
一理ばかり半分夢中で歩いていった。
そのうちに黙って出てきた恩人の家の方のことが激しくステキチの恐虫を往来し始めた。
ひちがいじみた自分の行いはどんなに田辺のおじさんや姉さんやそれからあのおばあさんを驚かしかつ怒らせたであろうと想像した。
大川端の兄の驚きと怒りと悲しみとをも想像した。
2:21:02
その考えからステキチは言い表しがたい恐怖にすら襲われた。
彼は日ごろ愛憎する書籍から衣類着物まで貧しい身に蓄えた一切のものを恩人の家に残して置いてきた。
どうかしてこの自分の家でが単なる暴音の行為でなしに父母から背き去り黒染めの衣に身をやつしてもひたすら道を急ぐあの哀れむべき発信者のように見られたいと願った。
海に近いことを思わせるような古い街道の松並木が行く先にあった。
ステキチは道端にある石の一つに腰掛けて休んだ。そして周囲を見回した。
目の前にはただ一筋の道と正月らしく当たってきている日の光とがあるばかりであった。
彼は恩人からも身内の者からも友達からも自分の職業からも離れてきた。
その時はまったく自分一人の旅の姿を見つけた。日ごろ親しい人たちは誰一人そばにいなかった。
彼は石に腰掛けながら肩から下ろした風呂敷き包みを石のそばに置いて熱い涙を流した。
ステキチは東海道を下って行った。
こうして始まったルル王が進んで行ったら島へにはどうなるかというようなことはまったく彼には考えられなかった。
鎌倉からオキツ辺りまで歩いて行った。
旧暦で正月を迎えようとするムラムラを通り過ぎた時は途中でまたすすはきの音を聞いた。
一日一日とステキチは温かい東海道の日当たりの中へ出て行った。
どうかするとその日当たりの中に咲く名も知らない花を見つけてせめてロボウの草花から旅人と呼ばれることを楽しんだ。
誰か後ろから追いかけてくる者がある。
逃れゆく自分を捉えに来る者がある。
この恐怖。東京の方の空を振り返るたびに襲ってくるこの恐怖は余計にステキチの足を急がせた。
小高い眺めのいい位置にある寺院の境内が遠く光る青い海が石垣の下に見える街道風の神社の屋根が彼の目に映った。
オキツの清み寺だ。
そこには古い本堂の横手にちょうど人体を心持ち小さくしたほどの大きさを見せた生体の無した五百羅漢の石像があった。
立ったり座ったりしている人の形は生きて物言うごとくにも見える。
誰かしら知った人に会えるというその無数な彫刻の僧帽を見ていくと、
あそこに青木がいた、狼がいた、瀬戸助がいた、ここに市川がいた、菅もいたと数えることができた。
連中はすっかりその石像の中にいた。
ステキチは立ち去りがたい思いをして旅の風呂敷設備の中から紙と鉛筆等を取り出し、頭の骨が高く尖って口を開いて交渉しているようなもの。
広い額と高いハートを見せながらこの世の中を恨んでいるようなもの。
頭の形は丸く目はつむり唇は固く噛みしめて歯をくじしばっているようなもの。
都合五つの心臓を映し取った。
五百もある古い羅漢の中には女性の僧帽を忍ばせるようなものもあった。
磯子、涼子、それから勝子の面影をすら見つけた。
こうして作った簡単な見取図は旅での手紙と一緒にして天魔町宛に送ろうとも考えた。
毎日毎日動いている彼は東京の友達からの消息に接することもできなかった。
また磯子は旅を続けた。
ところどころ汽車にも乗って厚田の町まで行った。
2:24:02
厚田から便船で四日市へ渡り亀山というところにも一晩泊まり、それから深い寂しい山城を歩いて伊賀、大海の国境へ起こした。
黒ずんだ琵琶湖の水が磯子の目の前に開けてきた。
大津の町に入った時は寺田の勤めの鐘が小声に響き伝わってくるような夕方であった。
風の持ってくる溶けやすい雪は彼の頬にも彼の足元にも荷物をおかけた彼の肩にも来た。
そこまで行くと西京ももう遠くはないという気がした。
何らかの東京の方の消息も聞けるかとそれを楽しみにして狼から紹介された磯子という人を西京に尋ねてみようと思っていた。
まだ自分は踏み出したばかりだと彼は自分に言ってみて白い綿のような越がしきりに降ってくる中をあちこちと宿屋を探し回った。
旅もわらじも乗れた。まだ若い盛りの彼の足は踏んでいく春の雪のために燃えた。
1955年発行。新庁舎。新庁文庫。桜の実の熟する時。
より独領読み終わりです。
え?しげこは?
あれ?しげこは?どうなっちゃったんだっけ?
わかりませんね。たくさん文字を尽くして先生辞めて旅に出たみたいなこと?
桜の実の熟する時と童貞であることはかかってるんでしょうか?
風景描写がかなり細かいところもあるわりに新庁風景はちょっと淡々とパツパツ切っていくところがあったりして。
あ、もうこっちに移動しているみたいな。
難しかったですね。いかがでしょうか。
これなんて人のリクエストあったかな。
知恵さんという方ですね。リクエストをいただいた知恵さんに捧げたいと思います。
2ヶ月以上かかったと思う。これ。読み終わるのに。
はい、お受け取りください。大雨ください。
よし、終わりにしていこう。
でも眠くなったんじゃないかな。結構。
無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただけた方も大変にお疲れ様でした。
といったところで今日のところはこの辺で。また次回お会いしましょう。おやすみなさい。