サカナクションを聴いていると、僕には「歌」というより、一つの「曲」として聞こえることがあります。
山口一郎の声やメロディーは強く残るのに、聴き終わったあとに思い出すのは、ベースや一定のリズム、シンセの音だったりします。
このエピソードでは、なぜサカナクションを何度も聴きたくなるのかを、メロディー、反復、リズム、電子音、歌声、歌詞との関係から考えます。
親しみやすい日本語のメロディーの下で、同じリズムやフレーズが繰り返され、音が少しずつ増えたり減ったりする。
大きく展開を変えなくても、同じ流れの中に小さな変化があることで、聴くたびに別の音が気になってきます。
また、山口一郎の声も、歌詞を伝えるだけではなく、ベースやシンセと並ぶ一つの音として曲の中に混ざっているように感じます。
一方で、曲作りには強く惹かれるのに、歌詞には少し距離を感じることもあります。
それでも何度も再生してしまうのはなぜなのか。
「一度で耳をつかむ曲」よりも「何度も聴ける曲」が好きだという自分の感覚から、サカナクションの音楽性を考えるエピソードです。
このエピソードは、Webメディア「ねんごろ」で公開している記事をもとに制作しています。
元記事:
https://nengoro.com/essay/essay_09/
YouTube:
このエピソードの音声は、生成AIを利用して制作しています。
感想
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あの日本のトップを走るロックバンドなのに、実はボーカロが主役じゃない。
はい。 それどころか、その歌声は、私たちが歌詞の意味を理解する前に、脳のリズム感を発揮するための打撻として使われている。
ええ? ええ?
そんなふうに言われたら、ちょっと耳を打たないませんか?
いや、それはかなり驚きますよね。
ですよね。
普段私たちが音楽を聴くときって、どうしてもスポットライトを浴びているボーカルの声とか。
はい。
歌詞のメッセージを無意識に真っ先に追ってしまいますからね。
わかります。一番目立ちますし。
そうなんですよ。ボーカルが前にいて、後ろで楽器が伴奏をしているっていう、そういう階層構造で捉えるのが一般的ですから。
歌と伴奏みたいな感じですよね。
まさにそうです。
でも世の中には、その歌と伴奏っていう境界線が完全に溶けてしまって、
はい。
声も電子音も、あとバンドの生音も、全部が一つの塊として押し寄せてくるような不思議な没入感を持った音楽があるんですよね。
ええ、ありますね。
今日はその代表格ともいえる、サカナアクションの音楽性の本質をたっぷりと深盛りしていきたいと思います。
よろしくお願いします。サカナアクションというと、よくロックとダンスミュージックの融合みたいな言葉で。
ああ、よく言われますよね。そういうキャッチコピー。
はい、片付けられがちなんですけど、あの身体の芯まで響きつつ、どこかその口臭を誘うような聞き心地って、
そんな表面的なジャンルの名前だけじゃ全く説明がつかないんですよね。
確かに、もっと奥深い気がします。
そうなんです。彼らの音楽がなぜ単なる歌物ではなくて、空間全体がうねるような一つの曲そのものとして成立しているのか、
その裏側にある時間の組み立て方を解き明かしていきましょう。
ワクワクしますね。まず一番不思議なのが、彼らの曲ってクラブで爆音で流れていてもおかしくないくらい、
身体を揺らしたくなるようなグルーヴがあるのに、同時に帰り道にふと口ずさみたくなるような、すごく親しみやすさがあるんですよね。
ああ、わかります。
これって本来なら反する要素な気がするんですけど、どうやって両立させてるんですか?
そこがですね、サッカーアクションの音楽における最大の設計の妙なんですよ。
設計の妙?
はい。彼らの曲にはリスナーを迎えられる二つの入り口が同時に開かれているんです。
二つの入り口ですか?
ええ。一つは純粋なポップスとしてのメロディーの入り口です。
なるほど。
そしてもう一つがクラブミュージックとしての身体的な入り口ですね。
メロディーの入り口っていうのは、確かにシンセサイザーがバキバキになっていても、メロディー自体には冷たさとかサイバーな感じがあまりないですよね。
そうなんですよ。使っている音の色自体は電子的でも、旋律の骨格自体には日本の昔からある消化とか、
消化。
はい。あとは動揺音のような日本語の音のまとまりが無理なく乗っていく自然の温まみがあるんです。
消化っていうのは学校で歌う消化とかそういうことですよね?
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そうですそうです。昔から馴染みのあるあのメロディーの動きです。
だから、動揺とか消化みたいな土着的なメロディーなんですね。
だからこそ、普段電子音楽とかクラブミュージックに全く馴染みがない人でも、何の抵抗もなくすっとその世界に入っていくことができるんです。
なるほど。シンセサイザーを使った最先端のロックバンドですみたいな打ち出し方をしているのに、中身のメロディーはすごく親しみやすいと。
じゃあ、そのメロディーの裏側で鳴っているもう一つのクラブミュージックの入り口っていうのは、それはどうやって作られているんですか?
単にロックバンドの演奏の上にシンセサイザーのピコピコした音をケーキのアイシングみたいにトッピングしているわけじゃないですよね?
全く違いますね。もし単にトッピングしているだけなら、あそこまでの一体感は生まれません。
やっぱりそうですよね?
はい。生楽器のバンドサウンドと電子音が最初から一つの記事としてしっかり練り込まれている状態なんです。
記事そのものなんですね?
そうです。そしてその記事をクラブミュージックとして成立させている最大の要因が、
何ですか?
四つ打ちと呼ばれるリズムと引き算による展開の組み立て方にあるんです。
あ、四つ打ちですね。
はい。
よく聞く言葉ですけど、要素にあのドン、トン、トン、トンって。
いえいえ。
一定のテンポでバスドラムが鳴り続けるリズムのことですよね?
まさにそれです。
でも一定のリズムが続くだけでどうしてあんなに身体が乗ってしまうんですか?ちょっと不思議で。
四つ打ちが人間の身体にダイレクトに作用するのはですね、それが心臓の鼓動とか。
鼓動?
はい。歩行のペースといった人間の生体リズムにきらめて近いからなんですよ。
へえ、生体リズムですか?
ええ。だから脳でこういう曲調だなとか、論理的に理解する前に身体の内部にあるメトロノームが勝手に同期してしまうんです。
ああ、なんかすごくわかります。例えば、今電車の中でこのお話を聞いている人がいたら、その電車の一定の揺れみたいなものですよね。
最初はガタンゴトンって音が気になっても、
数分乗っていると身体がそのリズムに同化して全く違和感がなくなるような。
まさにその感覚です。その身体が同化した一定の周期という巨大な土台の上で、彼らは音の密度を少しずつ変えていくんですよ。
密度を変える。
はい。一般的なJ-POPとかロックってAメロ、Bメロ、サビと場面が変わるごとに景色を劇的に切り替えていきますよね。
そうですね。サビに向けてどんどん楽器が増えていって、ドカーンと盛り上がるのが王道というか普通じゃないですか。
普通はそうです。しかし彼らのグルーブの正体は新しい音を次々に足していくことではなくて、実は弾くことにあるんです。
弾くですか?足すんじゃなくて?
ええ。一定のリズムを保ちながら、今まで鳴っていたはずのギターじゃシンセサイザーをあえてスッと消すんですよ。
音を抜いちゃうんですか?
そうなんです。
それって、なんだか真っ暗な舞台の照明みたいですね。
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ああ、照明ですか?
ええ。全体を明るく照らしていた光が突然フッと消えて、ベースの演奏者にだけにピンスポットが当たるみたいな。
周りが暗くなったからこそ、そのベースの低い音が急に生々しく浮き上がってくるような。
まさにまさにその現象が音響的に起きています。
ほうほう。
音数を減らした瞬間に、それまで他の音に隠れていたベースのうねり、キックドラムの重さが急激に耳に飛び込んでくるんですよ。
なるほど。
そして、次の展開でまたパッと他の音が戻ってくる。
実はベースラインもドラムも同じフレーズを繰り返しているだけなんですけどね。
そうなんですか?同じことをやっているのに。
そうなんです。
その抜き差しがあることで、人間の脳は圧倒的なダイナミクスの変化を感じるんです。
へえ。
音の洪水から急に無音の空間に放り出されて、また音に包まれる。
この反復と密度の変化が、理屈抜きの高揚感を生み出しているんですよ。
弾くことで逆に迫力を出すんですね。
すごく計算された空間の作り方だな。
ほんとに緻密です。
でも、それだけ緻密に楽器の抜き差しを計算しているとなると、ボーカルの立ち位置って難しくないですか?
と言いますと。
ボーカルだけがずっと一番前でスポットライトを浴びて歌い続けていたら、その緻密な空間のバランスが崩れちゃいそうな気がして。
そこで一番最初の冒頭のお話に戻るわけです。
最初の。
はい。サカナクションにおいて山口一郎さんのボーカルは、メッセージを伝えるための覚醒器として常に最前列に立ち続けているわけではないんです。
そうか、主役じゃないって言ってましたね。
ええ。彼の声もまた音を弾いたり足したりする空間のパーツであり、リズムを刻む楽器として機能しているんです。
声が楽器。
はい。
でも、日本語の歌詞を歌いながらどうやって声でリズムを刻むんですか?ドラムみたいに叩くわけじゃないですし。
ここで重要になるのが日本語特有の音節の構造なんです。
音節。
ええ。英語とかは単語が滑らかに繋がって流れるように響きますよね。
そうですね。リエゾンというかくっつきますよね。
はい。でも日本語は一つ一つの音がはっきりと独立して区切られやすい性質を持っています。
確かにタタターって感じで発音しますね。
ええ。彼らはこの特性を利用して言葉を意味のある文章としてただ流すんじゃなくて、どこで区切るか、どこにアクセントを置くかによって声そのものに強烈な打撃のようなリズムを持たせているんです。
なるほど。じゃあそのタタターっていう発音の感覚とかアタックの強さがハイハットとかスネアドラムみたいに機能しているってことですね。
その通りです。
だから歌詞の意味が頭に入ってくるよりも先に発音のリズムが耳に飛び込んでくるんだ。
はい。まさにそういう効果を願っています。
でも、あのちょっと意地悪な聞き方をすると、
はい、どうぞ。
もしボーカルがドラムとかベースと同じ列に並んで打楽器みたいになってしまったら、
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ええ。
なんていうか歌としての感情とかボーカルならではの存在感みたいなものが薄まってしまわないですか。
ああそれはよく言われる疑問なんですけど、存在感が薄まるのではなくて、
出番が厳密にコントロールされていると捉えるべきですね。
出番がコントロールされている。
ええ。常に100%の力で前にいるとリスナーの耳はそれに慣れてしまいますよね。
たしたり。ずっと大声だと疲れちゃいますね。
そうなんです。しかし声がリズムの一部として全体の流れに溶け込んだり、
うんうん。
時には完全に後ろに弾いて余白を作ったりすることで、
余白。
はい。再りボーカルが前に出てきた時のインパクトが何倍にも増幅されるんです。
ああなるほど。
声が鳴っている部分だけじゃなくて、声が消えた後の無音の余白も含めて全体のグルーブをコントロールしているわけです。
ずっと叫び続けている人より普段静かな人がふっと声を上げた時の方がハッとするみたいな。
はい。まさにその感覚ですね。
そういうことか。声の出し方だけじゃなくて弾き方で全体のうねりを作っているんだ。
その通りです。声すらも一つの音色として時間の組み立ての中に組み込まれているんですよ。
いやすごい。でもそうなってくると一つ疑問が湧いてくるんですけど。
何でしょう?
もしボーカルが打楽器のように響いて、言葉が意味よりも先に音とかリズムとして届くんだとしたら、
はい。
そもそも歌詞の意味ってどういう役割を果たしているんですか?
極端な話、意味なんてなくてもいいんじゃないかと思えちゃうんですけど。
そこがですね、彼らの音楽において最も誤解されやすいポイントなんです。
誤解されやすい。
ええ。サカナクションの歌詞って使われている言葉自体はとても平易で日常的なんですけど。
はい。難しい言葉はあまりないですよね。
そうなんですよ。でもリスナーはその意味に対して少しだけ距離感というか、
距離感。
つかみどころのなさを感じることがあるんです。
ああ、確かに。情景は頭に浮かぶんですけど。
ええ。
なんか悲しいとか嬉しいみたいに一言で感情を説明しきれないことが多い気がします。
それは意図的に感情に直接名前をつけず結論をリスナーに委ねているからなんです。
なるほど。わざとぼかしてるんですね。
はい。そしてこの歌詞の余白こそが脳を強烈に音楽に引き込む仕掛けになっています。
仕掛けですか?
ええ。人間の脳って未完成なものとか答えが提示されていないパズルに出会うと、
無意識にそれを埋めようと活発に働き始めるんですよ。
ああ、なるほど。つまり僕は今とても悲しいですって歌詞で全部説明されてしまったら、
脳はあ、なるほど悲しいんだなって納得して、そこで思考が止まっちゃうってことですよね。
まさにそうです。
でも直接的な答えがないからこそ、リスナーの脳は、え、この感情の正体は何だろうって。
そうそう。
必死にベースの重さとか、シンセの冷たさとか、ボーカルの息遣いから頻度を探し出そうとするってことですか。
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その通りです。完璧な説明ですね。
いやいや、でも面白いですね。
歌詞の意味がすぐには完結しないからこそ、リスナーは音楽全体の空気とか音により感情の置きどころを探すようになるんです。
重さとか、抜き差しされる楽器の展開と一体になった瞬間に、言葉の壁を越えて直接心に流れ込んでくる。
なるほど。
これが彼らの音楽が10回続けて聴けると言われる理由なんです。
10回続けて聴ける、いい言葉ですね。
一度聴いて全てがわかってしまう曲は、強いインパクトがあっても飽きるのが早いんです。
はい、消費されちゃうというか。
ええ、でも彼らの曲は反復の中で常に小さな音の変化が起きていて、しかも歌詞には余白がある。
はい。
でから、1回目はメロディーの講習に浸り、2回目はベースラインのグルーヴに身体を預け。
なるほど。
3回目はボーカルの声の隙間に耳をすませるというように、再生するたびにリスナー側から耳を向ける場所を変えられる非常に立体的な構造になっているんです。
まるで、見る角度によって全く違う絵が浮かび上がるアート作品みたいですね。
ええ、本当にそうだと思います。
今日のお話を聞いて、彼らをロックかダンスミュージックかなんていうジャンルの枠組みで語るのが、いかに対外外れだったか痛感しました。
いえいえ、消化のように親しみやすいメロディーがあって、
四つ打ちと音の引き算による圧倒的なグルーヴがあって、
ええ。
そして打楽器のように機能する音節のリズム、さらに脳を能動的にさせる歌詞の余白。
はい。
これらが全部絡み合って初めて、あの没入感のある曲そのものが立ち上がってくるんですね。
ええ、全ての要素が対等に、一つの大きな時間的体験を作るために機能しています。
すごいなあ。
だからこそ、彼らは単に歌を聴くバンドではなく、音楽という空間全体を体験するバンドだと言えるんです。
いやあ、リスナーの皆さんも次に彼らの音楽を聴くときは、ぜひこの聴き方を試してみてほしいですね。
はい、ぜひ。
まずは、あのボーカルの言葉の意味を追うのをやめてみる。
ええ。
そして全体を包むメロディー、足元でうねるベースライン、それから声がどんなリズムで配置されて、どこで無音の余白を作っているのか。
はい。
意識のピントを合わせる楽器を変えてみるだけで、今まで気づかなかった全く違う景色が見えてくるはずですから。
きっと音楽の聴き方そのものが豊かに変わる体験になると思いますよ。
さて、ここまで声や言葉の意味ではなく、響きやリズム、そして余白のグルーヴが先に感情を伝えるというお話をしてきましたが、
ええ。
これってちょっと視点を変えれば、私たちの日常のコミュニケーションにも全く同じことが言えるかもしれませんね。
おお、日常のコミュニケーションですか。
はい。私たちが誰かの言葉にはっと心を動かされたり、深く慰められたりするとき、
15:00
ええ。
それって実は、相手が発した言葉のその自称的な意味そのものに納得しているというより、
なるほど。
その人の声のトーンが持つリズムだったり、言葉と言葉の間の無音のグルーヴ、
はいはい。
あるいは生き次回の生々しさに共鳴しているからなんじゃないかと思ったんです。
なるほど。何を言ったかというテキストの情報ではなくて、どう響いたかというアンサンブルの力が人の心を動かすと、
ええ、まさに。
私たちが本当に誰かと分かり合えたと感じる瞬間は、意味の伝達を超えた人と人とのグルーヴが噛み合ったときなのかもしれないですね。
本当にそうだと思います。音楽のグルーヴが感情を運ぶように、私たちの日常もまた言葉の意味以上の響きで繋がっている。
ええ。
そう考えると、明日からの誰かとの何気ない会話も、
はい。
まるで一つの緻密な音楽のように聞こえてくるかもしれない。
素敵な視点ですね。
というわけで、今回の深掘りはここまでです。また次回、新しい知識の扉を開きに行きましょう。
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