文化があるものには、なぜか「厚み」を感じることがあります。
細かなところまで雑に作られていない。
長く続いてきたものには、数字だけでは説明しにくい完成度がある。
このエピソードでは、「神は細部に宿る」という言葉を入り口に、文化とは何なのかを考えます。
文化は、完成したものを保存することではなく、何かを目指して続け、その途中で得た技術や判断基準を次の人へ渡していく過程なのかもしれません。
利益を出すこと自体が文化と矛盾するわけではありません。
大切なのは、利益を何のために使うのか、損得と本来の目的がぶつかったときに何を選ぶのかです。
また、今ある完成品も、作り手にとっては「まだ途中」であることがあります。
失敗や試行錯誤を重ね、それを次の世代へ渡していく中で、「ここまではやる」「これは許さない」といった基準が少しずつ残っていきます。
その積み重ねが、最後には細部に現れる。
文化を「残された完成品」ではなく、「続けた時間と受け渡された仕事」として考えるエピソードです。
このエピソードは、Webメディア「ねんごろ」で公開している記事をもとに制作しています。
元記事:
https://nengoro.com/essay/culture-process/
YouTube:
このエピソードの音声は、生成AIを利用して制作しています。
感想
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あの、最新のハイスペックなスマートフォンよりも、何世代も前の中古のフィルムカメラとか。 うんうん、ありますね。
あとは、少し不便な古い機械式時計なんかに、なぜか心惹かれてしまうことって、あなたもありませんか? ああ、すごくよくわかります。日常の中でハッとさせられる瞬間ですよね。
そうなんですよ。処理速度とか画素数、あるいは売上といった、そういう数字のスペックで測れば明らかに負けているのに、手に取った瞬間、ああ、これは細かなところまで絶対に雑に作られていないなって直感するような。 うまく言葉にはできないんですけど、そこに確かな厚みを感じるような体験、きっとこれを聞いている皆さんも一度は味わったことがあるんじゃないかなって思うんです。
そうですね。なんかその、効率とか合理性だけを追求して作られたものには決して宿らない静かな素髪っていうか。 素髪、うん。
手に馴染む重さとか、スイッチを押し込んだ時の微かな抵抗感とか、そういう勝負に作り手の息遣いを感じるんですよね。
そう、まさにそれなんです。でも一方で少し違う角度の感情もあって。 違う感情ですか?
ねえ、長く続いてきたプロジェクトとか、素晴らしい技術を持ったチームが、いやーちょっと対策さんが合わないからっていう理由で突然終わってしまった時。
ああ、はい。
なんかとても大切なものが途切れてしまったような強い推しさを感じませんか?
ただ、サービスが終了して不便になるっていうだけじゃなくて、もっと、なんだろう、根源的な喪失感というか。
確かに。利益が出ないなら終わるっていうのは、まあ資本主義の理屈としては正しいはずなんですけど。
はい。
なぜか心がざわつく。その理屈では割り切れない違和感っていうのは、実は私たちの本質をつく非常に重要なサインなんですよね。
サイン。
実はですね、今回のこの深掘りでは、この2つの感覚、つまりものに感じる厚みと終わってしまうことへの強い推しさが、驚くべきことに根っころ部分で深くつながっているというお話をしていきたいんです。
ほう、厚みと推しさがですか?
はい。今回のミッションとして、この文化の厚みの正体に一緒に迫っていければと。文化っていうのは、きれいにパッケージされたピカピカの完成品とか結果のことではなくて、実は何かを目指して、試して、次の人へ渡していくっていう泥臭いプロセスそのものなのかもしれないんです。
いやー、非常にワクワクするテーマですね。私たちが無意識に縛られている、その完成品こそが価値であるっていう概念を一度捨てて、プロセスとしての文化というものをリスナーの皆さんと一緒に紐解いていきましょう。
はい、よろしくお願いします。で、早速なんですけど、そこまで根本的な創出感があるってことは、私たちがものに感じるその厚みの正体もただのスペックではないってことですよね。
そうですね、全く違いますね。
具体的にどこから生まれてくるんでしょうか。技術の世界って本来はすごく数字で比べやすいものじゃないですか。
03:05
はいはい。
耐久性のテストで何時間も持ったとか、市場で何百万個売れたとか。
現代は特に全ての価値を数値化してダッシュボードの上で管理しようとする傾向がありますよね。
ありますあります。
でも売り上げが凄まじくても、なぜか薄っぺらく感じる製品って世の中に山のようにあるじゃないですか。
うーん、言われてみれば確かにすぐ飽きちゃうものとか。
逆に知る人ぞ知るマイナーなものでも強烈に引き付けられるものがある。
その違いって目立つ大きな機能とか画期的なデザインじゃなくて、日々の細かな判断の集積にあるんだと思うんですよ。
細かな判断の集積ですか。
ええ、どこまで仕上げるのかとか、どこで妥協するのか。
ああ。
今回はいいかとそのままにするのか。
そういった現代での無数の判断に、そのものを作ってきた人たちの基準がはっきりと出てしまうんです。
なるほど、基準が。
よく建築家のルートビヒ・ミース・ファンデルローへの言葉とされる有名なフレーズに、歯身は細部に宿るというものがありますよね。
はい、すごく有名な言葉ですよね。
でもそれって一般的には、細かいところまで手を抜かずにピシッと仕上げるべきだっていうちょっと職人派な意味合いで使われることが多い気がするんですけど。
ええ、もちろんそういう意味もあるんですが、これを単に細かくこだわるっていう意味だけで捉えてしまうのはちょっともったいないんですよ。
もったいない、どういうことですか。
むしろ、作り手が何を一番大事にしているか、何を許して何を絶対に許さないのかっていうその根本的な哲学や判断基準が、隠そうとしても最終的に細部から漏れ出てしまう、そういう感覚に近いんです。
ああ、漏れ出ちゃうんですね。つまり細部っていうのは、ただ職人技を見せつける場所じゃなくて、作り手の頭の中のアルゴリズムが透けて見える窓みたいなものなんですね。
まさにそういうことです。
なるほどな。でも、その強烈な判断基準って一人の天才のひらめきから突然ポンと生まれるものなんですか?それともなんかじっくり煮込むスープみたいに長く続ける時間の中で積み重なっていくものなんでしょうか?
私は間違いなく後者、つまり膨大な時間の蓄積によるものだと考えています。
時間の蓄積?
ええ。例えば、最新のAIが最適な答えを導き出すために、背後で何千万回何億回っていうエラーを繰り返してパラメーターの重み付けを微調整していますよね。
はいはい、機械学習ってやつですよね。
そうです。実は人間の文化やものづくりも全く同じなんです。日々の小さな成功と無数の失敗を繰り返すことで、そのチーム独自の強烈な判断基準の重み付けがチューニングされていくんです。
これ一長一短には絶対に出来上がりません。
06:02
ああ、人間の集団も時間をかけて基準をアップデートしていくんですね。だとすると、長く続ける時間そのものは極めて重要になってくる。
ええ、まさに。
ここで冒頭でお話しした終わることへの惜しさという感覚に繋がっていくわけですね。
その通りです。時間の蓄積が判断基準のチューニングに不可欠だとすれば、続くこと自体の意味が大きく変わってきますから。
ほら、例えば企業スポーツとかモータースポーツの世界を客観的に見てみると、これがすごく分かりやすいと思うんですよ。
ああ、モータースポーツ、いい例ですね。
ええ。例えばトヨタは2002年からF1に参戦していましたが、2009年を最後に撤退してしまいましたよね。
はい、リーマンショック以降の非常に厳しい時期でしたからね。
そうなんです。その間に技術開発とか人材育成の面で莫大なものを得たはずなんですが、やはり経営環境の問題で。
あと、現在ハースF1チームの代表を務めている小松綾夫さんもおっしゃってましたよね。
企業の利益だけを目的にしていてはモータースポーツの文化は根付かないって。
ええ、非常に示唆に富む言葉です。もちろん企業である以上、経営判断として活動をやめるという選択は決して間違っていません。
まあ、利益が出なければ存続できないのは事実ですからね。
はい、でもここで私たちが感じるあの喪失感って単にレースで勝つ姿が見られないからじゃないんですよ。
じゃあ何が失われているんでしょうか?
続いていれば得られたはずの膨大なエラーのデータと、それを元にした次のアルゴリズム更新の機械、これそのものが失われるんです。
うわあ、なるほど。
もし活動が続いていれば、レースでの停滞失敗を糧にして全く別の新しい技術の種が生まれていたかもしれない。
新しい世代の若者がチームに入ってきて、先輩たちから直接ここは絶対に妥協してはいけないという感覚を受け取る時間があったかもしれない。
途中で終わるということは、その未来のチューニング作業ごとバサッと断ち切られてしまうということなんです。
確かにそう言われるとすごく惜しいことをしている気がします。でもちょっとここで意地悪な見方をさせてください。
はい、何でしょう?
理屈はすごくわかるんです。でも利益や損得感情だけで動くから文化にならないんだって一方的に言い切ってしまうのもちょっと違和感があるというか。
ほう、違和感。
だって文化を維持し続けるのにもお金って絶対に必要じゃないですか。
もちろん必要です。
人が働けば生活費がかかるし、最新の設備を維持するにも莫大な費用がかかる。新しいことに挑戦するための資金だって利益が出ているからこそ確保できるわけですよね。
ええ、その通りです。
実際、商売としてちゃんと利益を出しながら、文化として深く根付いているものも世の中にはたくさんありますし、利益を求めることはそんなに悪いことなんでしょうか。
いや、利益は絶対に必要です。そのご指摘は非常に重要で、利益が悪いだと言いたいわけでは全くないんですよ。
09:01
違うんですか?
ええ、ただ面白いのは、利益を最優先して効率化を進めて見事に生き残ったはずの企業が、数年後には誰からも見向きもされない薄っぺらいブランドになってしまうケースが後を絶たないことです。
これなぜだと思いますか?
えっと、利益を出すことを優先するあまり、さっき言っていた絶対に許せないラインを下げてしまうからですか?
まさにそこなんです。問題を整理するには利益そのものが問題なのではなくて、その利益を何のために使っているかに注目する必要があるんです。
何のために?
つまり、そのプロジェクトやチームが何を一番大きなゴールにしているかです。
より良い技術を追求するためなのか、ある表現を極めたいのか、あるいは伝統的な美しさを守りたいのか。
もしそれが本来のゴールだとしたら、利益はそのゴールへ向かうための燃料に過ぎないんですよ。
なるほど。燃料は必要だけれど、燃料を集めること自体が目的になっちゃいけないと。
そうです。問題が浮き彫りになるのは、本来目指していたゴールと目の前の利益が衝突したときなんです。
衝突したとき?
ええ。こっちのやり方に変えて少しだけ品質の基準を下げれば絶対にもっと儲かる。
でも、自分たちが本当に目指していた方向からは外れてしまう、というような究極の選択を迫られたときですね。
うわあ、リアルですね、それ。
短期的には不利になるとわかっていても、いや、ここは変えないと判断できるかどうか。
そこに彼らの本当のゴールが何であるかが明確に現れるんです。
そこで初めてそのチームが何を大切にしているかの進化が問われるわけですね。
ここは儲からないけど、自分たちの哲学として絶対に手を抜けない、その判断の蓄積が失われるから厚みが消えてしまうと。
はい。
ってことは、本当の問いは、損得を超えた先にある一番大きなゴールは何なのかってことになりますよね。
そうなりますね。
では、その一番大きいゴールって一体何なんでしょう?
たった一つの究極の製品を完成させることですか?
それが、そうとも限らないのが文化というプロセスの面白いところなんですよ。
え、違うんですか?
え。
ものづくりとか技術の最前線にいる人たちから、まだやりたいことの10%しかできていないっていうような言葉を聞くことありませんか?
あー聞きますね。
これを聞いているあなたもニュースやドキュメンタリーで見たことあるんじゃないでしょうか。
世の中には歴史的な大傑作だとか、完璧な完成品だって大絶賛されているのに、作っている本人たちはいやいやまだ全然途中ですよみたいな。
そうそう、ここはまだ足りないってどこか不満げな顔をしていることありますよね?
ありますあります。
この10%っていう数字は単なる謙遜とかポーズじゃないんです。実はすごく本質をついていて。
ほう。
というのも、他人らがその10%から20%へと歩みを進める頃には、技術がさらに進歩して、それまで見えなかった新しい景色が見えるようになっているからなんです。
12:06
あー山登りみたいですね。頂上だと思って登り切ったら、その先にもっと高い山が見えちゃったみたいな。
ええ、まさに。そうなると最初に麓で想像していた100%の理想形そのものが、さらに高く遠い場所へと変化してしまうんです。
はぁ、なるほど。
一つできればその先で別のことをやりたくなる。つまり100%っていうのは、いつか到達できる固定された完成形ではないんですよ。
じゃあ、永遠に完成しないじゃないですか。
そう、永遠に完成しません。100%とは完成形ではなくて、そちらへ迎え続けるための方向に過ぎないんです。
方向?
例えば、世界中の人が幸せに暮らせるようにするという目標があったとします。どこまで行けば完全に達成したと言えるのかは誰にも分かりませんよね。
はい、分からないですね。
でも、その方向へ進むこと自体は今日からでもできる。
あー、目的を示す地図とよりコンパスの針が指し示す北みたいなものですね。
まさにその通りです。
北っていう場所に到達することは永遠にないけれど、コンパスがあれば道に迷うことなく進み続けることができる。
そう考えると、私たちが今目の前で使っているこの素晴らしいスマートフォンとか便利な製品たちも絶対的な完成品というわけじゃなくて、
長い人類の歴史の中の一時的なスナップショット、途中結果に過ぎないってことですよね。
本当にその通りです。で、これをさらに大きな視点に結びつけてみると、今あるものが途中結果であるならば、当然その続きを誰かが受け取ることになるという事実に行き当たるんです。
続きを受け取る。
これこそが文化の継承なんですよ。
継承、つまり受け継いでいくことですね。
はい、ここで誤解してはいけないのは、継承というのは完成した形をそのまま凍結してコピーして残すことではないということです。
あ、形を残すことじゃないんですか?
ええ、形を止めることではなくて、前の世代が何を試したのか、何に失敗したのか、そしてなぜ今のこの形に落ち着いたのかという、そのプロセス全体を受け取ることなんです。
成功体験のノウハウだけじゃなくて、失敗のデータも一緒に受け取るってことですか?
そうです。職業教育の研究データでも面白いことが分かっているんですが、実は詳細なマニュアルを渡して読ませるよりも、ただ黙々と熟練者の隣で一緒に作業する方が、遥かに高度な技術が伝わるそうなんです。
へえ、それはどういうメカニズムなんですか?パッと聞くと分かりやすいマニュアルを作った方が効率的に思えるんですけど。
マニュアルには、ヤスリを3回掛けるといった手順は掛けますよね?
はい、掛けますね。
しかし、指先で触って少しでも引っ掛かりを感じたらもう一回削るというような微細な感覚とか、あ、これはダメだと見切りをつける基準までは、どうしても言葉にしきれないんです。
ああ、なるほど。
15:00
見習いは、熟練者の失敗作をゴミ箱に捨てる瞬間の表情とかタイミング、あるいは迷ったせいに選んだ小さな判断を見て、自分の中の違和感のセンサーをチューニングしていくんですよ。
うわあ、すごい負に落ちました。だから、プロジェクトやチームが途中で終わってしまうことがあんなに惜しいんだ。
そうなんです。
技術開発の中で失敗したこと自体が問題なんじゃなくて、なぜ失敗したのかを分析して、次の世代のセンサーをチューニングする機械そのものがそこで奪われてしまうからなんですね。
その通りです。技術や表現の世界では、試したことが全て成果につながるわけではありません。
思ったほど性能が出ないこともあるし、狙いと違う結果になることなんて日常茶飯事ですよね。
まあ、そうですよね。
その時点だけを切り取ってみれば、確かに失敗で終わっています。
でも、そこで活動そのものが終わらなければ、その失敗の姿を隣で見ている次の世代にとって、とてつもなく貴重な教材になるんですよ。
何が悪かったのか、どこまでは合っていたのか、次には何を変えるのか。失敗を共有しているからこそ、ゼロからやり直さずに次へ進めるんですね。
ええ。進めれば必ずうまくいくっていう甘い境ではありませんが、前の失敗のデータを持ったまま次へ進めることには、計り知れない意味があります。
技術の中には、単なる作業手順だけでなく、その人たちが何を良いものとして目指していたのか、というコンパスの向きが混ざっているんです。
だからこそ活動が途切れることは、単なるノウハウの損失ではなくて、その集団が共有していたコンパスの向きごとを失われる、文化そのものの損失なんです。
いやー、ここまでの話をつなげると、すごくスッキリします。何度も作って、失敗して、直して、また次の人へ渡す。
はい。
その果てない繰り返しのプロセスの中で、ここまではやる、これは許さない、という目に見えない基準が少しずつ研ぎ澄まされて、それが最終的に製品の細部に現れる。
ええ。
つまり、神は細部に宿る、という言葉と文化はプロセスである、という考え方が完全に一つの線でつながるわけですね。
ええ、本当にそうです。細部というのは、単に細かい部分というだけでなく、積み重ねてきた時間が目に見える場所なんですよ。
積み重ねてきた時間が目に見える場所。
私たちが一番最初に感じていたあの厚みとは、まさにこの気の遠くなるような長いプロセスが、細部にギュッと圧縮されて残っている感覚なのだと言えます。
これを聞いているあなたに、ぜひ想像してみてほしいんです。
はい。
次にあなたが細部まで異常なほどこだわりのかれたものを手に取った時や、何十年も続く伝統的な技術に触れた時、今日のこの深盛りのお話を思い出してみてください。
ええ。
あなたの目の前にあるそれは、ただポンと魔法のように生まれた完成品ではありません。
数え切れない人たちの試行錯誤や、涙を飲んだ失敗、そして言葉にはならない判断基準が、見えないバトンとして延々と手渡されてきた、その壮大なプロセスの一部なんです。
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そう思うと、手の中にあるものの重みが少し違って感じられませんか?
本当にそうですね。これは一つ、現代を生きる私たちに重要な問いを投げかけていると思います。
問いですか?
ええ。現代は、ありとあらゆるものが効率化されて、AIを使えば面倒なプロセスをショートカットして、すぐに結果や最もらしい完成品を手に入れられる時代です。それは非常に便利で素晴らしいことでもあります。
はい。間違いなく便利ですよね。
しかし、そんな結果一乗主義の世界の中で、私たちは次の世代に継承できるだけの十分なエラーの蓄積や泥臭い失敗のプロセスを日々の仕事や生活の中に残せているでしょうか?
うーん。
全てを効率で切り捨ててしまっていないか、少しだけ立ち止まって考えてみてもらいたいですね。
私たちが本当に残すべきものは、きれいに包装された結果のパッケージではなくて、コンパスが剥き続ける方向そのものなのかもしれません。
効率化の波の中で私たちが失ってはいけない厚みとは何なのか、そんなことを深く考えさせられる探究になりました。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。また次回、新しい視点を探しに行きましょう。
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