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こんにちは、海外生活を語る人、なんばるわんです。
この番組は、パキスタン以上を経験した私、なんばるわんが、すぐに使えるウルドゥ語やパキスタンでの体験談、また、ウェブライターとして学んだこと、感じたことなどをお伝えしていくラジオです。
火事の合間や休憩時間などに、ゆっくりと聞いていただけると嬉しいです。
今日は、友達のつくり方についてシェアさせていただきます。
パキスタンでの友達のつくり方ということでね。
私はパキスタンに移住をしていました。
向こうで生活していく中で重要だなって思ったことが、友達をつくったほうがいいなっていうことですね。
友達をつくるっていうのはね、パキスタン移住を決めたときから、向こうに移り住む前から考えていました。
ママ友達をつくろうって決めていました。
私たちが向こうに移住をする目的は、主に娘の学校とか教育。
それだったんですね。それが一番大きな理由だったんですよね。
夫の故郷であるパキスタンで教育を受けさせる。
あとはこのイスラム教徒として、ムスリムカントリーで暮らしていったほうがいいなって思いました。
私もね、私も改修ムスリムなので。
後からイスラム教徒になったので、やはりムスリムカントリーで暮らすことでね、
本の中で知るものとはね、知識とはまた違うものが得られるんじゃないかなっていう、そういうこともありましたね。
どうして友達をつくったほうがいいのか。
どうして友達をつくったほうがいいのか。
一番は助けてもらえるからですね。
学校のこととか勉強のこと。学校では行事もありますしね。
PTAとかないのでね、日本みたいに。
そういうのはないんですけども、個人個人の付き合いっていうのは結構濃くなったりすることもありましたね。
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パキスタンではね。
友達になれる人は注意しなければならないこともあるので、後でお話ししたいと思いますけども。
一番最初に友達になったのは、ご近所さんですね。
私たちの家が建っているところは、いわゆる振興住宅地で、管理居住区ですね、ゲートがあって、
そこに入るには警備員に車のナンバーとか、アイデンティティカードのナンバーとかを伝えたりとかしないと中に入れないっていうね。
どこのうち、何畳目の何番のうちに行くんだっていうのを報告してから入らないとダメとかね。
そういう決まりがある。決まりがあってもほとんど守られてはいませんけどもね。
はいどうぞ入って入ってっていう感じですけどもね、実際は。
そういう中でですね、当時私たちが移住をした、そこに住み始めた時は、まだ新築の家がそんなにたくさんなかったんですよね。
なので、日本人が来たっていうのですごく目立っていたし、そこに引っ越しするまでに夫がね、1年間ずっとパキスタンで家を建てるのを監督してたんですよね、見ていたんですよね。
だからまあ、自分は日本で働いて、この今建ててる家に奥さんと娘が来るっていう話は多分していたんでしょうから。
その辺はね、ご近所さんたちも知っていましたね。
私たちがその家にシフトして、3ヶ月ぐらいしてからでしたかね、夫は日本へ戻りました。
それで私と娘と、あと姉がね、当時独身だったので、大学最後の年だったのかな、そういう3人で暮らすことになって、
私は娘の学校の送り迎えとか、名医と一緒にしてたんですよ。
ちょっと言い方悪いですけども、
あの、ギリの姉の自分のせいで、
娘が学校の送り迎えをしていたら、
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その前の姉の姉が、
名医はねちょっと私たち同居するにはちょっと無理だなと思ってあの 出て行ってもらったんですよねちょっと言い方悪いですけども
あの同居はできないと ギリの姉のね自分のお母さんと戻りなさいって言って
あの戻ってもらいました で
やはり子供と2人だけで暮らすっていうのはね あの
すごく大変でしたね なのでだからこそ
助けが必要になる場面がもうしょっちゅうだったんですよね
で困っているだろうというふうにあの いい人はね見てくれていてそういう方々と友達になれたんですよね
ご近所さんではあの2つの家族とね あの
本当に仲良く してもらいました
それとそうですね友達になれる人ご近所さんと 当初の目的だったママ友達ですね
あの子供の学校のね保護者の人 まあ100%お母さんですね
お父さんと男性とは友達にならないならないというかね
そういう友達っていうくくりはないですけどね あのママさんと友達になりました
あとはね友達っていうかあのすごく頼りに
している人がいたんですね 馴染みのね八百屋さんのね店員さんです
若いお兄ちゃんたちでね 全然チャラチャラしてなくて
あの目も合わせないですよ まあ日本の感覚だと何話すとき目合わせないのってちょっとね
えってなると思うんですがあの イスラム教徒としてね
これはとても正しいことで
女性の顔をジロジロ見たりとかそういうのしない人があの 真面目な人だっていうふうにね認識があるんですよね
まあ少なくとも私の中にはね 指名勝ちでこう話をしてくれるというね
それでお願いしたことをすぐにあの実行してくれる人でしたね 人たちでした
はい それであの
どうやって友達になっていたかっていうのはあのやはりご近所さん 俺はねえっと
夫が日本に戻ってしまって私は子供とね娘と二人きりで しかも車を運転して学校の送迎もやっている
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買い物も行っている一人で そういうのを見ていてくれてある日ね
あの 車をねガレージに止めて
ゲートを閉めようと思ったらね あの斜め前のお家の奥さんが
私の名前を呼んでですね もう名前知ってるんですよ
なんで知ってるんだろう そこからもうちょっとえってなったんですけどちょっと身構えちゃったりとかね
したんですけども あの元気っていうすごく気軽にね話しかけてくれて
で あの
はいであなたウルトク上手ねーってね言ってくれて あーちょっとまだ慣れてなくて恥ずかしいですみたいね
よそよそしくね話して
あの ちょっと良かったらチャイでも飲みに行きませんかって言ってくれたんですよね
うん その時にはちょっと
初対面で あのいきなりこうお邪魔するってちょっと
なんか怖いという思いもあったので あじゃああの
今ちょっと 家に入って
掃除しなきゃいけないんで 時間が空いたらでいいですかって言ってね
いつでもいいわよあのすぐ目の前なんだからいつでも来てって言ってくれたんですよね
でそこで一旦別れて
数日後だったかなぁ あの
まあ偶然だったのか あちらがね奥さんが待っていたのかわかんないんですけど
あのやっぱり学校に送って 帰宅してそのタイミングでね
車を止めるタイミングで家の中から出てきて挨拶して ちょっとチャイ飲みに来なさいよみたいね
半ば強制的にね呼ばれましたね まあそこでそこからこう
友達関係が始まったという感じですね
ママ友達はですね この方には本当に感謝していて
娘が一番のね親友も大親友 になってくれた
af ちゃんって子がね子がいて その子のお母さん
でしたね
a あの方々はですね
我が家の居住区の隣の隣の 高級住宅地ね
そこに住まれていて 超スーパーウルトラお金持ち
です
で大家族ですね何 何世帯が一緒だったんだろう同居していたのか
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もうほんと何十人になりますね集まるとね それがもう24時間365日
なので 最初はのそのお宅にねお邪魔したときにすごいもうビビりまくってましたけどね
もともとね人付き合いがちょっと苦手な方なので しかもなんか
まあ例えば50人いたら50人全員顔見なので私のことを もう上から下からも全部後ろからも全部見られて
ただあの アメーな感じじゃなく
とてもこう好意的なねすごく 興味を持って
見てくれているという感じでしたのでまぁ 少しずつね
打ち解けることができたんですけども
皆さんねあの学校に通って大学出ていたり ね
あのしたので すごくあの教養のある方々で
旦那さんたちねあの パパさんたちが
みんな外国で働いていたりとか 外国の企業と取引していたりとか
外国人の習慣とかそういう気持ちとかを結構 あの組んでくれたんですよね
わかってくれたというか 大変でしょ外国来てねーみたいに
考えてくれてたんですよね とてもあの大事にして
くれました
それであの もうもう一人というかね
なじみの八百屋さんのね店員さんたち 若いお兄ちゃんたちね
彼らはまああの 1週間に
3日ぐらいはその八百屋に行ってね 指差してあの覚えてますかこのラジオの
タイトルね 家キャヘこれはねこれは何ですかっていう
言葉なんですよ ウルドウ語でね
で野菜の名前もね 結構覚えられなかったんで
家キャヘって言って指差して 全部もうそうするともう店員さんも
すぐにハッって言ってこれはあの ポテトだよとか英語もね言ってくれたり
とかして
そういうので だんだんこう今日はねこの野菜がお
すすめだよとか まあだよっていうかね敬語ですね
完全に敬語でした彼ら
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たまにいるんですよチャラついた奴がね 若いのもおっさんでも
なんかチャラチャラしてる奴 あの外国人
女性だとね見てなんかヘラヘラしてる奴が いるんですけど彼らはね
もう 100%もうフル尊敬みたいなフルリスペクト
っていう スタンスで多分ねあの生きてきたんだと
すごくね真面目な人たちでしたけども まあそういう野菜をね勧めてもらったり
あの ある時はこう
体調が悪くてねしばらくあれしばらく あのいらっしゃいませんでしたねなんてあの
声かけてもらってねいやーちょっと熱中症で 天敵打ってきたって言ってね
そういう世間話もねあの始まったりとかして そしたらや体調が悪かったら電話して
くだされば 俺たち配達しに行きますよってね
あの俺たちはないね私たちは配達しに行きます ってね言ってくれたりとかしてであの
名刺ですよねネームカードをもらって
でそこに それもねあの
本当に体調悪い時でもやっぱりちょっと我慢して 買い物とか行ってやったりしたんです
けどもちょっと 信じてみようかなと思ってあの
携帯のねえっと夫の携帯 置いててもらってたんで
デア番号やっぱり知られるのが怖かったんだね 自分の携帯の番号がね
なので夫の携帯でその八百屋さんに電話して 持ってきてもらえますかって聞いたら大丈夫ですよ
すぐ行きますよ何しますかって言ってすぐ メモねとってくれて
本当 紹介はほんとすぐに来てくれましたね
まあ本当に助けてもらいました彼らにも それで
友達をね 知り合いとかまぁ友達を作ることで
まあ 得られたこと
まあそうやって助けてもらったのはもちろんなんですけども あの自分がね想像していた望んでいたこと以外の思わぬ
利点というのがあったんですけども 宗教のことをね教えてもらえたんですよね
私は本で勉強したりとかそういうことをしないタイプ だったので
まあ生きることがもう宗教なのかなって 思ってるんですよね
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夫もあの結婚当初はそういう 考えがあって
初めてパキスタンに行った時ねあの娘がまだ1歳の時 まあスリムカントリーのことをね生活しながら
勉強すればいいんじゃないかなんて言っていたんですけども まああの移住
するってなった時にね やっぱりムスリムカントリーの人がどうやって考えなんか何を考えて
どうやって生活しているのかっていうのをあの目の前で見てね こう寄り添うというか一緒にこう
なんか考えていくっていうのはすごく大切なことなのかなぁと思いました あのお祈りの仕方をね
昔 義理の姉とかにね教えてもらってたんですけども
やっぱり定着しなかったんですよねいつも不安でこれで合ってんのかな 合ってんのかなぁって
それでね十何年も来ちゃって で
ママ友達のねお宅にお邪魔する時にもういっぱい親戚がね あの普通に生活しているの同居しているので
まあ娘の友達のおばさん 何番目のおばさんがちょっとわかんないんですけども
彼女とじゃあ一緒に 礼拝しようかってねあの
誘ってくれたんですよ であ
じゃあお願いしますって言って 私はちょっと様子を見ながらね一緒に隣でお祈りしてたんですけども
あの周波がね違っていたので後々わかったんですが あの細かいところちょっとね微妙に違っているところはあったんですけども
あの きちんとね
知ることができましたね 流れがちゃんと
なんか曖昧だったところをはっきりと でお祈り終わった後に聞いてね
これはこういうふうにしてていいんだって あとこれはこういうふうじゃなくていいんですかとか
であの修正していって 完全なねお祈りをすることができていったんですよね
そのママさん友達のママさんもとても真面目な人で まああのユーモアがねあの冗談言ったりとかする
部分もあるあるのですごくチャーミングでね面白い人なんですけども
宗教観というかね まあ彼女たちはもう生まれ流れにしてのイスラム教徒なので
やっぱり生きていることが宗教なんですよね
まあそんな彼女たちの価値観とか こういうふうに考えているのよっていうのを
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しみじみとねゆっくりとねじっくりとこう語ってくれて 本当
本読んだりとかまあそういう本には載ってないだろうなっていう すごくね
貴重な話を聞けましたね ムスリムとして生きていくにあたってね
あのやっぱり心に残っている言葉はいくつもありますね それとご近所さんとね
あの友達になる ことでですね
おそ分けをねしてもらえるようになりました
美味しかったですね ただね辛かったんです
あの緑の唐辛子 グリーンチリがね入ってるんですよ
まあ本当にねおそ分けなんですよ 自分たちのために当たり前に作ったものを分けてくださるので
もういちいちねグリーンチリを抜いたりとかそんなことはないわけですよね
ただ私は辛いものが非常に苦手でですね 娘はいくらかね食べられたんですけども
もうほとんど食べられなかったですね あともヒーヒー言ってね食べたり
あのちょっとあなたの料理辛いからちょっとジュースあったらくれるって言ってね そんなことを図々しくもね言えるようになれるまでの関係になりましたね
で そのご近所さんの奥さんはね
とにかく手作り もうあの
テイクアウトとかね配達とかそういうことをせずに
あの惣菜屋さんとかそういうのせずにとにかく ピザでもケーキでも全部手作りパンでも何でも
素晴らしいですよ あの
余談なんですけどそのねご近所さんの奥さんね 生まれ年が一緒で
生まれた月も一緒なんですよ
で血液型も一緒で
で私あの ちょっと大きな病気して化けしたんであの大きな手術を受けたんですけども
その病気と 手術した時期と
あと まあ摘出した部位がもうほとんど
的した臓器がねほとんど同じなんですよ すごい共通点があってね
まあ後々そういうのわかっていくんですけどねそういう人と出会いましたね なので彼女が手作りのねレシピとか
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あとこう生活の知恵とかですよねあの 掃除風とか庭師への対応とかですね
あと断水とか突然するのでそういった時のね あのやったこととか
それまでに備えておくべきことみたいなのをあの話よね 教えてもらったりしましたね
でねあの 友達を作るっていうのがパキスタンでね
あのほとんどの方は ご主人の親兄弟たちとね同居することになるんですよね
ほとんどの方は
で私たちみたいにまあ後から ねあの独立というか
そういうことになるパターンもあるとは思うんですけどもね ほとんどはもうずっと一生ですねまあそこにいる限り
一生親兄弟たちまあ親戚たちと同居することになると思うんですよね でまぁ買い物へ行くにも学校の行事とか送り迎えでもね
必ずと言っていいほどあの家族親戚たちが同行しますね
まあ車を与えてもらってもまあそれも共有するものなので そしては少なくともご主人がね
あの親兄弟たちに援助はしているはずなんですよ
車とか家電とか家とか まあ現金もですね当然
そういう支援をしているはずなのでそのお礼というかね そういうことをしてもらっているので俺たちも
お返しをしないとっていうかねあの
a 日本人の奥さんとか
子供たちとかの面倒を見るのが自分たちの役目だっていうあの使命を持ってね あのいてくれるんですよ
なので必ず同行するんですよね
でそれがちょっと鬱陶しい時も あるんですけどもあとゆっくり買い物できないとかね
約束時間の約束守ってくれないから もう何時間も待ってるのにまだ迎えに来ないとかね
同じに同じ家に住んでいてもあの 部屋から出てこないとかね起きてこないとかね
そういうジレンマっていうかね そういうもやもやしたり
なんか聞いてなったりとかねあのするんですよね
うん でまぁ家族親戚たちに守ってもらっている状態になりますね
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だからあえて友達を作る必要性がなくなるんですよ ないんですよね
だから友達が欲しいなっていう 思うこともそんなにないんですよ
いつも大勢の人に囲まれているので
一人になりたいっていうそういう気持ちの方が大きくなる時期があるので多分 それを超えるとね
他の家庭はどうなんだろうってね思ってきたり
学校で先生これなんて言ってるんだろうとか 家族の人たちがと一緒に住んでいれば別にウルドゥをね
あのわざわざ苦労して覚える必要もない そういうこともありますよね
英語とか片言のなんか英語でジェスチャーでウルドゥ語で全部通じちゃうので まあ家族なのでねわかってくれようとしていますから
あのこちらのこう言っていることをあのこちらが希望していることをあの組んでくれるので
あえてまぁ言葉はねなくても大丈夫だなっていうのが
あると思うんでウルドゥ語を覚えることもそうですし友達を作ることもおろそかっていうかね あの必要ないんじゃないかって
思うんです思うと思うんですよね
私たちはまあ多分稀なケースだと思いますね あの
名に自分の家に戻りなさいって言って
ね子供と2人だけで 大きな家にね
暮らしてね
まあそう決めたのは自分なので買い物でも学校でも できるだけ自分であのやろうと思ってましたね
なのでやっぱり助けてもらわなきゃいけない ことが前提なので
ちょっとずーしーのとかって私たち苦手ですよね なんかお願いしたりとかすんのが
私はそういう方だったんですけど甘えるのが下手っていうかね それなんですけども
やっぱり甘えちゃっていいんだなって思って
ただね どっぷりと甘えるのは危険だなって思うこともあったんですよね
それはあのやっぱり友達とねなるの なる時に注意しなきゃいけないことということで
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あのほんと頼るのはいいんですけども 相手がね見返りを要求してくることもある
ほとんどの人はそうだと思います
見返りというか やってあげてるんだからやってもらうのも当然
まあそうなんですよお互い様なんでね ただあの私の中にはね
いや私外国人だし そんな助けてあげられることなんかないだろうなって
あの しーて言えば
お金のことだけだろうなって思ってたんですよ 向こうから助けてほしいって言われるのはね
お金のことだけかなって すごく嫌ですよね嫌なやつですよね
ただ本当に 夫がね何十年も
あの家族とか親戚とかに どんだけねあの家電とか
お金とか いいものとかも与えてね
ギブしても なんか
なんか見返りがないっていうかねなんて言うんですかね 別に見返りを求めて生きてるわけじゃないんですけども
夫もねそれを求めてあの現金をあげたりとかしているわけじゃないんですが
なんか一言ありがとうでもあってもいいんじゃないかなって 思うんですけどまぁそれは多分文化であり習慣であると思うので仕方がないと思うん
ですけどもね
まあその見返りをね要求された時に答えられるかっていう ねこっちが助けてあげられるかっていうのも
あるんですよね
まあその見返りとか
そういうちょっと まあいろんな
経験があるのでまぁそのそれも後々ねお話ししていきたいと思いますね
でまぁ 友達になるにあたって線引きっていうのがねあの難しいものがあると思うんですけども
まあ今帰国してパキスタンでの生活をね終えて あの改めてね感じたのは
やっぱりね友達っていう存在はね重要だなぁって 思いましたね
まあ 彼女彼らがいたから
病気とかね手術とか まあ軽くこう犯罪とかにもねあの被害にもあったんで
そういうのも乗り越えてね 生きてねあの帰ってこれたんだと思っています皆さんが本当にいい友達とね
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出会えるように祈っています いい人も必ずいるのである方からのメッセージにね
友達がいないっていう言葉があったんですよ パキスタンでね
なのであの今日はね私の経験をお伝えしようと思いました 少しでもお役に立てれば幸いです
はい最後まで聞いていただきありがとうございます また次のラジオでお会いしましょう
ナンバルワンでしたアラーフィーズ