人事異動の影響
第77回、高校国語について話すラジオの時間となりました。
この番組では、高校の国語科教員であるなんばが、
普段の授業の話や、研究の話などとして、
国語科の先生のみならず、いろんな先生に、
授業や教育について考えてもらうことを…
はい、目的としたラジオです。
すみません。
みなさん、こんにちは。パートネティを進めます。
なんばむっとです。よろしくお願いします。
あの、取り直せよって話なんですけど、
もうありのままを、ありのままをみなさんにお伝えしたくて、
このまま続けようと思います。
まあ、なぜこの、今わざとこう、撮ってるかっていうと、
僕、あの、次花粉がかなりひどくてですね、
もう、小学校上がるぐらいの時から、
もう花粉症だったんですよね。
で、花粉症も、あの、ジビ科で検査をしたときに、
こんな数値出るんだねって、
お医者さんから、あの、笑われるぐらいの数値だったので、
まあ、それがどれぐらいなのかちょっとわかんないんですけど、
まあ、かなり高いような、あの、数値を記録してました。
で、昔は、そう、薬をね、あの、たくさん飲めるわけでは、
なんかはなかったというか、だったので、
ずっとアイボン、アイボン、あの、目のアイボン片手にティッシュ片手に、
もうずーっとズビズビズビズビズビズビズビやっていたかなと思います。
花粉症じゃない人とかもね、もう憧れます。
なんか、はい、杉がない地域に引っ越したいなって、
常々思いますね。
で、えっと、今日なんですけど、
あの、いろんなね、あの、人事関係が、
いろんな自治体で出始めたかなと思います。
で、基本的には、あの、所否気味があるので、
えー、なんとも言えないところではありますが、
あの、まあ、言わないんですけど、
ただこう、人が移動することについて、
まあ、いろいろと話していきたいなと思います。
まあ、あの、自治体によってはね、厳格に、
例えば、5年、あの、1校目は、
5年で絶対移動するよっていうような自治体から、
あの、ちょっと幅をもってね、
何年から何年の間には移動するよっていう自治体。
で、2校目以降もね、
何年って区切られている場所から、
あの、幅をもって何年以上は移動対象ですよみたいな、
そういうところまで様々かと思います。
私立とかはね、なかなか移動っていうものがね、
えー、なかったりするかなと思うんですが、
うちの自治体は割とちっちゃめの自治体なので、
まあ、人の動きが見えるんですよ。
見えるんですよっていうか、
まあ、ここにこういう人が当てがわれるってことは、
この人は出るよねとか、
結構やっぱそれが面白くて、
大体この時期のね、ホットなニュースになるんですけど、
詳細は言えないんですけどね。
で、やっぱどうやって決まってるか、
やっぱりちっちゃい自治体なので、
あのー、ね、なんかどうやって決めてるんだろうって、
いろいろ思うんですが、
やっぱ人の入れ替わりはいいことかなって思うんですよね。
あのー、もちろん、
私立とかで人間関係がね、
あまり変わらないっていうか、
変わったとしても、
プラスの意味で雰囲気が変わるっていうよりも、
どうしてもマイナスでね、離職してっていうことも、
あのー、多くあるかなと思います。
で、人がやっぱり移動すると、
やっぱ雰囲気が変わることがあるので、
やっぱ刺激にはなるし、
移動した人もやっぱり成長にすごくつながるなと思うんです。
で、最近も違うポッドキャストとか、
いろんなものを聞いてたりとか読んでる中で、
やっぱり移動が一番の成長だみたいなものがあって。
で、市役所とかはね、
3年ぐらいでポンポンポンポン部署外があって、
成長と次世代育成
その度にもう一回学び直しをして、
っていうことがあると思うんですけど、
教員の世界はもう少しスパン長く移動なんですが、
僕個人も短い期間でパンパンパンパン移動したいなっていうのが、
正直本音のところではあります。
別に後ろ向きな理由とかではなくて、
あのー、なんていうんですかね、
やっぱり今回移動してみて初めて思ったのは、
慣れるのはすごいストレスがかかるんですけど、
でもそれ以上に自分自身も、
自分の取り組みを客観視できたりとか、
いろんなことをプラスに感じれたというか、
自分も成長したなっていう側面もあるので、
もちろん仕事が貸されないというか、
負担感が減ってもっとできるのになって思う不自由もあるんですけど、
どちらかというと、
新規一点でまた頑張ろうみたいなところに、
1年間経ってやっと来たかなと思います。
これから多分やる仕事っていうのは、
1校目じゃないので、
ある程度ね、こう、練度というか、
熟達したものを求められるような気がするので、
それをね、全人校の引き継ぎからうまくできるといいなって、
そこでね、次年度以降は頑張っていこうかなと思ってるんですけど、
やっぱりそれも移動したっていうことがあるから、
そういうふうに思うわけなのかなと思うんです。
で、もちろん移動しなくて全人校であれば、
どんどんどんどん馬車馬のごとくではないですけど、
もっともっともっともっとっていうふうになっていって、
それはいい側面もあれば、
やっぱり俗人的な仕事にどんどんなっていってしまうので、
悪い側面もあるんだろうなと思います。
だからある程度、やっぱり移動する前とかは業務量っていうところでは、
うわー、でも頑張る、
勤務先も好きだし、目の前の程度も好きだし、同僚も好きだし、みたいな、
そんなようなところで、
かかる時間とかを見ないふりではないですけど、
まあ頑張れていたんですけど、
やっぱり移動してきてからはね、
そういうところも、
別に目の前の生徒が好きだ嫌いだとかって、
そういう話をしてるんではなくて、
業務を一回自分の中から棚下ろしをして、
もう一度ゼロベースで仕事に向き合えるので、
それはやっぱり移動する人の特権かなと思います。
前も、前任校の人と会うたびに、
いい言葉をかけてくれるんですけど、
反面、いなくなったからこそ、
後進が育ってるよって話とかも聞いたりして、
そういうところを聞いてると、
あ、やっぱり移動することっていうのはすごくいいことというか、
次世代につなぐ、むしろ僕たちの職業教育の業界なので、
後輩が育つっていう意味では、
チャレンジする場を自分が身を引くことで、
やっぱり確保できたっていうところは、
すごくいいことなんだろうなと思います。
だから、2校目、3校目、4校目ってなっても、
できるだけ、目の前の仕事はちゃんとやりながらも、
ちゃんと身を引いて、
後進が活躍するチャンスとか、
そういう場を提供できるように、
人事異動と心境の変化
よくも悪くも目の前に固執しないような
仕事ぶりができるといいのかな、
みたいなことをすごく思いますね。
すごい抽象的な話になるんですけど、
なんかね、
配属ガチャってよく言うじゃないですか、
民間とかでも多いと思うんですけど、
配属ガチャとか上司ガチャとか、
でもなんかね、その言葉すごくまとえてる反面、
なんかあれだなって思っていて、
結構ガチャガチャ回したら、
出てきたもので頑張りなさいみたいな、
結構受け身みたいなイメージがあって、
そのガチャガチャを引いた後の話はされなくて、
ガチャガチャが出てきたところで終わってしまうんですけど、
そのガチャガチャで出てきたところを開けて、
それのおもちゃなり何かで、
どういう風に楽しむかとか、
どういう風に使うかっていうのは、
やっぱりその人自身に任せられてる部分があると思うので、
ガチャガチャは引いて終わりじゃなくて、
引いた後にそのおもちゃとかはどう使うかかなと思いますね。
そういう意味で職場とかもガチャガチャで当たったけど、
その中でやっぱりどう生きるのか、
ということはやっぱり大切にしていきたいなと思います。
やっぱりその与えられた場所でどう生きるのかっていう文脈で言うと、
僕漫画が好きなんですけど、
暗殺教室の漫画とかも、
やっぱり落ちこぼれのいい組だったかなっていうところが、
優等生のグループを下告状していくようなエピソードがあるんですけど、
そのところでも、やっぱりどこでっていうよりも、
その与えられたところで、
どう生きるのかのことが大切だよみたいな趣旨があって、
それが結構自分の心の中にも残ってますね。
そういう話で言うと、
高校生の時もやっぱりそういうことをたくさん言われていて、
つまらない時間を楽しくするのは自分たち次第だっていうことを
ずっと顧問の先生にも言われていて、
だからどんだけつまらない講演会があったとしても、
その中で自分で楽しみを見つけなさいみたいな。
あんまり褒められた話ではないですけど、
講師の方が、
えーっとっていう風なフィラーを何回、
えーっと、今僕も言ってますね。
フィラーを何回言うかっていうのをカウントすることから、
楽しみを見つけなさいって。
それはそういう、
人の上げ足取りを取るっていうことではなくって、
同じ時間を過ごす中でも、
自分で楽しみだとか見方を変えて捉えていきなさいっていうことなのかなと僕は思ってるんです。
ですので、
そういう意味で、
自分の努力次第で楽しい時間は作れるんだっていうことを、
僕自身は高校生活の時に非常によく学ばせていただきましたので、
それをね、今も結構大切にはしてるかなと思います。
だから、なんだろうね、
与えられた場所でどうこうっていうよりも、
なんか、
あなたはどう頑張るのっていうところが根底にはあって、
いろいろ文句も出るけど、
その中で、
自己成長と環境の楽しみ方
分かったけどあなたはどうするっていうことが、
僕の同期というか同僚の飲み会。
同じ学校を卒業した同僚の飲み会とかでもやっぱりよく言われますね。
文句で終わっちゃう飲み会あんまなくて、
分かった分かったみたいな。
つらいんだね。
どうすんの?みたいな。
その時にはみんな答え自分の中に持ってるんで、
こうしてこうと思うんだけどみたいな。
でもそれってこういう観点足りなくね?とか、
こうじゃねえの?みたいな。
こうじゃねえって言いながらも、
自分のやりたいこととか教育感が明確になっていく。
そんな人に僕は恵まれているので、
そういうことを大切にしながら、
いろんな人とも接していきたいなと思います。
なんかジンジンの話からあれよあれよと、
自分の時間というか、
どうやって同じ時間を楽しむかみたいなところに、
抽象的に話が飛んできてしまいましたが、
まずは目の前のことを一つずつ頑張りながら、
どんな環境でも自分が楽しむっていうね、
意気込みと観点を大切にしながら、
やっていきたいかなと思います。
ということで、
スギ花粉のくしゃみから始まった78回、
ここについて話すラジオの時間も終わりとなります。
リスナーの皆様、改め生まれの皆様、
いつもいつもありがとうございます。
次回の放送をお楽しみに。
じゃあねー。