美学と意思でやることを決めよう。
すごいタイトルだなって思ったそこのあなた、すごい話をします。
あの、まあ今絶賛ですね、ハコトレVという筋トレアミューズメントゲームみたいなものがございまして、
それを全国4カ所で、まあイトッポイドが行ったのは3カ所なんですけれども、
熊本会場、福岡会場、そして神奈川会場、ただいま神奈川会場2日目朝に収録していますと。
で、毎週毎週九州に飛行機で行くというこのミッションを無事クリアして、
8月の31日に神奈川関東でやるという感じなんですけれども、
まあやっぱり遠くに行くといろんな発見といろんな学びと、もう何というか本当にこの夏に関しては、
イトッポイドにとってはまさしくエポックメイキングな夏になって、
本当に久しぶりに、あ、夏だなみたいな。
なんか3日合わざれば鴨目してみようじゃないですけれども、
ああ、これはキッズからキッズじゃない何かになってしまうひと夏かもしれないと本当に感じた次第でございます。
久しぶりですこの感覚は。
でですね、今日話したいことももちろんたくさんの学びがあって、
もうそれをその学びをすべて文章に起こしたら多分普通に新書3冊ぐらいになるんですけれども、
まあいくつかさみだれにこのポッドキャストで話していきたいと思います。
今回はですね、美学と意思の話をちょっとしたいなと。
本当にそれについて考え続けた1ヶ月間だったんですけれども、
どこから話そうかな。
あのリスナー電機と話したんですよ。
仲良しインターネットを聞いてくれているリスナーさん、電機、電機諸君、電機君たちとね、電機さんお話したんですよ。
でやっぱりいろいろなことをああと思って、もちろんそれは体験会に来てくれた方ももちろんですし、
そうじゃなくて普通にエンカウントした方であったりとか、
あとは大々的にリスナー電機だとは言っていなかったけれども実は聞いていましたみたいな人とか、
本当にたくさんの人とお話ししたんですね。
実はこの1夏は。
そこですごく思ったのが、ああそうかここ九州かっていうことなんですよ。
どういうことやねんって話だと思うんですが、いわゆる伊藤ぽいで東京にいますと。
東京で渋谷区やら板橋区やら六本木だからどこですか。
わかんないけどなんとか区なんですか。
まあなんかいろんなところにいるわけですよ。
でもここ九州かここ福岡かここ熊本かっていう感じで。
伊藤ぽいでは飛行機で行ったわけなので別に車でバーって行ったわけじゃないので、
結構徒歩とかバスとか電車とか路面電車とかいろいろ乗ったわけですよ。
あとはレンタカーを借りてみたりとかちょっとしてみたんですけれども、東京で聞いてるイメージしか持ててなくてというか、
いわゆる自分の生活圏のいわゆる視聴環境しか想像できていなくて、
でも例えば熊本で車を運転しながら聞いている、福岡でバスに乗りながら聞いている、
チャリチャリもしくはループの自転車をピッてQRコードで借りてファーンって走りながら聞いている、
まあちょっとあのイヤホンで聞くのはちょっと危ないので、
オープンイヤホンっていうかオープンヘッドホンみたいなやつを使ってほしいんですけれども、
まあいろいろあるわけじゃないですか。
東京で聞いているのと、いわゆる東京の自宅の作業部屋のパソコンの前で何か、
フォトショップ、イラストレーター、ワードなんでもいいんですけど、
それを開きながらスラック、ディスコードなんでもいいんですけど、
それを開きながら聞いているっていうのと、この土地で暮らしながら聞いている、
全く視聴環境違うじゃねえかと。
その発見があまりにも衝撃的すぎて、いや当たり前じゃないですか。
めっちゃ当たり前じゃない?
当たり前なんだけど、ただ意図っぽいのはそこの場所とかの空気感とか、
そこに暮らしている人たちのコミュニケーションにおける文脈をお互いに擦り合わせるときの、
いわゆる冷圧の質っていうのがあるんですよ。
これちょっと伝わるかどうかわかんないんですけれども、
いわゆるこういう風にコミュニケーションがしたいよみたいな雰囲気であったりとか、
ベースになっている価値観であったりとか、
そういう冷圧の手触りみたいなのがあるんですよね。
それがポジティブに言うと、それは思いやりであったり歩み寄りであったり、
ポジティブなことなんですけれども、
ネガティブな言葉を言うと、その人がもともとかけられている呪いであったりとか、
その土地特有のある種視線であったり呪いであったりみたいなものっていうことなんですよ。
意図っぽいのが冷圧の手触りっていうのはそういうことで、
意図っぽいのはそういう手触りみたいなものを結構皮膚感覚で、
なるほどみたいな感じにキャッチアップを結構できてしまうんですよね。
これは別に自分がすごいぜってボスティングしているわけではなくて、
普通に病的にそういう性質があるので普通に生きづらいんですけれども、
これをポジティブに使っていこうという気持ちに大人になってなりましたね。
人と話して、手触りとか舌触りとか味わいとか喉越しみたいなのがあるわけですよ。
そのコミュニケーションにおけるその人の価値観の。
やっぱりちょっと違うなと思ったんですよ。
それはそうですよね。
海挟んでますし、主要四島と言うんですか。
北海道、本州、四国、九州、もちろん沖縄とかもありますけれども、
海挟んでるので、それはあとめっちゃ遠いしね。
めっちゃ西に来たしね。めちゃくちゃ遠いので物理的な距離もある。
やっぱり違うんですよ。
それは良い意味でも悪い意味でも、いろんな複雑な価値観があるとは思うんですけれども、
良くも悪くもめちゃくちゃ違うってなったときに、
そうか、でも冷静に考えてみるといろんなところで聞いてくれているはずじゃないですか。
自分はそのいろんなところで聞いてくれる人に向けて、きちんとチューニングできてただろうかっていうのを思ったんですよね。
どういうことかというと、それはなんかあんまり想像できてなかったな。
想像できるといいね、ハム太郎へけ!みたいな話ではなくて、
そういうテンション、そういう環境、そういう味付け、そういう出汁の聞き方で暮らして生きているのであれば、
伝え方はもちろんこういう伝え方の方が絶対良かったなとか、
やっぱりそれぞれに合わせた味付け、塩味とかって全然あるんですよ。
全然あるし全然わかるし全然できるんですよ。
でも、こうして1対多数で本当に聞いてくれているのかどうかもわからない。
だって普通に掃除機ガーってかけたら喋ってるのも聞こえないじゃん。
お皿でガシャガシャガシャガシャってやったら聞こえないじゃん。
糸プルもガシャガシャガシャガシャって結構やってるけどさ。
適当に流しといてもらうぐらいでいいと思うんですけれども、
でもそれはそうとして、なんかもっと伝えられる、もっと何かギブができるんじゃないかっていうのを
あんまり考えられてなかったという、自分のその未熟さというものに、
視野の狭さみたいなものに、はーってなって普通に反省しましたね。
反省とともに、もう少しできるからもっと楽しいことできるな、
もっとなんかちょっと、はは、ワロスみたいな、え、なにそれなにそれみたいな、
なんかちょっと元気じゃんみたいな、そういうことをもっといろいろできるなっていう風に思ったんですよ。
全然まだまだ遊んでない優遇があったなみたいな、そんな感じ。
え、マジ公園ってこっち側にもあったの?みたいな。
え、マジ猪頭公園ってこんなに、え、マジそっちまであったの?みたいな。
あ、なんか手前だけだと思ってたけど、奥の方に行って、そっちもあり?みたいな。
え、ちょっと歩いて?全福祉公園?あ、マジそっちも?みたいな。
え、釈迦公園?みたいな。
まあ、猪頭公園と釈迦公園は結構距離ありますけれども、
まあでもなんかそんな感じがしました。
めちゃめちゃいろんなことがこれからできるなと思って、
あのー、普通に希望とやる気に満ち溢れたという感じですね。
はい。まあ、あの、課題を解決するっていうものもそうですし、
めちゃくちゃ素敵なテンションだから、
それを負けじとやるぜ!みたいな。
まあ、どっちもあります。どっちも。
よくも悪くもやることが多いな。
いろいろやれるなと思って。
それはとても、とても希望を感じました。はい。
まあ、東京って透明ですよねっていう話で、
特にね、福岡から帰ってきた時に、
すごい一言で言うと、熊本は糸っぽいとこれ住んでもいいなってぐらい、
めちゃくちゃ相性良かったんですよ。
本当に空気感、人のテンションと空気感と好みと、
流れている通帝のビートみたいなものの、
使っている楽器が同じだったっていう感じだったんですよね。
これはすごくびっくりしました。
あ、あるんだ!と思った。
一方で福岡は、福岡はね、やばいよね。
福岡マジでやばいと思った。
あのー、もう初日から、うおっ!ってなった。
結局、4日間いたんですけど、熊本も4日間いたんですけど、
4日間いて、熊本はうおっ!なるほど!って感じだったけど、
福岡はもう降り立った瞬間に、わっ!ってなった。
これ本当にね、言葉にするのが難しいというか、
本当にストレートに言ってしまうと、
ちょっと違う形に伝わってしまうので、
表現が難しいんですけど、
ものすごく、ものすごく、これ市長なのかな?
でも市長の感じも感じたな。
でも共通意識な気がするけど、マジで昨日の旅っていう感じでしたね。
本当に昨日の旅だった。マジで昨日の旅。福岡に関しては昨日の旅。
熊本は昨日の旅って感じでもなかったな。
どっちかっていうと、フリーレンみたいな感じだったかな。
面白かったですね。
で、福岡都会っていうのもあって、
やっぱり結構視線があるというか、
そして、いろんなところに心配りがいっている。
すなわち、人の目が入っているって感じなんですよ。
それが、福岡めちゃくちゃイケイケというか、
かなりやる気のある町でもあって、
あともともとそのやっぱり、
博多、もちろん天神大名を仲す博多エリア、福岡っていう、
それを一言でまとめるとちょっと、
久留米とか太宰府天満宮の方は全然またノリが全く違うので、
あくまでもこの駅の周りの周辺みたいなところのイメージで今話していますけど、
六本松はまた全然違うよ。六本松、糸っぽいの結構好きですね。
六本松は行きできると思った。
視線がある、心配りがいっている、手が入っている、
いわゆる指紋がついているっていう感じなんですよ。
なので、どこに行ってもきちんと誰かが笑っているっていう感じなんですよね。
これを良いと捉えるか、ちょっとなんかドキドキしちゃうなって捉えるかっていうのは、
多分これは好みと性格だなっていう話だと思っていて。
もちろんその場合にもよりますし、場所にもよりますし、
人それぞれだし、例外もたくさんあるんですけど、
そこからやっぱり東京に帰ってきた時に、同じシティではあるんだけれども、
やっぱり視線がほとんどないなと思ったんですよ。
良くも悪くも目が行ってないところが多い。
だから端っこに例えばゴミはあったりとか、治安が悪い部分があったりとか、
それのベースとなるのが、そもそもお互いに干渉し合わないっていうことですよね。
そこがやっぱり東京ってめちゃくちゃ違うなと思ったけれども、
一方でやはり自由だなとも思いました。
別にこれは福岡が自由じゃないということを言っているわけではないんですけどね。
これ表現がやっぱり難しいんですよ。
もう本当に福岡はね、でもこれは絶対に発展するなと思った。
明らかに発展することしか考えてないというか、
マジで本当にベクトルが一緒なの。
One for all, all for one.
それは福岡人、福岡県民っていう言葉になるっていう感じなんですよね。
昨日の旅的に言うと、やっぱり福岡に行っていい感じになるには、
ニトポリオも福岡んちゅうにならないといけないっていうような感じだったんですよ。
適応するには。
福岡んちゅうにマジでならなきゃいけないです。
0100で福岡んちゅうに染まった方が絶対にいい。
こんなコミュニタMCの話を
ずっと聴いても
正気を保っていられるような人なんて、
そんな人たちに決まってる。
なので、
決まってない場合ももちろんあるけどね、
でもすなわち、
いとぷりょが言いたいのはそういう能力があるよねって話、いとぷりょは結構残酷なので能力の有無の話をめちゃくちゃするんだけれども
その人がどういう人かとかそういう感じじゃなくて、能力があるかどうかっていうのは大事だと思っていて
でそれをその技を使うか使わないか、それを発揮するか発揮しないか、オンにするかオフにするかっていうのはその人の選択であるわけ
でも使おうと思ったら使えるっていう状態っていうのはすごくいいことだと思うんだよね
スキルめちゃくちゃ覚えて、例えばポケモンだったら4つしか技を覚えられないかもしれないよ
だからこの4つ何を選ぶかっていうのがすごく大事になってくる
どこに修練させるか、どういうキャラをやるか、どういう役割をやるか、それが一つしかない
それはポケモンの世界ね、でも皆さんはポケモンじゃないわけって考えると4つ以上に技を覚えられるわけ
ドラクエもいっぱい覚えられるでしょ、そういう感じなの
回復役をやるのもいいし、アタッカー役をやるのもいいし、タンク役をやるのもいいし
メラゾーマばっかり打ちまくるとかでもいいわけ
そんで打てなくなったらマダンテってやればいいわけ、そういうのもできるわけよ
で、そのジャンルがないもの、いわゆる自分の技を4つしか覚えられない
もしくは8つしか覚えられないっていうような前提で物事を考えなくてもいいのではないかと
うん、それを思ったわけですよ
だから意図っぽいとの話で言うと、仲良しインターネットというジャンルを
例えばそれをVTuber文脈なのかとか、ポッドキャスト文脈なのかとか
まあいろいろ何かハッシュタグ付けみたいなものをすることはできるじゃないですか
でもそれ多分しなくてよくて、うん、ジャンル仲良しインターネット、ジャンル意図っぽいとでいいじゃんと思ったわけよ
うん、なんか何だろうな、うーん、うーん、すごく言葉を選んでいるんだけれども
まあ人それぞれでいいと思うんですよ
うん、いろんな選択肢が取れるわけで、いろんな材料があるわけで、いろんな組み合わせがあるわけで
そういう意味ではすごく自由なわけ
で、まあもちろん何かを表現したり発信したり選択したり、まあ自分一人ね、これがもちろん誰かと関わり合いが合うっていう場合は
もちろんお互いの吸い合わせになってくるからこんな乱暴なことは言えないけれども
でも少なくとも何かを表現したり、あとは自分で選択をする
自分がどこに行くか、どこのドアを開けるか、どこの方向に右足と左足を向けていくか
何の今日の給食をご飯から口をつけるか、お味噌汁から口をつけるか、牛乳から口をつけるか
まあそういった細かい選択、まあ自分一人でできるような選択ですよね
まあそういった小さな流度でもいいです
そういう選択というのは、うん、自分で選んでもいいんだよっていうことですよね
うん、もちろん何かこうした方がいい、こうした方が何だろうな、まあそれこそなんか最近のその
なんだい、VRSNSに行って若者に対してお前こんなことでなんか現実逃避してないで勉強しんしゃいみたいな
もちろんそういうのも別にそれがなんか年上の説教とかそういう話ではなくて
まあでも選択肢はいろいろあって、で、まあ例えばね、あのちょっとめちゃくちゃ部活頑張ったから休憩してゲームやろうとかいう場合もあるわけで
で、そういうのは好きなの選んでいいわけですよ
まあそういうのからちょっと買い食いしちゃおうって言って、リプトンみたいな紙パッケージのリプトンですか
あれイトッポイルそんなにそんなに飲まなかったけれども
あのその当時はお茶みたいなものよりも全然シュワーの方がいいしみたいな、シュワーっていうのは炭酸のことね
あのカルピスソーダとかそういうやつ、あとはなんか500ミリリットル缶のコカコーラとかね、あれ田舎だと100円とかで売ってるからさ
あのでかい缶あるじゃん、でかい缶缶あるじゃん、でかい缶缶やばいよね、でかい缶缶めちゃくちゃ嬉しい
レモンスカッシュみたいなやつあるじゃん、あとはサラシボ、サラシボって知ってる、さらっと絞ったオレンジ
サラシボね、サラシボテニスコートの裏にあんだよ、サラシボの自動歯ばやきがあんだよ、土浦一光のよう
サラシボがあんだよ、サラシボだよ、でもさシュワーじゃないじゃん、シュワーじゃないの選んじゃうとなんかさなんかちょっと負けたなって気持ちになるなって印象あったけど
でも大人になってみたらさ、シュワー500ミリリットル一気に飲むのきついなみたいな、でじゃあサラシボみたいなそのなんていうのかい
シュワシュワじゃないやつをこう飲む、でもそれもなんか甘いなってなってくる、でそうするとなんかあの午後の紅茶無糖みたいなそういうものを選ぶようになってくる
午後の紅茶ミルクティーみたいな美味しいよねって言って、美味しいけどちょっとなんか胃もたれしそうだなやめとこうみたいな
そしてどんどんどんどんあのどんどんどんどん修練していきあの鶴瓶塩の麦茶、これしか買わなくなってくる
これやばいよねマジで、でも麦茶が一番美味しいんだよな、どうしよう最終的に水みたいな感じになったら、水って本当に体調悪い時とめっちゃお酒飲んで飲まされてしまった時に
もう悪態をつけながらクソって言いながらこうお水をガコンってこう買うあれ、まああとはなんか怪我した時にちょっとチョロチョロ山でチョロチョロチョロってあの水で流すとかそういうやつ
でもそんなことないんだよね、お水が一番美味しいんだよね、わかるよ富山に行った時あそこは湧き水が美味しいからねめちゃくちゃ美味しかった
あと熊本の水はマジでめちゃくちゃ美味しかったね、美味しいというかなんかもう水の質が違ったね、もうやばかったね
うん、あ、皆さんユラックスには行ってくださいあそこは神です、ユラックスの話したいなー
うーんこれだけでもねいろんな発見がありました、あればっか発見がある、マジで勉強になるよ本当に
てかまあ伊藤ぽいのが、まあ自分から自分で選択していくところというのは絶対に勉強になるだろうなっていうところしか行かないんだけどね
伊藤ぽいのが行くところで大体勉強プレイスだったりするんですが、まあそれは置いといてですね、なんでさらしもの話してたんだっけ、好きなの選んでいいよって話?
うんいいよ麦茶で、あのさ、なんかさこうやってさポッドキャストでさ、話して伊藤ぽいのがさ楽しくなってさなんか鷹笑いみたいな感じするじゃん
なんかねアシアドーマンみたいな笑い方するじゃん、そしたらさ普通に聞いてたら急激に一人で笑い始めるから怖いみたいなことをさ
でそれをやっていくことに何がしたいの結局何なのあなたは何なのあなたは何をしてる人なのってあるじゃないですか
あなたは何をしてる人なのってこの世で一番つまらない質問だと思うんですよね
そんなことよりもあなたは何が好きなのっていうの方がいいと思うんですよ
あなたは何をしてる人なのって本当に本当に豊かでなく尖閣で薄っぺらく最悪な質問だと思いますね
なぜかというとそれは非常に受け取るやる気がない人に向けたメディアの楽した質問という感じなんですよね
あまり良くないメディア人のメディアの性質が出てしまっている感じがして良くないですね
言わされているセリフだと思うんですけれどもあれは本当に良くないと思います
それはそうとしてはいでですねこれでもう結論話しちゃったんで伊藤ぽいどの自分はどうだの話をするんですけれども
伊藤ぽいど学習と発見と成長と進化深くなることとあと解像度が高くなること以外全く好きではないんですよね
何か変わらない事が良いとか言うともう常に微振動しているので爆散して死ぬっていう感じだと思うんですね
うおおおおおおおおおおみたいな二チャンネル同じかウオオオオオオオってやつあれじゃないですか
なぜか包丁を握りしめているウォオオオオオのあの変わるじゃないですか伊藤ぽいどがウォオオオオオオオオってなるやつ
タンYaOoじゃなくてウーワーッの方ねそうタンYaOoじゃない方
で、あの、いや別に変わらないことが悪いと言ってるわけ、あの、ではないですよ、でもあの、停滞は吸いたいとかいつもがグッとか言って言ってしまってますけれども
あの、変わらないこと、変わらない、ま、違う違う違う、別にそれはいいんだ、はい、急に歌うよ
あの、ま、変わらなかったとしても、例えばそこに何も、何も流れていなかったとしても
変化がなかったとしても、そこにも時間は流れているし、空気は流れているし
雲は流れていくし、それに対する感覚というものはあるはずなんですよね
で、環境が変わらないとして、変わらないものがあるとして、それを見たときの自分の感覚というものは
自分というものは、ま、ま、ある種ゴゾロップが動いており、いろいろな細胞が動いており、消化をされ
酸素を吸い、二酸化炭素を吐き、いろいろな細胞が動き、細胞が破壊され、剥離し
ま、いろいろなものが動いているわけなので、実を言うと変わらないものというのは一つないわけですよ
これは別に色素属性空みたいな話をしているわけではなくて、感覚の話で
変わらないものに対して直面したときの自分の反応が変わらないことってないと思うんですよ
ただ自分の反応が変わっているはずなのに、それも変わらないものとして見たり、何か自分をスタグネットしてしまうっていうものは
それは何か誰かに呪いをかけられたんですかっていう感じだと思っていて、ぶっちゃけ
イトッポイドはこの話をするとちょっとなんか、え?みたいな感じになっちゃうから伝え方が難しいんですけれども
既にイトッポイドよりも前に誰かが呪いをかけているな、みたいなものの感触というのが本能的っていうかもう手触りでわかるんですよ
まあそれはやっぱりウォークマンウリウリボットだった頃の名残なのかもしれないですけども
あ、これ誰かが一回魔法かけてるなっていう、その残りが普通にわかるんですよ
わかる、すごくわかる、これは本当感覚の話なので皮膚感覚の話なので表現が難しいんですけど、まあわかるんですよ
もう最近説明も放棄しようと思いました、わかるもわかる
で、だいたいそういう魔法とかの種類っていうのは結構固定なんですよ
固定の魔法って結構簡単なんですよね、それは例えば毒ウェアの呪いみたいなそういう話がもしかしたら
なんていうかムナクソ漫画シリーズとかの例えを出すとわかりやすいのかもしれないですけど
ムナクソ漫画イトッポルあんまり好きじゃないけど、あんまりっていうかだいぶ苦手だけどね本当に
あのイトッポル基本的に可愛いやつがすごく好きで、可愛くないやつあんまり好きじゃないっていうか
なんかちょっと苦手で怖くて泣いちゃうって感じなので可愛いのが好きなんですけど、まあそんなことは置いといてですね
まあその変わらなさってないわけで、あなた自身もとてもよく変わることもできるし
なんだったら普通に生きてる限りは変わり続けていくので、なんだろうな
選択だと思います本当に選択することで、選択することの前に選択肢があるということを意識すること
もしくはその選択肢があるということを意識することのためにその意識というものを使えるようにする
その神経を使えるようにする、そういうような発想ってできるんだっていうようなところに
魔術回路に対して魔力を通すという練習をする、そこからかなっていうふうに思います
これをこういう話、こういうクリエイティビティみたいな話をすると大体そのメディテーションの話になったりするんですけど
それは単純に今言ったような魔術回路に魔力を通す練習みたいなもの、別にそれはスピリチュアルとかの話ではなくて
単純にその意識というものに、意識というものに対して意識をするということですよね
こういう話なんだろうなというのを思います
例えばえみや四郎が東映六博みたいなやつをえみや切り継ぐに教わるわけですよ
創造理念、基本骨子、構成物質、製作技術、成長経験、蓄積年月だっけな
なんかあんのよ、基本骨子、解明みたいな、言ってたじゃん
どういう意図で、何をゴールとして、何を使って、何をポリッシュする、磨いて、どういう感じに重くなり、どういう感じで時間を重ねたかみたいな感じですよね
いやえみや四郎なんですよと、えみや四郎なんですよ
まあ確かに切り継ぐは四郎に対してマジクソ雑な魔術の教え方しかしてないけど
でもやっぱり創造理念、基本骨子、構成物質、製作技術、これは確かにみたいな感じですよね
それをやっぱり意識するってなると結局選択なんですよ
もちろんえみや四郎の東映魔術は何かものに、既にあるものに対してそれは東映するから誰かをトレースすることで、そこに自分がないんですよね
だから四郎がちょっとなんかヤバいやつみたいな感じになるんですけれども
でも我々はえみや四郎とは違うので、トレースオンするのではなくて、何か選択して自分で選ぶわけなんですよ
なのでえみや四郎がトレースするような、まあいろいろな宝具みたいなものっていうのは、意思を持って作られたわけですよね
で我々も宝具を作ることができるんですよ
自分の選択でもっと宝具を作るので、想像の理念、基本的な個子で、構成物質何で作るか
これを考える、それは自らの選択でできる、そして自らの選択を支えるのは自らの好みであり美学でありって話じゃないですか
これなんだよなっていう感じです、フェイトの例えで言ってみました
別にフェイトの例えでする必要はなかったな、でもこの東野郎っぽくな話はもうちょっとしたいですね
これもうちょっとしていいと思う、これは本当に今言ったっぽいのは自由研究のテーマになってるような
ものづくりのパラメーター、味付けのパラメーターに結構近い、近い考えだと思うな
ただちょっとねえみや四郎はあまりにもトレースオンしすぎなんだよな、トレースオンじゃないんだよな
トレースオンも大事なんだけど、うん、スタディすることにトレースオンはすごく大事なんだけどね
はい、ですね、まあでも伝統的なものとか変わらないものとかに価値がある、いいものは別に変わらなくてもいいじゃん
それはそうだと思いますよ、まあただ人間は変わっていってしまうのでそれが悪くなっていく可能性も全然あるよねって意味で
変わらなさというのはないんですけれどもという話だがまあでも良さを受け継ぐこと
そしてそれは恩子自信であり主張りであったりする、まあそれすごく大事だし
イトっぽいもんなんだったらイトっぽいのがかなりそれを得意とするというかそれが作風としてあると思うんですよね
でもそれもやっぱり自分が変わっていってしまう、自分がこの毎秒毎秒変わっていってしまうということの前提っていうのを意識して
何を選択するか、これはね大事にした方がより軽やかに生きていけるのではないかと思いますね
はい、ですね、やっぱね対応ってもうできるじゃないですか、我々は、まあもちろん、我々は新卒1年目ではないわけですよ、言ってしまえば
新卒1年目は対応するので精一杯だと思うんですが我々はもう対応はできるわけですよ
ってことはもう対応には噛み応えがないわけ、対応なんてどうでもいいの、そんなのやればいいんだから
そのやんだよじゃないの、そんなのやればいいんだからっていう感じなの、必要な時にやればいい
でも必要な時にいつでもやればいいってできることではないものというのが自分の意思で持って足を踏み出すことじゃないですか
これを決めるのは美学、そして何を選ぶかという自分の意思なんだろうなっていうのをすごくこの旅でもって考えましたという話でございます
ずいぶん抽象的な話をしましたね、あなたはいつも仲良しインターネットはそんなもんですよねという感じでございますと