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「講師=偉い人」への違和感の話
2025-06-17 16:25

「講師=偉い人」への違和感の話

なぜか「先生」と呼ばれるようになったとたんに、「自分は偉い人間」と思っちゃう人たちがいて、どうしてもそこに違和感が拭えないというお話しです。

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もみじに自分の話を聴いてほしいな、
内省を深めて、自己理解を深めたいな、
と思ったら、
是非こちらでお待ちしています。☕️
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皆さんこんばんは、内省るうむ🇫🇷のお時間です。 このチャンネルは意気をするように内省している私もみじが、
今自分の内側にある思いを言葉に出してみようという試みで発信しております。 またね、今回も久々の収録になっちゃったんですけれども、話したいことは本当はいつも山ほどあるんだぞって言うね。
はい、そんな私、今日はね今こちら、 こんばんはということでお伝えしてますけど、パリはちょうどお昼になりました。
もう太陽ガンガンでね、ここ数日めっちゃ暑くなってきたんですよ。 突然30度超えですね。
日本と違って、空気が乾燥しているからなのかなと思うんですけど、暑さのなんて言うんだろう、種類が違うんですよね。
なんかね、太陽の日差しが、もろに肌に突き刺さる感じ。
なんかね、痛い感じ。
多分これどうなんだろう、私あの北海道民土産庫なんで、あの東京とかね、大阪とかあのあたりの湿度の感じっていうのは、ちらっとしか知らないんですけれど、
北海道でもやっぱりね、ここよりは湿度はあるので、もうちょっとこうモワッとしたね、こうサウナに入ったかのようなウワッていう暑さと、重たい暑さと、
こちらはなんかこの太陽が肌を刺してくるような感じの痛い、肌表面が痛い感じの暑さ、なんかちょっと種類が違うんですよね。
そう、どっちがいいっていうことでもないんですけれども、全然。
いやーそんなんでね、あの引きこもり、基本引きこもり体質の私としては、もう家から出ないぞっていう感じでね、もう太陽があのもう沈みかけたぐらいにモゾモゾとあのスーパー行って食品買うみたいなね、
そんな感じで、日中はもう極力家から出ないっていうね、引きこもりの本領発揮ですね。
はい、そんな日々を最近は過ごしております。
今日ここで、うんとね、お話ししようかなと思ったのが、私前々からこう感じてた違和感みたいなのがあって、
あの先生とか講師とかね、結構まあ私自己啓発系がまあ好きなんですよね。
うん、すごく楽し、あの好きで、結構な数いろんなものを手を出して学んで、ほうほうみたいなね、あの学ぶこともだし、そのそれ自体が楽しいみたいな時間を結構過ごしてるんですけれども、
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その中でね、時々思うのが、その講師の方がね、なんかこう、なんていうんだろうなぁ、
なんだろう、講師になった途端に自分は偉い、なんか上の立場みたいな風になっちゃってる姿を、結構ね、結構少なくない数見てきてるし、出会ってもいるんですよ。
で、あの、めっちゃ違和感は感じてて、少なくともね、あの大人なんで、もう向こうも私もね、こちらも大人、向こうも大人、大人と大人の関係性で、
その方の得意分野、専門分野とかのその知見を、私も得たいと思うからまあ講座を受けるわけですよ、受講者側としては。
で、その時に対価も支払っているわけですよね。
で、そのことに関しては、この講師の方はスペシャリストなんだろうなっていうふうな思いはあって、すごいなっていう気持ちはもちろんありますけれども、
だからといってその人が人格的に偉いとは思ってないし、別に上下関係はないと思ってるんですよ。
で、その上下関係がなく、私たちはあくまでもフラットな関係で、そのために対価支払ってるよね、みたいな気持ちもあるわけですね。
なんならこのお金っていうものが売買することによって、なんかこう、ね、その余計なしがらみ排除できるみたいなね。
うん、そう、一種の契約なわけじゃないですか、購入っていうのは、その申し込みで支払ったりするっていうのは。
その方はそのご自身の専門分野っていうものを、こう、なんだろうな、分け与えるというか、教える、伝えるっていう代わりにこちらは対価を支払っている。
ということでイーブンな立場なはずなんですよね。
なんだけど、あの、講師とか先生とか、あとはまあコンサルとかでも時々あったかな、ってなった途端に、なんか俺偉いよ、みたいなね。
いいから黙って俺の言うこと聞いとけ、闇的な感じになっちゃう方って結構いるなぁと思ってて。
で、前々から気にはなってたけれども、なぜ今ここの、この点に関して私がちょっとセンシティブになってるかっていうと、私もですね、6月からついにあの念願のね、今までやってたアサーションのワークショップっていうものから、今度は基礎講座っていうのがスタートしてるんです。
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ちょうど今月のね、初めぐらいからかな、スタートしまして、あの、4回やる講座のうちの1回目無事に終了し、また今週2回目も続き、みたいなね、こうやってる真っ最中なんです。
だから、まあ講座と言って学ぶってやってるので、自分もある意味ね、講師と言えるとは思うんですが、なんかそこに、なんだろうな、自分は正解を知って知っている、それを教えてあげている、みたいな、そういう気持ちってあんまりないんですよ。
どっちかっていうと、自分はこういうのを、こういう経験をし、こういうのを学び、その得た知識とかね、体験というのを共有しますよね。
で、その上で、受講生の方も受講生なりに、その私が伝えたことを受け取り、咀嚼、ちょっと噛みましたね、咀嚼し、みたいなプロセスがやっぱり出てくるわけですよ。
その時間を一緒に作るっていう感じかな、なんかこう、正解を教えたるからこれ覚えとけ、みたいな気持ちって、それってね、なんかめちゃめちゃおこがましい、おこがましいとも違うな、なんだろう、傲慢、傲慢というか、ねえ、
なんか、だいたい身につけるとか学ぶって何なのかって考えた時に、誰かが外からね、ポンって答えを与えて、なんか、何だろう、家畜に餌やるみたいな感じで答えをポンと与えて、はい、できましたっていうものじゃないと思っているから、こういう違いが出てくるのかな、何だろうね、少なくともやっぱり講師とか先生っていう立場の人は、
結構少なくない数で、上下関係を持ち込む人が多いんだなっていうのを感じてて、私それすごくね、違和感、なんか苦手なんですよね、教える側が偉い、受ける側はそれに従うのが当然っていう前提がすごくね、嫌だなあって思いますし、
もうだからね、今講師という立場になって、ここ本当気をつけないと、ねえ、これどこから来るんだろうってすごく思います。
自分が講座をやるんだったら、答えをあげるとかじゃなくて、共に作るみたいな、共に前に進むみたいなね、そのサポートというか、ちょっとコーチング的な言い方で言うと伴奏するみたいなね。
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で、もちろんそのそこに必要な、必要なんだけど、今ここにそこにないっていう何か要素は、もう私のできる限りのものをもちろん提供するし、関わってはいくんですよ。
だけどね、だからといって自分が受講生よりも上の、上とかっていう意識は持ってないし、なんかもうね、将来持つことに、持つようになっちゃったら、そんな自分は嫌だなあみたいな思いはすごくあるんですよね。
みなさんはどうでしょうか?たくさんこう講座とか、あるいはもしかしたらコンサルとかつけてらっしゃる方もいるかもしれないんですけれども、その中でなんかこう、上から物言うみたいな、教えてやる。
俺の話聞け、いいから黙って聞いとけや、的なね、ものを感じたことってないですかね。そこに違和感とかは、みなさんどうですか?それ違うんじゃない?みたいなね、思うことってないですかね。
うーん、本当に何だろうな。ただこれ、ちょっと文化的背景っていう視点から言うと、やっぱり日本って受教の思想が結構残ってるじゃないですか。
あとは、韓国とかもそうらしいですね。中国、韓国とかにもやっぱりその思想っていうのはあって、例えば年上の人を上山うとか、先輩はもうなんだろう、上で自分は下みたいな、そのなんだろうな、上下で捉える関係性って結構多いですよね。
で、今はどうか、ちょっと私も日本離れてだいぶ経っちゃってるのでわかんないですけど、やっぱりなんかこう、先生ったら小学校とか、ちっちゃい頃であればね、先生えらしみたいなのはあったなーっていう気持ちは、気持ちじゃない、記憶はなんかありますね。
なんかこう、知識がある人、教える立場の人、イコール、えらい、人格的にもみたいな、そういう幻想が残ってるみたいなね。で、教える立場になる側も、なんかえらくなったと錯覚する人も少なくないみたいなね。
だけど、まあじゃあ私が今暮らしているフランスとかはどうなのか。なんか結構、私はね、自分が子供いないし、自分が学校に、まあ大人になってから行ったことはあるか、大人として行ったことはあるか、そっかそっかそこはあるな。
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なんかね、先生はファシリテーターとか、一緒に考える相手。で、迷った時にはちゃんと、ちゃんとこう、行くべき方向に導いてくれるみたいな、なんかこうガイドみたいなね、そういう感じがあるんですよね。
だから生徒は自分自身が持つ、なんだろうな、こう、湧いてくる意見を言ったりとか、自分質問ももちろんするし、なんなら先生も間違えることはあって、一緒に並び続けているっていう、そういう認識が結構ベースにあるんですよね。
先生は偉いから先生の言うことを聞きなさいみたいなのはあんまりない。いやでもなんかフランス人にそんなこと言ったもんなら暴れだしそうだな。そもそも。っていうのはあるんですけどね。
どっちが良い悪いっていうのではなく、これは多分私の好き嫌い、納得するしないなんでしょうけど、先生になった途端に偉くなっちゃうのはそれは幻想だし、
ちゃんと受講する側の話も聞いて、じゃあその上で考えるっていうスタンスは、私が今講座をしているアサーティブネスにもすごく深く関わっているところだから、これってね本当に大事にしたいなと思う。
だから先生が偉そうにしているのはもう嫌なんですけれども、個人的に好き嫌いを超えて、やっぱりそれって違うんじゃないんですか。そうじゃなくて、一方的にどっちかが上から下にみたいな風に矢印が行くんじゃなくて、
なんかもうちょっと関係性における尊重っていうのを大事にすると、先生側も講師側も受講側も一人の人間として関わっていく。お互いがそういう風に関わっていく。本当の対話っていうのは絶対に必要だな。
もしかしたらこれは日本の教育文化とは異なる在り方なのかもしれないけれども、それでも異なる在り方でも自分はやっぱり今大事にしたいものは変えるつもりはないし、そこ変えたらもう私の講座じゃないなっていう気持ちになっている。
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なんかね、ちょっとなんか在り方宣言みたいになっちゃいましたけど、そんな思いがあります。なんかね、これはね、今日もまた久々にね、講師という方からの言葉とか関わり方に違和感を感じる機会がありまして、
あ、これは今自分の中でこう熱を帯びている、この感覚が熱を帯びているうちに、こう、ここでねお話したらしてみようかなと思って今日はマイクを取りました。
はい、なんかね、ちょっと私の思いバーンと、こう思いつくままに話しちゃった感じなんですけれども、皆さんはこの講師と受講する受講生との関係性、どんな思いがあるでしょうか。そんなお話もぜひ聞かせていただけると嬉しいです。
今日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。また次回のチャンネルでお話ししましょう。お相手はおみじでした。
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