駐在妻コミュニティの「姫」
あのー、ちょっと想像してみて欲しいんですけど。はい。 あるレストランのエントランスでの出来事なんです。はい。
ランチ会が終わって、お会計も済ませたんですね。 それで、参加者同士で、今日はありがとうございましたって挨拶も交わして、
さあ帰ろうと、全員が外に出たまさにその瞬間なんです。 なんと、そこにいた大人の女性たちが、誰一人として動けなくなってしまったんですよ。
誰一人ですか? そうなんです。雲の子を散らすように解散するはずだったのに、
なんか目に見えない強烈な重力場に囚われたみたいに、全員がホテルの玄関口でピタッと足を止めて、じっと立ちすがっているんですよね。
なかなか異様な光景ですね、それは。 一体何が彼女たちをそこに縛りつけていたと思いますか。
実はこれ、ある一人の女性が、あのちょっとお化粧室へって戻っただけなんですよ。 たったそれだけの理由で。
そうなんです。たったそれだけの理由で、残された全員が彼女が戻ってくるまで絶対にここを動いてはいけないという、なんか呪縛にかけられてしまったんですよね。
なるほど。 今日の深掘りは、そんな奇妙で、まあ滑稽で、少し背筋の交流ような実話のエッセイを取り上げたいと思います。
いやー、まるでホラー映画のワンシーンのような始まりですけど、でもこれ決してフィクションじゃないんですよね。
本当にあった話みたいです。 私たちが日常的に見おいている社会の構造とか、あの人間の集団心理が引き起こした非常にリアルな現象なんですよ。
確かに。 今回の資料はイギリスにある日本人駐在員のコミュニティで実際に起きた出来事を綴ったものなんですけど、これ単なるちょっと変わった人の笑い話として消費してしまうにはあまりにも惜しいというか。
そうですよね。 人間社会のヒエラルキーと同調圧力を見事に浮き彫りにした極上のケーススタディと言えますね。
本当にそう思います。資料を読んだ時、最初は笑ってたんですけど、だんだんあれこれ自分たちの職場とかコミュニティでも似たようなことが起きてないかって、ちょっと怖くなってきました。
社長夫人の権力と周囲の服従
あー身近に感じてきたわけですね。
そもそも、なぜいい男が揃いも揃ってトイレに行っただけの女性を直立不動で待たなきゃならなかったのか。この謎を解き明かすためには、まず彼女たちが置かれていた特殊な環境について理解する必要がありますよね。
その通りです。このエッセイの根底にあるのは、駐在妻という非常に特殊で閉鎖的なコミュニティの力学なんですよね。
部隊はイギリスなんですけど、異国で暮らす日本人駐在員の世界では、日本にいる時とは全く異なる独自のヒエラルキーが形成されることがよくあるんです。
なんだか不思議な世界ですよね。
資料にも明確に書かれていますが、現地では夫の日本での本来の肩書よりも役職が1ランクから2ランクもられるっていう現象が起きるんですよ。
ああ、日本の本社では1階の部長でもイギリスの現地法人とか子会社に出向すると社長とか役人になるっていうあれですよね。
ええ、まさにそれです。当然現地での責任とか権限は大きくなるんでしょうけど、問題はそれを家族がどう受け止めるかっていうことなんですよね。
なるほど、家族が。
はい。夫の仕事上の肩書の変化が、なぜか妻のステータスにまで直接的にスライドしてしまうんです。
えーと、それってどういう心理なんでしょう。
異国という不安の多い環境では、個人のアイデンティティよりも誰の妻であるかっていう属性がコミュニティ内での自分の立ち位置を決定づける最強のカードになっちゃうんですよね。
なるほど。それでこのエッセイの中心人物である女性、資料の中では皮肉を込めて姫って呼ばれてますけど。
ええ、姫ですね。
彼女は夫が社長になったことで、自分自身も社長夫人という絶対的な権力者であると完全に錯覚してしまったわけですね。
そういうことです。
つまり、劇場の舞台設定が変わって、いきなり主役の座を与えられたことで、完全に役柄に憑依してしまったというか。
でも、その姫の振る舞いというのがちょっと上記を一視してるんですよ。
ええ、資料に書かれている彼女の単独行動のエピソードですよね。
そうです。あれは本当に衝撃的でした。イギリスの空港での出来事なんですけど。
はい、彼女がプライベートで海外旅行に行ってイギリスに戻ってきた時のことですね。
そうなんです。普通、プライベートの旅行から帰ってきたら、自分でタクシーに乗るか、事前に手配しておいたハイヤーで帰りますよね。
まあ、それが普通ですよね。
でも、この姫は空港に到着するなり、夫の会社の部下に電話をかけるんですよ。しかも相手は勤務中の中堅社員で。
ただの一般社員ですよね。
そう。家族でも友人でもない一般社員に対して彼女はこう言い話すんです。
お迎えに来てくださらない?って。
いや、完全に会社の私物化というか、本来の権力が及ぶ範囲を逸脱しちゃってますよね。
プライベートの関係性が一切ない社員を、まるで自分の専属運転手かのように扱っているわけですから。
これ、例えるなら、小学校の学芸会でたまたま王様役をやった子供が帰りに寄ったスーパーのレジ打ちの人に向かって、世にひれ伏せって本家で命令しているような異常事態じゃないですか。
その例えは激をしてますね。
舞台を降りても自分が王様だと思い込んでいるという。
彼女の中では、現実と自分の中で作り上げた社長夫人っていうファンタジーの境界線が完全に崩壊しているんです。
でもここからがこの問題のさらに深いところなんですよ。
まさにそこなんですよ。私が一番納得いかないというか、疑問に思ったのは、姫がおかしいのは百歩譲って理解できるとして、なぜ周りの人間はそれに従ってしまうのかってことなんです。
なるほど。従う側の真理ですね。
でも資料によると、彼は荒波を立てるのも面倒くさいからって、結局車を出して迎えに行っちゃうんです。
これいくらなんでも要求を飲みすぎじゃないですかね。
多くの人がそう感じると思うんですよ。でもこれ、社会学とか権力論の観点から見ると、実は非常に合理的なあるいは必然的な反応とも言えるんです。
必然的ですか?
はい。権力とかステータスっていうのは、誰かが私は権力者だと主張するだけで成立するものではないんですよ。
それを受け入れて、服従する受け手がいて、初めて力学として現実のものになるんです。
つまり、部下が面倒くさいって思いながらも迎えに行ってしまったその瞬間、彼女の勘違いの権力を現実のものとして承認してしまったってことですか?
その通りです。部下からすれば、まあ、たかが一回の送迎で波風を立てるよりはマシだっていう軽い気持ちだったのかもしれません。
はい。
でも、相手の妄想に付き合ってしまったことで、システムが作動してしまった。その結果どうなったかが、資料の続きにある家に着いた時のシーンに余実に現れていますよね。
ああ、あの恐ろしい車内のシーンですね。
ええ。
部下は彼女を空港でピックアップして、無事に自宅の前まで送り届けます。
車が止まりました。普通なら、わざわざありがとうございましたって自分でドアを開けて掘りますよね。
当然そうしますね。
でも彼女、掘りないんです。
掘りない?
後部座席でじーっと座ったまま、微動にだにしないんですよ。
何が起きているのか、一瞬理解に苦しむ沈黙の時間ですよね。
そうなんです。部下は勘が良いというか、すぐに事態を察知して、わざわざ運転席から降りて、後部座席のドアを外からガチャッと開けるんです。
はい。すると彼女は、まるでそれが当然であるかのように早速と車から降りてきた。
つまり彼女は、家来がドアを開けるまで絶対に自分からは動かないっていう意思表示をしたわけです。
完全なる裸の王様ですよ。いや、誰も指摘できないんだから裸の王女様ですね。
そうですね。彼女自身は、自分が本物の王公貴族のようなエレガントな振る舞いをしていると、閲に入っていたんでしょうね。
なるほど。
でも客観的に見れば、彼女は数十年後の今でも、こうしてエッセイに書かれて語り継がれるほどの滑稽な伝説を作ってしまった。
ランチ会で作られた見えないスポットライト
自分が周囲からどう見られているかっていうメタ認知が完全に欠如している証拠です。
彼女はきっと、自分が中世界隈でそんな面白おかしい伝説のネタにされているなんて、今でも夢にも思っていないでしょうね。
でも、ここで最初のレストランのエントランスの謎に戻るんです。
はい。
個人の激しい勘違いが、部下との一対一の関係で成立してしまうメカニズムはわかりました。
でも、それが大勢の人が集まるコミュニティ全体でまかり通ってしまうのはなぜなのか。
ええ。
あのランチ会には、複数の大人の女性がいたわけですよね。
そうですね。ここから焦点は、個人の異常性から集団の異常性へとシフトしていくんです。
エッセイの中盤の、筆者の歓迎会と姫の送別会を兼ねた婦人会のランチの場面ですね。
そう。資料を読むと、そのランチの席の空気がもう異常なんですよ。
誰も彼女をお立てたりとか、あからさまなおべっかを使ったりはしていない。
はい。
ただ、全員がひたすら息を潜めて、余計なことは一切言わず、彼女の独壇場を邪魔しないように危機役に徹しているんです。
なるほど。
筆者から見ると、あの公認の新しい社長婦人、この方はすごく人が良さそうな気遣いのできるおばかんタイプだったそうなんですけど、
その新権力者でさえ首をブンブン振って、必死で姫のご機嫌を損ねないように危機役になっていたと。
通常権力者が交代すれば、集団の空気も新しいトップに合わせて変わるものなんですけどね。
でも、このコミュニティにおいては、前任者の作り上げた暗黙のルールがあまりにも強固になりすぎていて、新しい権力者でさえもその空気に飲み込まれてしまっているんですよ。
そして、あの事件が起きるわけです。ランチが終わって、お会計も済ませた。みんなでレストランの外に出て、「じゃあ今日はこれでさようなら。」と改ざんの空気が流れた瞬間、
はい。
姫が突然お化粧室に行ってしまった。要は済んだんだから、「あ、じゃあ私たちことで失礼しますね。」って言ってバラバラに帰ればいいじゃないですか。
そうですね、普通なら。
会社員としての明確な上下関係があるわけでもない。あくまで奥様同士の集まりですよ。なぜ誰もお先に失礼しますってその場を離れられなかったんですか。現代の感覚からすると、ちょっと死んでられない同調圧力なんですけど。
無理もない感想です。でも、これを組織論や社会心理学の視点から読み解くと、あの非常に合理的な恐怖が働いていることがわかるんです。
合理的な恐怖ですか。
イギリスの日本人駐在員コミュニティというのは、一種の強烈な村社会なんですよ。彼女たちは単なる友人同士ではなくて、夫の仕事上の関係性が複雑に絡み合った運命共同体のようなものなんです。
ああ、夫のキャリアが妻たちの人間関係に直結していると。
ええ。もしあの場で誰か一人が、じゃあお先にってルールを破って帰ってしまったらどうなるか。プライドの高い姫は激怒して、夫である社長に、あいつの妻は礼儀がなっていないって吹き込むかもしれない。
うわあ、それは怖い。
それが夫の社内での評価とか失勢、あるいは駐在期間の短縮といった実害につながる可能性を全員が恐れているんですよ。日本の伝統的な村八部の構造が海外の現代的なコミュニティで見事に再生産されているわけです。
うわあ、誰も彼女のことを心から尊敬なんてしていない。でも実害を被る恐怖とかターゲットにされる面倒くささから、とりあえず鼻風を立てないでおこうっていう選択をしてしまうんですね。
そして最も恐ろしくて皮肉なのは、全員がその鼻風を立てないっていう選択をした結果、何が起きたかなんです。
はい。
誰も本心では待っていたくないのに、全員で揃って玄関口で待機してしまう。この行動自体が、姫は私たちが束になって待つほどに価値があって偉大な存在であるっていうメッセージに変換されてしまうんですよ。
資料にあった見えないスポットライトっていう表現ですね。
まさにそれです。集団の沈黙と服従が、彼女を照らす一人芝居用の見えないスポットライトを維持するための巨大な舞台装置になっちゃったんです。
なるほど。
トイレから戻ってきた彼女は、「あら、待たせちゃってごめんなさい。」なんて美人も思っていなかったでしょうね。
私が戻るまでみんなが待っているのは当然だっていう顔で、そのスポットライトのど真ん中に悠然と戻ってきた。
いやあ。
筆者はその異様な光景に強烈な違和感を思ったわけです。
聞いてるだけで息が詰まりそうですね。
その場にいた女性たちも心の中では、これ絶対におかしいよねって叫んでたはずですよね。
誰か一人が、じゃあ帰りましょうかって言い出せば、全員がそうだねって乗っかったかもしれないのに。
誰も最初のペンギンになれない。
これが多言的無知と呼ばれる心理状態なんですよ。
多言的無知?
はい。全員がこの状況はおかしいと思っているのに、他のみんなはこのルールを支持しているって錯覚してしまうんです。
結果として、誰も信じていないルールが集団全体を支配し続けてしまう。
一度出来上がってしまったシステムって、中から壊すのは本当に難しいんですね。
このままじゃ、この勘違いの重力場は永遠に続くかのように思えます。
ええ。
空気を読まない筆者が秩序を崩す
でもこのエッセイの最高のカタルシスはここからなんですよね。
この息苦しい呪縛が、ある思いがけない形で解けるんです。
はい。そのシステムの崩壊プロセスは、組織存的に見ても非常に美しいものでしたね。
数ヶ月後、ついにその姫は任期を終えて日本へ帰国します。
そして次の婦人会でのこと。
あの栗をブンブン振って気を使っていた後任のおばちゃん夫人が、筆者の隣に座ってこう言ったんですよね。
よかったわ。あなたが来てくれたおかげで空気が変わったのよ。
筆者に対して深い感謝を述べているわけですね。
前任者の呪縛から解放してくれたと。
そうなんです。
でもここが面白いところなんですけど、筆者自身はえって感じなんですよ。
筆者は革命を起こそうとしてリーダーシップを発揮したわけでも、正論を振りかざして古いルールと戦ったわけでもない。
ただ素で自然体にしていただけなんです。
でも周りから見ると、筆者はあの庭家社長夫人の絶対的な独壇場をぶち壊す異物として機能していた。
これってどういうメカニズムなんですか?
筆者が空気を読まなかった、つまりKYだったということが全てを解決する鍵だったんですよ。
これ最高じゃないですか。
まるで全員がガチガチに損だくして完璧にプログラミングされた悪の巨大コンピューターみたいなシステムの中に、
筆者がただの石ころをポンと投げ入れたら予測不能なエラーを起こしてシステム全体がシャットダウンしちゃったみたいな痛快さがありますよね。
日本の社会では空気を読めないってすごくネガティブな意味で使われますけど、
そうですね。
この状況下では完全に世界を救うスーパーパワーになってませんかね。
石ころの比喩は非常に素晴らしいですね。まさにその通りです。
社会学とか文化人類学の世界にはトリックスターっていう概念があるんですよ。
トリックスターですか。
神話なんかに登場する既存の秩序とかルールを破壊して新しい展開をもたらすいたずら者へいたんじのことなんです。
強固に硬直化した村社会のルールを破壊するのは内部の人間による地味な努力とか反発ではないんです。
しばしばそのルール自体を全く介さない、あるいは認識すらしていない外部の人間の自然体な振る舞いだったりするんですよね。
なるほど。内部の人間がこのルールはおかしいって反発するのは逆説的にそのルールの存在を認めてるってことになっちゃうわけですね。
そうなんです。
でも秘書はそもそも何そのルール知らないんですけどっていうスタンスだったからルールの根本が崩れ去ってしまったと。
組織において空気を読むっていうことは多くの場合既存のヒエラルキーや不条理なルールに順応することを意味するんです。
でもそのルール自体が狂っていた場合、空気を読む人ばかりの集団は事情作用を完全に失って腐敗していく一方になるんです。
自分も誰かのスポットライトを支えていないか
あのエントランスで直立不動になっていた女性たちは全員が空気を読んだ結果、あの異常な空間を維持してしまったわけですから。
だからこそ新しい社長夫人は秘書の存在を天然の空気清浄機として深度化ありがたかったんですね。
いや面白い。悪色、慣習や同調圧力って正面から戦いを挑むよりも全く悪気のない自然体な敬語演によってあっけなく崩壊するものなんですね。大快すぎます。
そうですね。空気を読まないという性質が危機的状況においていかに集団を救う価値を持つか、日本の強い同調圧力に対する非常に鮮やかなアンチ提前になっていると思います。
今回読み解いた資料本当にめちゃくちゃ面白くて深い学びになりました。肩書きのインフレが生み出してしまった勘違いモンスター。
そして波風を立てないために無意識にそれに加担して、見えないスポットライトを当て続けてしまう周囲の沈黙。でもそこに一石を投じたのは、ただ単に空気を読まなかった一人の女性の存在だったという。
人間の滑稽さと社会の構造を学ぶ上で非常に示唆に富む内容でしたね。
そうですね。では最後に今回の深掘りを聞いている皆さんに少し考えてみてほしいことがあります。
今日の話、私たちはこの勘違いご夫人やばいよねってどこか他人事として笑って聞いていました。
はい。でも自分自身の職場や友人関係あるいはコミュニティなんかを振り返ってみてほしいんです。
ええ。
波風を立てないためにあるいはめんどくさいからという理由で誰かの見えないスポットライトを維持するため、無意識のうちに後部座席のドアを開けて待ってしまっていることはありませんか?
うわあ、それは痛いところをつかれますね。自分もあのエントラースで立ちすくす一人になっていないかちょっとドキッとします。
そして同時に、あのあなたの人生や所属する組織が息苦しくなった時、その狂ったシステムを無自覚に壊してくれる空気清浄機のような敬愛な存在は果たして身近にいるでしょうか?
もしかするとあなた自身が勇気を出して誰かにとってのその石ころになるべき時が来るのかもしれません。
誰かの勘違いのスポットライトのために自分の足を止める必要はない。そして時には空気を読まないことが最大の貢献になる。なんかそんな勇気をもらえるテーマでしたね。
それでは次回の深掘りでもまた新たな視点をお届けします。お楽しみに。