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もし今あなたが夏の野外フェスとか、キャンプ場に行って、いきなりバケツをひっくり返すたようなゲリラ豪雨に襲われたとしますよね?
ああ、よくある絶望的な状況ですね、それ。 そうなんですよ。で、屋根のある場所から駐車場まではかなり遠くて、しかも手元には傘もなければレインコートもない。
さあ、あなたならどうしますか?というお話から今日は始めたいんですが。 なるほど。
まあ、普通の感覚なら、天気予報を確認しなかった自分を呪いながら、もうズブレでになって走るか、雨が止むまで何時間でも待つか。
ですよね。あとは会場の売店に駆け込んで、何か崩壊な値段のタオルとか簡易コンチを渋々買うみたいな?
ええ、それもあるかもしれません。やっぱり私たちって、そういう突発的なピンチに対して、いわゆる正しい道具がないと、途端に無力になってしまう傾向がありますから。
いや、本当にそうなんですよね。で、今回深掘りしていくのは、まさにその、正しい道具がないとダメだという思い込みを根底から覆すような事例なんです。
アメリカのミシガン州で目撃された、ちょっと信じられないような雨撮りのエピソードを取り上げます。
はい、この資料ですね。一見すると、あるキャンプ地で起きたクスッと我が得る日常の一コマという感じなんですが。
ええ、でもこれを丁寧に読み解いていくと、異文化に触れた時の逆カルチャーショックの正体とか、文化による備えの概念の違いが見えてくるんですよ。
あと、アメリカという国に今も根付いている、ある種のたくましさみたいなものも浮き彫りになってきまして。
そうですね。ここで非常に興味深いのは、これが単なる文化の違いの紹介に留まっていないという点です。
私たちは普段、どれほど社会的な体制とか、あるべき姿みたいなものに縛られて生きているのかという、少し耳の痛い問いを突きつけてくる内容になっています。
まさにそこなんですよね。じゃあ早速紐解いていきましょうか。この話の面白いところって、いきなり雨が降ってくるシーンから始まるわけじゃないんです。
そもそも、なぜ筆者がこの光景にそこまで衝撃を受けたのかっていうその背景がすごく重要で。
ええ、筆者の特殊な心理状態ですね。
そうです。筆者はこの時、1ヶ月にも及ぶ長期間の日本滞在から、当時住んでいたアメリカへ帰国した直後だったんですよ。
ここは状況を理解する上で極めて重要なポイントになります。人間の認識というものは、思っている以上に環境に依存していまして、長く同じ環境、例えばアメリカでの生活に慕っていると脳が情報を処理しきれなくなりますから。
ああ、日々の膨大な情報を全部拾ってたらパンクしちゃうってことですか?
その通りです。だから脳は自動的にフィルターをかけて、日常の風景を当たり前の背景として処理するようになるんです。
なるほど。筆者も長くアメリカに住んでいたから、アメリカ特有の風景とか人々の様子はすっかり見慣れたスタンダードになっていたはずなんですよね。
でも、1ヶ月間日本という全く異なる環境にどっぷり身を置いたことで、それが変わってしまったと。
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ええ、その長期間の離脱によって、脳が作り上げていた日常フィルターが一度初期化されたわけです。
これ私なりに解釈すると、なんか味覚のリセットみたいなものかなと思うんです。
毎日すごく濃い味付けの料理を食べ続けていると舌が慣れちゃいますけど、1ヶ月間さっぱりした和食を食べた後に急にただの水を飲むと、水自体の味がものすごくはっきりとわかるじゃないですか。
それは非常にわかりやすい例えですね。認知心理学の観点からも理にかなっています。
筆者はこの状態を毒された癌ではなく、洗い流された癌と表現しています。
洗い流された癌、いい表現ですよね。
はい。フィルターが外れたからこそ、これまで見過ごしていた風景の解像度が信じられないほど跳ね上がった。
これがいわゆる逆カルチャーショックを引き起こす土壌になっているんです。
日常が非日常に反転する瞬間という感じですね。
その洗い流された癌に飛び込んできた強烈な風景の一つが、ミシガン州にあるブルーレイクというキャンプ地に集まった人々の姿だったんです。
夏の野外コンサート会場ですね。
そうです。筆者が普段生活していたアナーバーという街は、大学とかがあるアカデミックな雰囲気で、非満率もそれほど高くなかったらしいんですよ。
でも、このブルーレイクにはミシガン州全域から様々な人々が集まってきている。
そこで筆者がまず動きを抜かれたのが、集まった人々の体型のふくよかさだったんです。
なるほど。
筆者の言葉をそのまま借りると、ビッグボーンな方たちがそこら中にいた、と。
地域によるライフスタイルの違いが、一つのイベント会場に凝縮されていたわけですね。
ただ、ここで私たちが注目すべきなのは、そのビッグボーンな人々という視覚的な特徴が単なる客観的な描写ではないということです。
と言いますと?
この後に起こる出来事の、いわば物理的な条件として、極めて重要な意味を持ってくる重要な伏線になっているんです。
そうなんですよ。完全に伏線なんです。
で、さらに筆者を驚かせたのが、彼らの服装です。
季節は夏といえ、彼らは漏れなく短パンTシャツ、そしてスニーカーかサンダル履きという超軽装だったんですね。
しかも、その日の天気予報はスコールが降ると警告していたんですよね。
そうなんです。
実際、途中から雲行きが怪しくなって、肌寒くなって来ていたにも関わらずですよ。
彼らは一向に気にする素振りを見せないんです。
環境が少しずつ牙を吐き始めているのに全く動じない。
ここで、自然の不確実性に対して人間がどうアプローチするか、という文化のコントラストが明確になり始めますね。
ええ。筆者たちの一向は、空が暗くなってきたのを見て、すぐにバッグから雨がっぱやジャケットを取り出して、防寒とか防雨対策を完璧に済ませたんです。
これって、日本の感覚からすればごく当たり前の行動じゃないですか。
そうですね。事前にリスクを潰しておくという。
ええ。予報で雨と言っていたから専用の道具をあらかじめ持参する。
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でも周りのアメリカ人たちを見回すと、傘なんか当然持っていないし、荷物も最低限の小さなバッグしか持っていないんです。
屋外のホールには一応屋根があるものの、コンサートが終わったら遠く離れた駐車場まで歩かなきゃいけないのに。
なかなかスリリングな状況ですね。
いや、率直に言って、屋外イベントに雨具を持っていかないなんて、ただの無形脚でしょって思いませんか。
あなたもこの場にいたら、この人たち後でどうするつもりなんだろうって、絶対ハラハラすると思うんですよ。
そう感じてしまうのは、私たちが予測と予防を前提としたリスクマネジメントの文化に生きているからなんですよね。
予測と予防、なるほど。私たちは不確実性を嫌うので、専用のツールを事前に準備することで安心を得ようとします。
しかし彼らを単に無形脚だと切り捨てるのは想定です。世界には別のパラダイムが存在するんですよ。
別のパラダイムですか?
ええ。問題が発生してからその場で利用可能なリソースで対処する。
あるいは、そもそも多少濡れることくらい致命的なリスクとは見なさないというアプローチです。
とはいえですよ。事態は彼らの許容範囲を超えるくらい急変するんです。
ここからが本当に面白いところなんですけど、雲が黒黒と詰まって雷鳴とともに一気に激しいスコールが到来したんです。
ついに来てしまったわけですね。
はい。屋根の下にいるとはいえ、駐車場への道のりを考えれば絶望的です。
手ぶら同然の彼らがこの危機にどう立ち向かうのか。
私、小さなバッグから何かを取り出そうとしているのを知って、
てっきり最新の超小型で高性能なパッカブルのポンチョか何かが出てくるんだと思ったんです。
合理的で便利なツールを期待したわけですね。アメリカならではの。
そうなんですよ。そしたら出てきたのは、透明なオオハンのゴミ袋だったんです。
ゴミ袋ですか?
しかも日本の45リットルの倍はありそうな、とてつもなく巨大なやつですよ。
あのスコールと雷鳴の中で彼らは全く同時ず、文字通り太っ腹というか太鼓腹で構えていて、
おもむろにそのゴミ袋の頭と腕の部分に上手に穴を開け始めたんです。
なるほど。その場で加工し始めたと。へえ。
そしてそれを頭からすっぽりと被り、頭の上も別のビニールでカバーして、
あっという間に簡易天具を完成させてしまったんです。
あの豊かな巨大な肉体を透明なポリ袋にキュッキュッと力技で詰め込んでいく光景、
ちょっと想像してみてください。
それはすごいビジュアルですね。
なんだか現実離れしているというか、まるで手品師の宝珠から鳩が出てくるみたいな、
えーっていう衝撃ですよね。
確かにビジュアルとしては非常にコミカルに見えるでしょうね。
しかしその行動の背後にある合理性に目を向けてみてください。
先ほどの小さなバックとビッグボーンな体型という条件を思い出していただきたいんですが、
あ、さっきの伏線ですね。
ええ。極小のスペースに収まりつつ、あの巨大な体をすっぽりと覆い隠し、
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かつ完全防水を実現できる素材、それが王藩のゴミ袋だったわけです。
なるほど。
筆者はその光景を見て、身近なものを工夫して防備する能力が
開拓民の遺伝子に組み込まれているんじゃないか、って感心してるんですけど。
開拓民の遺伝子ですか?
はい。でもちょっと待ってくださいよ。
これって本当に開拓民のたくましさなんていうかっこいいものなんでしょうか。
いくら合理的だとはいえ、専用の天具を買うのをケチってるだけとか、
単に持ってくるのが面倒くさかっただけなんじゃないか、って少し疑っちゃうんですが。
いや、それは非常に鋭い視点ですよ。
確かに面倒だったからという側面もあるかもしれません。
しかし重要なのは、それで良しとする社会的な土壌があるかどうかなんです。
社会的な土壌?
ええ。もし日本で同じことをやったら、周りからきいな目で見られるか、
みっともないと後ろ指を刺される可能性が高いですよね。
間違いなく二度見されますね。
あのおじさんゴミ袋着てるよってひそひそ言われちゃいますし、恥ずかしくて歩けないです。
そうです。つまり私たちはどう見えるかという体裁・フォームを強く意識しているんです。
しかし彼らは体裁を完全に捨て去り、塗れないようにするという究極の目的、
つまり機能・ファンクションのみに特化しているんです。
フォームよりもファンクションですか?
ええ。どんなに見栄えが悪くても、目的さえ達成できればそれでいい。
未開の地を開拓してきた歴史を持つ文化においては、予測不可能な事態に対して、
手元にある限られた資源でいかにサバイブするか、
という即興の課題解決能力が高く評価されるんです。
なるほどな。
ゴミ袋をレインコートに変えてしまう創造性と他人の目を気にしない頭頭差、
それこそが彼らの強さの厳選だってことですね。
その通りです。単なるケチや面倒臭がりではなく、
体裁より機能を最優先するマインドセットそのものがサバイバル能力に直結していると言えます。
それを裏付けるように、このゴミ袋レインコートって、
実は一部の変わり者のおじさんたちがやっていた機構じゃなくて、
アメリカ社会における暗黙のルールというか、ごく普通のことだったんですよね。
ええ、個人的なユーモアの枠を超えて、社会に広く共有された文化的規範であることを示す出来事が、
この資料の後半で語られていますね。
後日、筆者のお子さんであるゲンタ君の学校で屋外行事があった際、
学校から事前に公式なアドバイスのプリントが配布されたそうなんです。
そのエーブルメッセージには、こう書かれていました。
えーと、
A plastic garbage bag also makes a great raincoatif a holes for the head is cut out.
You can also cut out holes for the arms if youwish.
はい。
つまり、ゴミ袋は部分的に穴を開けたら素晴らしいレインコートになりますよ。
お好みで腕の穴を開けてもいいですね、と。
これ、学校という公的な機関が、公式にゴミ袋を切ろって推奨しているってことですよね。
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この呪術が意味するものは非常に大きいです。
公共用の場において、実践的で実用的なサバイバル術、いわゆるライフハックが、
はずべきことではなく素晴らしいアイディアとして公式に伝授されているわけですから。
これ、日本とアメリカの教育とか、公的機関のスタンスの違いが序述に現れていますよね。
もし、日本の学校で、
明日の遠足は雨かもしれないので、ゴミ袋に穴を開けて着せてくださいなんてプリントを配布したらどうなるか。
大変なことになるでしょうね。
うちの子供にゴミ袋を着せろというのかとか、
学校としてまともな雨具を持参するよう指導するのが筋だろうって、
保護者からクレームの嵐になるのが目に見えてますよ。
まさにそこです。
日本の学校が恐れるのは、集団としての美感を損ねることや、
正規のルール、つまりちゃんとした道具を使うことから逸脱することに対する社会的な圧力なんです。
ああ、なるほど。同調圧力みたいなものですね。
一方で、アメリカの学校が推奨しているのは、インディビジュアル、つまり個人の起点です。
高価な雨具がなくても工夫次第で身を守ることができるという、
問題解決への柔軟なアプローチを教えているとも言えますね。
形式を重んじるか、結果、つまり塗れないことを重んじるかってことですね。
筆者もこの学校行事の日に雨が降って、
若い生徒たちが実際にゴミ袋レインコートを着ているのを見たそうなんですが、
以前ブルーレイクのキャンプ場で感じたような強力な衝撃はなかったそうです。
もし最初に見たのがスマートな若者たちのその姿だったら、
私はこれほど感動しなかったのかもしれないと語っているんですね。
つまり、あのブルーレイクでの視覚的なコントラスト、
巨大な体と無骨なゴミ袋という組み合わせこそが、
筆者の心を打つ決定的な要因だったわけですね。
あの豊かな肉体を透明なポリ袋にギュッギュッと力技で詰め込んだ姿。
そこに一切の気取ったところはなく、
ただ自然の猛威に対して身近なもので立ち向かう吐き出しの姿があった。
それこそが筆者が洗い流された目で発見した、
アメリカという国の真のたくましさだったんだと思います。
美しさを犠牲にしてでも実をとる。
他人の目を気にして雨に怯えるくらいなら、ゴミ袋をかぶって笑い飛ばす。
その精神的なタフさこそが本当の意味での備えなのかもしれませんね。
本当の意味での備えですか?
ええ。私たちは物を備えることに夢中になるあまり、
予測不可能な事態を乗り切るためのマインドを備えることを忘れてしまっているのではないでしょうか。
今回の徹底解剖では、
1ヶ月の日本滞在で洗い流されたガンを持った筆者が見た、
ゴミ袋を着るビッグボーンなアメリカ人たちの姿から多くのことを紐解いてきました。
一見ユーモラスなその光景は、実は開拓民から現代へと続く
究極の合理性とたくましさの象徴だったんですね。
そうですね。
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私たちも当たり前だと思って見過ごしている日常の風景を、
もう一度洗い流されたガンで観察してみる価値が大いにありそうです。
最後にリスナーであるあなたに一つ考えてみていただきたいことがあります。
もし、ただのゴミ袋がレインコートの完璧な代用品になり得るのだとしたら、
私たちが日々の生活の中で、これには専用の道具が必要だ、
こうするべきだと思い込んで疑わないものの中に、
実は全く不要なものはどれくらいあるでしょうか。
あー耳が痛いですね。
ちゃんとした道具を使わなければならないという思い込み自体が、
あなたの中にある開拓民のたくましさ、
つまり臨機応変にサバイブする能力を制限しているのだとしたら。
明日の朝起きて周りを見渡したとき、
あなたは何をゴミ袋で代用できるかちょっと想像してみてください。
もしかすると、あなたを無意識のうちに縛っていた目に見えないルールが少しだけ軽くなるかもしれません。