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6.鹿持って帰らなかったの?
2026-08-23 16:29

6.鹿持って帰らなかったの?

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もしですね、あなたが運転免許の筆記試験を受けているとして、 突然こんな問題が出たらどう答えますか?
車で鹿を引いてしまった場合、警察に連絡をして許可をもらえば、その鹿を持ち帰ってもよい。○か×か。
奈津子 ああ、なるほど。普通に考えたらパニックになりながらも、まだ息があるなら、獣医に連れて行くためとか。
はいはい。
そうですよね。
まさにそこなんです。そこが今日の革新でして、実はこれ、アメリカのミシガン州に駐在されている日本人の方。
ナッキー氏のエッセイで紹介されている実際のエピソードなんですね。
奈津子 へえ、実際の問題なんですか?
そうなんです。この問題の正解には、私たちが普段全く無意識に持っている命に対する前提というか、それを根本から覆すような視点が隠されているんです。
ナッキー 面白いですね。
ですよね。なので今回は、このエッセイを入り口にして、道路に転がる動物の死骸から、農耕民族と狩猟民族の命の価値の測り方の違い、これについて一気に深掘りしていきたいと思います。
ナッキー 道路という誰もが使う日常のインフラから、社会の根底にある姿勢感を炙り出していくわけですね。
ええ。
ナッキー ミシガン州といえば、かなり自然が豊かで、人間と野生動物の生活圏がすごく密接に交わっている地域ですよね。
そうそう。エッセイを読むと、その交わり方が日本の都市部とは桁違いなんですよね。
まずミシガン州って、財政難の影響なんかもあって、気道の整備があまり行き届いていないらしいんです。
ナッキー ああ、なるほど。
道路は陥没した穴、いわゆるポットホールだらけみたいで。
ナッキー 雪の降る地域だと凍結と誘拐の繰り返しで道路が痛みやすいんですよね。
そうみたいです。そんなガタガタの道路を走っていると、日常的にロードキル、つまり動物の力死体に遭遇するそうなんですよ。
ナッキー へえ。
ここまではまあ、自然が豊かな場所ならあり得るかなとは思うんですけど、驚くのはその後で。
ナッキー はい。
鹿みたいな巨大な動物が死んでいても、行政はすぐには回収しないらしいんです。
ナッキー あ、回収しない。放置されるんですね。
そうなんです。ひたすら路上です。3日経っても1週間経ってもそこにあって、肉が腐敗して白骨化して、風化して吹き飛ばされるまでそのままらしいんです。
ナッキー ああ、最後までそのままですか。
これ日本だったらすぐに警官が悪いとか不衛生だとか言って、役所にクレームの電話が殺到するはずですよね。
ナッキー 間違いなくそうなるでしょうね。
ただあの、行政が広大な道路もすべてをパトロールして、巨大な死骸をいちいち回収するっていうのは、
ナッキー ええ。
莫大な予算とか人員が必要になるという物理的な限界は当然あるとは思うんですよ。
ナッキー まあ、ミシガン広いですからね。
ええ。ただそれ以上に重要なのは、そこに住む人々がその光景を異常事態として拒絶していないという事実なんですよね。
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ナッキー 異常事態として拒絶していない。なるほど。
ここには、自然というものをどう捉えているかの違いがはっきり現れていて、
人間の生活圏のすぐ外側には圧倒的な野生があって、生と死のサイクルが回っているわけです。
ナッキー はいはい。
その野生が時折道路という人間のインフラにこぼれ落ちてきても、
それは排除すべきノイズではなくて、単なる風景の一部として受け入れられているんですよね。
ナッキー 風景の一部ですか。
でも、風景の一部として受け入れるにはちょっとあまりにも強烈すぎる動物もいるんですよ。
と言いますとスカンクです。
ナッキー あ、スカンク。
はい。ソースによればスカンクを引いてしまった場合の絶望感ってもう筆舌に尽くしがたいらしくて。
ナッキー 匂いがすごいとはよく聞きますけど。
なんか時速100キロで通過して車の窓を完全に密閉していても、
鼻空を突き抜けるようなゴムと油を混ぜたような悪臭が車内に侵入してくるらしいんです。
ナッキー 窓を閉め切っていてもですか、それは強烈ですね。
そうなんですよ。エアコンのフィルターとか通して入ってくるんですかね。
しかも直接引いてしまったら最後、匂いが全く取れなくて、車一台を廃車にするしかないケースもあるらしいんです。
ナッキー 廃車ですか?
ええ。これも物理的な障害物というより、車を破壊する見えない生物兵器じゃないですか。
ナッキー 確かに。車の被産価値を一瞬でゼロにしてしまうほどの被害をもたらすわけですからね。
やばいですよね。
ナッキー あのスカンクの分泌液って強力な油分を含んでいて、金属とか負の繊維に深くこびりつくので、本当に取り返しがつかなくなるんですよ。
うわ、最悪だ。だとすればなおさら疑問なんですけど、車を廃車にするほどのリスクが路上に放置されているのに、なぜ社会はシステムとしてそれを徹底的に管理したり清掃しようとしないんでしょうか。
ナッキー ええ。
自然が道路に侵食してくることを余興するこのアメリカの姿勢って、自然を徹底的にコントロールしようとする日本の感覚とはなんだか真逆ですよね。
ナッキー まさにそこがポイントですね。人間が自然を管理して隅々まで手入れをして予定調和の空間を作り上げることを良してとするか、あるいは自然の巨大さの前では人間の管理なんて及ばないという前提に立つか、この前提の違いが死んだ動物への対応に直結しているんだと思います。
はは、なるほど。そこでちょっと思い浮かぶのが、エッセイの筆者が子供の頃に日本で経験したという出来事なんですけど。
ナッキー どんなエピソードですか?
彼女のおばあさまが、昔路上で死んでいたスズメを見つけたとき、かわいそうにと言って自分の持っていたハンカチでそっと丁寧に包んで道の脇に置いてあげたそうなんです。
ナッキー おばあさまが。
えー、まだ鳥インフルエンザとかそういう概念がなかった昔の話なんですけど、この痛むべき対象としての動物っていう感覚、私たち日本人にはすごくしっくりきますよね。
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ナッキー そうですね。スズメの死を日常の調和を乱す悲劇として捉えて、ハンカチで包むことでその調和を修復しようとする行為ですよね。
調和の修復、なるほど。
ナッキー 日本のような農耕社会というのは、種をまいて水をやって雑草を抜いて自然をコントロールすることで成り立ってきましたから、だからこそ管理された空間の中で起きた死というのは、本来あってはならない異常事態であって痛むべきものになるんです。
なんかすごく腑に落ちます。それが日本人の心の中にある命に対するフィルターだとすると、さっきの冒頭の運転免許の試験問題が全く違って見えてくるんですよ。
ナッキー 持ち帰っても良いという問題ですね。
そうです。鹿を引いたら持ち帰っても良い。これ、筆者の夫がアメリカ人の同僚にその真意を聞いたところ、返ってきた答えが持ち帰って食べて良いだったんです。
ナッキー つまり、鹿の死害は痛むべき悲劇ではなくて、利用可能な資源として法的に定義されているわけですね。
へえ。しかもさらに強烈なエピソードがありまして、日本人の同僚の方が実際に鹿を引いてしまって、車が大破するほどの大事故にあったそうなんです。
ナッキー それは大変でしたね。
幸い命に別調はなかったらしいんですけど、トラウマ級の出来事じゃないですか。エアバッグがバーンと開いて、劣化者呼んでみたいな。
ナッキー そうですよね。パニックになりますよ。
ところが、その話をアメリカ人の同僚にしたところ、彼らは事故の心配をするより先に、鹿持って帰らなかったのもったいないって本気で残念があったと言うんです。
ナッキー 車が壊れたことよりも肉を置いてきたことへの喪失感の方が大きかったと。
そうなんです。私これが本当に不思議で、日本人の感覚からすると、車が大破する事故を起こした原因の動物を美味しそうとかもったいないなんて絶対に思えないじゃないですか。
ナッキー まあ普通は憎しみすら湧くかもしれませんね。
ですよね。でも彼らにとっては、まるでスーパーの通路でべこんとほこんだ缶詰を見つけて、ああラッキー割引だと思うような感覚なんですよ。
ナッキー この極端な反応の違いを読み解く鍵が、まさに狩猟文化の精神性なんですよね。
狩猟文化?
ナッキー ええ、厳しい自然環境の中で、いつ手に入るか分からない獲物を追いかけてきた狩猟民族にとって、目の前に現れたタンパク源というのは、どんな経緯であれ天からの恵みなわけです。
天からの恵み?
ナッキー 車が大破するという災難のど真ん中にあっても、せめてこの肉だけは回収しなければ、というベクトルが働く。
すごい執念というか。
ナッキー 死を単なる悲劇として終わらせないで、生きるためのエネルギーに即座に変換しようとする、非常にタフで生命力にあふれたメンタリティといえますね。
いやでもちょっと待ってください。歴史的な狩猟最終社会の文脈としては理解できるんですけど、現代のアメリカ人は違いますよね。
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ナッキー というと?
彼らは巨大なスーパーマーケットに行けば、きれいにパック詰めされた肉肉とか豚肉をいくらでも買えるわけじゃないですか。
ナッキー ええ、もちろん。
ソフトウェアエンジニアとか会計士として働いて、普通に車に乗ってミシガンをドライブしている現代人が単に道路で死んだ鹿を見ただけで、そんなハンターのDNAを本当に発揮するものなんでしょうか。
ナッキー 確かに現代のアメリカ人が全員車に解体用のナイフを摘んでいて、その場で肉をさばき始めるわけではありませんからね。
はい。
ナッキー エッセイの筆者も同じ疑問を抱いて調べたそうなんですが、やはり自分で鹿を解体できる人は現代ではかなり減っているようです。
まあそうですよね。
ナッキー しかしここからが狩猟文化の新骨頂なんです。自分でさばけなくても、その資源を無駄にしないための社会的なインフラが完璧に整っているんですよ。
インフラですか?どういうことですか?
ナッキー ディアプロセッサー。鹿肉専門店と呼ばれるビジネスが確立されているんです。
鹿肉専門店。
ナッキー はい。引いてしまった鹿とか、あるいは狩猟で仕留めた鹿をそこに持ち込んでお金を払えば、プロがきれいに精肉してステーキ肉やソーセージなんかに加工してくれるんです。
えーとお金を払ってさばいてもらうシステムがあるんですか?
ナッキー そうなんですよ。つまり、個人がハンターとしての技術を持っていなくても、社会全体として手に入った恵みを無駄なく消費するという狩猟文化のシステムが、現代のビジネスとして脈々と受け継がれているわけです。
なるほど。個人的なサバイバル技術じゃなくて、社会のシステムとして、そのもったいないを回収する仕組みが出来上がっているんですね。
ナッキー えー。
なんか、日本人とアメリカ人の頭の中にある世界観の違いが、はっきりとした映像になって見えてきました。
ナッキー 面白いですよね。
はい。私たちにとって、路上で死んでいる動物って、きれいに手入れされた日本庭園の池から飛び出して死んでしまった、美しい近所恋みたいなものなんですよ。
ナッキー あー、なるほど。
調和を壊す悲劇だから、ハンカチで包んで隠さなきゃいけない。でも狩猟文化の彼らにとっては、歩道に落ちてきた傷のついていない完璧なリンゴなんですよね。
ナッキー その通りです。
拾って食べないのはただの無駄遣いでしかないと。
ナッキー 認識濃いと落ちたリンゴ、その対比は双方の文化的フィルターを見事にいい表していますね。
ありがとうございます。
ナッキー このフィルターの存在に気づくと、私たちが当たり前だと思っている風景が、いかに偏ったものかが見えてくるんですよ。
偏っている。
ナッキー ええ。エッセイの中にヨーロッパ出身で父親が狩猟を趣味にしていたという同僚の非常に鋭い指摘がありまして、
日本の奈良公園の話を聞いて、彼女はこう言ったそうです。
もし欧米にあんな風に人慣れした野生の鹿がいる場所があったら、きっと一夜にして鹿はいなくなっちゃうわよ、と。
一夜にして消滅。
ははは。でも彼女の視点を通すと、それがただの冗談じゃないってわかりますよね。
ナッキー そうなんですよ。
私たちにとって、奈良の鹿って古くから神の使いとして扱われていて、人間を恐れずに鹿せんべいをねだってくる保護すべき愛らしい存在じゃないですか。
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ナッキー ええ。お辞儀したりして可愛いですよね。
はい。でも狩猟文化のフィルターを通せば、あそこは絶対に逃げない局上の死体筋肉が何百頭も歩いているパラダイスに見えるわけですよね。
ナッキー まさにその通りです。奈良の鹿がのびのびと生きているのは、日本人が無意識のうちに彼らは神聖なものあるいは愛でる対象であって、決して食料ではないという強固な結界を張っているからなんですよ。
結界ですか。
ナッキー ええ。野生動物と人間の間に食べる食べられる以外の関係性を築くことに重きを置く文化だからこそ成立する空間なんです。
いやーなんかすごく腑に落ちました。私たちはよくアメリカ人のロードキルの鹿肉もったいないっていう反応に対して野蛮だなーなんて驚きがちですけど。
ナッキー ええ。
これって単に私たちがかけている文化の眼鏡が違うだけなんですね。
ナッキー そういうことです。そしてこのエッセイで最も素晴らしいと思うのは、筆者自身がその自分自身の眼鏡の存在に気づく瞬間なんですよ。
あ、なんかありましたね。
ナッキー 彼女は外国の水族館に行った際に、優雅に泳ぐ色とりどりの魚たちを見て、ガイドに、あれは食べられる?じゃああれは?って失笑に食い下がっている自分にハッと気づいたそうなんです。
ああ、わかりますわかります。水族館でヒラメとかブリを見て、あ、美味しそうって思っちゃうあの現象ですよね。
ナッキー ええ。日本人よくやりますよね。
お寿司屋さんのいけずの延長として見ちゃうというか。
筆者はその時、自分が水族館の魚を食料として見捨てれるこの感覚は、アメリカ人が惹かれた鹿を見てもったいないと思うのと全く同じレベルじゃないかと悟ったわけです。
本当だ。
ナッキー 欧米の人からすれば、あんなに美しい鑑賞用の魚を見て食欲を沸かせるなんて信じられないと思うかもしれませんし。
確かに。私が水族館で美味しそうって思うのも、アメリカ人が道路の鹿を見てもったいないって思うのも。
ナッキー はい。
どちらも無意識のうちに、相手を資源としてカテゴライズしている点では全く同じ行動なんですね。
ナッキー そういうことです。
私たちは普段、かわいそうとか美味しそうっていう境界線をまるで絶対的な真理のように信じてますけど、実はそれって歴史や環境によって作られたすごく恣意的なラインに過ぎないんだなーって思い知らされました。
ナッキー 結局のところ、スズメの死骸をハンカチで包む農耕民族の優しさも、事故で死んだ鹿の肉を無駄にしない狩猟民族のタフさもアプローチが真逆なだけで、
ええ。
ナッキー どちらも命に対する一つの誠実な向き合い方と言えるのでしょうか。
なるほどなあ。ミシガンの穴だらけの道路から始まって、スズメ、運転免許の試験問題、そして水族館の魚まで。
ナッキー はい。
日常のちょっとした違和感の裏に、これほど巨大な文化のパラダイムが隠されているとは思いませんでした。本当に視点がひっくり返るような体験でしたね。
ナッキー 自分が無意識にかけている眼鏡を外して、別の文化の眼鏡をかけて世界を見てみる。そうすることで、自分たちの社会の当たり前を客観的に再評価できる。
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ええ。
ナッキー これこそが、異なる文化に触れることの最大の面白さですよね。
本当にそうですね。さて、最後にリスナーの皆さんに少し視点を変えた問いを投げかけてみたいと思います。
ナッキー ぜひ。
私たちは普段、スーパーマーケットで、きれいに四角くカットされて、血抜きされてパック詰めされたお肉を買っていますよね。
ナッキー はい。
そして、道路で死んでいる動物を見ると、かわいそうとか不潔だと目を背けます。
でも、動物の死の生々しさを徹底的に隠蔽して、食料をただの工業製品のように消費している現代の私たちの方が、実は自然のサイクルや命のリアルから一番遠く離れてしまっているのではないでしょうか。
ナッキー 非常に深く考えさせられる視点ですね。
ええ。路上で不良の死を遂げた鹿をただのゴミとして腐らせるのではなくて、自らの糧として残さずいただくアメリカの狩猟文化の方が、ある意味で命に対して直接的でごまかしのない誠実な敬意を払っているのかもしれません。
次にステーキを食べるとき、そのきれいなお肉がかつて生きていた命であるという事実について少しだけ考えてみてください。
ナッキー ええ、本当にそうですね。
それでは今回の深掘りはここまでとなります。次回もまた見慣れた日常の裏側に進む新しい視点を一緒に紐解いていきましょう。お楽しみに。
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