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#72 「授業中に徘徊するんですよね」と言われて、大喜びした話
2026-10-20 17:22

#72 「授業中に徘徊するんですよね」と言われて、大喜びした話

渡米から一年半。ふたたび息子の懇談会へ。しかし今回は前回とは全く違った話を先生たちから聞くことになる。 https://note.com/survivalmichigan

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サマリー

渡米2年目の秋、ゲンタの保護者懇談会で、先生たちから「授業中に歩き回る」「おしゃべりが多い」と指摘されます。半年前は誰とも話さず心配されていたため、両親はそれを新しい環境に適応し始めた証として喜びます。ESLの先生は、友達とは話せてもディスカッションで発言しないゲンタに、完璧な自信を待たず行動する大切さを伝えます。家庭でも両親が発言を促しますが、母親の不完全な英語を父親が例に出してしまうやり取りから、完璧でなくても生きていける姿を見せることの意味が語られます。

半年前の沈黙から、授業中の徘徊へ
あの、もしリスナーのあなたが親だとしてですね、 学校の保護者懇談会に呼び出されたと想像してみて欲しいんですよ。
はいはい、懇談会ですね。 で、そこで全ての先生から全く同じことを言われるんです。
お子さんは授業中におしゃべりばかりしていて、 なんか勝手に教室を歩き回っていて、全然集中していませんって。
うわあ、それは、まあ普通に考えたらかなり頭を抱えるような最悪の報告ですよね。
ですよね。でも、もしその子がですね、 外国に引っ越してきて間もない子供だとしたら、
この最悪の成績表が実は究極の成功の証になるといったら驚きますか。
ああ、なるほど。確かに一般的な基準で見ればただの問題行動なんですけど、 言葉も文化も全く違う、その新しい生態系みたいな場所に放り込まれた直後だと考えると、
見え方は180度変わってきますよね。自分の殻に閉じこもるんじゃなくて、 外に向かってエネルギーを発散し始めたっていう非常にポジティブな兆候として捉えることができますから。
そう、まさにそこが今回の深掘りの最大のポイントなんですよ。
リスナーの皆さんも既によくご存知の、ナッキーさんのエッセイシリーズですね。
はい、大人気のシリーズですね。
今回は、都米2年目の秋に迎えた長男のゲンタ君の2回目の保護者懇談会の記録、これを読み解いていきたいなと。
2年目の秋ですね。
はい、前提として半年前の最初の懇談会がどうだったか、ちょっと軽く振り返っておきたいんですけど。
あの時は本当に親御さんとしては大変だったんですよね。
そうなんです。全ての先生から、とにかくもう大人しい、一言も話さないってすごく心配されて、
しかもチリの授業ではネイティブの生徒と全く同じ基準で評価されてしまって、あわや部活停止の良い判定を食らいそうになるっていう。
ありましたね。ご両親がもう必死に先生に掛け合って、なんとかその評価を保留してもらったという裏話つきの。
そうそう、あの時はまさに新しい環境という名の海に投げ出されて、息を止めて、なんとか海の底に沈んで耐えているような、そんな状態でしたよね。
本当にガチガチに緊張して、完全なサバイバルモードだったんだと思います。
ところがですよ、それからたった半年後の今回の懇談会で、事態がとんでもない方向へ激変しているんです。
たった半年でですか。それは面白いですね。
はい、今回の資料を深掘りしていくことで、アメリカの教育現場における具体的な文化の違いですね。ディスカッションの本当の目的とか。
なるほど、ディスカッションの文化の違い。
あとは異文化に適応していくティーンエイジャーのリアルな姿。そして何より、ナッキーさん一家のあのクスッと笑えるのにやけに本質的な家族のやり取り、その革新を解き明かしていきます。
その半年で彼がどうやって海の底から浮かび上がって泳ぎ始めたのか。そのプロセスを紐解くのは非常にワクワクしますね。
ですよね。あなたもぜひ新しい環境に飛び込んだ時のことを思い出しながら、一緒にこの変化を楽しんでみてください。
科学・バンド・ESLで見えた変化
はい、よろしくお願いします。まずですね、玄太君の変化の兆しが最もわかりやすく現れていたのが、科学の先生との面談だったんですよ。
ほう、科学ですか。
この先生すごくマメな方みたいで、玄太君が聞き逃しそうなテストのお知らせまでわざわざメールしてくれるという。
それはありがたいですね。留学生の親にとっては本当に神様みたいな先生ですよ。
ええ、本当に。で、先生からの評価自体も高くてですね、前向きで授業もよく理解できているって。
おお、素晴らしいじゃないですか。
ここまでは素晴らしいんです。でもその直後に先生が言うんです。ただーって。
ああ、この段階におけるそのただーほど、親の心拍数を上げることはないですよね。
間違いないです。ただ何事かって構えますよね。なんと、自分の課題が終わった後、授業中にもかかわらずクラスメイトのところを徘徊しているって言うんですよ。
徘徊ですか。授業中に。
はい。これにはご両親も、徘徊って科学反応を待つ間に御用聞きにでも回っているのかって、もう頭の中がハテナだらけになったそうです。
それは確かに驚きますよね。日本の学校教育の感覚だと、自分の課題が終わっても自分の席で静かに待つのが絶対的なルールとして擦り込まれていますから。
ですよね。
アメリカの教室では、課題が終わればある程度自由に過ごすことが許容される空気はあるんです。ただ、それにしても授業中に友達の席を徘徊するというのは。
自由の枠を完全に踏み越えちゃってますよね。まるで原子の結合エネルギーについて学ぶ前に、クラスメイトとのコミュニケーションの結合力の方が限界突破しちゃったみたいですね。
上手い例えですね。でもこれ半年前の彼からは本当に想像もつかない行動ですよ。
全く考えられないですよね。
これって生物学とか生態系の話にすごく似ていると思うんです。
生態系ですか。
新しい土地にやってきた外来種がですね、最初はひっそりと身を隠しているんですけど、少し環境に慣れてくると、どこまでなら安全かとか、どこまでなら自分のテリトリーを広げられるかっていう境界線を試し始める
んですよ。
なるほど。境界線のテスト。
はい。玄太君は今、まさに教室という新しい生態系の中で、ルールの限界点を手探りで、いや足探りで確認している状態だと言えますね。
足探りで。そう言われると、ただのサボりとかルール違反とは違った、生存のための重要なプロセスに見えてきますね。
そうなんですよ。
そして実は、この境界線のテストは、科学の実験室っていうある種フリーダムな環境だけで起きていたわけじゃないんです。
おや、ということは他の授業でも?
はい。もっとルールが明確なはずの授業にも、この徘徊やおしゃばりが浸透していることが判明するんです。
他の先生からのフィードバックも似ていたわけですね。
そうなんです。例えばバンド、音楽の授業ですね。先生からは夏休み明けからサウンドがすごく良くなったし、自信がついたんじゃないかってベタボメされるんです。
それはすごく嬉しい評価ですよね。
ええ。でもその直後に、ただ周囲のことをおしゃべりに夢中になっている時がよくあってねと指摘されます。
また出ましたね、ただ。
さらにESL、つまり英語を母語としない生徒のクラスの先生からも面談があって。
はいはい、ESLの先生ですね。
英語が上手な子たち、A君、B君、C君といつもつるんでいて大きく進歩したって評価されつつ、やっぱりただおしゃべりに夢中になりすぎで授業がおろそかになっているって苦言を呈されるんです。
見事なまでにおしゃべりというキーワードが一致していますね。
そうなんです。文字通り受け取ればこれは全方位からのクレームじゃないですか。
まあ学校生活としては注意されるべき点ですよね。
でもここが異文化適応の面白いところで、ナッキーさんご夫婦は表面上はこれはかえって説教だなっていう顔を作りつつも心の中ではガッツポーズをして喜んでいたんじゃないかと思うんです。
あーなるほど、それは間違いないでしょうね。手放しで大勝利とは言えないまでも親心としては絶対に安心感の方が勝るはずです。
ですよね。半年前は全く話さないって全教師から心配されていた子が今度はしゃべりすぎで注意されているんですから。
先生たちには申し訳ないですけど、この混乱は必要な通過儀礼なんですよ。海外生活っていう過酷な環境では親の価値観とか優先順位が劇的に変わるんです。
具体的にはどう変わるんですか?
日本にいるときはおとなしくルールを守ってオールAの成績を取ることが一番の安心材料になりますよね。
ええまあそれが優等生って感じです。
でも言葉も通じない異国では成績はオールAだけど誰とも話さず孤立している状態よりも、おしゃべりが過ぎて先生に怒られて成績がCやDに下がったとしても、友達を作って毎日笑って学校に通っている状態の方が圧倒的
に価値が高いんです。
なるほど。校舎の方が長期的な生存確率が高いからですね。
その通りです。学業の成績よりもまずは社会的なつながりを獲得する力の方がサバイバルにおいてはずっと重要なんです。
だから親としてはああやっとこの環境に根を張ってくれたんだなっていう安堵感が先にくるわけですね。
そういうことです。ただですねこのESLの先生のフィードバックには単なるおしゃべりへの注意を超えたもう一つ非常に重要な指摘が含まれていましたよね。
ディスカッションは思考のプロセスを共有する場
はいそこが今回の資料の最も深い部分学び合いのポイントですね。
ゲンタ君がこれからアメリカ社会で生きていく上で絶対に超えなければならない文化の壁についての言及がありました。
そうなんです。ESLの先生はゲンタは友達とはよくしゃべるのにいざディスカッションになると全く手を上げないって指摘するんですよ。
ふむふむ。
そしてその理由を自信がないからだろうと見抜いているんです。
自信がないですか。
はい。自分の発音やアクセントが変だと思われたらどうしようとか意見が的外れだったらどうしようという恐れですね。
それは言語の壁に直面した人なら誰しもが共感する恐怖ですよね。間違えたくない恥をかきたくないという。
そこで先生がかけた言葉が本当にハッとさせられるんです。ディスカッションはゴールが目的じゃなくてその過程が大事なんだって。
過程プロセスですね。
だからとにかく何か意見しないといけない。自信はついてから動くのではなく動いているうちに後からついてくるものだって断言するんです。
これはアメリカの教育システムがディスカッションというものをどう捉えているかその本質を非常に端的に表していますね。
私を含め日本の教育を受けてきた人間の感覚だとディスカッションって何か正解に近い価値のある意見を思いついた人だけが発言権を得るみたいなプレッシャーがありませんか。
ありますね。絶対に正しい正解が頭に浮かばないと手を挙げちゃいけないような空気がありますよね。
そうなんです。完璧に準備ができていないと発言しちゃいけないような気がしてしまうんですよ。
日本の教育は歴史的に正解をいかに正確に早く導き出すかに重きを置いてきましたからね。だから間違えることへの心理的抵抗が非常に強いんです。
はい、すごくわかります。
しかし多種多様なバックグラウンドを持つ人々で構成されるアメリカ社会では自分は今こう考えているという前提を常に口に出して共有しないと社会が成り立たないんですよ。
つまり完成された答えを発表する場ではないと。
そうです。彼らがディスカッションで評価しているのは正解かどうかではなく思考のプロセスを場に提供しているかどうかなんです。
思考のプロセスを共有すること自体が評価されるんですね。
たとえ間違っていても拙い言葉であっても私はこうやって考えているという途中経過を提示することがそのコミュニティへの参加費のようなものなんです。
参加費、それは重い言葉ですね。
だからいくら頭の中に素晴らしいアイディアがあってもこのルールの違いを知らないと黙っている人は何も考えていない人、参加する意思のない人にされてしまいます。
黙っていることは慎み深いのではなくてコミュニティへの貢献を放棄しているとみなされてしまうんですね。
そういう厳しい現実があります。
しかも先生はここはESLなんだからみんな発音も文法も完璧じゃなくて当たり前だって言うんです。
ここで意見を言う訓練をしておかないと一般のクラスに行った時に生き残れないって背中を押してくれるんですよ。
ESLという場所が単に英語の文法を学ぶ場所ではなくてみんな違って当たり前の訓練所として機能しているわけですね。
訓練所、サンドボックスみたいな感じですかね。
不完全な自分をさらけ出して間違いながら思考を共有するための心理的安全性が確保された場所なんです。
自信が先、行動が後という順番を行動が先、自信は後へと強制的に書き換えるための場所と言ってもいいかもしれません。
その先生の言葉はゲンタ君だけじゃなくてかつて言葉の壁でもがき苦しんだお母さんのナッキーさん自身にも深く突き刺さったようです。
ご自身も苦労された経験がありますからね。
そしてここからがナッキーやならではのユーモアあふれる家族の風景につながっていくんですよ。
家庭で示された不完全さの力
学校からの素晴らしい、というか考えさせられるフィードバックを持ち帰ってご両親はどう動いたんですか。
まずは帰宅後ですね。お父さんがゲンタ君に向かって正しい姿勢を説教し始めます。
もっとディスカッションに入っていかんとあがん。何でもいいから意見したらいいんや。家庭が大事なんやでって。
お父さん熱いですね。
そこにナッキーさんも仮製するんです。黙っていたい気持ちはわかる。それは日本人の一番ダメなところでお母さんも昔はそうだったと。
でも誰にどう思われてもいいから発言しなさいって自らの痛みを伴う経験も踏まえて熱弁を振るうんです。
ご両親がしっかりタッグを組んで先生からのメッセージを家庭で補強しているわけですね。素晴らしいチームワークじゃないですか。
見事な連携プレイに見えますよね。でもこの直後、エンゴ射撃をしていたはずのお父さんの口からとんでもない言葉が飛び出すんです。
どういうことですか。
そうやで。お母さんなんかこん段階でも文法めっちゃくちゃでも全然気にせずとにかく英語喋りまくってるで。お前もお母さんを見習わないとあかんでって。
あーやっちゃいましたねお父さん。
妻に向かって文法めっちゃくちゃって。
見事な流れ談ですねこれは。お父さん絶対悪気はないんでしょうけど。
ないんでしょうね。ナッキーさんも勢い余ってほんまほんまほんまにそうやでって同調した直後に、ん?と我に返るんですよね。
最高のオチですね。でも私この思わずクスッと笑ってしまう家族のやり取りの中にものすごく深い意味があるような気がするんです。
というと。
親が子供に自信を持てとか間違えてもいいから発言しろって口で説教するのは簡単じゃないですか。
まあ理屈で言うのは簡単ですよね。
でもこのお父さんの見事な流れ玉によって計らずもお母さんは文法がめちゃくちゃだけどそれでも堂々とコミュニケーションを取って生き抜いているという事実が子供の目の前に提示されたわけですよね。
なるほど非常に鋭い視点ですね。単なる笑い話ではなくてそれが最大の教育になっていると。
そうなんです背中を見せているっていうか。
子供にとって親から完璧じゃなくていいからやりなさいって正論で詰められることほど逃げ場のないプレッシャーはありませんからね。
えー帰って萎縮しちゃいますよね。
でもお父さんがお母さんの不完全さを笑い混じりに指摘してお母さん自身もん?となりながらも最終的にそれをまあいいかと受け入れている。
この大人の不完全さを隠さずに見せていることこそがほら完璧じゃなくてもこうやって生きていけるんだぞっていう何よりの生きた教育になっているんです。
家庭内の心理的安全性も担保されていますし。
ルール違反を適応の生命反応として見る
言葉よりも背中で見せているということですね。
そうです。まあいいかで終わらせるこの家族の明るさと大らかさが玄太君が学校という新しい生態系で徘徊したりおしゃべりしたりして境界線をテストできるだけのエネルギーの原動源になっている気がします。
本当にそうですね。
家が正しさを強要する息苦しい場所だったら外で羽を伸ばして限界を試すことなんてできないですから。
異文化適用という長く険しい道のりにおいてリズメの正論よりもこの家族が持っているまあいいかというユーモアこそが最強の武器サバイバルツールなのかもしれません。
いや素晴らしいですね。さて今回の深掘りもそろそろまとめの時間になります。
あっという間でしたね。
今回は都米2年目の懇談会の記録から大人しい彼の脱却とアメリカの思考のプロセスを評価するディスカッション文化そして自信は後からついてくるという力強いメッセージをひもとえてきました。
非常に多くの気づきがあるエピソードでした。
そこでリスナーのあなたに問いかけたいのはあなた自身完璧に準備ができるまであるいは完全に自信がつくまで手を挙げるのをためらっていることはありませんかということです。
最後に私からも一つこのエピソードから考えを深めるための視点を提供させてください。
はいお願いします。
私たちは普段学校や職場で他人のルール違反や間違いを見ると反射的にそれを強制すべき悪いこととして原点方式で評価してしまいがちです。
はい授業中のおしゃべりや文法ミスはダメなことだとすぐに判断してしまいますね。
しかし全く新しい環境や異文化の中に放り込まれた人が見せるそれらの不完全な行動やルール違反は実はガチガチのサバイバルモードから抜け出してその社会に根を下ろし始めた最初の生命反応なのかもしれません。
生命反応ですか。
ええ。
次にあなたが誰かのちょっと枠からはみ出した不完全なコミュニケーションを見たときそれを単なるミスとして切り捨てるのかそれとも環境に適応しようとする進化のプロセスとして受け止めるのか。
なるほど。
その解釈の違いがあなた自身の属するコミュニティの寛容さを決めるはずです。
ルール違反が実は生きるための最初の生命反応だった。そう考えると最初の授業中に徘徊しておしゃべりするこの姿が全く違った輝きを持って見えてきますね。
本当にそう思います。
完璧じゃなくていい。とにかく手を挙げて声を出して間違いながらプロセスを共有していく。私たちも日常の中でそんな生命反応を恐れずに発信していきたいですね。
はい。ぜひそうしていきましょう。
今回の深堀はここまでです。リスナーの皆さん、今回もお付き合いいただきありがとうございました。
ありがとうございました。
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