1. Nacky
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#57 分母は母、分子は子ども
2026-08-27 16:11

#57 分母は母、分子は子ども

父親の赴任でアメリカミシガン州に住み始めた英語ゼロの息子が、音楽の先生とやり合う。改めて日本語のやさしさに触れる。

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00:00
あの、もしですね、お母さんが子どもをこう、
おんぶしている姿をちょっと想像してくださいって言われたら、
はいはい。
おそらく、なんか公園の風景とか、
あとは家族旅行の写真とか、
そういう暖かい場面を思い浮かべますよね。
まあ、そうですね。
えー、親子のほほやましいシーンというか。
ですよね。間違っても、
あの、分数がずらりと並んだような、
無機質な数学の教科書なんて、
絶対に思い浮かばないはずなんですよ。
ああ、確かに。
音部と数学はちょっと結びつかないですね。
ええ。
でも今日はですね、
この2つの全く違うイメージが、
実は私たちの頭の中で、
全く同じものを指しているんだっていう。
えっと、同じものですか?
そうなんです。
ちょっと驚くようなお話をしたいなと。
よし、今回もこれをじっくり紐解いていきましょう。
いや、ちょっと待ってください。
数学の教科書と、親子のそのスキンシップみたいなものが、
同じってことですか?
はい、そういうことになります。
あの、数学というものは、
そもそも、そういった人間の生々しい感情とか、
泥臭さみたいなものを、一切排除した世界ですよね。
ええ。
完全に客観的で、論理的な世界のはずですよね。
1たす1は2みたいな。
それがどうやって家族の姿と結びつくのか、
ちょっと今の時点では、にわかに信じがたいんですけど。
ですよね。
私も最初は、え、どういうこと?って本気で思いましたから。
ええ。
でもここにですね、
ある種の魔法みたいな、深い文化の違いが隠されているんですよ。
ほう、文化の違いですか?
はい。
今回はおなじみの、ナッキーさんのエッセイシリーズからの、
最新の探求なんですけど。
ああ、ナッキーさんのシリーズですね。
いつも面白い視点を提供してくれますよね。
そうなんです。
で、今回はですね、冷たい数字の関係性にすら、
なんかこう、情愛を見出してしまうという、
私たちの言語文化の数円を迫っていきたいなと。
なるほど。
日常の何気ない会話から、
思いもよらない文化的背景が見えてくるっていうのは、
このシリーズの本当に魅力的なところですからね。
ええ。
今回もお手並み拝見といきましょうか。
はい、よろしくお願いします。
で、今回の舞台設定なんですけど、
息子のゲンタ君が、
受けているトロンボーンの個人レッスンでの出来事なんですよ。
あ、ゲンタ君。
音楽のレッスンですね。
そうです。
その日、彼は先生から、
英語で音楽用語のレクチャーを受けていたそうなんです。
なるほど、英語で。
ええ。
例えば、詩文の参拝詩とか。
ああ、排紙記号ですね。
はい。
楽譜の最初の方に出てくる、
あの文数みたいな記号のことなんですけど。
ええ。
音楽理論を英語で学ぶとなると、
どうしても専門用語の壁ってありますからね。
そうなんですよ。
だから先生も結構丁寧に教えていらっしゃったんでしょうね。
まさにそうで。
で、先生が英語での表現、
つまりその詩文の参拝詩の言い方を教えている流れで、
03:00
ふとこんな逆質問をしたんです。
逆質問。
はい。
そういえば、日本語でデノミネーターって何て言うんだいって。
ああ、デノミネーター、つまり分母ですね、下の数字の。
そうです、分母です。
なるほど、英語研の先生からの、
まあ純粋な好奇心というか。
ええ。
そこで玄太くんは、すごくシンプルに分母ですと答えたんです。
まあそうなりますよね、正しいですから。
はい。
そしたら先生が、じゃあニューメレーターは分詞の方ですね。
そうです。
で、玄太くんは分詞ですと答えた。
ええ。
ここまでは、なんというか、
言語学習の初期段階によくある普通のやりとりじゃないですか。
そうですね、単語の確認みたいな。
でも私このエッセイを読んでいてハッとしたんですよ。
どう言いますと。
私たちって普段、分母とか分詞って本当に当たり前のように口にしていますけど、
急に外国の人から、それってどういう意味?って聞かれたら、一瞬フリーズしませんか。
ああ、確かに。ちょっと立ち止まってしまいますね。
ですよね。
というのも、私たちはそれを単なる音とか記号として処理してしまっていますからね。
いちいち漢字の意味なんて考えていないというか。
まさにそれです。
これって言わば言語の筋肉の記憶、マッスルメモリーみたいなものだと思うんですよね。
マッスルメモリー、なるほど。
脳内の電卓で分母とか分詞っていうキーを、キーボードの文字をいちいち見ずに、
無意識にパーンって叩いているような状態なんですよ。
え、ブラインドタッチみたいなものですね。
そうそう、でもこの英語の先生の質問っていうのは、
玄太くんに、今君が押したそのキーには本当は何の絵が描かれているのって。
ああ、なるほど。
手元を強制的に見せつけたようなものなんですよね。
それはすごく面白い例えですね。
そして非常に興味深いのは、その先生の反応なんですよ。
はいはい。
先生は分母、分詞っていう音を聞いて、へえ、そう発音するんだって終わらせなかったわけですよね。
そうなんです。
ふむ、面白いね。
で、それは何か意味があるのって、さらに一歩踏み込んで尋ねているんですから。
そう、そこなんですよ。
ただの無作為な音の羅列じゃなくて、その背後に何か隠された意味があるんじゃないかって、
先生は直感的に察知したんですよね。
ええ、あの英語のデノミネイターという言葉はですね、
もともとはラテン語から来ていて、名付けるものという極めて機能的でドライな語源を持っているんです。
名付けるもの。
ええ、全体を何個に分けたか、その基準を名付けるという役割なんですね。
なるほど、すごく論理的というか、機能そのままですね。
そうなんです。
だから先生としては、英語はそういう機能で名付けているけれど、
日本語はどういう発想で名付けているんだろうっていう。
ああ、なるほど。
その言語システムそのものへの関心だったのかもしれませんね。
ええ、そしてですね、この質問に対する玄太君の答えが今回の探究の最大のハイレートなんですよ。
06:04
ほう、何記答えたんですか?
私最初は、彼がどうやってこの数学用語を英語で説明するのか、ちょっとヒヤヒヤしながら読んでいたんです。
え、難しいですよね。
なんか下の数字とか上の数字みたいに、物理的な位置関係だけで説明するのかなって、ボトムナンバーとか言って。
なあ、それが一番簡単で直訳的なアプローチですからね。
大人の私たちでも、とっさにそう言ってしまうかもしれません。
ですよね。
ところが、玄太君はこう説明したんです。
はい。
文母がマザーで、文子がチャイルドです。
お母さんが子供をおんぶしているんですって。
わ、なるほど。
これは、これは見事な説明ですね。
どうですか、この説明。
ただ、下にあるのが母という意味の漢字で、みたいな文字の辞書的な解説をしたわけじゃないんですよ。
そうですね。もっと情景が浮かびますね。
ええ。
文数の横線を境にして、下のお母さん、つまり文母が上の子供、文子を背負っているっていう。
はい。
このおんぶという視覚的なイメージを一瞬で提示してみせたんです。
いやあ、なぜ私が今見事だって言ったかというとですね。
ええ。
これが単なる翻訳を超えているからなんです。
超えている。
はい。漢字という言語システムの革新を見事についているんですよ。
ほうほう、漢字の革新ですか。
ええ。アルファベットのような標音文字っていうのは、基本的に音しか表しませんよね。
そうですね。AとかBとか。
でも、漢字は表意文字、つまり一つ一つの文字の中に視覚的なイメージとか概念がギュッと内包されているんです。
なるほど。
げんたくんは、その漢字が持っているビジュアルと文数の上下の構造を頭の中で完璧にリンクさせたわけです。
いやあ、本当にそうですよね。
で、この説明を聞いた先生のリアクションがまた最高でして。
どんな反応だったんですか。
うっとりした顔をした。そうなんです。
うっとりですか。
はい。トロンボーンのレッスン中に文数の話でうっとりするって、なんだかクスッと笑えませんか。
ああ、確かに不思議な光景ですね。
でも、同時にすごく心温まるシーンだなって思って。
いや、本当にそうですね。先ほど私が数学は無機質で感情がない世界だと言ったじゃないですか。
はい、最初におっしゃってましたね。泥臭さがないって。
まさにその前提がここで完全に映された瞬間なんですよ。
ああ。
先生が心を打たれてうっとりしたのは、単なる知的好奇心が満たされたからだけではないと思うんです。
というと。
文数という冷たくてドライな数学的機能がですね、玄太君のたった一言で、親子の情愛という極めて身体的で温かい情景に変換されてしまった。
はいはい、音部の風景に。
論理を説明するための道具に、これほどまでの人間味を持たせている文化があるのかっていう、その言葉が持つある種の詩的な力に圧倒されたんだと思います。
詩的な力、なるほどな。
もしこれをお聞きのリスナーさんが、いやいや、たまたま漢字の翻訳がそうなってただけでしょ?とか、ちょっとした偶然じゃないの?って思っているとしたら。
09:07
ええ。
少し立ち止まって考えてみて欲しいんです。これ単なる偶然では片付けられない深さがありますよね。
全くその通りです。
つまりこれって一体どういう意味を持つんでしょうか。ただの言葉遊びではないですよね。
それがまさにこの出来事を横で見ていたナッキーさんが至った深い気づきに繋がっていく部分ですね。
はい。
これらをですね、より大きな視点に繋げて考えてみると、日本人がこの世界をどう認識しているかという認知のフィルターの話になってくるんです。
認知のフィルターですか。なんだかすごいスケールになってきましたね。
ええ。
実際ナッキーさんもエッセイの中で、考えてみれば日本語は単なる記号の集まりではないのかもしれないって考え始めるんです。
はい。
そして私たちが普段無意識に使っている他の言葉にも同じような情みたいなものが隠れていることに気づくんです。
ほう。例えばどんな言葉ですか。
例えば親指です。
親指。ああ、なるほど。手の指の。
はい。英語だとサムですよね。
サムですね。
他の指、例えば人差し指はインデックスフィンガーとか、小指はリトルフィンガーとか、独立した名称がついてますよね。
ええ。それぞれ物理的な特徴や機能で呼ばれていますね。
でも日本語では一番太くて土台になるような指に親という字を当てて親指と呼ぶ。
はい。
さらに自分が卒業した学校のことを補校って言いますし。
言いますね。
自分の生まれた国のことを補国とも呼びますよね。
いや、これは非常に重要なポイントですよ。
おっ、どういうことですか。
あの、欧米の言語ではですね、対象を独立した客観的なものとして切り離して名付ける傾向が強いんです。
切り離して名付ける、客観的に。
はい。しかし日本人では自分を取り巻く身体のパーツとか、あるいは社会的な所属に対して家族とか親子という最も原初的で深い絆のメタファーを無意識に重ね合わせているんです。
ええ。つまり世界を孤立した点の集合としてではなく、関係性の網の目として捉えているということなんです。
うわぁ、なるほど。そういうことか。だからこそ、分母と分子も全体を分ける数とその一部分というドライな関係じゃないんですね。
そうなんです。
全体を支える基盤を母として、そこから派生する一部を子としている。
ええ。
全体と部分という数学的な関係すらも親子の関係性で包み込んでしまっているわけですね。
おっしゃる通りです。言語というのは単なるコミュニケーションのツールではないんです。
ツールではない。
はい。その言語を話す人々が世界をどう見ているかというレンズそのものなんですよ。
レンズですか?
ええ。文数という概念が西洋から入ってきて、それを日本でどう翻訳してどう名付けるかとなったときに、そこにその文化の精神性とか物事の捉え方が色濃く反映されたわけです。
12:04
なるほどなあ。ここでちょっと考えてみたいんですけど、言語が私たちの思考を形作っているとしたら、この関係性をベースにした言語体系って私たちの論理的思考そのものにどう影響を与えているんでしょうか?
いや、それは本当に素晴らしい視点ですね。
何か違いがあるのかなって。
絶対にありますよ。文母と文子をただの上と下の数字と処理する脳と、母に支えられた子として処理する脳では、論理に対するアプローチ自体が変わってくる可能性があるんです。
アプローチが変わる?
ええ。冷たくて抽象的な概念を一度人間の関係性に落とし込んでから理解しようとする。
はいはい。
これは日本特有の非常にユニークな認知プロセスだと言えると思います。
確かに私自身、子供の頃に分数の計算で結構つまずいた経験があるんですけど。
大きな人が通る道ですよね。
ええ。でもあの時、分数のこの横線がお母さんの背中なんだよって教えてもらえていたら、もう少し数学へのアレルギーが減ったかもしれないなって今本気で思いましたよ。
ははは、そうかもしれませんね。
冷たい記号じゃなくて、ぬくもりのある風景に見えてきますからね。
ええ。そして玄太君はその無意識の認知プロセスの面白さを英語圏の先生に対して最も鮮やかな形で言語化してみせたわけです。
はい。
先生のあのうっとりした顔というのは、まさに異文化の持つ温かさに直接触れた最高のリアクションだったと言えますね。
本当にそうですね。
で、この一連の築きを経てですね、ナッキーさんはエッセイの最後である決意をするんですよ。
決意ですか?
はい。今、留学生に教えてあげようと。
ああ、なるほど。
自分が再発見した自国の言葉の美しさを、今度は自分が架け橋となって誰かに手渡していきたいっていうすごく前向きで温かい結末なんです。
いやー、素晴らしいですね。言葉の裏にあるいわばOS、オペレーティングシステムの違いに気づいて、それを他者と分かち合おうとする姿勢。とても素敵だと思います。
皆さんも、明日仕事の資料なんかで分数を目にしたりとか、ふと自分の親指を見つめた時に、今日のエピソードをちょっと思い出してみて欲しいんです。
日常の見え方が少し変わるかもしれませんね。
そうなんです。無機質だと思っていた日常の景色が少しだけ暖かく感じられるはずですから。
そうですね。そして今回の探究は私たちに非常に重要な、そして少し挑発的な問いを投げかけていますね。
問いますと、挑発的っていうのは?
あの、もし私たちが使っている言葉が、世界の見え方そのものを決定づけているのだとしたらですよ。
はい。
文母と文子に親子の姿を見出す日本の子どもと、純粋な機能として数学を学ぶ英語圏の子どもとでは、論理とかあるいは世界の構造そのものに対する根本的な捉え方が異なっているのではないでしょうか?という問いです。
15:09
うわぁ、それは深いですね。私たちが全然気づいていないだけで。
ええ。
脳の根底では全く違うプログラム、それこそOSが走っているかもしれないと。
はい。私たちが普段、無機質だとか冷たい論理だと思い込んで使っている他の専門用語とか日常語の中にもですね。
ええ。
先人たちがこっそり忍ばせた人間らしいぬくもりとか感慨性のOSが、まだまだ無数に眠っているはずなんですよ。
まだまだあるはずだと。
ええ。私たちが今日、たった一つの分数の記号からこれだけのドラマを発見したようにですね。
自分が毎日どんな暖かいプログラムの上で思考しているのか。
はい。
それに気づくことって、なんか日常の風景を一変させてしまう力を持っていますね。
おっしゃる通りです。
皆さんもぜひ身の回りの冷たい記号の裏側にある隠されたドラマを探してみてはいかがでしょうか。
ええ。
そこにはきっと、私たちが想像する以上の知的な冒険が待っているはずです。
16:11

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