第368回妄想ロンドン会議を始めます。水口です。
清水です。
よろしくお願いします。
ます。
なんでそんな感じなんですか?
今日のトークテーマに乗り切れなかったからです。
Sinちゃんがお忙しかったのでね、仕方がないかなって思います。
そんな正真なSinちゃんですけれども、
そのSinちゃんをね、これを聞いた最後には笑顔にしてあげるように私は頑張ろうと思います。
ので、みなさんも一緒に聞いてください。
なんでこれ。
本日は、ナショナルシアターライブの感想会でございます。
今回のナショナルシアターライブ、レビューさせていただきますのは、
オールマイサンズ、みんな我が子でございます。
みんな我が子。
はい、さらっと流していいかな。
こちらですね。
2025年11月14日から2026年3月7日、ついこの間ですね、
ロンドンのウィンダムズ劇場にて上演されておりました、
イボバン・フォーベさん演出版のみんな我が子でございます。
作はアーサー・ミラーさんということで、
何度も何度も世界中で再演されてきた名作でございます。
そして、ナショナルシアターライブジャパンでもですね、
2019年あたりかな、
そんな前ですか。
20年くらいか、上映の時期、映画での上映の時期がもしかしてずれてるかもなんですけれども、
収録日が2019年5月14日のものですね。
このみんな我が子を一度上映していただいておりますので、
脚本家が同じ作品の別演出家での再演を見させていただいたということでね、
これは大喜利でございます。
しかもみんな我が子。
こちらアーサー・ミラーさんの出世作となった作品なんですが、
初めて見た時の感想を妄想論論会議でもちろん私たち語っておりまして、
それを私ついさっき聞き直しました。
この収録をするにあたって。
そしたら超喜んでた。
255回でですね、語られているんですけど、
しんちゃんこれ聞いたりとかした?
それは聞いてない?
軽く聞いた気がするよ。
本当ですか。
はい。私は聞き直したんですけれども、
アーサー・ミラーさんの作品は端からの長めに続いて2作目だという、
私が、しんちゃんもだったと思うんですけど、
がめっちゃ喜んでたと。
いい脚本だったと。
素晴らしいねって言い合ってたそんな回でございました。
大絶賛してた。
いや、タイトルは知っとるよ。
アーサー・ミラーの名前も存じ上げておりますよ。
ただもう全然未見だったのよね。
なんか古典って面白くないんでしょみたいなさ、
若そうなことを考えていてさ、打ちのめされましたよね。
良かったよね。
もう本当にこれは今でも、
私の本当に心の1位、2位を争うレベルに良かった作品だなと思ってて、
いや心の1位にいっぱいあるんだけど、
ナショナルシアターライブ作品に。
それ1位、2位じゃないと思うよ。
だから、同率1位を。分かる?
同率1位、分かるけど。
同率1位と同率2位がいっぱいあるの。
順位はもうつけられないぐらい好きな作品のうちの1つね。
そうですね。その言語化が一番ぴったりかもしれません。
ありがとうしんちゃん。
なんですね。で、今日はですね、
この再演、再演っていうのかな、ナショナルシアターライブで言うところの。
すごい30何、40何再演ぐらい増えちゃうと思うよ。
いや、もっといっぱいあると思うんですけど。
はい、でですね、
いぼばんほうべばん、いぼばんほうべばんと合ってるね。
はい。
そう、この2019年のですね、
どなたやったかな、演出家さんがなんとかヘリンさんなんですよ。
演出家さん存じ上げなかったよね。
ただね、スティーブン・ダルドリー・チルドレンだったってことだけは存じ上げておりまして、
ジェレミー・ヘリンさんですね。
面白かったよな。
面白かった。
このですね、主に、
劇局はね、どちらも同じですので、
主に2つの作品の違いを、
私がどう見てきたか、そしてどちらが好みだったかみたいなところをですね、
しんちゃんに伝えたいと思います。
皆さん、よかったらお付き合いください。
というわけで、私に感想を与えていただく回となりますので、
ご覧になられてない方もね、一緒にちょっと楽しんでいただければと思います。
そうですね、まるで見てきたかのような気持ちにね、させてあげたら嬉しいななんて。
教えていただこう。
はい、思います。
が、ネタバレ、完全ネタバレでいくんですけれども、
その前にね、どんな作品だったかっていうのをね、しんちゃん忘れてると思うから、
ちょっと軽く触りをいきたいと思います。
覚えてる?
なんとなく、武器少年、あれ?飛行機?
すごい、来たぞ来たぞ、単語が出てきたぞ。
の話だなっていうことぐらい、あとギリギリして泣きそうやったっていう。
そうね、いいと思います。
ヒリヒリギリギリした作品だったなっていうのは覚えてる。
そうね、その感想の記憶はあってる。
あってるね。
感情の記憶はあってるね。
手元にね、パンフレットございますので、ちょっとどんな作品かっていうのを、
もちろん今手元にはですね、2019年版も25年版もどっちもあるんですけど、
2025年版を見ながらですね、ちょっとしんちゃんの記憶をまず紐を解いていく、解いていくところから、
呼び覚ましてもらうところからいきたいと思います。
ありがとうございます。
ではインタロウアクションね。
ナショナルシアターライブ。
え、ちょっと待って。
黙っちゃった。
ナショナルシアターライブ。
なになに。
2026年、ご本部にお送りするのは、現代アメリカ演劇を代表する作家、アーサー・ミラーの出世作、みんな我が子です。
こちらの作品ですね。
第二次世界大戦後のアメリカの小さな町に暮らす、戦争特殊によって罪を成した工場主と、息子の戦死を受け入れられない妻の前に、一家の恐るべき秘密を知る人が来訪し…というね、一見円満に見える家族の崩壊というのをですね、大変のスリリングに描く作品ということでございます。
初演が1947年で、しんちゃん、さっき30、40って言いましたが、ノンノンノンってございます。
あ、これちゃうわ。再演の数が、しんちゃんが言ったのは、ごめんなさい。初演がですね、328公演のロングランだったっていう数字でした。ごめんなさい。
とにかくですね、めちゃくちゃ大好評だったと。
この作品がダメだったら、もう劇作家辞めようってアーサー・ミラーが思っていたらしい。そんなぐらいですね、力を込めたというか、もうなんか最後の一作みたいな。
そんな気持ちで描いた作品で、まさにそれにふさわしいというか、よくぞ、非評価さん達だったりとか、観客だったりとか、この作品を見つけてくれて愛してくれたなと。
本当に感謝せずにいられない作品なんですけれども、当時ね、都任賞の作家賞も取ってます。
おー。
という感じでね、もう今もなお世界中で最上演が繰り広げられていると、そういうことでございます。
戦争終わってすぐに、その戦争で亡くなった息子さんの帰りをずっと待ってたんだよね、お母さんは。
戦争終わって3年、でも帰ってこない、生きてるのかなって気持ちを持ちたいけど、いやもう無理だろうみたいな。
でも、どことこの息子さんは帰ってきたわよ。
そうそう、新聞にね、情報が載るわけよ。何年ぶりに帰還、みたいな。
その気持ちをね。
行方不明だったのに帰ってきたんだって、じゃあうちの息子も、みたいなシーンがすごく痛かったなっていう記憶。
そうなんだよ、本当にまさにそのファーストシーンというか、幕が上がってすぐに新聞を読んでいるみたいなシーンから始まるわけなんだけれども。
そうそうそう、っていう感じの時代背景でございます。
はい。
でですね、今回、2019年版のやつはちょっと端折りますね。
今回の作品っていうのはですね、もうまさに本当に2026年3月まで、ついこの間までロンドンでウエストエンドで上演されてたわけなんですけれども、
あの2026年に行われましたオリビエ賞でですね、最優秀リバイバル賞、あと最優秀女演男優賞の2冠に輝いております。
女演男優賞。
そう、今回ですね、男優賞を受賞したのは息子の長男ですね、生き残っていた方の長男のクリスを演じていらっしゃった何とかエッシー堂さん、パーパーエッシー堂さんですね。
テレビドラマ版のハリーポッターに出演されているそうです。
そうかそうか、堂さんじゃないんだね。
堂さんじゃなかったね。
一番大事な、最も皆さんがきっとあの方ねってすぐわかるというか、その情報としまして、お父さんの小役をですね、皆さんがおそらく知っているであろうブライアン・クラストンさんが演じられております。
えっとですね、ブレイキング・バット。
主演されている、まあまあまあ超超有名なアメリカの俳優さんですね。
そう、なんか舞台とかこれまでなんか出られてたことあるのかな、あ、ブロードウェイとかでも出られてますね。
ああ、だから上手なんだねって今ぺろっと言いそうになった。
どういうことどういうこと。
いやいやブレイキング・バットもなんかなかなかに問題作だなと思って。
問題作よ。
なんか変わった俳優さんだなと思ってたけど、やっぱ舞台やられてるから上手なんだなって。
あ、でもそうかもしらんね、そうかもしらんね。
表現力すげえなっていうのがね、やっぱすごいね。
私はねブレイキング・バットは見ている派の人なんですけれども、でもあのちらっとしんちゃんにね喋ったことあるけどね。
めっちゃ好きな作品最後まで見れない派の私はまだブレイキング・バットの結末を知りません。
終わっちゃうのが嫌なんだよね。
終わっちゃうの嫌なの見れないのよ、そうなんだよ。
だからちょっと見ないといけないなと思いながらもう10年以上経ってるね。
もうそろそろエンチャーか。
やばいね。
そんな感じだよね。
っていうあのブライアン・クラストンさんがお父さんを演じられております。
ザ・アメリカって感じの方で。
他のキャストさんは結構イギリスの方かなが脇を固めてらっしゃるっていう感じだったんですけれども。
そういうところで言うとね、息子役今回のパーパ・エシードさんっていう方が10円弾優勝取られてますけど、
その2019年に見た私たちのね、見た番の息子役を演じられていた方ね。
魔術師マーリンに出演されてたコリン・モーガーさんなんですけど、彼のことも激褒めてた。
だからやっぱりこの息子役っていうのは、やはりそのちょっとこの舞台の引っ張っていく役割の方でもあり、
この役柄そのものが役者を魅力的に見せるのか、それともこの役はとても重要だからこそ、
ここにその実力のある方が当てがわれるのか、そして実力を発揮するのか。
それは分からないんだけど、本当にちょっと今回の息子さんもすごくいいなと思いながら私は見た。
感情の振り幅すごい役よね。
そうなの、そうなの。この作品っていうのが、ちょっとミステリー要素があるというか、
まさかそんなことを見ている私たちも気づかなかった、考えもしなかった方向にどんどん話が進んでいって、
実はこうだったのか、あいつが実は悪い人だったのか、いやこっちなのか、本当は何なの、真実はどこなんだっていうところに、
最後は感情がすごく揺さぶられる。
嘘をついているのは誰なんだみたいな。
そうなんだよね。
別に謎解き物語ではないんだけどね。
それはもう感情で全部持っていかれるんだけど、
いやいやでも誰の言うことを信じたらええねん、誰の言うことも信じたいねん、みたいな。
そうなんだね。
すごい深い作品やなと思うけど、それをやっぱり長男の役の人、長男のキャラが結構感情をバーンと出していく印象があったな、確か。
そうだね。
私たちと一番近い立場にいるのがちょっと長男かもしれないっていう、情報を知っている量として、幅といいますか。
なので長男が感じること、驚きだったりとか、その時に抱く不信感だったり、
あとこれは正しいことなのか、それとも悪いことなのかって葛藤するあたりだったり、この悲しみだったり絶望だったりっていうのを本当にシンクロして見れるかどうかっていうのはこの長男役の方にかかっているなって、今回も見ながらすごく思ったね。
しかも、それを料理したのが、
いわばんほうべいさんでございます。
いぼさまでございます。
あの、いぼさまでございますが、
さまづけになったんですね。
神ですね。
みわさま的な感じ?
いぼかいの神ですね。
いぼかいの神、なんだいぼかいって。
彼はですね、えっと、
2016年にナショナルシアターライブで上演された橋からの眺め、
こちらですね、鮮烈な、
なんて言うんでしょうか、ナショナルシアターライブデビューをされました。
鮮烈すぎて踏みたわ、もう。
なんじゃこりゃ。
で、その後もヘッダがあぶれる、あとイブのすべてということで、
かなりですね、ナショナルシアターライブに登場回数の多い演出家さんで、
特徴としてですね、
極限までそぎ落としたシンプルな舞台装置で役者の演技やセリフを浮き彫りにするステージングが特徴とパンフに書かれてますが、
本当にその通り。
浮き彫り。
浮き彫り、初めて見たこの橋からの眺めで、
同じくね、アーサー・ミラーさんの劇局なんですけれども、
もう、ど疑問のカラリータというか、口アングリーっていうか、
もう、イスーっていう感想しか出てこないっていう。
イスーでしたね。
あれは素晴らしかった。
そう、今はね、もうやってないんですけど、その年のマフターの、私たぶん1位にしてますね。
ああ、そうだったね。
マフター、懐かしいでしょ?覚えてる?またやりたいね。
再開しないといけない。
はい、そう、再開しないといけないなと思うんですけど、
今回もですね、舞台美術、あと照明、あと一緒、王などなどですね、
このいわゆるイボバンホーベ組と言われるですね、おなじみの声優クリエイターさんたちがですね、
今回もまあまあ象徴的なステージを構築されていらっしゃいます。
その削ぎ落とされた装置演出の中で、この役者たちがどうですね、見せてくれるかというのが、
イボさん版を見るときのなんとも楽しみなポイントの一つで、
特にこのみんな我が子ってこの作品は、評価さんたちに言わせると、
この超自然的写実主義と言われる表現方法で、この2019年版のみんな我が子は演じられました。
この一家を象徴する、ザ・アメリカのお家がどーんとあって、その前にお庭があり、
そこは置いてあったりガーデンテーブルがあってっていう、
照明ともあと音響とも観客が気づかないごくごく自然な魅力効果、照明効果をもって、
そこでまるで本当にそこに家があり、人々が住んでるかのような、演技とかじゃない、そこにいるよねみたいな感じの、
そういうナチュラルさっていうのを大事にした演出で、2019年のやつは演じられてました。
これ非常に批評家さんたちにもちろん好評だったんだけれども、いささか普通すぎるっていう評もありました。
ただ私はそこが素晴らしいなって、普通すぎる演出界の中でも突出して普通だったなと、
そこが本当に賞賛に値するなと、2019年のレビューは私たちもそう言ってました。
ごくごく自然に上質にあったらこうなるんだろうなっていう、
一番私たちに素直に受け入れられるものを最初に見れてよかったなって思った。
技術的にはすごいんだよっていうね。
そうなのよ、あれを舞台、何もないね、屋内でね。
だってあれ全部ひっべかしたら木ですわ。壁ですわ。
壁がありますからね、そうですね。
なのでそういう演出のみんな我が子と、2026年イボ版ほうべさん版のみんな我が子っていうのも確実に演出が180度違うだろうなって、
もちろん私はそこを期待していきました。
で、今回このホーヴ版を見るにあたりですね、どこまでソリッドでアバンギャルドな演出を見せてくれるのかなっていう。
あとはもう端からの中身にあったように、そこで感じたようにこの技曲の解釈自体を変えてしまうような、
そういう演出すら、技曲は変えることなくでも演出で解釈が変わるみたいなさ。
あり得るからね。
あり得るあり得る。それをね、めっちゃ期待していったんですよ。
さあ、果たしてどんなのだったんでしょうかっていうのを語りたいんですけど、ネタバレ返していきますか。
はい、お願いいたします。
はい、じゃあしんちゃんネタバレスイッチお願いいたしますね。
私はネタバレません。水口のネタバレスイッチ、オン。
溜めましたね。ネタバレスイッチオンでいかせていただきます。
いけ!いや違う、来い!
行きますね。これに関して言うと、どこから行こうか。
何聞きたい?何聞きたい?
演出的にぶっ飛んだものだったのか、異謀的に、これ異謀なの?みたいな意外性を持ってきたのか聞きたい。
写真見てる限りではね、ちょっとね、チラッと写真見たんですけどね、家じゃねえじゃんっていう。
え、何じゃねえって?あ、家じゃねえ。そうなんです、そうなんです。
舞台は結局、素舞台に近いぐらいの本当に裸舞台って言ったらいいのかな。
で、真ん中に倒木がドドンと横たわっておりまして、その奥に壁一面、真ん中に丸い窓が開いてるみたいな、そんな感じね。
それが全てのセットです。家はないです。家は想像してくれと。一応、奥に出掛けができる扉はありましたね。
それはもうないと人通れないからいいんだけど。
これで何をやったんだよっていうぐらい、色合いもね、想像してるので違うのよ。
あ、確かに。シックよね、すごく。
何て言ったらいいんだろう。なんか古い写真みたいな感じかな。ちょっと薄暗いような。
そうなんです。基本さ、いぼさんの作品は薄暗いんだけど、今回も暗かったです。
で、最後はもう暗さの極みで、なんかもう青くて暗くて見えなかったです。
で、夜なんでね、最後のシーンは。
あー、暗いなーみたいな。めっちゃ暗くて、暗すぎてちょっと見えないところまであったんですけども。
大丈夫か。
大丈夫です。それをね、いかにね、映像として記録に残すかって多分だから、めちゃめちゃ頑張らなかったと思うよ、アナソニーシアターライブのスタッフさんたち。
あれね、実際の劇場で見てる明るさとさ、映像の明るさって、映像がもう断然にこう暗くなっちゃうから、すっごい高いカメラを使ってるじゃない。
カメラの限界に挑戦になってくるからね。
そうそうそう。センサーがね、こう、あの、喧嘩売られてるって、あの、そういう感じの、さっき何の話よ。
じゃあちょっと結論だけさっき言わせてもらっていいですか。
はい。
まあそういうね、舞台だったんだけども、あのー、今回その私が言ったね、どこまで、あのー、アヴァンギャルドな。
はい。
このアヴァンギャルドっていうか、ちょっと合ってるのかわからないけど。
アヴァンギャルド、そう、センセーショナルな。
そう、ソリッド、そしてこうミニマム、ね、こうこれにしてもらえるかな、みたいな、そう、思った後、劇局の解釈変わっちゃうかな、わくわくわく、みたいな。
うん。
ファーストインプレッションは最高やったよ。あのね、まず、えっとー。
やったよ。
まず、ちっちゃい覚えてるかわからへんねんけど、あの、2019年版のやつはね、最初に、あのー、写実的なセット、そこにですね、あのー、これが唯一の、えっとー、自然ぽくない演出っていうか、演出効果だったと思うんだけれども、
こう、ちょっとこう昔の映像、なんかテレビのブラウン管みたいな感じで、ちょっとこう、あの、これ今からやるのは昔の年代の話ですよ、みたいな感じ、映像がちょっと落ち下されるわけ。
で、それが映し出された後に、こうなんだろうかな、こう明るくなって、あのー、すると、こう家が現れるみたいな感じのね、そういう見せ方だったんだけど、すでにその木は倒れてるわけ。
この木っていうのは何かっていうと、あのー、前日の嵐で倒れてしまった、あのー、リンゴの木とかなのか、なんだけども、これは、えっとー、ラリーくん、弟ですね、が、おそらくはこう、戦死したと思われる年に、3年前ですね、に、追悼のために植えられた木だったと、うん、うん、いうことなんですよ。
これがですね、えー、前日の嵐によって、倒れてしまった。で、まあ、お母様と、あとお隣のね、先生術がめっちゃ好きなお隣さんがいたんだけど、覚えてる? うん。
まあ、これはきっと吉兆に違いないと。追悼のために植えた木が倒れてると。これは良い知らせやぜ、みたいな感じになるところから始まるんやけど、あのー、今回のこのイボ版ではね、いきなり嵐の中、その木を、こう、お母様が、こう、支えてるみたいな。支えてるっていうか、この木に寄り添ってるみたいな。で、木が実際に倒れるっていうところから、スタートするんよ。
あー。
それを見せるの、最初に。
いや、もう、なんかもう、今聞いてるだけでさ、イボもイボやけどさ、アーサーもアーサーやな。
どういうこと?
意地悪い設定。
いやいやいや、だからあの、あの、あれよ、この、あの、倒木が倒れるっていう設定は、あのー、見せるって決めたのはイボさんよ。
そう、だからイボもイボやと思うんやけど。
そうね、そうね。
そもそもこれを描いたアーサーもアーサー。
確かにね、確かにね、すごいよね、意味深。そう。で、それをいきなり見せられるわけ。え、こんなんやったっけ?みたいなところから、私はもう、もちろん始まるし、こう、すごい嵐で、うわー、みたいな。
で、それで、あの、大きなね、しんちゃん、あのー、舞台写真で見たと思うけど、倒木。
いや、舞台一面綺麗ですわ、舞台。綺麗ですわ。
上手から下手までですね、大きな、あの、倒れた木がこう、わーっと。
何かと思ったけど、最初。
そうそうそうそう。なんかね、ちょっとオシャレげなね、現代アートかなと、あのー、言っても過言ではない、あの木がですね。
それがね、よーできてんねん。もうその後、私もその木になって木になって、あの木の根元、あーちゃんと倒れるように、あ、蝶津貝ついてんねやわーと思いながら、ちゃんと化粧して貼るわと思いながら見てたんやけど、
すごいセットやなーと思ってね。倒れる様を見せてくれるわけよ。
おそらくたくさんの、あの、アーサー・ミラー、みんな我が子ファンが、木属用を見ながら、もしくは、あのー、これまで数々演じられてきたみんな我が子を見ながら、
ああ、あの木が倒れた、へー、どんな感じだったんだろう、すごいやらしだったのかなとかさ、想像に思い描いたことと思いますが、いぼさんこれを見せてくれました。
なので、これは大きな、なんていうのか、付け足し要素、私の中では。
まあまあ、独自演出要素だね。
削るはずの、削り、何かといえば削っちゃう、あのー、アーサー、アーサーじゃないや、いぼばんほうべさんが、あ、付け加えて木おったな、みたいな。
で言ったら、ヘッダラープレルの時にさ、なんかめっちゃ大量の花とかがブワーってあった。覚えてる?
なんかあれも、ちょっともしかしたら付け足し要素なのかな、みたいな感じの、思ったんだけど、そんな感じで、こう視覚的にですね、付け足してこられております。
うん。
はい。で、その後はもう倒れた木の、木と、あとまあ人々。
うん。
で、お話がちょっと続いていくわけなんだけれども。
うん。
あのー、やっぱね、あ、見た目、見た目にはって言い方おかしいけど、あの、美しいなあと思って、もう絵画のようだなって。
さっきも言ったけど、現代アートみたいだなって、綺麗だなあと思って見てたわけ。
うん。
で、あのー、これね、長々喋ってますけど、あの、私の結論ね、今言おうとしてるけれども。
じゃあどうやったのかっていうと。
まあその、全面的にこう抽象化された舞台、美術。
うん。
ね、あとちょっとこう、イボバンホーベらしい、不穏な音楽、音響。
はい。
そして、あのー、全体的な、なんて言うんですかね、えっと、まあ照明とか。
うん。
まあ音響、そのアクセントね。
ここで今それ来るみたいな。
うん。
なんか、ババンみたいな。
そういう、このいつものイボバンホーベらしさはあったんやけども。
うん。
なんか、全体としてはね、脚本のイメージにめっちゃ忠実で。
ほう。
で、さっき言った技曲の解釈自体は変えてしまうみたいな、変えられてしまうみたいなところは特に感じず。
まあそれは、なんかこう、忠実にこのイボさんが脚本をこの舞台に起こしたところあったんだと思うんだけれども。
うんうんうん。
あのー、やはりね、その端からの眺めほどの衝撃は受けなかったんですよね。
なんか2つ比べるものがあって今回、イボバンホーベの2026年版、今回のやつを中心として。
19年版のみんな我が子、シャキシャキな演出ね。
それと、あと端からの眺めで見たイボバンホーベ作品。
なんか2つ比べながら私は見まして。
うんうんうん。
まあそうだもんな。
言ったら、その端からの眺めってこの引き算の美学がもうバチバチに効きまくってた。
それがね、あのさっきも言ったけれども、冒頭に嵐のシーンを足したりとか。
あとラストもね、ちょっとあのー、どうだろうこれ、ふんすん的に話せるのかな。
ラストの演出も、なんかあそこ足しちゃうんだっていうところがあって。
あとなんかね、音楽がね、間にずっと流れてた音楽がもう気になって気になって。
なんかちょっと余計な付け足しみたいなのが、削ったのにそこ足すんやみたいなところ、私には感じられてね。
いやなんか、前の作品でもなんか不穏な音楽がずっと鳴ってる。
音楽とも言えないような音が鳴ってるみたいなのがあったんやけど。
じゃあね、今回マジ音楽やね。不穏な音だけじゃなくて音楽流れにね。
劇場で聞いてるボリュームと違うかもしれないなっていう気はちょっとすんねんけど、どうなんだろうね。
ただ気になってしまうと、ちょっとだいぶノイズやな。
そうなんだよね。一応その辺気になったから、各種のレビューとかも全部チェックしたんだけど、やっぱ音楽に言及してる方はもちろんいらして。
テレグラフで演出の注ぎ落とされた焦点を評価する一方、劇半額は不要な感情の小月と、ここだけが唯一の不満を漏らしておりましたね、音楽に関して。
なんだよね。そうそうそうそう。
おそらくなんだけど、この作品は世界中で何度も再演されてきた作品やから、シェイクスピアとかと同じようにさ、最初に見たものっていうのがその人にとって最高の作品になりがちやと思うのね。
この劇局みたいなミステリー仕立てというか、な作品っていうのは結構その傾向が強いんやろうなと思うので。
なので、私にとってのこのファーストみんな我が子っていうのは、やっぱりヘリンさん版やったな、2019年版やったなって、はっきり分かったっていう。
そういうところもありつつ、あとはその、やっぱりこのすごく抽象化されてたのね、このみんな我が子っていう作品が。
そうだろうね、このセットだからね。
そうそうそう、褒美版の演出では。だからなんかなんていうのかな、すごく普遍的なものに逆になるというか、これからも語られていくっていうか、なんていうか神話みたいな感じに感じるっていうのかな。
なんかシェイクスピアミーすら感じるというか、何かが何かを暗示してるのかなとか、なんかその、あと現代社会にちょっとこうつなげて考えるっていう部分も、なんかこう教訓めいたことだったりとか、なんかそのあたりがすごくこうつながって感じちゃって。
で、前回はこの戦後の時代に、こうまざまざと、この頃こうだったんだな、こんなことがあったかもしれないんだなっていうのを見せつけられたけど、今回見た作品では、なんかこの演劇作一つの、なんかこう抽象化された演劇作品として、どの時代でもない、この時代設定っていうのを取り払うの無理かもしれんけど、
なんかこのシェイクスピアにおける、ジーンズ版、普段着版ハムレットみたいな感じのをやっても、それでもいけるんじゃないかって思わせられる、そんな感じの作品やって。でもそれやりきっちゃうやったら、そこまでやっちゃってほしかったな、ほうべさんみたいな。でもそういうつもりでイボ版ほうべさんもやってないと思うからあれなんだけど、あのソフトな感じでした。まとまってね。
そうなんだろうな。
あとはなんか、イボ版ほうべだからっていうので、この木をね、ババーンって象徴として置いてるっていうのは、あ、ほうべさんらしいなと思う一方で、
言うてな、これ3年前に追悼のために植えた木っていうので、前回の2019年のみんなよが子では、そこまで木の存在をずっと注視していないというか、時々語られるっていうか。
だってあの木が倒れたからってたまに言わはるみたいな。
でもなんか今回はずっとその木があって、で真ん中でみんなそこで座ったりとか、話したりとかしてて、なんかそこまでの木じゃないのになんか逆にちょっとこう、大げさというか、いうふうに私はちょっと感じてしまったんだよね。
うーん、ちょっとトリッキーかなとは思った。
うーん、他に置くものなくて、これにしたんかなみたいなね。
そう、みたいな感じに、すいません、ちょっと結論から話しちゃって、申し訳ないんですけれども。
ただ、
どうぞ。
いやいやいや、ただ決して悪かったかと言われたら全然そうじゃなく、ただやっぱりね、最後の部分にはちょっと触れたいんだよね。
これはちょっとしんちゃんにもジャッジを仰ぎたいので、ちょっとですね、一旦ここで続きのところに行こうかなと思うんですけど。
はい、では。
とりなおし、いいですか。
はい、もちろんです。
後半戦に行きたいと思いますので。
では後半に続く。
はい。
はい、というわけで後半戦でございます。どこまで話したっけ。
えーと、そこまでセンセーショナルではなかったという話から、最後のシーンがどうなったか。
あー、そうなの、そうなの。これな、最後のシーン覚えてるしんちゃん。
はい。
どんなんでしたか。
結局誰が悪いとかっていう話で散々もう家族が崩壊して、
急、その時の演出ではもう急にお父様が、えっと、何あれ、ライフル?
銃でね。
銃で自殺するっていうシーンで終わったね。
そう、そうなの、そうなの。そのシーンよ、問題のシーンね。
はい。
えーと、それはアーサー・ミラーさんも明確に書いてたそうなんですが、
と書きに、そのオフステージで銃声だけが鳴り響くっていう、
その、舞台上でその自決するシーンっていうのを、姿っていうのを見せないっていう、
と書きのみでやられている。
うん。
お家の中に何気なく入っていったと思ったら、銃声だけがガーンって聞こえて、えっとなるっていう。
そうそう、そうそう。
衝撃。
そうなのよ。
すごかったね。
すごかったよね。
そう。
私もさ、そのシーンはもうめちゃくちゃ覚えてたからさ、最後こうなるんだよなって思いながら、
いつ来るのかね、いつ来るのかなって。で、どういう演出になるのかなって思って見てるじゃない。
うん。
さあ、どういう演出になったでしょう。想像して。
出てきた?もしかして。
想像して。
ほとんど出てきた?
いや、あのね、半分出てきたね。
シルエット?
あ、そう、あの真ん中に開いてるめっちゃ大きい窓やんか、あるやんか。
はいはいはいはい。
あそこを、まああの、ちょっと上着取ってくるわって言って。
まあその要は、あの自分の罪を認めて、なんか出頭しようみたいな話になって。
で、その前に、じゃあ上着を取ってくるみたいな感じで、こう家の中にね、入ってくわけ、お父さんが。
で、あの、まと書きにもあるんだけども、あの自決したのは2階のお部屋ということで。
なので、その2階に向かう、そのお父様の様子を、この真ん中に開いてる、この大きな円形の窓。
まあ月にもなり、ここから太陽にもなりっていう、そういうこう抽象的な見立ての、あとまあお家の窓にもなりっていうね、そういう舞台セットだったんだけれども。
お母様が立ってたりとかっていう。
あ、そうそうそうそう。家の中がね、そこからちらっとこう垣間見えるみたいな。
うん、そんな感じなんだけれども。
そこをですね、シルエットのお父さんが横切ります。
あ、お父さん2階に行くんだなっていう。
で、まあその、ままさかね、いぼさんがさ、そこの真ん中にね、お父様を立たせてね、まさかの自決のシーンをシルエットで見せるなんて、そんな野暮な演出するわけないじゃない。
と、信じてるよ。
そうそうそうそう。なので、こう通り過ぎたなって、通り過ぎたなって思って。
で、そしたら通り過ぎた、それから何秒か後よね、にバーンって銃声が鳴り響いて、ハッとなってみんなが2階を見上げる。
そしたらですよ、私これ、まさか私だけが見て幻なんかなって、今でもちょっと信じられへんことが起きてんけど、言っていい?
あの、円形のさ、丸い窓ね、でっかい窓は、舞台のど真ん中。
ど真ん中っぽいね。
ど真ん中ね、壁の、壁側のど真ん中にあります。奥側のね。
で、そのお父さんはさ、えっと、下手から上手に歩いてたわけ。舞台向かって左から右手に向かって。
で、右にお父さんがいる。そこで自決したってことはわかった。
そしたらさ、その丸い窓のさ、向かって右側の下のところから、黒いなんか影が見えて、え、何?って思ったら、
あの、お父さん、シルエットのお父さんがですね、こう這い出てきて。
え?
あの、たとえ本当に悪いねんけど、これ以外思い浮かばんからちょっとこう言うと、
貞子?
よく分かり、貞子のようにですね、お父さんが這い出てきて、黒いお父さんが。
で、ドシャンって1階にですね、落ちるんです。で、みんながわーってなるっていう。貞子のお父さんよ。え?と思って。
で、私、まあこれは結局その後に、シルエットのお父さん、まあだから幽霊となったお父様ですね。
が、まさかのシルエットの状態で真ん中に立たれたので、あ、これはまあ小道具というか、人形的な何かだったんだなって思って。
あの、決してですね、お父様本人が落ちたわけじゃなかったので、そこはなんとなくこう、ああ、よかったねって思って。
ブライアンさんじゃなかったねって思って、ほっとしたんやけど。
毎回骨折や。
やだんけど、え?本当かなと思って。みんなこの演出について、この、私一番野暮な演出だなと思ってて。
なんか、これについてね、何もみんな言ってないのかなと思って、知られまくったの、海外の劇評。それについてはみんな書いてなかった。
さすがにネタバレというか、ちょっと具体的なね、その表現に言及することになるから、だったと思うんだけれども。
お父ちゃん落ちていきますわって。
驚きと思った私。イボさんみたいなさ、なんかイボさんってでもさ、そういう、なんかこう、演出の強弱つけるのもすごくお得意というか、好きな方で、
その今回でもあったんやけど、覚えてるかな。元、戦死したと思われる弟の婚約者だった、あんちゃんって言って。
で、あんちゃんのお兄さんっていう方がいてね。そのお兄さんが、3幕かな、2幕かな。
で、やってきて、実はみたいな、その、服役中の自分の父に会いに行った。
けど、そこで真実を知って、で、そのあんが、その、まあ、ラリーと元々弟と婚約してたけど、お兄さんと今、結婚しようとしている。
その状況を止めに来るっていうシーンがあるんだけど。
そこで、まあね、イボさんね、よくされるけど、その、まあ客席から登場だったんですよ。
その時に、もう、え、なんか事故かなって思うぐらいの、なんていうのかな。
えっと、テレビを見る時は部屋を明るくして見てねって出るやんか。
アニメとかのさ、時、チカチカする演出が。
いい子は明るくしようね。
そう、チカチカする演出があります、みたいな。
もうなんか、それのなんかもう、ピカーンみたいなさ。
え、今まで暗かったのに、この目眩まし何?みたいな急な光がバーンって走ってさ。
バシンバシンバシン、え、何来たん?みたいな。
で、お兄さん登場みたいな感じだったんだけど、なんかそういう、ちょっとこう、あの、そういう。
それは何を表現してるの?
うーん、だから、まあ、何でしょうね。
お兄さんの登場を印象付けたかったんじゃないですかね。
え、それで、なんかその暗かった物語に一場の光が射したとか、そういう関係性に変化が見られる。
いや、不穏なところにさらに不穏なものがやってきたみたいな感じだったけどね。
不穏なものとして。
不穏、不穏だった。
お兄さんの様子もおかしいし、なんか、うん、めっちゃ怒ってるし、みたいなね。
まあそうやねんけど、なんか他にも、信長覚えてるかな?ちょっと分からへんねんけど、このお兄さんは結局そのやってきた時に、その妹が今まさに、
主役の根源というか、もう大黒幕は、その嬢さん、クリスのお父さんが起こした、起こしたっていうか、嘘をついていたっていうのが、それが一番のこの物語の肝であるところなんだけれども、
そして、それが本当に嘘をついているのか、それとも嘘をついていないのか。いや、実はいい人なんじゃないかとか。そうは言っても、今までこう長いこと、こう家族ぐるみで過ごしてきた、このお父さんが、あのお兄さんね。
いや、実は、いや、嘘をついているのは、自分の父なんじゃないか。服役中のね、父なんじゃないか。でも父に、あの話を聞くところによると、これはおかしいぞと。実は自分の父は騙されて、はめられて、今服役ずっとしてて、本当に嘘をついているのは、このクリスのラリーの父なんじゃないか。
っていう疑惑を持ってやってくるわけ。で、その後も、話しながらね、こいつは本当は悪いやつなんだっていう、今すぐお前帰るぞ、あ、ニューヨークに帰るぞ、みたいな感じで、お兄ちゃんはやってくるんだけど、でもこう話しているうちに、で、あの嬢さん、お父さんも出てくる。で、あの奥さんも出てきて、一緒に話してる。うちに、やっぱり父が悪かったのかな、みたいな心揺れ動くわけ。
で、でも決定的な一言を言ってしまうのね、傾いてたのだいぶ。もう、あの、そっかって、やっぱり父が悪かったのかな、みたいにお兄ちゃん思って、落ち着いて、じゃあ食事でもっていうときにさ、嬢さん、お父さんが、あと奥さんが決定的な一言を言ってしまって。
で、まあ何かっていうと、しんちゃん覚えてるか分からないけど、一応こうリマインドのために言うとさ、あの、えっと、まあ要は何かっていうと、お父さんが経営していた工場で飛行機の戦闘機に乗せるためのエンジンを作っていた、そのエンジンに欠陥品が発生したんだけれども、その欠陥品をそのまま納品して、それで作られた飛行機に乗った、えっと、何、戦争に行ってた人々のこと。
何て言う。
兵士?
そう、兵士たちが。
兵士たちが飛行機の欠陥に墜落して21名亡くなっちゃった。
ということで、その工場は罪に問われるんだけれども、裁判の結果悪かったのは、その時に工場の運営を任されていた主任である安のお父さん。
その人が悪かったと。そこに彼が独断で起こしたことであり、その時に工場主である上、上さんは病気で家にいて伏せていて何もできなかった。
だから、それで罪を免れて、一旦は逮捕されて、聞き取りとか調べられたりとかするものの釈放されて出てきて今なのに、一方、当時の主任だった安のお父さんは今も刑務所の中で服役中と。
それが実は嘘だったってことが分かる一言っていうのが、奥さんが妻がこうポロって言った、そうね、もうこの人15年間風邪ひとつ引いてないんだよみたいなこと言うわけ。
その時にハッてなって、今なんて言ったって言ってさ。あの時に病気で伏せてて、それで何もできなかったんじゃなかったの?って言う。それで罪を免れたんじゃなかったの?って。元気だったの?何してたの?っていう。
そういうシーンなのね。そこをですね、長かった。ごめんね。洋さんは15年間風邪ひとつ引いたことなかったですもんね、みたいな。ごめんなさい、こんなセリフじゃなかったと思うけど、こんな感じの。
奥さんと嬢が母って舞台面でね、言うわけ。その時にまたのみたいなさ、ドーンみたいな。多分あれは心情を、庵野お兄ちゃんの心情だと思うんだけど、ドーンっていう照明と音響の暴力をですね、そこにバーンってぶち込んできて、びっくりしたみたいな。
で、なんていうのかな、しんちゃんやったことないかもしれないけど、逆転裁判でさ、イギアリーっていうボタンを押すのね。あるんよ。
どんどんって、絵が出てくるやつね。ボコヨヨヨンって。
そんなんやったかな。誰か被告人の証言中にね。
今嘘ツイッターでしょ。
そうそう。見つけたら、ボーンってテンション上がってさ、イギアリーってボタンを押すと、それまで流れてたバックミュージックとかさ、証言でピラピラピラピラピラピラピラピラピラみたいな音がピタって止むっていう、そういう演出があるんですけど、逆転裁判ってゲームで。
まるでそれでしたね。逆転裁判見てるんかなと思って。
いぼさんやったんじゃない?
もうすっごいビカーみたいな演出入って、なんか嫌いじゃないねん。嫌いじゃないねんけど、なんかちょっとその。
でもなんか、聞いてる一生やと、まさかいぼがって思う。
いや、ごめんなさい。逆転裁判の例えは私が悪かったのかもしれないけど。
いや違う違う、その前から、おや?って、そういう衝撃なのか?って。
まあまあ、変な人なのは重々承知なので、私は3作品見て、あ、もうよっぽど変だわ、この人ってずっと思ってるから。
私の変な方向性が、なんか静かに狂っていく方とか、ギリギリギリギリする方向やと思ってたら、なんか急にビックリハウス入ったみたいな。
まあそれがいぼ的に意外といえば意外なんやけど、なんかそっち方向なんやっていうのに、ちょっと今びっくりしている。
そうなんよね。なんかそれがなんかね、ちょっといぼ的なように見えていぼ的じゃないというか、なんかね、私はちょっと違和感を覚えたと言いますか、ちょっと過剰やなーって思ってしまったのね。
うん。なんか、どんな演出があったんやろうって。他の演出家さんがね、違う演出でそういうことをやられて、びっくりしたーってなるのはあるかもしれないけど、いぼさんが。
やらんと思うけど。
いぼさんがやったって聞いたら、自信なかったんか?とかって。
いやー、そんなことはないと思うのよー。だってね、ほんとに評判もよくですよ。リワイバル賞もね、もちろん取ってらして。
そうだもんなー。
いいのよ。すごくいいのよ。いいんだけど、なんかちょっと期待しすぎていた自分というのもいて、嫌いじゃない。嫌いじゃないし、好きなとこいっぱいあんねんけど、前っていうならちょっとそこが気になっちゃったなっていう。
なので、もしかして私がこれをさ、初めて、私のファーストミンナー学校がこのいぼさん演出版やったら、もちろん大絶賛やってやろうなっていう、何の文句もないっていう。
ただやはりこう、どうしてもその2019年版と比べて、あと端からの眺めと比べてしまうっていう、そこの部分においては、ちょっとそういう感想を持ってしまいましたっていう、そういう報告かな。
なるほどなー。
そうそうそう。そうなのよね。
こっちも変わっとるけど、いぼさんも変わっていっとるからな。
もちろんもちろん。10年ぶりやもんね、端からの眺めとすると。
いやー、なのでねー、いや、すっごく興味深かったんよ。非常に。
面白かった。
フライヤーとか見てるとすごい面白いなぁとは思うんだけど、
おすましというか、どちらかというと冷たい表情をしたご夫婦2人の奥に、笑い合っている家族の肖像があるみたいなね。
あ、ほんまや。
全体的な、多分おそらく普通のフライヤーなんだと思うんだけど、
これはちょっと何か不穏な匂いがするぞっていうので、すごくいいフライヤーだなと思うので、
多分そういう作品やったんやろうなと思っててんけど、そんな仕掛けがあるとは思ってなかったので、ちょっと面白いね。
いや、面白かったね。
だから演劇作品として本当にこの2つを見る、同じ劇局でこういう表現の違いあるんだって思える。
ハムネットとかではね、よく今回はどんな演出なんだとかって思いながら拝見するのも楽しみになってきてるけど、
いわゆる、言ったら現代の話でそういうことってあんまね、できる機会もないから贅沢だなっていう。
そうなんだよね。
あとはね、安役の方が、
私その2019年版の自分の感想を聞いていて、初めてわって思ってんけど、
2019年版の方の、安の見せ方の方が私は好きだったかもしれないっていう感じです。
何がどう違ったのかな?
なんかね、2019年版の私はね、
2019年版のあなたじゃない。
それはただ単に普通に2019年に生きてる君やな。
2019年版のみんな我が子を見た私はね。
ありがとう。でかくにありがとう。
なんかあの感想で、
安自体が結局最後の最後に安がラリーからもらった手紙っていうのをずっと持ってて、
なので安は全てを知ってたっていう、
ラリーがもう死んでしまっていること、実はそのお父さんが逮捕された時にね、
その時に新聞に載って、お父さんはその後は釈放されるんだけれども、
そういう欠陥品を作って、そして売ってしまい、
21人もの戦死者を出してしまったっていう、
それもお金儲けのためにやったと。
欠陥が出ていると分かっていながら売りつけたっていう、
その事実にすごいショックを受けて、
お父さんはそれで、明日出生しますが、
でもおそらく自分は戻ってくることはないでしょうっていう風な手紙を、
当時の婚約者の安さんに送っている。
だから安は初めから何もかも知っていて、
もうまずラリーは死んでいるってことも分かっていて、
で、あの、
まあその、実は。
衝動根源が誰がやったっていうのね。
っていうのも、薄々感じてるっていう、そういういろんな。
でその、いろんな歪みだったりっていうのも感じながら、
でもそれも全部ひっくるめて、
でもお兄さんと結婚しようとしているっていう、
そういう状態に安はあったんだけど、
その2019年版を見ていた私は、
なんか所々に、
あれ、なんで安って今この話を聞いて、
なんか驚かないんだろうとか、
なんでこんな話を聞いて、
これ、ここでこうするんだろうみたいな、
なんか疑問が結構沸いてたみたいな、
それが最後の手紙を読んで、
知ったことで、
あ、だからかっていうふうに思えたっていうふうに言ってるんだけど、
今回はね、全然そんなこと思わず、
あの、なんか、もちろん結末知ってたっていうのはあるんだけれども、
なんかそこに関して何も思わなくて、
むしろ、なんか、確かに、なんでって思うとこあったんやけど、
それは、なんかなんで、
それもなんか感じ、難しい。
そう、感じられなかったってことで、
ちょっとなんかね、
あちゃんの存在は少し薄かったのかもしれないっていう。
うーん、なるほどね。
そこまで、こっちが感情移行するというか、
感情を重んぱかるところまでいけんかったってことかね。
かもしれない。
でもそれは私のコンディションだったりとか、
すでにお話の内容を知ってるって部分もあったから、
若干忘れてはいたんだけども、
なんかね、難しいとこだよね。
なので、なんていうのかな、結局この議局がね、
綾沢未来さんの、
どちらももちろん、やっぱり長男の存在感、
そして演技のしがいのあるというか、
役柄だなっていうところはそうなんだけれども、
それを抜くと、いろいろ、
なんだろう、それぞれの役が演じがいがあるし、
そして演出のしがいがある、
どこに焦点当てるかみたいなのも、
なんかちょっとこう、自在に操れちゃったりするのかな、
みたいな感じに思った。
より長男に焦点当たってたのかな、今回はとか、
そんなことを思いながら、ちょっと見てました。
前見た時も、なんかこの焦点をお母さんで見るのか、
お父さんで見るのか、それこそあんちゃんで見るのか、
っていうので、多分見方変わるんやろうなっていうのは、
なんとなく思った記憶があるのよね。
だから、それにプラス、その演出家の視点っていうのが、
どこにフューチャーするっていうのが返ってくるから、
その料理のしがいがあるというか。
そうだね。
なので、別にどっちが悪いとかそういう意味じゃなくて、
なんか見え方がちょっと違ったなっていう、
あんちゃんに関してはね。
思ったよっていう、そんな感じです。
なるほど。