1. 薩摩訛りの耳毒ラジオ
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2025-09-19 17:38

🌋訃報をうけて…ただただ故人を語る回

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サマリー

このエピソードでは、故人の思い出や影響が語られています。特に、自動車学校での指導員としての関係や、親の友人としての重要な役割が深く掘り下げられています。故人との思い出を振り返りながら、その健康状態や余命についても触れられています。また、膵臓癌に苦しむ友人の影響を受けて、人生の儚さについて考えさせられています。

故人の影響
おはようございまーす。
薩摩訛りの耳毒ラジオ、ポジティブみやけのボルケーの配信でーす。
ということで、久しぶりのもちもちスタイルで、葬芸の回にとっております。
今日ね、ちょっとやっぱり時間がなくてですね。
んー、ま、早速本題いきましょう。本題というか、ま、いきましょう。
では、いくぜー。
うん、なんか調子悪い。ちゃんとならなかった。
さて、本題というか、報告というか、思ったことというか、なんですけど。
あのね、記事の最後に、放送の配信の最後に、「あっ!」って思って、思いついたというか、なんですけど。
あの、なんだろうな、なんて、どっか行こうかな。
えっとね、虫の知らせってやっぱ、感じることあったんですよ。虫の知らせ。
先日の火曜日の茶見ですね。聞いてない人はもうあれですけど。
私、過去の上司の話をしたんですね。
でね、この上司っていうのが、僕の人生の、なんだろうな、非常に大事な存在というかね。
結果的になんですけど、になった方だったんですけど。
実は、もうがーん患ってて、糖尿生活に入ってたんですよ。
でね、茶見で火曜日にね、久しぶりに思い出しみたいな感じで、思い出して喋ったんですけど。
次の日、水曜日にですね、亡くなられたということでね、不法が来たんですよね、ちょうどね。
自動車学校の思い出
でですね、今日が国別式ということで、
今日はね、元々ね、実家の方なんでね。
だから、また実家の方に行ってとか、
ちょっと話したいなと思って、その人のことをね。
付き合いはね、長いんですよ。僕今49だから。
付き合いはね、多分40。付き合いじゃないな。
45年くらいの知り合いなんですよ。
どういうことかというと、年齢はね、僕より20くらい上なんです。
で、元々はですね、父親ですね。私とかの親父、父親の同僚なんですね。
で、だから、そのうちの父親は、僕もそうなんですけど、自動車学校で指導員をしていて。
で、父親が元々指導員をしていて、その前に、
指導員に一緒に、指導員広報みたいな感じで一緒に入ったのが、その僕のいずれ上司になる方で、
まあ言えばね、親父と友達なんですよ。
だから、僕は子供のちっちゃい時から、家に来て、親父とお酒飲んだりとか、
何なら結構思い出でよく言ってたのが、よく二人で勉強したなっていうことを言ってましたね。
その指導員になるためのね。
その頃から、まあ言えば、向こうは向こうで、
まあ、その息子みたいな、友達の息子みたいな感じで認識してて。
で、まあ、そんな関係ですね。
で、当然ですね、勉強を僕も18歳で取る時には、
まあ、そこのね、自動車学校に行くわけで、親父のところに行ったわけですよ。
そこでね、やっぱりね、認識があるから、
パーンとかさんみたいな感じで、お前も免許取りに来たか?みたいな、
それぐらいのね、やっぱり関係というか、縁があってですね。
で、やがてですね、あの、要は就職がなくて、
で、もうその父親のね、コネで、じゃあ自動車学校入れてみたいな感じで、
僕、結局自動車学校に入社するんですけど、
やっぱりその時にね、やっぱり、お前も来たのか?みたいな感じになってね。
で、なんやかんやで、同じ間に入って、僕と上司という立場なんですけど、
で、この人ね、あの、なんだろうな、キャラ的にはね、めちゃくちゃいい加減なんですよ。
で、頭、頭めちゃくちゃいいって言いましたよね。
チャーケンで言ったんですけど、その、要は自衛官で将来約束されてたけど、
高度経済成長の民間のこの儲け、ウハウハ具合を見て、自分もやったらって言って、やめて。
っていうね、いい人なんですけども、
で、その、やめて、事業やって、事業うまくいかなくて、
いろんな職をてんてんとしてる時に、あの、うちと父親の方も知り合って、
その、従者学校に入社するっていうのでね、同期になっていくっていう、そういう関係なんですよね。
で、なんやかんやで、僕もそうやって、なんか、流れ流れて、
友人としての関係
同じ職場で働くようになったんですけど、
あの、そうそう、人間性としてね、めちゃくちゃいい加減。
いい加減というかね、やっぱ本質しか見てないんですよ。
表面的な細かいこだわりってもう全然気にしない人で。
だから、なんか、生徒とかもですね、あの、
まあ言えばね、ヤンキーが多かったんですよ。
ヤンキーと言えばその人、みたいなね、感じのね。
で、なぜかっていうとね、もうめちゃくちゃ普通にため息、すぐ友達になるんですね。
年下の18とかの子たちと、あの、当時で年齢は40歳ぐらいですよね。
あの、普通に全然こう、同じ目線で友達になっちゃうんですよ。
だから、ヤンキーはヤンキーの仲間打ちというか、絆が強いじゃないですか。
だから、友達みたいにめちゃめちゃ話せる面白いおじさんっていうのが、
やっぱすごい人気で、どんどんどんどん口コミで、
友達を連れてくるみたいな感じ。
で、その上司自身も全然幻覚さがないから、
ヤンキーのいい加減な態度とか、口がなってないとかも全然気にしないんですよ。
で、だんだんですね、指導方針ももう適当で、
あの、確認なんかいいんだよぐらいの勢いなんですけど、
ただね、どうやってるのか、めちゃくちゃ上手いんですよ。
なぜか、技術的にはめっちゃ上手い子ばっかりに仕上げるんですよね。
ただその確認とかそういう固い部分っていうのをあんまり重視しないから、
剣手すげえ落ちるんですけど、
ちょっとここの話をすると長くなっちゃうな。
そこのからくりってのいろいろあるんですけど、
これはもうややこしくなるんで、端折りは端折ります。
あんまり業界の荒れしすぎるし。
とにかくね、自分の父親が結構真逆なタイプで、
自分の父親は、いわゆる昭和型の固い真面目なタイプなんですね。
とはいえ、根は平均物だからふざけたりもするんだけど、
根というか表面上はだいたいふざけて適当な雰囲気を見せるんだけど、
中がめっちゃ真面目なんですよ。結構厳しいんですよね、師道とかに関しては。
自分は性格が父側に似てるから、もともと持ってるのはそういう性格なんだけど、
そのね、やっぱ上司になったその方のその真逆な性格っていうのをすごい憧れてですね。
なんかそのヤンキーみたいなのがちょっと変な口を出すとめちゃくちゃムカつくようなタイプなので、
でもあんな風にできたらいいなっていうね、憧れるタイプでしたね。
でね、その、で、住職を辞めてからもね、結局、だから上司、上司って僕言ってるけど、
友達なんですよ、感覚が。
20歳離れてて、親父との同期とかのレベルだけど、
自分の父親とは全然違って、本当友達になれる大人っていうタイプの人だったから、
で、僕も結構いじるし、で、いじったら喜ぶんですよね。
お前またそんなきついことばっか言うなみたいな感じで返してくるみたいな。
とか言いながらまたあの突っ込まれそうなポケをしてくるからですね。
故人との思い出
そんな関係性で、で、僕は自動車はもう辞めてバスの運転手になって、
で、その現場を、現場というかなんだ、だから実家のそばの話なんですよ、これ全部ね、そこまでは。
なんだけど実家からちょっと町離れて、違う隣町というか、もっと市中心部に移り住んでからも、
やっぱその上司が友達みたいな感じになったんで、ゴルフ仲間として、
その後もね、やっぱ10年以上っていう付き合いがあって、
ゴルフに行って遊ぶ、で、えっとなんだっけ、その後飲み会行って、
飲み会に行ったらギター持ってこいって言われて、僕はギター持って行って、
弾いて弾いてって言って、俺あれ歌いたいとか言って、
それこそねサザンのラブアフェアとか好きでしたね、よく歌ってましたね。
とかね、そういう関係でずっといたんですが、
いわゆる僕はバスを辞めてからね、フリーになって、結婚したのもあるし、
忙しくなったらゴルフも行けなくなったから、全くあれです。
ここだから5年、6年、あれない状態でいたら何か癌になったんだって聞いてね、
そんな話です。
そういうちょっと大切な人は亡くなった。
覚悟はできてるんですけどね。
去年の時点でステージ4とかで膵臓癌が見つかって、
膵臓癌、もうステージ4ですか、きついねって言うね。
自分の父親よりは年齢的には5歳くらい若いんですけど、
だからまあ、うちの親父もね、ちょっとその癌だってことです。
だってその人ね、ゴリラみたいな感じなんですよ。
身体めちゃでかくてね、スモートにみたいな体型してて、
顔はね、人を占め殺しそうな顔をしてる。
極悪人みたいな顔をしてるんだけど、
そのギャップもあるんでしょうね、たぶんね。
だからね、その体が悪くなるっていうのが、
やっぱ想像がつかないです。
何よりもね、本人が一番想像つかなかったみたいなのが
ちょっとかわいそうだなと思いましたね。
一緒に働いてた当時もね、もう風邪なんかひくこともないし、
体のどこが痛い、何が痛いとかも、
健康診断も全部満点みたいな人だったからね。
体の頑丈さにかまけて酒とかガンガン飲んだりとか、
いろいろしてましたけど。
まあね、だから父親もやっぱちょっと、
うちの父親もね、ショックなんじゃないかなと思いますけどね。
自分より若いからね。
まあ、そんなこんなでですね。
ちょっと国別式、お葬式行ってまいります。
新たな挑戦の計画
そんなこんながありまして、
ここ今週いろいろバタバタしていたんですよ、
みたいな話だったりもするんですが、
これまだ終わってないんでね。
今日一日ちょっとどんな感じになるんだろう。
というところで行ってまいります。
何の話だっけ?
そうですね、やっぱりこれを機に何かやっぱ思い出を
喋りたくなったっていうところなんでしょうね、
今日の配信は。
何かためになるっていうものでもなかったんですけれども。
えっと、そうだ。
あれだけ喋っておきましょう。
あの9月の25日夜21時に
夜21時から予定をしております講座。
えっとね、名前がね、一応
絵心ゼロでもOK。
5分でさらっとキャラ絵講座というのをね、
GPDと今考えてるんですけど、名前。
もうちょっと違うなと思ってるんですけどね。
絵心ゼロのあなたへ。
あなたへ。
5分でさらっとキャラ絵かけるよ講座。
んーむずい。
まあそんなような名前でいきたいと思っているってやつ。
もう日にちは決めてるので。
あとは名前が決まれば、その名前を元に
バナー作って宣伝していって、
あるいはチケット買うところとか作ってってしないといけない。
まず名前から。
もうちょっとで決まりそう。
名前が決まってるというところだけお伝えして終わりたいと思います。
エンディングテーマも聞いてね。
では行ってきます。
さよなら、バイバイ。
みやけんでした。
チェスト。
17:38

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