1年間の成果報告と自己開示の克服
私と私のひとりごと。こんにちは、misa.です。 今回は、この1年のVersionUp、自分を隠さず社会へ関われる私へっていう、この1年のね、私の成果報告をしていきたいと思います。
このラジオでは、願いを生きる過程や自己一致するためのヒントをお届けしております。 本日は8月16日、日曜日です。よろしくお付き合いください。
はい、で、ほとんど、なんかラジオが撮れなくなったのは忙しくなったからなんですけど、自分としての区切りは、ちょうど1年前ですね。本当にちょうど1年前に今の会社に転職してからの、なんですかね、1年間はものすごくいろいろあったなと思っていて、結構実験をしてきた、なんかめっちゃ成長できました、私頑張りましたっていうよりは、結構仮説検証を繰り返してきたから、
そういうこう自分の取り組みだったり変化みたいなところをちょっと報告したいと思いました。
はい、で、この1年で一番変わったことは、やっぱり1個前のエピソードでもお話ししておりましたが、自分を隠すのをやめたっていうところかなと思っています。
私はこう思いますよ、私にはこう見えていますよっていうのを伝えるのって、なんかすごい、なんか練習が必要でしたね。
で、それを今の会社のメンバーを使って練習できたことが本当に大きな成果だったなと思っていて、それに付随することはたくさんいろんな出来事があったんですけど、まとめるとこれかなっていうふうに振り返ってみて思いました。
で、今までは、なんかね、そういうことって言わなかったんですよ。
なんか言ってもろくなことにならないなっていうことがね、多かったんだよな。
本当に、なんかみんな言ってることと私が見えてること違うんだがなぁ、みたいに思うことが本当に、いや本当に多くて、小学校ぐらいから全然あるんですよね。
でも、なんかそれ言っても、この人文句ばっか言ってるとか思われること、なんか喧嘩売ってるとか、なんかそう見られがちだったんだよな、多分。
でも今思えば言い方がシンプル下手だったし、相手もそれを受け止める度量がなかったっていう、ただそれだけな気もするんですけど。
なんか、まあでもその友達とかならわかるけど、うちの親とかもうマジでめちゃ下手だったから、なんか私ってこの余計なこと言っちゃうんだなぁ、みたいな感じでバクッと捉えてたと思うんですよね。
成長してきて、今みたいにちょっと整理したわけよね。私の見えてること自体は、もしかしたら価値あるかもしれないな、みたいな。これは結構ヒューマンデザインのおかげではあるんですけど、価値あるかもって思ったことと、
私が言うことと受け止められるかどうかはまた別の話じゃない?って感じで切り分けられたっていう。これはまあ成長によるもの、私の成長によるものかなとは思うんですけど。
ともいえ、実体験として言って大丈夫っていう体験がないと怖いものは怖いですから、そうよ。だから、それをこの1年、自社メンバー扱ってやってきたなっていう感じがすごいありました。
人間関係のパターン学習と疲労の理解
怖かったんですけどね、めちゃくちゃとんでもない恐怖だったけど、まあ頑張ってチャレンジちっちゃくしていって、結果的に言っても大丈夫っていう体験ができまして、その結果、
私は愛想が悪くなりました。悪くなったっていうか、昔が多分良すぎたんですけど、結構すごく愛教こそ社会を生きていく上に必要まで思っていたので、めちゃくちゃ愛想良い人だったんですけど、
360台すごくやってたけど、それがねだいぶ減りましたね。それによって疲労度が激減していますっていう、私にはこういう効能がありました。
いろんな人を見て相手に合わせるというところから、相手を理解して対応を選ぶというところに、ざっくり言うと、これ1年の変化というよりは大きな時間をかけてこう変更してきたって感じだとは思うんですけど、
この1年で言うと、メインの業務はプログラミングの学習支援伴奏とキャリア支援の伴奏というところをメインの案件にしていたんですけど、
これによってね、なんか前ちょっと調べたんだけど、年間150人以上、200人はいかないかな?180人ぐらいかな?と多分話してきて、その伴奏してきたんですけど、
これがさ、どっかのエピソードでも喋ってましたけど、本当に全国つつ裏裏なんですよ。全部オンラインなんですけど、全国の、しかも年齢も18かな?一番下が18、一番上は65までいるのよ。
ほとんどの年齢層が私より年上ですね。っていうような皆さんを、生徒さんとして講師みたいな形で登壇していくんですけど、
って感じで、いろんな人と話してきて、かなりの人間パターンを学習できたかなと思ってます。
こういうなんだこのタイプみたいな、適定にラジオでも喋ってましたけど、そのラジオを止めてからもいっぱい発生するから、
なんだこのタイプみたいになったら、こういう人はこうかなっていう研究して、自分の引き出しを増やしていく。
それと同時に、こういうのはこの人苦手だなとか、こういうタイプめっちゃ疲れる、こういう理由で疲れるな、みたいなのをちゃんと線引きできて、
また理解がちゃんとできるっていうことと、自分が対応するかどうかっていうのは明確に別になっていきましたね。
これはでもこの1年というよりはその前の研究の成果だとは思いますけどね。
守備範囲広げていくっていうことに、私は割と重きを置きがちではあったんですが、
守備範囲を広げることとそれをやることはまた別の話でしょってなって、
だって疲れちゃうから疲れないようにするにはどうしようかなっていうためにまず理解するっていう戦略に変えてきたので、
ここは言っちゃいけないなみたいなのをわかるために必要な実験だったかなって思ってます。
これは成功しました。
なんですけど、最大の成功体験としてはこういう仕事をしてきてさ、
もともと皆さんがどうかわかんないんですけど、私は結構こう対人接触しまくると疲れるんですね。
なんかこう1週間にこのぐらいの人間と関わると疲れるみたいな最大セッション数みたいなのが決まってるっぽくて、
仕事とかもなんか稼働の半分ぐらい人と喋っても大丈夫だけど、半分は作業とか一人で作業したいなみたいな、
それがベストバランスだなーって思ってて、ずっと作業だとそれはそれでなんかつまんないし、
つまんないっていうかなぁ、つまんないっていうか、なんか喋れた方が充実感があるみたいな感じだし、
仕事も進みそうな感じがある。結局人と喋ってる方がなんかね貢献感がでかいんだよな、
作業員じゃないんだろうなっていうところがあきますが、これはまたそのうちまとめたいなと思うんですが、
っていうところもあって、
半分ぐらいは対人、それは自社の打ち合わせとかも一緒ですし、顧客との打ち合わせとかもそう全部まとめていくんですけど、
それが半分ぐらいでよくて、残りの半分は一人にならんとなんかしんどくなってくるんですけど、
仕事的にさ、めちゃめちゃ人とつながっていかなきゃいけないから、
常時ね30から40人ぐらい担当してから、マジめっちゃ疲れるんですよね。
それがね、上限化っていうのがすごい分かってきたんですが、
それでこういろんな人と話してパターンをかなり研究できて、引き続き増えましたよってところと、
で、えっと、
疲労の原因不明からの脱却と上司への相談
なんか今までは、こんなに疲れることが普通じゃないってずっと思ってたんですよ。これはマジでそう。
本当に1年ぐらい前までは、なんかその自分が疲れてることが、
なんか自分の中で疑問だって、なんで?みたいなのがわかんなくて、
この感覚なんだんでしょうね。なんか、なんかわかんなかったんですよ。
仕事始めてからもう結構他の同僚と喋ってて、
なんか1日にこれぐらい登壇するとすごい、ちょっと疲れるんですよねーみたいな、
私はちょっと貧弱でぐらいの文脈で喋ってたけど、まあそれは疲れますよね、みたいなこと言われて、
あ、え、マジですか?みたいな、一緒ですか?みたいな感じでびっくりしてたから、
なんかその自分が疲労することの理屈がよくわかんないから、なんかバグってんですよ。
これやばいよね。なんか1日にこれぐらい、なんだろう、歩いたら疲れるっていうことが、
実際の実績で見て理解すりゃいいのにさ、
え、なんで、例え合ってる?このまま書かないけど、
1日になんか20キロぐらい歩いたら私めっちゃヘトヘトになるな、
じゃあ20キロ以上も歩いてダメなんだ、そういう計画立てちゃダメなんだ、とかってやればさ、めっちゃ健全だけど、
私はそれやってみて、疲れてるのになんで疲れてるんだろう?とか言って、
わかんないからまた繰り返すんですよ、同じこと。
20キロ、30キロ歩けるんじゃねー?みたいな仮説立てちゃって、計画立てて、
あ、ヘトヘトです、とかっていうの繰り返す、マジで一生こんなことやってたから、
なんかわかんないなーってなってたんですけど、
あの、今回はね、そう、で、このせいで相談もできないんだよね。
なんで疲れてるか自分でわかんないから、疲れてるっぽいことはわかるけど、
その、「大丈夫?」って感じるけど、疲れてるっぽいけど、
なんで疲れてるのかしっくり自分で聞いてないから、
わかんないまま、その、疲れてる判定できないのよね。
20キロ歩きました、めっちゃ疲れました、終わり、じゃなくて、
なんで疲れるのかな?みたいな、そんな、なんか良い靴買ってんのになー、とか、
天気も晴れてんのになー、とか、
なんか荷物持ってたらわかるけど、荷物も持ってないのに、
全然歩けるっしょ、とか、なんか訳わかんないこと言ってて、
なんかその、自分で疲れてる判定を下ろさないが故に、
その他者にも、なんか説明できないからなんで疲れてるのか、
なんか、んーって思って、こう、相談できない人生だったんですけど、
この1年の大きな変化は、なんか、結構限界値が来たのもあって、
なんかね、その、人数が多いだけじゃなくて、
そこの、あの生徒さんの1人にね、もう大暴れする人がいて、
まじで大暴れして、めちゃくちゃストレスかかった上に、
なんか運営側のサポートもないから、
なんかめっちゃ矢表に立たされるような場面があって、
めちゃくちゃ疲れる、このまま行くと提供障害とかいきそう、みたいなのが、
待って、これ5月ぐらいかな、で、ここの段階でやっと、
ちょっとヤバいわ、ちょっとこれは、とりあえず自社に言わねばならんわ、
と思って、こう、しんどい、ヤバいかも、みたいな話をして、
そしたら、それはヤバいねってなって、
とりあえず、まあ、うちちっちゃい会社だったので、
なんか、すごく勇気が必要だったんですけど、
一旦社長に言ってみようと、社長に相談した方が良い、
でも、なんか、ちょっと変なこと言うけど、
上司っていうのは、なんていうかな、
私たちはみんな、お父さんとかをね、象徴すると思うんだよな、
え、この話飛びますかね、飛ぶかもしんないけど、ちょっと喋るね、
なんか、その、えっと、
年上の男性とか、女性にしても、
なんかその、権威性のある人だったら、
たぶんお父さんを象徴するんだよな、
自分の中で勝手に投影して、
その上司との関係って、
自分の父親を反映したものになりがちだと私は思うんだけど、
まさか漏れなくね、その感覚がすごいあって、
で、なんか父親あんま分かってくれないし、
なんかあんまり助けてくれる人じゃないから、
なんか自分のことばっかりの人だから、
あんまりこの、お父さん困ってます、助けてください、助けてほしい、
守ってほしいって言ったことがない、ないのよね、ないない、
ないから、なんか上司って、
なんか無茶振りしてくる存在だったんですよ、私の中でずっと。
で、今回はでもその身を守るために、
もう上司に、上司は直続は社長だったから、
社長に言うしかねえなってなったんだけど、
すげえ怖くて、なんかなんで怖いって、
ここでさ、全然分かってもらえなかったらさ、
なんか孤独じゃん、孤独になっちゃうじゃんと思って、
いつもこれだったから、
でもなんかここはすごくチャレンジしなきゃいけない領域だなっていうのが、
前々からあったので、
その上司っていうのはお父さんの象徴だなとか理解してるのもそうなんですけど、
なんかこう、自分の体験としてちゃんと社会で守ってもらえる、
その会社が孤独じゃないっていうことを、
分からせてやるタイミングだなっていうのもあって、
なんかね、めっちゃ勇気がいったけど、
まあ喋ってみたんですよ。
ちょっとうまく言えるかわかんないから、
一旦別の人経由して、
一旦ちょっと壁打ちしてもらって、
この喋り方だったら伝わるかなみたいなのをちょっと練習させてもらったんだけど、
結局その練習した喋り方あんま必要なくて、
実はちょっとしんどくてって言ったら別にすぐ伝わったのよ。
そうなんだみたいな。
ああそっか、まあそれしんどいよねみたいな。
なんか私はさ、その20キロ歩いても疲れるが理解できない人だから、
なんかいろんな理由でその20キロ歩いたら疲れるんですっていう説明しなきゃいけないと思ってたけど、
なんか一般の人はそれ疲れるわみたいな基準だったっぽくて、
まあわかるわかるみたいな。
じゃあどうするっていう話を、
すげえ一瞬で繋いでくれてその、
なんか軟弱だなとか、
頑張っと頑張れみたいな、
私の中にはそんなマッチョな上司がいるわけだから、
私の心の中にね、
私という上司は非常に厳しいので、
なんか文句言ってんじゃねーとかあるかもしんないなって、
ちょっと一応仮説立ててたけど、
全然そんなことはなくて、
なんかなんでそんな疲れるわけみたいな、
激詰めみたいなことは全くなくて、
なるほどね、しんどいんだね、
理解できた、
じゃあどうするっていう感じですぐなんかこう、
解決策を探してくれて、
やっぱ私より権限が広いので、
じゃあこうしようみたいなところで、
あのすぐなんか解決策提示してくれて、
あ、それなら大丈夫そうみたいな。
自己受容とバージョンアップ
で、まああの登壇数減らそうだけだったんですけど、
いろいろそれによってさ、
売上とか変わっちゃうから問題あったんだけど、
でもそんな疲れるの良くないから、
一旦こうして、
じゃあ別のところで売上上げようみたいな感じになって、
あ、いいんですか?
いやそんな簡単に大丈夫?みたいになったけど、
なんかすごくこう、
その体験が私にとってはめちゃくちゃでかくて、
ちゃんとその、
なんかわけわかんない私が疲れますって、
他人からしたらさ、
どうでもいいことじゃんって、
どうでもいいと私思ってんのって言われるかもしれないけど、
いやそんなことないんだけど、
私他人にはすごい優しいのに、
自分にはめっちゃ厳しいんだよな。
みんなが疲れてることは、
あ、そりゃ疲れますよねってなって、
そんなに疲れるのに何も良くないから、
セーブしましょうってできるのに、
自分にはなんかできないんですよね。
わかんないんだよね、自分の疲労度が。
それが正当なのかわかんないから、
いつもなんか無理して、
はあ疲れたってなって、
世界を呪ってたんですけど、
今回それを普通に理解してもらえるし、
普通にこうちゃんと、
それは大切なことだと。
あなたの疲労は解決すべき問題であるって、
捉えてもらって、
解決策を出してもらって、
結果は救われるっていう体験が詰めて、
なんかその自分の感覚っていうものの、
なんか正当性をすごい頑張って、
論理で証明する必要がないっていう、
体験ができたのよ。
で、これは本当に財産だったなと思ってて、
これによって超私はなんか、
バージョンアップしたんですよ。
レベルが上がった感じがした。
ゲームキャラ的な意味でね。
なんかそれによって、
なんか私はこう感じるっていうのを、
なんか否定しなくてよくなったんですよね。
なんでそんな疲れるわけとか、
何がそんなしんどいのとか、
何がダメなわけみたいな自分が、
めちゃめちゃでかかったんです。
今みたいなさっき喋ってたやつね。
なんか20キロ歩きました疲れますわかるけど、
別に重い荷物持ってるわけじゃないじゃんとか、
別に雨降ってるとかでもないじゃんみたいな、
なんかよくわかんない理由で、
なんか論破してくる自分がいたんだけど、
これがね、なんかなくなってって、
そんなにこう、
なんでみたいな自分がいなくなったんですよ。
それによって、
なるほど疲れてるんだねとか、
なるほどこれなんか嫌なんだねとか、
なった時に、
なんでみたいな自分が立ち上がらずに、
なるほどなーみたいな、
これダメか、しんどいかってなったら、
じゃあどうするって、
そのしんどさはともかく、
しんどいとかなんか何でも一緒ですよ。
不安とか、
嬉しいとか何でもいいんだけど、
自分がこう感じている、
なんかだるいとか、
なんか痛いとか、
なんか調子悪いみたいなのとか、
を否定しなくてよくなって、
なんかいらないかもしれないけどさ、
いろいろあってさ、
なんか熱出てるとかも、
単純にさ、
熱出たんだって終わりでいいのに、
なんで?みたいな感じになるんだよ。
なんで今熱出るんだ?みたいな、
別に無理してないし、
睡眠を取れてるし、
永遠戻ってるのに、
なぜ?とか、
別にストレスかかってるわけじゃないのにな、
とか言ってなんか理由が必要だったんですよね、
ずっと。
なんか今思えば謎だけど、
マジで長年これだったんだよな。
その足が痛いとか、
もうなんで?みたいな、
なんで足が痛むわけ?みたいな、
別にそんなすごい運動したとかでもないのに、
みたいな。
で、なんかそこで自分が納得できる理由が、
因果関係があればさ、
なんかまあ落ち着くんだけど、
そんな因果関係ないこと多いから、
めっちゃ調べるんだけど、
それもなんでなんだろう?とか言って。
で、なんかその、
なんか心理学とかに詳しくなったら、
多分そういう文脈なんだよな。
何がこんな辛いんだ?みたいな。
何もないのに、みたいな。
なんかよく親の話とかしてますけど、
一見なんかうちの親健全そうだったのよ。
私からするとね、当時の私からすると。
だから別に親もそんな、
なんかめっちゃ悪いとかでもない。
特にまあ経済的な支援は普通にしてくれてたから、
別になんかその、ちゃんとした親っぽいのに、
なんで私はこんなに心が病んでるんだろう?
みたいな感じで、
なんで?なんで?みたいなこと。
シンプルにしんどいとかなんか、
親が合わないみたいな感じで、
バクッと受けたらよかったんだけど、
そんな分からなくて、
なんかこう論理で解決しようみたいなところがね、
昔から癖だったんですよね。
かわいそうな感じなんですけど。
で、なんかこうなかなか自分に寄り添えないみたいなところがあったんですが、
まあ今回それ他人が、
しかもその上長が、
なんかあそっかってやってもらったことで、
たぶん、
あ、それって大事にしていいんだなってなって、
やっと自分的には馴染んだのかなっていう気がしましたね。
これは今思えばなので、
あまりわからなかったですけど、
その時そうだとは思わなかったけど。
それによってその自分の感覚をなんかこう、
まあそれそのままに受け止めることと、
それを外界に表現するかはまた別の話なんですけどね。
なんかその、
超疲れただからもう歩けませんっていうのか、
超疲れたからちょっと休んでからまた歩こうってするのか、
はまた別だし、
超歩いて疲れたからもう二度とこんなことはしないとかで決めるとか、
なんかなんでこんな歩かされたんですかって文句言うとか、
その次のアクションは全然また別の話で、
なんだけど、
今まではその疲れたってことを事実として私はその採用してないから、
アクションが全然違ったんですよ。
言わない一択というか、
認識してないからどうしようもなかったけど、
まずは認識してその次の行動を選べるようになったから、
めちゃくちゃ広がって選択肢が。
でなんかあんまりこう疲れないことをベースと、
まあ今不安とか疲労の話中心にしちゃってますけど、
自分の感覚的に違和感のない状態を通常モードとして、
そのための行動を決めていくって感じで整理できたから、
すごい革命的だったんですよね。
今後の体験は。
振り返ってみて1年前とそう全然違うなっていうところは、
結構こう今までは自分のことを存在を曖昧にして、
バレないようにして相手に合わせて疲れるみたいなところでしたが、
今はその自分の感覚をまずちゃんと普通にそのままとして、
そのままね感覚がどう感じているかというだけを認識するようになって、
相手もまあ観察はする、これはずっとしてることですね。
で、変わり方どう関わっていくかっていうのを選ぶみたいになったことで、
自分らしくなったっていうよりも、
なんかこうその自分の感覚を取り込んだ状態での意思決定ができるようになったっていう、
大きなバージョンアップだったかなというふうに思いました。
求められたんじゃない?
長々となりましたが。
こんな感じでこの1年は結構、
私の今実験してるんですよみたいなエピソードを撮ってましたが、
そこにおいても非常に有効な体験だったし、
ありがたい体験だったなって思ってましたね。
今の会社すごい好きなんですけど、
そういう意味でもまたちょっと別にエピソード撮れる気がしてきましたので、
ちょっと準備したいと思います。
また他のエピソードでも聞いてくださると嬉しいです。
概要欄にレターの投稿フォームをご用意しておりますので、
ご意見やご感想などいただけるととっても喜びます。
では他のエピソードでもお会いいたしましょう。
またねー。