ヨシDr.氏の登場とエミコラボ参加の動機
おはようございます。今日は7月29日水曜日、未来を編むホームルーム、学びのウィーバー絵美子です。
ウィーバーとは糸を紡ぎ編む人のこと、今日はその糸をヨシDr.と一緒に編んでいきます。
このチャンネルでは、ママ、子供、学校地域をつなぐ視点から日々の気づきや学びをお届けしています。
ママの笑顔は子供の笑顔、今日はエミコラボパワーをヨシさんと一緒にお送りしていきます。
ではヨシさん、改めましておはようございます。ありがとうございます。
おはようございます。よろしくお願いします。
今日は実はヨシさんと初めてトークするんですよね。
先ほどZoomで初めましてでは初めてお顔合わせして、
今日本当にお互いに初めてなんですが、ヨシさんいつもエミコラボのライブの時とか、
私の登校者ぶりの息子の急な緊急、いつも大体急にライブするので、
そういったライブにもたまにお越しくださって、リスナーさんとして参加してくださってたんですが、
そんなヨシさんが自分の話が誰かの勇気になるならということで、
立候補で今回エミコラボが実現しているというところで、
まずちょっと、ヨシさん自己紹介の前に今回なんでエミコラボに参加してくださったのかとか、
ちょっとお伺いしてもいいですか。
過去のインタビューとか、あとはデリア的なものを聞かせていただいたりしていて、
もともと教育の部分にはちょっと改善があったっていうのもあった、
それはあるんですけども、皆さんのゲストの方の話を聞いていて、
こういうのだったら僕でも何かしら提供できるんじゃないかという思いが湧いてきて、
それで連絡した次第です。
嬉しい。もともと教育にも関心があるってことと、聞いてくださっている中で、
自分の話も誰かの役に立つのかもって思ってくださったってことですね。
そうですね。
嬉しい。ありがとうございます。
中医・カラダ調律師としての活動内容
教育に関しての興味関心の部分もちょっと語り合いたいところではあるんですが、
早速、中医、体調律師の吉さん、ドクターって書いて、
事前アンケートでそちらもね、肩書き私からではなく、
ご自身から皆さん、コラボ相手の方々、皆さん自分の肩書き送ってくださって、
こうやって画像に起こしているんですけれども、
まずちょっと、
自己紹介から、今どんなお仕事なさってて、
今の吉さんはどんな人っていうところをちょっと伺ってもいいですか。
お願いします。
私の仕事は基本的に医師っていうところで、
医療関係が7割ぐらいあるんですけれども、
ほとんどが医者、医療従事者に対しての仕事ばかりになりまして、
学会とか勉強会の講師みたいな形をしております。
私がここにプロフィールにある中医っていう、
中医って何だって。
私も読めなくて、何だってなったんですよ。
それでわかりやすく体調律師っていうのを言っているんですけども、
中医学っていう、一般的な西洋医学は一般的にわかると思うんですけども、
中国の伝統的なオリジナルな医療のことを中医学って言って、
わかりやすく言うと漢方とか神経になるようになっています。
漢方とか神経、それわかりやすい。
日本でも実は医療自体から漢方っていうのがあるんですけども、
元々は中国の医学、神経も医学っていうところの、
そういったところのものを現地で学んで、神無理とかもしてきた。
日本に帰ってきてからは、コロナも本当にいいきっかけで、
お医者さんたちの中でも漢方に対する興味とか神経の興味みたいな
要望以上に注目しだしているというところで、私がお呼ばれして、
講師とか講演をさせていただいているっていうところが、
ウェイトを占めています。
それがここにカラダ調律師と載せていただいたのは、
実は去年からヘルスケアのコミュニティ、
一般個人向けのコミュニティを立ち上げていまして。
ヘルスケアの個人向けのコミュニティ。
要は健康の再定義。
健康というのは、自分個人だけで取り込むんじゃなくて、
家族との関係とか、仕事との人間関係とか、
そういう環境によっても体調って変わってくるよね。
健康って変わってくるよね。
自分なりの健康っていうのを再定義して、
それで自分らしく生きていこうよ。
ただ長生きするっていうので健康って思ってる人もいるだろうし、
そういう健康じゃなくて、自分らしく活動的に健康って思ってる人もいる。
決してその医者が定める健康が健康ではないというところ。
そこをコンセプトにしたコミュニティというところになります。
面白い。ちなみにそのコミュニティはどうやって入るんですか?
一応今、去年立ち上げたと言っても、
なかなかずっと仕事が忙しくて進めてないんですけど、
一応今オンラインサロンとオープンチャットとか交流関係が多くなってます。
そうなんですね。
じゃあ今日お話聞く中でもし興味ある方が、
よしさんの話をもっと聞きたいという方は、
オプチャとかに参加していただけるんですね。
そうなんですね。
幼少期から高校時代にかけての原体験
今の話だけでもいろいろ聞いていきたいなっていうことがあったんです。
中医学であってますか?中国医学。
あってます。
中医学を学ぶっていうのは、いつ頃から、
もう長いこと学んでいらっしゃって。
もともとのきっかけは、
きっかけ知りたいですよね。
というか、ちょっと本当に長くなっちゃうんですけど、
要は僕子供の頃、水口で生まれたのね。
何だろう、過死状態みたいな感じで生まれたっていうのを聞いていて、
母親が法上期待かな、確か。
あとは子宮内膜症とか、そういったのもちょっと離間してしまったというところで、
難しいんじゃないかって言われてるところからの、
出産という形になって。
自分の命がそうやって始まったっていうことですね。
そうそう。もともとそれで体が弱かったっていうのもあって、
実は5歳ぐらいから空手の道場に行く形になって。
空手道場。
もともとは体が弱かったから体力をつけようというところだったと思うんですけど、
僕的にはのめり込んでしまって、
強くなりたいとかいう感じの。
ちょうどその世代的にもジャッキー拳とかが流行ってたのね。
ジャッキーじゃない。
ドンピサでもそれでもガンガンやってた。
それこそ成長するに従ってタントレしたりとか何とかいろいろやってたわけでしょ。
それこそその過程で、
そういうトントレの本とか、
そういう体に関する本を読んでたりしたわけです。
ある程度なった時に、高校生の頃にちょっとした体の出来物があって、
それで皮膚科に行ったら、その皮膚科がちょっと後々は良くない病院だったんですね。
割得みたいな。
本来ならば、悪くなった場所だけにステロイド剤塗るのが、
でもそこは全身を塗りましょうみたいな。
今じゃ皮膚科だとは言えないんですけど、
今はもう何十年も前なんで、
そういったところで言われて、
信じて塗ってたら、
だんだんステロイド剤強くなって、
でもあっという間に、天敵かって言われるぐらいまでちょっと行ってしまった。
そこで初めて、おかしいぞ、この医者はおかしいぞ。
高校生の時の吉さんは、最初に出来物きっかけで行った。
皮膚科を信じて、いろいろ体にステロイド剤を塗りまくっていたら、
むしろ悪化して、おかしいぞって。
そうそう。
おかしいぞってなって、すぐにステロイド剤をやめなきゃって。
やめたんですね。
本当は良くないんですよ。
本当は今の皮膚科の専門医の方にしても、
徐々にやめていきましょうっていうのが、
通常のあれなんですけど、
当時はまだ皮膚科のドクターも、
そんないきなりやめるみたいなやつとかもないし、
少なくするみたいな、
皮膚科の先生もあんまりいなかったでしょう。
だったら最初から強くしていかない。
極力ステロイドは塗るなっていうドクターが、
本当に多かったんですよ。
それを塗ってしまったために、
これもう、みたいな感じになってしまって、
だったらもう病院自体をやめて、
みたいなドクターなんですけど、
やめて、それで何かないかと思ったら、
そこからもう、要はホルモン剤、
ステロイドってホルモンなので、
それを塗ったいわゆる副作用というか、
後遺症っていうのがどんどんどんどん出てきて、
それにもう全身ゾンビみたいな感じになって、
全身に包帯巻いて見る男みたいな感じでしてたりとか。
それ高校何年生の時ですか?
高校2年です。
そんな思春期に。
思春期っていうのもあって、
学校に行くのも男子校だったんですけど、
それでも通学途中には女子校の人たちもいるし、
なんか目に触れるのも嫌だみたいになって、
親から教師への説得も含めて、
学校側が認めて半年間の通学扱いになったんですね。
そうだったんですね。
その間に何をやっていたかというと、
いわゆる陶磁をやってました。
陶磁ね。
はいはい。
どんなことをやってたんでしょう?
それと同時に途中からは、
ここはいいだろうっていう皮膚科のところに通ったら、
その皮膚科の方が肝胞を処方してくれたので、
肝胞を飲みながら陶磁をし続けたっていうのが、
高2、4、高3のちょっとぐらいまでのところになります。
ステロイドでいろいろ肌も、
ロンビ状態ってさっきお話ありましたけど、
そこからステロイド剤をやめて、
皮膚科を変えて肝胞に出会うっていう、
そこが肝胞との出会いですかね。
そうですね。
肝胞との出会いっていうよりも、
自然療法で自分の免許を本当に自分で高めていくっていう、
経験というか。
私の本当に浅い知識ですけれども、
ステロイドは強くてすぐ効き目はあるけど、
塗りすぎは良くないっていう。
ステロイドが入ってるか入ってないか、
ちゃんとママとして、子供に皮膚科に処方はよくされるけど、
そんな簡単に塗り続けたりとか、
塗りすぎるのに良くないよっていう知識ぐらいはあるんですけど、
高校生の時の出来物ってちょっと痛いニキビみたいな、
そんな感じですよね、きっとね。
そうなんです。
そこがきっかけで全身に塗ると言われて、
素直に全身に塗ったっていうことですよね。
そういうことなんです。
そしたらどんどんおかしくなってきたってことだったんですね。
今はそういうことネットもあったりするから、
今は必ず調べるじゃないですか。
自分でもすぐ調べられますよね。
でも当時はネットすらもなかった時代なんで、
もう先生様みたいな時代なので、
もう信じ切ってましたね、当時は。
当時も温泉巡るって感じですかね。
そうだった、その半年の間、
それはご両親とかですかね。
最初は片親と行ってたんですけど、
だんだんやっぱり費用がかさむじゃないですか。
そうでしょうね。
なので途中からは僕一人だって感じでやってました。
そこで自分の体と向き合うっていうのは、
もう高2・高3の段階で、
それがきっかけで始まっていくっていう感じなんですかね。
そうですね。
自分を、医療とかいう考えじゃなくて、
自分自身を本当に健康っていうか、
体調を整えていくっていう、
自分に対する部分の興味はそこであったと思います。
それが今のキャリアにつながる大きな、
現体験かもしれません。
ちなみに高校2年生の出来物ができたってあったと思うんですけど、
その前までは別に特にお薬とかは持ってなかったんですかね。
生まれたきっかけがあったので、
幼い頃も小児漸卒はあったんですけど、
ただ小児漸卒に関しては、
小さい頃、修学以前とか小学生とかあったんですけど、
体力がついていくと自然と長くて、
筋トレしていってたんですもんね。
若気者に憧れて。
なので、小児漸卒自体はそんなに何かあったっていうのはなかったんですね。
自然と収まっていった。
自分の体力とともに体が大きくなっていくとともに、
だんだん呼吸器も強くなっていって、
そういう生まれた時の状況っていうことと、
もう一個が公務員の…
あとはたぶん、中学から水素学をやり始めた。
同じです。私も水素学が欲しいですね。
結果、学校の部活自体が全国を目指す学校だったんで。
ちなみに学級は何を?
サックス。
サックス、私クラです。
サックスなんですね。
そうなんだ、ちょっと嬉しい。
それも合わさって、たぶん肺も丈夫になって。
肺が丈夫になって。
腹式呼吸で。
そうですよね、呼吸器もだんだん強くなってきますよね。
そうだったんですね。
じゃあ、部活もがっつりやってた中での、
そういう出来事で休学ってあったと思うんですけど、
その時の、よしさんの思春期、高2の、
休学してた時のよしさんの気持ちとかって、
どんな感じだったんですか?
休学、休んでた時はやっぱり、
治すことだけを集中してたので、
勉強とかも頭に全然、やろうとも思ってなかった。
一応、親に教科書を持っていけみたいな感じで
持っていったんですけど、
つらいだけでやる気力すらもなかった。
正直なところで。
ただ、体が回復して学校に戻る時期になると、
徐々に勉強も、
学校の授業についていかないといけないので、
最初は結構大変だったりもしてました。
新学校だったっていうのもあったので、
割と大変だったっていうのは覚えてます。
ただ、だんだん大学受験が近づいてくるわけですけども、
休学中の経験と大学進学
休学したり、授業も遅れてたっていうのもあって、
両親は1年間ぐらいなら浪人はいいだろうみたいな、
その辺は割と気持ちは受験でも楽でした。
ゆとりがある状態で、もう1年見ながらやっていこうっていう感じだったんですね。
当時先も、最初はお母さんと一緒に行くけど、
だんだんここ、自分一人で行って、
その間どうだったのかなっていうのを、
もう少し聞きたいなって今ちょっと思ったんですけど、
自分の住まいから温泉先に向かうんですよね、きっとね。
最初はやっぱり、実家の近場の温泉っていうところだった。
でも、実際温泉って湿があるじゃないですか。
湿が合うやつじゃないって意味がないんですよ。
逆に悪化ではないけど、逆にね。
強すぎたりなんだりかんだり。
まずそれを、どこがいいっていうのを探すだけでも一苦労っていうのが当時あって。
ただ、ここだっていうのはたまたま同じ県内にあったので。
同じ県内に肌に合う場所があったんですね。
全国一応有名なところも一応あったけど、
結果的には県内なんで。
さほど離れていてもそんなに負担は。
週末とか1ヶ月に1回ぐらいは親たちものんびりとしに来てた。
その辺はそんなに違和感というか、特別なかったですね。
かよいやすく自分の体に合う効いてるなっていう温泉が見つかって、
そこに通ってたっていう形だったんですね。
それをしながら自分自身の体調と向き合う高校半年間、
そこから体と向き合うことが始まっていったっていうところだった。
自分と向き合うっていうのがまさに県内がそこだった。
小さい頃から自分の体調っていうのは向き合ってきてたのかなっていうのも今伺ってます。
多分それもあったかもしれないんですけど、
今の道に至るようなところでは高校生の頃が一番の県内かなとは感じます。
ありがとうございます。
そこからどうなっていくか聞いていってもいいですか?
はい。
またそこからちょっと面白い展開が。
そこから面白い展開。
いろいろありすぎて書ききれませんみたいなアンケートだったので。
でも教育の話もしたいし、どこまでいけるかなっていうところなんですけど。
ちょっと早送り目な感じで聞きたいんですけど、いろいろお伺いしたいので。
そこからどういう展開があったのかっていうのをちょっとお話。
私、それ先聞いてもいいですか?
はい。
副学生の院をして、普通に大学、師大に入ったんですね。
師大に入ったらやっぱり田舎からとうとうっていうので浮かれるのはね、
多分リズムウォークも浮かれまくってた時代だったんですけど。
ちょっと確認していいですか。師大は何学部に行ったんですか?
工学部に入りました。
工学部ですか?法律の法ですか?
はい、そうです。
まだ全然体調理手術になってないですね。
全然なんでしょ。
ちなみに法学部に行ったのは何でだったんですか?
要は、副学して高3の途中から、途中って言っても多分一学期の途中だったと思うんですけど、
法学部から国際交流、そして中国への関心へ
その時に副学して、それで受験勉強、浪人含めて勉強してたというところで、
その受験勉強の中で何をやりたいか。
事と言うと、吹奏楽時代にあるサックスプレーヤーとの出会いがあって、
その時期は芸大目指したんですけど、
それは早々にちょっとセンスがないかなっていう形で諦めたんですけど。
じゃあ吹奏楽部入ったところにもちょっといろいろあったんですね。
要は、もともと僕の私立中学高校が、もともと6年生の一巻校だったんですね。
中高一巻校、私も中高一巻校。
でも一応3年、3年ではいいけど、6年一巻校の名残もあったから、
僕は6年間ストレートみたいな感じだったんですね。
その時にやっぱり6年間なんで、部活も6年になるわけですよ。
そうですよね、私もそうでした。
コンクールも含めていろいろ行けるし、
それこそ家庭の中で先輩がプロになってるっていうのもあるので、
そういうのを見てきて、たまたま名前出してたんですけど、
菅野部屋さんっていうアルトサックスのプレーヤー。
東京芸団の方がいて、
その方がたまたま男性としては小柄なんですよ。
僕も小柄の方なんで、
たまたま地元の音楽フェスティバルで、
菅野さんの楽団が地元に来たんですよ。
それまでもこの演奏好きだなと思って聞きに行ってたので、
地元に来てくれてもう浮かれまくって、
その人のフェスティバル中に文化会みたいなのがあって、
菅野さん単独の教室みたいな文化会もあったイベントをちょっとしたのがあって、
それで追っかけみたいになってたんですよ。
じゃあその菅野部屋さんのきっかけにサックス始めて、
中学、吹奏楽生活だったんですね。
その一方で、やっぱりアトピーの関係でアカンって下がってしまったというところで、
もちろん体調が悪いから部活も行かないし、
音も楽器も諦めるという感じで登場があったんですけど、
受験の中で音楽は趣味にしようと思ってたのに、
それで何か何かって思った時に、受験の時に邦楽部っていうのが頭によぎって受けたんです。
頭によぎって、芸大は一回趣味にしようって言って芸大じゃなくて、
邦楽部に転換というか、邦楽部にまた興味があったと思うんですけど、
それは何かきっかけあったんですか?
いや、特になかったりするんです。
理系ではないっていうのは新聞の中で確信があったので。
理系ではないっていうのは確信があったんですね。
文系の中で興味持てそうな分野が法律っていうか、
法律っていうよりも国際法みたいな国家間の問題。
日本はもともと高校生の頃に江崎英夫さんの
アメリカと日本っていう本があるんですね。
それはもともとあんまり日本すらも興味ない子が、
僕はやってても、ましてや海外なんてと思ってたんだけど、
高校生の時にいとこがアメリカに留学してたんですよ。
どこに?
アメリカに留学。
そのいとこがアメリカに行ったっていうだけで、
アメリカってどんな国なんだろうっていうところから、
アメリカについての本をむさぼり読んでる。
温泉、当時やってる間も。
当時やってるから。
本だけは読んでたんで。
勉強っていうよりはそういう、それも勉強ですよね。
学びですよね、自分の関心は。
当時は小説から何か読んでたんですよ。
小説を読んでたんですか。
その時に読んだ中に江崎玲夫さんの
アメリカと日本っていう本があって、
そこには江崎さんがアメリカと日本の教育制度の違いとか、
あとは娘さんがアメリカでも育ててるし、
日本にも間もあった。
その娘たちの育ち方から、
アメリカと日本とはどういう感じなんだろう。
また自分が学科研究者としてアメリカと日本にいるという形の部分から、
彼女の人生を含めたアメリカと日本。
一般教養は何かみたいな文を書いてたりする本なんですけど。
今も調べてるんですけど、江崎?
江崎玲夫さん。
江崎玲夫さん。
はい、今ありました。
その中に僕が印象的に残ってるのが、
リベラルアーツ。
彼の言うリベラルアーツっていうのがあって、
それはいくつかあるんですけど、
自分の日本語なら日本語の正しい理解と表現力とか、
あとは自国以外の最低一つの外国語の理解と表現とか、
あとは社会科学的なものの理解とか、自然科学とか、
そういういろんなものが書いてあったんですね。
文化や芸術に関しても書いてあった。
そういう中に入っているんですけど、
そうやって読んでいるうちに、
政治とか経済はないな、
なんと中で法律かなっていうふうな。
法っていうところにちょっとアンテナが立って、
法学部っていう道を一つアップしたんですね。
その先お願いします。
実際それで大学生になったと。
サブに漏れず、勉強中に遊びまくってたり、
遊びしまくってたんですけど、
ただ大学の中でサークルがありますよね。
何のサークルが入ったかっていうと、国際交流のサークルが入ったんですよ。
そこで国際がキーワードとしてありますね。
学部的にもそういうのを勉強しているのもあって、
サークルもそういうサークルが入ってたというのがあって、
そのサークルで大学にもアジア圏の留学生がたくさんいたので、
それから本当に留学生とか日本人の友達も含めて遊びしてた。
その時に一番仲良くなったのが、
中国の漢方医の資格を取って、
日本で経営学を学んでるっていう中国の出身の人間と
友達に一番仲良くなったんです。
じゃあご友人がきっかけなんですかね。
その後気になる。
中国の漢方医学、既に学んでる。
でも年齢的に大学生ってちょっと上ですかね、先輩。
そうですね。一旦地元の大学を卒業した後の年齢的には上ですけど。
ちょっと先輩だけど、友達、友人になった。
大学、日本の学年場は同期で入ってたまたまいたその友人と一番仲が良かった。
そのご友人が結構キーパーソンなんですかね。
キーパーソンにはなるかもしれないんですけど、
一応そういう漢方ってあるんだねとか、
その友人が新居の専門医でもあったので、
その日本の新居院にアルバイトしてたんですよ。
たまに遊びに行ってたんですね、その友人のアルバイト。
そしたら、要はアルバイトをしてるわけじゃないけど、たまに手伝いみたいなことをしてたんですよ、暇だから。
そしたらそのところの新居院の新居の新居士の方に、
なんか君、肺の手先がすごい向いてるとか言われてて。
よしさんの手が?
よしさんの手を見て、
慣れてるよりは全然興味ないんですけど、と思いながらいたんですよ。
ただ、その友達も実は体力圏やってずっと幼い頃からやっていて、
しかも僕と同じ小児漸卒だったんですよ。
そこも進化して、お互い感じて仲良かったっていうのがあった。
共通点があって、話が息統合ってやつですよね、きっとね。
そうなんです。
それでそれで?
そこからだんだん仲良く、他の国の中国ばっかりじゃなくて、台湾とかベトナムとかインドとかそういう友達もたくさんいたんですけど。
でもアジア圏が多いんですね。
僕の当時の大学がアジア圏が一番多かったの、自分はそうなんですけど。
それからだんだん大学内じゃなくて、インクルのサークルを立ち上げようっていう、
たまたまちょっと流れになって、最終的には三つ四つの大学が集まったインクルの国際交流サークルを作る形になって、
そこで副代表をやり始めるような感じになったんですね。
その時に、要は留学生がパート会議のいろんな問題があるとか、
銀行日本で銀行口座作るにもとか、いろんな制度的な行政的なものが目につくようになって、
その中の一つがやっぱり病院にかかるっていうところがあって。
何にかかる?
病院にかかる。
そういうのを見たりしてる時から、なんで日本で言おうってなんかおかしいなと思うようになったのも、要は二番目の限界点みたいな感じになる。
じゃあそこのインクルの国際交流サークルみたいに副代表を務めている中でも、
大学中退と中国へのバックパック旅行
それがきっと大学2、3年生ぐらいの時ですか?
2年間。
大学2、3、4年っていう感じですかね。大変わりもあるのか。
大学1年生の時から留学生の関係で、夏休みになったらその留学生のところに遊びに行ってたりしてたんです。
大学2年の夏休みも中国に遊びに、香港に行ってて。
そこで香港に友達5人で行って、1週間ぐらい行って、その1日は個人行動しようって形でやった時に、
その友達、中国から来たのかも、医者の友達の例の彼が、その友達の太極拳の武術の道場とか、
あとはその医者関係のところに連れて行ってもらったんですよ。
そうなったんですね。めちゃめちゃ仲良し。
それで、この国の人たちに触れ合いたい、もっと知りたいってなって、
実を言うと、それで夏休み、友達との旅行終わって、2学期初めて早々に、大学の後期初めて早々に、僕は中退したんですよ。
すごい大きな決断。すごいですね。その決断はどうやって、何が決断させたんですか?
日本にいて法律で学んでても、一応司法試験とかあるでしょうけど、そういう興味は全くなかったんですよ。
自分の興味に気づいたっていう感じですかね、その個人行動の日が。
そうそうそうそう。要は、もっと言うと、幼い頃からの空手もやってきた、吹奏楽とかも含めてね、
そういうので自分に向き合ったり、あと体も含めた部分に向き合って、楽器やるって言っても、ある意味体育会見の部分って吹奏楽ってあるじゃないですか。
めっちゃある。はい、ありますね。
そういうところも含めて、体のあれに興味の関心がめちゃくちゃ高かったんですよ。
そうですね、今聞いてみるとそうですよね。
それで、中国のタイプ術の案内とか、中国の友達の関係の医者たちの隣のところに紹介してもらったり案内してもらって、
そのあれがもう、こんなのやってる場合じゃない、こっちに行きたいと思うんだったんですよ。
じゃあそこで自分、何に興味あるんだろうなという感じで、とりあえず国際法に興味があるから、
法学部かなっていうふうに入ってみたけど、そこの先に広がってた、まず友達との出会いだとそうですし、
その中でもその日に気づいたって感じですかね、こっちはもっと知りたいっていう。
要はある武術の大極拳の道場の先生みたいな、友達の先生みたいな、その方にも日本からわざわざ来てくれたんだねとか言って、
そうやっていろいろ話させていただいてるんですけど、若いんだからもっといろんな世界を見た方がいいよ、
決して自分の見える範囲だけの世界だけに囚われてはいけないよ、みたいなことも言われてたんですよ。
そこも僕、一つのきっかけとなる言葉になっていて。
若いんだからもっと広い世界を見た方がいいよっていう、その大極拳の道場の先生。
からの言葉っていうのも、すごい印象に残ってキャッチしてるんですね。
確かにそうだ。このままレールに乗ったような形でいくのももちろんいいんだけども、
でも今の段階だからこそ、たとえそれがどうなろうとも、今の段階だからこそできる効能ももちろんあるわけで。
それはもう今しかできないと思ったんですね。
すごい大きな決断。大学中退するって親に言うときとかがあると思うんですけどね。
教授に言うときとか、母に言うときとかあると思うんですけど。
言うっていうよりも、まずは海外に行くのにお金が必要になるので、まずはお金を貯めようっていう頭になったんですよ。
なので学校は最低限行きながらアルバイトをしつくして、夜も。
他のカリアも含める話なので言っちゃうと、実は夜は夜でホストクラブで働いてました。
すごい面白すぎる。
でもやっぱりお金を貯めるっていう目的のために、短期間でいっぱい稼ぐっていうところもあるからって感じですね。
ホスト時代の話も聞きたかった。
終わらなくなっちゃうけど、まあいいや。
ホストの時はまた別の会議を見ようかと思って。
お金が貯まったと。
お金が貯まったっていうところで。
もう貯まりましたね。
その間の過程はあんまり見ないので、飛び立っていってないので。
貯まったっていうところで、海外に飛び出すバックパックを始めたんですね。
バックパックを始めるんですね。
中国をまず全部回りたいっていう形で中国を回ったりして。
その中国を回ってる中で、もっといろんな地方、奥地の方まで、四川省もね、もっと多くの市民との関係も含めたり、いろいろ言ってる中で、やっぱり違うなって。
でかい国は違うなみたいなところも含めて。
中国バックパックして、中国めっちゃ広いじゃないですか。
中国に関心、めっちゃ興味あるって。
若い子がね、大学中退した若者がバックパックしたときに受けるスポンジ力がすごかったと思うんですけど、吸収力が。
そんな吉さんが一番中国へ行って印象に残ってることとか、驚いたこととか、どんなことありましたか。
今の僕の軸にもなってるんですけど、確かに世間的なニュースや報道も含めて、共産国家ではあるんですけど、社会主義国ではあるんですけど、
僕が巡っている中で出会った、武術のベースがありますけど、中国のオリジナルの部分で道教っていうのがあるんですね。道の教えとか道教っていうのが。
道教っていうふうに書いても、実際それは日本人的に見れば神道と同じような感覚なんですよ。
要は日本の神道も神社っていう建物があっても、要は天照が太陽とか、要は自然じゃないですか。
実は中国人にとっての道教も、中国の自然の部分からの出てきたもので、生活の中に溶け込んでるみたいなものがあるんです。
日本の神道と同じような自然感が、中国人の中にあるっていうのも面白かったんですよ。
その辺は、歴史や学校では学ばない中国の要素とか。
歴史でそれこそ、今は教え方が変わってるみたいですけど、それこそ昔で言うと、南京で日本人はひどいことをしたとかね。
そういうのも当時は、今は変わってますけど、そういうのがあったので、南京に近づきたいねとかであったんですけど。
ところが南京に当時、今でも本当に行ってますけど、南京に行ってもそんなの、現地の人なんかもう何も分からないんですよ。
ところが、南京の虐殺同行って言ってる南京出身のお年寄りもいないんですよ。
あれ?おかしいぞってなって。
日本人ひどいことしたはずじゃなかったの?って言ったら、
いや、あれは当時、同じ中国人の国民党軍の中で日本人に憤した。
日本からも入ってきたから、日本軍に憤して、それで現地の同じ国民を殺したり、いろいろなことをやって、
日本人のイメージを悪くさせようとしたっていうのを南京の人から聞いたんですよ。
えー、すごい。
で、「え?」ってなるんですよ。
学校で教わったのって何?みたいなところがあったし。
で、自然的な同居、陰陽五陵っていう考え方なんですけども、陰と陽は太陽と月とか、五陵っていうのは火とか木とか、大地とかそういう考え、自然観なわけですよ。
で、そういうのがあったりして、うわー、なんか、やっぱり人間っていう考え方のベーサーが同じなんだなって思うようになって。
その上で、やっぱりその現地、土地なりの土地の、なれでもの監修というか、人間が出来上がってくるっていうのを感じ取ったりしてきたっていうのが当時だって。
で、その中で縁があって、同居武術じゃないですけど、そういう中国の一般的な漢風、ジャッキー・ジャイアント、ああいうのではない、本当の中国の中に根付いている武術、パフォーマンスじゃない武術っていうところを学ぶ五陵がたまたまできたんですよ。
へー、そうなんですね。
いわゆる地位、同居、寺じゃないけど地位みたいなところで、そこで武術と技巧とか、あとは実は同居の中に同居医術っていう同位学っていう、またちょっと現代の中医学とは違った伝統医学が実は残っていて、
それを要は自分で鍛えながら、その古い同位学っていうのも学ぶようなきっかけが僕はできたんですよ。
じゃあそのバックパック中国を回っている間に、いろんな自分の価値観がアップデートされている経験だったり、
最終期限のお友達きっかけで始まった集大決断をして、旅に出て、いろんな出会いがあって、自分の価値観もアップデートされていく中で、同居武術、同位学っていうのを学んでいくんですね。
そこで日々堪能しながら、同位学っていうのを学んでいて、ある程度やった段階でちょっとバックパッカー、学びながらも実は中国都電に東南アジアとかインドとかイラン、トルコとかああいうところも実はバックパッカー続けていくんですよ。
へーむずっ。じゃあもうアジア圏というか東南アジアを。
それを続けていって、もうそろそろいい年出しみたいな感じで、20代半ばで戻ろうとしてたら、自分も勉強、トレーニングもさせていただいた人員的なところのトップの人から、ここまで学んでいる日本人っていないんだから、
推薦状を書くから、美学部に行く気はないかっていう方の話をいただいたんですよ。
で、そうすれば留学っていう形にもなるから。
で、悩んだんですけど、確かにこのまま帰ってもせいぜい町の気候の先生とか武術の先生ぐらいしかなれないと思ったから、
あ、だったら、まあトルコまで行けばキャリアになる、キャリアにもなるからって。
で、なってそこで中医薬大学っていうところの、まあ通常だったらね、留学って形だったら1年の成果だってなるんですけど、
まあそこで学んでいって、推薦っていうのもあったので、3年中に編入っていう形で始まったんです。
へー、もうじゃあ異例の、そんな日本人いないよって言われてるぐらいですから、きっとほんといないんだろうし。
実は中国の医大を出てる日本人って割と多いんですよ。
ただ日本に帰ってきて就職先がないから、普通の仕事をしてるっていう人が結構多いんですよ。
だから現地のやつを学んで、今日本でも続けてるのって僕ぐらいなんですよ。
へー、そこはもうよしさんの強みなんですね。
影響を受けた書籍とキャリア観
いろんな、中国の中でもいろいろ回ってるってすごいですよね。
そこからじゃあ、やっぱあれですかね、大きな、キリパーソンはご友人が大きいんですね。
大学ぐらいですかね。
僕の中でね、高校生の頃の江崎龍奈さんの、本当に恩人っていうよりも恩書になるようなところでは思ってるんですけど。
友人に関してはそんなにキリパーソンっていう評価というか立ち位置を全く意識してなくて。
なんか今聞いてるから、やっぱまずよしさん自身が一個一個決断してった先にあったとは思うんですけど、
ずっと体に向き合ってきている中で、その本っていうの、まず本で自分を知っていった時間、当時の時間が自分の体と向き合いながらも、
勉強の気力がなかったって、いわゆる日本の学校制度の中にある、指導要領に乗っかってる教育カリキュラムに興味がなかっただけで、
その間いろんな本に出会っていろんな感化されて感じました。
多分大学生の頃も含めて、10代とかは本が本の虫みたいな状態だった。
本ってすごいですね。で、その中でも今思う恩書っていうふうにおっしゃってます。
アメリカの日本っていう江崎レオナさんの本から影響を受けて、世界のことを学びたいとか、世界に安定を求めたっていう感じですかね。
そうですね。その後にも実は恩書が出てきて、そこはもう本当に医療をやってるからっていう部分もあるんですけど、
その後、30歳だったかちょっと覚えてないんですけど、そのくらいの時にアレキシス・カレールっていう方の書いた、放題にすると人間未知なるものっていう本があります。
もう一回お願いします。
アレキシス・カレールさんという方が書いた本があるんですけども、これも普通に書店で売ってるやつなんですけど、これは人間っていうタイトルがついてるように、最初の本の前置きのところにも書いてるんですけど、
これは人間というテーマで様々な学問領域の人間の知見を集めた集大成だみたいなことが書いてあるんですよ。
今ちょっと開いてみてます。しかも海底新版も出てますね。
これはもう僕は、またこれをすごく今でも読み続けて、アメリカと日本も含めて、今ももうそれこそ100回以上それぞれ読んでますけど。
何度もこうやってタイミングで戻りたくなる本一つってこと?
そうですね。そういうのもあるんですけど、本当にこの人間っていう本も読んでも読んでも、やっぱり年齢に応じた読み方っていうのもあると思うんですね。
何度も読みたくなる本ってありますよね。
もう30歳ぐらいから特にもう今今年50なんですけど、本当に文芸、文学作品みたいなのを一切読まなくなっちゃった。
ビジネス書とか、普段確かに医学書を読んだり、論文を読まなきゃいけないという時間がないのもあるんですけど、
それを抜いたところでも今ほとんど文芸書みたいなのは全く触れてないんですよ。
なので、何かのタイミングがあったら文芸書もちょっとまた戻りたいと思います。
私も読みたいのに。
あるんです。大人になってからこその文芸書みたいなのもあると思うんで、それは読みたいんですけど、今どうしても自分の専門領域とかビジネス書みたいになっちゃって。
哲学書っぽいですよね、これね。
そうですね。
医学書っていう感じなんですかね。
道徳倫理的な立場からも書かれてるし、もちろん医学的な部分からも書かれてるし、科学領域からも読めるっていうところなので。
出版数年にして18カ国に訳され、1000万部を突破。今なお多大な影響を与えている。素敵興奮に満ちた名書と書いてありますね。
本当名書だと思います。
めっちゃアマゾンでもレビュー高いですね。欲しいやつ。読んでもいいよ、改訂版の本で。
本だったら本好きな部分もあるので、本だけでもたまに番組になるかもしれないですけど。
今回の子供たちと大人のキャリアに向けてという意味では、今日のテーマだと僕はこの2冊かなと思います。
選んでくださったんですね、ありがとうございます。
今お話聞いていると、今回のエミコラボをむよしさんに聞いてくださってるから、すごいご理解いただいてすごく嬉しいんですけど、
迷い、子供たちとか今、大学生とか専門学校とかに行って、なんかやっぱり違ったとか言ってみたけど、なんかここじゃないなっていう、その迷いもちゃんと今につながってるんだよ、
未来に、子供たちからしたら未来につながってるんだよっていうことも伝えていきたいなって今思っていて、
まさに今日お聞きしていた、むよしさんのキャリアヒストリー、なんで中医学っていうところに到達していったのかっていうのがすごく、
元旦駅、まず生まれから未熟児で生まれてっていうところも、小児前足ってずっと付き合っていて、高校2年生が転機っていう話もありましたけど、
ずっと体と向き合っていて、でもなぜ邦楽部に行ったんだろう、そこにもコントの出会いっていうのがあって、
アメリカと日本を読んで、それでリベラル、僕が頭に残ってるリベラルアーツと江崎さんの定義するものの中に書いてあった部分もあるし、
あとはそれぞれの教育制度、あとはナンバーワンとしてアメリカ、今のアメリカとは違いますけど、
もともとは朝日新聞の社説家なんかのやつを単行本化したっていうふうに確か書いてあったので、
そうなんですね。アメリカと中国っていうタイトルのタイトルと、
実際の本の本っていうアメリカと日本っていうのは、今の日本とアメリカではなくて、だいぶ前だと思うんですけど、
ただそれだけでもやっぱり制度が違うとこうなんだな、それで国家間とか国と国の関係みたいなところから法律っていうふうになったんですね。
ちょっと聞きたいなと思ったのが、よしさんにとって、本って今子どもたちは本離れって結構聞く、
大人、私も本好きですけど、本読む大人も減ってると思うし、子どもたちはもっともっと本読まなくなってきてるし、
かつ字を読むっていうチャンスがないんですよね、多分スマホ本なりYouTubeあったりなんだりかんだり。
本って本当に、本っていろんな経験や知識とか凝縮、物語でもいいんですけど、文芸でもいいんですけど、
大凝縮されててすごいいいなと思うんですが、よしさんにとって本ってどんなものを。
僕は確かにYouTubeとかいろんなもの、それこそAIとか出てきてますけど、今だからこそ、
僕そういう文芸書を読むっていうのがすごく大切な転機になってるなと思って感じてるんですね。
なんでかっていうと、今AI出る以前の部分だったらちょこっと言えばネットワーク返してくれるとか、
便利だ便利だとかなって、下手に勉強するなったらYouTube見れば情報があるとかいう形にはなってたと思うんですけど、
今AIが出てきて、いい悪い愚痴としてもみなさん仕事に使いだしてるわけですよ。
ましてや子供たちなんかは、そういうAIネイティブな形でもどんどん振り回されることなく、
自分という基準を持ちながら使いこなさないといけない、使ってる時代になってるってなった時に、
何を持って自分の軸にするかってなったら、ネットに転がってるものだけじゃ自分という軸は作れない。
あとはやっぱりAI使うのも文章力、国語力。要はAIに正しい指示をするにしても、
ただ会話するといいですよ、チャットでいいですよって言っても、今のコミュニケーションって本当に言葉の正確さとか、
分かってるもの同士だったら、はしょる表現とかあるじゃないですか。でもAIってその辺も全部原稿化して指示してあげないと、
求めるものって返ってこないんですよ。だから僕は逆にAIがこうやってなって、これからだんだんマストになって、
いろんなAIを使うからこそ国語力が必須になってるし、国語だからといって学校の授業の国語のテストとかじゃなくて、
とにかくいろんな表現、いろんな言葉に触れるっていう部分で文言書は本当にマストなんじゃないか。
だから心配っていうよりも僕は逆に、この時代だからこそみんな自然と本になって戻ってくんじゃないかなっていう、楽観的な感覚です。
えー面白い。今このスタイフもラジオっていうのも昔からあったもので、私もラジオその声で届けるとか本もすると、やっぱなんか戻ってきてる感覚はあるんですよね。
今だからこそラジオその声で届けるっていいなとか、今だからこそ書籍を通して何かを知るとか、それは確かな嘘がない真実みたいな。
そういうのも感じてて、その魅力とかも子供たちが出会ってほしいなっていうと、僕は思います。
それこそね、デジタルのKindleみたいなやつでもいいから、まずは文字に触れるのっていいじゃないですか。
いいですよね。文字に触れる。
漫画を通じた学びと幼少期の読書体験
僕言っちゃうと漫画も読んでるんで、
私も漫画読んでます。
全然、例えば僕よくこういう話、教育の話になった時に話すのは、それこそ女性だって読まないから、ゴルゴ13とかってあるじゃないですか。
ゴルゴ13は読んだことないですよね。
ゴルゴ13って、ゴルゴっていう暗殺者、スナイパーがいるわけですよ。
いろんな暗殺依頼を受けて、その対象を暗殺するっていう。
なんかちょっと短脚っぽいんだけど、実はあの漫画に書かれてるのって、資生学だったり国際情勢の部分なんですよ。
どういう人がいて、この国のこういう人たちがゴルゴ依頼をしているのか。
どういう事情があって、この人は命を狙われるのかっていうのも、漫画を通して読むわけですよ。
そうすると、自然と国際関係とか、そういうのが自然とこうなんだなって楽しみながらわかってる。
本人もそういう勉強してるって意識があるんですよ。
あとは、例えばおいしんぼっていうアニメ、アニメグループの漫画あるけど、
あれなんかも、新聞社の人間が一番おいしいものを作るぞっていう社内のプロジェクトがあって、
それに対して、どこのどこのどういうのがいいんだ、どこのどこの漁人があったかなっていろいろ取材していく。
それを漫画を通して何を知れるかって言ったら、日本の各地の名産とかも含めて、
あとどういう料理がこうだとか、中華料理はこうだとか、日本料理はこうだとか、そういうのを知れるわけですよ。
なので漫画って言っても、完全なファンタジーとかいうのはあるかもしれないけど、
でも漫画によってはそういう間接的な形で知っていって、
それで文字に映るっていうきっかけのクッションで漫画はなってくれる。
私も思いますね。漫画からでもいいから、まず何かに触れるっていうのはいいですよね。
それこそ今思い出したのが、小学生の時に歴史の授業、歴史とか社会の授業とかあるんですね。
僕、子供の頃に親が漫画の日本の歴史みたいな。
電気漫画。
電気漫画とか学研科なんかあるじゃないですか。
あれを買ってくれたんですよ。
僕、漫画だけだったんですよ。
漫画だけなのに、学校の先生よりも詳しくなって、社会に関しては常に満点だったんですよ。
すごい。
そういう体験はすごいいいですよね。
それから学びに入った。
それがあったから、お前なんでこんなに教科書に載ってないようなことも話してるけど、
お前何なんだろうとか言われて、
先生、このやつの漫画を読んでるだけです。
中国のやつにしても、図書室にスイコテンとか西遊記の漫画というよりも劇画みたいなやつが図書室にあったんですよ。
それも読んでるうちに自然と中国のことがわかるようになってきた。
もともと小学校の図書室にいる吉君が中国には出会ってたんですね。
出会ってました。漫画で出会ってました。
そういうのも繋がってるんですね。
あとは写真集かなんかで、いろんな各地の子供が写真とかで出てるような民族衣装みたいなのが出てるような写真集みたいなのも図書室にあって、
その中で、それこそチベットとかブータンとかウイーブルとか、中国の多くのもののやつとか、
あとはそのアメリカのネイティブアメリカンといわれるアパッチとかスーとかナバホとか、
そういうのが写真に出てて、そういうのもなんか面白いってなってたんですよ。
じゃあもうそれを覚えてるってすごいことだなと思うんですけど、小学生の時に、
今先ほどお年齢も50、今50歳。
よしさんが小学生の時に図書室で読んだ、あの本のあの映像を覚えてるっていう。
だからバックパッカーをした時のそのやつが蘇って、
それこそアメリカ、普通にアメリカとかニューヨークとか行ってないくせに、
ネイティブアメリカンの協力にあったりとか言ってるんですよ。
へー面白い。
逆にそのネイティブアメリカンの中にまた独自の医療の考え方があって、
それで実は今国際的な医療プロジェクトというのは実は立ち上がってるんですけど、
そこのメンバーになって、いろんな各国の一般医療、一般的な医療なんですよ。
いろんな世界中にある伝統医療、中国の伝統医療。
そういった医療の世界的なチームが今出来上がっているんですよ。
現在の目標と西洋・東洋医学の融合
かっこいい。よしさん何も思わない。
そのキックヘアの関係で僕がいろいろやったのもバックパッカー時代に知り合った、現地の。
その時に出会っている方と、今また新たにスタートしている。
新たにまた。楽しそう。何その人生。
すごいお時間経ってまだまだ聞きたいんですけど、1時間経ってしまったんですけど、
よしさんが思い描くキャリアにおける今の目標っていうのを聞いてもいいですか。
そうですね。僕は中国、今先ほど依頼した。
その中で、僕の専門は中国医療だけじゃないんですよ。
本来は、本当の専門は中国医療と一般的な西洋医療の、
印地的な言葉で言うと中性結合っていうんですけど、
中国医学と西洋医学のお互い単価を結んだ共同で患者さんに負担ならない形で、
共同で治療に当たっていくっていうのが僕の本来の論文的な専門なんですよ。
なので、日本で、なかなか壁が厚いんですけど、制度上の壁が厚いんですけど、
日本で、要は外国で、中国を含め外国で医師免許を取った人間でも、
日本で医師として活動できるっていうところの厚い壁に向かって、
いろいろと勉強会で講習しながらチャレンジしています。
えー、じゃあ今そこも開拓してるっていうところ。
そこの厚い壁に向かって。
事前のアンケートでは、医師の世界ネットワークっていうふうにお答えいただいていて、
そういう中国医療とか東洋医学とかですよね。
いわゆる東洋医学と西洋医学の融合っていうところですよね。
そこを、実はコロナの頃に、実はインドにもアイルベーダーっていう伝統的な医療がありますけど、
インドの中で実は一般的な医療以外に伝統医療、アイルベーダーの専門症状っていうのが実はインドにあるんですよ。
それ、アイルベーダーやってる方に聞いて、インドではアイルベーダーがもう医師みたくちゃんと地位ってあるんですよね。
ちゃんと地位になってるんですよ。
で、中国ももちろん地位、医師としてあれがあって、
で、インドが面白いのが、森さんが面白いのが、
日本でアイルベーダー、日本で住んでるアイルベーダーのドクターっていうのがありくるんですよ、都内にもいるんですよ。
で、その都内にアイルベーダーのクリニックが作れるようにっていう形で、
実はある国際、国立大学の医学部とアイルベーダー省が正式点検を結んでるんですよ。
へー、じゃあ今始まってる。
始まってもあるんですかね。
まだクリニックっていう部分ではなってないんですけど、
一応今は大学病院の中にアイルベーダー診療科っていうのを併設するっていうところで、今実際動きができてます。
進んでるんで。
じゃあもうおよそそこのプロジェクトの中にいるっていうふうにおっしゃってたんですけど、そこの最前線にいらっしゃるんですよね。
今学んで、医師の方たちの草の的な部分も含めて教会をしているっていうところで。
そうなんですね。
いいですね、そこの融合の部分とか、糖尿治療とか患者さんファーストの。
多分そこのステロイドで根本治療では全然ない、むしろ悪化する経験をなさったからこその、
多分よしさんが思う理想のいい医療とか日本が目指す医療の世界っていうのもあると思うし、
そこに向かってまだ挑戦し続けてるよしさんっていうのはかっこいいですよね。
やっぱり今は空腹域の大人にインタビューしてるんで、そうやってこう自分の目指す世界に向けていろいろやってってるっていう、
大人がいるんだぞここにっていうのをまずね、子どもたちに届けたいですし、
そういうお話を聞けたことはすごくありがたいなと思いましたね。
大人と子供へのメッセージ
全然話が、何にも聞き足りてない気がするんですけど。
なかなかね、1時間じゃん、語り聞き。
そんな遠回り?
いやいや遠回り、これもこれで。
今日はこれ、いろんなキャリアヒストリーというか、今に至るまでのよしさんの歴史を聞くことができて本当にありがとうございます。
最後にしちゃいけない気がするんですけど、お時間なので2つ、
毎回皆さんに聞いてる質問、子どもたちへと大人たちへ。
2つお聞きしたいんですが、まず最初に大人たち、今迷ってる大人たちに向けて先にメッセージいいですか。
はい、やっぱり大人になるというか、言葉をちょっと選ばないで言うと、
いろいろね、責任も含めたいろんなそのものを背負っていく中で、行動できないぐらいまで悩んだり立ち止まることももちろんあるかと思います。
ただ、それっていうのは、決して背負い続けていいものではなくて、
よくね、世代にもよるかもしれないけど、大人ならばこうなんだとか、40代は不悪とかね、そういうことが日本はありますけど、
僕は今の社会観で、社会というか人間の部分で言うと、それって合わないなと思っていて。
合わないというよりも、年々僕は大人というか人間としてだんだん弱くなってるな、精神性が弱くなってるなっていうのがちょっと感じていて、
逆に若い人たちの方が、今いろんな情報に触れられなっているからこそ自分を持つっていうので、逆に若い人たちの方が精神性高いんじゃないかって感じることがあったりしたんですね。
僕は、悩む大人は逆に、しっかりしている若い人たちと積極的に絡めって思うんですよ。
おお、なんか面白いアプローチ。若い人たちの精神性。
若い人たちに、これ何で話せるかというと、僕がやっているコミュニティで関わっている中には20代の方たちもいらっしゃるんですよ。
20代と話していると、最初は、これって俺が言うと老害かなと思ってたまにあったんですよ。
でも、そんな心配する。そういうふうにもちろん言う若手はいるんですよ。30代の人とか。
でも、そうやって言う人は言わせとけ、みたいな感覚になっていて。
本当に20代の人たちにしても、成長志向の人たちって、自分たちにないのは経験だっていうのは絶対的に経験が足りない。
とにかく目上の人と話して、足りない経験を補いたい。その経験のもとに、自分もいろんな経験を増やしていきたいって思っている方たちが多いんですよ。
逆に悩んで立ち止まっている大人は、行動もしないから、過去の経験しかないわけですよ。
なんだったら、過去5年とか10年のスパンで頭で今悩んでいるっていう形になるから、より動けなくなってるわけですよ。悩んじゃってる。
だったら、その若い人たちのエネルギーをもらって、自分も20代と同じように行動していくことによって、結果的にブレイクするんだろうと。
頭で一発で思考優位性になっている。今、睡眠障害の大人たちが増えているという部分も含めてなんですけど、
思考優位になりすぎているために無駄に悩んでいる。本当は悩む必要がないところまで無駄に悩んでいるっていうのが僕の印象にあるので、
そんな悩んでいる暇があったら、若い人たちと一緒に行動しろって僕は今思っています。
そうです、今迷っている大人の皆さん。若い人たちって、そうですよね。
私はもともと小学校の現場にいて、子どもたちからいっぱいエネルギーをもらってたんですよね。
子どもから学ぶこととか、若い世代から学ぶこととか、すっごいたくさんあると思うし、
そこをもし迷っている方がいたら、若い世代に聞くっていうのがめっちゃいいですね。
エネルギー持っている、ガンガンやっている。
ガンガンやっている若い人たちって本当に多いんですよ。
才能が開かれやすい時代になってますからね。
やりたいことさえ見つかっていれば、その方向で道を開く可能性はすごく開けているのかなと思っています。
逆に若い人たちは、ベルカムの体制でいてくれてるんですよ。
意外とね、確かに吉さんの世代は、今ハラスメント恐怖症じゃないけど、何でもハラスメントになっちゃうんじゃないかっていうので、
若者に絡み方がわからない。自分が受けてきた絡まれ方を同じように若い世代にしたらセクハラになっちゃうっていうのがあるみたいで。
確かにあるんでしょ。
確かにあると思いますね。
現場に行ったのだけど、そこの場はある程度臨機応変にね、ある程度やればいいし、間違ったら間違ったらごめんなさいでいいんですよ。
その若い人たちに絡む、精神性に絡んでいくその勇気ってすごく大事ですよね。
なんだったら、本当に若い人たち、今若い人たち夜遊びしなくなっちゃってますけど、
僕なんかは先輩たちにくっついて夜遊びしてたからこその経験値とか学べたことってあるんですよね。
今って、そういう意味では言葉を選ぶときに不幸の時代かなと思っていて、何でもかんでもハラスメントってなっちゃってる。
本当にハラスメントでね、本当に正すべきところはありますけど。
本当なところもある。
そうじゃなくて、ここの部分はね、許容性としていいんじゃないよ。それが生きてきた器になるんじゃないの。もっと自由度があってもいいんじゃないのっていうところが当然あると思うんで。
あるある。
逆に言うと、今教科書的な形が正しいと言われていて、若い人たちにしても無駄なことは好まないっていう風になってるけど、
20代は何が良いかっていうと体力なんですよね。圧倒的な。
失敗とかね、今コスパとか何とかとか言われてるけど、そんな頭を持ってもいいけど、
いやいやいや、何言ってんの。そんなの30代以降でもいいんだから、とにかく行動して、いろんな人間にいい悪いを別として会えまくれ。
その会ってる中で、こいつ本当に老害だなって思うね。
おっさんもいれば、このおっさん結構使えるかもっておっさんもいるわけですよ。
それは触れ合いの中でしか分かってこないから。
最初から自分で今の生きてきた20年が20年、30年が30年だけで判断せずに、
一旦その前提を置いて飛び込んで触れ合ったからこそのアップデートがあるから、それはして欲しいのと思う。
それして欲しいですね。ありがとうございます。
子どもたち、もうちょっと20代30代にもうちょっと手前の子どもたち、小学生とか、その辺の子どもたちにメッセージもいいですか?
はい。今学校に行って、日頃学校という、たぶん大人たちはここも社会性に身につける場所だよとか、
コミュニティの動向とか、いろんな教科書的なことは、先生もたぶん普段感じなくても仕事上言わざるを得ないとかあるかと思うんですけど、
でも、学校の中でしか体験できないことっていうのは、勉強ばかりじゃなくて、いろいろ本当にあるので、
もちろん友達同士のやつ、部活動も含めて、学校っていう学生っていう中でしか、
とにかくあるかもしれないけど、それも含めて経験しちゃい、とにかく経験しちゃい。
とにかく経験しちゃいいですね。
本当に今お話しあったけど、学校の中だけでしか体験できないことってありますよね?
あります。
息子と石振りしてますけど、よく言ってる。
今、日本では本当にめったにいないけど、海外だと仕事を引退してから大学行き直すとか、だらにあるわけでしょ。
そうすると年半、若い人に対して60代とか70代のおっさんが同じ大学のゼミにいるとかなる。
お互いにいいですよね。
お互いにいい。
日本は、これよくないと思うんだけど、日本も学び直しで何十代でも大学行ったりなんだりとか、
世代を超えた交流が進むといいと思ってるんですけど、それが日本にはまだまだ足りない部分があるので。
でも、同世代と過ごせるっていう部分、大学じゃなくて高校までの分では、同世代と絡めるからこその価値観が育つとか、いろんな部分がいますよね。
もちろんいじめとかの部分ももちろんあると思うけど、いじめも僕も正直ありました。体によくあったりしてたので。
でも、いじめられて確かに悔しかったしなんだしとか、ワーっていうのがあったけど、それが小学校でワーってなった。
だけど、それが中学になって男子校になったら、自然と行動が変わってきたとか。
中高推奨学とかね、病気の関係もあったりしても、大学になってまた女子が増えてくるっていうところで、
あとは留学生とかいう部分で、珍しい。それまで抑え込んでたものは爆発爆発ってなるわけですよ。
爆発が過ぎて夜の仕事までになっちゃったのは良くないと思うんですけど。
聞いていきたい、その続編。
今、辛い状態でいじめとか含めて、自分が今悩んでる辛い、自分の殻に取りこもって抑え込んでるっていうのは辛いとは思ったけど、
辛いのも絶対、永遠に続かない。
人が一学年に変わって、その暮らす代があったら、そこでまた爆発する、解放するきっかけが生まれるだろうし、
その視点を変えて、辛いけど、今それは自分の中だけのエネルギーを溜め込んでるっていうふうに解釈すると良いと思うんですよ。
辛いでもエネルギーを溜め込んでるんだよ。
溜めて溜めて、それでそれが解放されるときに、君は絶対自分のものに、解放した光、エネルギーに魅力を感じて、
それで何々さんともっと話そうとか、何か一緒にやろうっていう、絶対そういうパワーになるので、
溜め込んでるときに、本に触れてもいいし、映画を見てもいいし、音楽に触れてもいいし、
その花開いた、解放されたときに、伝える度の言葉を蓄積したりとかね、考えをアップデートするっていう形で、今は充電してもいいんじゃないかと思ってます。
それでも、よしさんがそういう時代を何回も何回もずっとなのかもしれないけど、乗り越えてきたからこそ、言える言葉ですよね、やっぱりね。
社会に出るとね、本当に腐ったりな人間がたくさんいるんですけど、そういうときに我慢する必要は溜め込む必要はないんですけど、学生の間は充電してもいいと思います。
充電してもいいよっていうね、辛いときエネルギーを溜め込んでるとき、いろんな本とか映画とかで、いろいろ自分の充電機関にするのはすごくいいんだよっていうこととか、
あともう一方で学校の中だけで、いろんな嫌なことも含めて、学校の同学面の中でだからこそ経験できることもあるよっていうことですよね。
ありがとうございます。
また最長記録を更新してるかもしれないけど、やっぱり歴史が、たぶん一番、先輩にあたる方ってキャリアヘイストで2人、
キャリアヒストリーの振り返りと一本道
だいたい先輩なんですけど、50代、年齢で言うと、その年齢の方はこうか、2人目かなと思うんですけど、
やっぱね、人生経験してればしてるほどキャリアヒストリー1時間で聞けませんっていう、私にはちょっと悩みでもあるんですけど、
今回ヨシさん、いろんなお話を伺って、こうやって飛び込んできてくださって、自分のお話を1時間半お話ししてくださったんですけど、いかがでしたか?やってみてにコラボ。
そうですね。改めて振り返りという形で話をいただいたんですけど、その当時、本当にその当時当時の自分なりの判断。
振り返ってみると、本当にきれいな、本当に一本道に不思議となっているなっていうのがあって。
振り返ってみるとね、歩いてきた道は一本だったって感じなんですよね。
最近では、僕は生来の体オタクですっていう感じで言っているんですけど。
人間って、やっぱり僕ばっかりじゃなくて、振り返ったら意外とすんなりの一本道になっている人って多いかと思うんですよ。
やっぱり迷わない人はいないし、生きている中で立ち止まることももちろんあるわけですよ。
それは年齢関係なんかあるし、社会的な立場関係なんかあると思います。
ただ、それをそのままにしない。
小さな半歩、ベイビーステップでもいいから、1日前の自分を変えてみるっていうところをすると、結果的には大きな一本になっているのかなと。
それで、自分なりの本当に一本道ができてくるのかなとは思います。
自分なりの一本道。
ただ、その一本道に関してケチらない。
例えば、今だと効率重視とかあるから、最短ルートでこれがいいかなみたいなことがあるけど、
今は最短ルートを選びすぎて、逆にガタッとなった時に立ち止まるのが多くなったりとか、場合によっては引きこもってしまうとかいうのはあるかと思うんですよ。
なので、ぶつかることが悪いことではない。
そうなんですね。
どうやってまとめようかなってずっと考えてたんですけど、
吉さんが思う、
吉さんの話を聞いて、生まれた時から変わらないもの、自分がずっと向き合っているものとか、
自分の中に今の、子どもたちでいうとこれから先に繋がるヒントがやっぱりあるんだなっていうのが、
今日もまた革新に近づいてくることができて私はすごく嬉しいですし、
大学時代、留学のためのお金をホストで貯めたそのホストストーリーは別で聞かなければならないとは思ったんですけども、
本当に今日は長い時間、ヘミヒストリーのお話を聞かせていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。
また別の形でコラボして、
今日聞けなかったことにもお答えできたらなと思いました。本当にありがとうございます。
聞いてくださった方もありがとうございます。
吉さん、お茶もやっていらっしゃるということでしたので、
もっとお話聞きたいとか、体の調律師ということで中医学の体の専門医でもあるので、
もし興味がある方は吉さんのところに行ってお話、ぜひ聞いてつながってみてください。
では、今日のゲストは中医体調律師の吉ドクターでした。
今日はありがとうございました、吉さん。
ありがとうございました。
では皆さん、今日も一日元気にいってらっしゃい。