夏の訪れと小さな命
こんにちは。岐阜県の工業高校で教員をしているすみです。 この番組、未来をつなぐものづくりでは、日本の製造業を支える企業の技術や、そこで働く人たちの思い、そして工業高校の教育の魅力をお届けしていきます。
いやー、本当に暑くなってきました。35℃を超える日が多くなってきましたね。 そんな中、蝉も鳴き始めて、いよいよ夏だなっていう感じですよね。
先日、夜ジョギングをしていたら、小さな虫がアスファルトを歩いているなっていうふうに気づいたんです。黄金虫かなというふうに思って、こう近づいてみたら、蝉のさなぎだったんですよね。
もうこのまま多分、木の幹に捕まって、脱皮をして、蝉になるという、そんな段階だったと思いますけども、
アスファルトの上をテクテク歩いても、その先には木がないんですよね。 だから私、拾い上げて、木の幹を見つけて、そこにくっつけてあげたんです。
蝉って皆さん知ってますか? だいたい7年ぐらいですよ。土の中にいて、そしてやっと地上に出てきて、さなぎから成虫になって、そして数週間だけですよ。
みんみん鳴くのは。そんな儚い命っていうのを感じると、なんとか助けたいなというふうに思っちゃったんですけどね。
どうなるかなと思って、次の日、その木の幹を見に行ったら、その蝉のさなぎの殻がありました。
無事に飛び立っていったんですよね。 今思い切って、残りの数週間を
うるさいほど泣いてくれたらなっていうふうに思っています。 この蝉が成虫になろうが、そのままアスファルトで生き絶えようが、
たぶん世の中とか、私自身も含めて生活が変わるってことはないんだと思いますけども。 だけども人間生きてるってことは、自分自身が目の前のことにどう行動するのか、
どういう気持ちでいるのかっていうことは、やっぱり大事なんじゃないかなっていうふうに思うんです。 だから私は見て見ぬふりをせず、一つ助けれたなっていうことが、心のどこかで、
こういう人間でありたいなっていうふうに思っているってことなのかなっていうふうに感じました。 ちょっと哲学っぽいですけどね、もう少しなんか今後掘り深めていけたらなというふうに思っています。
生徒の進路決定における近年の傾向
さて今日話したいのは、セミの話ではないんですよね。 懇談も終わって、いよいよどこを進路先にするかということを、生徒、保護者ともに三者懇談を通じて決めたんですけども、
今年はですね、特徴があるなというふうに思ってるんです。 それはですね、一つの会社に何人も重なることが多いなっていうふうに思うんです。
そしてもう一つは、保護者懇談の場で2点3点と会社が変わるというか、それまでずっと他人の先生と相談しながらいろんな先生と話してきたことが、
懇談の場でコロッと変わってしまうっていうことも多いなっていう感じがするんです。 このことについて今日は話をしてみたいなというふうに思っています。
3年生は進路を決めるにあたって、他人の先生含めていろんな先生に話を聞いて決めていくんだよと、口酸っぱく言ってきたんですよね。
そして企業見学も行い、卒業生と語る会、いろんなことを通じて企業のことを考える機会というのは与えてきたつもりだったんですけども、
ただ、蓋を開けてみると、どうも話を進めてきた内容と違う会社を選んでいたり、何人も同じ会社を選んでいたり、
そして今まで聞いたこともないような会社を3社懇談でポンと出してきたり、そういったことが今年は多かったんですよね。
これなんでこんなことが起きるのかなあということを考えたんですけども、一つはですね、就職先を決めるということは非常に重要なことなんです。
高校生の就職って一人一社制っていうルールがあって、岐阜県ではまず一人一社選んでそこを受験するというルールがあるんです。
他の都道府県では複数の会社を受けられるというところもあるんですけども、岐阜県はですね、一人一社なんです。
いっぱい受けれた方がいいんじゃないって思うかもしれませんけども、一人一社だからこそ企業も採用しやすいっていうのもメリットであるんです。
だから高校生が何社も何社も何社も受けて、ダメだダメだ良かったダメだみたいなことではなくて、一人一社でここを希望してますと、
お願いしますと言って、学校との信頼関係で、いやこの子をそうしたら採用しますよという形で、なるべくこの高校生が不採用になるとか、何回も受験するということを防ぐには、一人一社制っていうのは非常に利にかなっているんじゃないかなっていうふうに私は思うんですよね。
ただ一人一社制であるがゆえに、ここと決めたらもうそこで決まってしまうという、
後戻りできない感というのが出てくるのも間違いないですよね。
なのでそんな重要なことを決めるにあたって、例えば自分はここに決めたといったところがあっても、他の生徒が選んでいる会社がよく見えるってことありますよね。
そしてその会社があの子も行くこの子も行くってなったら、いやーそっちの方が良さそうだなっていうふうに変えてしまうっていうのも分からないでもないんですよね。
だから一つの会社に何社も集まりやすいということが起きやすくなるっていうこともこういったことから考えられます。
進路決定の難しさと経験不足
もう一つは経験不足ということがあると思うんですよね。
例えば保護者に、いやこっちの方がいいんじゃないって言われたら、社会人としての経験のある大人、特に保護者の言うことだったら、やっぱりそうかなって思うのが普通ですよね。
だからそういった一言でコロッと変わってしまうのも分からないでもないんです。
だから今回のこの現象は、生徒が全然決めきれてないじゃないかっていう批判的なことではなくて、教える側、学校側の進路決定までの進め方っていうのをもう一度考えなきゃいけない時に来てるんじゃないかなっていうふうに思うんです。
やはり昔のように、求人倍率が2倍3倍という時期もありました。
そういった時はほとんど選ぶことはできないんです。
だからある会社に行くということなんで選択肢が狭いんですよね。
それはそれで大変苦しいですけども、選ぶということであれば迷う余地がないんです。
だけども今の現状を見てください。求人倍率は有意に20何倍を超えてます。
そうすると生徒も親も迷ってしまいますよね。
そういった中でここということで一者決めるというのはやっぱり至難の技なんです。
決断経験の不足と教育のあり方
だからどういったことが今回必要だなっていうふうに思ったのかといったら、
振り返ってみるとですね、生徒に決断をさせてきたかっていうことを私振り返ってみてるんです。
小さな決断でも決断してその結果を受け入れるっていう経験をさせてきていれば、
この進路決定も自分がここということを自分から決めて、そして自分で決断して、
またそれを保護者にも説明できたりとか、保護者がここがいいんじゃないっていうことに対しても自分自身の意思を通せたりとか、
そういったことになるんじゃないかなっていうふうに反省してるんです。
じゃあそのためにどうしていったらいいのかなっていうことなんですけども、
これ学校のシステムというか教育のあり方っていうこととすごく関係あるなっていうふうに思ってるんです。
謙虚であってほしい、素直であってほしい、協調性を持ってほしいっていうふうに私たち指導してるんです。
これ自体は間違ってないと思うんです。
だけどもいつの間にか単に同調すること、周りの人と同じようなことをすることになってないかなっていうふうに思うんです。
つまりは謙虚さが従順に、素直さがイエスマン、協調性が同調っていうふうにすり替わっているかもしれないなっていうふうに思うんです。
これは教育学位を持ってやっていることではなくて、やはりですね、大人数を一人の教員が指導するということを考えたら、
やはりこういったことがちゃんとできないと指導できないんですよね。
結果的に自分自身で決断したり考えたりっていうそういった力を削ぎ取っているのかもしれないっていうふうに思うんです。
「守・破・離」の概念と教育への応用
でもこの構造をちょっと違う視点から考えてみたいと思うんですけども、
これは宗派理という言葉で整理してみたいと思うんですよね。
宗派理って聞いたことありますか?
これ格闘技というか空手とかですね、武道とかそういったことで使われる言葉なんですけども、
守というのは守るという字で、型を疑わずにそのまま守る段階、師匠の言うことをそのまま忠実にやるという、そういった段階です。
破というのは破るということです。
型を身につけた上で状況に応じて崩し、それを応用するという段階です。
理というのは離れるということです。
型から離れて自分自身の新たな型を作る、自分自身の判断を持つ段階と言ってもいいでしょう。
この宗派理ということで考えると、学校の教育はどうしてもこの宗というものが前面に出てしまっているんですよね。
これはこれで大事なことなんです。
例えば安全手順や規格の遵守というものも結構ありますからね。
だからまずは言われた通りに安全にしっかりと機械を使うとか、先生の言うことをまずはしっかりと守るというのがこれは大前提ですよね。
だけどもここでストップしてないかなというふうに思うんです。
宗だけで止まっていたら離れる、理ですね。ここまで行けないですよね。
段階よって宗派理という形で自分自身を成長させていくところが成長していかなければならないのに、
宗だけで終わってないかなというところを見直す必要があるんです。
宗を飛ばして派や理に進むことはできません。しかし宗に固定し続けても派や理には進めませんよね。
教育に必要なのは最初から自由にさせることでもなく、いつまでも従わせることでもないんです。
まずは基本を教える。基本の理を理解させる。安全な範囲で選ばせる。選んだ理由を説明させる。結果を振り返らせる。
教員の役割も生徒の成長に合わせて変わらなければならないというふうに思っているんです。
三者懇談は本来生徒が宗派理の、理の段階に立っていることを示す場なんです。
でもその場に集まる大人、教員も含めて保護者もですけれども、それ以外のあらゆる場面でその生徒に宗から始まり、理までたどり着けるような指導をしているのか、
接し方をしているのか、ここはやはりもう一度考えたいところです。
当然主というところで言うと、生徒が最初から言うことを聞かず、自分勝手にやるというのはこれは問題外ですよね。
主をしっかりと抑えた上で、1年から3年になるにつれて、主もしっかりと守りながらも理の部分を膨らましていく。
そんな指導がこれから必要なんじゃないかなというふうに考えています。
自立と協調性の両立
今考えることを少し話しますと、自立と自分勝手、わがままを混同しないことですよね。
これは教員もそうですし、生徒の方もそうです。
自立するということと協調するということは反対ではないですよね。
他者の意見を受け止めながらも自分の頭で考えて、自分のことまで判断を説明できる人間ということなんじゃないかなというふうに、
今回考えました。
今後の展望とリスナーへのメッセージ
今回は、主・派・理という言葉から、生徒の進路決定に向けてのプロセスをもう一度見直してみたいなということで話をさせてもらいました。
まだまだちょっと考えることが多い課題かなというふうに思っています。
これ1回ではなく、まだ継続してですね、放送しながら自分の考えをまとめていきたいなというふうに思いますし、
もう1年後ですよね。同じことを1年後に続けていたら、これは何の進歩もありません。
今の2年生に何ができるのか、1年生に何ができるのか、これを具体的に今形にして試していきたいなというふうに思っています。
皆さんも身の回りの中で主・派・理ということをもう一度それで置き換えてみると、何か新しいことが見えてくるかもしれませんよ。
未来をつなぐものづくりは毎週月曜日朝7時に配信しています。
皆さんからのコメントがあれば私の励みになります。
先日生徒が先生のラジオ聞いてるよっていうふうに言ってくれました。
まさか生徒が聞いてくれてる子がいるなんてなんてことでびっくりしましたけども、とても嬉しかったです。
またインスタグラムでは航空機械工学科と検索してもらえると、日々の取り組みがご覧になれます。
ではまた来週。さようなら。