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夕焼けひとりきり、始まりました。昭和。二桁生まれのパーソナリティ。ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ。今は懐かしい思い出。明日の心配もせず駆け抜けた昭和の時代。
温かく優しい昭和の情景。 心思うままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。今日は、
JAZZ BAR 昭和。 素敵なピアノが流れる小店。
レディーが奏でる。カウンターの奥に、味わい深くしみじみとお酒を足した。
彼の名はJ。今日はジントニック。
また会えました。 私、ミッキーがそばにいてお話を伺いたいと思います。
どうぞお付き合いください。 J さん
こんばんは。そばにいてよいですか?
やあ、ミッキー。 久しぶり。
どうぞ。何考えてたって?
対照的な位置づけ。
難しいティーワードだね。
例えば、ポジティブとネガティブ。
賛成派と反対派。
あらゆる現代社会において、また、
人と人との関係性の中でも、
対照的な位置づけとして、物事の本質、
そして、似たような
思想を持つ人が、お互いに対照的な立場になってしまうことがある。
本質で考えた場合、それは、
ある事柄に対して目的が同じことであっても、
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時間的なものを軸とする人がいて、
例えば、手前の部分。
ビルドアップ。 積み重ねる部分において、
まず、そこが大事。反対に、
それこそ結果を重視する人だろうか。
最終的にそこにたどり着ければいいのではないか。
話題が変わって、その事象においては、対照的な立場が入れ替わったりもする。
ただ、ここで気をつけなくてはいけないこと。
よくありがちなことなんだけれども。
本当は話題、また、事象においてその数ごとに、
言葉の本質、 事象の本質、
様々にあるのだけれども、
あの部分で、あの人がこちらの立場を取るから、私は反対の立場を取る。
あの人が賛成するから、私も賛成だ。
あの人が反対だから、私も反対だ。
だから、反対にある立場の人たちと、
憎しみ合うことの主張を持ったり、位置づけが定まったりすることがある。
極端な話が世界に起きている。
大げさかもしれないけれども。
紛争、また政治的な部分でもありがちなこと。
絶対非議の考え方でいけば、この部分においては賛成。
この部分においては反対。
本来、人はそれぞれの価値観、
もちろん自分なりに積み上げてきた経験値、
考えに基づいて結論は出すのだけれども、
所属するグループ、
また、人たちの好みによって固まったりした場合、
自分が大きなグループに巻かれたりする場合、
まだらな存在になって、自分たちが入り込むこととなる。
本来、本質、そのことについて自分なりの考えを出して、
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それぞれごとに同じ考え、思想だね。
そういった人たちが固まって、話し合い、
また、混ざり合いによっていい形というものが出来上がるものだけれども、
そうではないとき、言葉、本質よりも人によって
グループが形成された場合、自分たちのプライド、
どうしても勝ち負けというか対立することに焦点が移動してしまう。
だからこそ多数派、いつも押し切る形となってしまう。
少数派は自ずと我慢する形になってしまう。
当然、社会はストレスを多く抱えた存在になってしまう。
私は思う。すべての話題にしても、事象にしても、
まず本質を考えて自分の意見を出す。
毎度考えていきたい。ある話題において、あの人たちが言うことだから私は
賛成だとか、反対だとか、
そんな積み重ねだらけの世は、
ストレスばかり増幅してしまう。
肝心な本質をそっちのけで、目的を向けてたどる意味では本質、
あくまで本性なんだ。
Jさん、ありがとうございます。
対立することの意味は、
本来の形ではない。
自分たちの考えより、あくまで本質に基づいたものでの不調ならまだしも、
所属する人々によってのプライドが対立構図になってしまう。
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そんなことですよね。Jさん。
乾杯しましょう。乾杯!
今日はジャズバーショーは、
対照的な位置づけ。難しいキーワード。
Jさんが、全ての世の、また社会の中で人間関係において、
本質に基づいて考えを主張するものは正しいこと。
ただ、所属するもの、人で自分の意見を、考えをねじ曲げてしまっている部分が多いのではないか。
そんなことに少々の不安を感じているようです。
今一度、私ミッキーも考えてみたいと思います。
皆さんも、たまにはコーヒー、お茶、お酒でも一緒に、
ストローギーで行ってください。お越しくださいませ。
夕焼けひとりきり。このあたりでお話し終わりたいと思います。
お付き合いしていただき、本当にありがとうございます。
次回の番組、お楽しみに。