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夕焼けひとりきり、始まりました。
昭和、二桁生まれのパーソナリティー、ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロ、今は懐かしい思い出、温かく優しい昭和の情景、心を思うままにお話しできればと思っています。
どうぞお付き合いください。
今日は、昭和レトロのお話、テーマは昭和のサーカス。
昭和の世代の皆さんには、サーカス、どのような記憶を思い出されますでしょうか。
小学校や中学の時に、入場券が学校から配られた、そんな人もいるかもしれませんね。
自分はこれまでの経験でも、数えるほどしか行ったことがありません。
子供の時には、親に連れて行ってもらったのが、学校で一回、確かそんな当時の記憶。
そして、最近では昨年、あるショッピングモールの駐車場に、サーカスのテント村、あるのを知って、懐かしんで観覧に行きました。
当時の記憶とは少し違うものもありましたが、
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例えば、動物保護の観点から、昔や昭和の当時には、猛獣使いとか、そんな曲芸もあった時代だと思いますが、
現在は行われてはいませんでした。
ただ、サーカスの団員の曲芸、ピエロさんの道芸のパフォーマンス、
観客は、小さいお子さんから大人まで一体感を持って、みんな喜んでいる様子は、当時と変わりませんでした。
ジャグリングがあったり、釣りロープで人が回ったり、金網の中でのオートバイのスタントマンの曲芸のり、釣り縄での空中遊泳、音楽も素晴らしくて天井も高く、
そんな夢のような舞台、感動を覚えました。
話は変わりますが、昭和の時代、木下サーカス、矢野サーカス、小暮サーカス、
ルシアから日本にやってくるサーカスでのブランド名、ボルショイサーカス、中国雑ギナなどなど、以前は現在よりも多くのサーカス団があって、全国各地。
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団員はテント村、コンテナカーで移動して、色濃い生活を送って、テントごとに家族だったり若い団員、また団長のテントとか同じ飯の、
当然同じ釜で食べて共同生活、そして夢の舞台のための練習を夜遅くまで行って、お客様のために披露する。
現在の合理化された社会とは明らかに異なる物差しでの人生、そのものを旅している。
全国各地、家族連れで幼いお子さんがあれば、転校も短いサイクルで行われて、出会いと別れの繰り返し、そんな生活は私には到底憧れでもありますが、自分では真似ができない世界。
ただ夢は与えてくれる、そんなサーカス、思い出が昭和の時代にはあって、自分の心には残り続けていました。
エピソードとして、木暮れサーカスの取り上げたノンフィクションの本があります。
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1978年に発刊された、トベ・イカロスの翼。これは実際にピエロのクリちゃん、ことクリアル・トルさん。
もともとカメラマンでサーカスのラインの日常を写真で撮っていたところ、虜になってしまって、裏方の仕事を進んで行っているうちに、自分も芸を覚えたいと思って、同家子ピエロ。
また、一輪車とか関数の曲芸を取り入れて、実際に関数で悲しい落下事故によって、不良の事故によって命を落とされた人の物語です。
1980年には、佐田前卒さんが同家子のソネット主題歌で、実際には主演を務めて、クリちゃんの役をこなされました。
その後、2010年までちぐれサーカスは続くことになって、解散されます。そんな一時期を支えた、また多くの人に感動を与えた、そんなサーカスの舞台。今でもサーカス団は残っています。
また、見ることができたら行きたいなと思います。
今日は夕焼けひとりきり、この辺りでお話を終わりたいと思います。本当にお付き合いいただきありがとうございました。次回の番組、お楽しみに。