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夕焼けひとりきり、始まりました。パーソナリティ、ミッキーロンリーがご案内します。
昭和レトロを超えなく愛し、昭和二桁生まれの男が進行させていただきます。どうぞお付き合いください。
昭和レトロといいましても、今日は私の少年時代のアルバイトのお話、貴重な経験をさせていただきました。
今の時代拝見の中、考えられないようなこともあったかもしれませんが、ある少年の物語としてお聞きください。
まず、新聞配達、そうですね、記憶はうるお声なのですけれども、確か小学生の時には数ヶ月やった経験がございます。
友人と共同したきっかけで始めたと思います。最終的には友人と4人ぐらいでやったと思います。
私も男児がございましたので、当時はエレベーターもなかったですが、上層部の5階まで配達をしている、そんな経験が思い出されます。
やはり雨の日も風の日も大変な仕事だったなということを思い出します。
今も新聞配達をしてくださる、失礼いたしました、新聞配達のお仕事の方、宅急便とかで荷物を運んでいただけるお仕事の方、
郵便局員の配達の仕事をされている方、私も当時の短い期間の新聞配達の経験がございます。
その経験からか、どの仕事でも大変なのですけれども、リスペクトを持っています。
そういう人たちの仕事があってこそ、社会を支えている、そんな感じが当時の経験から学ばさせていただきました。
次に、高校生時代だと思うんですけれども、早朝にパンの工場でアルバイトをしていました。
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休みを利用した数ヶ月の短期アルバイトだと思いますが、朝4時ぐらいから準備して、確か7時半ぐらいまでだったでしょうか、
機械のパンが運ばれてくるある機械と、また別の機械の間に立って、それぞれごとに列に並んでいる個数の幅が違うんですね。
右から8個ぐらい、10何個でしたかね、そういうのを流れてくるのを、きれいに両手で指の間に挟んで、左側の機械に8列にきれいに並べて、次の機械に送り込む。
そんなパンのまだ焼かれる前の状態のものを並べて、そんな役割をさせていただいたと思います。
本当に一回リズムが狂うと、下の箱にボトボト落ちてしまうんですね。途中で気分が悪くなったこともございました。
学校の登校日もあったような気がしますが、体調悪くなったのを覚えています。
夜には白い状態のパンが流れてくるのに、槍とか人の顔がついているようなパンが夢に出てきて、悪夢を見たような、うなされたような経験も、笑い話ですがあったような気がします。
そして、以前番組でもお話しましたが、私はスーパーマーケットの前にあるお好み焼き屋さん、こちらで店頭の商品ですね。
中でお好み焼き焼いたり、焼きそば焼いたり、たこ焼き作ったり、大判焼き焼いたり、順に作って並べておくんですね。
温かい状態のものを優先して販売する。
これも店長のおばさんが千住観音のように巧みに動き回って作っていたのを覚えています。
圧倒されて覚えるのにも大変だったような気がしますが、自然にできるようになりました。
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でも一番忘れてはならないのは、やはり下準備の作業とお店が終わった後の片付け。
これはお店の外側から見ることができない大事なお仕事の一つです。
こういった裏方さんの仕事の大事さ、これはこの仕事を通して学んだことです。
ただ、自分が作ったものをお客様がニコッとして買ってくれた時の喜び、嬉しさ。
そしてその方が自分のお家でそれをみんなで頬張っている、そんな姿を想像すると、そんな辛い作業のことも全部吹き飛ぶのでした。
大事なことを学ばさせてもらいましたね。
今日は昭和レトロのお話と言いましても、当時と今では違わないようなアルバイトの内容かもしれませんが、
一番目の配達のお仕事、新聞、郵便、こういったものは部数が減っているということを聞きました。
昭和から令和に変わって今後どういう状況になるのかは分かりませんが、
そういう人たちの仕事、貴重なものとして残り続けてほしいですし、
二番目のファンの向上のお仕事も、LINEのオートマチック化も進んで、
今では私がしていたような役割の仕事はオートマチック化によって減っているかもしれません。
そして三番目のお好み焼き屋さんもあまり見かけなくなりました。
ファストフード店や新しいお店もたくさんできて、若い子もそういったところに流れているような気がします。
僕らの頃は、高校生、中学生も三鷹団子とか大盤焼き、ほうばって食べていたのが思い出ですけれどもね。
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皆さんはいかがですか。
今日はショバレットのお話と言いましても、ある少年の物語として今とは違うアルバイトの光景だったかもしれませんが、
拙いお話を聞いてくださってありがとうございます。
今日は短くなりましたが、この辺りでお話を終わりたいと思います。
本当にお付き合いしていただきありがとうございます。
次回の番組をお楽しみに。