00:06
2年前に亡くなった夫が、ずっと憧れていたのが、小説家という職業でした。
彼は千葉の旧家の次男坊として生まれ、活達としてやんちゃな長男と違い、もの静かで落ち着きがあり、一人で絵や物語を書くのが好きな子供だったそうです。
高等学校を卒業して、大手の印刷会社に就職し、一度の転職もすることなく、そこに定年まで勤め上げました。
私とは、母方の叔父が計らってくだすったお見合いで出会いました。初めて会ったあの人の印象を、私は忘れることができません。
髪を短く切り、それは全く清潔で、耳の周りなどは、それはそれは涼やかでした。
きりりと深い光を放つ目元には、笑うと二、三本の優しいシワが刻まれ、彼を年寄り上に見せたのは、全くそのシワのせいでしたが、
その柔らかい曲線を見るのが、私は大変好きでしたし、少し崩れた微量と、笑うと右上がりになる唇が、彼を幼くも見せ、その対照的な感じが、とても魅力的な人でした。
体が弱いところがありそうだと、少し渋っておりました私の良心を、私が必死で説得したものです。
あの人でないと、私はお嫁に行かないと、そんなことも言った記憶があります。
晴れて夫婦になれ、二人新しい生活が始まっても、あの人に対して感じた最初の印象は、ちっとも変わりませんでした。
50年連れ添った中で、喧嘩のようなものをしたこともあります。
でも彼は、私をいつも温かな目で見つめ、いたわり慈しんでくれました。
印刷機のインクで真っ黒になった彼の手を、ぬるま湯を張った洗面器につけて洗うのが、私の日課でした。
ああ気持ちいい、彼はそう言って笑ってくれ、その言葉を聞くと、私は嬉しくなり、ますます熱心に指先を洗ったものです。
眠る前に本を読むのも習慣にしていて、汚れが残ってしまったページの、その黒い指紋の跡を慈しむように見ては、
僕が生きてきた証だね、などと言うから、そんなすぐに死んでしまうようなことを言わないでください、とお願いしたら、恥ずかしそうに笑うのでした。
03:01
生きた証というのは、彼がよく口にする言葉でした。
自分がここにいたのだ、という形になって残る何かを彼は欲していました。
若い頃から小説家になりたかったのだとは言っていましたが、私はきっと二人の間に子供ができなかったことが大きな理由の一つではないかと思っています。
後世に残る何かを作れなかったことが、彼を小説家に憧れさせ続けたのだと。
印刷所に勤めたのは、少しでも小説というものの近くにいたかったからだと、いつか私に教えてくれたことがありました。
自分の作品をいつか書いているようでしたが、恥ずかしがってついぞ私に読ませてくれませんでした。
そんなに恥ずかしがっていらしたら本を出版するなんてきっとできませんよ、というと、そうだなと笑いました。
あの人が亡くなった時、机の引き出しの中から大きな紛らしの封筒に入ったたくさんの原稿用紙を見つけましたが、私はそれを読みませんでした。
あれだけ恥ずかしがっていた彼の作品を、彼がいなくなったからと言って読むのは、規則違反のような気がしたのです。
彼が死んでしまったというのは事実なのですが、私はどうも彼はどこかへ出かけていて、その間に彼のものをこっそり読むような、そんな思いを持っていたのです。
そうです。私はしばらくは、彼の不在というものを受け入れられませんでした。
ほうけたように暮らしている私のことを心配して、弟やメイが変わる変わる家を訪ねてくれました。
変な気を起こすのではないだろうけれど、あれだけ仲が良かった二人だから、我が身を削り取られるような思いだろうと、そう考えてくれていたようです。
でも私はといえば、あの人はいつ帰ってくるのかしらと、そんなことばかりを考え、お料理を相変わらず二人分作る始末。なんだか呑気なものでした。
彼の不在。彼は永遠に帰ってこないのだということをはっきりと自覚したのが、この家を貸し出すという話が持ち上がった時です。
70を過ぎたおばあさんがこんな大きな家に一人では管理も大変だろう。売りに出すのは忍び台が、貸し出しにしておけばまた住みたくなった時に返してもらえるのだし、思い出が全く消えてしまうわけでもないと弟やメイがしきりに進めてきました。
06:10
なら、私はどこに住めばいいの?と詰め寄ると、自分たちの家に来てもいいし、マンションを借りてもいい。とにかくあの大きな家では心配でならないと、そう言うのでした。
この家に誰か他の人が住むなんて考えられませんでした。私とあの人が、赤い屋根と白い壁が絵本の中に出てくる家みたいだね、ととても気に入って買った家です。
少し壊れていた窓がくを彼が直し、きれいな緑色に塗ってくれたものだから、それはますます絵本の絵の家に見えました。
猫の額ほどでしたが、お庭もあって、私はそこにセージや木みらやネギを植えました。
お花をちっとも植える気配がない私を見て、あの人は、ずいぶん実用的なんだね、とからかうように言いました。
何もかも、階段の手すりにも、お風呂のタイルにも、押入れの暗闇にも、すべてに私たちの思い出があります。
そこに誰か知らない人の息がかかり、インクで汚れていない指紋が残るなんて、私はガンとして断りました。
弟やメイの意見にはちっとも耳を傾けず、彼らもいつしか諦めたようでした。
でも定期的に私を訪ねてきてくれることはやめず、彼らの温かい心遣いに胸がちくりと痛みました。
去年の夏、2階のあの人の部屋の電球を替えていたとき、きゃたつから落ちて、そのまま動けなくなったことがきっかけで、私も彼らの意見を聞こうかと思うようになりました。
私は自分の家であれば、隅々まできれいにしていないと気が済みません。
たとえ使い主がいなくても、電球が切れたら取り替え、毎日床を磨いていました。
そんな時にその事件です。
床に叩きつけられた私は腰を強く打ったのか、そのまま動けず、電話で誰かを呼ぶこともできず、翌日やってきたメイに発見されるという始末でした。
弟やメイは、それこそ鬼の首を取ったかのように騒ぎ立て、その時はっきりと私たちの言うことを聞いてくださいと言われたのでした。
不動産屋さんの黒木さんも、とても真摯なお方だし、決して悪いようにはすませんからとおっしゃってくれ。
09:04
何より人の手に完全に渡るわけではない。嫌になれば返してもらえばいいのだからと、それを心に思いとどめ、私は家を貸すことにしたのでした。
貸し切り出してから、しばらくは誰も入居者が決まりませんでした。
家具付きだからだろうか、やっぱり家賃が高かったのだろうかと勝手なもので、決まらなければ決まらないで気になってしまうのです。
何組か希望される方がいらっしゃったことはいらっしゃったのですが、黒木さんの方で、この人たちはおやめなさい、もう少し待ったらきっといい人が来ますから、などとおっしゃるので、私は人生に関しては全くお任せしていました。
だから、今回の板崎さんの件は、私にとって驚きでした。若い一人暮らしの女の人なんて、黒木さんが一等を気に召さない類の方だろうと思っていましたから。
何かよほど思うところがあって、私に連絡をくれたのかと思い、また、やはり小説家という彼女の職業が気になって、私はとうとう彼女の入居を許したのでした。