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2022-02-16 13:26

#66 当たり前って危険!夫婦げんかからの学び

#パートナーシップ #マインドセット #とらえ方 #夫婦喧嘩
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みなさん、こんにちは。marimari happy life のチャンネルへようこそ。
このチャンネルでは、やりたいことを頑張る土台となるような発信をしていきたいなと思っています。
今日は、当たり前を疑うじゃないですけど、そんなお話をしたいなと思っています。
昨日ですね、序山市の綾野さんのおかえりというサロンで、パートナーシップの話をですね、ちょっとする機会があって、
お話し聞いたり、皆さんと一緒にパートナーシップの話をしていく中で、
この当たり前っていうところをすごく大事にしていきたいなと改めて思ったんですね。
ちょうど私、5年ぐらい前に、まだ長男が1歳半だった時に、めちゃめちゃ嫌悪だったんですよね。正直パートナーシップ。
いろいろなことがあって、転勤で慣れない場所で、子どものアレルギーとか肌荒れもひどくて、
主人は主人で、めちゃめちゃその頃忙しくてですね。
しかも関東の仕事だったので、横浜に住んでたんですけれども、関東の方って本当に通勤時間めちゃめちゃ長いじゃないですか。
1時間とか結構当たり前で、割と近い方ぐらいの感じなんですよね。
うちも1時間ちょっとかけて通っていて、めちゃめちゃギューギューの満員電車1時間以上揺られていって、
朝から晩までめちゃめちゃ働いて、帰りも1時間以上かけて帰ってくる。
もうヘトヘトですよね。
家にいる時間も6時間ぐらいしか家にいない中で、晩御飯・お風呂・寝る・身近く・朝ごはん・行くっていう、
もうそれをしないといけないみたいな感じだったので、
正直会話もなかなかない。
でも子供がアレルギーのことで大変っていうので、お互い本当にちょっと一杯一杯だったっていう部分もあるんですけれども、
あの頃は本当にちょっと暗黒期、暗黒期っていうぐらい、ちょっと冷静状態だったりとかですね、
正直仲が悪いみたいな状態もあって、
その時は本当に自分がこのまま相手のことを嫌いになっちゃうんじゃないかっていうのをすごく不安に感じました。
女の人って一旦嫌いになったら、なかなか気持ち復活しなくないですか。私だけですかね。
なんかちょっと嫌だなぐらいだったらまだ好きに戻れるかもしれないんですけど、
ちょっと嫌いだなってなってしまったら、もう目につくものが全部家になってくるし、
嫌いから好きって私は今までの人生でなったことがないんですね、人に対して。
なので嫌いになったらもう好きには戻れないなって思ったからこそ嫌いにはなりたくない。
でもこのまま行くと嫌いになりそうって思った時期があったんですね。
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やっぱり嫌いにはなりたくないし、子供もいるし、できれば仲良くいきたい。
でもこのままでは絶対無理だなと思ったので、そこでいろいろ関係性を変えるために本を読んだり話を聞いたり、
いろんなことを試したりした中で、つい最近まで本当に今が一番好きかもぐらい関係性は変わっていったんですね。
なので嫌いになりそう、このままだったら熟年離婚もあり得るかもっていうところから今が一番好きになった過程というか、
何をしていったのかっていうと、よくパートナーシップ専門にされている方とかいろんな方がお話しされていることもあるかなと思うんですけど、
私はやっぱりこの当たり前っていうところに、お互いにではあるんですけど、まずは自分から過信しちゃわないというか、
やってもらっていることとかそこにいることが当たり前じゃないっていうのをついつい人って忘れちゃうと思うんですよね。
足りない部分にフォーカスしちゃう、それは人間の心理学的に当たり前というか、
そうできている、脳ができているから仕方ない部分だとは思うんですけど、やっぱり定期的に当たり前のようにある部分っていうものを意識すると全然違ってくるなと思って、
例えば子供のお世話をしてくれないとかなると、あれもしてくれない、休みの日ぐらいしてくれてもいいのにこんなこともしてくれないみたいな感じで、
してくれないがめちゃめちゃ積み重なるじゃないですか。
でも逆の方に目を向けると、でも実は休みの日は掃除機かけてくれますとか、子供と子供の一緒にお風呂に入ってくれますとか、
このお風呂一つとってもお母さんからすると、自分一人で出てる時ってお風呂の準備をして脱がせてお風呂に入れて洗って拭いてあげてスキンケアをしてパジャマを着せてみたいな、
その一連が本当はって言ったら変ですけど、お風呂の流れのところをパパは休日に自分がバーンって脱いでピンポーンって呼んだら、
裸にされた子供を中に入れてもらって洗ってあげてピンポーンって言って出すだけ。
なのでジャガイモ洗ってるのとそんな変わんないよみたいな、そんな状態のそこだけ取って、
僕は毎日いつもお風呂入れてるからねみたいな話をされると、ママがお風呂ってそこだけじゃないわみたいなことをよくイラッとするポイントとかで話されてたりして、
私も勝手はねちょっと思ったことあるんですよ、逆側の方が結構大変だよみたいな洗う、お風呂の中で洗うだけの方が簡単で、
前後の準備とかの方が大変だよみたいな話は以前したことはあるんですけど、でもそれも言わなきゃわからないですよね。
よかれと思ってラノさんはやってるかもしれないし、それに一緒にお風呂に入ってくれてるっていうだけでも、
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ありがとうって思う、ありがとうって別に思わないんだったら無理に思う必要はないと思うんですけど、でもそれって別に当たり前のことじゃないんですよね。
休日だって僕は慣れてないから一人で入るよっていう方もいるかもしれないし、その中で一緒に入るっていう選択をしているっていうことは事実なので、
その事実に対してどう自分が思うかっていうのは、いくらでも変えられるなぁと思ったんですね。
昨日の講師の方がお話されてて確かになと思ったのは、事実は一つだったとしても捉え方は何万通りもできるみたいな、
人の数だけその事実に対してどう捉えるか、お父さんが子供をお風呂に入れているっていう事実が一つあったとして、
それに対して入れるだけで全然前後の準備はやってくれないって思うのも一つの捉え方だし、
いつも土日に入れてくれているなって思うのも一つだし、その入れてくれているっていう事実に感謝できたら、
次はリクエストしてもいいと思うんですよね。準備だけはしてほしいとか、
特にイヤイヤ期のお子さんってお風呂なかなか入らないとか、服脱がないみたいな感じになりませんか。
うちは結構遊びに熱中するタイプだったのでお風呂に入るのめっちゃ嫌がったんですね。
めっちゃ嫌がったというか服を全然脱がない、走り回って逃げちゃうっていう感じで、
今度お風呂に入ったら入ったでお風呂の中が楽しくなって一向に出てこない。
お風呂出すよって言ってピロリンって押されるとめちゃめちゃ泣いて喚いて騒ぐみたいな感じだったので、
前後が圧倒的に騒いでるんですよね。
お風呂の中は入ったら入ったで最初はちょっと泣いてたりしても洗い出したら楽しくなって楽しく過ごせるので、
前後が大変なのでお風呂上がりは母がやるからお風呂に行くところは一緒に楽しい気分で連れて行くか、
泣いたら泣いたでしょうがないからパジャマ、パジャマじゃないお洋服バーって脱して連れて行ってくれるとこまでやってほしい。
お願いしたらもしかしたらやってくれるかもしれないじゃないですか。
それで大変だから嫌だよとか先に入ってゆっくりしたいよみたいなこと言う可能性はあります。
それは相手側が自由に選択できるのでね。
パパはパパの自由選択の権利があるのでどう帰ってくるかわからないんですけど、
でもリクエストはできますよね。
これ洗い物にしたってそうだし、夫婦の時間にしたってそうだし、
ママが一人時間欲しいよっていう相談だってそうだし、
もちろん断る権利とか交渉する権利っていうのはパパにもあるんだけれども、
ママはママで自分の言いたいこととかやりたいことっていうのは全然、
言い方はすごく大事だと思うんですけどリクエストしたらいいなっていうことにすごく思ったんですね。
でもそのリクエストするのもリクエストばっかりでこの当たり前にある部分を何の感謝もしなくてやってもらって当然これもしてあれもしてだったら、
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逆の立場だったらちょっと辛くないですか。
例えば洗濯物をしていることを当たり前でしょ。
家にいる時間長いんだからとかご飯作ってるの当たり前でしょ。
お母さんなんだからとか子供の入学の書類書いたりとか名前つけたりとかも当たり前じゃん。
そっちの方が時間あるんだしって当たり前でもし済ませられたらちょっとイラッとしません。
それと同じで旦那さんも毎日仕事に行っているとか朝だけは歯磨きしてくれるとか、
休みの日は遊んでくれたりとかお風呂に出てくれたりやっている。
そのお家によってやっている数とかバランスとかそれにママが満足しているかどうかというのはいろいろだと思うんですけれども、
一つでもやってくれてるんだったらやってくれてるっていうその当たり前を当たり前と思わないっていうのはめちゃめちゃ大事だなと思ったんですね。
実はこの話をしたのも私そんな感じで関係を改善していったんですけど、
この間のパン連休にちょっと喧嘩というか、喧嘩にはならないんですけどお互いちょっと嫌な空気が流れたという時があって、
その時に自分をすごく変えりみたんですよね。
最近やってもらうことが当たり前になってたなと思って子どもがある程度大きくなってきたっていうのもあるんですけど、
休みの日は子どもと遊ぶのがパパの日課みたいになっていて、
もちろんパパもそれを楽しんでいるし子どもも一緒にサッカーするのを楽しんでるっていうのがあったんですけど、
でもそれを当たり前と思っちゃいけないなと思ってパパだって平日すごく毎日朝から晩まで忙しい中仕事していて、
体的には疲れているのに土日は子どもが楽しむからって言って一緒にサッカーしてくれてるっていうそこへの感謝とか、
やっぱり平日毎日毎日お仕事に行ってくれているとか、家にお金入れてくれてるとか、
私が作ったご飯をおいしいねって言って食べてくれてるとか、
作った料理に対して何の文句も言わないとか、
そういう本当に当たり前で日々過ぎてしまっているようなことをやっぱり一個一個拾っていくと、
こんなにしてもらえてるんだとか、こんなに自分は守られてるんだとか、
すごい許されてるんだとか、そういうことにすごく気づけるなと思って、
無理に日々の出来事全部に相手に対してありがとうって思わないといけないって思ったらそれはそれで辛いと思うので、
そうする必要はないと思うんですけど、
でも目を向けなかったら当たり前で過ぎていってしまうような一つ一つを改めて見てみると、
そういう自分って許してもらえてるなとか認めてもらえてるなとか、
大切にされてるなって思う瞬間っていうのがすごく感じられて、
そうするとちょっと旦那さんに対しても嫌ってすることがあったとしても言い方とか、
あとは相手に対してもちょっと優しい気持ちで接することができるなと思ったので、
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この当たり前っていうのは本当人によって当たり前の範囲って全然違って、
そもそも当たり前って何なんだっていう、
その話をしだすとめちゃめちゃ長くなるので今日はしないんですけど、
そんな感じで自分の中でのスタンダードみたいな流していってしまうようなことってたくさんあると思うんですけど、
でもそれを当たり前じゃなくて一個一個に目を向けてみると、
本当に日常って優しさで溢れてるなと思ったことがあったので、
最近ね、救援とか本当に長引いていたりして、
しかも明日学校、幼稚園に行けるかどうか、
前の日の夜にならないとわからないっていう現状が続いてると思うんですね。
やっぱり先に止めないことっていうのは本当にストレスがかかるし、
そういうベースの中でいろんなことが起こると、
普段よりもちょっとイライラしやすかったりとか、
優しく対応できない部分っていうのがどうしても出てくると思うんですね。
そんな時こそ日常に落ちてる一つ一つに目を向けてみると、
ちょっと自分にとってもご機嫌でいられるし、
相手にとっても優しくできるんじゃないかなと思った。
そんな出来事でした。
今日も最後までお聞きいただきありがとうございます。
残り半日も素敵な一日をお過ごしください。
失礼します。
13:26

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