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五輪書と鏡の法則なのか宇宙の法則なのか
2026-05-08 23:02

五輪書と鏡の法則なのか宇宙の法則なのか


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サマリー

話し手は、長年続けてきた稼働と作動を辞めた経験を語り、自分の本音に気づき、自分を大切にすることの重要性を説いています。そして、宮本武蔵の「五輪書」の「他流に太刀の構えを持ち得ること」の章を読み解き、構えとは敵のいない場所では意味がなく、敵の都合に合わせて変化することの重要性を解説します。また、不動の構えと先手を取る戦いの心は相反するものでありながら、それらが釣り合っていることが宇宙の法則であり、世の常であると結論づけています。

人生の転機と本音への気づき
みなさんこんにちは。今日は良いお天気でしたね。
皆様の地方はいかがでしょうか。
やっぱり5月って、風が爽やかですよね。
そんな爽やかな風の吹く、この5月の良い時期に、私は立て続けに、
10年、若い時の先生はまた別で、今の先生になってから10年続いた稼働と作動を相次いで辞めてしまったんですよ。
本当にね、先生は80歳を超えられて、いろんなことがご不自由にはなってきたんですけれどもね、
それ以外のことで、だいぶ前からね、やめようかな、どうしようかな、やめようかな、どうしようかな、みたいな、
サラリーマンの方が退職するタイミングを狙っているみたいな、そんな状態だったんですよ。
そうしましたらね、もうなんか天がじれったいわねって言ったような、そういったことが次々起こりましてね。
やっぱりね、自分の気持ちっていうのはね、表に現れますよね。
見せられるって言うんでしょうか、本当に試されるって言うんでしょうかね。
もうなんだかこう違和感を持ちながら、でも自分の本音に目を背けてですね、稽古をずっと続けてたんですけれどもね。
いよいよね、まるで私たちの仲間のうなぎさんが退職するきっかけを得たみたいな、そういうことがございましてね。
やっぱりね、内側で思っていることって実現するんだなって思いましたね。
それに長い間目を背けてた自分自身のね、自分いじめみたいなところにも気づかされましたね。
本当に自分をもうちょっと大切にしてあげなければいけないなっていうふうにつくづく思いました。
で、まあ、そういうことが次々起こって、私の感情がね、どういうふうに変わっていったかっていうのをね、
やっぱり、一緒に稽古した仲間に対してもそうですけれども、やっぱりその前にね、本当にね、分かってほしかったのでね、すぐにね、もう作動もやめますみたいなことをね、
LINEで送ったんですよ。そうしたら、ナイスみたいなね、スタンプが返ってきましたね、親指を立てて。
で、やっぱり一番身近ないわば、時にはね、私の本音を先に見抜くような存在の音にね、やっぱり一番最初にね、伝えたかったんですよね。
で、作動のことも稼働のことも詳しいことは全然知らない夫なんですが、やはりナイスだというふうに説明しましたらね、言ってくれましたね。
そんなことがあって、結局ね、一つの団体をやめ、二つの習い事をやめ。
なんだか非常に身軽になったというか、窮屈なというか、何か違和感を持ちながら、惰性で本音に向き合わずに変化するのを怖がっていたっていう、そういうふうな感じですね。
これまさにね、サラリーマンを辞める方々と全く同じです。
思っていることを絶対目の前に見せられますね。
五輪書「他流に太刀の構えを持ち得ること」の解説
ということで、五輪の書の風の薪の続きを読んでいきたいと思いますね。
今日はね、第五弾のところ、他流に太刀の構えを持ち得ること、というところに入ってまいりますね。
一つ、他流に太刀の構えを持ち得ること、太刀の構えをもっぱらにすること、非我穂となり、世の中に構えあらんは敵の無きところのことなるべし。
ここのね、冒頭のところからすごいんですよね。
他流において太刀の構えを持ち得ること、というふうに書いているんですが、太刀の構えをね、むやみに重んじるのはね、間違いだと。
この構え、この構え、この構え、みたいなね、数々の構えを非常に重視することは間違っていると。
世間で構えが役に立つのは、敵がいないときのことだけである。
すごいですね。
敵のいないところでしか役に立たないと。
ということは、私たちの肩の稽古というのは、敵のいないところで確かにやってます。
敵のいるところで肩の稽古はやってないですね。
その司祭は、昔よりのためし、今の世の沙汰などとして法令を立つことは、勝負の道にはあるべからず、その相手の悪し気をにたくむことなり。
薬文を読んでみますね。
というのは、昔からのしきたりや、今の処置の仕方などといって、法令を定めることは、兵法における勝負の道においてはありえないからである。
兵法における構えとは、敵に都合の悪いようにしつらえることである。
敵が、例えば上段、対上段の場合に、こちらが正眼に中心に構えたら、一発に小手をやられますね。
ですので、小手を防ぎながら、相手の左小手に剣線を構えるというのが、大体オーソドックスな構えなんですけれどもね。
対上段に対してね。
ですので、構えを言う場合というのは、敵のいないところであれば、それは通用するけれど、全く意味ないと。
確かにね、その敵が上段からまた中段に構えたり下段に構えたりしたら、すぐにそれに応じなければいけませんものね。
敵が都合の悪いようにこちらは構えなければいけないということを武蔵は言っておりますね。
構えの本質と戦いの心
物事に構えということは、揺るがぬところを持ち寄る心なり。
ここも深いですね。あるいは城を構うる、あるいは陣を構うるなどは、人に仕掛けられても強く動かぬ心、これ常の義なり。
兵法の勝負の道においては、何事も先手先手と心が来るところなり、亀寄るという心は先手を待つ心なり、よくよく工夫あるべし。
訳文を読んでもありますと、何事であれ構えとは揺れ動かないということに力を入れる有様である。
城を構える、あるいは陣を構えるなどは、敵に仕掛けられても動じない有様である。
これはしかし平時のことである。兵法における勝負の時は、都にも閣にも先手先手と仕掛けることであるのに対し、亀寄るという有様は先手を待つ有様である。
これ、今の私の先生、朝稽古の先生もよくおっしゃいます。
動じない構えというのは、反面、戦に行くのが難しい構えである。
不動の背筋もピシーと一枚岩で伸びて、胸板もパシーと伸びて、体幹が垂直に地球の中心にあるような人というのは、
それと相反する戦の気持ちを持った場合に、それは互いに相反することを同時にやっている。
しかしね、私思うんですけどね、これって釣り合ってるんじゃないかと。地球と月が釣り合ってるように釣り合ってるんじゃないかと思いますね。
人間の世界でもそうですもんね。何か非常に悲しい出来事とかあっても、それが同等の嬉しい出来事が後ろにあったり、どっちか一方ということはまずありえないですよね。
だから、武蔵もね、常の儀なりって書いてあるんですよね。揺れ動かないような構え、城とか陣とかも、そういったどこからも攻められないような構えでなければいけないのだけれども、
勝負の時っていうのは、必ず線を狙わなければいけない。こちらが打たされるっていうのではなくて、線の気持ちで相手の線を狙うということですよね。
この線という部分を武道をなさっていない方というのは、どういうものかというふうに簡単にご説明しますと、
ボクサーが相手のパンチを出てくるところを見て、そのパンチが自分に当たるより前に相手を落としてしまう。これ線ですね。
ですので、やはり互いにどこからも隙のない、体幹のどっしりとした、攻めようのない城壁のような構えと、線を狙った勝負っていうのは、互いに相反することを同時にやっているんだと。
しかしこれが世の常なんだということを武蔵はおっしゃってますが、これが世の常、常の儀なりであるのであれば、それやっぱり宇宙の法則ですね。釣り合っているんだと思いますね。
有効無効と構えの真意
平法の勝負の道は、人の構えを動かせ、敵の心に泣きことを仕掛け、あるいは敵をうろめかせ、あるいはムカつかせ、または脅かし、敵の紛れるところの拍子の利を受けて勝つこととなれば、構えという後手の心を嫌うなり、
然るゆえに我が道、有効無効といいて、構えはありて構えはなき、というところなり。
有効無効の構えというのが、あるという字に構えという字に、ないという字に構えという字、この四字熟語、有効無効というのは時々出てくるんですけれどもね。
私が小娘の頃にこれを読んだときは、一体何のことか、ちっぷんかんぷんだったんですけれども、この歳になると、しみじみと味わえる部分ですね。
だから、構えとは、城の構え、陣の構え、どこからも攻められないというね、重心がぶれない構えでなければいけないんですけれども、それが後手になる。
後手になってはね、勝負の場合、その心を嫌うなりって書いてあるんですね。
後手では間に合わない。先でなければ。
然るゆえに我が道、有効無効といいて、構えはありて構えはなき、というところなり。
なんですって、非常に味わい深いですが、難しゅうございます。
あと少し読んでみますね。
大分の兵法にしても、敵の人数の多少を覚え、その戦場のところを受け、我が人数の、人銃と書いてますがね、人数を知り、その徳を得て、人数を立てて戦いを始めること、これ合戦の戦なり、人に戦を仕掛けられることを、我、人に仕掛けるときは一倍も変わる心なり。
太刀をよく構え、敵の太刀をよく受け、よく振ると覚ゆるは、槍、薙刀を持って策に振りたると同じ。
敵を打つときはまた策、策に効いて書いてね、策技って言うんでしょうかね、策技を抜きて、槍、薙刀に使うほどの心なり。
よくよく銀にあるべし。
なるほど、なるほど。
ちょっと、あの、訳文の方を読ませていただきます。
敵に先手を仕掛けられたとき、己が先手を仕掛けるときでは、ありようが倍も変わる。
先手を仕掛けられたときに、己が先手を仕掛けるとき、相手が先手を仕掛けるときに、
こちらが先手で仕掛けようとしたとき、それのスピードは倍になると。
よく太刀を構え、敵の太刀をよく受け、よく叩こうと考えるのは、槍や薙刀を使って敵勢に備える策を作るようなものである。
それは敵勢を打つときに、改めて策を抜き、槍や薙刀として使うことも、
似た、上な、ありようにほかならない。
これどういうことなんでしょう。
構えに執着して、敵の太刀を受けたり叩いたりしようとすることは、
敵勢を打つときに、策を抜いて、槍や薙刀として使うことにも似た遠回りなやり方である。
よくよく考えろと。
以前、武蔵が、いささかも敵の立ちを見ずという言葉を最初の方でおっしゃっているんですね。
これにも通じているとは思うんです。
刀同士の叩き合いとか、中心の攻め合いとか、そういうんじゃないんだわ、みたいな。
そういうんじゃないんだと思いますね。
だから、もうそういう次元のお話じゃないんですよ、と言われているような感じですね。
はい。
経験と五輪書の味わい
天才武蔵先生の五輪の少年。
高校時代に読んで、新聞刊文であった私が、この歳になって読んで、非常に味わい深く読めるということは、本当にありがたいことですね。
やはりいろんな経験というのは、無駄なことは一つもないというふうに思いますね。
では皆さま、連休が終わったと思ったら、また週末ですが、どう言ったらいいんでしょう。
あまり曜日に関係のない自由な生活に、一日も早くなられることをお祈りして。
ではごきげんよう。
23:02

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