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2024-12-02 10:10

対話に失敗した私と、成長を見せてくれた長女、話す聴くの余波

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長女と対話しようとして、全然出来なかったけど夫と長女になんか良い影響があった

話す、聴く活動を経て改めて思う対話の力

サマリー

長女との対話の失敗を通じて、彼女の親は自分たちの視点が変わり、彼女の成長を実感しています。また、地域のコミュニティの中で対話の重要性を再認識し、健康的な交流の必要性について考えています。

対話の失敗と子どもの成長
こんにちは、そらまめです。今日は、長女と対話をしようとして、失敗したけど良かったことっていうのを話したいと思います。
これには、ちょっと話す聴くの良い効果というか、余波もちょっと含まれているのかなと、個人的に考えています。
長女と私が対話しようとしたのは、あるきっかけがあったんですね。
なんか、部活のクラブチームに入りたいっていう相談で、長女から。
そうげいを手配できないか、いろいろ相談していたら、長女の友達のお母さんから、
それ長女さん行かへんって言ったから、うちの子も、じゃあ長女ちゃんがいいって言うならいいやって話になったって聞いたよって言われて、
長女にめっちゃ怒って、ちょっと浴宅まで来て話しようって言って、ちゃんと対話しようって、怒りモードでしたけどね、完全に怒りモード。
怒りモードだったんですけど、ちゃんとこういうことは、
気をつけてよ、ハワイで済ませずに行った方がいいと思って、対話をすることにしました。
私からは、あなたがやりたいって言って動き出した話なのに、やっぱりいいやってなったんだったら、ちゃんと話してほしいっていうことを伝えて、
長女は、そんないちいち言わなあかんの?って、用意するんやったらちゃんと聞いてよって、聞いてからにしてって言って、話し合い、対話になりました。
まあ結構感情的やったかお互い、そんなんさ、言ってくれんのわからへんやん、ぐらいの圧はあったと思う。
そしたら、夫が、それを聞いてた夫がやってきて、うーん、どれどれ、僕が論破してあげようか?みたいな空気で、
ああ、何言っとんの?みたいな感じで言って、それが加わるとめんどくさいから、夫にも、あなたはちょっと黙ってて、
今二人で話してるから、向こう行ってって言って、一回して、二人で話し合ってました。
で、結論は出ないまま、出かける時間になっちゃったから話は終わったんですね。
でも途中から履歴した夫が戻ってきて、
また、また、なんかうちの長女が何か言うとるわ!みたいな感じだった、夫が。
いや、まめちゃん、長女すごい良いこと言ってるって。
もうまめちゃんが干渉しすぎたらあかんって。長女が言うまで何もしなくていいんだよって。
この子はすごく自分の気持ちを言えるようになった。めちゃくちゃ成長してるから、
まめちゃんがあんまアホなこと言わんようにしなあかんと言われました。
だから対話は全く失敗に終わったんですけど、その下手な対話を私が一生懸命しようとすることで、
夫の長女に対する見方が変わるっていうイベントが起こりました。反省しています。
ほんで、あの、夫の目線が変わったのも良かったし、
で、長女、夫は本当に子供のことを褒めないんですけど、
夫からそうやって褒められたことで、長女もなんか自分の意見を言ってくれる機会がちょっと増えた気がして、
対話は完全に失敗だったんですけど、
コミュニティの重要性
でも長女と夫にとってはいい効果があったなぁと思って、喜ばしく見ています。
我が家はもうみんな、夫も私も子供たちもみんなちょっとこだわりがそれぞれあったりとか、
言葉足らずだったり、こう対話とか会話が下手で、あんまり喋らないお家だから、
結構コミュニケーションを取るのが大変というか、
なんか、自分が起点にならないといけないみたいな感じがあったんですけど、
そこは気負わずにいきたいなぁと思いました。
でも一方で、自分が話したいと思ったら、話してみたら内容が良い方がいいんだけど、
内容が良くなくても、やっぱり気持ちとかを出してみる、人に問うてみることで、
客観的になったりとか見えてくる部分がそれぞれにあって、
対話大事だなぁと改めて思いました。
話す、聞く活動を得て、私自身にもその対話の大切さっていうのに気づかされたっていう変化が起きていて、
自分の中にある視点とか感情とか、困り事、悩み事をやっぱり出してみて、
人とシェアして、俯瞰で見るっていうのが、思った以上にすごく重要だなっていうのを気づいています。
今私は山奥に住んでいて、人口2000人くらいの小さなコミュニティに住んでるんですね。
地の人たちがすごい広い人間関係の中で生活してきた土地なんですけど、
人口が減ってきて、移住者を入れないともう集落が維持できないかもしれないという危機的状況になって、
移住者を温かく迎えるような環境に変わってきた途中、変わっていく途中の集落だなぁと思っています。
このコミュニティを維持していくのに、伝統行事とか教育とか、
今まで村人が大事にしてきたものがたくさんあるんですけど、
そのどれもに通じてあるのが、対話だなと私は感じています。
お祭りも伝統行事も、みんなで一箇所に集まって対話をする。
対話をすることでケアしていく。
狭くて、狭いけど、人口分の米が作れるぐらいの田んぼは大体あるのかな。
狭くて、町に比べたらちょっと過酷な風差的な地域で生き抜くために、
人々は交流をすごく大事にしていて、
交流はお互いを思いやるとか、優しくするとか、
そういうのよりも、もっともっと本質的なところを大切にしてきたものは、
対話だと今のところは感じています。
地域活性化への対話の影響
その話す聞くを通して、その意識がより強くなったなと思っています。
その対話は日常的な話もあったり、
普段から対話していることによって、
短い時間で前提とかを話す必要なく、
村人同士が短い時間で本質的な、
もう晩ご飯作るのしんどいから、死んでしまいたいわ、みたいな。
おじいちゃん、おばあちゃんがね、ロバッターでひなたぼっこしながらそういうの。
それに対して村人が、
もう今コロナで渋滞してるから行かれへんで、
ほんま偉いと思うで、いつかその都市まで作り続けて偉いわ、
そうか、ほら今日も頑張ろうか、みたいな感じでね。
すごく対話でいろんな気持ちをシェアして、いろんな視点を入れていて、
誰かの悪口言ったら誰かがフォローしてくれたりとか、
あの人は言ってるけど悪い人じゃないね、ちょっと足りてへんねん気遣いが。
だから、観人屋でとか、ヒルトのフォローしたりとかね、
すごく対話の大事さを改めて感じていて、
不器用だし、不恰好だけど、形にこだわらず、
おうちの中に対話を持ち込んでいるっていうのが、
聞き合いの効果の一つとして今感じています。
で、これがおうちだけじゃなくて地域の中に持ち込めたら、
やっぱりお互いにすごくいいと思うし、
なんかコミュニティの活性度、元気度、
息が良くなるみたいなイメージでしょうか。
健康さ?
やっぱ対話が多い方がコミュニティの健康さが維持されると思っていて、
対話をコミュニティの中でこれから生活して何か活動するにせよ、
大切にしていこうと思っています。
そしてこの考えが自分や周りの人に元気を与えてくれるんじゃないかなとも思っています。
取り留めがなくなってきちゃったので、
今日はここまで。
聞いてくれてありがとう。
またね。
10:10

コメント

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