00:05
こんばんは、まえむきラジオのまえまきです。
今日はですね、午後、ノートで仲良くしてもらっているさぼ天主婦さん、さぼ姉ですね、のお部屋に遊びに行きまして、ウリアについて思いっきり2人で語ることをさせてもらいました。
1時間半にもなってましたね。
私はね、声が大きいにもかかわらず、さぼさんのところにね、お邪魔をして、招待された側って声大きくなるんですよ。
っていうのを、久しぶりのライブで全然忘れていて、かつね、大好きなウリアのことを話せると思って、後で聞いてみたらマジでうるさかった、自分の声。
ということもありながら、今日はね、たーくさんの学びがありました。
さぼさんも私も、今ね、ウリアすごいいいよね、好きだよねっていうことは共通しているはずなんですけれども、やっぱり観点がね、全然違うっていうことを改めてわかり、だからこそ、私としてはね、結構学びになったなぁと思っております。
ちなみに私はね、全ての出来事、全てのこの関係性というのについてね、学びに変える癖があります。
なんか学ぶこと大好きっていう感じですね。
今日はね、多分分けて話したほうがいいくらいの内容なんですけれども、まるっと学びということで、3つのポイントでお話をしていきたいなと思います。
で、その前にちょっとね、今日話をしていて、まず注意喚起必要だなぁと思ったところですね。
今ね、このウリア、いろんなところで人気がすごい出ているんです。
かつね、自分の結果をわかったらSNSでシェアするっていうボタンもあるんですけども、それをね、シェアしたときに、ある人によっては知らない人の青年学びが見えちゃう状態になっているんですね。
私も登録をしていなかったので気づかなかったんですけれども、会員登録をすると他の人まで見えるっていう形になっちゃう形ですと。
だからSNSで共有をするときには、そのSNSでシェアするっていうのを選ばないようにしてもらったり、
もちろん本名とかいつも使っている名前を使ってシェアするっていう、使うっていうのはちょっと控えてもらった方がいいかなというところです。
今ね、この運営の方にもこんな風になってますという形で修正の依頼を出しております。
運営側の人からも回答をいただいていて、1回回収したという形で認識されていたそうだったんですが、まだ回収してきてない部分があるということをお伝えした上で、来月中、7月中には回収を全部してくださるということなので、ちょっとそこだけお伝えをいたします。
03:16
今日の学んだこと3つ。
1つは正しさと楽しさ。
2つ目は自分ってQ型の人間だなっていうこと。
3番目が自分の欲しい世界、自分の描く理想の世界をどう作っていくかというこの3点でちょっとお話をしたいんですね。
まず正しさと楽しさというところです。
私自身はね、結構探求心というものが強いので、今回このウリアっていうものにはまっているのも、このアプリで楽しむっていうことはもちろん楽しいんですけれども、
この奥に隠されているコスモスコープっていうもの、そういう原理、体系立てた原理、体系立てたものだったり原理が隠されているんですけれども、そこをね、知りたい、そこを何か正しく学びたいみたいな、何だろうな、欲求がとっても強いんですよ。
だけど、何だろう、それが正しいっていうふうに思いがちなんですね。
これは別に今回のウリアに関わらず、すぐに正しいかどうかみたいな価値観で、自分は物事を測りやすいという認識を自分の中でもありますと。
今日はやっぱりサポさんとお話をさせてもらってた中で、サポさんは優先順位的に楽しいからこそ広がる人とつながっていくっていうことを再三お話をされていて、なるほどなーっていうね、聞いてて感じました。
正しさでは人は動かない。楽しいからその楽しいエネルギーが伝播していて、何だろう、私もやる、私もやる、ポジティブな言葉をかけられるからやってみるっていうふうになっていくんだよなーというのを、何かね、まざまざと感じた時間になりました。
これが1点目。これにちょっと似てるんですけど、2番目。自分っていう人間が、なんか旧型ロボットみたいな感じ。古っていうところですね。
この正しさ、さっきの話にもちょっとつながるんですけれども、自分の中で、やっぱりこう2,3年ね、いろいろ探してきて、なんかこの原理はこうあるべきであるとか、これはこう使うことが正しいみたいなことを、すごいね、自分の型としてね、はまっている部分があるんです。
06:02
特にそれが象徴的に出るなと思ったのが、今回ウリアで言うペアスキルの概念についてですね。
そもそも、ペアスキルいるの?ぐらいに、ペアスキル押しすぎじゃない?みたいなふうに認識をしていたぐらいなので、あんまりここに対する知見だったり、そもそもの考え方の根本自体が、なんだろうな、ちゃんと認識できてないなって思いました。
例えばね、必殺スキル、ペアスキルというのは、とある自分のスキルとペアになるカードを誰かが持っていたときに必殺スキルっていうのが発動されるよ。
だからいろんな人とね、交わって、交わってこう鍛錬していくことによって、いろんな必殺スキル使っていけるよね、みたいな感じなんです。
もし、ペアスキルじゃなくて、自分が必殺スキルをすでに持っていて、相手が傍れのカードを持っていたりした場合には、それでも必殺スキルっていうのはそのまま発動するというより、むしろ協力になって発動したり、
自分だけのスタイルじゃなく、ちょっと違った切り口で必殺スキルが輝いたりするらしいんですね。
それは全然認識していなかった。なので、あ、これ前子猫ちゃんに伝えたりするの、私ちょっと間違ってたなーとかっていうのを思い出したので、このペアスキルっていう概念そのもの、ここをね、もうちょっと自分の中で体感に落としていくというか、納得感高くね、やっていきたいなというふうに思いました。
はい。で、えーっと、3番目。そうそう、これがね、自分の中では今日、今回ね、はっはーっていう学びの一番だったんですけれども、自分の理想の世界っていうのをどんなふうに作っていったらいいかというところですね。
ね、私はね、結構その理想の世界っていうのを描いた時に、世界が平和であってほしい、みたいな。あの、ピュアにそれを願っているタイプではあるんです。なんか何も考えず、だって平和がいいじゃん、みたいな。
っていうのと、もう一個こだわりがあって、なんか誰もが、うーん、なんだろう、言い方がしやすい。誰もが教祖であるっていうのを結構大事にしているというところがあるんですね。
09:00
で、えーっと、まあなので教祖っていう言葉にね、実はこだわりがあるっていうのは、このスタイルをね、前から聞いてくださっている方はすごくご存知だと思います。
覚醒プロジェクトでね、あなたも私も教祖っていうのを大事にしているんです。で、なんでその教祖っていう言葉にこだわるかっていうと、やっぱり教祖って悪いイメージがもう染み付いてますよね。
多分日本人の中には。でもそうじゃなくて、それを変えたいなっていうちょっとおこがましい気持ちがあったんですけれども、今日サボさんと話をしたことで、これはもう本当にね、やっぱり使わない言葉は使わない言葉としてしたほうがいいんだなっていうふうに納得感をね、出ました。
前にもね、教祖って言葉は印象悪いから使わないほうがいいよっていうのを何人の方からもね、実は指摘をされたことがあります。
だけど、やっぱり自分の中でその時は執着する理由があったので、それでも使いたいんだっていうふうに思ってたんですけれども、まあね、もうなんで自分がその教祖っていうことに執着していたかっていう理由がわかったので、ここはちょっと手放したほうがいいなと納得しました。
で、あとね、平和。平和であってほしいっていう、この平和でもね、引っかかる人いるんだなっていうのを、なんか今日サボさんと話をした時に、教祖と平和っていう言葉については、あ、なんかサボさんの反応変わったっていうのを、なんかもろに感じたんですよね。
で、なんでそのね、自分も思います。平和を願っているけれども、なんかむやみやたらに日常の中でね、平和であってほしいっていうのって、なんか言えないなっていう感覚があるんですよね。
街中にさ、なんだろう、看板じゃないけどなんていうのが、こう、言葉書いてるなんていうと札みたいなのでさ、人類が平和でありますようにみたいな書いてるたりするのありますよね。
あれを見ても、いやそんなんやっても、この書いてる人たち、自分たち以外は敵と思ってるじゃんとか、なんかいろんな感情を持って、確かに人類、平和とかって、結構反応するにもかかわらず、自分はね、平和っていう言葉を使いたくなるんですよね。
あー、だってその世界を望んでるから。ただ、もしね、なんか自分がその世界を望んでいたとしても、そのままストレートに伝えれば伝えるほど、自分の望む世界にはいかないんだなっていう、あまりにはね、基本的なことなのかもしれないんですけれども、あー、伝え方って大事だなーっていうのを身にしみて感じました。
12:16
やっぱりこう、人気者、サボさんも人気者なのでね、人気者の方とか、あとすでに影響力が大きい方っていうのは、この辺の自分自身が使う言葉っていうのをとても洗練されていらっしゃるなと思うんですが、私ね、今まであんまりそういうこと気にしなかったんですよ。
無邪気にね、だってこだわってるんだもん、使いたーい!みたいな感じだったんですが、なんか、私本気で今ウリアっていうものを広めたい?これは絶対いい!って思う。
そこにね、広めたいものが出てきた時に、競争とか平和とか、他に知らない人が聞いた時にガシャンってね、こうシャッターを下ろされてしまうような言葉は使えないんだなーって思いました。
でなんかこう、終わった後にちょっといろいろ考えてて、ちょうどね、さっきまた旦那とね、ご飯中に話をしていて、旦那にもね、言ったんですよ。
ねえねえ、平和、私ピュアに平和を願ってるんだけど、平和って言葉なんか使わない方が良さそうなんだーみたいな感じで言ったら、うちの旦那、まあだいぶイケてるんでね、なんか彼なりのまた見解をくれたんですよ。
でそれが、平和って一人じゃなせないこと?だからみんながそうならなきゃいけない?平和にはならないっていうよねーみたいな。
うん。ってなると、みんなが同じ方向を向かないと基本的には平和ってなされないという認識になる。
そしたら、言ったそのなんか統一思想的なもの、何かしらの思想がね、その平和、平和にしたいっていう言葉の中には、何かしらの意図だったり、何かしらの思想が含まれているんじゃないか。
なんなら誘導、そこに誘導されるんじゃないかというふうに人は思うんじゃないかということをね、また悟してくれました。
いやなんかすごいよねー。私はね、このウリアをやるまではついついその旦那のね、なんていうの、大人な対応とか、もう何だろう、物知りなこととかね、
ちょっと諸星術的なものに対してね、若干ね、チッみたいな、あと穿った見方をね、していたんですけれども、今、彼に、彼はね、そもそもキャラで言っても相談役っていう、とてもとても択感したね、大人なキャラなんです。
15:02
その彼にね、やっぱり色々相談をすると、私はね、子供のようなファーストペンギンっていうキャラなので、大人な回答を返ってくるっていう感じで、そのね、会話だけでもまた学べるんですよね。
なんか私、自分一人でそういうのが考えられたらすごい良いなぁと思うんですけど、やっぱね、考えられないの。
だから、今日ね、サボさんがね、「いやぁ、まきちゃん、言葉使わない方がちょっと良いよ。」とか、「他にもなんか色々あるよね。」みたいな感じで、そういう風にご指摘をね、してもらったり。
あと、例えば他の方とかでもね、「まきさん、その言葉の概念はもう変えようとしない方が良いです。」って言われてね、アドバイスをくださった方もおりました。
あと、例えば子猫に仲良くしてもらっているね、子猫にゃんとかだったら、私のね、こだわりが強いのすら受け入れてくれて、「うんうん、まきにゃんに今言っても無駄だから、待ってるよ。」みたいな感じで、
それはダメだよってわかってるけど、今私に言っても無駄だっていうことで、待ってくれてたりする人がたくさんいるんですよね。
なんか、それも嬉しいと思ったのが、今日すごい気持ちであります。
私はね、そういう変な執着とかこだわりが結構たくさんあります。
ただ、一個人にずっとそれを思う人間でもないんですね。
納得しさえすれば手放せます。
だから今回も、自分の心の中には、世界が平和になったらいいなってピュアに願ってはいるんだけれども、これに対して、ど直球ストレートを投げても意味がないんだなっていうこと。
世の中の多くの人は、「あ、自分よりいろんなことをいっぱい考えているよね。そうだよね。だからそんなストレートばっか投げてもダメだよな。」っていう至極当たり前のことに気づきましたよね。
でもこれも、自分がやりたい、本気でやりたい、広めたいって思ったから、やっと踏み落ちたんだと思うし、
納得したからこそどんどん執着っていうものも、いろんな形で私は手放していけるんじゃないかなと思いました。
なので、ウリア自体もそうですし、ウリアを通じて関わってくださる皆様とか、スタイフで関わってくださる皆様のお話とかをさせてもらう中で、いろんなものを手放して、またね、皮がツルンと剥けた前巻きになっていきたいなと思います。
18:07
はい、やっぱり長くなってしまいましたが、今日はすごく分けることなく一つまとめて喋りたかったなと思ったので、長々とお話をさせてもらいました。
はい、じゃあ今日はちょっとね、あまりに長くなったので、この辺で失礼したいなと思います。
では引き続きウリアについては語ります。
じゃあねー。