はじめに:子育てと発達心理学への関心
FM八ヶ岳 まちほくラボの八枚おろし
この番組は、自然豊かな高原エリアで、「つながる」が合言葉。 政治・自然環境・福祉・文化芸術
子どもの育成など、それぞれの分野の人たちが集代わりで登場し、自由に未来語りをします。 この番組は
小渕沢のまちほくラボ株式会社の提供でお送りします。
リスナーの皆さん、こんにちは。 アンクル順の言いたい放題の時間がやってまいりました。
最近、ベネズエラやイランなどという気な臭いお話が続いたのですが、一方で足元の子育てのことも繰り返しお話ししなければいけないなと思っています。
今回は、以前にもここでお話ししたことなのですが、言いたいでないことがあったりするので、もう一度お話ししようかなと思っています。
またかよって言わないでお付き合いください。
子育てについて言いましたが、実はそのこと自体を教えてくれたのは、僕の母でした。
前にお話ししたとおり、僕が小学校を上がるか上がらないかの頃に、チンパンジーの赤ちゃんが家にやってきて、
それがきっかけになって、後々のことですが、子育てのことをいろいろ考えるようになったということです。
一般家庭に、なんでチンパンジーの赤ちゃんが来るのか、これは世界的に見てもなかなか例のない話だということらしいのですが、ちょっとその辺のことも含めてお話します。
その子は女の子だったのでサーチコと名付けられたのですが、もちろんペットでやってきたわけではなくて、父の研究対象としてやってきました。
父は心理学者なのですが、今でいうと発達心理学なのかな、人間に近い類人猿のチンパンジーの子どもが、どのように知恵を獲得して発達していくのか、人間とどんな違いがあるのかというようなことを観察したかったらしいのです。
そのために、可能な限り小さな子どものチンパンジー、赤ちゃんを手元に置いて、自分の子どもと一緒に育てて観察したいということを考えたらしいのです。
幸子の誕生と家庭での生活
結果的にはそのことは、両親にとっても、僕や弟にとっても非常に稀で貴重な経験になったのですが、
しかし、そんなに小さなチンパンジーが都合よく手に入るわけではないと父も母も高く言っていたのだと思います。
思いがけず、すぐに生後半年ぐらいという、びっくりするような小さなチンパンジーが手に入るということで、
彼女の受け入れのために両親というか、我が家全体がテンテコ前の大騒ぎになるという数ヶ月を送ることになったのです。
幸子が来たのは、僕が6歳になる夏、我が家に来たのですが、アフリカでお母さんチンパンジーが密流によって殺されて幸子は孤児になったのです。
巡り巡って我が家にたどり着いたのですが、実はこのことが幸子の一生にものすごく重大な影響を与えたということが、後になってだんだん分かっていくということです。
小さいものだから、我が家の暮らしにもすっかり慣れるわけです。
僕と弟にとっては、言葉は通じないんだけれども、手むぐし腹のかわいい元だというぐらいしかなくて、
彼女が家にいたのは約1年半なんだけれども、文字通り兄と妹みたいに一緒くたになって暮らしていました。
特に弟とのコミュニケーションというのが、言葉が通じているのかというぐらい見事なもので、本当の兄弟みたいにコミュニケーションが成立しているんですよ。
お兄ちゃんの僕は明らかに区別されていて、全然違うんですね。
今思えば、本来野生のジンパンジーは群れで育つものだから、親兄弟とか友達の関係なら、言葉なんかなくても当たり前に一つができているわけですよ。
弟なんか特にそうなんでしょうね。そういう世界だったんでしょう。
母は、幸子の母親代わりとして接しながらも、父の研究をサポートしていたんです。
だから食事にしても餌を与えるんじゃなくて、僕や弟と同じテーブルで同じものを食べさせていました。
お箸は使えないからモッパラフォークなんですけど、その間にもいろんな芸ごとというのかな、おつむてんてんとか、そういう仕草を教える訓練はいろいろやっていました。
なかなか上手にできないわけですよね。
間食を起こしてキャキャ騒ぐ、まあ賑やかな食卓ですね。
それでも幸子は父の実験にいろいろ手伝って付き合って、実にいろいろな姿を見せてくれましたね。
チンパンジーの知能と発達の比較
中でもびっくりすることは、あるおやつを手に入れさせようとするんだけれども、
手が届かないところに置いてあるわけ。
最初はバナナだったかな。
そのバナナは届かないもんだからね、何とかしようとするわけですよ。
父が幸子の手の届くところに木の棒とか毛布なんかを置いて、そいつをどういうふうに利用するのかできないのかということを見ていたんです。
幸子は賢いなと思うのは、そういう手で届かないところにあるものを引き寄せるために棒とか毛布を使うんですよ。
言ってみれば道具を使うということなんですけど、それでもうまくいかないとね。
近くに箱を置いてあるわけですよ。
その箱をどうやって利用するか見ていると、
バナナを天井から吊り下げて、バナナを下に持ってきて、その上に乗ってみたりするんです。
乗ってみて、棒や毛布で振りますんだけど、それでもだめ。
もう一つ箱があって、最初の箱の上にその箱を乗っけて、その上に打ちのぼって、ついにバナナに手が届くというふうになるんですけど、
そういうことを誰にも教わらないで自分で考えてやってのげるんですね。
それにはちょっと父もびっくりしてましたけどね。
これが2歳前後くらいの人間の子供だったらどうなるかということなんですけど、
おそらくバナナが取れないと感謝号を起こして泣くとか、親がみかねてバナナを取ってあげるとか、みたいなことが起こるんだと思うんですけど、
チンパンジーが人間に優れているということだけで片付けられなくて、成長の過程である時期までは発達のスピードが違うということなんですね。
だから当然、人間もチンパンジーも成長していくにつれて、人間の発達のスピードがどんどん上がっていっても大きな差がつくんだけども、
これはある意味当たり前のことで、自然界ではね、ちっちゃい子だからバナナ親が取ってあげましょうなんてことはそうそう起こらないわけで、
逆にまあそれも生存競争の一環なんでしょうね。
だからそういう生存競争で勝っていくものが次の世代を残すという権利を得るみたいな世界でしょう。
だから生まれてから間もないうちに、ある程度のレベルの能力を身につける必要があるということなんですよね。
人間はね、そんな厳しい環境はないから、そこそこ大きくなるまでは完全に親の庇護の下で成長するでしょう。
だから2、3歳くらいまでは、そんなに急速にいろんなことを発達させる必要がないということなのかもしれないですよね。
この親の庇護があるかないかということはね、結構重要なことらしいので、ちょっと覚えておきましょうかね。
幸子の悲劇:動物園での生活と子殺し
じゃあここでちょっと一服して音楽にしましょうか。
プラターズの名曲でオンリー・ユーをお聴きください。
この曲はね、実は僕が生まれる2ヶ月前に発表されたんですけども、びっくりしましたね。そんなに古い歌だったのか。
俺が生まれたのも古いのか。まあいいや。
それでね、ここからが本題みたいなものなんですけど、
サチコがその後どういう人生を送ったのかということをちょっとお話ししましょうね。
結果というとね、サチコはとっても悲しくて寂しい一生を送るんですよ。
生後半年くらいのちっぽけな子がね、わずか1年余りでね、とにかく手に負えなくなるくらい力が強くなって、
もう我が家で暮らすのはとても無理だということになって、東京のタンマ動物園に引き取ってもらうことになったんですけどね。
タンマ動物園には当時アフリカ園というエリアがあって、そこでチンパンジーのコロニーが暮らしてたの。
サチコはそこに入れてもらってね、うまく残りの人生を送れるんだろうと思ってたら、にわからんや。
そこからそもそもつまずくんですね。もうね、そのコロニーにね、全く馴染めなかったんです。
そのわけもね、後から考えればわかるんだけど、彼女は生まれてすぐにね、まあまあおろか、本来いるべき群れからも隔離されちゃったんだから、
大きくなってからさあ、群れに入りなさいと言ったってもう土台無理なのよね。
で、元来群れの中で暮らす生き物が、もう物心つく前からね、群れから、まあ群れからっていうか、すなわち社会から隔離されちゃったんだから、
これはね、大きくなってもね、どうやって生きていけばいいのかわかんない。あるいは、その社会とどう付き合っていけばいいのかわかんない。
ということになっちゃった、というふうに考えられたんですね。
でね、これがね、大きなポイントなんですよ。
それでもね、やがて大きく成長してね、サチコ二回赤ちゃんを産んだんですけど、老子とかね、二度ともね、その産んだ赤ちゃんをね、
もう床だかね、壁だかわかんないけど、叩きつけてね、殺しちゃったんだっていうことらしいです。
これは後で動物園から聞いた話ですけど、でね、そのことを知った母がね、もう大ショックを受けて、
で、なんでサチコがそんなことをしたのかっていうことをね、考えるようになったんです。
で、まあそのときね、まあ父の猿学者としての知見とか、
当時母はもう幼児教育の現場にいたんで、その経験などからね、導き出されたのが、
サチコはね、本来群れの中で一定期間をお母さんと一緒に過ごすべき時期を失ったわけですよ。
で、チンパンジーとしての生き方を学ぶこととか、母親に甘えることなんかを知らずにね、
子供時代を人間と過ごさざるを得なかった。
その結果、自分の子供に対する母性とか愛情とか、そういうものは持てなくて、
自ら産み落とした子供を単なる異物としてしか認識できなくなっちゃったんじゃないかっていうふうに考えたらしいんですね。
これを推論、まあ推論ですけどね、両親の。
これはね、後に隔離飼育、これは実験ですけどね、隔離飼育された日本猿のメスがね、
赤ちゃんを産み落とした瞬間に、もうまるで見たこともないような変なものが出てきたっていうような感じでね、
びっくり予定して飛び上がったっていう映像が記録されてるんですよ。
本来群れで、群れ社会で育つ猿たちがね、社会から隔離された環境で成長するとどういう影響があるのかっていうことを、
このフィルムは視察してるんですね。
で、幸子のね、小殺しがなぜ起きたのかっていうのは、
これはね、一言や二言では多分説明できないくらい難しいことなんだと思うんですよ。
だけど、隔離飼育された日本猿の母親の様子なんかをね、見て推測すべきことっていうのは、
彼女たちが育った環境、要するに親とか群れから隔離されちゃった環境がね、
我々の人間の社会で子どもたちに同じようなことが起こったときに、どういうことになるんだろうっていうふうに考えなくちゃいけないってことなんですよ。
母子分離の影響:動物実験とロバートソンフィルム
先月20日の水曜日ね、担当の山本さんが、お腹の中の子どもとお母さんのコミュニケーションが生まれてくる子どもに影響するんだよっていう話をね、されてましたよね。
でね、お腹の中の子どもとは僕は分からないけども、それほどにね、ママと子どもの関係、母子関係ってよく言いますけども、
やはりね、相当重要なことなんだと思いますね。
その話をする前にもう一曲聴きましょう。
今度はね、ステッペンウルフ、Born to be wild。
これは放題で行くとね、ワイルドで行こうっていう、これも有名な曲ですね。
お聴きください。
それでね、これも前回言いようした話なんですけど、以前ネットにね、幼児期の体験は一家生ではなく生涯にわたって影響がありますよっていう投稿があったんですよ。
この投稿の中で紹介されているね、母子分離実験、動物実験で言うと隔離飼育ってことになるんだけども、
つまりサーチコとかね、さっきお話した日本猿のお母さんのようなケースで、
その実験ではね、生まれたばかりの子ネズミを毎日3時間くらい母親からね、2週間引き離してみた。
そしたらね、成長した子ネズミがね、えらいケンカ早くなったっていう結果になったんだって。
で、その結果をもってね、最近の子は切れやすいねっていうことの説明の言い口にしてるんだけれども、
人間のケースでもね、これは実録なんだけども、幼い子がね、1歳半だったかな。
突然理由もなく一定期間お母さんから引き離されたことで、
その子の心に思いも得らない深い傷を負わせることになったっていう記録があるの。
1950年代にイギリスで撮影された、通称ロバートソンフィルムって言われるんだけども、
やっぱり親子のね、お母さんと子供の分離をテーマにしたもんで、
研究者とか保育士さんだとか小児科医だとかっていう小さな子供と母親の関係性っていうね、
現在の妊幼児精神保険っていう世界に関わる人のバイブルムのような存在になってるんです。
具体的にはね、このジョンっていう男の子ね、ママが2人目に妊娠していて、
ある晩突然妊娠が来ちゃったもんだから、入院さざるを得なくなっちゃった。
ジョンはね、寝てるところを叩き起こされて施設に預けられちゃったのね。
最初はね、彼は何が起きたか分かんなくて、呆然としてたんだけども、
ママには会えないし、パパは仕事帰りに時々来てくれても一緒にお家に帰れないし、
っていうんでね、だんだん不安になってきちゃう。
でね、その不安がね、彼にとってはね、自分の恐怖とかね、そういうのに対する怒りとか悲しみに変わっていって、
非常に激しく泣いたり、ドアをぶったたいてみたりとか、っていう風になっていくの。
さらに何日かするとね、彼は多分絶望しちゃったのかなって思うように、
無気力になったり、欲打つ的な気分になって、もうね、泣き叫ぶとかね、いうような感情を元に出すようなことがなくなってきちゃった。
でね、とうとうね、そうは言ってもママが迎えに来るわけですよ、赤ちゃん生まれて。
もうその時はね、もう彼にはね、ママの愛情っていうのは全然なくなっちゃって、
僕はこいつに捨てられたんだっていうようなね、感情が沸き起こっちゃって。
で、もうママが来ても全然喜ばない。
どころかもう何の感情もないっていう状態になっちゃったらしいのね。
でね、その時のジョンがね、ママを見てる目がね、すごいのよ。
もうね、親の仇でも担うようなね、すっごい目してた。
で、たった1歳半の子供が久しぶりに会ったママに向けてね、そんな目をするようになったのかってね、ちょっとびっくりっていうよりもね、怖かったですね。
現代社会への提言:保育の質と子供の心の育成
でね、サチコの場合ね、これは直接そういうことと結びつくかどうかわかんない、はっきりしないけども、
僕の母はね、サチコの子殺しを知って、あるいはその子ずいぶん後になって、そのジョンのことを知ったりして、
サチコやジョンのようにね、幼少期に母親と離れちゃったことによって、人間に子供に同じことが起きた時にその子に、将来、どんなことが起こるんだろうかっていうことをね、考えるようになったんですよ。
で、この母の気づきは、僕が理解できるようになるようにずいぶんまたかかるんだけども、やっぱりね、この点をとても大事にしなくちゃいけないと思う。
つまりね、現代社会っていうのは、もうお母さんの社会参画っていうのは、もう必然であり当然だから、子供はちっちゃいうちから保育園なんかに預けられるでしょ。
そのこと自体は言うつもりは全然ないけども、ただ、預け方とか預かり方に非常に大きな問題が出てくる、大事なことになると思うということなんですよ。
だから、例えば保育園に子供を預けるって言った時にね、どう預ける、どういう保育園に預けるか。
保育園の方は、子供がママがいないっていうストレスを感じないような預かり方を考えなくちゃいけないっていうこと。
そこに気がつけば、おのずからね、保育園、幼稚園などのいわゆる保育の質っていうことに気がつくわけで、
子供にストレスを与えない保育環境と、幼稚園の頃から英語を教える保育環境のどっちが子供にとって幸せかっていうことをね、よく考えなくちゃいけないと思いますよ。
ちっちゃい子供の心が健全に育つために、僕たちは何を理解してどう行動すべきなのかっていうことをね、もっと勉強しなくちゃいけないっていうことをね、
サチコやジョンは教えてくれていると思います。
今回の話はね、親御さんだけじゃなくて、子育てが終わった世代とか、幼稚園の先生や保育士さん、役所の子育てに関係ある部署の職員さんたちにもね、聞いて考えてもらいたいし、
ご意見とかご感想があれば、ぜひ聞かせてほしいというふうに思っています。
第4週の中島さんもご感想をよろしくお願いします。
ということで、今日はここまでにします。ではまたね。バイバイ。
この番組は、小淵沢のマチホクラボ株式会社の提供でお送りしました。