1. リブラの 精神科のバックヤード
  2. 応援はサステイナブルが吉
2024-02-17 19:46

応援はサステイナブルが吉

#NFT
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6349996e0cee2a08caf592dd
00:05
おはようございます。精神科医のリブラでございます。
また今日も喋っていきましょうね。
また思ったことをすぐ取ってみましょうということで、
今ふと思ったんでね、書きますけど、
あの、喋りますけどね。
えっとね、最近あの、あれでしょ、
応援文化って、なんかあるでしょ?
この、どこ界隈かな?
応援文化って言ってるのはどの範囲なんだろう?
僕の周りにもあるんですよ、応援文化とかね。
応援した人が応援されます、みたいな。
応援流行ってるんだよね。
どこの界隈かな?
でも応援って言葉流行ってますよね。
その、応援文化の、なんて言うかな、
口座言うかな、口座じゃないか。
応援文化の注意点ですかね。
注意点について少し思ったことを喋ります。
えっと、応援という言葉は
美しい言葉でポジティブな言葉ですね。
で、えっと、なんて言うかな、
例えば、えっと、なんだっけ、
自分のために達した貢献だけ、
高橋社長の推奨している、
という概念もありますよね。
自分のために達した貢献という考え方は、
情けは人のためならずってことですね。
つまり、人に応援、
その応援、施し、情けをかけるということは、
他人のためになるだけじゃなくて、
巡り巡って自分のためになるよというね、
そういう発想で、だから応援しましょうという、
割と表面に本音を言っているようなね、
本音で話すと、
本音で言うかな、
短めの利益で言うと、
一番短めの利益を取りに行くのは自分のために、
それは特策じゃないよと。
自分のためにするなら、
むしろ他人のためにした方が自分のためになるよ、
情けは人のためならず、
他人のために、自分のために達した貢献、
そういう考え方ありますよね。
もう少しロングタームで考えて、
あまり自分のためと思うのもダメだし、
自分のために達した貢献という風にするのも、
それは結局、
そういう風にやっている間は、
色から自由になれないと、不幸になると、
むしろ人のためにやることで、
それが楽しいと思うようにしなさいというのは、
アドラー心理学的な考え方もあるので、
自分のために達した貢献というのはアドラー的ではないので、
アドラー心理学的な考え方もあるでしょう。
他人のためにするのを楽しいと思うようにしていくという、
そういう考えもあると思う。
そういうのが応援文化の基本思想かなと思います。
それ自体はいずれも間違っていないというか、
03:00
いずれも良いと思います。
だけど応援文化について、
少し疑問に思ったり、
気持ち悪いと思ったり、
確かそういう放送されている方もいらっしゃって、
聞きますよ。
名前を出すと誤解されちゃうといけないから、その人が。
そんな風に言ってなかったけど、
違和感みたいなものについては言及している方がいらっしゃって、
リアルで会う人の中でも何人かそういうふうなことをおっしゃる人がいるし、
これは普通の感覚なんだと思うんだよね。
応援の話がちょっと気持ち悪いっていうね。
そうおかしな話じゃないと思うんですが、
それをあんまり言っちゃうと、
誰か応援文化みたいなものに水をさしているみたいに聞こえるリスクがあるのでね。
名前は言わないでおきますけども、
そういう人がいますよ。
それはおかしなことじゃないと思うんだよね。
僕もその通りかなと思ってますからね。
別に僕はそういうことを、
応援文化に何か違和感のあるような発言をする人を、
僕は別に応援に水をさしているものだとは思いません。
それはいいと思う。
そして、
もちろん気持ちもわかります。
応援文化に違和感を感じるということがあるとして、
それがどういう条件においてかということなんだよね。
それがどういう条件かということなんですけどね。
そこを気をつけないと、
応援文化というのは変なものになってしまう。
社会的に受け入れられなくなる、最終的にはなると思うし、
僕らも耐えられなくなると思うんだけども、
その条件がサスティナブルかどうかだと思うんですよね。
継続可能かどうかっていうね。
あるいは継続可能に見えるかどうか。
あるいは継続可能に感じるかどうか。
それは文を知るということだと思うんですね。
文を知る。
脇前を知る。
つまり、
寮な寮。
応援の寮。
人を応援するという気持ちとか、
助けたいという気持ちはあるんだよね。
誰にでもあると思うんで。
ある種本人の欲で、
情けは人のためならずとか、そういうレベルで
見返りを求めてやっている話ではなくて、
逆に償いというか、
そういう気持ちに人はなるんだよね。
そういうのを宗教というふうな形にしたのが、
例えばイスラム教なんかは、
イスラム教は
06:01
根本のところに
お金持ちは人のためにしなければいけないという
そういうのがあってね。
お金持ちは例えば貧しい人の気持ちも
理解しなければいけないという意味で、
ラマダンがあると言われています。
例えばご飯食べないでしょ、あの人たち。
ラマダンでしばらくご飯を食べない、
そのやり方も本当に食べない人たちから、
日が暮れたら食べていいっていう人たちから、
酒だけ飲まないようなトルコのある種の
軽いイスラム教の人たち。
いろいろ言いますけど、
とにかく我慢するという時期を
要求するんです、イスラム教というのは。
なんで我慢しないといけないかというと、
貧しい人ってできないよねと、
あんたはお金持ちか知らんけど、
貧しい人の気持ちもちゃんと理解しなさいやと。
ということでラマダンでご飯食べなかったりするんですよ、
貧しい人の気持ちを知るために。
そういうふうに、やっぱりこれはきついわと、
あの人たちかわいそうだなと、
共感性を発動させて、イスラム教というのは。
何か人のために施さないといけないと。
それは施しやすくするために、
ラマダンがあると。
あれはイスラム教というのは極めて実利的な、
戦争で傷んでしまったアラビア世界を救うために
生まれてきたみたいな宗教だと僕は思いますので、
時代背景があってね。
それがラマダンとして形に残っていると思うんだけど、
まあああいう感じでね。
そもそも宗教みたいなのがそういうもんだしね。
人を助けるという点ではすごくいいでしょ。
で、応援というのはすごく素晴らしいと思うんだよね。
で、それがね、何か文を起こすと、
例えばどうなるかというとね、
例えばね、
例えばですね、同じね、
何にしようか、何がいいかな。
まあ、お寺にしましょうか。
お寺も宗教でしょ。
で、まあお寺も応援じゃん。
で、お寺にお伏せをするでしょ。
例えば、坊さんに法事で教を読んでもらって、
ね、
やってもらってね、
何でもいいんですけども、
教を読んでもらってですね、
お伏せを払うときにですね、
例えばですね、同じ1万円を払うとしましょうかね。
だけどさ、例えばさ、
僕が1万円を払うとしましょうか、
高級サラリーマンみたいな給料の人。
まあ、不運と思うでしょ、皆さん。
不運と思うでしょ。
何とも思わないでしょ。
別に僕がお伏せを1万円。
例えば、
イーロンマスクじゃないほうがいいか。
まあ、もっとなんか大金持ち。
まあ、孫正義さんね、日本の富豪に見えませんかね。
がね、お寺さん呼んでね、
1万円払ったらどう思います?
少なって思わない?
え?1万円?え?少な?
09:00
思うと思うんでね。
例えば、
どうだろう、なんかね、
旦那さんを亡くしてね、
子供2人を育ててるシングルマザーの方がね、
一緒に働いてね、
なんかダブル、何ていうの、
ダブルワークとかでお金働いて、
頑張って稼いでね、仕事して、
で、その亡くなった旦那さんね、
ちっちゃな子供2人でやってね、
そこにお寺さん呼んでね、
あ、パパ、パパにね、
パパにお祈りしてもらおう、
お参りしてもらおうね、
やってもらおうね、
チーンってやって、
はい、どうも、
パパも喜んでるかもね、
言ってもらってね、
ありがとうございますって出す1万円ね。
まあ、これちょっと大変だなって思うでしょ?
じゃあ、これをね、
例えば10万円になったらどう思います?
例えば、
僕がそのお札を10万円出したら、
ああ、結構出すねってね、
ああ、やっぱり高級さがあります、
医者はやっぱりすごいな、
10万も出すんだ、
そう見えますね、
えー、孫政さんが10万出したらどう思います?
ああ、ちょっと少ない、
あ、そんなもんなんだ、
少ない、ああ、まあそうか、
まあでも今日ちょっと、
まあ10万高いか、
みたいな、
何とも思わないでしょ、別に、
で、僕が出すと、
おお、まあここも何とも思わないかもね、
ああ、出すね、
思うかもね、
じゃあ、
ダブルワークをしている、
その人がね、
その坊さんがね、
その人から10万円取ったらどう思う?
10万、
ああ、ありがとうございます、
これでね、
パパも喜ぶと思う、
ああ、ありがとうございます、
こう、何していただかなくてもありがとうございます、
と言って、
平然と10万持って帰ったらどう思います?
ああ、あの、
巻き上げてるだろ、お前、
って思いません?
ああ、あの、
いや、これはもう、
ああ、あの、
お父さんのためにね、
この子たちが、
ああ、あの、
大好きだった、
ああ、あの、
パパのために、
ああ、あの、
今日あげていただいた、
ああ、あの、
もう気持ちですので、
お伏せですので、
ああ、あの、
お受け取りください、
と言って、
ああ、
手取り付き20何万、
で、
子供2人、
育ってる、
そのお母さんから10万、
平気で持っていく坊さんいたらどう思います?
うーわ、
ひどっ、
こう見えません?
文をわきまえるというかね、
文に、
文不走の、
あの、
ことをするとですね、
ええと、
これはね、
ひどいことに見える、
ええ、
そのね、
ええと、
子供たちがね、
パパ、
これはパパのためになるの?
いや、
パパのためになるというね、
ことではないかもしれないけども、
あの、
いいのかなこれね、
あの、
パパのためって言うんじゃなくて、
あの、
パパのために、
ええ、
ね、
あの、
今日あげてくださった、
あの、
お寺さんのね、
あの、
お坊さんの、
あの、
に、
あの、
なんていうかな、
を、
あの、
いいの?
とかって、
あの、
言ってね、
あ、
それならあげようって言って、
ありがとうって言って、
子供たちがね、
で、
12:00
お、
あの、
奥さんもね、
あの、
本当にありがとうございます、
お収めくださいと言って、
ええ、
10万、
あるいはね、
まあ、
そうだね、
それ毎月頼む、
2か月に1回頼んでるとかね、
ああ、
なんだ、
じゃあまた今度は来ますよ、
ええ、
パパのこと、
ね、
あの、
じゃあしっかり供養しましょう、
ええ、
じゃあよし、
分かりましたと、
じゃあ来月も来ましょうよ、
僕来月も来ますよ、
ああ、
もう、
どんだけでも行こう、
うーん、
パパのためだ、
って言って、
来るたび10万取ったらどう思いますか、
むちゃくちゃでしょ、
こんなのって、
思いませんか、
ええ、
つまりね、
その人はいかに応援の気持ちがあってもですよ、
で、
応援というかな、
いかにその、
子供2人とね、
お、
奥さんがね、
やってくださいと言ってお願いしたとてね、
で、
いやいや、
やってくださいと言ったとてね、
それを持ってたら巻き上げてるように見えるでしょ、
うんとね、
バランスなんだよ、
なので、
その人が、
うんと、
に無理させているとか、
無理しているとか、
そういう風に周りに見えたら、
あのー、
あるいは、
本人がそう思ったら、
ま、
本人が思ったらやらない、
本人たちが思ったらやらないと思うんだけど、
周りが見えるというかな、
そういう風な状況に入ったとたんに、
これは、
ま、
もう巻き上げられてるように見える、
騙されてるように見える、
洗脳されてるように見える、
これがね、
今ね、僕ね、
お寺の例を出したでしょ、
みなさん、
お寺のお坊さんというものは、
あのー、
それは、
あのー、
なんかこう、
騙す人じゃないという、
お寺のお坊さんに対する、
無意識の、
あー、
なんていうかな、
あのー、
プラスイメージがある、
あのー、
医者は、
あのー、
なんかちょっと、
なんかお医者さんはなんか、
少し賢そうに思ったり、
少し、
お医者さんというだけで、
あのー、
なんとなく、
もの、
なんとかな、
ちゃんと、
ものが分かっているように、
勝手に勘違いしたり、
される人がいらっしゃるけど、
そんなことないですからね、
あのー、
僕の知っている医者、
あのー、
全然そんなことないですよ、
いくらでも言いますからね、
えーと、
自分のことは、
否定しませんね、
えー、
自分は素晴らしい、
僕最高、
ね、
あのー、
そうそう、
昔から言うんだけど、
僕はね、
あのー、
俺最高系と言ってますけどね、
自分は最高だなと思っているっていうね、
ちょっと頭がおかしい一族、
えー、
ですけど、
まあ、
ということで、
そういう風なものが、
いわゆるこう、
信仰宗教みたいなものに、
見えるんだよね、
信仰宗教が、
あのー、
を批判する時に、
巻き上げているという風に、
言ったりする時に、
えーと、
いや、
本人たち喜んでいるからっていうのは、
全然あのー、
ならんでしょう、
防御する言葉に、
いや、
違うんだよ、
全然お金取らないじゃん、
あの信仰宗教、
え、
お金取るんじゃない、
壺売ったりするんじゃない、
全然お金取らない、
ほんとにわずか、
あのね、
ね、
例えば、
言ったらね、
あ、
そんなに悪い、
宗教じゃないかもな、
思いません?
え、
お金どうしてんの、
お金はね、
なんかね、
企業に回ってね、
寄付集めたりしてるみたいで、
個人からはね、
絶対取らないんだって、
みたいな、
言ったらさ、
あ、
それはなんか、
すごいね、
って、
で、
寄付であっても、
それ、
企業から取るとあんまり、
15:00
人間の色が出ないんで、
思わないけど、
えー、
そういうのあるでしょ、
どうです?
ね、
ということでね、
ほんとね、
文を超えたね、
えーと、
割合ですよ、
割合。
その割合がね、
その寄付って言ってもね、
だから、
サラリーマンの人が何かに寄付するって言っても、
まあ、
その、
金額がそれほどでもなければ、
そう思わないんだよ、
でも、
その、
サラリーマンがね、
ていうかね、
だいたい給料想定できるでしょ、
ていうかどのぐらいの、
あれか分かるじゃん、
だからまあ、
富豪からいくら取ったっていいんだよね、
いいっていうのは、
富豪からいくら取ったって、
あんまり何も人がどうも思わないから、
ね、
だけど、
やりすぎると、
本人が良くても、
これは、
気持ちの悪いものに見えます、
周りから、
ね、
そうするとね、
結局、
その、
なんて言うかな、
まあ、
あれだね、
だから、
気味悪がられるね、
ね、
気味は悪いよね、
で、
それ本人たちが、
もし喜んでたとしても、
気味が悪いよね、
で、
あるいは喜んでなかったら、
こうそっとね、
嫌だなーと思いながらやったら、
もうこれいじめだよね、
ね、
なのでですね、
うーんと、
すごくその辺はね、
難しい、
難しいというかね、
というかね、
この、
応援文化って言っているとですね、
よく、
周りからちょっと隔絶してこう、
よく、
コミュニティの内側から、
あの、
中に閉じこもってしまうと、
よく見えない、
だけれど、
えっと、
まあ、
そうだな、
まあ、
そんな風に空気読んでいきなくても、
いいのかもしれないけれども、
うーん、
まあ、
いいね、
難しいところだな、
今、
話だから思った、
まあ、
どっちでもいいじゃん、
どっちでもいいんだけど、
えっと、
まあ、
でも気持ち悪くは見えるよ、
ということですね、
まあ、
そうだな、
そういう風にしましょうか、
えっと、
どっちでもいいけど、
えっと、
文不相応に見えた瞬間に、
それは、
えっと、
気味の悪いものに、
えっと、
見えるし、
えっと、
まあ、
周りからは共感されない、
離れたものになっているし、
えっと、
社会からは孤立したものになるし、
えっと、
いわゆる信仰宗教というものが、
世間から嫌われているような、
えっと、
そういう嫌われているコミュニティに、
まあ、
成り下がるよという風なことは、
えっと、
あるいは、
隔絶するよと、
で、
隔絶したものはスケールしないよというね、
えっと、
そういう風なことは、
ちょっと僕ら気を付けないといけないかなと、
えっと、
風にね、
思っております、
はい、
まあ、
この辺にしましょうか、
そもそも応援される側だって、
できればサスティナブルに、
ずっと応援してほしいですよね、
そりゃね、
せっかく応援してもらうんだったら、
長く応援してもらいたいもんね、
僕だったらそうですね、
やっぱりそこも、
応援される側から、
応援してもらう側からしても、
やっぱし、
できれば、
応援はサスティナブルなほうが、
ありがたいよね、
追加でした、
トゥントゥントゥントゥン、
長いね、
結局長いんだな、
僕の話は、
考えずに喋るから長いんだよね、
考えずにっていうのは、
事前にね、
ゴールを設定、
ゴールだけ設定してるんだよな、
事前にちょっとこう、
考えずに喋るから長いんだよね、
はい、まとめましょう、
今日の放送の、
内容は、
まとめると、
応援文化、
ありますね、
応援文化に違和感を感じる人が、
いま、いる、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
18:00
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
いま、
19:46

コメント

スクロール