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サマリー
このエピソードでは、素人の会話とプロの話芸の本質的な違いについて掘り下げています。プロの話芸は、面白さを追求するために登場人物やエピソードを改変する「芸」である一方、素人の会話はコミュニケーション手段であり、事実関係の正確さが重視されるため、しばしばプロの話芸に対して訂正を入れてしまうと指摘しています。この違いを理解することが、コミュニケーションと表現のあり方を考える上で重要だと結論付けています。
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フリーアウディオ・ポストプロダクション
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プロの話芸における脚色
面白い方向に話を持ったりとか当然だけどねちょっと膨らましたりとか あのあるいはちょっと事実関係少しネジ曲げたりとか例えば
移住員さんがその花はさんと言ってたんだけどっていうのが別にあの花はさんじゃ なくてもいいでしょで別にさその登場人物少しぐらい変えたっていいわけよ例えば
僕がそのあの力さんと一緒に飲んだ時にさあこんなことがあったんだけどって言う時に 別に力さん
じゃない方が面白いなと思ったら力さんじゃない人にちょっと変えたりとかあの いた人物多少動かしたりとか
そのが面白いなと思えばあの芸人の人は変えていくわけでそこの登場人物ごと ちょっと端折ったりとかでもそこの部分邪魔だなと思ったらエピソードごと抜いたりする
もうそこであの行った時にあのまあスカンクさんも一緒に来てくれたんだけどみたいな もスカンクさんいなくていいやとかね
この話に関係なければとかいうふうにもうその そもそものその回の趣旨とかをもともとその開かれた
そこで起こったエピソードの話が面白ければその話をしたければ 登場人物少し端折ったりとか入れ加えたりとかちょっとエピソードくっつけたりとか別の
エピソードとくっつけたりとかそんな風にして話を作るんだよね なのであの
落ちに向かって面白い話をするというのが面白く聞かせるというのが彼らのおしゃべりの 本質なんだよね
素人の会話とプロの話芸の対比
だけど僕たちはそれをやってしまうと例えばもっと身近な話をしてるからそこであの だったあのそうだそうだあのねえっと
あの時にあのクラゲのやつで行った時にうんとあの時に 乗り込むさんとどうのでみたいな話をもうしちゃった時に
僕は素人の話だといや先生あれ違う違う あん時は長野さんと行った時の回だよみたいに多分乗り込むさんだと言って
違う違う別の回だったと思うよって あの
訂正する可能性があると思うんだよね僕らのだとね 話しかさんとかにそれやるとあるいは黒のおしゃべりそうにそれやると
いやそうだけど関係ねーじゃんっていうことになるんだよね それはさっき西野さんの例を僕だしたんだけどなんで西野さんの例を出したか
というとなんかね忘れちゃったけどはっきりしたところはなんか暑い えっとなんか暑くてクーラーが効かなかったことがあったそうでその時に
なんかその今日はね2時間丸々こんな暑くてクーラーがね あの日はねあの日は最後までね今日はか忘れたけどねまぁ
つかなかったよねーという話をした時に奥からおじさんがいや 最後の30分はクーラーついてましたよみたいなことを言った人がなんかいたみたいな話を
してその話いらないとその指摘いらないと前何のつもりで言ってんだと 今日は暑くてどうのこうので暑いっていう流れで話を俺がしてんだから
別に最後までクーラー効かなかったらいいじゃないかと ちょこっと最後ついたかどうかに関係ないだろうと
いちいち訂正してくる意味がわかんないというようなことを西野さんなんかちょっと怒り気味に 配信してたことが昔あって
でまたあの僕らのね信者だからそうだそうだって言うわけですけどみたいなことを やってたことがあったんだけどそれってさ素人のしゃべりだったら絶対訂正するよね絶対とは言わない
コミュニケーション手段としての会話
けど あの
僕らコミュニケーションの手段として喋っているからその関係ない情報とかもう聞いて くるんだよね例えば今の話の youtube だっけ
ポッドキャストだけちょっと忘れちゃったけどみたいな話をすることがあの めぐりめぐって先生ってyoutube を見たり
ポッドキャストを聞いたりするんだよなみたいな 知識として関係ないところで入っていてそれはえっとこの短髪のおしゃべりが面白いかどうか
にはあの関係ないというかおしゃべりの 本質としては邪魔かもわからないけどこのこの一つの和芸としては非常に質を差非常に
というかなこの和芸としては質を下げる行為になるけれども コミュニケーションシーラン手段としてはいるんだよね
なんならで僕が腰関係で話をバンバンバンバン入れてきて話がまとまらないって いうこと自体が先生の話はまとまらないね
ということ自体があの人って adhd ぽいねというこの情報に直結したりするんだよね だからさつまりそのすべてのありをすべての姿を僕らは見せすべてではない
けどもある種かなり広く見せていて 和芸ではなくて僕らは和芸で喋ってるんではなくて
コミュニケーションとして喋ってるので僕らのこの話はおしゃべりは僕らを表現している 僕らを表している
僕らをのコミュニケーションのわずかの一部なんだよね この話はだけどプロのおしゃべりストの話科のおしゃべりは和芸なんだよねで
現実とフィクションの境界
和芸の彼らの和芸の一部なんだよね彼らを表す姿の一部がは芸であり でおしゃべりはその和芸のわけではな芸であり彼らの表現している芸であり
その芸の一部がは芸なんだよね僕らはコミュニケーションだね基本的に 和芸の種はコミュニケーションの手段を使って芸としてるんだよね
芸とした場合にその一つ一つの作品なんだよね 作品とした時にその作品の完成度を高めるとなると話の筋を変えたりとか少し面白い方向に登場人物を変えたりとかは必要なこと
最後にクーラーが聞いてないのに聞いてたのに聞いてないことにしてしまうとか 別の日のエピソードを一つにまとめるとか
なので僕らはそれをまるで自分のがやっているコミュニケーションとしてのおしゃべりと同様に考えるのでそうすると
いやいやそれ別の日の話だよってこう言いたくなっちゃったりとか 和芸の人のおしゃべりに
そういう突っ込みを入れるというのはそれはまさに例えば村上春樹さんが
なんかで書いてたけど自分の小説に車のあのボンネットがそっち側には開きませんとか こちらはこれあれだあれだ宮崎駿さんの話だったかなまぁどんでもいいんだけど
宮崎駿さんのなんかそのなんだっけ
ボンネットの開き方がね
チンクイチェンソーだったらなんかのボンネットの開き方が反対だみたいな
ことを言ったりとかまあそう言いたくなるよねハンドルが反対についてるとかね あとあるいはえっと
村上春樹さんの小説のなんか出てくるのの描写が事実と違うとかっていうふうなことを 突っ込んでくる人がいると言うんだけど村上春樹さんがどっかに書いてたけど
いや小説だよとこれ嘘話なのに嘘話フィクションの中の出来事に対して 細かい事実認定の違いを言ってくるっていうのはおかしいんじゃないかみたいな
小説だからなぁみたいなこと村上春樹さんが書いてた 彼のはだから小説として自分は書いてるつもりなのにそれを読んでる方がまるで日常の
ことが書いてるみたいだから日記を読んでるみたいな気持ちになって突っ込んじゃうことが あるってことね
だから現実みたいに書いてるでしょ当たり前だけど だけど村上春樹さんの小説には月が2つ出てきたり
空からイワシが降ってきたりアジが降ってきたりするわけよね アジが降ってイワシが降ってくる世界の話の中でそのなんだっけ
ちょっとボンネットの開き方が違うだとかね
ルパンの中の出てくるドゥーシーボーの何かボンネットがチンクエチェントのボンネットの開きが違うとかいうのを突っ込むのは変っちゃ変なんだけど
だけど あの
素人の会話とプロの話芸の混同
それは言われるのも仕方がなくてだってドゥーシーボーとチンクエチェントは現実に存在するものだから 現実とフィクションの間の話を完全フィクションと完全現実の間の話を書いてるから
僕らは完全現実の中を生きているわけでその中でも僕らはコミュニケーションとして言葉を使うし
そりゃちょっと言いたくなるよねなので西野さんがあの和芸との和芸の比率が高い 元芸人というか現在も芸人である和芸の比率が高い
西野さんの話に対してしかしそれはある種僕らと同じくあの 平場で喋ったりもするわけで西野さんなんか特にね
そうすると友達と喋ってるみたいな感覚にこっちはなるわけだ そうすると彼らが和芸をしているのか彼があのコミュニケーションとして喋ってるのかは本人もそこまで意識してないと思うけど
区別つきにくいわけだ彼らは和芸のあの出身 和芸をやっていた人たちだから
だから西野さんが漫才の中で話していることに僕らは突っ込まないけどさすがに だけど平場みたいな感じで平場で喋っている時を多分突っ込むし西野さん違うよ
別の機能のことですよって多分言うし だけど壇上で喋ってるけど平場みたいな延長線上で壇上で話されると西野さん最後
30分クーラー聞いてたよとかって言いたくなるおじさんの気持ちわかるよね 話の腰
おっちゃうかもね気持ちわかるわと思ってでそのだし僕はの イジイジさんからすると素人の喋り何そのこと言うんだろうなぁと関係ない今のが
ポッドキャストだろうが youtube だろう関係ないじゃんって最終的にそこ関係ないんかい とあの思うと言うかもしれんけどもそれは僕関係ないこと言うよ
だってこれさコミュニケーションの延長線上で僕らは コミュニケーションとしてのおしゃべりの延長線上でちょっとは芸っぽくなっているだけなんだよねこれ
ねこれが合ってるだけなんだよなこれねこれがねえっていうのはことなんですよ と思った
会話の進化と気づき
コミュニケーション手段としてのおしゃべり出身の僕らともう徐々に喋ってるうちには芸っぽく なってきて多少さ
話さ端折ったりし始めてない多少話曲げたりしてない しません僕はしてます
僕は完全におしゃべりとして喋ってるのとこの配信で喋ってるの内容はちょっと違います それは
あの それは正直誰で皆さんそうでしょねで
僕らも少しは芸っぽくなってるんだよねいつのまにか そして一緒さんの話は少しコミュニケーションぽくなってるよね
えええ というふうに
思ったという と感じたのを今日は
おしゃべりとして若干は芸っぽく寄りでやってみましたとさ 押し前どうですか皆さんもそんな思いませんかという気づきでした面白いねおしゃべりひとつとっても
はいさよなり
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17:42
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