クレープの話はですね、
エアドゥーさんのそのオンエアドゥーで、
僕がエアドゥー社員のリオさんというね、
すごい面白い方と一緒に喋っているんですけれども、
その方と収録中トークの中で、
クレープ、北海道のクレープがいかに美味しいかという話になった時に、
僕人生でまだクレープ食べたことなくて、
って言って、リオさんがゼックするという、
そういうくだりがあるんですよね。
そうですね、今回は一応そのポッドキャストエピソードを
おすすめのポッドキャストとしてちょっと置いておきます。
概要欄に置いておきますね。
で、クレープはまだ食べてないですね。
食べてないなぁ、クレープなぁ。
もともとそんなに甘いものを食べる方ではないということがあって、
なおかつクレープがね、まあまあいいお値段するじゃないですか。
700円とか800円とか、ちょっとわからないですけど、
もっと全然それ以上っていうのもあるんだと思います。
ご飯食べちゃいたくなるんですよね、そうなると。
まあ、そうなんですよ。
ということでね、特に一人だとクレープはなかなか
食べる気になれないので、誰かに強引に誘われて、
まあまあまあ、僕が食べるというよりかは、
みんなでクレープを食べるという体験の名の下で、
やっとクレープに手を伸ばすと。
そんな感じなんじゃないかなと思います、僕のクレープデビューは。
ではちょっとお便り戻りますと、
日々ポッドキャストを制作する中での選択や、
人生の中の大きな決断などなど、
何かに迷った時にどんな基準で選んでいますかですか。
うーん、ちょっと今回は全く台本もなくね、
喋っているので、まあそうだな。
基本的には気分で選んでいることが多い気がします。
気分とそれから直感で選んでいることの方が多いですね。
って言うと、そうですね、意外に思う人もいれば、
まあそうだよね、そういうふうに見えるとリアクションする人で、
めちゃめちゃ半々に分かれるんですよ。
すごいこれは本当にね、何回も聞かれているので、
なんでそんなね、言ったらバグった決断をたびたび取っていたりとか、
あるいはこだわりまくった何かしらをやっていたりとかするの?
っていうのを聞かれた時に、
いやまあこういういきさつでこういう考えて、
でこう決めたんだよねっていう話をした時に、
まあそういったリアクションを受けることが多いです。
思った以上に感覚派なんだなとか、
確かに感覚派だねみたいな、半々ですね。
で、順序がまず、僕独特なのかもしれないんですけれども、
前提として、まず退屈なんですね、基本的に。
基本的に退屈というか、
まあ何かもっと、もっとなんとかならんのか、
みたいなことをずっと思いながら暮らしているところがあります。
これは本当子供のところから、子供の時からそうですね。
だからこう、あれですよ、例えば、
そうだな、街中を歩いていて、
なんか看板とか目にするじゃないですか。
で、まあ変な看板すぎて話題になっていたりする看板は、
ああいいじゃんみたいな、逆にこれどういう社内会議、
まあ倫理の中でこの案が通ったんだろうとか、
このデザイン、この奇抜なデザインに対して、
採用されなかった、対抗馬だった、ライバル案だった、
B案は何だったんだろう、みたいな。
強豪のアイデアは何だったんだろうな、みたいなこととかを、
こう考えながら歩いていることとかがめちゃめちゃ多かったんですよね。
これは本当に何の仕事をしてないのにも関わらずです。
子供の時からだったんで。
だから要するにこう、頭の中でツッコミをしながら歩いていることが多かったりとか、
頭の中でしょうもないボケを考えながら歩いていたりとか、
っていうことが多いんですよ。
基本的に面白い方向はないかな、何かないもんか、みたいなことを考えながら、
日々送っていることが多いですね。
例えばそうだな、この間も髪を普通に切りに行ったんですけど、
髪を切る時ってシャワーじゃないや、シャンプーしてもらうじゃないですか、
シャワーか頭を洗ってもらうじゃないですか。
その時って美容師さんに、お湯の温度大丈夫ですか?みたいな、
暑くないですか?みたいなことを聞かれますよね。
僕この間まで一切それに対して疑問を持ったことがなかったんですけど、
31年間生きてきて、全く疑問を持ったことなかったんですけど、
ついこの間髪を切りに行った時に、
お湯の温度大丈夫ですか?っていつものように聞かれて、
これ本当どこの美容師さんでも同じだと思うんですけど、
普通に聞かれた時に思ったのが、
これ、地獄のように暑いお湯だったとしても、
お湯の温度大丈夫ですか?って言われるまで耐えるってことあんのかな、みたいな。
いや、お湯の温度がめちゃくちゃ暑かったら、
頭にお湯がかかった瞬間にザーッつ、みたいな感じになるよな、みたいな。
あるいは、死ぬほどキンキンに冷たくなっている水になっていた時に、
ジャーって頭にかかった瞬間に冷たって言っちゃいますよね。
だからこう、お湯の温度大丈夫ですか?と聞かれるまで静かにしてるってことは多分大丈夫なんですけど、
あと美容師さん自身手にお湯かかるはずだし。
これ、この質問、お湯の温度大丈夫ですか?が有効に働く瞬間って、
どういうタイミングなんだろう?みたいなことを思いながらシャワーされてました。
多分、誰かが言い出して、全国でマニュアルになっていて、
美容師さんたちって学校でもね、技術を習って美容師の専門学校に行って美容師になるわけですし、
多分、だからこう、言ったらマニュアル化されていて、
そこに対する、いわば批判的な思考みたいなものが、
あまり働くことがなく業界の監修として聞かれているっていうことなんだろうなーって思いながら、
でも、いや、暑かったら暑って言うよなーみたいな。
逆に、お湯の温度大丈夫ですか?まで、
暑かったとしても冷たかったとしても、一切何も言っちゃいけないみたいな。
それがマナーです。みたいな。
そういう世界観だったら、なんか面白いなーみたいな。
そんなことを考えながらシャワーされてました。こんな感じなんですよ。こんな感じなんです。
だから、スタートも直感に近いですね。
何か面白いことないかなーという気分で日々を送っていて、
直感で何かしらに気づき、そこを起点として謎のロジックを積み重ねていくみたいな。
論理的には繋がっているんだけれども、結果として生まれる現象が一見トンチキなものになっている。
ヘンテコーリンなものになっている。みたいなものが僕はめちゃくちゃ好きなんですね。
だから、理屈が繋がっててほしいんですよね。
ただ、結果的に出力されたものがどうしてこうなったみたいな。
なんかそういうのがすごく好き。
これはだから、例えば昔のニコニコ動画だと、
誰がここまでやれと言ったっていうハッシュタグがあったりとか、
なんかそういうやりすぎみたいな、奇妙な発想、狂人の発想みたいな、
なんかそういうのがたくさんありまして、僕は基本的にそういうのが好きなんですね。
過剰だったりとか、過剰、あまりにも少ないだったりとか、
発想がおかしいようなものだとか。
でありながら、そのアウトプット、その結果に至るまでの理屈、ロジックというものは、
綿密に積み重ねられているっていう。
こういうのがやっぱ好きなんですね。
といった意味で、何かに迷った時にどんな基準で選んでいますかに対する答えを一言で言うと、
面白いと思えるかどうかということになります。
いや、すごいですよ。芸人でもないのにね。そうなんですよ。
そんな感じなんですよね。
えーとですね。
ただこの面白いかどうかということは、人生の中でも大きな決断において、
その判断軸、それ1個ではもちろんないです。
それだけじゃもちろんない。
他にも、まあいろいろあるとしたら、あるとしたらなんだろうな。
でもまあ、やっぱりさっきの面白いと思えるかどうかに近いですけど、
先が見えてしまっているとモチベーションが湧かなくなるんですよね。
だから、大きい会社に仮に入ったとして、
数年後、うまくいった場合は、この課長さんAのようになる。
うまくいかなかった場合、普通だった場合は、この課長補佐Bのようになる。
ちょっとミスっちゃったり、ちょっと他より昇進遅れちゃったとしたら、
まあ、係長Cさんみたいな感じになるなーっていう感じで。
なんかその、自分が身を置いている場所の数年後がいる状況とかですね、例えば。
そんな風にして言ったら、これは安定とも近いと思うんですけど、
自分が今身を置いている先のレールが敷かれていて、
その先にイメージできるものが明確すぎるほど明確に存在していて、
他のボラティリティっていうんですかね、ブレがなさすぎると病んできます。
これは子供の頃からそうですね、これもそうだな、これ子供の頃からそうですね。
これダメなんですよね、本当に。
何と言ったらいいのか、なえる、なえるという感じですね、一言で言うと。
そういった生活というものというのは、ドラマにしろ本にしろ、
絵の中ですでにサンプルが大量に出回っているわけで、
で、そのサンプル、サンプルと言ったら無機質な言い方なんですけど、やっぱサンプルなんですよ。
から、離れるという択が、選択肢とかがなさすぎる状態に身を置くと、
ここからその先にすでにロールモデルの人が身を置いている数年後に至るまでのこの数年間の、
この先の数年間の間っていうものをスキップしたくなっちゃうという感覚がありますね。
そうなんですよね、だから言ったらさっきの面白いと思えるかどうかに近いっていうのはまさにそのところで、
そこの退屈に耐えられないっていうところが非常にあります。
だから何かに迷ったときの基準としていろいろ言えるところがあるんですが、
おおむね僕がやりたくないことが非常にたくさんあるんですね。
やりたいと思えないとか、やりたくないと強烈に思ってしまうということがめちゃめちゃに多い。
多分人よりもはるかに多い。だからあんまり悩まないというか、というところなんですよ。
さっきの話と矛盾してるじゃないかと思う人もいるかもしれないです。
やりたくないことが多すぎると、それは要するに自分の視野を狭めていることになるから、
さっきのボラティリティ、ブレの範囲が狭くなっちゃっているから、
それは結局退屈なんじゃないかみたいなことを思うということもあると思うんですけど、
そういった意味じゃなくて、そういった意味じゃないんですよ。
あくまで僕がやりたいな、ちょっと自分の視野の外に飛び出してみるか、
みたいな選択肢を常に僕が持てるようにはしておきたいといった意味で、そうなんですよね。
これわかるかな、これ伝わってほしいけどな。
だから他の人に規定されているものの中に自分が身を置いていたりとか、
何かの制度の上に身を置いている上で、自分の選択肢が狭くなっていったりとか視野が狭くなったりしていくことと、
自分が意識的に狭めていった上で、でも僕がやりたければ、
僕の意思に基づいて僕がやりたければ、他の領域にも行ってもよい、そこを制限するものは何もない。
そういった状況の方が僕にとっては快適、心地よく人生を、日々を送っていけるというところがあるという感じですね。
これ今なかなかうまく説明できたんじゃないかな。
苦手なものの具体例、いろいろ他にも言っておきましょうか。
たっくさんあるからね。
僕はみんなが思っている以上に不器用な人間なので、めっちゃたくさんあります。
ネクタイとかね。
いやーネクタイはねー。
これはもちろん、僕以外の皆さんがネクタイをされている、ネクタイを巻いているのは何とも思わないんですよ。
ネクタイだっさみたいなことは全然思ってないです。
ただ、僕が自分自身に対してネクタイを巻くということが、なんかどうも気持ち悪すぎてダメだったですね。
いやーやってみたんだけどダメだったな。
だからこれは自分の意思に基づいて、意識的にネクタイをするということがしっくりこない自分からネクタイを巻いてみる自分に対して向けて、
ちょっと試行錯誤チャレンジをやってみたということはあったんですけど、
ダメだったなー。
マジで。
マジでダメだった。
大学時代とかね、大学というか就職活動は、僕は就職活動らしい就職活動はあんまりしてないというか、逆だな。
めっちゃ就職活動してたと言えるんですけど、大学2年生のうちに内定をもらっていたんじゃなかったっけ、確か。
だったと思います。
めっちゃいろんなところにベンチャーインターンしていって、
インターンというのは要はバイトに近いんですけど、会社の中で働くバイトみたいなもんですね。
でも大学2年とか3年になるかならないかぐらいの時に、内定を出せと。
内定を出せ、内定を出せって言ってて、内定出してもらったっていう、そういう就活だったので、
だからスーツを着て就職活動みたいなものはもう最初から全く考えてなかったです。
苦手だなっていう確信があったので。
僕ネクタイが嫌いすぎて、大学時代の時、ネクタイの歴史調べてたんですよね。
誰だこんなものを作った。届き者は?って思って調べてたんですよ。
あれ確か古代クロアチア軍なんですよね、ヨーロッパの。
確かそうだったような、一応今裏取り調べておきます。
あったあったあったあったあった、そうそうそう。
そうです。
いや、よく覚えてます。
スーツのネクタイはクロアチア兵のスカーフが原型って本当?っていう。
あ、そうそうそうそう。歴史的事実として広く認めて、認められていますということで。
そうなんですよね。クロアチア軍、クロアチア兵たちが普通に巻いていたスカーフ。
これがオシャレであると、当時のヨーロッパ社会に衝撃を与えたみたいで、
それがネクタイの起源になったらしいんですよ。
いや許せねえよ。許せねえよ古代クロアチア軍って大学時代の僕は一時思ってました。
そんな感じですね。
だからこれはあくまで僕の個人的な性格とか考え方の特性の問題であって、
このお便りを送ってくださってるサチピさんの優柔不断になりがちなのですがっていうのも全然いいと思います。
お互い良いも悪いもないお互いの癖というものがあるよねっていう感じなので、
問題はその自分の特徴をどう乗りこなすかなんですよね。
本当にそこだなってどう乗りこなすか、どんなふうに活かしたり、
どんなふうにうまく付き合っていくかっていうところにあるんだろうなと思っています。
あ、一個あと分かんないです。もしかしたらアドバイスになるのかもしれないなっていうぐらいなんですけど、
インプット大事ですね。すごく。すっごい大事だなって思います。
だからこれが、例えばこの作品は、僕の場合はこのポッドキャストは、
どのように評価されているのか、どこが面白いと思われているのか、
他の人たちからリスナーさんたちからどんなふうに評価を受けているのかっていうところを調べつつ、
その作品そのポッドキャストをめっちゃ聞いていって、
一方で自分はどう思うのか、どこがとても面白いと思うのかとか、
どこが逆にあまり僕にはハバらないのかっていうところを色々調べたり、
色々自分で見聞きしながら世の中の評価、それから自分の主観に基づく評価っていうものを、
これは別に紙に書かなくて全然大丈夫なので、
頭の中で考えながら色々見聞きする、色々インプットするっていうのは結構大事かなと思いますね。
そしてこれはポッドキャストに限らず、例えば博物館に行ったりだとか、
本を読んだりとか、動物園行ってみたりとか、メイドカフェ行ったりとか、
色んなところでやってます。
やってるなぁ、すっごいやってますね。
だから他の人たちが大絶賛しているんだけれども、
自分は全然良さがわからなかったなっていうこととかも、もちろんあっていいんですよ。
てかそれがむしろ自然だし、
僕のさっきの話に出てきたネクタイなんてその極みみたいな話ですけど、
こんなにネクタイに対してめくれ面立てる人間いないんですよね、普通。
ネクタイは一般的に良いものとされています。
に対して僕はすごくネクタイが嫌だと、特に自分が身につけるのは嫌だと思ってしまうというところがあって、
じゃあその上で、全社、一般的な社会の評価をちゃんと認識していないと、
独りよがりなものづくりになってしまう。
ただただ売れないものになってしまう。
一方で後者、自分はどう思うのかっていうところを大事にしていかないと、
自分が何かを作る動機を見失ってしまいますよね。
ここが全くない人は本当に何も作る必要がないといった意味である意味全然幸せだと思うんですけど、
てかむしろそっちの方が快適に世の中に生きていけると思うんですけど、
自分のこだわりというものが、実は僕は私は本当にないから、
じゃあ世間一般における売れやすさと、あとは例えばクライアントさんの意向というものにすごく基づいて動けばいいという、
職人プロとしての動き方ができるようになりやすいから、これはこれですごくいいと思う。
といったそんな感じで、人それぞれではあるのだけれども、
社会はある作品をどのように評価していたり、あるいは評価していなかったりするのか。
それとじゃあ僕は私はどう思うのか。
僕は私は何を愛好していて何を好きじゃないなと思っているのかっていうところを捉え続ける。
新しく更新し続ける。
なぜならトレンドは変わっていくし、新しい作品も次々生まれてくるからですね。
っていうところを大事にしていくと、自分の中の基準というものがちょこっとずつ捉えやすくなっていくんじゃないかなと思いました。
ぜひぜひ頭働かせながらいろんなものを本当に見聞きしていくこと。
意識的にそれをやってみることをお勧めしたいなと思います。
多分だからね、そういうのもあってインプット系の経費って落とせるんですよね。
フリーランスにしろクリエイティブ職にしろ。
そういうのをどんどんやっていきましょう。
っていうお答えになります。