今回も、科学者カタリン・カリコ教授をご紹介していきます。
”Part.13”では、mRNA研究がどのように世界を変えたのかをお話していきます。
彼女の研究は長年評価されず、資金も得られず、ついには大学を追われてしまいます。カタリンは逆境の中、ドイツのビオンテックで新たな挑戦を始め、がん免疫療法やワクチン開発に尽力。ついに時代が彼女に追いつき、mRNA技術が世界を変える時が訪れます。
シーズン1
「m-RNAワクチンを発明し世界をコロナ禍から救った不屈の科学者カタリンカリコ」
の参考図書は
世界を救う mRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ
ジャーナリスト 増田ユリア
ポプラ新書
ノーベル賞科学者 カタリン・カリコ自伝
ブレイクスルー (breaking through)
笹山裕子訳
河出書房新社
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00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者たちへ
MCの金澤秀明ことあきです。
アシスタントを務めます山崎愛子です。よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
前回はカタリンさん、すごい発見したのに、世間の目を見ることができず、追いかれそうなところで終わりましたが。
発見というのは、すぐには日の目を見ないんだなっていうですね。
しかも、ちょっと先進的すぎたんですね。
先進的すぎたというのか。
でですね、一方この頃娘のジェシーはっていう話なんですけれども、娘のジェシーさんですね、大学生になってました。
わぁ、大きくなってる。
大きくなってますね。
雨が来た時は保育園のね、まだまだ。
ちっちゃい頃のジェシーさんがもうだいぶ遠くに行ってました。
即位の家族ならですね、学費が安くなるというところで、ペンシルベニア大学にですね、なんとかカタリンは入れたくて、
彼女もですね、頑張って入学してくれたようなんですね。
カタリン、非常に大きい。
それでウェディングドレスが用意できなかったって話をしましたけれども、
ベイラーはさらにそれよりも大きいっていうところなんですけれども、
ジェシーは大きい両親の遺伝子をついてですね、非常に背が高かったみたいなんですね。
で、いろんなスポーツやられたみたいなんですけれども、そのうちのですね、ボート競技にその後打ち込むようになります。
ボートってどっちだろう?
スピードボートですね。
何人ぐらいですかね、5人とか10人とかぐらい乗ってバーって漕ぐ競技ありますけれども、
そのボート競技に打ち込んでいくということになります。
ちなみにですね、ヨーロッパではですね、ボート競技っていうのは貴族のスポーツっていう感じなんですね。
なのでカタリンはですね、ボート競技やるって言ったときに、うち貧乏なのにお金ないのに大丈夫かなってすごい心配だったそうです。
なりますよ、理想。
でですね、彼女はその背の高さを生かしてですね、どんどん頭角を表して、なんとですね、オリンピック代表選手賞まで上り詰めるんですね。
すごい。まさかの。
まさかですね。で、2008年ですね、北京オリンピックの代表になりまして、もちろんカタリンも応援しに行きます。
03:04
そしてですね、スーザンが所属するですね、そのアメリカチームは無敵だったみたいなんですね。
で、決勝でもですね、相手にかなりの差をつけてゴールをすることができて金メダルを獲得したみたいなんですね。
いやー、金メダル。
金メダルですね、ほんと。しばらく見ない間に娘が金メダリストになるというですね。
見ない間にっていうか、別に僕らが見てなかっただけなんですけど。
すごいね、さすがお母さんの背中を見て諦めないとかね、いろんなものは多分学んだと思いますけど。
学んだのかなと思いますね。ほんとすごいですね。
で、ちょっとそういう小話を挟みつつですね。
ペンシルベニア大学ですね、で、取ったですね、その修道理人の特許なんですけれども、
彼女たちの法人でですね、先ほどドリュウと一緒に法人を立ち上げたっていう話をしましたけれども、
それをですね、自分たちの法人で使わせてほしいということでですね、何度も大学の方と交渉してたみたいなんですけれども、
大学はですね、カタリが見つけた特許にもかかわらずですね、別の法人にその特許を売っちゃったんですね。
えー、ひどい。
ひどいですよね。
ひどい。
まあ、なんか助成金も取ってこれないような研究者に特許使わせても意味ないとか、
なんかまあそういう嫌がらせが働いたのかななんかわかんないですけど、
彼女たちよりもっとお金になると思ったのかもしれないですね。
ということで、えーとですね、何年も経った2010年にですね、
このカタリたちの会社、カタリの同僚が作ったですね、RNXの頭ごなしにですね、
その特許を獲得したエピセンター、後のですね、セルスクリプト社っていう会社になりますけれども、
そちらに使わせることになってですね、
このメッセンジャーRNA、修道理人のメッセンジャーRNAですね、
で、幹細胞を作るっていう、幹細胞ですね、幹になる細胞を作るという会社の方で、
えー、まあその、セルスクリプト社はですね、
30万ドルをハーバード大学にして払うということになっています。
10万ドル。
はい。そうですね。30万ドルっていくらだろう。
ちょっと今、頭の中で計算できない。3億ぐらい?
3千万?
あ、そうか。1万ドルが1千万ドル。
3千万ドルとした場合ですね。
あ、そうなのか。そんな大した額じゃないですね。3千万円か。
3千万円。まあ、当時だと4千ドルくらいの価値もしかないですけど。
で、これでですね、ペンシルベニア大学、結構儲かったような感じかなと思うんですけれども、
06:03
カタリンにはですね、1ドルも研究費を下ろしてくれなかったみたいですね。
悲しい。
で、相変わらず成果を出せって言われ続けてですね、
かつですね、この修道理人のメッセンジャー・レネンの特許は、
よその会社に行っちゃったので、彼女はこれを使って実験をするためにですね、
エピセンターっていう特許を持ってる会社に、
バイセンス料を支払わないといけなくなっちゃった。
ひどい。自分が見つけたのに、そんな屈辱ってありますか?
いやー、屈辱ですよね、ほんとね。
悔しいだろうなー。
でですね、周りはどんどん進んでいきます。
ハーバード大学、さっきのですね、エピセンターがですね、
ハーバード系の会社なんだと思うんですけれども、
ハーバード大とですね、中節工科大学のチームがですね、スタートアップを作ります。
その会社名はですね、モデルナですね。
お、出た。
出たって感じですね。
あのメッセンジャー・レネンワクチンをですね、作った会社のうちの一社、モデルナになります。
そしてですね、4年が経つわけですけれども、
スーザンがですね、またですね、数々の故障にもかかわらずですね、
オリンピックの代表選手に選ばれるんですね。
スーザンやる。
やりますね。北京から次ロンドンですね。ロンドン五輪の代表になります。
そしてですね、また金メダルを獲得します。
すごい。2連覇。
2連覇ですね。2回もカタリンはですね、金メダリストのお母さんとなります。
すごいなぁ。
すごいですね。
さてですね、もう本当に大変なことが起こってしまいます。
また?また?
またですね。本当、またです。
2013年の5月ですね、
出勤したらですね、カタリンの実験室のものがですね、全部廊下に運び出されてたらしいですね。
カタリンの私物もですね、実験助手の手でですね、ゴミ箱に投げ入れられたらしいんです。
助手が投げたってこと?
そうなんですよ。助手がなんか扇動して、カタリンを倒したり、捨てたりっていうのをやってたみたいですね。
で、学科長のショーンがですね、やってきたらしいんですけれども、
ゴミは17年間時間をあげたよと。だけど溶石は出なかった。だから今日で終わりだって言われたらしいですね。
そうか、17年もいたのか。
そうですね、17年いたんですね。
09:01
なんとかかんとかいろいろ頑張って共同研究者が入れ替わり立ち替わりしながらですね、
なんとか頑張っていたんですけれども、それも終わりだっていう感じで過ぎられたそうですね。
厳しい。ドリュウ先生はまだいるんですか?
ドリュウ先生はいます。
いるんですね。
ただ、その共同研究者って形で、ドリュウ先生に雇われてその研究室に入っているわけではないので。
そうですね、違いますもんね。あくまで共同研究者ですね。
そうですね、あくまで共同研究者っていう形なんですよね。
で、カタリンはですね、ショーンに言い放ったらしいですね。
あの実験室はいつか博物館になりますからって言ったらしいですね。
かっこいいですよね。
だけどショーンもですね、顔色ひとつ変えずに言ったらしいですね。
そんなかもしれないね。でも今は方針に従って別の人に使わせることにする。
冷たい一言を言い放たれたそうです。
カタリン、行き場がなくなってしまったっていうところですけれども、
その頃ですね、特許を獲得してですね、
一旦会社からですね、モデルナっていう会社が出来上がってまして、
3億ドルの資金調達に成功してたみたいなんですね。
全然まだ製品もないのにですね、そこまでの資金を集めることができた。
そしてですね、さらに2018年にはですね、新画部公開をしてですね、
さらに20億ドルも調達したみたいなんですね。
すごい、やり手の栄養なんだろう。
いよいよですね、時代が変わってたんですね。
どの企業もですね、メッセンジャーRNAを使って薬になるかもっていうことに気づきだしたわけですね。
その第一人者であるカタリンですね、話をみんな聞きたがっていたらしいです。
メッセンジャーRNAの可能性についてですね、話す前に知ってる人たちに会うということはですね、
初めてだったらしいですけれども、そういうふうに時代が変わっていったというところで、
どこかで働けるかもしれないなっていうふうに彼女は考え始めます。
考え始めますというか、もうどこかで働かないといけないという状態ですよね。
もうセンシルベニアには席がなくなってしまいましたので。
で、彼女はですね、そんな企業の中の一つにですね、ビヨンテックに入ることになります。
ドイツにですね、拠点を置くビヨンテックの創業者ですね、ウールとエズレムっていうですね、
その2名はですね、トルコ移民の子供だったそうなんですね。
で、医者となってですね、病院のがん病棟で2人は出会ったそうなんですけれども、
ここも本当にいい出会いがあったんだなと思いますね。
12:03
で、がん患者さんに対してですね、治療方針が限られることに、
彼らはですね、うきどりを持ってたというか、疑問を持ってたというかですね、
がんっていうのは一言にがんって言ってもですね、
もう遺伝子の異常で起こることですので、ものすごい無数の数の種類があるんですね。
なんですけれども、もう例えば大腸がんって診断されたらですね、
共通点が3%ぐらいしかない、遺伝子的に見ると3%ぐらいしかない場合でもですね、
治療方針は同じになってしまいます。
選択肢はもう非常に限られます。
放射線治療、それからですね、手術でがんを取り除く、
それとあと化学療法ですね、抗がん剤治療。
そしてですね、放射線も化学療法も手術もですね、
どれもどうしても健康な細胞、健康なところまで傷つけてしまうということが、
どうしても起こってしまいます。
これはもうがんの特性上、しょうがないんですけれども。
しょうがないですけどね。
これ本当に感染症の中で、細菌が体内に入ってきた細菌をやっつければいいっていう風になれば、
菌と我々体はですね、非常に違いがあるので、菌にだけ毒になって、
人間の人体には影響がないっていうようなですね、
抗生物質とかがありますけれども、今となってはですね、
そういったものを体の中に入れてやれば、
細菌は抗生物質の毒性で死んでしまいますけれども、
我々の体は毒ではないので生き残ることができるという形で、
細菌を除去してやることができますけれども、
がんは何せ、自分の細胞がおかしくなったやつなので、
自分なんですよね。
自分なんですよね。
なので、本当にこのがんだけを何とか叩く薬っていうのはですね、
本当に見つけるのが難しい。
そして、一つの種類のがんに効く薬があったとしても、
これは他の種類のがんには効かないんですよね。
そしてがん自体は本当に何百何千とですね、
おそらくカテゴリー分けすると種類があります。
そして当然我々はまだその何種類あるのかっていうところも
分かってない状態ですね、現代でも。
なのに薬の種類はまだまだまだ本当に少なくて、
ほんのちょっとしかないというようなところで、
治療方針としてですね、
この人には効くか効かないか分かんないけど、
とりあえず薬をつかないといけないという、
そういう状態になっています。
で、このウールとエゼレムですね、
はこの治療方針がない中で、
何か新しい手段がないのかというところで、
免疫療法を何とかできないかというふうに考えています。
15:03
免疫療法をちょっと詳しくは説明しないんですけれども、
要は患者さんのがんに合わせた免疫細胞を活性化してですね、
それでがんを攻撃してもらおうと、
そういうような考え方になりまして、
それのですね、きっかけとなる、
発動させるですね、
ところとしてメッセージRNAが
良いのではないかというふうに考えます。
そしてですね、
このビヨンテックにカタリンを招待することになります。
で、ウールはですね、
用意してくれたのは副社長のポストだったんですね。
非常にいいポストを用意してくれて、
ぜひ来てくださいと。
すごい、いきなり副社長。
いきなり副社長ですね。
すごい。
本当に、
準教授にもなれなかったですね、
立場の弱い弱いカタリンですね。
しかもクビになってしまった研究員を、
副社長のポストで迎え入れますよというふうに言ってくれたんですね。
だけど副社長ってなんか、
永遠に関わらない的なそうで大変そうじゃないですか。
はい。
で、カタリンを研究したかったんですよね。
あ、そっか。
ちょっとそことはまた変わっちゃう感じも、
印象として受けますもんね。
そうですね。
で、カタリンは研究したいんだ、私はっていうふうに言うとですね、
ポストはこれだけど研究ぜひしてくださいというふうにウールが言ってくれたみたいなんですね。
それはありがたい。
ありがたいですね。
で、もう一つ問題があって、
それはですね、ビヨンテックがドイツの会社なんですよね。
カタリンはそこで働くためには、
ドイツに行かないといけないんですね。
そこでベイラーに相談します。
はい。
で、ベイラーはですね、言ってくれたんですけれども、
もちろん君は行くべきでしょうと。
ただ、家族の場所も必要だと思う。
ドイツに行ってうまくいかなかったときに、
戻ってこれる場所がないとだめだよと。
だから僕はアメリカに残ってですね、
家を守るよっていうふうに言ってくれたらしいんですね。
へー。
まあね、娘さんも大きいですもんね。
そうですね、娘さんも大きいけれども、
たぶんなかなかベイラーも自分が作った家を手放すのも
寂しかったのかなとも思います。
きっと愛着あるでしょうしね。
はい。
まあそういうことでですね、
カタリンは単身赴任でドイツに行くことになります。
で、彼女の目処としてはですね、
薬の開発で1年ドイツに行って、
それである程度の目処が立ったら
アメリカに帰ってくればいいやっていうふうに思ってたみたいなんですね。
ハンガリー出たときと一緒ですね。
本当ですね。
まさかのね、数年、1,2年のつもりが17年でしたっけ?
17年ですね。はい、17年。
たしかに思ってなかっただろうなと思いますけど。
そうですね、思いますね。
で、ヌクレオ主導就職のメッセンジャーRNを使ってですね、
18:00
薬が実用化されて、
最初の患者の治療が始まったら帰ってくるわっていうふうにベイラーに言って、
いよいよドイツの方に移ります。
カタリンですね、このとき58歳になってました。
おお、結構年いってる。
はい、もうね、本当に年いきましたね。
娘さんも金メダル2回取ってますし。
そりゃそうですよね。
で、マインツのですね、シソなアパートに移り住んだそうです。
毎朝5時に起きてですね、
出勤の1時間前にラインガーをジョギングするということをしてたそうです。
健康的。
健康的ですね。なんかいつもジョギングされてますね。
で、たまにですね、ハンガリーのお母さんに電話してたということですね。
数ヶ月ごとにですね、ベイラーに会うためにアメリカに帰って、
2週間ほど滞在してリモートで仕事をするというような生活をしてたそうですね。
で、ビヨンテイクですね、非常に国際職豊かな会社でして、
65カ国ですね、から研究者が来てたそうです。
で、カタリンはですね、初めてですね、
人を使って実験をするということができるようになったみたいで。
ここに来てやっと。
やっとですね、部下ができたという感じですよね。
手術することができるようになったんですね。
58歳まで逆に実験してたんだなと思って。
結構びっくりしましたね。
なんせあの、はい、あの、もう、
あいこさんも触ったことあると思うんですけど、そのピペットマンですね。
ピペットの、ピペットって小さな溶液をですね、取り分けるために
ピペットマンっていう、スポイドの、使い捨てのスポイドみたいなものをですね、
使って、マイクロリットルとかですね、ちょっと想像つかないような
わずかな量をですね、吸い取って、実験溶液の中に入れる。
それも非常に小さなチューブですね。
の中に入れるっていうような作業をしますけれども、
僕もバイオ系の営業マンなんでですね、
お客様のところに行って、こういうふうにやってくださいとかって言って、
ちょっと手作業でお客さんの道具借りてピペットマン触ったりとかすることありますけど、
今僕49なんですけども、結構老眼きてるんで、ペットの先が見えないんですよ。
なんですけど、パタリアン58歳になって、ちゃんと老眼鏡とかかけたりとかなんかしてたんでしょうけど、
そんな細かな作業やってたんだなぁと思ってですね。
すごいなと。それがやっと、やってくれる人が、部下ができたと。
ビオンテックでも、ペンシルベニア大学のドリオの研究室に出資して、
21:01
カタリンが最初から取り組んでたテーマのうちの一つ、
HIV ワクチンの研究もビオンテックの支援で続けるということをしてたそうです。
あと大手の製薬会社とも手を組んで、
2018年にはファイザー製薬とメッセンジャーRNAをベースにした
インフルエンザワクチンの共同開発もスタートしたというところで、
思いつくプロジェクトはもう何でもできるようになったって感じですね。
なんですけれども、ちょっと大変なことになります。
2016年、カタリンは自家洗顔になって、耳の下のところの洗顔ですね。
娘さんのスーザンがカルファルニアから看病に来てくれたらしいんですけれども、
2人でですね、ドイツ語がわかんないので、
ドイツ人の医者の話を理解するに非常に苦労したそうです。
なんかこれ、その場で手術受けるんだってちょっとびっくりしちゃったんですけどね。
普通、アメリカに行ったりとかファン狩りに行ったりとかしないんだなと思って。
手術を受けてですね、何度か手術されたそうなんですけれども、
その手術の後遺症でですね、数ヶ月間ですね、片方の目が閉じれなくなってですね、
顔の半分が麻痺しちゃったみたいなんですね。
2018年になりまして、お母さんですね、が人不全で亡くなられたそうです。
89歳だったみたいですね。
34年前にですね、お父さん、お母さんが仕事終わった、
リタイアするよっていうところでお祝いのですね、
一生懸命頑張って亡くなってしまったお父さんですけれども、
そのお父さんのお墓にですね、お母さんの遺骸をですね、埋葬したという形ですね。
2019年になりまして、冒頭協議をですね、
引退したスーザンが電話をしてきたそうなんですけれども、
ちょっと悲しいことが何個か続きましたが、
大事な人ができたのっていうふうに言ってくれたそうなんですね。
9月に付き合い始めてですね、2ヶ月しか経ってないですね、
スーザンの恋人のライアンですね、連れてスーザンはドイツにやってきてくれたそうです。
ライアンはですね、背が高くてですね、少年のような感じでですね、
カタリンはですね、両手を広げて抱きついたそうです。
それから言ったそうですね、家川マイスターを一杯どう?っていう形でですね。
向こうでは家川マイスターってそういうお酒なんですか?
いやー、僕聞いたのはもうただの薬草酒だったみたいですよね。
薬草酒ですね、結構クセの強い。
陽明酒みたいなもんっていうふうに聞いてたので、
それをそんな感じで飲むんだなと思って、お祝いのあれみたいですね。
24:07
そうなんだ、ちょっと悲しいこともありましたけど、いいことも。
ありますっていうところがありましたっていう感じですね。
そしてこの2019年ですよね。
ここら辺からいよいよコロナが伝わり出す、ちょっと手前の年っていうところで。
今回は終了させていただいて、いよいよコロナウイルスと戦う段に入ってきます。
もうあと1回、2回で終われると思うんですけれども、ようやくここまで。
いよいよというか、もうカタリンは研究を始めても何年経ってるんだろう。
何年経ちましたかね、もう30年、40年くらい経つのかな。
そうですよね。
すごい、1988年アメリカに来たって言ってたかな。
そうですね、それくらいですね、90年より前でしたね。
すごい年が、20、21年、21年。
そうですね、ちょっと今たぐってますけど。
たぐって、確かに今2018年としたら20年経ってますね。
そうですね、はい、そうですね。
すごい、もうずっと停滞した17年間で、ここちょっとこの数年間で大手企業とタイアップして、
ワクチンっていうところに、この時にコロナがやってくるっていう。
そうですね。
いよいよ来年の次回、コロナとのワクチンとの戦いに入っていきます。
楽しみです。
絵が長かった。
長かったですね、はい、ちょっとようやく終わりが見えてきたところで、
お二人にさせていただければと思います。
ありがとうございます。また次回も楽しみにしていてください。
ありがとうございました。
ありがとうございました。失礼いたします。
失礼いたします。
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