1. 生命科学の冒険者
  2. 052.免疫学者『坂口志文』:Pa..
052.免疫学者『坂口志文』:Part3〜生い立ち〜
2025-12-08 33:29

052.免疫学者『坂口志文』:Part3〜生い立ち〜

精神科医を目指し哲学的なテーマを追っていた若き坂口青年。大学紛争の中で目標を見失った彼を魅了したのは、自己を守りつつ時に攻撃する免疫の「複雑で美しい仕組み」でした。難病、自己免疫疾患の解明に人生を捧げる偉大な研究者のドラマが始まります。

— 読む「生命科学の冒険者」 —
放送内容のまとめや文字起こしなど。メンバーシップ準備中です!
https://note.com/lifesciquest

— 各種SNS —
X : @LifeSciQuest
YouTube : あそぶかがく

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

00:06
生命科学の冒険者
ようこそ、生命科学の冒険者へ。
プレゼンターのあきです。
アシスタントのとみーです。
この番組では、生命科学における画期的なブレイクスルーを成し遂げた偉大な研究者たちの人生と、その背後にあるドラマをお届けします。
この番組に関しまして、Xやスレッズを始めましたので、生命科学の冒険者で検索してみてください。
感想や励ましのお言葉をいただけると嬉しいです。
また、ノートでメンバーシップを始めました。
ノート自体もまだ文字起こしを書いているくらいなんですけれども、今後はメンバーシップ限定のコンテンツなんかも作っていきたいと思っています。
このポトキャストを続けていくためにですね、ぜひご支援、応援をお願いいたします。
ではですね、早速本題に入っていこうと思うんですけれども、
免疫のですね、坂口先生登場以前のですね、免疫研究の歴史について簡単にお話しさせていただきましたけれども、
前回ですね。
前回ですね。
T細胞とB細胞っていうのがいるなっていうのがわかったよとかっていうような話をさせていただきましたが、
今回からですね、いよいよと坂口先生のご登場となります。
まだですね、免疫で研究されている先生でですね、何か間違ったことをですね、情報を発信してしまったらですね、
ちょっとそこは多めに見ていただきたいなと思うんですけれども、
ちょっと緊張しながらお届けしたいと思います。
先生のですね、少年時代、子供時代からですね、高校卒業までをちょっと簡単にご紹介させていただきたいと思います。
出生地がですね、滋賀県の長浜市というところですね。
滋賀県の都があって、その右側の北の方。
ヒコニャンとかが、彦根市とかの近くになります。
彦根市のお隣かな。
1951年の生まれでですね、3人の兄弟ですね、男の子3人の真ん中の次男として生まれたそうです。
今じゃあ、70歳?74歳?
そうですね、ぐらいですかね。
で、志問というですね、お名前なんですけれども、
これはですね、お父様がですね、文に志す。文っていうのは文字ですね。文字で志すということで志問って書かれますけれども、
文に志すということで、学問の道に進んでほしいという意味を込めてつけられたそうなんですね。
03:01
お父様は結構当時インテリなお父様だったみたいで、戦争なんかにも兵隊として行かれてたみたいなんですけれども、
欧米でも通じるお名前というところでですね、聖書から引用したというふうな記載も、記事もちょっと見かけました。
志問っていうのはですね、ユダヤ人に多い名前だそうでですね、先生、海外の学会とかに行くとですね、
命名の由来を結構尋ねられることが多いそうです。
で、お父様はですね、インテリというお話しさせていただきましたけれども、京都帝国大学文学部哲学科のご出身ですね。
西洋哲学に造詞が深かったそうです。
なので、お兄様もですね、坂口勲というお名前ですね。
勲もですね、キリスト教に由来している、海外で多いお名前かなと思います。
で、お弟さんのお名前はですね、ちょっと調べてみたんですけれども、分かりませんでした。
っていう感じです。
で、お父様はですね、戦後の混乱の中でですね、京都大学の人たちはですね、割と戦争に加担したようなことがあったんじゃないかということでですね、
GHQから睨まれて、アメリカ軍から睨まれてですね、割と学問の道進めなかった人が多かったみたいなんですけれども、
なので、お父様もですね、学者になりたかったそうなんですが、それを諦めて高校の先生をやられてたそうです。
ただですね、家にはたくさんの本があってですね、後、ご両親がですね、子どもさんにですね、たくさんの本を買い与えてくれたそうなんでですね、
読書するっていうのは自然に身についたそうなんですね。
で、お母様の方ちょっとご紹介しておくとですね、お母様の家系はですね、江戸時代から続くですね、お医者さんの家系だったそうで、
結婚する前まではですね、高校の教員だったそうですね、お父様と同じような、同じ職業だったので、
多分、そこで出会って結婚されたのかなと思います。
ちなみに、お兄様もですね、今、引退されているそうですが、高校の先生だったそうです。
地元のですね、美和南小学校、それから美和中学校をご卒業されたそうですね。
これは志門先生ご本人の話ですね。
中学校の頃には、結構美術に打ち込んでですね、絵を描いたりとか、粘土をこねて素像を作ったりとかして、
地域の展覧会に出品して表彰状をもらったこともあるそうです。
なので、ぼやっと美術の道で生きていけたらいいなと思ったこともあったそうです。
06:06
なんか、ちょっと意外な感じがしますけれども、
どんな絵を描かれていたのかとかですね、どんな想像を作っていられたのかとか、ちょっと見てみたいですよね。
高校はですね、お父様が校長先生を務めていられたですね、
滋賀県立長浜北高等学校に、お父様の誘いで、お父様の学校に来たらということでですね、行かれたそうです。
1969年3月に卒業されます。
その1969年の3月ですね、その当時なんですけれども、
左翼の運動が、大学紛争ですね、が狂っている時だったらしくて、
現役時代はですね、東大が入試が中止になっちゃったそうなんですね。
なので、その年はですね、賢い人たちはみんな京大を受験したみたいで、
京大が受験生が殺到したみたいでですね、
坂口先生は現役時代、京大受けたんですけれども、残念ながら不合格になっちゃったみたいなんですね。
1年浪人した後に、1970年ですね、に見事合格されまして、
京都大学医学部の医学科に入学されます。
美術とかですね、やっていられた先生なんですけれども、
なんで医者になろうと思ったのかというところなんですけれども、
最初はですね、精神科医になろうというふうに考えられていたそうなんですね。
お父様の哲学をやられていたということで、
お父様の影響なんかもあったんだと思うんですけれども、
高校の頃の愛読書部はですね、精神医科医のフランクルという方が書かれた、
夜と霧とかですね、あと哲学者で医者のヤースパスという方が書かれたですね、
精神病理学といったですね、そういった本を読まれて、
心の実在とか、あと哲学的なテーマ、そういったものに興味があったということなんですね。
僕、高校の時にこんな難しい本とか全然読んでなかったんで、さすがだなと。
で、どうですか、富ちゃんは何を読んでいました?
高校の時ですか?ちょっと今、とっさに記憶が出てこないんですけど、
昔って言うとあれだけど、昭和の頃の坂口先生ぐらいの時代の方って、
今よりも難しい本を読んでそうなイメージあります。
今って漫画とか動画コンテンツとかすごい多いから、そういうのない時代じゃないですか。
昔の名著とか学術書とか読んでるようなイメージはある?
あるっちゃある、頭いい人たちは。
09:01
今でも頭いい人たちってそんなの読むのかな、高校生で。
新学校行ってる子とか。
読んでるかも。
そんな感じでですね、哲学系に興味があったので、
心理系のことを扱うような精神科に行くっていうのは、哲学の勉強になるのかなという思いと、
お母様の家系がお医者様の家系だったので、
それでお父様もこれからの時代は理系だって言ってたみたいで、
哲学ができそうな理系の医者っていうところで、なんとなく精神科を目指したそうです。
そう思うと理にかなってる気がします。
ここら辺もすごい賢いなと思っちゃいますけれども。
ただですね、この時期京都大学内も大学紛争の真っ只中だったみたいなんですね。
特に精神科は大学紛争の中心地だったらしくて、
まず異極制度とかで学生運動って激しくなったらしいんですけれども、
ちょっとその辺ちゃんと調べてないんでわかんないですけど、
それで精神科なんで患者の人権、
昔の精神病って僕の勝手なイメージですけど、
気が狂ったっていうふうに思われてベッドに縛り付けられてるとか、
もう本当牢屋みたいな閉鎖病棟に入れられちゃってるとか、
そういったようなイメージが僕の中であるんですけれども、
そういったところでおそらくそういったところが問題になって、
患者の人権の在り方っていうところで、
特に精神科は学園紛争の真っ只中の中心地だったみたいなんですね。
先生も医学生も巻き込んで激しい抗争だったというところで、
こんなところで患者さんに向き合うのは苦重いなというところで、
目標が失われてしまって悶々とした学生時代をお過ごしになっちゃったということですね。
その時に免疫学に出会ったそうです。
免疫学の授業を受けた時に衝撃を受けたそうで、
文言春秋のインタビュー記事でそのことを語っておられているのを
ちょっと引用させていただきたいと思うんですけれども、
免疫は非常に面白い仕組みです。
事故と他者とどう区別しているのか大きな問題だし、
自分を守ってくれることも攻撃することもあるという、
二律背反な二つの顔を同時に持っている。
そこには単なるイブスを攻撃しろというスイッチのオンオフではなく、
もう少し複雑だけれども、もっと美しいメカニズムがあるのではないか。
12:03
それをどうにか知りたいと惹かれました。
というようなことが書かれておられます。
若き坂口青年は免疫学は哲学的だなと非常に惹かれたらしいんですね。
こんな風に免疫に惹かれる、これもまたただただ賢いんだなという風に。
ドラマチックな方ですね。
面白いですね、心の動きというか。
1976年の3月に京都大学医学部医学科を卒業しまして医師免許を取得されます。
大学卒業後、臨床の道にはすぐには進まずに、
お医者さんになろうとせずに、まず研究の道に進んでみようと思われたそうです。
ダメだったら臨床に戻ればいいやという風に考えて、
その年の4月に京都大学大学院の方に進みまして、免疫を研究しようという風に決めます。
免疫の面白いところというか、先生がテーマとしてやりたいなと思ったところは、
なるほどなと思ったんですけど、
人の体は日々外からの外敵に晒されて、細菌だったりウイルスだったり、
寄生虫だったり、あとはマラリアなんかは原虫というのが来てなりますけれども、
インフルエンザとかというような病気であれば、
だいたいですね、10日もすれば最初はしんどいけれども、
いつか治っていく病気というところになりますけれども、
ただ、自己免疫疾患ですね。
当時いろんな自己免疫疾患というのが明らかになっていってたわけですけれども、
それはですね、免疫が自分の体を攻撃しているということなので、
ここの免疫の暴走を医学の力で止めてやることができなければ、
延々に病気が進行していってしまうと、
最終的には死んでしまうこともあるという、とにかくしんどい病気ですよね。
一型糖尿病とか、あと関節瘤待ちとか、海洋性大腸炎、多発性硬化症ですね。
いろいろな病気を引き起こします。
自分の免疫細胞が自分の体を、自分の臓器を攻撃するということで、
人口の5%がこの自己免疫疾患を持っていくと言われていますけれども、
20人に1人という非常に深刻な人数を抱えた病気であるというところで、
15:05
ここは医学の介入ができる分野だろうと、
自分がぜひ研究テーマとして据え置くには良いターゲットだなというふうに思われたそうなんですね。
その中でその通学的な仕組み、免疫の事故と非事故ですね。
これが普通はうまくバランスをとっているのに、あるときバランスが崩れて自分を攻撃してしまうと。
そのなぜ揺らぐのかという問いを解明したいなというところで研究をされたというところになります。
まず最初に入ったのが病理学教室でした。
病理学というのは、病気の本質と成り立ちを研究する医学の基礎分野ということなんですけれども、
身近なというか病理学医ってそんなに身近にいないように思うんですけれども、
例えばガンになったというか、何か体調子悪いなというときに検査をしますけれども、
例えば整形をとりますとか言って、肝臓がんの疑いがあるとかになったときには血液をとったりして調べますけれども、
ちょっとだけ細胞を太い注射針みたいなのをさして、肝臓までさして、ちょっと組織をとってきて、
それを顕微鏡で見て、これは細胞の形が良くないからガンだぞとか、ガンっぽいけど寮生だねとか、
大腸の検査なんかでもカメラをお尻から入れて、中にできたポリープをつまんで取ってきて、
それを顕微鏡で見て、これは寮生だなとか悪性だなとか、これだったら手術して取り除かないとダメだなとかやってやりますけれども、
そういったのを顕微鏡を見て、これは病気だとか病気じゃないとかっていうのを判断する先生たちが病理医になりますね。
漫画だとフラジャイルっていう、面白いですけど、のがありますけれども、
大好きです。
病理医が何されてるかっていうのを、ちょっと覗いてみるにはフラジャイルっていう漫画をぜひお勧めしたいところですけれども、
そういったところにまず入って、とにかく1年間人体解剖とか動物実験に明け暮れたそうです。
18:00
ただその当時、今でもそうなのかもしれないですけど、病理医っていうのはとにかく経験が必要です。
1年間数十体ぐらいの人体解剖をしたぐらいでは、入り口に立ったかなどうかなぐらいのレベルで、
とにかく積み重ねていく非常に古典的な分野なので、
これだとちょっといつまでたっても自己免疫疾患に関して取り掛かれないぞというふうに焦ります。
そんなときに、自己免疫疾患に関して画期的な論文を先生は目にすることになります。
それは科学論文雑誌のサイエンスっていう結構有名な科学論文雑誌、
研究者の方たちはサイエンスに論文を掲載されるとか、ネイチャーに論文を掲載されるというと、
それはすごいねっていうようなことになるんですけれども、
そのサイエンスっていう雑誌に掲載された論文を読んで衝撃を受けられたそうなんですけれども、
1969年、愛知がんセンターの西塚康明先生と坂倉輝代先生が行った実験の論文が載っていたそうです。
生まれて間もない2日から4日ぐらいの間のメスのマウスの共鮮をテキストすると、
そのマウスが成長した後で断層の萎縮とか不眠といったような性別特異的な異常が発生したと。
それはオスのマウスで起こらなかったよということなんですね。
これは自己免疫疾患なのではないかというふうに考えたそういった報告が出たというところで、
坂倉先生はいてもたってもいられなくなったのか、京都大学大学院を1年半在籍してたんですけれども中退して、
愛知がんセンターの西塚先生の研究室の門を叩いて無事そこの研究室と研究生となられたそうです。
というところで、そもそも共鮮は何なのかというのを今回お話をさせていただきたいと思います。
1960年までは共鮮は赤ちゃんから大体小学校ぐらいの間にどんどん発達していく臓器で、
そこから先どんどん小さくなっていって成人の頃には退化してしまうと。
僕は今50歳ですけど、多分共鮮影も形もないんじゃないかなっていうぐらいそんな感じの臓器です。
21:05
なのでその当時は役割のない機関というふうに考えられていました。
1960年代初頭にジャック・ミラーという方が共鮮がどういう役割を持っているのかというのを一部を解明してくれます。
1961年、ジャック・ミラーが発表した論文なんですけれども、この方はオーストラリア人でロンドンで研究されておられました。
この方は生まれたばかりのマウスから共鮮を取り出します。
しばらく飼ってみます。
さっきの実験は2から4日経ったマウスから共鮮を取り除いたという実験でしたけれども、
このジャック・ミラーは生まれてすぐに共鮮を取り除いてみるということをします。
そうすると、これらのマウスは2から4ヶ月ぐらいまではほとんど正常なマウスと共鮮があるマウスと変わらなく育っていくらしいんですけれども、
その後は感染症にかかりやすくなったりとか、下痢などを起こしてしまって衰弱して免疫不全を起こして死んでしまうと。
そのために共鮮は免疫機能にとって何か必要不可欠な臓器なんではないかというふうに考えて、
ジャック・ミラーはこの共鮮的質マウスをいろいろと解剖してみます。
そうしたところ、わかったことは、リンパ血とか脾臓、血位でリンパ球が減っていることを認めました。
共鮮的質マウスに羊の赤血球を注射してみても抗体が作られなかったそうです。
普通に羊の赤血球が赤血球として働いていたらということですね。
異物として認識されていなかったということですね。
別のマウスの皮膚を共鮮を摘出したマウスに移植しても拒絶反応が起こらずに皮膚はそのまま定着したそうなんですね。
このことから共鮮を取り除くと異物を排除する免疫反応が大きく失われているんだなということがわかりました。
非事項のものを取り除く、攻撃するというのが免疫細胞の仕組みなので、そういったことが起こらなかったということですね。
24:01
生まれてからしばらくして、原発球に目印をつけて体内を移動する様子を実験してみたんですね。
今だとこの回一番最初にお話した蛍光タンパク質があるので、リンパ球だけで出ているタンパク質に蛍光タンパク質をひっつけてやることによってリンパ球だけを光らせてやるということは今だと簡単にできるので、
例えばGFPをつけたら、緑色に光っている細胞をずっと顕微鏡下で追いかけてやって、どこに行ったのかなというのを1日目、2日目、3日目みたいな感じで観察してやれば、
リンパ球がどこで生まれて、どの経路を通ってどう体内に散っていくのかというのが見ることができるんですけど、
この当時はそれができなかったので、リンパ球につける目印はリンパ球のDNAにだけ放射性同位元素、
放射線をつけた、実際にはH水素に水素が放射線を出す放射線同位体水素というのがあるんだけど、普通の水素よりもちょっと1つ重たい水素。
それは不安定な状態なので適度にどんどん崩壊していって、その時に崩壊する時のエネルギーとして放射線を出します。
その出された放射線というのはX線フィルムで写し取ることができるので、
それを使って、まずリンパ球に放射性同位元素で目印をつけて、マウスにそれを移植してやって、どう動いていくのかというのを観察してあげたそうです。
そうすると骨髄から生まれたリンパ球のうちの一部が狭線に移動して、それからさらに前進にいくということが分かりました。
ジャック・ミラーはこれらのことから、狭線が免疫反応を引き起こす免疫細胞を作るというか、成熟させる機関だということを発見します。
ミラーは1961年にこの成果を報告して、狭線依存性リンパ球、今だとTセルと呼ばれているものですね。
27:05
T細胞、Tセル、狭線のことはサイナスというので、サイナスのTを取ってT細胞ですね。
こういうふうにまず名付けます。
なぜそういうふうに名付けたかというと、当時、血液をもちろん顕微鏡で観察するということはよくやられていました。
血液をある染色液で染色してやって、それから顕微鏡下で観察するわけですけれども、その時にリンパ球というふうに分類されるというのは見た目なんですよね。
見た目でリンパ球というのは細胞には核という染色液で非常に濃く染まる領域というのがあるんですけれども、ある染色液を使うとですね。
それでその濃く染まる核というのが細胞のほとんどを占めていて、周りの細胞の領域はほとんどないというか、かなり小さい。
細胞のほとんどが核が占めているみたいな血液の中の細胞をリンパ球というふうに分類していました。
他にいろいろ核の形に応じて甲中球だとか単球だとか、もしくは核が全然ないような赤血球だとか、そういったものが分類されていました。
このリンパ球は染色しただけではT細胞とかB細胞っていうのはリンパ球の中の分類なんだけど、分かんない。見た目では全然分けれない。
だけどどうも役割が違う奴らがいるよということで、ジャック・ミラーはそのうちのリンパ球の中の狭線で育つ細胞のことをT細胞というふうに名付けたということになります。
それ以前はリンパ球はリンパ球という大きな括りでしかなくて。
解像度が高くなったんですね。
そうですね。一つ解像度が高くなったということになります。
ジャック・ミラーはそれまで謎だった臓器、狭線が免疫システムの中心的な臓器であるということを初めて科学的に証明したということになります。
本日は坂口先生の老いたち、大学時代と狭線の前提知識として、狭線が何をやっているのか、それがどう発見されたのかというところまでお話しさせていただきました。
30:11
どうですか?
その素直で従順になるみたいな犯罪者さんとかの、でも結果的にそれがすごく人格に異常をきたす部位、そのコントロールをすごく重要な役割を占めている部位だったということが後からわかるみたいな、非人道的な実験をしてしまったとかみたいな話を聞きながら思い出したんですね。
身体の部位でいらないところ、今わかっていない役割機能を今わかっていないとしても無意味ではないんだろうなってしみじみ思いました。
なるほど。ちなみに今、富ちゃんが言ってくれたのはロボトミーっていう手術で、精神病なんかで暴れちゃう人をおとなしくさせるために画期的な手術だっていうことで、結構ある時代にはよくやられた手術なんですけれども。
ちなみにそのロボトミー手術を開発したお医者さんはノーベル賞を取られています。
へー。
だから、それは上げちゃいけないノーベル賞だったんじゃないかなっていうふうにも言われている。物議を醸し出していますけれども。
そしてまだ結論は出てないみたいな?
いや、結論は出てないというか。
上げたもんは上げたもんだから。
上げたもんは上げたもんで取り返せない。
もうそれはしょうがないというか。
ノーベル賞の負の側面としてよく語られることがあるんだけど。
そうなんだ。
ただですね、実験の手法としては、人間もちろん実験するのは大変やっちゃいけないと思うけど、
じゃあ動物だったらいいのかって話にもなるんだけど、
何の役割かわかんないものを取り除いて観察して何が起こるのかっていうのを見るっていうのはよくやられる実験手法で、
生物学的には本当によくやります。
というところでですね、その中で何かよくわからん狂犬がですね、免疫にとって重要な役割を見つけたっていうことですね。
33:04
そういった実験をよくやりますよっていうところでちょっとまとめにしたいと思います。
では本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
33:29

コメント

スクロール