大洋グループの創業と発展
下田文代リーダーズストーリー
こんにちは、RKBアナウンサーの下田文代です。 この番組では、毎週お一人の福岡、そして日本の経済を支えるリーダーたちの
これまでの人生、そしてこれから開く未来のストーリーを語っていただきます。 今日のお客様です。
太陽グループ代表取締役社長 岡部 知寬 (おかべ ともひろ )さんです。ようこそお越しくださいました。
よろしくお願いいたします。 この太陽グループ、太陽はお日様の方ではなくて、この太平洋のよう、
山髄の方ですね。これはどういう成り立ちでお名前がついたか、お呼びですか。 はい、もうこれはだいぶ戦前の話にさかのぼるんですが、もともと私の祖父が
建築業をやっておりまして、ちょうど終戦を迎える頃に博多はやけの羽になって、博多の人が元気ないと、
なんとか元気をどう与えられるかというところで、映画館を作ろうという思いで、太陽映画劇場と広く大海原に出ていくという思いを込めて作った映画館がスタートになっています。
そうですか。ずいぶん開放させていただきまして、シンボルとも言える、今は?
これを今、老朽化で一度取り壊しをしておりまして、新しい建物が、総合型のビルが建ちますので、来年の春ぐらいにはそのワンフロアで映画館も再開予定となっております。
そうですか。今はどんな企業、事業を展開していらっしゃるんでしょうか。
祖父が映画館を1946年、日本で初めての洋画専門家としてチャップリンの映画でスタートしたんですが、それから非常に映画が良い時代が長く続きまして、
その後1970年に、いわゆる世の中にビデオというものが開発をされて普及する前だったんですけれども、
祖父が、今は映画は映画館でしか見れないけれども、こういったビデオが普及すれば各家庭で映画が見れる時代が来るだろうということで、ビデオ事業部というのを立ち上げまして、
その時に私の父が、当時まだ東京でサラリーマンしてたんですが、お前が戻ってきてこのビデオ部門をやりなさいということで、
1970年の8月から私の父がそのビデオ部門を預かるという形でスタートしたというのが、今我々の太陽グループのスタートとしております。
先見の目が終わりでしたね。
そうですね。本当に今でいうインターネットとかみたいな世界で、全く違う世界だったと思うんですが、
ただ非常に時代の動きには敏感な祖父であったので、そういったこともできたのかなというふうに思っています。
そうですね。1970年の初頭だとまだその過程にビデオデッキはなかったけれども、その前に着手されて。
そうですね。本当にまだビデオといっても一般の方知らない時代でしたので、
ただ創業の時はそういった意味では誰もビデオを買ってくれませんので、
父の始めた時代は相当赤字続きで大変だったというふうには聞いております。
そして今もう映像の時代になりました。
そうですね。おかげさまでそういったビデオが普及するとともに、我々としても作業をそういったビデオソフトを扱う会社、
それから映像を作る会社、それから映像を見る環境を作る会社という形で各社分社化をしていきまして、
対応グループという形で計7社で構成をされております。
映像制作へのこだわりと技術革新
7社でどのようなことに力を入れていらっしゃるんですか?
そうですね。映像に関しましてはテレビCMのようなクオリティの高い映像制作をやっておりますし、
映像を見る環境とかで言いますと、特にホテルであるとか宿泊施設に映像の配信であるとか、映像関係のいろいろな工事ですね。
ただ時代とともにシステムでいろいろなものがつながってきましたので、今はホテルの全体を扱うコンピューターであるとか、
通信系のところまで弊社で工事をやるようにしております。
そうなんですね。今はもうスマートフォンで誰もが簡単に映像を撮ることができて、編集ソフトもあります。
でもプロとして長年培われてきた、そこ自負が終わりだと思いますが、
どんな特徴のこの映像制作、それから技術をお持ちなんでしょうか。
そうですね。今年で56年目になるんですが、やはり今おっしゃったように時代によってカメラも編集機も変わってきましたし、
いい意味で個人も作れるようになってきました。メディアも多様化してきました。
そういった中で我々としては技術だけではなくて、本当に人の心に届くものは何なのか。
それは情熱の部分であったり、テクニカルの部分であったり、その組み合わせだと思っておりますので、
今実際には通常の映像制作と違って、生成AI動画を使ったものも含めて、常に時代の最先端を取り込んでいくということも大事にしております。
そうですか。やけのがはらにその劇場を建てたおじいさま、現状を見たら喜ばれるでしょうね。
そうですね。父が40年やりまして、私に代が変わって今16年目ですが、時代がこれだけ変わっておりますので、
今第二創業期として、いろんなものの新しく設定をして、今会社をいい意味で作り変えないといけないという時期にやっております。
そうですか。岡部さんご自身が家事を取られて苦難もあったと思いますけれども、いつが最も苦しかったですか。
コロナ禍での挑戦と教育支援
そうですね。やはりコロナ禍でしょうか。我々グループの中では様々な部門がありますので、何かが悪くても何かがいいというような形で支え合ってきたんですけれども、
コロナ禍においては自粛と呼ばれるような事業ばかりで、全ての事業が本当に前年比で8割減みたいな、
本当にどうやって続けていこうかというような時期もありましたので、そこが本当に苦しかったかなと思っています。
ただその時に会社って何だろうとか、仕事って何だろうとか、我々の大事なものって何だろうということをとても考える時間にもなりましたし、
今はその会社の変革にあたっては、その時の一番コアとなった部分が生きてきているのかなというふうに思っています。
そうですね。苦しい時に生まれた事業も終わりだとか聞きました。
そうですね。ちょうど私にも当時小学生の子どもいましたが、学校も緊急事態宣言でオンライン授業となってきました。
学校は今キャリア教育と言いまして、将来どんな大人になりたいのか、どういう職業に就きたいのかを授業でやるんですけれども、
学校としてはただ一切教材がないのにオンラインで授業できない、ゲストティーチャーを学校にも呼べない、授業ができないという大変な思いを私は聞きまして、
我々本業界映像関係の授業をやっておりますので、何かお手伝いできないかと。
この大好きな福岡の魅力って何だろうと考えた時に、やっぱり魅力的な人、仕事があるから街は魅力なわけであって、
そういった方々を映像化して様々な職業を子どもたちに知ってもらうということで、ジョブレンズというジョブの仕事をレンズを見て探すということで、
ジョブレンズという授業を立ち上げまして、福岡市教育委員会と一緒に今一緒にやっています。
おかげさまで今、職種も70職種ぐらい映像化をしまして、コロナが落ち着いた頃からは出前授業という形で、
年間数十個ゲストティーチャーを連れして子どもたちに授業をやってもらうと、そんな取り組みもやっております。
そうですか。幕京の中だからこそ生まれたものもあるんですね。
そうですね。
AI技術の導入と今後の展望
そうした時代はAIになってきました。ここも新しく取り入れる部分ってあるんでしょうか。
はい。いわゆるチャットGPTのような一般的に我々が使えるAIが出てきた頃から、AIの研究を始めまして、
当時はまだ動画はほぼ作れなかったんですが、幸いそれから1年半ぐらいずっと社内で研究部署を作ってやっておりまして、
ちょうど昨年の4月からそのノウハウがだいぶたまりましたので、デジダボという部署をAI専門とした動画制作チームを作りまして、
そこが今おかげさまで全国的にも評判がいいので、全国のCMであるとかいうものも作らせていただいております。
そうですか。とても時代に合わせて変幻自在で大きくなっていらっしゃる様子が分かりましたけれども、
また続きとして、岡部さんご自身がどのような歩みを刻んでこられたのか、そこもまた次回伺いたいと思います。
はい。よろしくお願いします。
今週のお客様は太陽グループ代表取締役社長、岡部智博さんでした。ありがとうございました。
お相手は下田文雄でした。それではまた。