安倍さん、前回の収録の終わりにね、ちょっと決めたことがありましてね。
京都新聞Podcastの3つの企画の中で、この物語の路地を歩く刑事小説という回だけが、
私と安倍さん出演者2人の状態で、これまで3回収録してきたわけなんですけどね。
はい。そろそろまんねり気味になってきたというわけではないです。
けれど、まあ。
でもね、やっぱりもう1人いた方がね、話が広がるんじゃないみたいなことは、実は毎回ね、話していて。
なかなかね、対話だけになると、ちょっと広がりに欠けるところが出てくるかなというのは、思っていたので。
で、今日から?
そう、今日から新しくね、話し手の方に入っていただくわけなんですけど。
でもなんか、もうね、しんどくならないの方も聞いてくださっている方からしたら、もう正直おなじみみたいなね、方なんですよね。
毎月全部本読んできていただいてましたしね。
はい。というわけで。
ということで、今回からこちらの方にも一緒にお話ししていただきます。自己紹介お願いします。
はい。ニュース編集部というところで働いています。原と言います。
普段は新聞のどのページに何載せるかとか、見出しつけたりとか。
広瀬さんと同じ職場で仕事しています。
安部さんとは昔ニュース編集部で一緒で。
それ以来仲良くしてもらっています。
よろしくお願いします。
安部さんと仲良いことはもちろん、私も同じ部署の上司ということと、
このポッドキャストを立ち上げ時から関わってくださっている先輩でもあり、
リサーチャーもしていただいたり、サッカーも原さんも好きなので。
サンガ界もリサーチャー実は入っていただいていた会があったりして。
実質プロデューサーみたいな。
そんなことないです。
サッカーは安部さんも好きで、よくサンガのアウェーの旅行も行きましたもんね。
確かによく行っていますが。
何ヶ所も行きましたね。九州から金沢とか松本とかいろいろ行きましたけど。
文芸、小説界なのでここばっさりカットします。
一応言っておくと年齢は49歳で、出身は東北の福島県なんで。
なんかね、喋り方が東北弁と関西弁と混ざって変な感じかもしれないんですけど。
大学から京都?
一旦地元帰って中途入社で京都新聞に入ったんです。
京都生活は通算何年くらいになるんですか?
通算だと20年を超えているけど。
まだ人生の半分は生きていない?
半分は生きていない。
だからなんやっていう話ですね。
まあそういう人ですという。
まあまあよそさんという感じです。
よそさん怖いですね。
よろしくお願いします。
そして今日からリサーチャーは加藤さんにお願いしています。
今日は4人でお送りします。よろしくお願いします。
今回紹介します作品は手のひらの都。
和田やりささんの作品です。
手のひらの今日と書いて都と読みます。
安部さん今回この白印を選ばれた理由を伺いたいんですけど。
これ選んだの僕じゃなくて原くんじゃないのかな。
これでどうですかっていうのをね。
ただそもそもで言うと今まで3回やってきたのが
いわゆるストレートな現代のリアル小説は1回もやってないかなと。
ファンタジーとかSFとかで京都舞台にした現代小説
何だろうっていう時に原くんが
じゃあこれはどうっていう話じゃなかった?
そうですね。実は深い意味はなかったんですけど
さっき安部さんが言ったみたいに今の
今としても10年くらい前ですけど京都の話
リアルな話のやつなんかないかなと思って
というのであらすじを簡単にじゃあ
説明していただきましょうか。
文庫本の裏表紙からちょっと読み上げます。
京都に生まれ育った奥沢家の3姉妹。
少女の彩香はのんびり屋だが結婚に焦りを感じるお年頃。
負けず嫌いの次女、ういは入社したばかりの会社で
恋愛沙汰といけず劇体に忙しい。
そして大学院に通う三女の凛は
家族には内緒で新天地を夢見ている。
春の柔らかな空、祇園祭りの酔い、
午前送り日の郷の声、もみじの山、
夜の嵐山に降る雪、3姉妹の揺れる思いを
郷の式が包み込む愛おしい物語。
本当まさにこれですよね。
何年の作品なんですかね?
書版は2016年だったと思います。
綿谷梨沙さんのプロフィールも確認しておきたいと思います。
新聴者さんのホームページから引用させてもらいます。
1984年京都府生まれ、2001年インストールで文芸賞受賞。
早稲田大学在学中の2004年蹴りたい背中で芥川賞受賞。
2012年かわいそうだねで大江堅座ブロー賞。
2020年木の幹のままでで島瀬恋愛文学賞受賞。
勝手に震えてろ、開いて、私を食い止めて、
夢を与えるなど映像化作品も多い。
他の著書に粉紙、大地のゲーム、意識のリボン、
オーラの発表会、あの頃何してた、パキパキ北京
などがあるということですが。
2016年といったらもう10年前の作品ということだけど
あんまり読み直してみても古くは感じないというか
当たり前かもしれないけど風景もそんな変化感じなかったかな
というふうには思ったけどどうでした?
確かに京都の街並みとかお祭りの行事とか
風景は本当に今とまま変わらないなと思ったんですけど
女性像というか
今この状況どうするっていう悩みが多分これ
10年前だったらもっと深かっただろうなっていうのを
3人の状況を見ながら思いました。
まずさっきあらすじでもちょっと触れましたけど
結婚に焦りを感じる長女の綾香お姉ちゃん
この感覚って10年前と今ではちょっと違う?
今の方がまだ独身でいることとか
自分の人生を充実させる女性像っていうのが
10年前よりずっと肯定されているような気もするというか
多分大きく変わっているのはジェンダー感と
働き方への意識
あとSNSが出てこないことですよねきっと一番は
全然出てこなかったっけ?
出てこないです。スマホを触っているっていう描写はそもそもあんまり
なんとなくこの
どうなんかな
風景的にも現代的な要素って少なかったような気がするので
そんなことない
元から京都にあるもので
みんなパッと頭に浮かぶものっていうのをチョイスして
作品中に出しているのかなという感じがしましたけどね
祇園祭りだったり
都立教だったり
かもが多そうだけど
ちょっと渡谷梨沙さんの話で
この作品にしますってなった時に
私が初めて読んだ渡谷梨沙さん作品
負けりたい背中を読んだ時のことを思い出したんですけど
受賞された2004年で
私小学校5年生ぐらいだったんですよ
その当時の友達と
図書館に入科したけりたい背中を
順番に借りて読んだんです
大人ぶって長い本を読みたい年頃でもあったんで
当時は森江藤さんとか好きだったんですよ
カラフルとかデイブとかね
映像化した作品とかありますけど
でもそれ読んでた
自分がけりたい背中読んで
最後にその
我々所詮よそもなんで
分かんないとこありますけど
もともと京都にいる人って
やっぱ自分家から見える送り火が
送り火ってことなんでしょうね
そうなんですよね
今回の作品の中で一番気になったこととして
さっきもちょっと触れましたけど
東京で就職したいという三女の
リンという女の子の話が
一番パート的にも長く描かれてるんですけど
この話をすると両親は揃って
結構まっすぐ反対してくるんですよね
最初はね
長女も次女も別に反対はしないんだけど
二人とも京都は出ていかないんですよね
最後まで就職もしているし
京都に生まれるっていうことの根っこに
どんな意識があるんだろうって思ったんですよ
いや分かりますよ
京都という街には何か全部揃ってるし
その状況でもなく
宮口とかっていう言葉も今使うんですかね
分かんないですけど
私は地元福岡なんですけど
出ていくことを両親は一つも止めなかったし
私自身も地元最高みたいなところがあるんですよ
福岡県って
福岡県みんな好きだし
大学外に出てって戻るっていう
全然いっぱいいるしっていうところで
ただの移動だったんですよね
大学進学でこっちに来るっていうの
でも京都から外の地域に出ていくっていうことで
福岡を私が出てきたのとは全く違う文脈が
たぶんそこにあるんだなと思って
それは何なんでしょうっていうことを
ここには京都人が一人もいないんですが
ちょっと考えてみたいなと思ったんですよ
この作品は
奥沢家か
一家ずっと京都の人で
京都で生活して
京都で一生を終えることに違和感がない人たちの中で
三女だけが
別に京都が嫌いとかっていうわけじゃないけれど
外へ出たいという思いを抱いていて
それは京都の人にとってみれば
珍しい発想なのか
難しいハードルを超えようとしているのかっていうと
この作中では何となくそういうイメージで
両親にも反対されるし
なんで出ていく必要があるのかっていう
雰囲気に満ちているよね
でも実体どうなのかな
そんなことなくて
結構京都から出て行っている
むしろ京都って
就職のステージの時には
外に出て行って京都に残る人がいないみたいな話の方があるから
どうなのかな
もっと古い街中になると違うのかな
どうなんでしょう
本当にお家に寄るというところなのかもしれないですけど
確か渡谷さんのインタビューの中で
うちのじゃないんですけど
ブックショーとホームページの方で拝見したものによると
渡谷さんご自身が上京される時に
ちょっとすったもんであったっていうようなことを確か
そうなのか
親にも反対されましたしっていうようなことを書かれていて
なるほど
当然なんとなく渡谷さんの経歴から考えると
三条は重ねて読んでしまうよね
渡谷さん自身の投影しているのかなという風に読んじゃうけれど
どの程度それがあったのか
長女・次女・三条でそれぞれグラデーションがあって
京都への思いの
思いというか京都にいること
長女はおそらくですけれども
近所の図書館で働いているんですよね
両親が言うようにずっと京都で住んでいこうという意思が多分あるんだと
次女は京都で暮らしているけど
それなりに楽しんで京都にいるところも楽しみつつ
いろいろモテモテで
普通に楽しんでいて
三条がその二人を見て
それでもやっぱり自分は
ここでちょっと楽しみきれないという思いもあるのかもしれないし
もっと東京で力を仕事して
試してみたいなこともあるのかもしれないし
長女と次女の姿を見つつの三条という感じのイメージを持ちましたけどね
長女は抱かれ方としては
何の違和感もなく京都で暮らしている感じなのかなという
いろんなしがらみとか伝統みたいなものに対する
息苦しさみたいなものとかもそんなにないのかなと思って
それに対して次女というのは
会社でもいわゆる京都人に描かれる
いけずみたいなことにあったりして
そういう京都人的な文化に対する反発って相当持ってそうな感じはするんだけど
でも出ていこうという発想にはならないの
街が嫌いなのではなくて
人のありようが嫌だっていう
そういう感情の出方ですよね
京都人コミュニティにはそんなに
馴染みそうにないし馴染みたくもないというスタンスで
そう考えるとその間の
三条は京都が好きなんよね
京都が好きなんでしょうね
好きなんですけど
私はここが好きだけどいつか出ていかなきゃならない
山の向こうにも自分の世界が見つけられると確信できないといつか息が詰まってしまう
鴨川の冷たい水に長細い足一本をつけて立つ白鷺をじっと見つめていると涙がこぼれた
という施設がありますが
あとなんか私は外へ飛び出す
何かを得るためじゃなく何かを失うためにっていうような表現もあるし
だいぶ恵まれている感じはしますよね
僕はめっちゃ田舎出身なんで
何かを失うためにみたいな感覚はよくわからないところもあるんですけど
得るために
得るためにっていうのはわかるけど
ちょっと事前の打ち合わせでもあれでしたけど
文学作品って上京小説で東京に行く地方から東京に行く小説と
地域文学って言われるやつは
外からその土地に来る人の物語と
その土地から出たくて
主には東京かな都会に出る小説と
あるいは最後はずっとその土地に生まれて留まり続ける
この3番目ってあんまり文学になりにくいのかな
どちらかというと
何かそういう外に出ていこうとする物語か
外から来てそこの歴史文化と馴染んでいくみたいな話だけど
京都の小説って
ずっと京都っていうのもパターンとしては結構あるかなって気がして
さっき原くん言ったように
基本外に出ていきたい
何かを得るために外に出ていくっていう地域が多い中で
これまた京都中心主義的なあれかもしれないけど
状況する必要がなく充足できちゃう部分があって
この奥沢家の人たちっていうのはまさにそれを体現して
もう出ていかなくてもいいじゃんっていう
いいじゃんじゃないな
いいやんやな
いいやん
なのかなと思ったんですが
母親がだいぶ京都にこだわってる感じあるじゃないですか
父親はちょっと怪獣できた感じ最後の方がありましたけど
母親のセリフで何かおもろいなって思ったのは