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大好き、食い意地ですよ。
あの小盛りってめっちゃ難しいじゃないですか。 私はそのご飯の大盛り、いろんなアルバイトをする中で、大盛りは大盛りにしすぎるし、
で、並盛りは一回覚えたら、その分量を見て入れるのはめっちゃ得意だったんですよ。 だけど基本、その大盛りって言われた時に盛りすぎって怒られて、で小盛りって言った時にもっと減らしてって怒られてたんですよ。
で、小盛りはマジで難しいんですよ。大盛りの人は、その飲食店側がちょっと損するだけで、大盛りであればあるほど嬉しいんですけど、小盛りの人は小盛りであればあるほど嬉しいわけではなくて、
程よいぴったりの正解を出さないと、むしろ怒ってくるじゃないですか。 自分が小盛りを頼んだくせに、少ないとか怒ったりするんですよ。
で、小盛りって余計に難しいんですよ。少なめだったら、なんとなく、例えばご飯少なめだったら、
なんか30グラムぐらいマイナスかなとか、ちょい気持ちそのご飯の表面を削り取るぐらいが少なめってなるべくわかるんですけど、
小盛りって何?って思うんですよ。 私のイメージ的に小盛りって、
あの、なんだっけ、亡くなった人の、
なんだっけ、前に置くご飯ぐらいのイメージなんですね。あれって何て言うっけ。
まあ、とにかくその、亡くなった人のためにお供えするご飯の量なんですね。
本当に湯飲みに丸く継ぐ、めっちゃ綺麗に継ぐ感じじゃないですか。 私にとって小盛りってあれなんですけど、
多分違いますよね。もうちょっと多いぐらいが小盛りだと思うんですけど、もうちょっとというか、
お茶碗の中に対しての盛りだと思うんですけど、けどなんか小盛りをむしろあれに統一してほしいんですよ。
わかんないから。 本当に小盛りは難しい。
で、しかも小盛りってなんだよっていつも思うんですね。なんか大盛りだったら、めっちゃ盛ってんじゃん。
盛り盛り、イエーイみたいな。で、なめ盛りもなんかその普通に盛るぐらいでいいよーぐらいなんですけど、
小盛りって言われたら、なんか少なくしたいのか多くしたいのかわかんないじゃないですか。
で、まあその小盛りを使うのって結構どんぶり屋さんぐらいしかないと思うんですけど、定食屋さんだとだいたいそのご飯少なめか大盛りか。
で、その少なめっていう表現にされると思うのは、やっぱみんな小盛りの
あの概念が一緒じゃないからっていうのはめっちゃ最近思ってて、最近っていうかずっと。
で、そのご飯少なめとご飯なめ盛りはだいたい値段変わんないんですけど、たまに変えてくれるところがあって。
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で、大盛りはプラスになるのに、小盛りと少なめは、その得をしない社会になってて。
だから本来なんか少なく食べる人たち、 確かにな。
少なく食べる人たち、なんか今まで全然そのご飯を少なく食べ、少なくしか食べれない人たちの気持ちに寄り添ったことがなかったんですよ。
自分は本当にいかにいっぱい食べるかばっかり考えてたから、 確かになんか可哀想だなぁって今思い始めてきました。
なんかこれ頼むけど食べられないとかの心配をしたことがないんですよ。
けどしなきゃいけない層がいるじゃないですか。食べきれないからどうしようみたいな。
切ないだろうなぁと思って。 確かにそういう人たちって、
けどそういう人たちってマジで、 周りを見渡してごらんって感じで、周りを見渡してご飯をあげればいいんですよ。
どう考えてもその目つきが違うんですよ。やっぱそのご飯いっぱい食べるぞっていう人たちの目つきが違うから、
そういう人たちの目を見て、その体型で判断したらやっぱ失礼なので、目で見て、
しかも体型はそんなにあれなんですよ。意外とわかんなくて。 なんかそのなんでこの人太ってんだろうっていう人、
結構たまにいるじゃないですか。 そのだからわかんなくて。
だから目で見てください。本当にご飯を、 アスリートなような目で挑んでいる人たちはだいたいご飯大好きっ子ちゃんです。
だからその本当に目の前が、 今勝負しているみたいな敵を殺す時の目で、
ご飯を食べている人たちがいるので、 あとはそのご飯を食べるたびにちょっと斜め上を向くとかは、
マジでご飯大好きっ子ちゃんの証拠なので、 そういう人たちにちょっとあげたらいいと思います。本当に。
私も欲しいし。 だからご飯大好きっ子ちゃんだから欲しいです。みたいな。
なんかマイナンバーカードみたいな感じで、 そのオープンマイナンバーカードみたいなのを作って、
その残り物全部食べますとか、その居酒屋に行った時も全部食べたいみたいな感じの、 マジでオープンマイナンバーカード欲しいなぁ。
本当になんかマジで、この居酒屋問題はもう152時間ぐらい話し続けたいんですけど、
なんか残すことがかっこいいみたいな、なってるじゃないですか。 で、残し物を食べるやつはダサいみたいになっちゃって、
その最後にもう全然食べれるんですよ。みんなが残したやつ。 もう書き込みたいんですよ。もう一つの丼にして。
自分のその鶏皿か、それか新しくお皿をもらって、 けどそれだと洗い物増やして申し訳ないから、
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自分の鶏皿に余ったものすべて乗っけて、 オールスター乗っけ丼を作成して、
もうでっかいスプーンとかレンゲで書き込みたいんですよ。 で、自分がもし万が一お腹いっぱいだったとしても、
それを、 目の前にあるウーロン茶か麦茶でこうビシャーって入れて流し込みたいんですよ。
飲み込みたいんですよ。ご飯を飲み込むっていう幸せは、 マジで本当にビールの美味しさがわかんないんですけど、
ビールの美味しさと一緒だと思ってます。 それをしたい。
だけど本当に、それしたら多分もう一生飲み会に呼ばれなくなるじゃないですか。
で、あいつまたあれやってるぞみたいに、 地元の名物おじさんみたいになっちゃうから嫌なんですよ。
だから飲み会呼ばれなくなったけど、どうなんだろう。 そのたった一回をもしかけてみるとして、
確かにな。 もうその、自分のこの食い意地のはっきりしたタイミングで飲み会と一生おさらばして、
その分、浮いたお金で自分が好きなだけ外食に行ける幸せと捉えて、 そっちの捉え方もいいんですけど、
まあだけどごめんなさい。 寂しがり屋さんなので、行きたいのは行きたいんですよ。
行きたいのも行きたいし、食べたいのも食べたくて、 もう本当に目の前にあるご飯をいつもガッタガタ震わせて、手を震わせて、
手がこう動きそうになるのを、反対の手でペシッて抑えるんですよ。 本当に、あの、なんか昭和の教育方法で自分で自分を立志して、
食べるなっていうことをやってます。 その地元の居酒屋とかだったら、一回別れた後に帰ってきて、その全部の円卓を食べるみたいなことができるんですよ。
全然。それをやってる先輩たちもいっぱいいるので、 なんか楽しいんですよ。
で、その合法な時間。 だけど、やっぱ都会とかだと無理じゃないですか。
店員さんと目を合わせて、後で戻ってくるから、ちょっとマジ残しといてみたいな、 そのウインクしながら出て行くみたいな、
木村拓哉、自分のことを木村拓哉だと思ってる人しかできないウインクみたいなのとか、 たまにあるじゃないですか。
たまに本当に、なんかおじさんとか、 あと、まぁおじさんじゃなくてもそうなんですけど、
自分のことを、 あ、けど本当にこういう人たちは多分私と一緒なんですよ。
鏡、家の中で鏡を一回も見ずに、 木村拓哉だと思えば、そう、鏡を一回も見ずに外に出て、
木村拓哉だと思えば、自分が木村拓哉だとわかるじゃないですか。 だって自分のことを直視しないから。
だからそのまんま生きてきた人たちが、自分のことを木村拓哉だと思って、 木村拓哉しかしちゃいけないポーズ、
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セリフと格好で、 その、言っちゃう時とかあるじゃないですか。
そんな感じで、後で戻ってくるから、みたいな感じで。 言い残して、自分がそのロンゲヘアの一番その、
全盛期の木村拓哉だと思って、 帰ってくる合図をするんですよ。
だけどまぁそれは通じないわけで、 最近その外国人の働いてる人も多いから、
余計にその木村拓哉とかすべて含めて伝わらなくて、 本当は帰ってきて食べたいのになぁとか思いつつ、
まぁできないんですよね。 その能力は、
街中のティッシュ配りで私は発揮してるんですけど、 ティッシュ配りを、
めっちゃ上手なんですよ、もらうのが。 その配ってる人と目配せして、ちょうどいいタイミングで、
あのバトンリレーのようにもらえるんですけど、 それがもうちょっと居酒屋でできたらなぁっていうのは、
思いますね。 めっちゃ思います。
あとその妻が、まだその刺身の妻が残ってるのに、 下げられようってする時とかも、
あ、マジでちょっと待ってって思って。 その前に、そういうなんか、あとその付け合わせの野菜とかも食べたくて、
そういうのをなんか、落としちゃった、みたいな演技をして、 私の皿に落として欲しくて、
あ、で、全然大丈夫です。 あ、で、それで店員さんが、すいません落としてしまいましたって言ったことに対して、
あ、全然大丈夫です。私食べるんでって言って、 いやいいんですよ、そんな食べないでくださいって言われて、食べて、
みんなからスタンディングオベーションをもらいたいっていう夢があります。 ただ食べたいだけなんですけど。
だからそういうのをなんか、裏でやりとりできるような、 日本の世の中になってくれたら嬉しいなって思うと、
その子守の話なんですけど、子守は難しいと思いすぎてる。
で、子守に対してやることは多いなーって、 なんか複雑に捉えちゃうんですよ、子守に対して。
だけど、その案外複雑じゃない。 もっと冷静に、その確かにご飯少なめは、
こんぐらいシンプルに考えられるのに、 子守ってすごい難しくて、
で、それって、えっと、 その牛丼における小さく盛る方の子守じゃなくて、
子供、大切なお子、 子供様を見守る方の、
子守、子守の方の子守もあるじゃないですか。 子守する日とかあるじゃないですか。
それもなんかすっごい難しく捉えちゃうけど、 捉えちゃうし、なんか一緒に遊ぼうとか、
何か飽きさせない工夫とかいろいろ考えちゃうけど、 そんなんじゃなくて、
ただ一緒にいることだけが子守っていうシンプルなはずなのに、 こっちが難しく考えてるっていうのが多かったなーって思うので、
その子守に対してももっとシンプルに考えていきたいし、 全ての問題に対してもっとシンプルに考えていきたいなっていうのは、
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最近の反省です。 以上です。